第498回 薬となり食物となって

平成14年 8月8日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
大乗という月刊誌に、「如来は薬となり食物となる」という、
梯實圓先生の文章がありました。ご紹介します。


「万物は一如であるとさとりきわめた如来は、変幻自在に
衆生を救済されるといわれていますが、
『維摩経』(ゆいまきょう)にはその有り様をつぎのように
説かれています。


  『 もし世の中に、病におかされて苦しむ者がいるならば、
    私は身を薬草にやつして病人に食べられ、病を除き、
   毒を消してあげよう。

   また飢饉になって人びとが飢えに苦しむときには、
   この身を食物や飲み物に変えて、飢えを満たし、
   渇きを癒し、その後に、真理を説いて聞かせて、
   究極の安らぎを与えるようにしてあげよう。』


というのです。

 仏教徒たちは、この経説を通して二つのことを学びました。

第一は、私どもは、不幸せは人に押しつけても、
自分だけは幸せになりたいと願っていますが、
それは間違いで、人びとの苦難を人ごととしてではなく、
痛みをもって連帯し、苦難は私が引き受けますから、
貴方はしあわせになってくださいと願っていくことが
まことの生き方であるということを思い知らされました。

それを「仏の大悲心を学ぶ」といいます。


第二には、わが身の病を癒してくれる薬の中に如来を見、
飢えをしのぐ一口の食事、一滴の水にも私のために身を
捨ててくださった如来の慈悲を感じながら、賜った「いのち」に
目覚め、その責任を果たすべく修行に励んでいきました。

しかし現代の私どもは、薬漬けと飽食のなかで、
如来と「いのち」を見失っているのではないでしょうか。」


という文章です。

この私を生かすために如来は、薬となり食物となって、
働いてくださっていると味わえる生活でありたいものです。


そして、私のために身を捨ててくださった如来の慈悲を
感じながら、南无阿弥陀仏の報恩のお念仏とともに力強く
生かさせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、8月15日に新しい内容に変わります。

     大乗 2002年8月号 巻頭言
      「如来は薬となり食物となる」
      本願寺派・勧学 梯實圓 師著