第515回 みんな預かりもの

 平成14年 12月 5日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

お念仏を喜んだ人に、因幡の源左さんと言う方がありました。

ことのほか暑いある日に、子どものようにかわいがっている
牛をつれて、田んぼみちを歩いていると、火の付いたように、
泣く赤ちゃんの声が聞こえてきました。


どこにも人影は見えません。赤ちゃんの泣き声はいっそう
高くなりました。


田んぼの中から、可愛い女の人が立ち上がり、
「もうすこしだからね。もうすこしだからね。
 待ってておくれ」。


そこは作造さんの田んぼで、作造さんの若いお嫁さんの
声でした。


「かわいそうに、おなかがすいているんじゃろう、
 はよう、家へ連れてかえってお乳を飲ませてやりなされ」


「はい、でも今日のうちにここの草をとりを終えておかないと、
 みんなが困ります。」

それを聞いた源左さんは、若いお母さんを無理やり家に返して、
その田んぼの草取りを始めました。


帰りが余りにも遅いので源左さんを心配して家の人が
探しに来ました。


他所の田んぼの草まで取らずに、早く返ってくるようにという
家族の人に、「そんな気の小さいことを、いわんでええ、
仏さんのお心の中には、他人のもんだ、自分のもんだという
区別は、ござらんからのう。
 ほれこの田んぼの稲が喜んでいる顔が、見えるじゃろう。
ナンマンダブ、ナンマンダブ」


他人のものとか、自分のものとかいわず、みんな、仏さまからの
預かりものだと、源左さんは思っていたのでしょう。



 ところで、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんのお祖母さんも、
お念仏を喜ばれた方だったといいます。


90歳で亡くなるまで、毎朝、富山別院のお朝事にお参りに出掛け、
毎日夕方は自宅のお仏壇で正信偈のお勤めする聴聞一筋の人だった
そうです。


そして、その息子さんは、お兄さんの奥さんがお産のすぐ後で
亡くなってしまったので、お葬式の日に、残された赤ちゃんを
連れて帰り、自分の4人目の子どもとして育てました。

その子が、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんだそうです。


高校卒業まで、叔父さん夫婦を自分の実の両親だと思って
いたといいます。


みんな仏さまからの預かりものとの思いが、お祖母さんにも、
息子さんにもお嫁さんにもあったのでしょう。


源左さんだけではなくお念仏の人には、みんな仏さまからの
預かりものという思いが、身につくのでしょう。


これが南无阿弥陀仏の働きです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、12月12日に新しい内容に変わります。


本願寺新報 14年11月20日号

親と子の童話「みんなほとけさまからのあずかりものじゃでな」
 なががわ あきら 作より 一部意訳