第397回 弥陀の名号となへつつ

     平成12年 8月31日〜

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さて、親鸞聖人がお作りいただいたご和讚、
その数は実に五百数十にもおよびます。


漢字でかかれたお経は、一般の人には
読み取ることは出来ません。


まして、親鸞聖人の時代には、文字そのものを
読める人が少ない時代です。


そこで、七五調のやさしいことばに和らげ、
浄土の仏・菩薩の功徳や祖師高僧方の功績を
讃嘆され、ご自分の信心を表白された詩、
ご和讚をお読みいただいたのでしょう。



平安時代から、この七五調の今様形式での
仏教讃歌は盛んに作られましたが、
親鸞聖人が、特に晩年になって数多くお読み
いただいたのは、教えの内容をおぼえやすく、
口に出して読誦しやすいようにとのお考え
だったのでしょう。


その中でも、浄土和讚、高僧和讚、正像末和讚を
まとめて、三帖和讚といわれ、教行信証の内容と
密接な関係がありますので、和語の教行信証とも
いわれます。


親鸞聖人のご和讚の内容全体の大意は、
最初におかれている、二種の和讚で示されていると
言われます。


冠頭讃といわれる次の二種です。


  弥陀の名号となへつつ 

   信心まことにうるひとは

  憶念の心つねにして 

    仏恩報ずるおもひあり

( 現代語訳 ) 衆生を信じさせずには おられない
という阿弥陀仏の名号を称えながら、称える心が
名号のいわれをそのまま信ずる身になった人は、
如来のはたらきをいつも憶(おぼ)えて忘れない心が
具(そな)わるとともに仏恩報謝の念(おもい)が 
自然に ほとばしり出てきます。




 請願不思議をうたがひて

   御名を称する往生は

 宮殿のうちに五百歳

   むなしくすぐとぞときたまふ

( 現代語訳 ) 本来、成仏出来るような要素を
まったくもち合わせていない凡夫を 信心一つで
浄土往生させると誓われた 勝れたはたらきを
疑って、自分が称えた念仏に功績(てがら)を
期待して 往生しようとすれば、方便化土と
呼ばれる世界に 五百年のあいだ止まって、
いたずらに虚しい時を 過ごさなければならないと、
『大経』の「胎化得失の文」には説かれています。


この二つのご和讚が、親鸞聖人の教えの大意
だと言われます。


本来、苦しみから抜け出し成仏出来るような要素を
まったくもち合わせていない私たちを 信心一つで
浄土往生させると誓われた 勝れたはたらきを
信じさせていただき、お念仏させていただきたいと
思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月7日に新しい内容に変わります。
尚、現代語訳は、白川晴顕(はるあき)先生の訳です。