第568回 自己顕示

 平成15年 12月 11日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな詩をご存じですか。     

 自己顕示

「この花は おれが咲かせたんだ」

 土の中の肥料は そんな自己顕示をしない

 おれのような

 相田みつをさんの歌です。
私たちは、何事も私がやった 私が教えた。 私が助けた。
私が養った。私が育てた。と


言っています。きれいな花が咲いても、 一生懸命、私が水をやり、
肥料をやり、土を作り、虫がつかぬように、風が吹いても倒れないよう
頑張ったので、立派な花が咲いたのだといいます。


自分の力で 花を咲かせたと、私たちは思っています。
ところが、よくよく考えてみると、きれいな花が咲いたのも、私が世話を
した以上に、比較にならないほど大きな、恵みを花は大地から
受けています。


大地は 夜も昼も休むことなく、栄養を与え続けたことで、
花は咲いたのです。そのことに気づかないのが 私たちです。


 そして 土の中の肥料は決して、自己顕示をしません。
私たちのように、自慢しません。
大地だけではなく、雨も暖かい太陽の日差し、多くの恵みがなければ、
花は枯れてしまいます。


人間の力だけではなく、無限の計り知れない大きな恵みを受けて、
花が育って成長しているのです。


 確かに人間の世話も入っていますが、それはごく僅かなことです。
そのことに全く気がつかないで「おれが咲かせた」と、自分中心の
思い上がった心になってしまっています。


 ところで宗教を 持つことによって、人間は、はじめて人間に
なるといわれます。


 どういう 信仰を持っているか。どういう宗教を持っているかで、
その人の生き方 人生観、価値観が、形成されていくことでしょう。


親鸞聖人が、お勧めいただくお念仏の教えは、自分の「いのち」と
いうものが、どこから来て、どこへ行こうとしているのか、それを私に
教えてくださったのだと思います。


私一人の いのちではなく、無限の「いのち」の働きに「いだかれ」
「支えられ」「育まれ」「育てられ」ているということに「気付けよ」と
いうのが、如来の仰せであり、南无阿弥陀仏の呼び声だと思います。


自分の努力だけに気づき、多くの恵みに気づかない私たちに、
いつも呼びかけ気づかせていただくのが、声になった阿弥陀さまです。

南无阿弥陀仏のお呼び声です。

妙念寺電話サービスお電話ありがとございました。
次回は、12月18日に新しい内容に変わります。

瓜生津 隆真師 信をうれば心やわらぐ(下) 月間 在家仏教一月号より