第528回 こころつながる

 平成15年 3月 6日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな言葉が書かれた新聞を送っていただきました。
「なもあみだ こころつながる ほとけとわたし」
愛知県の岡崎市にある蓮如上人が建立された本宗寺と
いうお寺からです。


この言葉は、蓮如上人のお言葉「機法一体の
南无阿弥陀仏」ということを、現代の言葉で
言いたいという思いから、ご住職の都路照信
(とろしょうしん)さんがお作りになり、
蓮如上人500回遠忌のときに、記念品として
字を染め抜いたものを、ご門徒の皆さんに
お配りになったものだといいます。


そして、本宗寺さんのお寺の新聞には、ご住職が
その味わいを書いておられます。


「蓮如上人は、南無阿弥陀仏とは機法一体で
あると申されます。南無は機であり、阿弥陀仏は
法です。


その場合、機とは私どもが阿弥陀仏をたのむ
信をあらわしており、法とは阿弥陀仏が私どもを
救いとる摂取の働きのことを申されるのです。


私どもの信も、信の身にして摂取する働きも
南无阿弥陀仏という名号のなかに一体に成就
されているのです。


即ち、たのませて(機)たのまれたもう(法)
という阿弥陀仏のお働きそのものを機法一体の
南無阿弥陀仏と申されるのです。


それを「なもあみだ、こころつながる、
ほとけとわたし」と訳したのです。


 念仏、南無阿弥陀仏とは何か。それはこころ
つながるほとけとわたしで、仏さまとわたしとが、
つながっていることです。


 私のこころは、わやわやで、とてもあみださまと、
つながるわけがありません。


自分の思いがかなうことをのみ望んで、
日夜すごしております。
そのこころでは、仏さまと心がかようはずは
ありません。


ここに、私どものあり方をいつくしんで、
仏さまのほうから、わたしどもの方へ道を
つけて下さいました。


その道が南無阿弥陀仏です。その中味は
どうなっているか、それが「なもあみだ、
こころつながる、ほとけとわたし」です。


念仏とは、まさにほとけさまとわたしとが、
こころつながっている姿です。
私の持前のこころでつながるのではありません。
仏さまから与えられた南無阿弥陀仏のなかで、
こころつながっているのです。


念仏とは大宇宙の働きそのものと
つながっている姿です。」


岡崎市の本宗寺の都路住職はこのように
おっしゃっています。


なもあみだ、こころつながる、
 ほとけとわたし です。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月14日に新しい内容に変わります。