浄土での働き

 

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 妙念寺では、毎年11月のはじめに、この一年間に

亡くなられた方のご家族をお招きして、年間物故者の法要と、

妙念寺の開基小倉女さまの年回法要を行っています。

 

今年は、349回忌になる小倉さんは、聞書・葉隠に

詳しく書いてありますが、鍋島藩の2代藩主を決めるときに

活躍された方です。

 

来年平成10年が蓮如上人の500回遠忌ですので、

蓮如上人から150年後の方であります。

 

さて、私たちは、亡くなられた方はお浄土に生まれられたと

言いながらも、その浄土についての受け取り方が様々です。

 

お経に書かれている所では、はるか彼方の世界とも読めますし、

すぐ近くとも読めます。

 

そして、その浄土には、美しい花や音楽、宝石に彩られた池や

建物があり、何不自由のない極楽のように思われています。

 

そこで永遠に楽しい生活を続けると思われています。

しかし、一方ではお墓にお参りして、亡き人は、遺骨と

共にそこに留まっているようにも感じています。

 

仏教でもいろいろと説き方があり、それぞれに違った考え方が

あるようですが、浄土真宗では、念仏の人が命終われば、

阿弥陀仏の浄土に往き生まれる。

 

阿弥陀仏の浄土は完全に煩悩が消え去った世界であるから、

生まれるとただちに仏となる。

 

このことを往生即成仏といいます。

 

他の宗旨では、命終わってからしばらくの間、

お浄土には生まれられずに、さ迷っているように

説かれることもありますが、

 

 

親鸞聖人は、大無量寿経の教えのとおり、

この世の命が終わると同時に、人間の自分自身の

迷いを完全に脱却するとともに、あるとあらゆる衆生を

済度することが、自由自在に出来るようになると

教えていただています。

 

このように阿弥陀仏の浄土に往生したのちに、

衆生救済の活動に出ることを還相といいますが、

お浄土に生まれた人は、そこにじっと留まって自分だけの幸せを、

喜ぶのではなく、迷っている多くの人びとを導くために、

迷いの世界に出掛けること、還相の廻向を説いていただいています。

 

自分中心で、自分の幸せだけを願う私が、

お浄土に往生すれば、阿弥陀如来と同じさとりを開き、

阿弥陀如来と同じ働きができるのです。

 

南無阿弥陀仏は、やがて自分自身の悩み苦しみが

無くなるばかりでなく、多くの人びとを救済する仏様と

同じさとりをひらくことを感謝し喜ぶ言葉です。

 

南無阿弥陀仏一つで、必ず浄土に往生させようと

法蔵菩薩の長年にわたるご苦労を思うとき、

私たちは、何と我がままな毎日を送っているのかと

恥ずかしくなってきます。

 

そのことに気づかせていただくのが、お説教でしょうし、

お念仏であると思います。

 

どうぞ、11月の初めの法座への参拝をご計画ください。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は、10月23日に新しい内容にかわります。

 

   ( 平成 9年10月16日〜 第247回 )