浄土真宗の救のよろこび      歓喜会用 法話案

阿弥陀如来の本願は かならず救う まかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり たえず私に よびかけます

このよび声を 聞きひらき 如来の救いに まかすとき
永遠に消えない 灯火が 私の心に ともります。

如来の大悲に 生かされて 御恩報謝の よろこびに
南無阿弥陀仏を 称えつつ 真実の道を 歩みます

この世の縁の 尽きるとき 如来の浄土に 生まれては
さとりの智慧を いただいて あらゆるいのちを 救います

宗祖親鸞聖人が 如来の真実を 示された
浄土真宗のみ教えを 共に よろこび 広めます


「仏教」と言えば、 お釈迦様の説かれた教え、厳しい修行をして
悟りを開かれた教え、ですから、お釈迦様と同じように、
親鸞聖人も、わずか9歳で 比叡山に登り、努力することで 
救われたいと、厳しい修行に励まれました。

ですから、自分の力で努力することが大事、それが仏教であると
ほとんどの方が 思っておいでだろうと思います。

 特に、戦後の教育を受けた私たちは 子供の頃から 頑張れ頑張れ 
自分の力で頑張れ、人の力に頼ってはいけない。自分で努力しよう。
悪い事をしてはだめ、良いことを沢山して、その善行を積むことが大事。
受験生のように、脇目もふらずに我慢して 我慢して 努力すれば、
良いことがある、怠けると悪い事が起こる、自業自得 良いことをすれば
良い結果が 悪いことをすれば 悪い結果が出る。
まじめに 頑張りましょうと 教えられてきました。
ですから 仏教も 自分の力で努力するものであると 思って
おられる方が 多いのではないでしょうか。

 しかし、よく思い出してください。考えて見てください。
親鸞聖人は 比叡山で20年間厳しい修行をされました
でも、その後、山を降りて 吉水の法然聖人のところに行かれました。
なぜ、頑張れ頑張れの 比叡山を降りられたのか、
それは、人間の力、人間の努力に頼っていたのでは、選ばれた人、特別の人
優秀な人だけは 目的を達することが出来るでしょうが、一般の多くの人には  
とても無理な話です。
ごく一部の優秀な人、立派な人だけが救われ、幸せになるそんな教えを、
お釈迦様は説かれたのではないはず、 一人残らず、皆救うという
教えを説いてあるはずだと気づき、 法然聖人の元に行かれたのです。

 法然聖人が説かれていたのは、みんなが平等に、一人残らず救われる
お念仏の教え、南無阿弥陀仏の教えでしたが、これこそ、お釈迦様が最も
説きたかった教えであると親鸞聖人は 味わわれ、それを、
浄土真宗という教えであると、私たちに教えていただいているのです。

 ところが、みんなが平等に救われるということが なかなか理解出来ない。
頑張れ頑張れで育ってきた現代の日本人には、一番難しい考えであり
教えではないかと、思います。

では、だれの努力によって、私は救われるのか、それは、
人間の小さな努力ではなく、仏様の大きな力によって救われるという
これも、なかなか理解出来ない考え方、どうして、そんな馬鹿なことが
あるかと。疑ってしまいたくなる教えなのです。

 皆さんの周りには 親の七光りで うまく要っている人はいませんか。
大した能力もないのに、親の七光りで 大きな力を持って大きな顔をして
生きている人です。あれは 本人の努力ではなく、親の力で
子供がうまく行っているのです。親の七光りです。

 同じように、阿弥陀さまという仏様は、この私のことを 自分の一人子の
ように、心配して、この私のために 大変な努力をして、宇宙的な長い間
努力して、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と
お念仏しているすべての人を一人残さず、お浄土に生まれさせ
しかも仏にするとう願を立て、完成されたのです。

頑張れといっても、頑張れない私を 努力しろと行っても
努力の出来ないこの私を 何としても、救わねばおかない。
悟らせにはおかない、そこでお浄土に生まれさせ仏にするという、
願いを立てて、ご自分が努力して努力して、今から十劫前にもう仏と成って
私を救おうと はたらきかけておられると、お釈迦様は説いて
いただいているのです。

 そんな馬鹿なことがあるか、騙されるかとお思いでしょうが、
南無阿弥陀仏の人は 私の親や、じじばば 、その前のじじばばも、
みんな南無阿弥陀仏を口にして お浄土に生まれ、仏となって、今 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼びかけていただいていると、
親鸞聖人は教えていただいているのです。
これが 浄土真宗であると 教えていただいているのです。

