第406回 今 どこに

   
平成12年 11月 2日〜
   

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

若いときから疑問を持っているが、まだ解決しないことが
あるという方があります。


亡くなった肉親は、どこに行ったのか、極楽なのか
浄土なのか地獄なのか、偉い先生に何度か質問して
みたが、まだ満足いく回答を得たことがないというのです。


 「亡くなった人がお念仏をしていた人なら、お浄土へ
いったと思えますが、お寺にもあまり参らず、お説教も
ちゃんと聞いていない
ように思う。

そこで、きっと救われず、苦しみの世界へいって
しまったのではないでしょうか」との質問です。   



  浄土真宗の教えは、お釈迦様が説かれた数ある
教えの中で、浄土三部経こそがこの私の為に説かれた
教えであると、親鸞聖人が勧めていただいたお念仏の教えです。


 私たちは自分自身では、悪いことは何もしていない
つもりですが、知らず知らずに地獄へいくような
原因だけをつくっています。


どんなに努力しようが、どんなに気を付けようが、
自分中心で良い行いはほとんで出来ていないのが現実です。


大経というお経には、一人の国王が仏様のお説教を聞き、
すべての人が救われる国は出来ないかと、長い間考え
修行して、お念仏一つで理想の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい。
そして仏と同じさとりを得させたら、すぐに迷いの国へ
出掛け迷っている人を救う働きをさせるという願いを
完成されたと説かれています。


南无阿弥陀仏で仏の仲間になり、命終えると同時に
阿弥陀如来の国浄土へ生まれ、阿弥陀如来と同じく、
人びとを救う働きをすることが出来るというのです。


 ところが、亡くなられた方が、お念仏をしておられたら、
またお説教をよく聞いている人なら、救われていると
言えましょうが、そうでない場合は、どうなるのか。


自分のつくった行いで、救われることがなくて苦しみの
世界へいっているのかとの疑問があります。


残された人間は、想像するだけで確認出来ません。

しかし、この私が、お念仏に出会えば、あの方が
仏となって、この私へ働きかけて下さったお蔭である
とも味わえます。


この私が、以前とまったく変わらず、自分中心で
損や得だけを考える生活を続けていれば、
亡くなった人は苦しみの世界へ行ったのか、
喜びの世界に生まれ、仏として働いておられるのか、
確信が持てません。


ところが、あの方のご縁で、南无阿弥陀仏を口にする
生活に変えられたとすれば、亡き人は間違いなく
仏と成って働いておられたのだと味わうことが出来ます。


 南无阿弥陀仏を口にし、仏さまの願いを聞かせて
いただくと、人間としての本当の喜びをちゃんと
受け取ってほしいとの、呼びかけに聞こえてくるものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、11月9日に新しい内容に変わります。


尚妙念寺の秋の法要は、11月の18日19日に
予定しております。


例年より一週間遅れての法座ですが、どうぞご予定下さい。