第572回 目的のある人生

 平成16年 1月 8日〜

妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございます。

こんな話を聞きました。

目的のないということが、人間にとってもっとも辛いことだといいます。
そう言われてみると、積極的に活躍している人は、目的をもっている
方が多いようです。
あれをしたい、これをしたいと、次々に、新たな目的を設定して
いるようです。


 ところが、年を重ねるにつれて、目的が持てなくなって来る人が
多いものです。

同じお年寄りでも、目的を持っている人と、そうでない人とは、
大きな違いがあるように感じられます。


その目的も年齢とともに段々と変わってくるもので、若いときには、
あれが欲しいこれが欲しい、認められたい、人に勝ちたいと頑張る
ことが出来ました。
その当時は苦しかったものの、後から振り返ってみると、実は最も
喜びの多い時期でもありました。


ところで、お年寄りの中でも、お念仏を口にする人には、大きな目的、
目標が見えます。

現在、この世での目標と、やがてお浄土へ生まれてからの目標です。

お念仏に出会えない人は、この世の人生が終われば、すべてが
終わってしまうもの、砂時計の砂が確実に無くなっていくように、
ロウソクが段々と燃え尽きていくように、残りわずか、後が無い
寂しさだけの人生です。


一方、お念仏の人は、今この時も生かされていることの喜び、
やがてお浄土へ生まれさせていただき、仏のさとりを得させて
いただく喜び、そして、還相の菩薩として、この世に還り、
すべての人を導く働きをする喜びを持っておられるように思います。


南无阿弥陀仏という名号は、この私が自分で意識して口にする
だけではなく、知らず知らずに口をついて出てくる、阿弥陀さま
からいただきものです。


そのお念仏を口にする人は、必ずお浄土へ生まれさせて
いただける、この世の終わりが、決勝点ではなく、幕切れでもなく、
まだまだ先がある、終わりのない喜びです。


年末、十二月が終われば必ず正月が来るように、冬が終われば
必ず春が来るように、この寒さの中に梅の小さな芽が少しづつ
大きくなって、やがて咲き誇るように、この私もこの世の命が
終わっても、必ずお浄土へ生まれて、新たな働きが出来るのです。


大きな目的がある、目標がある、そういう私であったと、味わえて
くる人生、それがお念仏の働きです。


同じことなら、目的のある人生、目標のある人生を、すべての人が
平等に持つ事の出来る喜びを味わえる人生であってほしいものです。
永遠の命を賜るお念仏の人生を、大きな目標のある人生を
味わいたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、1月15日に新しい内容に変わります。