中国・福建省の窯跡(陂溝窯)

 所 在 地:福建省平和県五寨郷寨河村洞口
 調査主体:福建省博物館


 


 突然だが、本日は昨年訪れた中国・福建省の窯跡をご紹介してみようかと思う。有田の窯業史を取り扱うHPでなぜと思われるかもしれないが、当然のことながら、有田の窯業史の理解には中国の窯業は欠くことができない。しかも、どの程度、どのような関係にあるのかということを知るためには、たんなる製品の比較ではなく、生産に関わる部分の理解は不可欠である。ところが、発掘調査報告は刊行されているとはいえ、意外に中国の窯跡がどのような規模や構造なのかは知られていない。特に、肥前の窯跡との比較となると、これまで報告例は極めて少ない。

 と、思い立ったのは、明日から再び福建省に行ってくるからである。その成果はまた後日ご報告するとして、本日はとりあえず、昨年10月に訪れた平和県にある陂溝窯の概要を紹介してみる。



 

                  (位置図)

 



 陂溝窯は、中国南部、福建省の平和県に位置する。平和県は、台湾海峡に面した厦門市から西南に直線距離で100km程度、車で3時間ほどの山間にある。面積は2,328.6kFで、東京都よりもやや広いが、人口は53万人に過ぎない。この福建省の窯場は、近年では一般的にしょう州窯と称されることが多いが(“しょう”はサンズイに「章」と書くが、日本の漢字にはないので平仮名で記す)、まだその範囲は明確には規定されていないらしい。
 陂溝窯は、この平和県の市街地から南に約26km、車で1時間ほどの五寨郷寨河村洞口にある。オフロード車ならば、窯跡のすぐ近くまで行くことができるが、通常の車だと五寨村で下車、さらに山道を30分ほど歩く必要がある。
  


 

 

               (Y1全景)

 

 

(Y2全景)

   



 この窯は1998年6月に福建省博物館が発掘調査を実施しており、2基の窯体が発見されている。窯は山の斜面に南東から北西方向に上下に並んで築かれており、上の窯は98PDY1、下の窯は98PDY2と命名されている。

 Y1は2つの焼成室と胴木間(焚口)、窯尻から構成される全面磚(レンガ)積みの窯である。水平長約7.3m、傾斜角16°、焼成室の幅はおおよそ3.2〜3.4mで、奥行きは2.4〜2.5m程度である。
 また、Y2も焼成室数以外は類似しており、3つの焼成室と、胴木間、窯尻から構成され、全面磚積みである。水平長約8.3m、傾斜角15°、焼成室の幅は約2.8〜3.2m、奥行きは2.0〜2.6mほどである。正確には分からないが、時代的には両窯とも明後期の窯と報告されている。

 これを肥前の窯と比較すると、焼成室の規模や傾斜としては初期の窯と大差はないが、焼成室数は圧倒的に少なく、全長も短いことにお気づきであろうか。ちなみに肥前の窯では、初期の小規模な陶器窯である飯洞甕下窯跡(北波多村)でも、焼成室数7室、全長は18m以上である。また、有田などの初期の陶器窯ではこれよりも格段に大きく、焼成室10数室〜20数室、全長30数m〜60数m程度もある。しかも、肥前の窯ではわずかな例外を除けば、全面磚積み構造は江戸時代後期にはじまる。なお、この平和県では、ほかにもいくつかの窯が調査されているが、すべて類似した構造で、これまで焼成室も3室が最高だという。
 



         (Y1上室〜窯尻=左が窯尻)

 



 さらに、細部の構造や焼成方法などはもっと異なっている。

 胴木間はこれまで良好な状態で検出されたことがないため詳細は不明らしいが、隔壁で前後2室に区切られており、前部に薪を焚く燃焼室、後部に蓄熱のための火室が設けられている。こうした隔壁で胴木間を仕切るような構造も肥前の窯には例がない。

 また、各焼成室の両側には、攻め焚き時の薪投入や製品の出し入れに用いられる出入り口が設けられている。この出入り口は肥前の窯でも一般的であるが、通常は片側である。しかも、焼成室内には磚がずらりと並べられており、この上や間に製品を匣詰めし焼成しているらしい。こうした、焼成方法も肥前の窯には例がない。



             (Y1窯尻)

 



 窯尻も、これまで肥前では見たことのない構造である。山の斜面を窯幅で直角に切り、補強するように全体に磚を積み上げている。その前面に数10cmの間を開けて最上焼成室の奥壁を作り、その空間を煙突としている。最上室奥壁下部に設けた温座の巣(通焔孔)を抜けた炎や熱が、その煙突を通って上に抜ける構造である。

 こうした炎や熱が上に抜ける構造の窯は、肥前でも初期には一部存在した可能性もある。ただし、山の斜面を切って煙突の一部として利用している例はない。肥前の窯では、一般的には温座の巣を通った炎や熱は、そのまま横に抜ける構造となっている。

 この差が生じる要因の一つは、窯の長さにある。2・3室程度の全長の短い窯の場合、煙突がないと十分に炎や熱が引いてくれない。しかし、肥前のように大きな窯では、窯体そのものが煙突の役割を果たすのだ。



 

 ということで、陂溝窯の概要と肥前の窯との違いについて簡単に示してみた。基本的には、平和県の窯と肥前の窯では構造が異なることをご理解いただけただろうか。私にとっては、この“違う”ということを実際に自分の目で確かめることができ、この窯跡を訪れた意義は十分にあったと感じている。どういう形で技術が導入されたのか考える上で、一つの材料を得ることができたからだ。しかし、それ以上に大きな成果は、窯場の立地や環境に触れることができたことだと思う。それまでも報告書の記述や写真で中国の窯を調べる機会は多かったが、正直なところ、どうしても今一つ実感が伴わなかった。これは肥前の窯でも同様であるが、やはり環境を知ることによってはじめて、何かが見えはじめるような気がする。

 文献:福建省博物館「平和五寨洞口窯址的発掘」『福建文博』1998増刊 福建文博編集部

 



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