第384回 み光につつまれてA

  平成12年 6月 1日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
前回に引き続き、朗読法話集第二集から
「み光りにつつまれて(2)」をご紹介します。

 「 阿弥陀如来の光明は、生きとし生きる者すべてを
  照らしてくださいます。


  光明とは阿弥陀如来のさとりの智慧です。

  さとりの智慧は迷いの世界を照らし、救わずには
  いられない慈悲となって私たちに はたらきかけて
  くださいます。


  光明は、本願を信じている人を照らし護ってくださいます。

  また本願を信ずることのできない人を、本願を信ずる
  人に育ててくださいます。


  『 摂取の心光 つねに照護したまふ 』 というのは、
  阿弥陀如来の慈悲の心から放たれる光明が、本願を
  信じ念仏を申す人を照らしずめに照らし、護りづめに
  護ってくださることをいうのです。


  寝ているときも、起きているときも、四六時中この私を
  照らし護ってくださっています。


  それはあたかも、日光が草木を照らしあたためて、
  養い、育て、護り、導くのと同じように、阿弥陀如来の
  光明は、私たちの心を照らし、あたため、養い、育て、
  護り、導いてくださるのです。


    照らし護るといってもたとえば交通事故にあわない
  ように護ってくださるというのではありません。


  病気にならないように護ってくださるのでもありません。

  そういうことではなくて、目先の欲望にとらわれて迷う
  凡夫である私たちを、阿弥陀如来は真実の人生を
  歩ませようと護ってくださるのです。


    本願を信じ念仏を申す人は、他の間違った教えや
  魅惑に迷わされず、またどんな悪にも妨げられずに、
  たしかな足どりでこの人生を歩むことができるのです。 」       



み光りにつつまれて、三宮義信先生が書かれた朗読法話集
から、その文章をご紹介しました。

阿弥陀様の光りにつつまれていることを、味わえる
毎日でありたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は、6月8日に新しい内容に変わります。