第585回 重荷背負うて

 
平成16年 4月8日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな文章に出会いました。

ずいぶん前のこと、テレビのクイズ番組の中で、勝った人は、すぐに温泉に
浸かって楽しく過ごすことができるものの、負けて人は、自転車に乗って
遠く離れた温泉まで制限時間内にたどりつかなければならないという
番組があったといいます。


勝った人が御馳走を食べ、お酒を飲んでいる間に、負けた人は汗だくに
なって自転車をこぎ、目的地の温泉に向かうのです。


負けた人は、お金を使ってはいけないというルールで、食べる物も買えず、
ひもじい思いをしなければなりませんし、ホテルや旅館には泊まれず、
野宿するしかありません。


しかし、親切な人に民家に泊めてもらい、食事にもありつき、進んでいきます。
途中、長い長い坂道にさしかかり、「なんでこんな目に」と泣き言をいい、
ことあるごとに不平不満が、こぼれ出てきます。


やっとのことでたどり着いた温泉。
それでも罰ゲームですので、温泉につかることは許されないという最後の
試練が待っていました。


苦労を重ねてやっとのことで到着したその青年、文句を言うのかと
思っていたら、「ありがとう」と言ったのです。


「くやしいー」の言葉ではなく、汗まみれの青年の顔は、生き生きとしており、
温泉につかって、楽しんでいた勝者よりも、うれしそうで「ありがとう」と
いったのです。


自転車をこいでの長い旅、その間に出合った人びとの思いやりや温かさを
味あうことができて、自然に出てきた言葉、それが「ありがとう」だったのです。


 妙好人の六連島のお軽さんに、こんな歌があります。

  重荷背負うて 山坂すれど
    ご恩おもえば 苦にならぬ

 重い荷物を背負っての坂道を歩むのは、つらい苦しい歩みです。
くじけそうになり、重荷から逃れて、弱音を吐きたくなります。


しかし、思いどおりにならない歩みのなかで、そんなお前を救わずには
おれない、必ず摂めとって捨てないと呼びかけ続ける阿弥陀さまの
お慈悲が味わえた人の言葉です。


苦しみから逃れることだけに心を配り、楽しいこと、楽なこと、思いどおりに
なることだけを追い求めた人には、味わえない、心からの大きな喜びだろうと
思います。  


南無阿弥陀仏を口にし、聞きながら、力の限り生きた人だからこそ味わえる、
喜びそれがお念仏に出合えた人の人生です。


そしてその喜びが味わえると、私が受け取る恵みを喜ぶ、受け身だけではなく、
私が出来ることをやらせていただこうという、積極的な私に変えられていくのです。


それがお念仏の人の生活です。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、4月15日に新しい内容に変わります。


    本願寺新報 平成16年4月1日
      龍谷大学講師  佐々木覚師 文章再構成