第597回 お父さんは今

 平成16年 7月 1日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

お寺の本堂に冷房装置を入れていただいたせいか、
このところ自宅ではなく、本堂での法要が続いています。
そしてお若い方がたくさん参加していただきますので、
次のようなお話をしました。


今日は、お父様の一周忌の法要です。

ただいまは、みなさんと一緒に、お正信偈のおつとめをいたしましたが、
お父さまも、今の皆さんと同じように大きな声で、ご一緒にお勤めを
していただいておりました。


いま息子さんのお姿を見ながら、親子というものは良く似るものだと、
懐かしく見とれておりました。


ところで、ちょうど一年前にお亡くなりになった方は、いまどこで、
どうしておいでになるのでしょうね


浄土真宗では、日頃から、南无阿弥陀仏とお念仏を口にして
おいでの方は、いのち終わると同時に阿弥陀さまの世界、
お浄土へ生まれられ、阿弥陀さまと同じさとりを開かれ、
南无阿弥陀仏の仏さまとなって働いておられると、
味わって参りました。


 お寺でお話を聞いておられるお母さまは、そうだそうだと
うなずいておられますが、なかなかお聴聞の機会の無かった
お若い方は、そんなことを言われても、信じられないというお顔を
しておられるようです。


何を根拠にそのようなことを言うのだと思われましょうが、
お釈迦さまが二千五百年前に説いていただいた、無量寿経
というお経にそう書いてあるのです。


そして、そのことを私たちに分かりやすく教えていただいたのが、
親鸞聖人なのです。


今、みなさんとご一緒した正信偈というのは、お釈迦さまが
説いていただいたお経の根本のところを親鸞聖人がまとめて
いただいたものそれをご一緒したのです。


 すべての人が、お念仏一つでお浄土へ生まれ、阿弥陀さまと
同じさとりを得て、仏さまとして働くために、お釈迦さまのように、
この世に帰ってきて、真実の教えを、人間が生まれた目的を、
人間の本当の生きがいを教え導いていただく、仏さまのはたらきが
説かれているのです。

その言葉を、今日はお父さまの貴いご縁で、皆さんがご自分も読み、
ご自分で聞かせていただいたのです。


亡くなった人が、この世に帰ってくるなどとは、どうも科学的では
ないと皆さんも思われましょうが、私も実はそう思っておりました。
しかし、近ごろそうでもないなあと、感じるようになってきました。


お父さまが「南无阿弥陀仏という言葉の仏さまに成られた」そして、
南无阿弥陀仏を口にするとき、いつもそこにいて、この私を
見守っていただいている。


私のすぐ近くにいて下さる。ということが間違いないということが、
段々と味わえるようになってきました。


私、私、私といつも自分中心に思っていますが、よく考えてみると、
この私は、突然変異でこの地球上に生まれてきたのではなく、
父母の遺伝子を貰って今ここにいます。


私の体は両親の遺伝子で成り立っています。

そうすると、お父さんによく似た息子さんの中には、一年前に
亡くなられたお父さんの遺伝子が現在も働いているのです。


気がつかずにいますが、実は息子さんの中にはお父さんが、
いつも一緒に生きておられたのです。


従兄弟さんも、伯父さんも叔母さんも、多くの部分で共通の
遺伝子を持って生きておられます。


日頃は忘れていても、南无阿弥陀仏と聞くとき、そのことに
気づかされる。


今は亡きお父さんは、間違いなくここにいて、貴方がどんな
思いで働いているのか。
一生懸命生きているのかを、ちゃんと知っていてくださるのです。


誰も見ていない誰も分かってはくれないのではなく、現に私と一緒に
亡くなった方は生きておられる。


そう考えると、過去の人ではなく、この私ととも生きておられるのだ、
という驚きが感じられます。


南无阿弥陀仏を忘れて、自分勝手な生き方をしているときには、
父母の存在を忘れ、父母の願いを忘れていますが、南无阿弥陀仏を
口にするとき、親の願いが、親の喜びが感じられてくるものです。


そう思うと、今日ここに集まって、こうして話を聞いているのは、
お父さんが自分のさとりの内容を、皆さんに伝えようとされているのだとも
思えます。


そのさとりの内容というのは、お釈迦さまがさとられた内容と同じもの、
お父さまの願いは、ちゃんとお経に説かれているのです。


それを知ること、教えに従う生き方ができることが、亡くなった方が
一番喜ばれ、うれしく感じられることだと思います。


では、南无阿弥陀仏というのは、どういう意味なのか、
何をいっているのでしょうか。

つづきますが、この後は来週またお話いたします。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月8日に新しい内容に変わります。