第503回 遺 言

平成14年 9月12日〜

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「北の国から」というテレビドラマが、『遺言』というタイトルで、
前編・後編と長時間、放送されました。


父親に伴われて北海道の富良野に移り住んだ幼い兄妹、
純と蛍が、自然の中でたくましく成長していく物語で、
20年以上前にスタートした倉本聰さん書き下ろしの、
大変、息の長いドラマ作品です。


小さかった子供たちも成長し、ロケのお世話をしていた
地元の方も老を迎え、中には亡くなられた方もあるようです。


若かった撮影スタッフも定年で、TV会社を辞めて行く人も
多くなり、今回が最終回になるのではないかと言うことです。


物語では、主人公の父親が、友人の妻が亡くなったこともあり、
自分がいなくなった後に残す「遺言」を書くことに挑戦していました。
長い番組でしたが、大変感動的な番組でした。 

 ところで、佐賀組の壮年会の会長さんを勤められて
おられた中島吉平さんが、以前こんなものが出て来ましたと、
父親が嫁ぎ先の娘に渡した遺言を見せていただいたことを
思いだしました。


佐賀市のお隣、諸富からお嫁に来られた、中島さんの
お母さんへ、その父親が70歳の頃、

「昭和六年十二月二十五日、朝三時眼をさまし、
子を思御親心熊々御味彼下」、『遺言』と書かれた、
三メートル近い巻紙の手紙です。

内容は、領解文の一節一節の後に、自作と思われる
お味わいの歌が書かれております。


続いて「相続の心得の歌」とあり、「相難(ありがた)と思ふ心わ
我ならで、親の誠のかよひくるなり」。


一段下げて父兵作、於さと様とあり、「此の親心の歌
幾度幾度取出し御味彼下・・・・・」と書かれています。     


諸富の専念寺のご門徒の澤野兵作さんが、嫁いだ娘に
宛てた遺言です。


お嬢さんは三人あったものの、お二人は禅宗のお宅へ嫁がれ、
ただひとり浄土真宗の家に縁づかれた次女、中島さとさんへ、
お念仏の喜びやご自分の味わいを伝え残そうとされた
『父親の遺言』です。


 お念仏を相続されたのは遺書を受け取った娘さん
だけではないようです。


お孫さんへもちゃんと伝わっているようです。六の日、
佐賀本願寺会館の常例法座には、仕事の途中立ち寄られたのか
店の名が入った配達用の軽トラックが駐車しており、
熱心にお聴聞されている「その孫の姿」を拝見します。 

私たちは、子供や孫のことを、本当に可愛いいと思うのならば、
一番大事なものを、時代が変わっても変わらないものを、
ちゃんと残して置くことが最も大事なことなのだと、
有り難くこの遺書を、拝見せていただきました。         


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次回は、9月19日に新しい内容に変わります。