東の空が白むように   
 
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佐賀組の仏教壮年会で、博多の萬行寺に
日帰りの研修旅行に行ってきました。
 
明治時代に分かりやすくお法をお説きいただいた
七里恒順和上のお寺です。
博多山笠の出発点である串田神社のすぐ隣りです。
 
 今日は、この七里和上のご法話の中から、
その一部をご紹介します。
 
「 浄土宗では、死んで後に、浄土に参って
 正定聚になるが、ご当流ではそうではない。
 
今生において、一念発起のとき、入正定聚の利益をうる。
そこを 「正信偈」 には 「弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然即の時必定に入る」 とお示しなされた。
 
この喜びについて、同行の心得に二通りある。
 
一は、なぜ喜びが出ないのだろうと嘆くもの。
これは後生を大事と思う人である。
 
二は、喜ばれぬのは、凡夫の自性じゃというて、
すまし顔をしておる者。
これは後生を左程に心掛けぬ人である。
 
しかし、一も二も間違いじゃ。
それなら信心をいただいたら、
すぐ喜ばれるかといえば、そうではない。
 
それなら何年たっても喜ばれぬものかといえば、

そ
うでもない。信心をいただけば、すぐには喜ばれなくても、
次第次第に、喜ばれるようになってくる。
たとえば、暁のようなもので、次第に東の空が
白んでくるようなもの。
 
また、時候の変わり目のようなもので、
段々と暑くなり、また、段々と寒くなる。
 
ときには暖かくなったり、涼しくもなる。
着物を着たいと思うこともあれば、脱ぐこともある。
 
五日や十日は、暖かくなったり寒くなったりするが、
一月もたてば大違いになり、ついにウグイスも催促せずに、
さえずるようになる。
 
それと同じく、五日や十日、一月や二月では、
それほどでなくても、半年、一年、二年、三年と
経ってから、以前をふりかえってみると、
大違いになって、称名のウグイスも自ら囀ずられるようになる。
 
「 嬉しさを昔は袖につつみけり、
こよいは身にも余りぬるかな 」 という風である。 」
 
博多の七里和上のご法話の一部分をご紹介しました。
 
お念仏を称えていると、東の空が白むように、
季節が段々と変わってくるように、お念仏の喜びが
味わえるとのお教えです。
 
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次回は、9月の17日に新しい内容に変わります。
秋の巡番報恩講は、呉服元町の正雲寺さんで、9月19日からです。
 
 
                     ( 平成10年 9月10日〜 第294回 )