第717回 同じ 光なのに

  
平成18年10月 19日〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。

朝日を浴びながら、気持ちの良い季節になったことをつくづくと感じました。
暑くもなく寒くもなく、とてもすがすがしい朝です。

太陽の光を顔一杯に浴びながら思いました。
つい数日前までは、この太陽の光を避けていたことを、帽子をかぶったり、
日陰を探したり、女性でしたら日傘をさしたり、暑くまぶしい光から逃げる
毎日でしたが、今は有り難く感じることが出来るのは不思議でなりません。

同じ太陽なのに、日差しが優しく感じられると自分から求めていく、冬が
近づき寒くなってくると、もっと太陽の光が恋しくなってくるものです。


ことによると、親の愛情もこの太陽の光のようなものではないかと思いつきました。

その思いが余りにも強く感じられると、避けて逃げてしまうのに、何かの拍子に
恋しくて求めていくものではないかと。


太陽の光や、親の愛情、そして私の周りにあるさまざまな思いを、感じることの
出来る生活と、まったく感じることの出来ない生活と、さまざまであると思います。


人様の親切や、自然のめぐみに、気づくことの出来る人生と、まったく
気づかずに終わってしまう人生
同じことならその思いのほんの少しでも
味わうことの出来る人生こそ、豊かな人生ということが出来るのではないかと
思います。


その願いを感じ、味わう心を養っていただくのが、南无阿弥陀仏の働きでは
ないかと感じられてなりません。


南无阿弥陀仏を口に、仏様のお話を聞かせていただくことの出来た人は、
この私のために五劫という長い間思惟し、永劫の間、修行して、何としても
この私を救わずにはおかぬという阿弥陀様の働きを聞き、その教えを
伝えるためにご苦労していただいた親鸞聖人、歴代の多くの善知識、
そのほんの少しでも知ることが出来れば、当たり前、自分一人で生きている
つもりになっていたことが、浅ましいことに気づくことが出来るのでしょう。


その気づきは、身近な人びとの思いや働きをも感じ、気づくことになるのでしょうし、
気づくことの出来ない多くの働きが、この私を生かしていることを、味わうことが
出来るようになるのだと思います。


そのことを知ることが出来ると、この私の人生は世界一の幸せと感じることが
出来るのだと思います。



親鸞聖人は、ご和讚に


       本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき、
       
          功徳の宝海みちみちて、煩悩の濁水 へだてなし 


 と、読んで頂いています。


 煩悩一杯の私ですから、悲しかったり苦しかったり、腹が立ったり、
休むことなく心の中は大忙しでしょうが、南无阿弥陀仏を味わう時、
功徳の大宝海に生かされていることの喜びがひしひしと感じられてくるものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月26日に新しい内容に変わります。