『有田町歴史民俗資料館・有田焼参考館研究紀要 第1号』1991
「窯跡出土の初期色絵素地大皿について」
−山辺田窯跡・丸尾窯跡を中心として−
                       村 上 伸 之
    その9

 

■ STARTING POINT ■

 

 本日は、出土している色絵大皿を紹介した部分を掲載する。
 なお、本稿執筆時点での色絵大皿の出土例は10数点程度であったが、現在では、山辺田窯跡に隣接する山辺田遺跡で60点前後出土・採集されており、出土品の種類も豊富になっている。
( 参照 = 山辺田遺跡と古九谷 )

(註)原文の遺物分類の表記には機種遺存文字を含む。そこで、ここでは各窯の表記に色分けを用い、以下のように示した。
 ●3号窯 染付入り素地 「
□−□類」 白磁素地「□−
 ●4号窯 染付入り素地 「
□−□類」 白磁素地「□−□類
 ●2号窯 染付入り素地 「
□−□類」 白磁素地「□−□類
 ●7号窯 染付入り素地 「
□−《□》類」 白磁素地「□−〈□〉類
 ●1号窯 染付入り素地 「
□−〔□〕類」 白磁素地「□−〔□〕類
 ●丸尾窯 染付入り素地 「
□−(□)類」 白磁素地「□−(□)類


[ 註 ]

4. 出土した色絵製品

 

7.
 有田町教育委員会
 『赤絵町』1990   
 

PL.2 山辺田3号(1〜5)・4号(6〜8)窯出土遺物

 

 

 

 

PL.3 山辺田4号(1〜2)・2号(3〜8)窯出土遺物

Fig.4 山辺田4号窯出土素地

 

 

 

 

 

8.
 山下朔郎
「有田古窯出土の古九谷素地と藍九谷の新知見」
『陶説 第261号』
  日本陶磁協会 
   1974の8図

PL.9 丸尾窯高台・その他


 窯跡では素地だけでなく、上絵を付けた製品もいくらか出土している。大皿類は山辺田3号窯、4号窯、2号窯、丸尾窯などにあり、窯跡以外では赤絵町遺跡(註7)でも出土している。個体数でも10数点に上り、その全てがいわゆる古九谷様式と呼ばれているものである。

 PL.2−3〜5は3号窯付近から出土・採集されたもので、3は外面胴部に槍梅文かと思われる文様を描き、見込みには土坡文が見える。高台はイー1類で高台内の圏線は《1−?》であるが、高台に接して外側の圏線を引くものは《1−2》が多く、高台の種類から見ても《1−2》である可能性が高い。4は内面の体部に染付で丸文を入れ、型打ち成形で花形にしているものである。内底には樹木が描かれており、丸文の中には四方襷文などが配されている。高台はイー2類で高台内には《1−?》の圏線が見える。高台や圏線の位置から《1−1》か《1−0》であった可能性が高い。5は高台の外側面に二重の染付圏線を入れたもので、内底には柳などの文様が描かれている。高台はウー4類で高台幅は比較的狭く、圏線は配されていない。

 PL.2−8、3−1・2、Fig.4−26は4号窯の周辺から出土・採集されているもので、染付の入ったものはない。8は内底に竹文を描いているもので、高台はウー1類、高台幅は比較的広い。1の2点は同一個体の可能性があるもので、出土地点は3・4号窯の物原の接点付近でどちらのものかははっきりとしない。内面には菊文を配しており、胴部の破片から内面全体を一つの構図として描いていると推定される。外面には赤絵具で腰部に1本、高台外側面に2本の圏線を入れており、高台内にも《1−1》の圏線が配されている。高台はアー2類で、全体に細かい貫入が入っている。2はF−6・7類に近い素地に上絵を施したもので、全体を塗り潰すいわゆる青手の製品である。内面には竹虎文を描き、外面は体部に雲気文、高台外側面に連続文を配している。Fig.4−26は内底に竹文を描き体部に唐草文を配したもので、外面体部にも唐草文を廻らしている。

 PL.3−8は2号窯から出土しているもので、青手の製品である。内面には大きな木葉文を描き、周囲を雲気文で埋めている。外面は体部を雲気文で埋め、高台内には二重方形枠の「福」銘を配している。高台はイ−1類で高台幅は比較的広い。

 丸尾窯の色絵は図示できなかったが、発掘調査でA−(2)類の内面口縁部に二重圏線を入れたものが出土しているが、絵具は剥離していて色は不明である。また採集品で五彩手のものが数点知られている。(註8)

 赤絵町遺跡でも、いわゆる古九谷様式の製品が3点出土している。PL.9−10は青手の底部破片で二重方形粋が配され、「福」字銘が残っている。素地は灰色がかっており、「福」字の下に手跡を残している。絵具はほとんど剥落しているが、緑色を塗っているのが分かる。これと類似したもので、方形枠の一部を残したものも出土している。胎土や線の描き方は2号窯のPL.3−8によく似ている。PL.9−11は内面に植物文を配して、地は黄絵具で塗り潰して小さな円状の文様で埋めたものである。外面には唐草文を廻らしている。胎土は4号窯のPL.3−2や2号窯のPL.3−8によく似ている。


■ COMMENT ■

 

● 本稿執筆以降、大皿としては山辺田遺跡で60点前後出土しており、その他小皿類も数点出土している。また、大皿以外でまとまった数量としては、泉山口屋番所遺跡で小皿を中心に30点前後出土しており、ほかの窯跡や遺跡などでも散発的に出土していることから、現在ではトータルでは古九谷様式の色絵製品は100点以上出土していることになる。

● 古九谷様式の色絵製品の出土状況としては、やはり山辺田遺跡や泉山口屋番所遺跡など工房周辺と推定される遺跡に偏っており、登り窯跡での出土数量は極端に少ない。

● ただし、色絵製品が出土する窯跡は主として1640〜50年代頃の窯に集中しており、17世紀後半の有田の外山を除けば、原則的に出土例は極端に減少する。これは、おそらく赤絵町の成立など、上絵付け工程の分業化と密接な関係があるものと推定される。

 




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