第544回 おかげさまで

 
平成 15年 6月26日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

千代田町の貞包哲朗先生がお書きいただいた
「仏智に転じられて」という本が手に入りました。


その一部分を抜粋して、ご紹介しますと。

「蓮如上人がよく使われた言葉に『冥加』という言葉が
ありました。冥加の冥とは、人の目に見えぬということです。


知らずしていただいている恵み、凡夫の方からは見えない
けれども、仏のご加護を被っていることが『冥加』です。


世間では、現象を原因と結果、つまり因と果だけで考えます。
野菜の種を蒔くと芽が出る。蒔かれた種が因で、生えてきた
ものが果である。現象を説明するのには、これが一番
はっきりします。


しかし、仏教では、それだけとは考えません。
仏教の基本的立場のひとつに、「縁」という見方があるわけです。


ヨーロッパの言葉には、この縁という言葉はなく、因から
果だけの考えかたで、植物が育つのは、太陽の光、
水という縁があってはじめて育つとか、「良いご縁で」とか
「良縁を喜ぶ」といような発想はないようです。


 また「ありがとう」「お陰さま」という日本語の中には、
単なる「あなたに感謝します」という意味よりも、実に深く
広い人生観・世界観、知恵が含まれていることに
気づかされるのです。


  この歳まで生きてくるのに、食べた食物の量と種類は
どれだけのものか、それも私の一生だけでなく、三十六億年
ともいわれる、私に至る永劫の昔から生命の連鎖を考えますと、
想像もつかぬ膨大なものです。


 それらはすべて「命あるもの」の命を奪ったものです。

また呼吸してきた空気をはじめとする天地自然の恵みは、
おそらく計ることは不可能ではないか。


私たちの肺は、酸素で血液を浄化し、三十一億本の
毛細血管で身体の六十兆の細胞のひとつひとつに
栄養を送り、老廃物を回収して炭酸ガスとして吐き出します。


その量は大変なものです。六十億人の人類ばかりか、鳥、
獣、虫その他、全生物がそうです。
それを周りの樹木、草木の葉が光合成して酸素を補給する。
そのお陰で私たちは生きている。それを考えると、我々の
「いのち」は、まさに「いただきもの」であると申された方もあります。


私は「生きている」のでなく「いかされている」というのが、
正確ではないでしょうか。


 大いなる恵みのなかに 恵まれて 
   恵みも知らず み恵みに生く

そのことに気づき、目覚めるとき、生かされている我が身と
いう新しい人生観が開け、「お陰さまで」という、しみじみとした
感謝の感情が身を包んでくるのです。
「ありがとう」と言わざるを得なくなります。


すると心も和らぎ笑顔もうまれるのではないでしょうか。

南无阿弥陀仏と口にし、聞くとき、生かされている身であると、
喜びを味わわせていただけるのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月3日に新しい内容に変わります。

 仏智に転じられて  貞包哲朗師著 法蔵館
    2002年 7月30日発行

(大幅に抜粋し、一部言葉も変更しております。
  正確には、著書ご購入ください。)