第378回 教行信証現代語版の総序
    

     平成12年 4月20日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

この電話サービスと並行して、妙念寺ではインターネットでも
同じ内容をご紹介していることは、以前にもお話しました。


妙念寺のインターネットのホームページには、この電話
サービスの原稿の他に、本願寺で出版された日本語に
訳された聖典を、掲載しています。


「浄土三部経の現代語版」をはじめ「歎異抄」、
「蓮如上人御一代記聞書」、「ご文章の大意」など、
やさしい日本語に訳されたものばかりです。



 ところで、この度、これに加えて、親鸞聖人のお書きいた
だいた「教行信証」の現代語版が新たに発行されました。


そこで、今回は、この教行信証の総序の最初の部分を
ご紹介します。



「 わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない
  阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を
  渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげ
  られないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の
  輝きである。


    ここに、浄土の教えを説き明かす機縁が熟し、
  提婆達多が阿闍世をそそのかして頻婆娑羅王
  (びんばしゃらおう)を害させたのである。

  そして、浄土往生の行を修める正機が明らかになり、
  釈尊が韋提希をお導きになって阿弥陀仏の浄土を
  願わせたのである。

  これは、菩薩がたが仮のすがたをとって、苦しみ悩む
  すべての人々を救おうとされたのであり、また如来が
  慈悲の心から、五逆の罪を犯すものや仏の教えを
  謗るものや一闡提(いっせんだい)のものを救おうと
  お思いになったのである。



   よって、あらゆる功徳をそなえた名号は、悪を転じて
  徳に変える正しい智慧のはたらきであり、得がたい
  金剛の信心は、疑いを除いてさとりを得させてくださる
  まことの道であると知ることができる。



    このようなわけで、浄土の教えは凡夫にも修めやすい
  まことの教えなのであり、愚かなものにも往きやすい近道
  なのである。



   釈尊が説かれたすべての教えの中で、この浄土の教えに
   及ぶものはない。・・・・・ 」


と、教行信証の最初の部分を、このように現代語に
訳されています。


お釈迦様が説かれた教えの中で、この浄土の教え、
お念仏の教えに及ぶものがないと親鸞聖人は、まず最初に
お書きいただいています。

次回も、教行信証の現代語版のこのつづきをご紹介します。

妙念寺電話サービス、4月27日に新しい内容に変わります。