2022年
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12月
12月31日 大晦日
朝から肺が冷えてくしゃみが続けて出た、これから体調が落ちてきそうな気がする。
大晦日のケアは朝10時15分から、担当の訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMさんという絶好?のコンビ。 排便は木曜日から二日しか経っていないので出るかどうかが問題だけど、他は安心して任せられる。土曜日のケアは元々 訪問看護ステーションTの担当なのだが…大晦日は出勤しないということで訪問看護ステーションOのM看護師が代わりに 来てくれることになっていた。だけどM看護師が新型コロナの濃厚接触者として自宅待機になったから来られなくなって… その代わりにT看護師が来てくれるようになったのだ。
Mさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを取った後にお腹と脚のマッサージ、T看護師にお腹をマッサージして もらうと便意が強くなる。やはり上手い。その後二人で清拭、本当は今日は清拭はないと思っていたのだけれど… いつもより丁寧に清拭してもらった感じだ。そして問題の排便、1回目の液半分の浣腸で降りてきていた便が適度に出たし 2回目の残り半分の浣腸で残便と便汁とガスが出た。今日便が出たのはたぶんT看護師だったから、今日がT看護師で 良かった。
今年もまた1年生き延びた。

12月30日 リハビリが急遽休み
今日のケアは午前中入浴車・午後3時半前から訪問リハビリ(K園のM先生)…のはずだったのだけど、K園で新型コロナの 陽性者が出たということで今日がK園の職員のPCR検査日になったとかで訪問リハビリは急遽中止。今週はこんなの ばっかり。全国的に新型コロナの感染者が急増してるし、政府が気を緩めすぎたのではないか。まあ世界的な 傾向だから…。
午前10時過ぎからは今週2回目の入浴車、そして今年最後の入浴車。本当に1年間お世話になりありがとうございました。 今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とGさん・ヘルパーのMさんとKさん、F看護師がスタッフの 中にいると脚のマッサージをしてくれるからありがたいしG看護師もメインの役割をしっかり果たすようになった。 MさんもKさんも隅々まできちんと体を洗ってくれたし…今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
今日はお風呂に浸かった時もすごく熱いとは感じなかった、外がそんなに寒かったのか。この頃身体にはあまり寒さを 感じることが出来ない身体になってしまったようだ、身体の温寒機能がそれだけ弱ってきたのだろう。まあ肺が 冷えてるのは昔からよく分かるけど。お風呂の中ですぐに足し湯をしてもらっても胸にシャワーをかけてもらっても なかなか汗をかかなかった。もうそんな季節になったのだろう、だって12月も明日で終わりだもん。

12月29日 一日疲れた
木曜日の朝のケアは9時45分から、訪問看護ステーションOのK看護師が1人で来て「今日は一日私です、お願いします」と。 M看護師は今新型コロナの濃厚接触者扱いで自宅待機中、1人で来るのも仕方ないか。最初の洗顔は問題なさそう。 K看護師が洗顔している途中でK会のヘルパーMさんの顔がみえた時「今日の排便は無理だな」と思った、Mさんは真面目な いいヘルパーなのだけど看護師を引っ張っていくようなリーダーシップは持ち合わせていない。洗顔が終わってMさんが お湯を替えにいってる間にK看護師はお腹のマッサージ、おいおいお腹の真ん中(小腸)をマッサージしても便は下りては いかないだろうに。まあお腹を指で叩いたことによってガスは肛門の方に移動していったけど。次の背中拭きは ぎこちなさは感じたが問題なく済んだ。最後は問題の排便介助。まず摘便でK看護師曰く「コロコロしている便」を 取り出してもらったのだけどガスはほとんど出なかった。1回目の液半分の浣腸ではガスしか出なかったけど、摘便の後に 残り半分の2回目の浣腸をしてもらっら片手分くらいは出たという。その後摘便してもらって便汁は出たけど…僕にはまだ 便が残っている感じがしたのでもう1本浣腸してもらって残便・便汁とガスが出て、これでお腹もほぼすっきりになった。 ただひとつ気になることがあった。K看護師に摘便してもらうと肛門の上がだんだんヒリヒリするようになった、摘便の 時に親指がそこに当たっているからヒリヒリしてくるんじゃないかな、どういう手の形で摘便しているのか 分かんないけど。僕の排便のやり方を一つ一つ教えるのにも疲れた。
午後3時からは車椅子移乗、担当はK看護師と社協のヘルパーKさん。今日は木曜日だけど立つのはなし、まごまごしながら Kさんのリードで何とか車椅子に移った。思えば今日が今年最後の車椅子。車椅子は庭向きにしてもらった。モチノキは 依然として実は付きそうになかった。ツワブキの花の痕が一つ綿帽子になっていた。ツワブキはこの綿帽子で 増えるのだろうか。

12月28日 また濃厚接触者?
今朝気付いたのだが…ベッドに背中をつけたままの生活が続きそうだ。昨日背中がベッドから離れたのは朝のケアの際の 数回と重度障害者訪問介護のヘルパーさん(夜間)に左側臥位にしてもらった2回だけ、今日も背中がベッドから離れるのは 入浴車の時だけ。ALSになって以降こんなにベッドから離れないのは十数年前に肺炎で入院してた時と2年前胆石の手術で 入院した時ぐらいかな。体調が悪くなりそう、参ったなあ。結果から言うとやっぱり年末年始は入院しとけば良かった、 間違えた。今からの入院は無理かな?
重度障害者訪問介護のヘルパーのAさんも家族が新型コロナの陽性反応が出たということで濃厚接触者扱いに、そのため 今日の夜の担当を務めるはずだったAさんはしばらく休み、代わりの人も手配出来ないということで今日の重度障害者訪問 介護(夜間)は中止になった。これで僕の周りで濃厚接触者は同時期に三人、どうしたものか。やっぱり例年通り 年末年始は病院に入院してた方が良かった。「久しぶりに正月を息子達と一緒に過ごしたい、これが最後になるかも しれないから」なんてことを考えたのが間違いだった。
妻に手伝ってもらってようやく年賀状の印刷が終わった。これで僕の今年の役割も終わった。後は 除夜の鐘を聞けば僕の 今年の役目も終わる。

12月27日 変則の始まり
昨日からしばらくの間M看護師とリハビリのH先生は休みだからケアのスケジュールや内容が今日から今までと変わった。 まず今日のケアは洗顔・背中拭き・陰洗だけ、車椅子移乗と上半身の可動域運動・呼吸リハ(+4歩の歩行運動)がなくなった。 それにK看護師が(強制)独り立ち、まだまだ十分には解っちゃいないって感じがあったけどパートナーが社協のベテラン ヘルパーYさんだったから何とかなった。K看護師も責任感を表に出してる雰囲気はあったし…。金曜日?の訪問リハビリの ためにK園の理学療法士?Mさんも様子を見に顔を出した。僕はH先生の可動域運動がかなり激しく攻めてくれることを M先生に強調しておいたけど…。
火曜日のケアは簡単だけど…木曜日のケア 排便介助が今のK看護師に出来るかどうか。K看護師の指はびっくりするほど 短いから。

12月26日 T看護師はお腹のマッサージが格別上手
新型コロナの感染拡大がすごい。朝一番と夕方に連絡が入り訪問リハビリのH先生と訪問看護ステーションOのM看護師が 濃厚接触者になったと。二人とも同居している家族が新型コロナに感染して濃厚接触者扱いになったようなのだが…この 二人は僕の訪問の主力中の主力の二人、訪問のスケジュールの大幅変更・ボリューム・質とも低下することになった。 仕方ないけどね。
月曜日の朝のケアは10時半から。今日の担当看護師は訪問看護ステーションT、玄関の扉が開いてT看護師の声が聞こえた 時には「良かった」と正直思った。パートナーは社協のヘルパーSさん、Sさんももう慣れて何の心配もいらなくなった。 今日のケアは洗顔・清拭・排便介助、便意は朝はあまり強くなかったけど…Sさんが洗顔している間にT看護師がしてくれた お腹のマッサージで便意は結構強くなってきた。T看護師はお腹のマッサージがほんとに上手い。
さて問題の排便、最初の摘便でガスは出なかったけど便は幾らか摘れたらしい。そして1回目の液半分の浣腸で便が たっぷり出たらしい。それでもまだ残っている感じがしたのでもう一度摘便・浣腸(残り半分)を繰り返し残便を出して もらって洗って排便を終わった。これでお腹もほぼすっきり、でも便汁がガスと一緒に出る可能性を考えてお尻に尿取り パットを当ててもらうことにした。まあ結局便汁も出なかったけど。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とKさん。月曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってからもう一度ベッドに 横になりスライドボードで車椅子に移してもらう手順。二人に立たせてもらった時に右膝が折れそうになったけど、 二人がしっかり支えてくれたので持ち直して腰を伸ばすことが出来た。H先生とM看護師がいないということは立つのは 今日が今年最後だなあ。

12月24日 クリスマス?
今日はクリスマスイブ、だけど何年も長いとこ全然関係のない日だったから…僕の中にはクリスマスの言葉の欠片さえ なかった。
土曜日のケアは10時15分から。部屋の障子が開いて入ってきたのは今日の担当の訪問看護ステーションTのT看護師とK会の ヘルパーTさん、このコンビなら今日のケアは寝ていても大丈夫だけど…来週の月曜日の看護師は誰だろう、そっちの方が 心配だけど。今日のケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗、この二人なら簡単にこなせるメニューだけど時間内に終わるかが 問題だった。でも さすがT看護師とTさん、無事終わった。今日は穏やかな一日だった、 サンタクロースは来なかったけど(笑)。

12月23日 通院 中止
今日は通院日、のはずが 朝10時頃ケアマネージャーから「町の移動サービス(社協のリフト車)はタイヤがノーマルだから 県境の峠を越せないと思うので今日の通院を取り止めにしてほしい」と電話があった。僕は外の雪景色を見たかったから 断りたかったけど…この雪模様じゃあ仕方ないし そんなこと出来るはずもなく、渋々?了承した。それから対外交渉を ケアマネージャーと妻が担いしばらくして今日の予定が「10時半からヘルパーによる洗顔・陰洗・11時半から訪問リハビリ ・14時半から往診・16時からKMTec(蓄電器会社)訪問」と決まった。
午前10時半過ぎに社協のヘルパーYさんとFさんが来てくれてFさんは洗顔、Yさんは脚のマッサージをしてくれた。その後 二人で陰洗、ありがとうございます。
午前11時半からはH先生のリハビリ。まずはベッドの右端に端座位、端座位しながら庭を見た。華やかな色のない水墨画の ような庭。ただ よくよく見ると生垣の南天の中に赤い葉を付けた枝が1枝混じってた。端座位になるといつもと違った 視野で世界が見える、それが僕が端座位を好きなひとつの理由だ。次は立位運動3回。今日はベッドから立ち上がって腰を 伸ばす時の腰の感じが3回とも違った。1回目が腰が抜けそうな感じ、2回目が腰にそこそこ力が入る感じ、3回目は腰に よく力が入ってようやく立ち上がりやすくなった。お尻もH先生が指で押さえる所に力を入れ腰も伸ばそうと したつもりだ。最後は脚の可動域運動。今日も可動域運動は結構激しくて目的の部位が伸びて痛みは出たが、何とか 耐えられるぐらいの痛みだったので我慢出来た。今日の股関節の屈曲運動はまた大腿二頭筋がよく伸びていたけど… どこが違うのだろう。
午後2時半からはかかりつけ医T先生の往診、朝10時過ぎに急遽往診を依頼したのだろうがT先生は午後の往診の スケジュールを調整し僕の家にも立ち寄ってくださった。ただこの後のスケジュールがよほど詰まっていたのかバイタルを 取り胸を聴診してカニューレ交換をしただけで、いつものように妻と雑誌することもなく次の往診先に向かって逝った。 T先生は往診の日もお忙しいようだ。
そして午後4時からはKMTecの訪問。KMTecとは佐賀市を地元とする蓄電器を製作している会社である。この時初めて KMTecで僕のメールを担当しているHさんが女性だということを知った、道理でメール対応が早いはずだ。そして蓄電器の 簡単な説明を聞き「使ってみてください」ということでKMTecの蓄電器を置いて帰っていった。蓄電器の説明を聞いて僕は 尋ねたいことが幾つかあったのだけど…KMTecの方が僕のことはほぼ無視なのでやめた。僕が寝たきりなので「話しても 無駄」とでも思っているのか。それにしても「取扱説明書がない」と聞いた時には驚いた。

12月22日 久々にいっぱい出た
今日の朝のケアは9時45分から、朝からある程度の便意もあったしその便意も時間が経つに従ってだんだん強くなって きたし 排便の日としては絶好のコンディションになってきた。その上今日の看護師は初めから訪問看護ステーションOの Mさん、こんなに良い条件は滅多にない。初めは洗顔、看護師さんに洗顔してもらうのは今日木曜とお風呂の日だけだから 看護師さんがゆっくり僕の顔を見てくれるこの木曜日は大切にしなくちゃ。洗顔が終わって背中拭きの準備をしていた 時にK会のヘルパーMさんが来て二人で背中拭き、M看護師の背中拭きは今日も丁寧に そして背中の隅々・首まで拭いて くれるからとっても気持ち良い。
朝のケアの最後は排便、最初の摘便でガスはほとんど出なかったけど1回目の液半分の浣腸で下腹にたまっていた便はほぼ 出たと思った。だけど便汁がまだ残っている感じがして摘便と残りの液の浣腸をして、その後もう一度摘便で絞り出して もらったら1回目と同じくらい出たらしい。おかげでお腹もすっきり、月曜日の積み残し分の便も出て 久々にいっぱい 出たって感じがした。流石はM看護師、ありがとうございます。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師(午後も1人)と社協のヘルパーFさんの同郷コンビ。ただM看護師が20分近く 遅れてきたからゆっくり話す暇は今日はなかったけど。木曜日の車椅子移乗は一度立ってから、僕としてはまあ上手く 立てた方だけど…。車椅子はテレビも外も半分ずつ見える位置に座らせてもらった。外は雪が少し舞い始めていた。 今日は寒くなりそう。こんな日はモモがいたらと何度も何度も…何度も思う、僕の脚の間で眠っていたモモがいないと 本当に寂しい…。

12月21日 H先生の下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とKさん・ヘルパーのMさんと Fさん、僕が浴槽に浸って温もりながらの井戸端会議ではヘルパーのFさんが自宅で飼ってる犬の話を沢山してくれたし 写真も見せてもらった。こんな寒い日は浴槽に肩まで浸かってシャワーで胸にお湯をかけてもらっていてもなかなか汗を かかないし、お風呂からあがってベッドに横になってもパジャマがすぐに着れるようになった。これからもっともっと 寒くなる。十分に温まってからお風呂をあがらなくちゃいけないな。
午後3時半前からは訪問リハビリ、H先生の下半身の可動域運動と立位運動。最初の可動域運動はH先生の力加減の関係か 寒さが厳しくなったからかは分かんないけど傷みが早く来るようになって、その分我慢する時間が長くなった。まあ 何とか耐えることが出来ているから構わないし、そのくらい激しく間接を動かさないと僕の関節は固くなってしまう だろうけど。最後は3回の立位運動、今日の立位運動は色々な点でいつもと違うように感じた。まずH先生の立たせ方と 座らせ方、僕の太ももや膝の力を使わせるように変わった。それから踵が装具に常に付くような立位に変わった。たぶん H先生との距離が幾分近くなっただけだと思うが、この方が僕には腰を伸ばしやすい。もう一つ右足重心の時も左足重心の 時も腰を下に押すH先生の動き、以前はこの動きも加わっていたのだけれど…僕の調子が戻ってきたからかな。

12月20日 M看護師一人?
今日のケアは朝9時半から、ちょっと早めにパソコンを終わらせ看護師さんとヘルパーさんを待った。定刻ちょっと前に 社協のヘルパーFさんが来て洗顔開始。そして洗顔が始まってすぐに訪問看護ステーションOのM看護師が一人で来て バイタルを測り脚のマッサージ。あれぇ 火曜日はK看護師にケアを任せたい日でしょ、どうして一緒じゃないの。 なんだったらK看護師一人でも僕は構わないけど。それから二人で背中拭き、M看護師の背中拭きは「そこまでしなくて いいのに」と思うほどに丁寧、首や肩の隅々まで何度も丁寧に拭いてくれた。次の陰洗も丁寧に洗ってもらって問題なく 終わり最後に車椅子移乗、今日も庭を向いて座らせてもらった。外は良い天気、だけど庭には華が無くなった。南天の 赤い葉や実もまだまだのようだしモチノキの赤い実も今年は望めないみたい。寂しいな。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ、今日も車椅子に座ったままで左上半身の可動域運動と呼吸リハ。今日も肩の 内転・外転と肘と手の指の可動域運動の時にかなりの痛みがあったけど…極端に寒くなったからかな。次に4歩の 歩行運動でベッドに戻った。1歩目の歩先が違う方向を向いてる感じがしたけど4歩目にはちゃんとベッドに着いた。まあ 寒い割には順調だったと思う。ベッドに戻ってから右上半身の可動域運動と呼吸リハ、呼吸リハで下から胸を押されても 今日は背骨には変な感じはなかった。
午後2時半からは訪問歯科、今日も口の中をきれいにしてもらった後はマウスピース合わせ。先週持ち替えって調整して もらったおかげで左ほっぺの壁には当たらなくなったけど…左下一番奥のブリッジはまだ圧迫してるし、今度は 右ほっぺの壁に当たるようになった。上手くいかないな。それに「歯が疲れたような時にマウスピースを合わせてみて ください」みたいなことを歯科衛生士さんが言ったけど、それじゃマウスピースを作った意味がないんじゃないの。

12月19日 相性が悪い
月曜日の朝のケアは午前10時半から、玄関が開いて部屋に入ってきた社協のヘルパーKさんと特に訪問看護ステーション TのK所長の顔を見た時に「今日の排便は無理だな」と思った。Kさんが洗顔している間にK所長がバイタルを測ってから お腹と脚のマッサージ、ただK所長のお腹のマッサージは排便に効果があるようには思えなかった。次はK所長とKさんの 二人で清拭、K所長は僕が上半身を清拭してもらう時どうして熱めのタオルを胸に置いてもらうかその理由が解って いるのかという疑問が湧いた。拭き方も僕に合わないし 相性は悪いままだった。
最後は問題の排便介助、K所長の摘便はやはり痛いだけだった。だから摘便は諦めて浣腸液2本を使って3回浣腸し便を押し 流し出すしかないと考えた。1回目の液半分の浣腸でガスだけ出て(直前の摘便ではガスも何も出なかった)、2回目の残り 半分の浣腸で片手分出て、もう1本の浣腸でもう片手分弱ぐらい出たらしい。だけどまだ便汁がたくさん出そうな気が したからおむつを当ててもらった(結局出なかったけど)。ほんとK所長とは相性が悪い。

