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  定散自力の
  称名は
 果遂のちかひに
 帰してこそ
 をしへざれども
  自然に
 真如の門に
  転入する
     
(現代語訳)
自力諸行の中の一つの善行としてしか価値のない念仏は、称名念仏一つで往生すると誓われた第二十願の教え通りになってこそ、殊更あれこれと、はからわなくてもおのずとさとりの境界を得る第十八願の他力念仏の教えに転入していかないものはありません。
白川 晴顕師著
「浄土和讃を
 読む」 198頁より