第508回 供養するのか されるのか

 
平成14年 10月 17日〜

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先日、「浄土宗の法事」に参列する機会がありました。

法然上人の教えを受け継ぐ浄土宗は、浄土三部経に
説かれる南無阿弥陀仏の教え、ご本尊が阿弥陀如来で
あることなど、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗と非常に
よく似ています。


それというのも、親鸞聖人は、法然上人の教えを、忠実に
受け継いでいるとの自覚があるからでしょう。


親鸞聖人は、29歳の時、比叡山の修行を中止して、
法然上人の元に雨の日も風の日も、100日間通われて、
お念仏の教えに出会われ、法然上人に導かれた教え
によって、一生を報恩のお念仏に生きられました。


しかし、現在、浄土宗と浄土真宗は大きな違いがあるように
見受けられます。

それは、法然上人に教えを受けた人びとの多くが、
比叡山で修行をした方々であったからだと思われます。


親鸞聖人も比叡山で修行をされましたが、法然上人の
教えは、厳しい修行をして、自分の力、自分の努力を
手柄として悟りを開くことではなく、大無量寿経の48の
願の中の、第18願で救われる他力の教えであるのだと、
受け取られたためです。


ところが、同じ法然上人のお弟子さんでも、自力で修行を
することこそ仏教であるとの常識から抜け出せない方々は、
それまでの修行する仏教と同じように、受け取り伝えて
おられるためでしょう。


浄土宗での法事を拝見しますと、お仏壇に供えられた
陰膳が、お箸を手前に置き、人間側を正面として
あったものを、逆に置き換え、仏様へ食事を差し上げる
作法をされていました。また、お念仏も、「十念」とその数に
こだわって、十回のお念仏をお勧めいただきました。


お経が終わった後の挨拶も、生きている者たちが、
亡くなった方を供養して上げるということをおっしゃいますし、
卒塔婆も準備されていました。同じお念仏、同じお経、
同じ指導者であっても、受け取り方の違いが余りにも
多きことに驚きました。


そして、浄土宗では、方便の願といわれる、第19願、
20願の教えによって救われると言われるようです。
そこで、臨終の時に来迎があることや、浄土へ往生して
から、仏になるための修行が始まるということを、おっしゃる
のだろうとおもいます。


私どもの浄土真宗は、お仏壇に陰膳をしませんし、供養は
仏様が此の私を導いていただくといい、念仏は、10回と数に
決まりはなく、また臨終来迎もないと教えていただいています。


お念仏の教えにも、自力が混じった教えと、他力の教えが
あることを、しみじみと味わわせていただきました。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は10月24日に新しい内容に変わります。