12月18日 久しぶりに雪が積った
今朝重度障害者訪問介護のヘルパーさん(夜間対応)が「外は一面雪」と教えてくれた。僕は「雪が積ってる」と聞いただけで ワクワク、妻が来た時に「写真を撮ってきて」と頼んだ。1年前の年末年始も入院してたからよく分からないけど、確か 去年は一度も雪は積もらなかったはずだ。「雪が積もっている」と聞くのも久しぶりで何となく嬉しかった。
午前11時半頃から妻が僕のケアに取りかかってくれた。妻のケアは一人でやってくれているにしてはかなり具沢山で 丁寧だ。洗顔・歯磨き・胃ろうガーゼ交換・手足拭き(結構激しくて痛い)・陰洗、これで1時間弱 本当にありがたい 感謝。 僕は一週間の中で妻がケアしてくれる日曜日のこの時間が一番好きかもしれないな。

12月17日 昼から熱発
土曜日のケアは朝10時15分から、今日の担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMさん。玄関が開く音が してT看護師の声が聞こえた時にはちょっと安心したけど…月曜日はまたT看護師が来てくれるのか気にはなった。今日は 新しく訪問看護ステーションTに加わったN看護師が同行していた、早く僕固有のケアに慣れてくれればいいけど。 T看護師とMさんのコンビは息も合ってて洗顔・清拭・陰洗は何の問題もなく終わった、僕がいっぱい話かけたこともあって 20分ぐらい時間オーバーした。申し訳ない。
昼過ぎから少しずつ身体が熱っぽくなってきたような感じがして夕方4時過ぎに体温を測ってもらったら37.6℃、初めは 午前中の清拭の時に身体が冷えたのかと思っていたのだけれど…どうやら昨日注射した5回目の新型コロナのワクチン 接種の副反応のようだ。僕にとって37.6℃の熱というのはいつもなら息苦しくなってもおかしくない体温なのだが、 今日はさほど息苦しさは感じなかった。それに解熱剤を服用した後汗がもっとどばどば出る感じがしていたのだけど… 結局汗はお湿り程度しか出なかった。3回目の副反応に比べて今回が良かったのは腰の関節が 痛くならなかったことかな。

12月16日 5回目の新型コロナのワクチン接種
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのIさんとKさんで G看護師のメイン役ぶりもかなり板に付いてきた。今日は大分冷えていたようでお湯に浸かった時もほとんど熱くは 感じなかった。だから今日は始めから足し湯をたっぷりとし胸にシャワーもいっぱいかけてもらって温もった。今日僕を 囲んでの女性群の井戸端会議の話題は天気の話、「日曜日は雪が降るの?」「水曜日には雪が散らついていたけど 気付かなかった?」「一日中家から出なかったでしょう」等という会話が飛び交っていた。そういえば訪問リハビリのH先生が 水曜日の午後のリハビリの時に「雪が降ってましたよ」って言ってたな。お風呂の時に会話があると場が楽しくなる。 今日も楽しいお風呂をいただきました。
午後2時前にかかりつけ医T先生が往診に来てくれて5回目の新型コロナのワクチン接種とカニューレ交換。今回の5回目の ワクチンはオミクロン株対応ワクチン、注射を射つ時も液を注入する時も今年のインフルエンザのワクチン接種並みに 痛かったし注射の痕にはしばらく強い痛みが残っていた。ただ今のところ副反応は出てない。副反応が出たのは5回のうち 3回目のみ、それをラッキーと言うべきか年を取った証拠と見るべきか(笑)。
今日のリハビリはH先生のお子さんが体調を崩して世話をしなければならないということで休み、お子さん思いのH先生 仕方ない。

12月15日 木曜日のケア
木曜日の朝のケアは9時45分から、訪問看護ステーションOのM看護師は10分ぐらい遅れてきてすぐにバイタルを測り背中 拭きの準備。そこへK会のヘルパーFさんが来て二人で一緒に背中拭き。そして排便、お腹は朝からぐずぐず言っていて 便は柔らかそうな感じがした。思っていた通り最初の摘便と浣腸で下りてきていた便+αが出た。それでもまだ便汁や ガスか何かが残っている感じがした。それも残り半分の浣腸と摘便で便はほぼ出た。今日は便も出てスッキリ、やっぱり 今日ぐらい軟らかい方が楽だな。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーKさん。木曜日の車椅子移乗は一度立ってから再びベッドに 横になりスライドボードで車椅子に移してもらう手順、最近立つ時に看護師さんとヘルパーさんに脇とお尻を持ち上げて 立たせてもらうのだがこの頃立つ動作に安定感があるのが嬉しい。車椅子からベッドに戻る時の担当はK看護師とKさん、 まだスライドボードを使った移乗の要領を理解出来てないからM看護師に手伝ってもらっているけど…火曜日のケアと 木曜日の車椅子移乗くらいはヘルパーさんと二人だけで出来るようになってくれないと困る。そうしないとM看護師が 忙しすぎる。

12月14日 入浴車
午前10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とYさん・ヘルパーのMさんと Kさん。お風呂に入った瞬間はお湯はちょっと熱めに感じたけどすぐに肌にも慣れて足し湯が必要だと感じた。お風呂に 入った時はスタッフの間に会話は無くてAちゃんがいないとやっぱり井戸端会議は始まらないかと思っていたけれど、体を 洗った後お湯に浸かって温まっている時にFさんがテレビドラマの話を持ち出して楽しませてくれた。結構温もってから お風呂からあがったのだけどベッドでは汗は出なかった。今日も楽しくて気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。最初に脚の可動域運動。股関節の屈曲運動の時は今日はまた大腿二頭筋が 伸びていた、膝の角度の違いだと思うけど。脚をH先生が持ち上げての膝の裏伸ばしは今日もH先生の二分弱の痛みに 耐えれた。ただ踵の可動域運動では痛みのために足が震えて今にも「痛い」と歯ぎしりしそうなほどだった。次の 立位運動のためにH先生が右脚に装具を付けている時に「右足の装具の踵が少し浮いている」ことは分かっていたのだが、 看護師さんの時は踵が少し浮いているくらいなら立てば踵が装具に収まって問題がなかったものだからH先生もきっと そうなると思い込んでいた。ところが実際に立ってみると小指が曲がってしまい痛くて我慢出来なかった。それで2回目 立つ前に小指を伸ばしてもらった。痛みが無くなって2回目-3回目は頑張れたけれど、H先生の時だけどうして小指が 曲がったのだろう。考えられることはひとつ、H先生は指の所もしっかり締めるから。やっぱり気になったところは 言わなくちゃいけないな。

12月13日 独り立ちの準備?
火曜日のケアは朝の1時間、担当看護師は訪問看護ステーションO。社協のヘルパーYさんが先発で来て洗顔、少し遅れて K看護師が着いてバイタルを測って脚のマッサージ。そして二人で背中拭きを始めようとしているところにM看護師が 休みなのに心配で様子を見に来た。K看護師の側臥位はまだもう一つ、拭き方や力加減は大分よくなったけれど…。 その後は陰洗、これは時間は少しかかったが何の問題もなかった。最後の車椅子移乗は??? まだ経験不足が至る所に 出ていた。まあその内慣れてくると思うけどそれまで何回かかるか、なにせ経験がものをいう世界だから。早く火曜日の ケアに慣れてほしいものだが。
車椅子は庭向きにしてもらった。モチノキの葉っぱ群はやけに小さく見えて…相変わらず貧弱なまま、こんなに葉っぱが 少なくちゃこの冬に赤い実が付くのはもう無理だろう。黄色い花が落ちたツワブキの茎だけがやけに目についた。午前 11時前からはH先生の上半身のリハビリ、今日も車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動。H先生が「庭の黄色い 花がなくなりましたね」と、もうとっくにひと月ほど前に散っていたのに今さら…。肩の内転・外転や肘と手の指の 可動域運動はやはり結構な痛みがあった。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動では4歩目のターンの時に少し不安定な感じを 持ったが…膝が折れないように踏ん張った。ベッドに戻ってから右上半身の可動域運動と呼吸リハ、呼吸リハで下から胸を 押された時にまた背骨が痛む気配がしたが…無事だった。前回背骨が痛んだ原因が分かってないから 気になった。

12月12日 僕の心にT看護師の方が余裕がある
今日のケアの担当は訪問看護ステーションT、思っていた通りT看護師で今朝から便意が結構あったので「今日は大丈夫」と 安心した。パートナーは社協のヘルパーSさん、復帰してまた僕の所に来るようになって大分慣れてきたようであんまり 心配することもなくなった。いつもの様にSさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを取り そしてお腹と脚の マッサージ。それから二人で清拭と排便介助。清拭はT看護師の方がやっぱり気持ち良いしケアを受けてても安心出来る。 排便は1回目の摘便と浣腸で下りてきている分+αが出たけどあと一塊残っている感じがした。便を押す力がないからか あと一塊を出すことが出来ない、最近はだいたいこう。腹筋が強くなったら出ると思うけど。僕でも何か腹筋を強くする 方法がないかなあ、EMSマシンを使って見たいんだけど。

12月11日 妻は今日もお出かけ
朝10時過ぎから妻は部屋々に掃除機をかけてそれから僕のケア、今日はケアを始める時間がやけに早いと思っていたので 「今日何かあるのか」と聞いてみたら「午後から出かける、昼から重度のヘルパーさんが来る」「僕が案内を渡した講話を 聞きに行く」とのこと。そして午後1時過ぎ重度(障害者訪問介護)のヘルパーさんが着いた後妻は出かけていった。妻が 留守の間に僕がしたことは年賀状の住所録の修正・ヘルパーさんに手伝ってもらって喪中はがきのチェック、それと 交代したヘルパーさんに手伝ってもらってプリペイドクレジットカード30,000円分の手配。良いネットワークカメラ(防犯 カメラ)で外の景色を見たいんだけど…。あと欲しいものは ツバメには大丈夫カラスだけ逃げる「カラス撃退グッズ」かな。 今年は年賀状を考える気になかなかならない、どうしよう。それに最近重度のヘルパーさんとがずっと長い時間一緒に いることを目一杯自覚した。これってどうなの。

12月10日 K所長のケア
土曜日の(朝の)ケアの担当看護師は訪問看護ステーションT、定刻の10時15分少し前に玄関の開く音がしてK所長の声が 聞こえてきた。やっぱりかとちょっとがっかりはしたけど…次の月曜日の担当のことを考えるとこの方がいいかと 思い直した。ペアはK会のヘルパーFさん、「このコンビに何かを期待するのが間違い」と最初に覚悟した。もっとも何事も なく時間通り無事終わりさえすれば十分なのだけど、別にFさんがどうのこうのという話じゃないので少し可哀想かな。 このコンビのケアなら僕を腹立たせなければそれでよかったのに、清拭の時に「どうしてあんな拭き方しか出来ないのか、 自分の体もあんな風にちょこちょこ短い距離で拭くのか」とついまた思ってしまった。気持ちの良い清拭なんて期待して いなかったはずなのについ…。時間通り終わったのだから満足しなければならないのに…つい上を望んでしまう。 欲張るな。

12月9日 通院日
今日は通院日。午前11時半前社協のヘルパーFさんが来て洗顔開始。10分ぐらい遅れてYさんが来て脚のマッサージ。 その後すぐに訪問リハビリのH先生が着いてまず玄関にスロープを設置してくれてYさんと一緒に脚と頸に装具付け。 それからH先生が僕を一度立たせてからそのまま車椅子に座らせてくれた。そして妻に吸引してもらって外に出た。今日は 良い天気、絶好の通院日和。隣の家の庭にピンクの山茶花の花が咲いているのが見えた、山茶花は12月の花だ。
正午過ぎにリフト車に乗り込んで家を出た。病院までの道中から見える山では黄葉はあっても紅葉はほとんど残って いなかった、もう赤い葉っぱはほぼ散ってしまったのだろう。毎年こうだったのか、思い出さない。ただ県境辺りに1本 鮮やかな赤に彩られた木が見えた。それに隣町波佐見に入ってから時々庭木に花は付いているのも見えた、どんな花か よくは見えなかったけどこの時期の花なら山茶花だろうと思った。山も路傍も田んぼもほとんどの風景が冬の装いに なっていた。しかし…川棚役場の後ろのお寺の大きな公孫樹だけは黄色の葉の中にうっすらと緑が残っていてまだ秋、 不思議だ。
病院に着いて玄関でリフト車を降りたら今日も二人しかいない待合室の入り口で検温してから救急処置室に入った。 救急処置室で車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを測ったら今日はまず採血、そして血液検査の結果を 待って主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)。主治医から血液検査の結果についての話は何もなかったから異常は なかったのだろうし 来年の1月6日からの入院も正式に決まったし…それで今日は終わりだと思っていたのだけれど、 最後に主治医から「皮膚科は今から?」という言葉が出たので僕は「今日皮膚科の診察もあるのか」と思ったが…実は首の でき物の生検をするたもの承諾書を書くための面談とのこと。またしばらく待たされて妻が皮膚科との面談に行っている 間に僕はストレッチャーから車椅子に移してもらいリフト車に乗り込んだ。その時に玄関前の池を見たら今日も亀が1匹 甲羅干しをしていた。家に着いて部屋に入り時計を見ると午後2時50分、病院での待ち時間が多かった割に早かった。
僕が家に着いた時にはH先生はもう来ていたようですぐにリハビリ開始。最初に4歩の歩行運動でベッドに戻ったのだが 3歩目の右足重心の時に右膝が折れてH先生に体勢を立て直してもらった。これは歩幅が広くて右客で踏ん張りきれなかった のだが 調子は悪くなかった。こんなこともあるさ。ベッドに戻ってからは脚の可動域運動。まず股関節の屈曲運動、 今日はお尻の筋肉がよく伸びていた。次は膝の裏伸ばし、膝の裏はもちろん伸びているけどこれも他に伸びているところが 水曜日とはちょっと違う感じがした。最後の踵伸し、今日はかなり激しかったけど…あのくらいじゃないと特に僕の足の こうはどうにもならないだろう。ただ我慢 耐えるのみ。

12月8日 K看護師にやってもらおう
朝のケアの時に最初に僕の部屋に顔を見せたのは訪問看護ステーションOのK看護師、「Mさん(看護師)は後で来る」と 言ったが時間は当てにならない。それで不安は大いにあるけど…今日はK看護師に行けるところまでやらせようと決めた。 最初の吸引と洗顔は問題なしとは言わないが合格レベル。K看護師が洗顔している時にK会のヘルパーMさんが着いて色々 教えていた、こんな時のMさんは本当に頼りになる。Mさんが背中拭き用のお湯に替えに行っている間にK看護師にお腹の マッサージを頼んだがK看護師が最初にマッサージし始めたのは胃の辺り、そこじゃ便もガスも下には移動しないだろうと 「もう少し下の方を」と促した。が マッサージそのものは「上手い」と思った。K看護師の背中拭きは力加減は僕好み、ただ 左側臥位しているから拭きにくいだろうけど左側の肩や首まできちんと拭いてほしかった。
いよいよK看護師で一番不安な排便介助、まず「(左側臥位で)摘便してガスを出して」と言ったのだけどぐずぐず考えて…、 そこへM看護師が来てK看護師と交代。不安だけどK看護師にもう少しやらせたかったかな。M看護師は「K看護師はやる気が ある」と言うが僕にはそこまでは見えない。排便は流石M看護師でほぼ出してもらってお腹はすっきりになった。
午後3時からは車椅子移乗、先に来た社協のヘルパーKさんの第一声は「今朝は霜が降りて真っ白でしたよ」。そして脚の マッサージ。そこへ家の電話が鳴って…妻から「(M看護師から)あと10分ぐらいかかると連絡があった」と言伝。それで Kさんに脚の装具も付けてもらった。その後すぐにM看護師が到着、二人に頸の装具を付けてもらって車椅子へ。木曜日の 車椅子移乗は一度立ってからスライドボードで車椅子に移動。二人に立たせてもらった後でM看護師がお尻の支えの手を 外したら前のめりに、姿勢を少しも保つことが出来ないのか 情けない身体だ。

12月7日 H先生の下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーはMさんとFさんの今ではまあ安心 出来るカルテット。今日は寒かったようで最初からガンガン足し湯、全身を洗ってもらった後は胸にシャワーをかけて もらって十分に温まってからお風呂をあがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域運動。今日もH先生は可動域運動でかなり激しく攻めた。 股関節の屈曲運動では股関節だけではなく大腿二頭筋の上の方が伸びていて、結構な痛さも出たけど50も数えないうちに 終わったから我慢出来た。膝の裏伸しは100以上数えるまでと今日は長め、大腿二頭筋の下の方が伸びていた。H先生の 今日の踵伸しは強め、何とか耐えた。3回の立位運動の調子はまあまあかな、膝にも腰にも力が入ってある程度スムーズに 立てたと思う。ただ最近ずっと立って左足重心になった時に左膝がブルブル震えるのにはどうしたものか。

12月6日 寂しくなった庭
火曜日のケアは朝9時半から。そして今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーFさん、昨日は M看護師が「後でK看護師が来る」と言っていたけど別のお宅の訪問に回ったのだろう。せめてK看護師が火曜日のケアを 担当出来るようになってくれればいいのだが。今日もFさんが先に来て洗顔を担当、M看護師は少し遅れてきてバイタルを 測ってから脚のマッサージ。それから二人に背中拭きをしてもらったのだけど痰の横漏れでシャツの右肩の所が濡れて いたので上着も換えてもらった。その後陰洗と車椅子移乗をしてもらったのだけど…着替えをしてもらったから少し時間 オーバー、申し訳ない。車椅子は庭向きにしてもらった。庭にはツワブキの花が枯れかすがいっぱい見えたけどこれって どうやってなくなるんだっけ。モチノキの葉っぱは今でも寂しいまま、これであとひと月もしたら本当に赤い実が 付くのか。心配だな。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで左肩・腕・肘・手の可動域運動、相変わらず肩の 内転や外転・肘・手の指の可動域運動は厳しいけど耐えられた。肘を引っ張りながら伸ばされた時に変な痛みがあったけど あれは何だったのだろう。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は3歩目にちょっと違和感があったけど身体を前に押す 気持ちはあったし まあまあだな。
午後2時半からは訪問歯科。歯科衛生士さんが新しいマウスピースを持ってきた、上の歯全部をカバーするものでバリは 取ってあった。音が出せないマウスピースを何故?、「付けたり外したりして」と歯科衛生士さん。それで意味があるの。 マウスピースを外した後もしばらく左側の歯茎が痛かった。この新しいマウスピースも合ってないなあ。

