第537回 受け身では

 平成15年 5月 8日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんなことを思いました。

仏教を説かれたのは、お釈迦さまですが、
お釈迦さまは北インドのヒマラヤ近くの釈迦族の
王子様でした。


また、お釈迦さまが説かれた阿弥陀如来は、
もともと一人の国王が世自在王仏の説教を聞き、
出家して、法蔵菩薩となられた方でした。


その阿弥陀仏の教えを私たちに伝えて頂いた
親鸞聖人は、藤原一族の子どもさんでした。


共通するところは、自分の幸せのためというより、
自分の国民のこと、多くの人びとのことを先に
考える必要のあった人であったということです。
そして、多くの人々が残らず喜び多い人生を
送ってほしいとの願いから、真実の教えを
伝えられたということです。


日本に仏教を取り入れた聖徳太子も、政治の
責任者として、すべての国民の幸せを思い描き、
仏教を広められました。


こう考えてくると、仏教というのは、自分のことより、
悩み苦しむ多くの人のことを何とかしたいとの、
願いが込められているものだと、味わえます。


自分のこと自分の家族の幸せだけを考えている
人間には、仏教の教えはなかなか理解できない
のではないかと思えます。


自分のことは最後にして、多くの人の幸せを思う気持ち
がないと、仏教の真意は味わえないのではないか。
受け身で消極的な生き方をしている人には、理解
できない教えではないかと感じます。


誰かが自分を救ってくれる、誰かが助けてくれる、
誰かが幸せを与えてくれると、受け身で、待っている
だけの人には、仏教は味わえないもののようです。


お浄土に生まれることは、自分の喜びのため自分の
幸せのためというより、仏のさとりを得て、多くの人びとを
救うことの出来る、還相の菩薩として活躍できる力を
得るために往生するのだと、味わいます。


浄土三部経の讃仏偈の中に、こんな所があります。
現代語訳ですが、「わたしは誓う、仏となるときは、
必ずこの願を果たしとげ、生死の苦におののく
すべての人々に大きな安らぎを与えよう」と。


また、重誓偈では、「不可思議の力でおおいなる
光を放ち、果てしのない世界をくまなく照らして、
煩悩の闇を除き去り、多くの苦しむものをひろく
救いたい」と、法蔵菩薩の願いが説かれています。


仏教は、自分以外の人の幸せを願って努力する
ことを知らない人には、なかなか理解出来ない
教えだと思います。


積極的な生き方をしている人、多くの人の幸せを
願って努力する喜びが、味わえる人こそ、
お念仏の教えが味わえるのだと感じます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月15日に新しい内容に変わります。