第876回 頼む 後は頼みます  〜お念仏に遇ってくれ〜

 平成21年 11月 5日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

こんな話を聞きました。重い病気で 自分の最期が近づいて来たとき
多くの人が 言う共通の言葉があるということです。

それは 「ありがとう」という言葉だといいます。
そして 次に 「世話になったな 迷惑かけたなあ」 という言葉を
口にする人も 多いと いいます。

中には 「頼んだぞ 後のことは頼みます」と 言い残す人も あるようです。

もう自分の力では どうしようもないと思えたときに こうした言葉を言い残す
人が多いということでしょう。

その中でも 後を頼むというのは 何のことでしょうか。

自分の残した財産のことか 大事な家のことか。そういう意味で 言葉を
残す人もあるでしょうが、財産も立派な家もない 普通の平凡な人でも 
頼みますと言い残す人が
 お寺の法座に着いていた人にあると 聞きました。


これを どのように聞けばいいのか 聞く人によって さまざまの意味に
受け取れると
 おもいますが、自分が亡くなった後のお葬式や 
もろもろの後始末
 また お墓のことなどを 頼むということなのでしょうか。

どうもそれだけではなく どうか 残された人々が 仲良く 生きがいを持って
心豊かに過ごしてくれ それを あなたが自分に 代わって気配りをしてくれとの
意味があるのではないかと 受け取るケースが多いようです。


ご遺族から こうした最後の言葉のことを お通夜の席などで聞いていて 
感じるのは 先立った人は 自分のために何かをしてくれと 頼んでいると
いうよりも
 残された人々のために どうぞ お念仏の教えに出会ってくれ 
そうすれば たとえ どんな大問題が 起ころうと どんな悲しいことが
苦しいことに出会っても 必ず乗り越えていくことができる。

親である自分は もうどうしてやることもできないものの あとは教えに

出会ってください そうすれば あなたも間違いなく豊かな人生になる 
もう多くは伝えることは出来ないが 自分のお葬式や 七日七日の法要を
通して これからの生き方を 探してくれとの 言葉ではないかと
感じることがあります。

生きておられる間は なかなか 先輩の言葉に耳を傾けようとはしませんが
何が人間として 喜びなのか 生きがいなのか 大事なことなのかを
仏教の教えを通して ご自分で味わわれたことを 残された人々に伝えようと
されているのではないかと味わいます。

そうすることで 自分がこの世から去った後も 大事な人々を見守り 
励ましていくことが できるとの思いではないかと 感じられてなりません。

ありがとう 世話をかけたね。後は頼んだよ こうした言葉を 
自分でも口に出来るようになりたいものですし、その言葉を忘れないように
しながら
 南無阿弥陀仏とともに大事に 毎日を送りたいものです。

南無阿弥陀仏の仏様となって じっと見守っていただいていると
味わう毎日でありたいものです。


妙念寺電話サービス 次回は 1112日に新しい内容に変わります。

         


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