お釈迦様が そうお説きになっており、先輩の法然聖人が教えていただいた
このお念仏教え、間違いなく、このお念仏で救われる人がいることを
確認しました。これこそ、真実の教えですと、書き残していただいているのです。

 手元のプリントを もう一度見ていただくと

・阿弥陀如来の本願は かならず救うまかせよと
  阿弥陀如来さまの 本願 大きな願いは、あなたのことを
  放ってはおかない 必ず救う 間違いなく救う まかせなさいと
   呼びかけておられる
  どうして、救うというのか それは

・南無阿弥陀仏のみ名となり 
   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏という、言葉の仏さまになって、

・たえず私に よびかけます
   いつもいつも 南無阿弥陀仏と呼びかけておられるのです


・このよび声を 聞きひらき 
   ああそうなのか 南無阿弥陀仏は 阿弥陀さまの呼び声かと
   味わい 一緒になって南無阿弥陀仏を口にする生活をすると

・如来の救いに まかすとき
  不安なことや 悩み多いことでも、自分でやれることを
   精いっぱいやったら如来さまにお任せしますと 
   後は成るようになる
   一番良い方向に進むと 堂々と 生きている人は

・永遠に消えない灯火が 私の心にともります。
  もう不安もなく、何があっても慌てない 未来がはっきりして
  堂々と生きていくことが出来るようになるのです。
  歳を取ろうが 病気になろうが 命がおわろうが 問題ない
  慌てない そうゆう人生を受け取れるのです。

・如来の大悲に生かされて
   自分の思いどおりにならなくても、仏様のはたらきを信じて 
   生きていけば、あるとき これが一番良かったと味わえるように
   なってくるもの、これでよかったのだと喜びが増してきて

・御恩報謝のよろこびに
  ありがとうという気持ちが一杯になり 

・南無阿弥陀仏を称えつつ 真実の道を歩みます
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を称えながら お聴聞しながら
  お浄土への道を 歩んでいきます。
  どこへいっているのか 目的のない人生ではなく、お浄土へ向かって
  堂々と生きていきます。

・この世の縁の尽きるとき
   この世にいる間は もう仏さまの仲間であるといわれますが、
   命を終われば 辛く苦しい地獄に落ちるのではなく、
   消えてなくなるのではなく、 お浄土に生まれることが出来る

・如来の浄土に生まれては
  阿弥陀如来のお浄土に生まれたら すぐ仏様の智慧をいただいて

・さとりの智慧をいただいて あらゆるいのちを救います
  今度は 私が人々を救う側の仏に成らせていただくのです。
  今までは 救われる側でしたが、お浄土に生まれたら 仏さまと
  一緒になって 人々を救うはたらきができるのです。
  先だった 親や祖父母 多くの先祖と一緒になって 皆のために
  はたらくことが出来るのです。

・宗祖親鸞聖人が 如来の真実を示された
  親鸞聖人が そして、歴代の善知識が 皆さんの親や祖父母や
  ご縁になった 多くの人々のおかげで お念仏に出会うことが
  出来ました。

・浄土真宗のみ教えを 共によろこび広めます
  お念仏を自分だけで喜ぶのではなく、子供や孫やご縁のあった人々に
  南無阿弥陀仏の教えを 伝え 受け取っていただくことが
  最高の宝もの、尊い財産を 残すことになるのです。
  土地や建物や現金や 残してあげることも有り難いことですが
   それよりも、お念仏教えを 南無阿弥陀仏を受け継いだ方が、
  子供や孫の 一代だけではなく、
  100年 500年 1000年と 喜び多い人生を 相続することに
  なるのです。

  先輩達、ご先祖様は みんな揃って、仏さまと一緒になって
「お念仏だよ、南無阿弥陀仏だよ、このご縁に出合えれば どんな苦難に
であっても、自分の思い通りにならないと、嘆くことはない。
やがて、もっとも良い方向に進んでいくことを 気づくことになるよ。
ああ、ありがたい人生だった、自分ほど 幸せものはいない。
ありがたいと 思える時が必ずくるよ。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の生活で、それに気づくことができるよ」と
呼びかけておられるのです。

最初にも言いましたが、世間の人がいう仏教と、南無阿弥陀仏の教えは
まるで違った教え、お念仏の教えを、聞き開いて、すばらしい人生を
受け取ってくださいと
はたらきかけ、呼びかけていただいているのです。
そのことを 知ってほしい、聞いてほしいと、皆さんに伝えてくれと
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と 呼びかけておられるのです。

         


           私も一言(伝言板)