天狗谷窯の調査総括

 所 在 地:佐賀県西松浦郡有田町白川
 調査主体:有田町教育委員会


 


 8月18日から実施してきた天狗谷窯跡の発掘調査も、そろそろ終わりに近づいた。というよりも、今後の日程を考えると、もうそろそろ終わらなければならない。
 お伝えしてきたように、今年は例年にない不安定な天候で、調査は思うように進まなかった。おおむね当初予定していた部分の確認は行ない、予想以上の成果の部分もあったが、まったく予期せぬことも多かった。まとめてみる。



 

● 調査の目的 



 今回の調査は、最初に記したように、窯跡の保存・整備のための基礎資料を得るための調査である。昨年度「基本計画」の策定を行い、本年度は「基本設計」、来年度からは一部「実施設計」へと移る予定である。
 主な整備計画としては、窯体の復元、窯体の重複状況(=変遷)の展示、焼成室発掘状況の展示、焼成室窯詰め状況の展示、物原断面の展示、ガイダンス施設の設置ほかが候補として提示されており、何を、どの程度、どのように行うのかという素材を集めるために、今回発掘調査を行ったのである。


 

 

 

  

遺構とトレンチの配置図  

 


窯体の重複関係(西から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


A12室〜GT付近南北断面模式図
(左=北、右=南)

 

 

 

 

 


GT調査風景
右側の小山が物原のはずだが?窯体は左。
              (北西から)

● 窯体部分に関する成果と問題点 



 窯体に関しては、遺存状況の確認と正確な位置の把握が最大の目的であった。昭和40年〜45年の調査の際には、比較的良好に遺存していたことが報告されているが、その後30年あまりを経過して、現在でも同様な状態で保存されているのか?あるいは、実際に現物に当たることによって、本当にそれが素材として有効なのかという点も調べる必要がある。
 E窯とA窯、そしてB窯の重複関係の状況を調べるために行ったのが、A窯12室付近に設けたGTの調査である。その結果、遺構は殊のほか良好に遺存しており、E、A、B窯の順に構築されたことが一目瞭然であった。ただし、窯跡や発掘に関する知識をお持ちの方なら問題ないのだが、一般の方々にそれをご理解いただくためには、やはり見せ方の工夫は必要であろう。
 窯体の最上部(東側)にぽつんと4室発見されているD窯については、今回掘削は行わなかったが、林の中に露出したまま良好な状態で遺存していることが判明した。下部のA窯とB窯が併存している部分では、1基の窯体をまるまる復元予定(今のところB窯)の関係で、通路の問題もあり、一つの焼成室全部を露出した状態で展示することは難しい。その点D窯ならば、問題ない。出土状況を復元して展示する上でも、やはり最適であろう。しかし、周囲は切り立った岩山であるため、防災上の問題を十分考慮する必要がある。なお、D窯については、前の調査ではどの窯に続くのか不明で、方向性からA窯の可能性が高いと考えられていた。しかし、今回の物原部分の調査で、D窯相当であろうと推定される製品は、あきらかにA窯よりも高い位置で発見されており、B窯の一部である可能性が極めて高くなった。つまりX窯とされている所属不明の焼成室の一部に続き、古い段階のB窯の可能性が高いのだ。
 A窯の胴木間の部分は、以前の調査の際の図が胴木間としては不自然な形状であり、本当に胴木間なのか、あるいはさらに下方に続く可能性はないのかという点の確認が主眼であった。その結果、昨日報告したように、胴木間には間違いないにしても、掘り方を誤っていることが判明した。胴木間の壁は焼成室とは異なり、一般的にそれほど硬く焼締まっていない。そのため、経験不足から、掘りすぎと掘り足りない部分ができてしまったのであろう。
 以上のことから、窯体の調査に関しては、おおむね良好な結果が得られたといっても良いだろう。次の機会には、窯体復元に必要な細部のデータを得るために、さらにB窯の胴木間や窯尻の調査を行う必要がある。また、D窯についてもさらに細かく調べる必要があるだろう。

 

● 物原部分に関する成果と問題点



 物原については、これまで調査されたことがなく、今回もっとも期待していた部分である。整備段階でも、物原層を露出展示できれば、窯跡や技術の変遷をビジュアルに伺い知ることができるのだが…。
 はっきりいって、これについては、これまでにほとんど経験したことがないくらい大外れといっていい。正確にいえば、極めて特殊な遺構配置であり、学術的にはそれなりに新しい発見といえるのだが、いずれにしても失敗品の廃棄がどのように行われていたのかまでは解明できなかった。
 調査前までの認識では、誰でも登りの右側(南側)は本来谷になっていたが、谷が浅かったので次第に小山状の物原が形成されたと信じていた。少なくとも、これ以外の考え方は聞いたことがない。ところが、まったく谷がない。窯体の外側から平らの作業段が2mほども南側に続き、その先は地形が上がりはじめる。通常の窯では、逆に作業段の先が谷になっており、失敗品が廃棄され物原層が形成されている。これは、CT〜ET、GTと2個所で確認しているため、ほぼ全体がそうなっていると考えて間違いなかろう。
 初期の窯では、稀に作業段付近に次々に穴を掘り、失敗品を廃棄している場合もある。この窯でもそうした落ち込みはGTなどでいくつか確認されている。しかし、せいぜい10〜20cmほどの深さである。ちょっと浅すぎる。少なくとも、とてもメインの物原として考えることはできないだろう。
 また、江戸後期以降の窯では、失敗品を別の場所に運んで廃棄している場合がある。後期の大規模な窯では、一度に出る廃棄品の量も膨大であるため、浅い谷くらいでは、すぐに埋まってしまうからだろう。天狗谷の場合も、少なくともE窯やA窯の段階にこうした廃棄を行っていた可能性も皆無ではない。しかし、江戸前期の窯としては、天狗谷以前の窯でも、以後の窯でも、こうした例は知らない。
 現状でいくらか可能性を残しているのは、やはり小山の部分が物原であった可能性である。最初に開けたCT〜ETでは、土層の上部が完全に削平されているため、焼成後の廃棄層である一次堆積層そのものが、ほとんど遺存していなかった。そのため、ほかの部分でも徐々に上がる地形の上に物原層がないとは言い切れない。また、その後上部に開けたGTについては、今回は作業段付近しか掘っておらず、地形が上がることは明らかだが、その先の部分の詳細は不明である。
 GT部分でも高いところでは、窯体の高さから3〜4mほどもある。その南側はさらに上がって最終的には6〜7mほどもある。しかもこの窯体から10数mほどは人為的な堆積層であることは明らかで、その先(南側)は急勾配で登る岩山である。だが、この部分を通した試掘溝を掘るためには、さらに広い幅で開ける必要がある。また、木々が生い茂っているため、その処理も考えなくてはならない。したがって、まったく当初予定していなかったことなので、今回は状況的にこれ以上掘ることは難しかった。

● おわりに



 今回の調査の状況をまとめると、以上のとおりである。まだ窯体部分で確認する必要のある事柄もあるし、物原部分は結論が出ていない。
 今回はこれで一旦掘削を終えて、来週は測量を行ない、調査を終了する予定である。残された問題については、今回の内容をさらに吟味し、来年度あらためて調査を行いたいと思う。

 なんとも歯切れの悪い調査だったが、これで、一応天狗谷窯跡の調査報告を終わりにする。



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