第565回 味わえる人生

 
平成15年 11月20日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

秋の法座には、沢山の方にご参拝いただき誠に
ありがとうございました。


ところで、その法座でご講師の先生がこんなことを
おっしゃいました。


自坊の掲示板に、「サジにならず、舌になれ」と書いたところ、
どういう意味ですかと 多くの方から質問がきたそうです。 
サジというのは食べ物をのせるスプーンのことですが、スプーン
というものは自分の上に、いろいろの食べ物を乗せて口に
運んでいくものです。


しかし、金属やプラスチックで出来たスプーンは、その食べ物が
どういう味をしているのか、味わうことが出来ないものです。


ところが、口に入って舌に乗せると、その食べ物が、甘いのか
辛いのか、美味しいものかそうではないかが、味わうことが
出来るものです。


スプーンも口の中の舌も、同じように食べ物に接しているものの、
味を感じることが出来るものと、出来ないものとがあります。


これと同じように、人間の中にも感じることが出来る人と
感じることが出来ない人とがあるのではないでしょうか。


食べ物だけではなく、人間の人生も味わい深く過ごせる人と、
何の感激もなく一生すごしている人とがあるのではないかと、
思います。
そして、私たちは、自分だけは、出来るだけ楽が出来て、苦しみが
少なく喜びが多い人生を期待して生きています。


しかし、どんなに真面目に生活しても、どんなに悪いことを
しなくても、自分に都合の悪いこと、自分の思い通りにならない
ことが起こってくるものです。


そうした辛い嫌なことから逃げよう逃げようとして、さまざまな努力、
苦労をして生きていくのも人生です。


どうせ困難が襲ってくるのなら、それをちゃんと受け止めて、
受け入れて生きていこうという生活もあります。


 仏教でいわれる生老病死、老いるころ、病気になること、
死を迎えること、これらは人間であれば一人残らず平等に
襲いかかってくるものです。


その生老病死でさえ、味わって生きて行ける人生と、あわて
ふためき悩み悲しみにくれ、逃れることだけに労力を費やす
生き方と、どちらが充実した人生でしょうか。


苦しみや悲しみを遠ざけ、出来るだけ感じない生活を
目指すのではなく、どんなことも味わいながら生きて行ける人生、
それが、味わい深い人生ではないかと思います。


熱いもので火傷をしないように、注意しながらも、どんな味の人生も
充分に味わって生きていきたいものです。


南无阿弥陀仏のお念仏を口にし、耳に聞きとき、人生を充分に
味わうことのできる智慧が与えられてくるものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月27日に新しい内容に変わります。