第577回 唯聴弥陀本願海

   平成16年 2月 12日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
現在、私共のお寺では月一回、正信偈の勉強会をしています。


テキストは、早島鏡正先生や霊山勝海先生などの本を参考に
させていただいていますが、

如来所以興出世 唯説弥陀本願海、
(お釈迦さまをはじめ諸仏がこの世に出現なされた目的は、
ただ阿弥陀如来の本願の法を説くためであった)のところで、
こんな文章にであいました。                 


ある先生(白井成允師)の「聞法録」のなかに、こんなエピソードが
あったそうです。


まだ学生時代のこと、尊敬する仏教学者・島地大等先生の
幼いお子さんが亡くなられた時のことです。


一人の僧侶の方がお見えになって、そこにいた学生さんたちに
「念仏するしかない」と述べられた後、お座敷の床の間に
蓮如上人御筆の『正信偈』の如来所以興出世 唯説弥陀本願海の
所を見ながら、

「釈迦牟尼仏がこの娑婆世界にお生まれになったのは何の
 目的であるかとなれば、他の目的なのではない。
 ただ、阿弥陀如来のご本願をお説きくださろうとの思し召しで
 あらせられた。


 それなら、私たちがこの世に生まれたのは何の目的であるのか。
 これがわからなければ生きたかいがないぞ。

 それは [唯説]ではなくて、 [唯聴弥陀本願海]なのだ、
 ただ阿弥陀仏のご本願を聴くためだ、ご本願をお聴かせに
 あずかるためだ。
 この一事がはっきりしていないと、その他のこと一切がだめだぞ。


 あなた方が学問しようとなにをしようと、みなそらごとたわごとに
 止まってしまうぞ。


 [唯聴弥陀本願海] 『歎異抄』 にも [煩悩具足の凡夫、
 火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、
 まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします ] 
 という言葉がある。


 念仏させてお浄土に参らせてくださろうという本願を
 お聴きするのだ。
 お念仏もうしなさいや。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 」 
 とおしゃったそうです。


その話を聞き、お友達とふたり涙しながらお念仏もうしましたと、
若き日の印象深い思い出が書かれているそうです。

(その僧とは、菅瀬芳英和上こと)


お釈迦さまは、唯説弥陀本願海であるものの、我々は、
唯聴弥陀本願海とは、まことに有り難いことです。


説くことよりも、聴くことが大事ということ、くれぐれも
忘れないようにしたいものです。


どうぞ、お聴聞をお忘れなく、お念仏をお聴きください。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月19日に新しい内容に変わります。

 本願寺出版社 「正信偈を読む」 霊山 勝海師より
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