12月5日 排便日なのに便が出ない
朝から鼻詰まり感があって息苦しさを感じたのは気分的なものなのか。でも人工呼吸器を着けている僕がどうして 鼻詰まり感を感じるとのいうはどういうことなんだろう、空気が鼻を通ることなどもうないのに。
今日月曜日のケアの担当看護師は本来訪問看護ステーションTなのだが所属事業所の施設で新型コロナの感染者が複数 出たということで休み、代わりに訪問看護ステーションOのM看護師がまたもや来てくれた。月曜のケアは午前10時半から、 定刻の5分前に社協のヘルパーSさんが来て洗顔準備。少し遅れてM看護師とS看護師(同行)が着いてバイタルを測った後 脚のマッサージ。それからM看護師とS看護師で清拭、Sさんはタオル交換を担当。最後の排便介助はM看護師とSさんで S看護師は見学、ところが便が下りていていなくて…全然出なかった。排便日なのにこんなに出ないのは始めて、昨日 ちゃんとラキソベロンも13滴服用したのに朝から便意がなくて いつもと同じように摘便も浣腸もしてもらったのに。 やっぱり一昨日の夜 下痢しそうな気がしてラキソベロンを5滴服用しなかったのがまずかったか。それで「(便が)出そうに なったら電話するので、夕方遅くなってもいいから来て」とM看護師に頼んで午前のケアを終わった。
ところが昼の経管栄養を落としている途中で強い便意が襲ってきてお腹が痛くなり便汁がこぼれ始めた、まあ固い便が 詮になって本流は出したくても出せなかったけれど。便意が少し落ち着いた夕方近くに妻を呼んで「Mさんに来てと言って」 と頼んだ。
忙しく働いていたM看護師が僕の家に来たのは夜10時近く、それから重度障害者訪問介護のヘルパーさんと一緒に 排便介助(摘便と浣腸)。これによっていっぱい出たようでお腹もほぼスッキリ。これでゆっくり眠れそうです、 ワールドカップvsクロアチア戦も見ずに寝ます。M看護師 ありがとうございました。

12月4日 今日は肺が変
今朝明け方起きた時から肺が冷えたようになっていて寒くて手足も冷たかった。やがてくしゃみが何回も出るように なったので重度障害者訪問介護のヘルパーさん(日曜日は朝7時半まで1時間半延長)に「朝の経管栄養を早めに落としたいと (妻に)伝えて」と伝言、そして経管栄養の途中から「肺が変」と感じるようになった。変とはどういうことか、今息苦しい 訳ではなく肺が少し重い感じ・今から風邪ひきそうな気がするって言うのかな 嫌な気になる感じ。この嫌な感じは夜まで ずっと消えなかった。そういえば昨日の夜は痰の切れが悪かったけど…あれは前兆だったのかもしれない。

12月3日 施設優先の方針?
二週間ぶりに訪問看護ステーションTがうちに来た。今日の担当看護師のK所長も濃厚接触者として何日か自宅待機してた と聞いている。K所長によると「施設の入所者が4人+職員が1人新型コロナに感染した、来週中には落ち着くと思う」との こと。僕は「それはクラスターじゃないか」と思いつつも「施設の方が人手不足になっているから(訪問)看護師が施設の方に 応援に行ってる」と聞いていたから、訪問看護を休ませてまでも居宅施設を優先する方針の事業所なんだなと。だから僕が K所長にかけた言葉は「施設優先ですか」、それに明後日の月曜日も訪問看護ステーションTが来られないで訪問看護 ステーションOのM看護師が来ることが前々から決まっているのにも何か納得のいかないものがあって…。まあ訪問看護 ステーションTはずっと開いていて またはもう再開してて行ける所だけ行って僕の所には来てないだけかも しれないけど。
こんな気持ちでケアを受けるのだからケアが楽しかろうはずがない。ずっと「早く終われ」と思っていたが…K所長とK会の ヘルパーFさんのコンビにしてはまあ上手くいった方だ、一応合格点。それにしても二人とも文字盤がちっとも上手く ならない、K所長の方がより下手だけど。

12月2日 入浴車
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とGさん・ヘルパーの FさんとKさん。今日の井戸端会議の話題は当然の流れでワールドカップサッカー 日本vsスペイン、サッカーのルールも 知らなそうなおばさん達が強豪スペインに勝利したということを単純に喜んでいた、大方の予想が「日本はスペインには かなわない」というものだったから。僕もドイツ戦に続いて奇跡が起こることはないと思いながら見てた方だから。ただ この世代は世界に対して恐れがないのも確かだ。今日の井戸端会議の中で僕が一番印象に残ったのがF看護師が言った 「知ってる顔は吉田麻也と長友だけ」、実は僕も同じなのだ。名前はF看護師より知ってはいるが顔を見ても一致しない。 こんな楽しい話をしながら気持ちの良いお風呂をいただきました。
昼の経管栄養を落とししばらく休んだ後午後2時からかかりつけ医T先生の往診、そして午後3時過ぎからH先生の訪問 リハビリ。最初は妻とH先生に頸と脚に装具を付けてもらいベッドの右側端に座らせてもらって端座位の姿勢、端座位で H先生に肩や背骨にリハビリしてもらいながら窓の外を見ると庭の景色がすっかり寂しくなっていた。やっぱり華やかな 色がないとこの庭は水墨画になる。次は3回の立位運動、調子はまあまあだったかな。立位運動の後にH先生に「左脚によく 力が入ってる」と言われたが、それは最近立位運動で左足重心になった時に左膝が膝折れするような気がしているし 左膝がブルブル震えるので力を入れざるを得ない。最後は脚の可動域運動。今日は全体的にH先生の力加減がいつもより 優しく感じたが…気のせい?

12月1日 最後はまだM看護師
朝のケアの担当はM看護師、驚いたことに今日は10分前着いた。こんなことは滅多にないから僕は大慌てでパソコンを 終わらせた。それにM看護師<の言ってた通りK看護師は少し遅れて 5分遅れで着いた。それから脚をマッサージする M看護師の見守りの下でK看護師がバイタルを取ってから洗顔を始めたが この辺りに自分が自分がって感じで前に出て来る 積極性があればもっと伸びるんだろうけど、ほんと腕も細くておしとやかって感じ。K看護師が洗顔が終わる前にK会の ヘルパーMさんが着いて…Mさんはいつも早めなんだなよな。それからM看護師指導の下でK看護師とMさんの二人で 背中拭きと排便介助、僕はほとんど左側臥位だから誰がどこまでしたか分からないけど…泥状便なのに最後まで出すことが 出来なかった(便が残ってる)感じだったので最終的にM看護師に摘便で絞り出してもらって排便を終えた。 木曜の朝のケアは最後はM看護師がいないと難しいな。
午後3時からは車椅子移乗、社協のヘルパーFさんが定刻5分前に来て脚に装具まで付けて待っていたけどなかなか来なくて …M看護師の指示で帰った。30分以上遅れてM看護師とS看護師が着いて、頸に装具を付け僕を一度立たせてからもう一度 僕をベッドに横にしスライドボードで移動させ車椅子に座らせてくれた。S看護師は車椅子移乗は何もかも始めて、 だけど立った時の支え方も安定感があった。はっきり言っていいのなら僕の訪問看護は…。


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11月
11月30日 訪問リハビリ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーはMさんとFさん、Gさんは 見ていてももう慌てることもなくなったしメインの役をきちんと果たしている。わずかひと月でここまで僕を安心させて くれるようになるとは思っていなかったから…たいしたもんだ。急に寒くなったから今日は湯船に浸かっていても中々 汗をかかなかった。胸にたっぷりとシャワーをかけてもらってじんわりと汗をかいた程度、これからはこんなことが 続くんだろうな。まあ胸にかけるシャワーが長い分時間がかかるかもしれないがお風呂からあがっても汗をかかないし その分でトントンか。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初は脚の可動域運動。だけど最近全般的にH先生の厳しさが戻ってきてる みたい、特に踵と足の甲。まああのくらい強くやってもらわないと僕の足の指屈は酷くなるいっぽうだから 我慢我慢。 それから3回の立位運動。H先生僕の腰がスムーズに伸びるように立たせてくれているから今日も調子良かった。以前は僕の 太ももを使わせようとする動きから始まっていたので僕にはかなり厳しかったし体力も使った。今のH先生は腰をきちんと 伸ばすことによって得られる体幹やお尻の後ろの筋肉・大腿二頭筋を使わせることに重きがあるようだから、ベッドから 立つ時は少し楽をさせてもらっている。
夕方ものが届いた。見せてもらったけど…カチが理解出来ない僕にはその良さがあまり分からなかったが、妻は喜んで くれてると僕は想像している。これでまたひとつモモが迎えに来てもいい用意が整った。

11月29日 僕は厳しくいこう
火曜日のケアは朝9時半から、いつも社協のヘルパー(今日はYさん)が定刻5分前に来て洗顔準備。一方訪問看護 ステーションOはだいたいヘルパーさんが洗顔している途中で来てバイタルを測り脚のマッサージ。それから看護師さんと ヘルパーさんの二人で背中拭き・陰洗 それに車椅子移乗、M看護師はこの火曜日のケアをK看護師に任せたいようなのだが… その割にはM看護師の指導の仕方がやけに優しいのだ まるで何かを怖れているかのように。だから僕は何か不都合を 感じたら指摘しようと決めた。今日指摘したのは二つ、「背中の拭き方」と「側臥位している時の上半身の傾き角度」。 K看護師は押すように拭く、だけどそれは僕は拭いてもらっているという感じがしない。僕はタオルを掌大に広げ、大きく そして力強く掌を動かして欲しいのだ。側臥位している時も腰から下はベッドに対して90゚近くになっているのに肩の線は 斜めで中途半端。中途半端だと息苦しいから上半身もベッドに対して90゚にして欲しいのに。
車椅子移乗はスライドボードで移動、M看護師はスライドボードで移動する場合の注意点をK看護師に色々教えていたが、 K看護師はきちんと理解し手順を覚えているのか。K看護師の性格的なものが良いってことは顔によく出ているんだけど 理解出来ているかどうかは分かりづらい顔なんだよね。今日も車椅子は庭向きにしてもらった。庭のツワブキは黄色い 花びらがすっかり落ちて枯れて…庭もさみしくなっていた。モチノキの葉っぱは相変わらず貧弱、これでこの冬赤い実が 付くのかと思って妻を呼んでそう言ったら「私はしらない」とつれない返事。でもその後外に出てモチノキを見上げていた。 モチノキには何か変化はあったのだろうか。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まず車椅子に座ったままで左上半身の可動域運動。いつも通り可動域を強く 広げてもらうと肩・肘・手の指関節は痛んだけど、今日は肩の内転と肘の可動域運動がいつもより痛かったかなあ。だけど 脱ぎ着が楽に出来るようになるためだから少々の痛みは我慢、そう思って耐えている。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は 1〜3歩目は上手く歩けていたと思ったけど4歩目は怪しかった、体重をかける方向が少しおかしかったか。右の上半身を 車椅子に座ったままで可動域運動してもらっていた時はどういう感じだったかな、もう忘れてしました。呼吸リハで胸を 押してもらっても今日もほとんど背骨は痛くなかったし…本当にあの痛みはなんだったのだろう。
午後2時半からは訪問歯科、ここで歯科衛生士さんがマウスピースの具合を見ることが分かっていたので朝から マウスピースを着けてもらった。そうしたら口の右側がどんどん痛くなってきて 口の中の右の壁やら右上の糸切り歯の上 それでも歯科衛生士さんが来るまで我慢して診てもらい、いろいろ修正しながら会わせていたが 最終的に持ち帰った。 マウスピースはほんとに着けなくちゃいけないの。

11月28日 訪問看護休み
今日訪問看護ステーションTで新型コロナの濃厚接触者が出たとかで訪問看護は休み、代わりに訪問看護ステーションOのM 看護師が「社協のヘルパーに洗顔と清拭を依頼する」と聞いていたのだが…朝のうちに社協から電話があり「洗顔と陰洗しに ヘルパーが行く」と、そして定刻に来たのがSさん。僕はSさんを見た時に「今日は洗顔しか無理だな」と諦めたけどSさんが「 後でもう一人来る」と、それで現れたのがFさん。FさんはSさんが洗顔している間は脚のマッサージ、それからFさんの 指揮の下二人で陰洗。僕はFさんなら出来るところだけでも清拭して欲しかったけど、「時間がない」とのことで言い出しも 出来ず…。お疲れ様でした。
午後2時からは訪問歯科、歯科軍団がマウスピースを合わせに来た。難しかったと思うがマウスピースを切って削って僕の 歯ぎしりでマウスピースを着けててもまた音が出るようにしてくれた。でも口の中は違和感でいっぱい、それに唾液も 口の中にいっぱい溜まるようになったし。ついには夕方痛くてマウスピースを外してもらった。このマウスピースに その内慣れるのかなあ。

11月27日 妻 外出
妻が所属している町?のママさんコーラスの発表会があるということで妻は朝10時過ぎに外出、妻が留守の間は妻が予め 手配しておいてくれた訪問看護ステーションOのM看護師と重度障害者訪問介護のヘルパーAさん・Fさん(夜間)がリレーで 対応してくれた。
M看護師は午前10時前〜午後2時、ケアと昼の経管栄養を担当してくれた。M看護師に着く直前に連絡が入り「明日も訪問看護 ステーションTは訪問看護に対応出来ない」と、訪問看護ステーションTに僕の訪問看護を月曜と土曜に引き受けてもらう 時に「行けない際はM看護師が対応する」という口約束があったと聞いてはいるけど…もう半年以上経つのだから僕が 訪問看護がTの属する組織では軽く見られてるという気がした 組織の中で新型コロナウイルス感染者の集団?複数?発生と いう事情は分かるし仕方ないのかもしれないけど。明日はM看護師が来られないということでケアのメニューも大きく 変わった、洗顔・清拭・陰洗に排便介助が追加。孤軍奮闘・流石M看護師、一人で頑張ってくれて便もたくさん?出たとのこと。 僕の中の信頼感が違うのかな。
午後2時〜8時までは重度障害者訪問介護のヘルパーAさん、Aさんには体交と手・脚・首のマッサージ それに夜の経管栄養と 見守りをしてもらった。一昨日ちょっともめたけどAさんは基本的には真面目で一生懸命、不器用で運動オンチな面も あるが性格がカバーしている。妻は夕方一度帰ってきたが「今から反省会があるから」と嬉しそうな顔をして?また 出かけていった。妻がいつ帰ってきたかは ??、僕の部屋には顔を出さなかったから。
午後8時〜翌朝6時までは重度障害者訪問介護のヘルパーFさん、これは通常勤務。サッカー日本がコスタリカに負けた、 やばい!!

11月26日 またもや代打
朝訪問看護ステーションOのM看護師から電話があり「今日訪問看護ステーションTのKさん(所長)が新型コロナウイルスの 濃厚接触者に引っかかり行けなくなったから代わりに私が行く」と連絡があったそうだ。仕方のないことだけど…、確か M看護師は「今日は休み」と言ってたはずなのたが またかって感じ。
朝定刻の10時15分のちょっと前に自動車の止まる音が聞こえて、K会のヘルパーMさんが僕の部屋に顔を見せた。僕は パソコンをシャットダウンさせようとして焦っているところだった。それから間もなくしてM看護師が着いてケア開始。 今日のメニューは洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コース、この二人なら安心して任せられるし時間内に終わるはず。まず Mさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを取り脚のマッサージ。そしてここからが二人の共同作業。最初は洗髪、 M看護師に洗髪してもらうのはいつ以来だろう、力強くて気持ち良い。次は清拭、M看護師もMさんも力加減が強めで僕には 丁度いい。最後の陰洗も丁寧にやってもらって…時間を少しオーバーして終わった。M看護師 今回も代打 ご苦労様でした。
午後2時過ぎに妻は「明日のリハーサルがある」とお出かけ、留守の間は重度障害者訪問介護のヘルパーさんが来て対応して くれた。妻に楽しみがあることはいいことだろう、結婚して間もなく僕がALSという不治の病に罹り苦労しっぱなしの 人生なのだから。

