51番目の窯−岩中窯跡

 所 在 地:佐賀県西松浦郡有田町岩谷川内
 調査主体:有田町教育委員会


 


 有田町内では、古くからさまざまな窯跡が確認されてきた。しかし、その範囲や名称は必ずしも広い共通認識に基づくものではなく、発見時期や人によって異なっていた。これを統一し、今日の窯跡の範囲や名称の基礎が完成したのが、有田古窯跡群と町並保存調査会による昭和五十四年(1979)度の分布調査である。これによって町内の古窯跡は49個所に確定した。その後、昭和六十二年(1987)に下南山地区で平床窯跡が発見され50個所となり、10年余りを経過した。しかし、平成11年2月、岩谷川内地区での発掘調査によって新たな窯跡が発見され、最近51番目の窯跡として、周知の遺跡に登録された。この窯は付近の字名から岩中窯跡とした。



 

                  (近景)

 



 岩中窯跡は、有田町の中央部、岩谷川内地区に位置する。付近には天神町窯跡や猿川窯跡、長吉谷窯跡などよく知られた窯場があり、もともと鍋島藩窯があったとされる地区である。従来から遺物の散布は認められたが、窯跡の存在は確認されていなかった。平成11年2月、宅地造成に伴う発掘調査によって窯場の存在が確認され、51番目の窯跡として登録した。
  


               (物原層の検出状況)

   



 今回の調査で発見されたのは、1620-30〜1640-50年代と推定される物原である。窯体は発見できなかったが、地理的状況からすでに削平されている可能性が高い。また、今回は調査対象に含まれなかったが、付近には1650〜60年代頃と推定される製品も散布しており、おそらく最低でも2基の窯体があった可能性が高い。
 


             (色絵素地皿/上=内面 下=外面)

 



 出土製品は、すでに“Materialホール”にていくつか紹介しているが、7寸皿が多いことに一つの特徴がある。ただし、層によっても異なり、碗が集中して出土している層もある。相対的には、やはり近接する猿川窯跡や天神町窯跡に近い。製品の中には、独特な濃淡を付けた描法を用いるものもあり、これは初期の窯としては極めて珍しい。また、1640年代〜50年代頃には碗の高台外側面に櫛目ほかの文様を配したものが比較的多く認められるが、これは岩谷川内地区の窯場に共通した特徴である。また、採集資料の中には、色絵皿や、内面の陽刻文様の周囲に染付の輪郭線を入れ外面に岩谷川内に独特な唐草文を配す広義の松ケ谷手の色絵素地皿なども含まれている。



 

 岩中窯跡は、近接する天神山窯跡や猿川窯跡と類似した製品を生産した窯場であることが明らかになった。岩谷川内地区の窯場は、有田の窯場の中でも重要性の割には解明が遅れており、岩中窯跡の発見は、今後岩谷川内地区の窯業の全体像を解明するために重要といえるだろう。


 



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