第533回 たまたま

 平成15年 4月 10日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな話を聞きました。

現代の常識は、学習すれば上達するということを
信じています。
そこで学習し努力すれば、信心が得られると
いうことを信じています。


ですから、お念仏をいただくことも、私が救われる
ことも、私の努力次第で出来ると思い込んでいます。


そのためには、どうしたらよいのか、何をしたら
良いのかを考えて、工夫しています。


しかし、人間が人間に生まれたことも、お念仏を
頂くことも、お浄土へ生まれることも、すべてが
私の計らいではない阿弥陀さまの働きであると、
親鸞聖人は教えていただいています。


私が人間に生まれて来たことを、いくら考えても
分かる訳がありません。


その点、妙好人の有福の善太郎という方は、
大変有り難い方だったようです。


有福の善太郎さんは、自分の牛に向かって、
南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏と
お念仏を称えて、「善太郎のこの念仏を宿善にして、
どうぞ今度は人間に生まれてくれよ。南无阿弥陀、
仏南无阿弥陀仏」と、お念仏を称えたといいます。


何故この牛は、牛に生まれたのか、何で自分は
人間に生まれてきたのか。

それは、阿弥陀さまの計らいだから、是非是非、
今度は、人間に生まれてくれ、人間に生まれて
お念仏に出会って、お浄土に生まれてくれとの
願いだったと思います。


人間に生まれてきたことが、私の計らいでないように、
私がお念仏に出会えるのも、お浄土へ生まれることも、
私の計らいではなく、阿弥陀さまの計らいである。


そう味わっておられます。

浄土真宗の教えは、阿弥陀さまの教え、努力して
得られる教えではなく、たまたま頂く教えです。


その教えに出会えたことを、そのご縁をよろこば
さしていただく教えです。

優しいようで実は大変に難しい教えです。

難しい難しいと言っていますが、難しいということは、
既に信を頂いた人にとっては、この難しい教えに
出会えてよかったという喜びに変わります。


親鸞聖人は、そのことを「ああ、この大いなる本願は、
いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの
信心はどれだけ時を経ても、うることはできない。
思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、
遠く過去からの因縁をよろこべ」とおっしゃっています。


せっかく人間に生まれさせていただきながら、
お念仏に出会えずに、また苦しみの世界へ行くことの
ないように、お聴聞して是非是非、お念仏に出会い、
救われていただきたいものです。遇えてよかったと、
共に喜べる人生でありたいものです。


妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
次回は、4月17日に新しい内容に変わります。