11月25日 通院日
今日は通院日。昼11時半に社協のヘルパーKさん(同行)とFさんが来て玄関にスロープを設置している音が聞こえた。 それからKさんが洗顔・Fさんが脚のマッサージ、洗顔しているヘルパーが病院に同行していることにようやく気付いた。 洗顔が終わったら訪問リハビリのH先生が部屋に入ってきてFさんと一緒に脚と頸に装具付け。そして僕を一度 立たせてから車椅子に座らせたのだが、ベッドから立って腰を伸ばし車椅子に座る一連の動作がスムーズだった気がした。 最後に妻に吸引してもらってから部屋を出た。それにしても外出準備に30分かからなくなった。たいしたもんだ。
外出準備が終わって玄関から外に出ると、明るく暖かい陽射しが当たって一面透き通った薄雲が広がる気持ちの良い青空。 すぐにリフト車に乗り込み出発、北ノ川内の交差点を曲がり楽しみしていた曲川小学校の銀杏の木を見ると ガーンほぼ 落葉。この二週間で一気に季節が進んだみたい、自分一人だけが季節においていかれた気分だった。落ち込んだまま国道 35号線に入り街路樹の銀杏を見るとこれもほとんど落葉、二週間前には田んぼにぼうぼうと残されていた大豆もきれいに 刈り取られ整地までされていた。田んぼは一気に冬って感じ、ただ冬キャベツの収穫がまだだったことに少し慰められた。 川棚町に入って川棚小学校の銀杏の木にまだ緑の葉が残っていたのと川棚役場の裏のお寺の公孫樹が青々してたので安心が 来た。川棚町の海岸沿いは晩秋が長いみたい。道中から遠目で見た山の紅葉はほとんど変わってないように見えた。だけど 山の近くで見ると所々赤や黄色が増えていた。確実に季節は変わりつつあった。
病院に着き玄関でリフト車から降りて 待ち客二人だけの待合室の入り口で検温してから救急処置室に入った。車椅子から ストレッチャーに移してもらいすぐにバイタルを測ってからCT検査へ、実はこの半年ぐらい背骨の真ん中付近に痛みが あって二週間ぐらい前に痛みがかなり強くなったからCT検査を申し込んだのだけど…その後しばらく湿布を貼り続けて いたら痛みが消えてしまった。(検査の結果骨には異常なし)
CT検査から戻ったらすぐに主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)。その後看護師さんと雑談している中で看護師から 「他に気になることなーい?」と聞かれたので「その内首の左のイボ?を取って欲しい」と答えたら、「今の皮膚科の先生の 予定を聞いてみましょう」とトントン拍子に話が進み始めた。やがて午後1時半過ぎに皮膚科の先生が来て首の左のでき物を 診察、「一つは90パーセント良性、もう一つは半々」と。そして「生検をするにしても手術室で(それなりの準備をして人数を 整えて)行わなければならない」らしい。いずれにしても今ここでどうにか出来る話しではなく、来年の1月以降入院しての 話のようだ。まあ生検して悪性だったら「ALSに罹ってもこれだけ長く生きたのだからもういいんじゃない」とモモが 迎えに来る準備を始めたと思うだけのこと、この時期だから下の息子の国家試験に精神的な影響を与えないかが 気掛かりだけど…僕を頼りにしたことはない息子だから関係ないと思うけど。
帰る準備をしてストレッチャーから車椅子に戻り救急処置室を出ようとしたその時に院内放送が聞こえて午後2時、 リフト車に乗り込む際に玄関前の池を見たら亀が2匹甲羅干ししてた、雲ひとつない青空だもの。家に着いた時には 訪問リハビリのH先生ももう着いていて部屋に入って時計を見たら午後2時50分、すぐにリハビリ開始。4歩の歩行運動は 今日も腰・膝・脚にちゃんと力が入って調子良かった。脚の可動域運動も日々元に戻っていくようなH先生の力加減の 厳しさに耐えられた。ただ意外だったのはH先生の口から「サッカー日本 ドイツ戦勝利」の話が出なかったこと、 なんでだろう。

11月24日 進んでる?
木曜日の朝のケアは9時45分から、ところがその時間に表れたのが訪問看護ステーションOのK看護師一人。それを見た瞬間 僕の頭の中に大きな不安が渦巻いたけど…しばらくしてM看護師の顔が見えたので安心した。K看護師には洗顔は 任せられるけど排便介助はまだまだ…。
M看護師が脚のマッサージをしながら見守る中でK看護師が洗顔を終える頃にK会のヘルパーMさんが到着、M看護師がMさんの 着くのが少し早かったから怪訝な顔をしていたけど…K会のヘルパーの中でMさんはいつも5-10分早いのだ。その後Mさんと K看護師と二人で背中拭き、側臥位がもうひとつしっくりこない。それからM看護師の指導の下二人で排便介助、先週と 同じことの繰り返し いや今週がより具体的か。でも…前に進んでいる気がしない。2回ずつの摘便と浣腸(液半分)でも 出し切らない物があるような気がしてM看護師に摘便を頼んだ(K看護師じゃ出せないと判断)。そして残便を出してもらって お腹もある程度スッキリ、僕の排便は難しいなあ。
午後3時からは車椅子移乗の担当はM看護師と社協のヘルパーKさん、担当をK看護師と言いたいところだがまだ受け身。でも その内出来るようになるだろう、期待は出来る。ただ力が弱いからなあ。

11月23日 勤労感謝の日
今日は旗日だというのに入浴車も訪問リハビリもいつも通り、僕も当たり前に来てくれるので途中まで今日が祝日だと いうことを忘れていたくらい。ありがとうございます。
午前10時過ぎからは入浴車。今日のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのMさんとKさんと いうどちらかというと珍しい組み合わせ、まあFケアマネージャーは「年末年始はどうします、正月を家で過ごします or 入院します?」ということを確認するために今日の入浴車のスタッフに加わったのかもしれない。それはさておきお風呂の お湯が早く冷めるようになって体を温めるのに時間がかかるようになった、でもお風呂からあがっても汗をかかないから 入浴車の時間は変わらないけど。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからは訪問リハビリ、H先生の下半身のリハビリ。最初は脚の可動域運動、股関節の運動では股関節だけでは なく腰にも痛みが来るけど腰を伸ばすと消えるから何とかなってる。膝の裏(大腿二頭筋)伸ばしや踵伸しも耐えることが 出来ているからまあまあか。最後の3回の立位運動も腰や膝を伸ばそうという意欲がまた出てきたようだから動きも スムーズになってるんじゃないかな。

11月22日 姪に会えた
今日のケア(火曜日は朝だけ)、社協のヘルパーFさんが定刻5分前に来て洗顔準備。訪問看護ステーションOのM看護師が 少し遅れてきてバイタルを測り脚のマッサージ。それから二人で力強く背中拭き そして丁寧に陰洗。最後にスライド ボードでベッドから車椅子に移動してもらった、椅子はもちろん庭を向いて。庭の大きな石の前のツワブキの花も終わりに 近いようだ、大分花が少なくなってきたし枯れている花もちらほら出てきた。今年はツワブキの黄色い花に大いに 楽しませてもらった。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動。可動域を広く 動かしてもらうと肩は内転・外転の時痛むし肘や手の指はもうぎりぎりのところだ。次に4歩の歩行運動でベッドに戻ったが 歩行は気負わずに歩いた感じだった。呼吸リハで胸を押してもらっても前ほど背骨が痛むことがなくなった、いったいあの 背骨の痛みは何だったんだろう。
午後から姪のAが家族で訪ねてきてくれた。Aとはもう二度と会うことは出来ないと諦めていたから本当に嬉しかった。Aと 最後にあったのはいったいいつだったのだろう。Aが高校の修学旅行でハウステンボスのホテルに泊まった時に会いに 行ったのは覚えているが…、果たしてあれが最後だったのか。僕はAに そしてTとY(甥)にも何にもしてあげれなかった、 申し訳ない。名古屋にも出張で何度か泊まったことがあったのだから会いに行けばよかった、あの頃公で来たのだから 私を許さない変にこだわる自分がいたからなあ。Aにも優しそうなご主人と腕白そうな二人の息子という家族が出来て、 そして家族を見せに来てくれたというのが一番よかった 嬉しかった。僕もAと会えて楽しかったよ。僕がAと会うのは おそらくこれが最後だろう、Aもそう解っているのにそれでも何度も「また会いに来るね」と言ってくれた。本当に人の心が 解るいい女になった。
ありがとうね 敦美

11月21日 訪問歯科
今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師(土曜がK所長だったから想定通り?)と社協のヘルパーKさん。 今日のメニュー洗顔・清拭は問題なく済んで最後は排便、朝から強いとは言えない便意があって便はある程度の量は下りて きていてその分+αは出たけれど…スッキリとはしなかった。あと一歩かな。
午後2時からは訪問歯科、今日は歯医者同伴でマウスピースを作りにきた。全て先週のあのひと言が発端、僕は右下奥歯の ブリッジがまだあると思い込んでいてブリッジ奥の歯茎が腫れたらこれから痛むことがあるかもしれないので、予防の ために掃除して欲しいと意味を込めて「先週の火曜日に右下奥の歯茎が腫れてる感じがした、その日以外はどうもない」と 軽い気持ちで伝えたのに。それがどうして「マウスピースを作る」にまで話がいったのか、分からなかったし不思議だった。 そして今日の歯科軍団からは「マウスピースの型を取るまでは帰らない」という強い意志が見えた。僕は「その内死ぬ」から 作るのは無駄との意志を表したり、「コミュニケーションツールとして歯ぎしりを使っているから歯ぎしりの音が出なく なったら困る」といって抵抗したのだけれど「歯ぎしりの音が出るマウスピースにする」と切り返されてぐうの音も出なく なった。諦めてこの歯科軍団を早く帰らせるには型を取るしかないと悟ってマウスピースの型を取ってもらった。来週が 問題だけど今日はこれで逃げられた。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師と社協のヘルパーFさん。社協のヘルパーさんが午前と午後で変わるのは 珍しいけど、Fさんも車椅子移乗には慣れているから当然何の問題もなかった。

11月20日 気になっていたおつとめ終了
「家族でスキーに行こう」とか「二人で色んな山に登ろう」とか心の中で妻と約束していて実現出来てないことは数多く あるけど、モモが迎えに来る前にどうしても実現しておかなければならない一つの約束があった。そして今月の初めに ようやく動ける環境が整って実際に約束を果たそうと動き始め、今日お金を振り込んで僕に出来る行為は終わった。これで モモがいつ迎えに来てもいい状態になると思っていたのだけれど、下の息子の国家試験に影響を与えてはいけないと 気が付いた。だからモモ 迎えに来るのはもうちょっと待って。

11月19日 僕とK所長との相性
土曜日のケアは午前10時15分から。定刻のほんのちょっと前にK会のヘルパーTさんが僕の部屋に顔を見せてそのすぐ後に 玄関の方から訪問看護ステーションTの看護師さんの「おはようございます」という声が聞こえた。一瞬「今日はK所長か」と がっかりしたが…「今日は洗顔・清拭・陰洗という簡単な方の1時間コース」「今日がK所長なら月曜日の難しい日はT看護師の 可能性大」と思い直した。僕とK所長とは相性が悪い僕が思うようになったのも清拭の時の拭き方とか本当に小さなことから 始まったのだから、今日はそういう想いを0に近くしてケアを受けてみたら…さほど気にならなかった。 やっぱり第一印象って怖い。

11月18日 ツワブキの花がいっぱい
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今回の入浴車のスタッフは看護師がY子さんとGさん・ヘルパーはIさんとKさん、 G看護師のメイン役ぶりが大分板に付いてきたが Y看護師(Aちゃん)が社協からいなくなって覚悟が付いたか(僕は未だに 寂しい)。今日入浴車の井戸端会議で話題に上ったのは内視鏡検査(胃カメラ)のこと、社協のヘルパーの中で一番若い Kさんが35歳を超えたから今年から内視鏡検査の対象に入ったとのこと。初めてのKさんに対して担当の先生が「鼻から 入れるカメラを(口で)使いましょう」と言ったそうな。そこから話が発展してKさんが他の誰かに「口(用)のカメラと どのくらい違うんですか?」と聞いていたから僕が文字盤で「親指と小指の違い」と答えたけど、親指より中指の方が よかったかな。こんな楽しい話をしながらゆっくりと温まり、気持ちの良いお風呂をいただきました。
お昼の経管栄養が終わってしばらく休んだら午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、そして午後3時過ぎからは訪問 リハビリ。まずはH先生に脚と頸に装具を着けてもらい体を起こしてベッドの右端に座らせてもらって端座位の姿勢、この 数ヵ月帯状疱疹による痛みやモモの死で無気力状態だった心が少し回復したようでH先生の背中や肩への圧が負担に 感じなくなった。庭を見るとツワブキの黄色い花がいっぱいになっていた。モチノキの葉は相変わらず貧弱なまま、これで 赤い実が付くのか。立位運動3回もベッドが高めだったこともあり太ももや膝に力が入り立ちやすく感じた。このところ 調子は上向きだ。脚の可動域運動も段々厳しくなっているように感じられるH先生の力加減にも何とか耐えることが 出来ている。全体的に調子は悪くない。

11月17日 K看護師一人で排便介助?
「M看護師から電話があり急患が出てその対応をしてるので着くのは10時15分ぐらいになる」との妻からの伝言を受け、 一度シャットダウンしていたパソコンを起動してもらって30分でもとパソコンを再開。10時10分K看護師が来てその後 すぐにK会のヘルパーAちゃんが到着。K看護師から「M看護師は後で来る、M看護師から「洗顔は後でするから排便介助を 先にやってて」と言われて来た」と説明があったけど…、正直今のK看護師じゃ排便介助は無理だろうと思った。
K看護師とAちゃんが排便介助を始めようとしてズボンを下ろそうとした丁度その時M看護師が到着、僕は正直ほっとした。 それからはM看護師の指導の下にK看護師が排便介助、摘便で指の出し入れの仕方も具体的に指導していてガスは出るように なったけれど便には届かない?という。K看護師さん自身が自分から話して(告白?して)見せてくれたのだけど 指がかなり 短いのだ、これじゃ本当に届かないのかも。最後はM看護師の応援もあって便も何とかまあまあ出た、月曜まではなんとか なるだろう。K看護師がヘルパーさんと二人で排便介助出来るようになるにはまだまだ道は遠そうだ。

11月16日 Aちゃん最後の入浴車
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(僕のケアマネジャー)とAちゃん・ヘルパーのMさんと Kさん。今日はAちゃんが来る最後の入浴車の日だ、寂しさを紛らわそうとまたこれが見納めになるとAちゃんの一挙手 一投足を見てた。Aちゃんが入浴車のスタッフの中にいるとお風呂の場がいっぺんに明るくなる、僕はAちゃんの明るい 正確を含めてお風呂の時にAちゃんが作り出す明るい雰囲気が好きなのだ。Aちゃんがどうして明るい雰囲気を作り 出せるのか、それはAちゃんが身近な話題を提供しいつも積極的に僕に明るく話し掛けてくれていたからだと思う。 今日のAちゃんもいつもと変わらない態度で…だから安心して温まることが出来た。
入浴車の最後 Aちゃんからとうとう「今日で終わり」と挨拶…。それを聞いた途端涙が溢れ出した、「Aちゃんが辞める」と 聞いた時からずっと涙は出なかったからもう泣かないと思っていたのに。本当は「また遊びに来て」と言いたかったけど… 言えなかった。もう二度と会うことはないんだろうな。

11月15日 植田先生訪問
火曜日はケアは朝9時半から、遠くから来る訪問看護ステーションOには間に合わせるのが難しいようだ。それなら 「スタートの時間を遅らせればいい」と言うかもしれないがそれが出来ない訳があるのだ。訪問リハビリの時間を11時からに して車椅子からベッドに戻るケアを訪問リハビリに任せることによって訪問看護の訪問回数を1回減らすことに したのだ。
今日も社協のヘルパーKさんが定刻5分前に来て洗顔開始。それから15分遅れでM看護師が来てバイタル測定。そして K看護師が合流するのを待ってK看護師とKさんの二人で背中拭きと陰洗。K看護師はどうも体交にも慣れていないようで僕を 左側面させるのにも苦労していたように思えた、体交の経験のない看護師がいるとは思えないが。最後にM看護師も 加わってスライドボードで車椅子移乗、今日も庭を向いて座らせてもらった。ツワブキの黄色い花がいっぱいになっていた。 モチノキの葉っぱの付き具合は貧弱なまま、これでは赤い実がどのくらい付くのか心配だ。モチノキまで剪定したのは 失敗だったか、去年の冬は朝このモチノキに来る小鳥のさえずりで楽しませてもらったのに。
朝11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで上半身の左の部位の可動域運動。左肩の内転・外転 運動や肘の可動域運転が激しくなってくると部位に痛みが襲ってくるけど耐えることが出来ている。それから4歩の歩行 運動でベッドに戻って右上半身の可動域運動、歩行は今日も腰と膝に力が入って脚をちゃんと踏ん張れたので調子はまあ 良かったと思う。最後は呼吸リハ。胸を下から押された時に背骨がもっと痛むと思っていたんだけれど…それほどでも なかった、ここ1週間あまり背骨の痛む辺りに湿布を貼っていたのだけれどそれが功を奏したか。 CT検査 早まったかな。
訪問リハビリの後すぐに昼の経管栄養を落としパソコンしながらしばらく休憩。そして午後2時半からは訪問歯科、先週の 火曜日右下一番奥の歯茎が少し腫れてる感じがしたのを思いだし「掃除してもらおう」と軽い気持ちで切り出したのに…、 「上の歯が下がってきてる」とか「マウスピースを作らなければいけない」とかと大事になって…。だいたい僕が「掃除して もらおう」と思ったのは右下奥に金歯のブリッジがあるとずっと思っていたから、ブリッジがないと知っていたら腫れも すぐに治まったから何も言わなかったのに。でも…右下奥歯のブリッジはいつ抜いたのだろう、全然記憶がない。
後3時半過ぎ西九州大学の植田先生が学生さん5人を伴って訪ねてきてくれた。植田先生によると4年振りの訪問との こと、ほぼ毎日Facebookで植田先生の名前は見ているからそんなに会ってないとは思わなかったけど…そんなにも なるのか。今日の植田先生の訪問の目的を僕なりに考察すると 一つは僕のパソコンの入力用スイッチの入力状況を 植田先生自身の目で確認しフォローすること。丁度右足の親指と人差し指の間に挟んで使っていたPPSスイッチの許容 範囲がかなり狭くなっていて、使うのにもセットしてもらうのにも難しい状況に陥っていたところだったから植田先生の 訪問は絶好の機会だったのだ。植田先生には新しく親指でPPSスイッチを押す方法を提案していただいた。PPSスイッチは ちょっと遅れ気味の反応だけど…使いこなせるようになるかなあ。
二つ目は学生さん達に現場での植田先生のスイッチの導入手順・利用者との対話の状態 および不都合が起きた際の 対応状況を見せること
三つ目は新しいスイッチおよびスイッチ関連商品の紹介
ってとこかな。

11月14日 お腹のマッサージの効果
朝のケアは月曜は10時半から。担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーSさん、Fさんが指導のために 同行。Sさんが洗顔している間にT看護師はいつもの様にバイタルを測り胸とお腹の聴診をして それからお腹と脚の マッサージ。僕のお腹のマッサージをしながら「お腹のマッサージの排便に対する効果」についてヘルパーさん達に 話してた。確かに上手にお腹をマッサージしてもらえば排便に対して効果がある、現に朝から弱めの便意しかなかったの だけれどT看護師にお腹をマッサージしてもらったらかなり強い便意が出てきたもの。T看護師のお腹のマッサージが 上手いということだろう、K所長は回転が逆だったから。
洗顔が終わったらT看護師とSさんの二人で清拭(Fさんはタオル洗い)、Sさんの清拭の力加減はまあまあ強めで僕には丁度 良かったし拭き方もまあ合っていた。次に排便。T看護師のお腹のマッサージで下りてきていた便は半分に分けた2回の 浣腸でほぼ出たけど、便汁が残っている感じがしたのでもう一度摘便してもらった。その摘便の際に感じたことだけど Sさんの押し方はなんか変、肛門の方からお腹に向かって押すんだもの。それじゃ便汁も下りていかないんじゃない。 摘便しても便意が残っていたのでお尻に尿取りパットを当ててもらった、これで少しは安心。結局出なかったけど…。
午後3時からの車椅子移乗の担当はT看護師とFさん、今週もSさんはいなかった。やっぱりSさんは僕に対しては朝のケア 専任のようだ。

