第526回 お浄土への道

 平成15年2月20日〜


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。


子供の頃から、科学的な知識を持って育って来た
私たちは、仏教的な価値観が理解出来なくなり、
人間として生きる意味を見つけ出せなくなった
のではないかと、前回申しました。

仏教は、2500年前にお釈迦さまが説かれた教えです。
しかし、お釈迦さまは自分の考えを説かれただけではなく、
それまでの蓄積された人間の智慧を集約し、分かり
やすく具体的に説かれたものと思われます。


人間は動物と違って言葉を持ち、火を使い、道具を
作ることが出来、共同で生活する智慧を持っています。


その人間がどうすれば、生き甲斐を持ち豊かな人生を
送ることが出来るかを説かれたのがお釈迦さまの
仏教です。


その智慧とは、自分が生まれて来て現在までの自分
自身の記憶に留まることだけではなく、それを超える
広い世界観があることを説かれています。


生きている現在だけではなく、現在に至る原因を
つくった過去の世界を、そして、今現在の私の行いが
作り出す未来の世界があることを説かれたのです。


しかし、現代の私たちは、そうした宗教的な世界観を
科学的な知識だけで判断して、切り捨て認めようと
していません。


これまで長い間受け継がれてきた人間の智慧を、
受け取ることを拒否し、動物的な感覚で生きることや、
誰でもが実験し、証明出来るものだけが、真実で
あると誤解してしまっているようです。


私は、何のために人間に生まれ、何のために生きて
いるのか、それが分からない人生は、辛く空しく、
生きる意味さえ見いだせないものだと思います。


 親鸞聖人が味わわれた往生浄土への道、浄土に
生まれることの意味は、中国やそれまでの日本の
浄土教と違って、目がくらむような金色輝く、
栄耀栄華の来世ではありません。

お浄土へ生まれる、往相廻向とともに還相廻向を
深く味わわれ、人間の目標、目的、生き甲斐を
はっきりと指し示そうとされたのだと感じます。


お浄土へ向かって進んでいく、人間らしい充実感
ある生き方を、お念仏とともにお勧めいただいて
いるのでしょう。


私たちが生きることの確かな意味を知るのは、
自分一代のほんのつかの間の人生を超えて、
限りない生命の世界に参加することができる
との確信を持つこと以外にはないのでは
ないでしょうか。


南无阿弥陀仏のお念仏は、そのお浄土の方向を
指し示し導き、力強く働きかけて下さる、
生きた言葉なのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月27日に新しい内容にかわります。