手伝ってヨ

 

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

春彼岸の佐賀組の巡番報恩講は、専称寺さんで

3月の21日から25日まで、勤まります。

願正寺さんのすぐ前の専称寺さんが10年に一度の担当です。

是非、連れだってご参拝ください。

 

 さて、お浄土に生まれることを、往生といいますが、

男性の方や若い人など、往生という言葉に

違和感を持たれる方があります。

 

また、お浄土へ生まれ、自分一人が救われるだけでいいの

ですか、それならば大乗仏教ではなく、

小乗仏教ではないかという疑問です。

 

 

 ところが、この私が往生するということは、

仏様と同じさとりを開かせていただき、

仏様と同じはたらきをする能力を得させて

いただくことではないでしょうか。

 

 仏様は、救わずにはおかない。

我が国に生まれさせねばおかないと、呼びかけておられますが、

よくよく考えてみると、実は、自分と同じ力を与えたい。

 

そして、自分と一緒に力を合わせて、

苦しみ悩む多くの人びとを、

その迷いから救う働きに、たずさわってほしいと

願っておいでではないかと、味わえて来ました。

 

悩み苦しむ人びとを、一人残らず救わねばおかないと、

あらゆる力を発揮して働き続けておられる阿弥陀如来さまは、

煩悩一杯の私たちに、難しいことを期待しても、

とても無理なことは分かりきっています。

 

そこで、お念仏一つで、仏様と同じさとりを開らかせ、

仏様と同じ力を与え、仏様の仲間にして多くの人びとを

救いたいとの願いをたてられ、完成されたのです。

 

救われることは、救う側につかせていただくことです。       

 

救われるという受け身の働きだけでなく、

お浄土に生まれた後、救う側に廻って、

積極的に働きかける力を得させていただくのです。

 

救われることは、救う働きにつかせていただく、

それは、この私の力ではなく、人間の努力の成果ではなく、

仏様の働きかけなのです。

 

蓮如上人のご文章には、

 

もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、

不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。

とあります。

 

阿弥陀如来の御はからいにおまかせしますと、

如来様の一人ばたらきで、必ず浄土に往き生まれる

身にしてくださる、とあります。

 

救われるのは、この私の欲望を満たすためではなく、

仏様と同じ働きが出来る身にしていただくのだと信じて、

報恩のお念仏を忘れず、やがて仏様と同じさとりを

得られる私であると自覚して、恥ずかしくない日暮らしを、

精一杯させていただきたいものです。

妙念寺電話サービス、次回は、3月27日に新しい内容に変わります。

 

 

 

         ( 平成 9年 3月20日〜 第217回 )

 

  

               

 

西本願寺ホームページへ