11月13日 妻外出
妻は昼から出かけるとのこと、何処へ何しに行くのかは知らないし聞いてもいない。だから午前中の(妻による)ケアも 昼の経管栄養もいつもより早めだった。経管栄養の途中で娘が「こんにちは」と僕の部屋に挨拶に来たが何しに来たのか…。 妻が出かけている間は重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが来てくれて午後2時前から5時過ぎまでの3時間あまり家に 居てくれた。この頃Aさんの来ている頻度が多いからもしかしたら僕に一番多く接しているのはAさんかも、Aさんの ご主人に申し訳ない。
Aさんが帰った後娘も「じゃあ帰る」と挨拶に来たので「何してた?」と聞いたら「コーラスの練習」との答え、「発表会に一緒に 出るのか」と全て合点がいった。

11月12日 今日は順調
土曜日のケアは朝10時15分から、ケアの内容は洗顔・洗髪・清拭・陰洗で11時45分までの1じかん半のコース。ちょっと 盛り沢山だけど…今日の担当が訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMさんという絶好のコンビと判った 時から僕はもう安心してた。意に反せず 洗顔も洗髪も隅から隅まできちっと洗ってもらってすっきり 満足したし、 清拭は手も足もきちんと指も間まで丁寧に拭いてもらって大満足。それにケアもほぼほぼ時間内に収まって言う事なし。 いつもこんな風であってくれればいいのだけれどペアが違うし人も変わる、難しいなあ。

11月11日 通院日
今日は通院日。午前11時半に社協のヘルパーFさんとKさんが着いて二人で外出準備、まず二人で玄関にスロープを設置し Fさんは洗顔・Kさんは脚のマッサージ。そして洗顔が終わらないうちに訪問リハビリのH先生がもう着いて、洗顔が 終わるのを待ってH先生とKさんが僕の頸と脚に装具を付けて 僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。そして 最後にいつものように妻に吸引してもらって部屋を出た。外は晴れてはいたけれど陽射しはもうひとつ 強くはなかった。
今日の通院のもう一つの目的はここら辺りの紅葉の進み具合を見ること、だから眠くて眠くて渋つく目を必死に開けて リフト車の窓に流れてゆく他の景色をずっと見てた。曲川小学校の銀杏は日影になる真ん中付近のほんの一部を除けば すっかり黄色く色付いていた。国道35号線の街路樹の銀杏もほとんど黄色くなっていたが、同じ山陰でも緑と黄色の 銀杏が存在するのは何故だろう。それに病院近くの川棚役場の後ろのお寺にある大きな公孫樹はまだ青々、日当たりは 良いのになんでだろう。病院までの沿線の山の紅葉もまだまだ、赤くなってる木がたまにポツンポツンと見える程度。 もうしばらくかかりそうだ。道中気になったことがもう一つあった、稲刈りが終わった田んぼの中の所々に残っている 大豆の収穫はもう終わっているの それともまだなの? 広い2枚の田んぼに育ててあるキャベツももう収穫の時期を 迎えそうだ。
病院に着いて玄関でリフト車を降り、利用者がまばらな待合室の入り口で検温してから救急処置室に入った。すぐに 車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを測りながら時計を見ると午後1時前、リフト車の乗り降りを含めると 病院まではやっぱり1時間ぐらいはかかるのかと改めて思った。でも外出準備を始めてから1時過半で診察出来る状態に なるのだから他の患者さんに比べたら本当にずば抜けて早いと思うべきだろう。主治医もすぐに来て診察と処置 (カニューレ交換)、その後ここ数ヵ月背骨が痛いということで「検査をして欲しい」と頼んで次の通院の時(2週間後)に CT検査をやることに決まった。主治医が救急処置室を出ていった後車椅子に戻してもらって時計を見たらまだ 午後1時15分ぐらい、また今日も早かった。救急処置室から外に出たらすっかり青空になっていて、リフト車に乗り込む 時に玄関前の池を見たらこの日差しを楽しむかのように亀が1匹甲羅干しをしているのが見えた。帰路もリフト車の 窓から秋を紅葉を探しながら帰った。が 目立つのはススキと鶏頭ぐらい、路傍の山のハゼも色付き始めていた。家に 着いて部屋に入り時計を見るとまだ午後2時20分前、庭でも散歩したかったなあ。
20分ぐらい待つとH先生が着いてリハビリ開始。まず4歩の歩行運動、腰にも脚にも自分の思いで力を込めてある程度 上手く歩けて調子良かった。H先生にも「上向き」と褒めてもらった。脚の可動域運動も我慢出来てるし、寒くなった この時期に調子いいのは何でだろう。

11月10日 K看護師のケア
木曜日の朝のケアは9時45分から。木曜日だけが看護師が先に来て洗顔する。今日の担当看護師は訪問看護ステーション OのM看護師とK看護師、M看護師は今日のケアの全てをK看護師に任せるつもりで来たようだった。だけど…。洗顔が 終わりに近付いた頃に今日のパートナーのK会のヘルパーMさんが着いてK看護師と二人で背中拭き。だけどK看護師が 僕のケアに慣れてなくて段取りも悪く時間もかかっていたので…M看護師も我慢出来なくなったようで口だけではなく 手まで出した。排便介助もM看護師の指導の下でK看護師が浣腸と摘便を実施、今日の便は僕が出すのに丁度いいくらいの 固さの便で結構出た。まあ左側臥位していた僕には本当のことは分からないけど…半分以上はM看護師が出して くれたんじゃないかな。でもまあK看護師の摘便する感触が前のH看護師に似ていたから慣れたら上手くなるかも。
午後3時からは車椅子移乗、今回のパートナーは社協のヘルパーKさん。Kさんは若いから力もあるし…木曜日の車椅子 移乗は一度立ってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移してもらう手順、体力がある方が有利に 決まっている。Kさんは社協のヘルパーの中で一番の若手だ たぶん。車椅子に座ってからK看護師に気管の吸引をして もらったのだが…慣れてないからなのかカテーテルの先端が痰のある場所になかなか当たらなくて痰が引けなかった。 気管に痰が少ししか溜まってなかったのは確かだけれど、もしかしたらK看護師は気管吸引の本質が解っていないのかも しれない。痰の吸引にも慣れるまでしばらく時間がかかりそうだ。

11月9日 Aちゃんは来週まで
午前10時過ぎからは入浴車。入浴車の前にAちゃんが「親父とお袋のケアマネージャーも変わる」ということで交代する ケアマネージャーを伴って挨拶に来た。ついでに「来週の入浴車には来ます」と、Aちゃんが入浴車で そして社協の社員? としてこの家に来るのも来週で最後か。そう考えると急に寂しくなってきた。
今日の入浴車のスタッフは看護師はY子さんとGさん・ヘルパーがMさんとFさん、Gさんのメイン役ぶりが大分板に付いて きた。お風呂に入る前に僕はいつも看護師さんにやってもらっていることがある、それは万歳10回・側臥位になって タッピング・排痰のためにアンビューをして吸引。Gさんも最初恐々万歳していたけど…今では若々しくそして力強く 万歳させてくれるのでとっても気持ち良い。寒くなったこの時期は足し湯とシャワー胸掛けは必須、今日も足し湯を しながらお湯に浸かり胸にシャワーでしっかりとお湯をかけてもらって十分に温もり、それから体と髪・顔を隅々まで 丁寧に洗ってもらってもう一度お湯に浸かり胸にもシャワーしてもらい十分に温まってお風呂からあがった。今日も 気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからは訪問リハビリ、H先生による脚の可動域運動と立位運動。脚の可動域運動は特に踵の時に最近H先生の 力加減が増してきているような気がするけど何とか耐えることが出来ている。立位運動は立ち上がって腰を伸ばす 一連の動作が少しスムーズなってきたと思う。ただ左足重心になった際に膝がブルブル震えた。調子は 悪くなかったのに…何故だろう。

11月8日 唐津へお出かけ
今日はお出かけの日。社協のヘルパーKさんが9時25分に来て洗顔準備。ところが洗顔が終わっても訪問看護ステーション Oの看護師さんは着かなかった。その時妻から「遅れるとM看護師から連絡が入った」と知らされた。Kさんが「背中拭きと 陰洗をします?」と聞いてきた、「M看護師が電話をするということはかなり遅くなるということ」と考えKさんに 背中拭きと陰洗をお願いした。背中拭きと陰洗を一人で終わらせ脚のマッサージを始めた10時20分頃 M看護師と S看護師がようやく着いてKさんを「お疲れ様」と強制的に帰らせ外出準備、玄関にスロープを設置し 脚と頸に装具を 付けてスライドボードで僕を車椅子に移乗させ人工呼吸器を車椅子に積んで外に出た。
今日は雲ひとつない青空、絶好のドライブ日和だった。介護タクシーを利用して唐津まで、訪問看護師さん二人が 同行してくれて妻と娘と一緒に出かけた。唐津までは西九州道で、数年前に西九州道を利用した時には南波多町の北の 端の方だったのに…今回は大坪町との町境 南の端まで繋がっていた。これで唐津が時間的にずい分近くなった。ただ 唐津市に入った途端西九州道が地図上で何処を走っているのか分からなくなった。おそらく鏡山の南だと思うが…、 こんな時こそカーナビが欲しいものだ と思った。
昼食は虹の松原の中の唐津バーガー(僕は経管栄養)、虹の松原を見るのも10数年ぶりなので松の幹が太くなったような 気がした。昼食の後は浜玉の浜辺で海を見てから鏡山へ。鏡山の展望台から見えたのは紺碧?の空・青い海・高島等の島々・ 街並みと線路・虹の松原とその西の先の唐津城、霞もなく素晴らしい景色だった。駐車場から展望台まで続く遊歩道や 大きな池の周りの一部が紅葉していたし、鏡山の上空をハンググライダーが飛んでいて気持ち良さそうだった。
鏡山の展望台で景色を眺めている時に事件が起きた、猛烈におしっこがしたくなった。尿取りパットを巻いているの だからパットにおしっこを出せばいいだけなのに…、去年の10月から車椅子に座っているとおしっこも便も出なく なっていたのだ。通院の時もほぼ同じ状況で しかも通院の時はおしっこをしたくなったことがないので…つい油断して しまった。それにしてもおしっこをしたいのに出ないことがこんなに痛いものだとは思わなかった。西九州道を出て 大坪町に入った頃におしっこがパットに出て事なきを得たけど、途中で「病院に寄って」と叫びたかった。
家に着いた時には訪問リハビリのH先生はもうすでに来ていてすぐにリハビリ開始。まずは4歩の歩行運動でベッドに 戻った。今日の歩行運動は 4時間以上のドライブで身体は疲れているはずなのに…調子良かった。何故だろう。次に脚の 可動域運動。いつもなら火曜日は上半身の可動域運動なんだけど、今日は車椅子に長く座っていたということで脚の リハビリ。H先生の力加減の関係もあるのだろうが今日はいつもより我慢出来た と思う。どうしてだろう。

11月7日 久しぶりにSさんのケア
朝のケアは10時半から、担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーSさん、Yさんが指導のために同行。 Sさんが洗顔、久しぶりのはずなのに髭剃りはまあ上手かった。Sさんが洗顔している間にT看護師はいつも通りバイタルを 取り胸とお腹を聴診しお腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭、最近の僕はT看護師の清拭に満足してるからほぼ全て お任せ、休憩の時間となってる。最後は排便、今日は下腹に便が下りてきているという感じはあった。それなのに1回目の 半分の浣腸でお腹の力がない?からか便を出す勢いが途中で途切れてしまい後の便が出なくなった、木曜日の便の量が 少なかったから確かに僕にしては固めの便だったこともあるのだけれど。それでお腹を押しながら摘便してもらったのだが …今のSさんにお腹を上手く押してもらうことまで期待するのはまだ難しいようだ、僕は摘便する時にお腹を押さえるのは 本来看護師の仕事の範疇だと思うから。Yさんのお腹の押し方が抜群に上手かったから勘違いしちゃったのかな。2回目の 残り液の浣腸で固め?の残便は出たけどまだ便汁が残っている感じがした。それで摘便で出してもらって今日の排便は 終了。まあまあか。
午後3時からの車椅子移乗の担当はT看護師とYさん、Sさんは来ていなかった。Sさんは車椅子移乗の時に骨折したのだから 車椅子移乗を避けるのは当然かもな。僕は今でも何故あの時にSさんが膝を骨折したのか疑問に思っているけど、あの 事故以降色々なことが変わったからいい思い出でないのは事実。

11月5日 意外にスムーズ
土曜日のケアは朝10時15分から。ケアの内容は今日は洗顔・清拭・陰洗、担当は訪問看護ステーションTとK会。定刻に部屋に 入ってきた看護師のK所長とK会のヘルパーFさんの組み合わせを見てまずいと思った。まあその前にK所長のような声が 玄関の方から聞こえた時に嫌な予感がして顔を見た時から諦めのムードになったけど、ほんとケアが始まる前から失礼な 話だ。案の定二人による共同作業である清拭と陰洗は意外にスムーズにいって10分オーバーで終わった、僕が一切口を 挟まなかったこともあるけど。K所長にひと言注文を付けても良かったら「清拭に使うタオルは掌大には広げて欲しい」なあ。 今日がK所長だったので月曜日はT看護師の可能性が高い、月曜は排便だからその方が助かる。

11月4日 インフルエンザの予防接種
午前10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日もAちゃん来てくれた。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとGさん・ ヘルパーのFさんとKさん、今日もAちゃんがいたからと思うけど明るく話しの弾む井戸端会議だった。Aちゃんがいると お風呂の場がどうして明るくなるのかが最期になってようやく解った。Aちゃんはしょっちゅう僕に話し掛けてくれる・ Aちゃんは家庭での普段の出来事を話してくれて話しの元となる情報を提供してくれる。そんなAちゃんも今月いつまで 来るのか、寂しくなるなあ。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、その時にインフルエンザの予防接種をした。今年3回目のワクチン接種、もう いい加減にしてくれと言いたいところだが周りには5回目の新型コロナのワクチン接種券が来た人もいるし 東京・大阪では ここ1週間新型コロナの感染者の数が増加に転じて第8波の兆候が見られると言う。インフルエンザと同じように 新型コロナが流行るのは当たり前と考え、もうWithコロナの時代に慣れるしかないんではないか。
午後3時過ぎからH先生のリハビリ。最初はH先生に後ろから支えられてベッドに端座位、庭の大きな石の前にツワブキの 黄色い花がきれいに咲いているが見えた。次は立位運動3回、調子はまあまあか?。左足重心の際に膝折れしそうな感じが して膝に力を入れて踏ん張った。また腰を下ろす時お尻がストンとは落ちなかった、太腿と膝に上手く力が入った感じ。 H先生が驚きの声を出したのが分かった。ただ3回目は息が苦しくなった。最後は脚の可動域運動。前回前回より段々 我慢出来るようになってきていると思う。

11月3日 文化の日
今日は文化の日で祝日、本来なら訪問看護は休み。でも訪問看護ステーションOのM看護師がいつも通り来てくれた、少し 遅れたけど。まずはバイタルを測ってそれから洗顔。そこへK会のヘルパーMさんが着いて二人に背中を拭いてもらったけど …やっぱりM看護師の拭き方は丁寧で力加減も僕には丁度良く気持ち良かった。最後に排便、便意は昨日の方が強かった ぐらいで大いに不安があった。しかしM看護師なら何とかしてくれると期待する気持ちもあった。けれど流石のM看護師も 下りてきていない便には対処のしようがなかったようだ。M看護師は下りてきている便・下りかけている便も浣腸と摘便で 何とか出してくれたが、僕はもっと上に残っている感じがしてた。夜間帯に重度障害者訪問介護のヘルパーがいる時間帯に 便が出てくれればいいのだが今日の担当はおそらくFさん、午後8時からじゃどっちにしろ期待薄だなあ。
午後3時前社協のヘルパーYさんが来た。僕も一瞬車椅子移乗を期待したが…Yさんに車椅子移乗中止の情報が伝わって なかっただけのようだ。先日M看護師が「(文化の日)午後の車椅子移乗に来てもいいよ」と言っていてくれたのだから 頼めば良かった。

11月2日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとY子さん・ヘルパーのMさんとKさん、Aちゃんはもう 二度と来ないと思っていたから嬉しかった。やっぱりAちゃんが入浴車のスタッフでいるとお風呂の場が明るくなる。もう このAちゃんのいる時のお風呂の明るい雰囲気 そして楽しみも無くなってしまうのかと思うと寂しくなる。お風呂で暖まり 過ぎたのかお風呂からあがってからも汗が中々引かなかった。それでしばらくの間毛布を1枚少なくしていた。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。モモが死んでから落ち込んでいた僕の気持ちにも月日の経過に伴って少しずつ 変わってきたようだ。まず脚の可動域運動、股関節の屈曲運動と膝の裏(大腿二頭筋)伸しは究極になると結構痛むけど… 我慢出来ている。踵の可動域運動は一時はかなり緩くなったけど最近少しずつ厳しさが戻ってきているような気がする、 まあ何とか耐えられてるからいいけど。3回の立位運動もベッドから立ち上がる時も腰を伸ばす時もまだH先生に頼っては いるけど、立ち上がる方は膝に少しは力が入って調子は上向きにある。いい傾向だ。

