第432回 おいしい

 平成 13年 5月 3日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
前回、広くんのお話しをしましたが、二歳になる ひろくんは、
食事のときに、にっこり笑って「おいしい」といいます。


周りの人びとは、それを聞いて、みんな喜んで、
「そうおいしいの」といいます。


特別の物ではなくて、普通の食べ物を、口に入れて、
にっこり笑っておいしいというと、みんな嬉しくなって、
「おいしいねえ」と喜びます。


どうして、この子は「おいしい」というのでしょうか。
自分で味わって本当に「おいしい」という言葉を、
言っているとは思えません。


最初から「おいしい」といっていたのではなく、周りの大人たちが
みんな「おいしいでしょう」「おいしいね」「おいしい、おいしい」と
言っていたのを、自然に覚え真似をして、「おいしい」と
いうのでしょう。


おいしいという言葉の意味を、本当はよく分かっていなくても、
その意味のわかった周りの大人たちは嬉しいものです。


南无阿弥陀仏も、これと同じではないかと味わいます。

周りの大人たちが「南无阿弥陀仏・南无阿弥陀仏」と
楽しそうに声に出しているのを、子供が真似して、
南无阿弥陀仏と口にして、その南无阿弥陀仏の言葉を
聞いたとき、周りの大人たちばかりではなく、仏さまも
喜んでおられることでしょう。


「おいしい」という子供の声を聞いた時の大人のように、
仏様も喜んでいただいているのではないかと感じます。


同じ食べ物を食べても、まずそうに食べる人や、味わわないで、
ただ流し込んで行くだけの人もいます。


それに比べて、じっくりと、おいしく味わう人。
人さまざまですが、同じことなら、自分も喜び周りも楽しくなる
言葉を口にしたいものです。


食べ物だけではなく、人間の人生も何でも当たり前と、
味わいの少ない人生よりも、感動し喜び味わう人生で
ありたいものです。


南无阿弥陀仏のお念仏も、人生を喜び味わう言葉なのでは
ないかと思います。


自分で聞いて喜び周りの人も聞いて嬉しいことば、
南无阿弥陀仏をじっくりと味わいたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月10日に新しい内容に変わります。