第923回 親の心を 〜自利から利他へ〜

 
平成22年 9月30日〜

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仏教には 特に 浄土真宗には 自利利他円満 自信教人信などと いう言葉が
よく説かれています。


戦後教育を受けた人々は 自利利他の自利 自分の利益を追求し獲得することが 
幸せであり そのために 勉強も仕事も 頑張るのだと 理解しています。
健康で長生きをすることも 本人の努力こそが大事であるというのが
現代の常識です。

一昔前までは 「お陰さまで」という言葉が よく聞かれました。
これは 自分の努力よりも 自分以外の多くの力が働いて この結果を得たという
感謝と喜びを表す言葉でした。

恩とか 知恩とか 報恩とか 親の恩とか 老いも若きも みんなが分かり合える
有難い言葉でした。

挨拶のことばでも まず最初に おかげさまで と・・・。
そして 自分のことを言うときには 私事で恐縮ですがと 断りをいうのがごく自然でした。

ところが 現代は 私が私が と 誰もが何の違和感もなく 発言しています。
これこそ 自利 自己中心で 自分の利益を追求することこそが 人生の最大の目的という 
価値観の証だと思えます。


自利というのは 仏教的に言えば 私が救われる お浄土へ生まれ さとりを得る そのことだと 
思います。

ところが 自利利他円満 自利だけではなく 利他を完成してこそ仏教であるといわれます。

往相と還相 自力と他力 自利と利他 私が利益を得ることと 他に利益を与えこと 
この両方が完成して はじめて 仏教であると。

ですから 私が お浄土に生まれることは 仏になることは 自分だけの利益ではなく 
多くの人の利益のために 私が働けるようになるという
 ことを意味していると思います。

私が 仏になることは 私のためだけではなく 多くの人の幸せの実現のために
仏に成らせていただくこと。

一人の国王が 修行者となって 法蔵と名乗り 厳しい修行をして 阿弥陀仏と
なられたとお釈迦さまが説かれましたが 何のためのご苦労か それは 
すべてのものを救うためであると。

その教えに出あったものは 自分の幸せだけを 追い求めるのではなく
すべての人の幸せこそが 自分の幸せであると味わえる価値観を受け取ることです。

卑近な例では 厳しい受験勉強をして 大学に入学するのは 私の為だけではなく
その大学で勉強し 多くの人の幸せのために 働くことが出来る力を得るため
であるという 価値観に似ているように思います。

また 仏さまのことを 親さまといいます。
私もやがて親になる。お念仏の生活をすることで 仏と成り 親に成る。
親とは 自分のことよりも 子供や孫の幸せを願うもの。
その親になるとは 自己中心の私が 他の人の幸せを幸せと味わえる
親の価値観を手に入れることだと 思います。

いつも 子供の立場で 受け身で自己中心の価値観で生きるのではなく
親の立場で 親のこころで 生きていける そういう価値観を得ること。
本当の親のこころを 確認しながら生きていく それが お念仏のはたらきであり 
力であると思えます。

子どもの価値観から 親の価値観への大変換 それを実現させてくれるのが
南無阿弥陀仏のお念仏だと 味わいます。

仏教が よく分からない 他力が分からない 念仏が分からないとお思いの方は
現代の常識である 子どもの立場の価値観で 物ごとを見ているためではないか。

親の立場で 教えを味わうと その教えの神髄がうなずけるものです。
南無阿弥陀仏で 仏に成る 親に成るということが どういうことを
意味しているのかが。
そして 私にはいま 何が出来るのかが 頷けるものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は 10月7日に新しい内容に変わります。。



         


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