11月1日 調子が良くなってきた
今日のケアの時僕の部屋は人がいっぱい。社協の社協のヘルパーFさんが定刻5分前に来て洗顔準備、Sさんが今日も来て 洗顔の間だけ同行。そして洗顔の終わる前に訪問看護ステーションOのM看護師(K看護師が同行)が来て一刻Sさんと一緒に なって一時的に部屋の中が人であふれていた。M看護師が急いでバイタルを測り、それから三人で背中拭きと陰洗。その時 思ったことはM看護師の背中拭きはやっぱり丁寧ということと、側臥位になる時にK看護師が手伝ってくれるんだけど 「慣れてないなあ、眼科ではこんなことしないもんな」と。
車椅子は今日も庭向きにしてもらった。ツワブキの花が咲き始め蕾も大きくなっていた。梅の緑の新枝がずいぶん伸びて たくさん出ていた。それでコールして妻を呼んで「庭の写真を撮ってきて」と頼んだ。そこへ訪問リハビリのH先生が着いて 上半身のリハビリ開始。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動。いつものことながら肩関節の横の 動きが強かったり肘の可動域運動の時は痛みが来るけど今日も何とか耐えた。次は4歩の歩行運動でベッドに戻った。 歩行の時は久しぶりに後ろの方の足で身体を前に押す気持ちがまた出てきた。そして気持ちが出てきたからか重心移動も 上手くいった感じして何となく歩きも良くなった気がした。この頃調子が良い。ベッドに戻ってからは右肩・肘・腕・手の 可動域運動。そしてその後は肺のリハビリ。これまで胸を下から押してもらった時は背骨の一ヵ所が痛かっただけだけど、 今日胸を押してもらった時はその一ヵ所の痛みが横に広がっていた。この横に広がった痛みはいったい何だろう。


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10月
10月31日 今日はもうひとつ
月曜日のケアは午前10時半から。担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさん、そして1年4ヵ月ぶりに Sさんが同行で顔を見せた。Sさんの車椅子移乗中の骨折がきっかけという訳じゃないけれど…それ以降車椅子移乗の やり方と訪問看護の体制が大きく変わったことを思い出した。今日のケアは洗顔・清拭・排便介助、洗顔と清拭は問題なく 済んだけど朝から便意が小さかったから排便には苦労した。1回目の半分の浣腸では最初ガスばかり出てどうなることかと 思ったけど、10分ぐらい経ってようやく便の番になって8割方出たのだが…腹圧が弱くて途中で止まってしまった。2回目の 残りの浣腸でも同じような感じで…今日はもうひとつすっきりしなかった。

10月30日 風邪引いたかも?
それぞれの部屋に掃除機をかけおわってしばらくした午前11時過ぎ、週に一度妻が僕のケア関わってくれる時間が来た。 妻のケアは結構丁寧、そして結構激しい。洗顔の後に妻が歯磨きをしてくれるようになったのは朱肉炎が悪化して歯を 抜いて以降だが、その歯磨きは丁寧だけど激しくて結構痛いのだ。それに指を拭いてくれる時なんかの屈曲運動はH先生の リハビリの時より痛いくらいだ。加えて足の指の間もきちんと拭いてくれるし陰洗の時も一番丁寧に洗ってくれるので、 僕は妻のケアの時間が楽しみだ。
今日の昼過ぎから何故か身体が冷えてきたようで夕方になってから寒気がしてきてくしゃみが出始めて、どうも風邪を 引きかけているのかもしれない。そう思って眠剤と一緒に漢方薬を服用し娘が誕生日のプレゼントとしてくれた布団をもう 1枚上からかけて寝た。これで掛け物5枚と漢方、これで朝方までひと眠りすればいつもなら朝には体調が戻っている はずなのだけれど…今年は戻りそうにない気がするほど肺が寒く感じる。この冬は乗り越えられるかな。

10月29日 今日も順調
土曜日のケアは朝10時15分から。昨日は通院だったから今日は洗顔・洗髪・清拭・陰洗のメニュー。担当はK会のヘルパー Mさんと訪問看護ステーションTのT看護師(顔出し順)と久しぶりに何もかも安心して任せられそうなコンビ、今日も朝早く 起きてパソコンしてこのケアの時間になって眠気が襲ってきたから二人に任せてゆっくり目を閉じていようと決めた。
Mさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを取り胸の聴診と脚のマッサージ。それから二人で洗髪、T看護師の力加減は 僕にはもう少し強くて良かったんだけど満足出来る範囲だったから口にはしなかった。その後の清拭も陰洗も良いペースで 進みケアは順調に終わった。それでも10分オーバー、洗顔・洗髪・清拭・陰洗で1時間半・洗顔・清拭・陰洗で1時間の 時間設定にそもそも無理があるのかなあ。ヘルパーのケアの単位時間が15分単位なら増やしてあげられるのに。
夕方妻は「(実家の近くの)従兄から新米を貰った」とお礼を言いに出かけていった。もしかしたら妻の実家の田んぼは その従兄にお米を作ってもらっているのかもしれない。もし僕が元気だったらうちの田んぼも妻の実家の田んぼも僕が 引き受けるのに。そう考えると…、この動けない身体が歯がゆいばかり。

10月28日 通院日
今日は通院日。午前11時20分 ヘルパーのYさんとFさんがいつもより10分も早く着いたので油断していた僕はびっくり、 慌ててこの雑記帳の原案を保存して閉じパソコンを終わらせた。まず二人で玄関にスロープを設置しYさんは洗顔・Fさんは 脚のマッサージと脚の装具付け。そこに訪問リハビリのH先生が来てFさんと一緒に頸に装具を付けて、それから僕を一度 立たせてから車椅子に座らせてくれた。最後に妻が吸引をして…まだ11時50分と早い、「庭を見たい」と言ったけど珍しく リフト車がもう来てるということでリフト車に乗り込んだ。空は薄雲が少しだけある青空、絶好の通院日よりだった。
国道35号線沿いの山には時たま色付いた葉があった。街路樹の銀杏は2週間前より大分黄色く色付いてきていた。田んぼの 稲刈りももう終わり大豆だけが収穫を待っていた、一ヵ所だけ小さな田んぼで稲束を棒にかけ天日干してあったかな。 路傍のコスモスももうすでに目立たなくなっていた。目に入ったコスモスは一ヵ所だけ、いつの間にか色の少ない寂しい 路傍になっていた。
病院に着き玄関でリフト車から降り、待合室の入り口で検温して救急処置室の方に進むと通路で妻が主治医に挨拶している 姿が見えた。救急処置室に入り看護師さんとヘルパーさんにスライドボードで車椅子からストレッチャーに移してもらって バイタルを計り終えて…しばらくすると主治医が来てすぐに診察と処置(カニューレ交換)。主治医の診察が終わって時計を 見るとまだ午後1時過ぎ、早過ぎる。主治医が救急処置室を出た後ストレッチャーから車椅子に戻してもらい救急処置室から 外に出た。リフト車に乗り込む時に玄関前の池を見たら亀が5匹甲羅干しをしていた。陽射しがちょっと弱くなってきた みたいだけど…こんなに良い天気だもんな。
リフト車が出発する前に妻に「時間が早いから新しい道を通りたい」と希望を伝えた。そしてその希望が通り有田〜伊万里 道路の新設区間 牧〜二ノ瀬 間に向かった。牧の道路への分岐点は昔の分岐点の近く、元あったセラミックロードが 急カーブだったのに対し…畑の丘(小学生の頃鏃を採った)を切り崩しより直線的になった。驚いたのはこの道路沿いに 幾つも家があったこと、昔はこの道辺りには同級生の家が1軒あっただけなのに。牧と二ノ瀬の間は道路は山すそ・川沿いを 進み、二ノ瀬では以前からあった道に繋げて4倍に広げて延ばしたのかな。国道202号線や共立病院の駐車場へは無理やり 下ろして繋げたって感じ。家に戻る時は国道を使ったけど路傍の風景が僕の記憶と違いすぎてびっくり、それに線路沿いに コスモスがきれいに咲いていたので驚いた。今日は新しい道を通ることが出来て大満足。
家に戻って部屋の時計を見るとまだ午後2時20分過ぎ、しばらく待ったらH先生が来てリハビリ開始。まず4歩の歩行運動で ベッドに戻った。午前中立たせてもらった時も感じたけど何となく調子が良い、膝にまあ力が入って体重移動が程々に 上手くいったって感じ。脚の可動域運動も程々によく我慢出来たし…、まあまあか。

10月27日 何ごと?
木曜日の朝のケアは午前9時45分から、それなのに今日の担当の訪問訪問看護ステーションOの看護師が10時になっても 現れなかった。10時5分を過ぎた頃今日のパートナーのK会のヘルパーMさんが着いて看護師さんがいないのに驚きながらも 洗顔の準備。そしてまさにMさんが髭剃りを始めようとしたその時に訪問看護ステーションOのM看護師とS看護師(同行)が 着いて、「Mさんが時間になったら帰れるように洗顔は後回しにして先に背中を拭いて排便をしよう」と先に二人いないと 出来ないケアをしようとM看護師から提案、S看護師がバイタルを取り同時にM看護師がお腹のマッサージをしてM看護師と Mさんの二人で背中拭きと排便介助に取りかかった(S看護師は見学)。なおこんなに遅くなった理由は前の現場で点滴が なかなか取れなかったということらしい、僕も手の血管がかなり細い方で病院で血液検査する際にはいつも看護師さんが 苦労しているけど…ベテランのM看護師でも点滴が取れないということはその方の血管が細くてもろいのだろう。
今朝から便意がほとんどなかった、ただ便が下腹に少しは下りてきている感じがありはした。そして今日の排便は難しい ものになりそうだという気が朝からしてた。案の定最初の摘便である程度ガスを出してもらったのだが浣腸してもらっても ガスは出ても便はほぼ出なかった。しかしそこからがM看護師の凄いところだ。摘便で塊を二つだし2回目の浣腸で残便と ガスが出た。それでも出口辺りに何かがちょっと残っている感じがして最後の摘便をしてもらったら…ガスが幾らか出て ほぼスッキリ、流石M看護師。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師(S看護師同行)と社協のヘルパーKさん。木曜日の車椅子移乗は一度立たせて もらってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移してもらうパターン。今日も庭向きに座らせて もらったら、庭の大きな石の間に植えられたツワブキの蕾が大きくなっていてもうすぐ黄色い花が咲きそうなのが見えた。 1時間後車椅子からスライドボードでベッドに戻る時僕の部屋の中は人でいっぱい、M看護師とKさん それにS看護師と K看護師。S看護師とK看護師にも早く車椅子移乗を覚えて欲しい。

10月26日 Web面談
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とAちゃん・ヘルパーのMさんと Kさん、井戸端会議で「高校をどこにしたらいいか」や「物価が高いからガス代が安くなるなら嬉しい」という話が出ていた。 どちらも僕が悩んだこともない話だ、うちの子供たちも高校進学では考えたこともないだろう。贅沢な話だ。今日も お風呂に入った時はお湯は熱く感じたけどすぐに熱さにも慣れて足し湯をしてもらった。体を洗ってもらった後は肩まで お湯に浸かり胸にもシャワーをかけてもらって、十分温まってお風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂を いただきました。
入浴車が終わった時にショッキングなことを告げられた、「Aちゃんが11月中旬で辞める」と。入浴車のスタッフの中で一番 親しみを感じていたAちゃんがもう顔を見せなくなるってことは十分にショックなはずなのに…不思議と涙は出なかった。 今話を聞いたばかりで実感がまだ湧いてないというのもあるのだろうが…このところの人生に対する諦め感とある種の 予感があった。G看護師に急にメインの役をやらせ始めたのには何かAちゃんに関わる理由があると思っていた。一期一会、 何度体験しても辛いものだ。
午後3時20分からはH先生の下半身のリハビリ。最初にK?医師(施設長?)との三ヵ月に一度のWeb面談、の予定だったけど… 先生が不在ということで3時40分からに延期。その間H先生が踵の可動域運動をし、脚と頸に装具を付けて1回立位運動を した後僕を車椅子に座らせた。そこへケアマネージャーのFさんが着いてWeb面談の準備完了。Web面談はH先生の タブレットを使って。H先生がタブレットをライン?で医師の居る所と繋ぎ医師にこの三ヵ月の実情を説明、医師から意見を いただいた。これでWeb面談は終了で面談は10分ぐらい、以前はこの面談のために医師に家までわざわざ出向いて いただいたものだけど…本当に便利になったものだ。
Web面談の後は4歩の歩行運動でベッドに戻った。立位運動の時も感じたけど今日は久しぶりに膝によく力が入って調子 良かった。ベッドに戻ってからは脚の可動域運動。股関節の屈曲運動も膝の裏(大腿二頭筋)伸しもそれなりに強い痛みが 襲ってきたけど、いつもよりは長く我慢出来たとお思う。今日は全体的に何故か調子良かった。

10月25日 血が出た?
火曜日のケアは朝9時半から。社協のヘルパーFさんいつも通り5分前に来たから慌ててパソコンを終わらせたけど訪問看護 ステーションOのM看護師は定刻より10分遅れ、この3-4回M看護師が定刻前に来てたから毎回びっくりしてたけど遅れる方が M看護師らしくて安心(失礼?)。今日のケアは洗顔と背中拭き・陰洗、背中拭きの前にM看護師に昨日の懸念事項「首の左裏か 痒い」とは伝えておいた。M看護師の拭き方は丁寧で力強い、僕の痒みのある部位には丁度良い強さだ。が M看護師がその 首の左の痒い部位を拭いている時に「ほくろの所から血が出た」と言って患部を止血のために抑えた、僕は痛くなかったから びっくりすることもなかったけど。それから陰洗してもらって車椅子移乗、今日も庭向きに座らせてもらったが庭の 景色より南向きの窓際のごちゃごちゃが気になった。どうせ猫も自分から僕の部屋に来ることはもうないのだから、11月に 下の息子が来たら窓際のレイアウト物が来やすく置けないようにやり直してもらおうかな。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動、肩の内転運動や 肘・手の指の可動域運動には相応の痛みが伴うが何とか我慢は出来た。次に4歩の歩行運動でベッドに戻り右肩・肘・腕・手の 可動域運動、今日の歩行はジグザグ歩いているような気がして膝に力が入りにくい感じだったなあ。
リハビリが終わった時に妻に「背骨の8-9番目?の内側に痛みがある、内臓じゃないかな」と告げた、何かあった時に 「どうして早く言わなかったのよ」と責められる気がしたから。しかしこの痛みは三ヵ月ぐらい前からあった。9月の レスパイト入院の時も「背骨の1ヵ所が痛い」と妻を通して主治医に話してもらったけど、「立っている影響じゃないですか、 立つの止めます?」と一蹴されただけ。当時は背骨の痛みと思っていたけど…、その痛みが段々強くなってきた。

10月24日 今日は順調
今朝からほとんど便意がなくて今日の排便は苦労しそうと朝しばらくは思っていたけれど、訪問の時間が近付くに従って 従来とは異なる便意が段々強くなって襲ってきた。どう違うかというと今までは便が下りてきて下腹(膀胱辺り)が 張ったように感じていたけれど、今日は便が下りてきている感じはほとんどなかったがその代わり下腹に下痢する時の様な 痛みが幾分出ていた。午前10時半ちょっと前訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさんが到着、T看護師と Yさんの顔を見た時に今日の排便はまあ大丈夫だろうと思った。
Yさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸とお腹の聴診・お腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭、Yさんの 拭き方は長年慣れたもので力加減も丁度良くてT看護師の拭き方も悪くはなくて二人に任せてもいい状態だった。ただ左の 首の後ろをもっとよく拭いて欲しかった。清拭が終わるまで今日は45分、よいペースだった。そして最後に排便、1回目の 半分の浣腸で次の排便の日である木曜日までもてそうなくらいの量が出て、2回目の浣腸と摘便で残便とガスが出た。 今日の排便は順調だった。
午後3時からは車椅子移乗、担当は今日一日T看護師とYさんで車椅子移乗も何の心配もない。月曜日の車椅子移乗は一度 立ってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移る手順。立たせてもらう時Yさんが僕の脇とお尻に手を 添え持ち上げてくれので久しぶりに右膝の膝折れを意識せずに立てた、背中を伸ばすのには苦労したけど。Yさんの このやり方に何かヒントがあるのかもしれない。

10月22日 問題なし
土曜日のケアは朝10時15分から、昨日T先生の往診だったからケアの内容は洗顔と清拭と陰洗の1時間コース。担当はK会の ヘルパーFさんと訪問看護ステーションTのT看護師、Fさんが洗顔している間にT看護師はいつもの様にバイタルを取り胸と お腹の聴診 そして脚のマッサージ。それから二人で清拭と陰洗、T看護師ももう慣れたもので拭き方も力加減も僕の満足の 域。それに手や足の指もきちんと拭いてくれるし…何の問題もなし。ただ今日もケアの時間をオーバーした…。
土曜日のケアは午前中、それからの僕はパソコン三昧。夕方重度障害者訪問介護が来る前に「九重とかどこか出かけたい 所はない?」と妻が尋ねてきた。1年前訪問看護ががらりと変わった時に通院・入院以外の外出は散歩も難しいと諦めてもう 考えないようにしていたのに…何故今更そんなことを聞くのか。行きたい所など思い浮かぶはずもなく「散歩したい」と、 ただ新しくで来た道や橋は気になるが。それにしても妻が僕が「嫁さん」と呼ぶことを嫌がっていたとは…知らなかった。

10月21日 チビではもうひとつ力が…
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのFさんとKさん。 Aちゃん(看護師)が一緒じゃない中でG看護師は初めてのメインの役、でもG看護師もメインの役に大分慣れたようで手順も ほぼ問題もなく進み吸引もかなりスムーズになってきた。もう心配なさそうだ。
浴槽に浸かった僕を囲んでの今日に井戸端会議の話題は家の電気代のこと、最近急に家の電気代がかなり高くなった という。内訳を見ると「太陽光〇○」という今までにない項目が新しく出来ていて、それに結構高い金額が入っていたらしく その分高くなったという。そういえば聞いたことがある、企業向けの太陽光発電の買い取り費用が少なくなって… どうこうと。今日は浴槽にお湯を入れる時から温度を上げてあったみたいでお風呂に入る際は少し熱く感じたけど…段々 熱さに慣れて、体を洗った後は足し湯をして胸にもシャワーをかけてもらった。おかげで十分に温まった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、そして3時過ぎからはH先生のリハビリ。まずはベッドに端座位。端座位している 途中でチビが庭の石の上に上がってきて休むのが見えた。チビが見えて嬉しかったけど…モモがエアコンの室外機の上に いた時ほど気力は出なかった。やはり僕を嫌いな あるいは僕を人と見てくれないチビではモモの代わりにはならない ようだ。次は立位運動3回、立つとチビが違う角度から見えたけど…今日も立つ際はH先生に頼りっぱなし、膝にちょっと 力が入ったかなって感じ。それに立ってる際に時々お尻に力を入れたけど長続きしなかった。やっぱりチビを見ても力は 湧いてこないか。モモの存在が僕にとってどんなに大きかったかが分かる。けれどH先生からは「最近では今日が一番 良かった」と言われた。最後に脚の可動域運動、我慢は今日も出来た。やはり踵の可動域運動は少しずつ激しさを増して きている。まあレスパイト入院から戻ってきて20日以上経つのだから当然かな。

