第472回 最後まで努力できる

    
平成14年 2月7日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで、毎年お渡ししています法話カレンダーの2月分は、
「他力の生活は、最後まで努力せずにはおれない生活
なのです」という言葉が書かれています。


九州大谷短期大学の教授だった、宮城しずか先生の
言葉だそうです。            


普通、他力の生活というと、本人が何の努力もせずに、
他人の助力を期待し、棚から牡丹餅の消極的な生活と
誤解されがちです。


ところが、他力の生活は、最後まで努力せずにはおれない
生活とおっしゃっています。


これはどうしてでしょうか。
法話カレンダー解説書には次のように書かれています。


「『天才とは、努力できる能力である』という言葉があったと
記憶していますが、その言葉は、そのまま、そのことに
努力できるということが、もって生まれた能力、賜った
能力であることをも意味しているように思います。

実際、どれだけ努力しても身につかない、ということが
人間にはあるのですから。

そして他力の生活とは、実は、そのように努力できることを
慶ぶ生活であったのです。


努力することにおいて、努力する力を身にうけていること、
努力できることそのことを慶んでゆく生活なのです。


そして、そのような、努力できる慶び、その恩徳を
身にしみて感ずるとき、人は、自分に出来ることが
あるかぎり、それを尽くさずにはおれないのです。


自力の生活は、自分の努力を誇る生活であるだけに、
その努力がすこしも報われないときには、すぐ絶望し、
挫折してしまうのですが、他力の生活は最後まで
努力せずにおれない生活なのです。」とあります。


ところで、努力というと、どうしても自分の力が必要に
なってきます。


これを自力と思うってしまう人が時々おられますが、
これは大きな間違いで、自力他力は、他力の念仏に
対しての自力のことで、この場合自力とは、悟ることを
目指して、自分の力をあてにすることです。


つまり自力修行で功徳を積み上げて、その功徳で
仏になろうと、自分の力をあてにして仏になろうと
努力のことを自力というのです。


それに対して、本願他力による生活とは、必ず仏に
させていただける身の幸せをよろこび、如来への
報恩のために自分の力を精一杯出して行く生活のことです。


そして、念仏申そうと思い立つ心の起こるのは他力に
よるものにほかなりません。・・・・


ですから、南无阿弥陀仏のお念仏のひとは、

最後まで努力せずにはおれない生活なのです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は、2月14日に新しい内容に変わります。

  2002法話カレンダー 〜月々のことば〜
       「生きるよろこび」 本願寺出版社
          北塔光昇師から一部抜粋