いただきもの


妙念寺電話サービスです。お電話ありがとうございました。

この本を読んでくださいと、一冊の本を送っていただきました。


大分県臼杵市の佐々木蓮麿さんの信心清話という本です。

その中に 「 いただきもの 」 という文章がありました。


私の地方は海岸ばたで魚類もとれるが、

柑橘類が相当にできる土地であります。

先年、ある海岸の一軒の家にお参りしたところ、

その家の主人が、見事なミカンをお盆にのせて

出してくれたのであります。


そこで私が 「 なんと見事なミカンですね。

これはおうちの畑にできたのですか 」 と尋ねましたところ、

その主人がいわれるには、「 もちろん私の畑にできた

ミカンではありますが、私が作ったとは思いません 」 と

答えられたので、私はちょっと面食らって、

「 それでは誰が作ったのですか 」 と尋ねたところ、

その主人の返答がまことにありがたいのです。


「 わたしがこんなことを申し上げるのは、釈迦に説法ですが、

仏法を聞かせていただいたお蔭で、自分の力というものを、

考えぬようになりました。


そこで、この立派なミカンも、全く他力のお蔭で、

できさせていただいたと喜んでおります 」 と

答えられたのであります。



そこで私は、「 あなたは何という幸福な人でしょうか、

喜びを二重にいただいておられます。立派なミカンが、

できたという喜びと、そのミカンが出来たのも他力の

お蔭であるという喜びとを、頂いているではありませんか。


こうなると、また、このミカンも御恩の賜物だから、

粗末にしてはならぬという、物を大切にする徳までが与えられます。

何という幸福なことでしょう 」 と祝福したことでありました。


人間の幸せと不幸とは、一般には外からくるように

考えられておりますが、この考え方は、反省の余地があると思います。

現代はすべてを客観的、物質的に割り切ろうとする傾向が

強いので、精神的な面から幸と不幸とを考える余地が、

ないように察せられます。


人間を幸と不幸に導くカギは外部にあるのでなくて、

むしろ人間自身の胸三寸にあるといっても過言ではないでしょう。


見方の悪い人は、喜べることでも、わざと喜べぬように考えるのです。

見方のよい人は、すべてを善意に解釈して行きますから、

不幸になる気づかいはありません。次から次へと幸福が生まれてくるのです。

すべての幸、不幸が外部から舞い込んでくるように考えている人は、

大切な幸福製造機を持ちながら、その使い道を

知らないようなものであります。 

 

大分県の佐々木蓮麿さんの 「 いただきもの 」 と

いう文章の一部分を ご紹介しました。

妙念寺電話サービス、次回は、6月4日に新しい内容に変わります。

お電話ありがとうございました。

                        ( 平成10年 5月28日〜 第279回 )

百華苑  昭和40年 9月10日発行  信心清話
       ( 原文から 内容を大幅に省略しています。お許しください)