10月20日 半年先 か
木曜日の朝のケアは9時45分から。中途半端な時間のように見えるけどパソコンを一段落して終わらせるには早すぎないし、 木曜日のケアは洗顔と背中拭きと排便介助だからケアの終わりの時間11時15分もある程度余裕があっていい。定刻5分? 遅れで先発の訪問看護ステーションOのM看護師がK看護師を伴い来て…、今日はバイタル測定も洗顔もK看護師に任せた。 K看護師の髭剃りも悪くはなかった。文字盤を使う練習もさせたが…、こちらはまだまだって感じ。洗顔が終わる頃K会の ヘルパーFさんが着いてみんなで背中拭き、やはりM看護師の拭き方は丁寧で気持ち良かった。背中拭きの時にK看護師に 側臥位の手伝いをさせたのだけれど…側臥位のやり方が解ってないという感じ、M看護師が「独り立ちは半年先」と言ってた 理由をようやく理解した。排便は今日も順調、流石M看護師。
午後3時からは車椅子移乗、社協のヘルパーKさんが5分前に来てパソコンの片づけと脚のマッサージ。そして脚の装具を 付けようとしたところでM看護師がK看護師と一緒に10分以上遅れて着いてK看護師が初めての装具付け、しかしなかなか 上手くはいかなかった。それからM看護師とKさんで頸に装具を付け僕を一度立たせてくれて、スライドボードで車椅子に 移動した。1時間テレビを見てその後スライドボードでベッドに移動、体勢を整えて車椅子移乗が終わった。

10月19日 寒い日のお風呂は気持ちいい
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのIさんと Mさんというあまり記憶にないメンバー構成、まあF看護師の来るのが久しぶりだっただけだけど。今朝も今年一番の 冷え込みだったらしくお風呂に入った瞬間もあまり熱くは感じなかった。それでお湯の温度を1℃上げてもらって 足し湯をし胸にもシャワーをかけてもらって…お風呂からあがっても汗が引かない程かなり温もった、寒い日はこれが一番 嬉しい。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後4時前からはH先生の下半身のリハビリ、3時前にH先生から「急患が出たのでその対応で遅くなる、4時過ぎになりそう」 と電話連絡があったと嫁さんから聞いたけどそこまで遅くはなかった。まずは脚の可動域運動、いつもの様に股関節の 運動も膝の裏(大腿二頭筋)やアキレス腱伸しは耐えることが出来た。けど アキレス腱伸しは少しずつ厳しくなっている みたい、まあ我慢の範疇だからいいか。それから立位運動3回、今日もH先生に頼りっぱなしだった。でも 前より少し体が H先生の方に傾いて足の前の方ばかりに体重がかかっているような気がするのだけれど、気のせいかなあ。

10月18日 M看護師は丁寧
火曜日の(朝)のケアは9時半からと早い。それでも社協のヘルパーFさんは定刻5分前に来るし訪問看護ステーションOの M看護師はこの頃は定刻前後に来るようになった。今日のケアは洗顔・背中拭き・陰洗と車椅子移乗、背中を拭くついでに Mさんは「前も」と上半身のほとんどを拭いてくれた(清拭並み)が、Mさんの拭き方はとても丁寧で気持ちが良い。だが Mさんのケアには問題点もある。しゃべりだすとケアの手が止まってしまうのがMさんの悪い癖、だからケアの途中で 話し掛けないようにしないと時間が長くなってしまう。一方でヘルパーの終わりの時間を一番気にしているのもMさん、 終わりの時間が近くなるとヘルパーさんにいつも「後は一人で出来るから帰って」と言っている。
車椅子移乗は脚のマッサージや脚と頸への装具付けもあるから時間ぎりぎり。スライドボードでベッドから車椅子に移して もらい車椅子は庭向きにしてもらった。モチノキの葉っぱはまだ少ない、赤い実が今後どのくらい付くのか…心配に なってきた。お隣との生垣が刈られ、お隣の庭の様子が大分分かるようになってきた。お隣の家の奥さんが帰ってきて 庭の草むしり?をする姿が見えた。おそらくお隣の家の奥さんを見たのはこれが初めてだろう。お隣だけじゃない。僕は 隣保班のほとんどの人の顔を知らないのだ、僕が高校を卒業した頃は保育園の他は3軒しかなかった。もっと前は保育園と うちの2軒、回りは田んぼだらけだった。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで外を見ながら左肩・肘・腕・手の可動域運動、まだ 時々肩や肘・手の指の関節が痛いけど我慢出来てる。それから4歩の歩行運動でベッドに戻り右肩・肘・腕・手の可動域運動と 呼吸リハ。歩行は自分ではまあまあだったと思うが…。呼吸リハで下から胸を押してもらったら今日も背骨が痛くなった、 先週程ではなかったけど。それにしても背骨の真ん中ちょっと上のこの奇妙な痛みはなんだ、側臥位になると痛みが消えるのも不思議だし。
ついに夜の経管栄養も隣の部屋で重度障害者訪問介護のヘルパーさんに渡すようになったか。寝る前の薬はずっと前から 隣の部屋だったからこれで半日は以上僕と会わずにすむ訳だ。近隣の県に人工呼吸器を着けたALS患者でも入れる施設が あれば僕も入りたいものだ。そうなればみんなに苦労も迷惑もかけなくてすむだろうから僕も色々考えなくていい分 気楽だと思う。でもまあ焦らなくてもそんなに遠くない時期にモモが迎えに来る。ALSという病気になってもう27-28年、 動けないこの不自由な世界ではもう十分に生きた。僕を解放して、そして解放してあげる。

10月17日 一日安泰
朝10時25分 定刻5分前に僕の部屋に入ってきたのは社協のヘルパーKさん、いつもことながら社協のヘルパーさんはみんな 早い。それから5分くらい経って玄関の開く音がし「おはようございます」と聞こえてきたのは訪問看護ステーションTの T看護師の声、今日もこれで一日安泰だと胸をなで下ろす僕がいた。
Kさんが洗顔している間にT看護師がバイタル測定・胸とお腹の聴診・お腹と脚のマッサージといういつもの流れ。それから 二人で清拭と排便介助、清拭は目を閉じていてもいいくらいの拭き具合と力加減で安心してお任せしてた。排便も今日は 上手くいった。浣腸前の摘便はある程度の刺激もあってお腹に溜まっていたガスも幾分出た。そして1回目の液半分の 浣腸で二塊近くの便が出た。いつもよりちょっと固めのようだったけど量はまあまあ、今日はもう大丈夫だと思えた。ただ まだ肛門近くに何かが残っているような気がして2回目残りの液を浣腸してもらったら…残便が少量とガスが出た、何かの 正体はガスだったのか。それにしても便意がかなり強かった先週便が出なかったのはなぜ、僕とK所長の相性の悪さ?  だってK所長の摘便は痛いだけでガスも出ないし刺激もないから。
午後3時からは車椅子移乗、今日の担当は一日T看護師とヘルパーのKさんだったので気持ちも楽だった。月曜日の 車椅子移乗は看護師さんとヘルパーさんに一度立たせてもらってからもう一度ベッドに寝てスライドボードで車椅子に 移り座らせてもらう方法。今日も行きも帰りも大きな問題もなく移乗してもらった、僕が立つ時にちょっと苦労した 以外は。

10月16日 羨ましがっても仕方ない
同級生がFacebookに仲間内のグループ(会員12名)で新型コロナの関係で3年ぶりに集まってお祝いの会をやったとの投稿を 載せているのを見た。本当に羨ましいと思った、僕にはこの田舎にも福岡にも集まってくれる訪ねてきてくれる仲間なんて ほとんどいないもの。夕方嫁さんは友達を誘って(誘われて?)食事に行った。僕が元気だったとしてこの年になって 誘ってくれる友達がいたがどうかは大いに疑問だ。嫁さんから「今夜出かける」との話が出た時に「出かけてもいいか」と 確認されたが僕に何か言えるはずはないだろう、迷惑ばかりかけているのだから。
僕に真(親)の友達が少ないのは全部僕の性格とこれまでの僕の行いに問題があったのだろう。僕の友達の作り方は自分では 全く意識していなかったのだが…「広く浅く」になっていたんじゃないかと思う。ほとんどの人とはすぐに話せて仲良く なれるんだけど離れてしまうと全然連絡を取らなくなってしまう。僕のこの疎遠癖が災いして連絡するのを怠っていたから 友達と呼べる者がどんどんどんどん離れていき、結局このような事態 ALSという病気を患っている僕の家を訪ねて きてくれる友達がほとんどいないことになったのだろう。寂しさや疎外感を感じるのも全部自分のせい、どのくらい続くか分からないけど残りの限られた命 運命は全部背負ってゆくしかあるまい。

10月15日 まあ快調
土曜日のケアは朝の10時15分から1時間半、昨日通院だったので今日のケアが洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コースに なった訳だ。今日のケアの担当は訪問看護ステーションTとK会のヘルパーさん、玄関が開く音がしてT看護師の声が 聞こえたから「今日はゆっくり出来る」とひと安心した。が 同時に「月曜日の看護師は誰が来るの?」と心配になった。
ヘルパーのFさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを取りそして脚のマッサージ。それから二人で洗髪、T看護師の 洗髪はたしか初めてだったけど意外と上手くて気持ち良かった。次に清拭と陰洗、T看護師も僕の清拭のやり方に大分 慣れたようで拭き方にも力加減にも満足してる。ほんとT看護師なら全てお任せなんだけどなあ。ただ今日も時間オーバー 正午を過ぎてしまった、途中まではいいペースだったのだけど。

10月14日 通院日
今日は通院日。午前11時半頃>社協のヘルパー二人YさんとKさんが現れていつもの様に外出準備、まず玄関にスロープを 設置してKさんは洗顔・Yさんは脚のマッサージ。そこへ訪問リハビリのH先生が着いてYさんと二人で脚と頸に装具付け。 それからH先生が僕を車椅子に座らせてくれて、嫁さんに痰を吸引してもらってから外へ。ヘルパーさんの「今日の空は一面 真っ青ですよ」という声が聞こえた。リフト車に乗り込む時にお隣の塀際の細長い花壇を見たが、花壇は整頓されていて 花一つ無かった。
今日の僕の外出での望みは「コスモスを見る」こと、だけど我が町の病院へのコースにはコスモスは見当たらなかった。 けれど隣町に入ってしばらくすると路傍にコスモスが咲いているのが分かった。しかしよくは見えなかった、リフト車に 車椅子で乗り込んだ場合頭の位置が普通の座席よりかなり高いので窓からは地面に近いところしか見えないのだ。 それからの行程では所々でコスモスを見ることが出来た。コスモスは今か一番見頃のようだ。街路樹の銀杏は少しずつ 緑から黄色に変わり始めていた。稲刈りの終わった田んぼが半分ぐらい?、大豆もいい色に色付いていた。米も大豆も 今年は収穫が遅いのかな。
病院に着き玄関でリフト車を下りて、待合室の入り口で検温して救急処置室に入った。救急処置室で看護師さん達に 車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを測ってから今日は血液検査、退院してからひと月近く経つから。 そして気が付かないうちに主治医が来ていて…血液検査の結果がもう出たのか。それからすぐに診察と処置(カニューレ 交換)、今日は随分早く終わったみたいだ。診察が終わって車椅子に戻してもらい救急処置室を出てリフト車に乗り込む 時に玄関前の池を見ても甲羅干しする亀はいなかった。やはり天気の良い日にはなぜか甲羅干しする亀はいない、僕に とってはとっても不思議なことだけど。家に着いて自分の部屋に入り時計を見るとまだ午後2時20分前、今日の通院は 異常に早かった。
20分ぐらい車椅子に座ったままで待ったら訪問リハビリのH先生が着いてすぐにリハビリ開始、まず4歩の歩行運動歩行で ベッドに戻った。今日の出来はまあまあか、火曜日より良かった。今日の気温が高かったおかげか。脚の可動域運動は 我慢の時間、今日も数を数えながら耐えることが出来た。まあまあか。

10月13日 Mさんなんで?
木曜日の朝のケアは9時45分から。それより5分-10分?前に訪問訪問看護ステーションOのM看護師がK看護師を伴って 現れたので僕はびっくり、慌ててパソコンを終わらせた。この頃のM看護師はなぜか早い、何があったのか 不可思議。 K看護師がバイタルを取り、M看護師はK看護師にやり方を説明しながら洗顔を担当。洗顔が終わった頃(定刻5分前)にK会の ヘルパーMさんが着いて二人で背中拭きと排便介助、排便の途中で見学していたK看護師が側臥位を手伝ってくれたけど… 訪問に慣れてないって感じがした。排便は今日は快調でたっぷり出た らしい、流石M看護師というとこか。個人的には K看護師にそろそろ文字盤の練習をさせていいと思うのだけど…M看護師にその気配がない、なぜだろう。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師(K看護師が同行)と社協のヘルパーKさん。木曜日の車椅子移乗は一度立たせて もらってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移り座らせてもらう手順、車椅子に移る時は何の問題も なかったけどベッドに戻る時は手順が僕の意に沿わなかった。僕の思っている手順は@車椅子からスライドボードで ベッドに移るA頸と脚の装具を外すB側臥位になって背中のしわを伸ばしパジャマを整えながらスライドシートを敷く C体をベッドの上の方に上げる。M看護師の場合@は同じだけど後は日によって変わるから。

10月12日 お風呂で気温の違いを感じる
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとGさん・ヘルパーのIさんとMさん。今日のメインも G看護師、メインの役にも大分慣れてきたようなので注文を付けることにした「(アンビューをして)音がした時には痰がもう 上がってきているから(最初にカテーテルを)そんなに奥まで入れなくていい」と。Gさんの吸引は長めだから息苦しさを ちょっと感じるのだ。このところ朝晩の外気温が冷えてきたから浴槽に入った直後もお湯をあまり熱く感じなくなった。 それにお風呂からあがる時も十分に温もってからあがるようにした。ほんと1ヵ月前とは大違い、あの時はあがってから 全身から汗が噴き出すのが申し訳なくてあんまり温もらないように心がけていたのに。今日も気持ちの良いお風呂を いただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域運動から。股関節の屈曲運動と膝の裏伸ばしの時には 対象の部位に痛みはもちろん来るけど腰の真ん中にも痛みが来る、まあ腰の真ん中の痛みは後を引かないからその場を 我慢出来ればそれで済むから数を数えながら耐えている。立位運動は今日も3回ともH先生に頼りっぱなし。「これじゃ いかん」と思うのだが…身体が動かし方を忘れたのか…如何ともし難い。

10月11日 火曜日のケア
火曜日のケアは9時半から、今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさん。Kさんはいつも通り 定刻5分前に来て僕がパソコンをシャットダウンしている間にお湯を汲んできてパソコンを片付け洗顔にとりかかった。 そこへM看護師がもう顔を見せたので僕はびっくり、10分-15分遅れるのがM看護師の定番だったのに。M看護師は今日は 一人、火曜の方が木曜よりケアの内容が単純だから独り立ちさせるのにはいいのに「独り立ちは半年後かな」なんて言って 何かあるの。
Kさんが洗顔している間にM看護師はバイタル測定とお腹のガスの確認・マッサージ、今日便が出たら困るのに。それから 二人で入念な背中拭きと陰洗・車椅子移乗。背中拭きは清拭より入念、M看護師らしいけど不可思議。車椅子は今日も 庭向きにしてもらった。愛染カツラの蔦が剪定されてほとんど見えなくなっていた。モチノキの葉っぱまだ少なくて 寂しい、これで赤い実はちゃんと付くのか。
午前11時前からは車椅子に座ったままでH先生の上半身のリハビリ。まずは左肩・肘・腕・手の可動域運動。やはり傷みが早く 来た、寒くなったからと思いたいけど…。それからベッドまでの4歩の歩行運動歩行。歩行が不安定な感じ、特に腰と 太もも。脚が踏ん張りきれてなくてH先生に完全に助けてもらっている。悲しみによる気力のなさが衰えに繋がった。
モモの絵が出来あがったとメールがようやく来た。しかし 添付してあった写真を見た時に安い絵を見た時程「モモだ」という 感動はなかった、時間の経過と伴に悲しみが薄れてきたのか 情けない。ちょっと気になる箇所を直してもらうよう お願いすることにした、顔の一部の些細なとこ。

10月10日 スポーツの日
今日はスポーツの日、以前は体育の人呼んでいたが。昔のように10月10日が体育の日がカレンダーの赤字となるのはいつ 以来だろう、あんまり記憶にないけど。10月10日はちゃんと意味のある日なのだからハッピーマンデーにする必要は ないのになあ。
月曜日のケアは午前10時半から、今日は祝日だから午後の車椅子移乗はない。今日のケアは洗顔・清拭・排便介助、担当は 社協のヘルパーYさんと訪問訪問看護ステーションT。僕の部屋に入ってきた訪問看護師さんの顔を見た瞬間今日は駄目だと 思った、僕はK所長とは相性が悪いのだ。一昨日のラキソベロンが効いていたのか昨日からかなりの便意を感じていた はずなのだけど…案の定出なかった。浣腸の前に摘便してもらったのだけどなにも出ず、1回目の半分の浣腸では ガスだけが出た。そして2回目の残り液の浣腸では便汁と形の残っている便がちょっと出るには出たが、肛門近くに何かの 少し固い便が残っている感じだった。それで再度摘便してもらって…固い?便の蓋は取れたみたいだったが便はわずかしか 出なかった。もう1本浣腸してもらおうかとも思ったけど大きく時間オーバーしそうだったから諦めた、それにまあ出る 気もしなかったし。昨日から便意はあったはずなのに…、精神的な問題だろうか。

10月8日 なぜか代打
昨夜訪問看護ステーションOのM看護師から電話がかかってきたらしく「訪問看護ステーションTが明日行けないとのことで、 代わりに私が行く」と。来られない理由はなかったらしいが、想像するに (訪問看護ステーションOの)M看護師が今月で 辞めるということで引き継ぎや人の配分が上手くいってないのではないか。それに僕の訪問看護を引き受ける条件に 「訪問に行けない時はM看護師が代わりに行く」というのがあったらしいので…僕の訪問の順位は訪問看護ステーションTに とってそれほど高くないのだろう。
土曜日のケアは朝10時15分から、昨日の電話でMさんから「着くのは10時半」との言伝があったらしいので僕はおそらく10分- 15分は遅れると予想してたが…。10時15分定刻にK会のヘルパーFさんが来て洗顔開始、Fさんは仕事は真面目で堅実な 方だけど…融通は効かないからMさんが来る前に洗顔が終わったらどうするのかなと思ってた。案の定…。Mさんが来ると まずバイタル測定、それから二人で清拭と陰洗。MさんがFさんを予定の時刻通り帰して後は遅れた自分が一人でケアを しようとしていたのは僕でも分かっていたけどYさんはいつも通りマイペース、結局15分オーバーでケアは終わった。 MさんはYさんを早く帰そうとずいぶん時間を気にしていたのにな。

10月7日 今週2回目の入浴車
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日のスタッフは看護師のGさんとAちゃん・ヘルパーのFさんとKさん、メインを 務めるG看護師も今日は一昨日水曜と違い大分精神的にも落ち着いているようで仕草も違って見えた。ただ例えば気管からの 痰の吸引、まだ人工呼吸器を着けてる患者の吸引は慣れてない経験が浅いようで吸引の時にカテーテルをやたら気管の奥に 突っ込むのだ。僕には痰がそんな奥に溜まってないのは分かっているのに…病院でもそうなのだが看護師は手前の痰は スルーしても奥の痰はやたら取りたがる、僕から見れば不思議でたまんないけど。
昨日から気温が下がったようでお風呂のお湯も湯船に入った瞬間「熱っ」とは感じなくなった。また今日から胸にシャワーで お湯をかけてもらうようにした、もう一つ温もりきれないと感じたから。洗顔も髭剃りもG看護師。だけどGさん優し過ぎ、 日頃G看護師がどんな方を相手にしてるかが分かる。僕の場合はもっと手荒くゴシゴシしてくれていいのに。お風呂から あがってもほとんど汗をかかなくなった、寒くなったからだろう。
お風呂が終わってしばらくすると昼の経管栄養。昼の経管栄養が終わるとすぐにかかりつけ医T先生の往診、今日はT先生の 来るのが5分-10分早かった。まず嫁さんの健康診断の結果説明、たいした異常はなかったようだ。それから僕のバイタル 測定の後カニューレ交換、診察の後の雑談の中で「インフルエンザの予防接種はいつします?」という話が出た。もうそんな 季節か、早いなあ。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。まずはベッドへの端座位、背中を押されると背骨の上の方一ヵ所が痛むのは 何だろう。湿布を貼る程ではないが…。次は立位運動3回、3回ともH先生に頼りっぱなしだった。この何となくだらしく 無気力な状態、何とかしなければと思ってはいるが…モモを失った哀しみは大きくて…難しい。最後は脚の可動域運動、 股関節の屈曲運動は腰の真ん中に痛みがグッと来るけど痛みはすぐ治まる。脚を挙げての膝の裏伸ばし、これもかなり強く 膝の裏や大腿二頭筋に痛みが来るけど…何とか耐えられてる。踵の可動域運動はかなり手心を加えてもらってる、 申し訳ない。

10月6日 木曜日の訪問
木曜日の朝のケアは洗顔・背中拭き・排便介助。担当は訪問看護ステーションOのM看護師とK会のヘルパーFさん、あれっ この前Mさん「木曜日は新しい看護師さんと一緒に来る」と言ってなかったっけ。聞いたら「呼吸器を着けてる他の患者さんの 所へ(新しい)二人でお風呂に入れに行ってる」「昼からK看護師が一緒に来る」「(二人とも)まずは文字盤を使えるように なってもらわないと」と。昨日一昨日ラキソベロンを服用したけど便意は月曜に比べると弱かった、が まあ今日の看護師は Mさんだから大丈夫だろうと思った。思った通り排便は半分ずつ2回に分けた浣腸と摘便でたっぷり出たらしい。らしいと 言うのは摘便で出た量は僕は分からないから。でもまあお腹は大分すっきりした。
午後3時からは車椅子移乗。今度はMさんはK看護師と一緒、ヘルパーは社協のYさん。今日は看護師さんとヘルパーさんに 一度立たせもらってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移動する日。まあ何の問題もなくスムーズに いったけど…K看護師はどう思っただろう、難しいと思っただろうか。

10月5日 変革期
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとY子さん・ヘルパーのMさんとKさん、今後G看護師が メインを務めるようにしたい」という紹介がAちゃん(看護師)からあった。Aちゃんは教える人ととして着いてきたらしい。 おそらくAちゃんは入浴車のグループから外れるのではないかな そういう気がする。G看護師の看護・ケアは正直言うとまだ もうひとつ、吸引はまだ自信がなさそうで恐る恐るというとこか。ケアも含めてG看護師が慣れるまでにはまだまだ時間が かかりそうだ。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最近僕が可動域運動ですぐ痛がるものだから手心を加えてくれるように なったみたい。モモが逝って気持ちが抜けたままの僕が言えることではないけど…H先生も最近ちょっと気持ちがどこかに 行っていることがあるようだ、今日は左股関節の屈曲運動が抜けたもの。立位運動は立ち上がるのも腰を伸ばすのもH先生に 頼りっぱなし、自分としてこれでいいのか。
昨日からチビが僕の部屋に来るようになった。そして夜の経管栄養の時に嫁さんが僕の脚の間にチビを置いて 寝かしつけると、嫁さんが部屋を離れるとすぐにベッドから下りていったがしばらくすると戻ってきて1時間弱僕の 脚の間で眠っていた。モモに「チビが来たよ」と報告したが…。これから寒くなったらチビは来るかな。

10月4日 庭の変化
火曜日のケアは朝9時半から、担当は訪問看護ステーションOのM看護師(K看護師が同行)と社協のヘルパーFさん。K看護師は 少し大人しそう、最初だからそう見えただけかもしれないけど。M看護師やFさんが文字盤するのを熱心に見てたから好感が 持てた。
火曜日のケアは洗顔・背中拭き・陰洗・車椅子移乗、背中を拭いてもらう時に退院する数日前から痒くなった肩甲骨回りを 見てもらったら「少し何か出来ているかもしれない」と曖昧な応え。とりあえずムヒといつものレスタミンを重ねて塗って もらったらムヒを塗ってもらった時にヒリヒリする箇所が幾つかあった。車椅子に座らせてもらった時は今日も庭向きに してもらった。本当に久しぶりにチビが僕の部屋に来てプリンターの上で休んでいたので嫁さんにチビとのツーショットを 撮ってもらった。庭の方を眺めるとモチノキの葉っぱがすっかり少なくなっていた。生垣の木もさっぱりとなって隣の家の 庭の様子が分かるようになっていた。嫁さんを呼んでそう言うと「剪定した」と、道理で。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで右肩・肘・腕・手の可動域運動。肩や肘等を本格的に 動かしてもらうのは3週間ぶりだからやはり早めに痛みが来た、特に腕を左肩の方に動かす運動や肘と指の可動域運動の 時に。それから4歩の歩行運動でベッドに戻り左肩・肘・腕・手の可動域運動。歩行運動の時はにまだまだH先生に体を預けて いたけど金曜日に比べたら歩行は良くなってきたと思う。最後は呼吸リハ、胸を押してもらった時は肋骨と背骨が若干 痛かったがまあこんなもんだろう。

10月3日 時間をかけたまともなケア
今日の担当は一日訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさんの安心の二人、だけど朝のケアの時はYさんが 10分ぐらい遅れてきて退院の日からのごたごた続きもあって忘れられているのかなあと僕はしばらく心配してた。けれど この二人の顔を見たら時間をかけたまともなケアはなんかお久しぶりって感じがケアを受ける前からしていた。
今日の朝のケアは洗顔・清拭・排便介助、入院している時は前日にラキソベロンを13滴服用するだけである程度順調に排便 出来ていた。おそらくマットレスが家より少し固いからその分お尻が沈み込まずガスが出やすいのだと思うけど、逆に 固い分踵が痛かった。家ではラキソベロンを一昨日5滴・昨日13滴服用したので今朝から便意が結構あった。それにT看護師が お腹のマッサージしてくれた時ももっと便意が強くなった。洗顔と清拭が終わって最後は排便。まず左側臥位になって 摘便で下りてきていた便とガスを出してもらい、浣腸液の半分を注入してもらったらガスが出たので諦め気味になったが… その後すぐに便意が二度襲ってきて相当量の便が出た。後は残便を出すために2回目の摘便と浣腸(残り半分)をし便汁が 出て終わった。今日は10分ぐらいオーバーしたが概ね順調だった。
午後3時からは車椅子移乗、今日は一度立ってからベッドに横になりスライドボードで車椅子に移してもらうパターン。 久しぶりの看護師さんとヘルパーさんによる立位だから右膝が折れないか心配だったけど…上手く立てて大丈夫だった。 スライドボードでの車椅子への移動も何の問題もなく久しぶりにしては良かったと思う。車椅子は庭向きにしてもらって しばらくしたら座敷への上がり石の所へ昼寝?をしに来たチビの全身姿が見えた。久しぶりに見たけどチビがひと回り 小さくなったようで心配になった。やっぱりチビ一人じゃ寂しい。

10月2日 日曜日のケア
日曜日の午前中掃除機の音が聞こえてくるとそろそろパソコンするのを一段落しなければと思う、日曜日の日中は訪問が ないからいつも部屋の掃除が終わったら嫁さんがケアをしてくれるのだ。この嫁さんがしてくれるケアは僕の週一番の 楽しみでもある、夫婦でゆっくり?と過ごす時間はこの刻しかないから。なかなか素直に「ありがとう」の言葉は出ないけど… 心の中ではいつもそう思っている。日曜日のケアは洗顔・胃ろうガーゼの交換・手足拭き・陰洗等、ある程度時間をかけて 丁寧にケアしてくれるからこの部分に関しては訪問より入念だと思う。いつも本当にありがとう。

10月1日 歓迎されてないと強く感じる
昨日嫁さんはずっと超ご機嫌斜め、「立ちっぱなしで疲れた」と言ってた。訪問看護ステーションOは吸引用の鑷子セットを 僕が戻ってくるまでに持ってきてなかった。嫁さんは鑷子(セッシ)を使わない場合の吸引のやり方を重度障害者訪問介護の ヘルパーさんに教えないまま出かけてしまい、僕は吸引して欲しい状態で初めて鑷子セットがないことを知った。それで カテーテルの袋に入っている医学的に清潔な赤いソフトグローブ(手袋)でどういう風に吸引するか重度のヘルパーさんに 教えなければならないことになった。まだ痰の量がたいしたことない状態だったので精神的に余裕もあり良かったけど… 文字盤で一つ一つ教えるのは大変だった。
そして 今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーMさん、障子が開いて入ってきたK所長の顔を 見た瞬間今日は難しいかなと思った。案の定洗顔が終わった後にK所長もMさんも「髪は洗います?」と馬鹿な事を 聞いてきた。「2週間の入院中2回しか髪は洗ってないのだから洗うに決まっているだろ」「今年2回入院した翌日も髪は洗って もらったじゃない」と言いたかったけど馬鹿らしくて…代わりに「何にも分かっていない」と言った後はもう無視。その後も ケアマネージャーから「洗顔・洗髪・清拭・陰洗をしてください」と言われたと聞いて…それなら何故「髪は洗いますか?」なんて 聞くのかと余計に腹が立って。そんな時に訪問看護ステーションOのM看護師が鑷子セットを持って現れたので「鑷子セットを 持ってくるのは普通ケアの前だろう」と更に腹が立った。
本当になにもかもが僕の退院を歓迎してないなあ。


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9月
9月16日〜30日 レスパイト入院
レスパイト入院に出かける日、ヘルパーさん2人が朝9時半前に来てスロープの設置・洗顔・脚と頸への装具付け等外出準備。 そこへ訪問リハビリのH先生も加わって僕を車椅子に移乗させ痰の吸引を済ませてから外に出てリフト車に乗り込んだ。 病院までの道中は花盛り。特にこの時期を代表する季節の花である彼岸花を今年も無事見ることが出来た、行きは 咲き始めの彼岸花が 帰りは咲きじまいの彼岸花をコスモスと伴に。今年は彼岸花の寿命が長かったようだ、帰りに彼岸花を 病院の敷地内で見た時には「まだ彼岸花が咲いているんだ」と驚いた。月末30日の午後何事もなくレスパイト入院から無事に 戻ってきた。入院3日目の月曜日血液と尿の検査を受けたのだが追加の処方はなし、これまでと変わりはなかったのだろうと 勝手に判断している。
今回の入院もまずPCR検査から、陰性の結果を個室で待ってそれからいつもの4人部屋へ移動。今回の入院では僕の意向を かなえてもらったようで久しぶりに窓際のベッド、裏山と空・雲の景色や台風14号の通過の様子を存分に見ることが出来た。 台風14号が九州を通過する時は 病棟ビルは防音がしっかりしているので風のビュービュー叫ぶ声は聞こえなかったけど、 病院の裏山のてっぺんの木々は2-3mいや4-5mは揺れていたかな、かなりの勢いで傾いていた。台風が通過した後にテレビで 福岡の街路樹が幹から折れている様子や昔山を切り開いて作った道に木が倒れていた様子が映し出されていたが裏山の 木々はあれだけ激しく揺れていたのに見たところ被害なし、やっぱり自然に成長した木々の生命力は強い。
今回の入院は入る日も退院する日も部屋の受け持ちはTa看護師、明るくて元気があって気の利く良い看護師だと僕は思って いる。前回の入院の時から僕はTa看護師のファンになった。僕のお気に入りの他にも3-4人いる。例えばM看護師やH看護師、 若いのに仕事一つ一つがきっちりしてる。前回の入院と今回の入院で僕は28人の看護師の名前と顔が一致するようになった (元々知っていた9人の看護師を含む)、次回の入院まで覚えているかは疑問だけど。この6階病棟は綺麗な看護師や可愛い 看護師が多いと僕は今回気付いた。
リハビリは土・日・祝日を除いて7日間A先生に来てもらえた。A先生も僕のリハビリに大分慣れてきたようで気持ち良いものに なってきた。A先生は僕が車椅子に座るまで残って手伝ってくれた。土・日・祝日は車椅子に座れない代わりに昼間ベッド上で 左右にゴロンゴロンしてもらってベッドから背中を離す時間を作ってもらっていた。これで午前中下洗いの時に1回・午後に 1回・寝る前に1回ベッドから背中を離せることになった。
お風呂は今回も退院前の1回きり、頭が痒くて堪らない。そうなることが分かっていたので入院初日にTa看護師に「土日の どちらかで洗髪をして欲しい」と頼んでおいた。最初の土曜日はN看護師に洗髪してもらえたが次の土日はなし、意味が 上手く伝わってなかったか。週に2回は清拭があるけど病院の清拭は時間がかけられないからあっちこっち、訪問看護の 清拭とは比べようもなく…体が段々痒くなる。それに洗顔は朝一に顔を温タオルで拭くだけだから僕じゃあ肌が荒れる。 といって石鹸洗顔なんて頼める状況にない、あっ今回の入院ではN看護師に2回石鹸洗顔してもらったか。6階病棟がとても 忙しいのは看護師のみんなの動きを見ていたらよく分かるけど…せめて週に1回ぐらいはお風呂に入れるシステムにして 欲しいな。
暇だと色んなことを考える。最近は生き過ぎたかなと、治る見込みもないし生きていても嫁さんの手を煩わせるだけ。 行政にも年間1,000万円のお金を使わせているし…僕が生きていても回りは何のいいこともない。それに色んな人等に 嫌われてる気がするし…モモも一人で僕の元を勝手に去ったしチビは近寄っても来ない。僕も最近は人嫌いになった…。 治験に参加したいけど…人工呼吸器を着けてる僕に参加出来る治験はない、EMSマシンをお腹に巻いて動かしたら腹筋に 変化はあるのか自分の身体で実験したいけど…排便しやすくなるかもしれないから。身体に変化を求めるにはそれ相応の 要因が必要、当たり前のことだが要因はほぼ経口(僕の場合は胃ろうから入れる)しかなさそうだし何かのサプリメントを 試すかな。等色々なことを想像した。
退院の日は大忙し。朝6時から経管栄養を落とし8時前に終了。しばらくしたらTa看護師が来たので「昼の経管栄養は 11時から」と頼むとTa看護師も「それをお願いに来ました、その前に陰洗をして着替えましょう」とのこと。その後10時頃 新人?のTn看護師が来てバイタル測定と気管からの痰の吸引、Tn看護師にもようやく気管からの痰の吸引の許可が 出たようだ。ところが11時になっても看護師が来なかった。10分が過ぎた頃ようやく2人の看護師が来て着替えを済ませ 11時半頃から昼の経管栄養が始まった、けど この時点で僕は早く落とすことを覚悟した。午後1時前に昼の栄養が終わり まもなく4人の看護師が来てロッカー(テレビ台?)の中の荷物の片付け開始、そして 約束の午後1時半を過ぎても嫁さんは 病室には顔を見せなかったがおそらく病室に入れなかったのだろう。それから僕はTn看護師に脚の装具付けを依頼、「膝を 曲げながら付けて」とは言ったけど初めてにしては結構上手く脚にフィットしていた。その後看護師さんたちが呼吸器回路を 交換し、僕をスライドボードで車椅子に移動させてから病室を出た。そこでようやく嫁さんの顔が見えた。2週間ぶりに 見る嫁さんの顔、やはり何となく嬉しいものだ。エレベーターで下りて待合室で時計を見るともう午後2時半近く、やっぱり看護師さんたちだけでは帰る準備に時間がかかる。
家に着いた時は訪問リハビリのH先生はもう着いていた、当然かな。部屋に連れて行ってもらい時計を見るともう3時過ぎ、 早速リハビリ開始。まず4歩の歩行運動でベッドに戻った。久しぶりの歩行運動でH先生に寄りかかりっぱなしだったけど、 足腰・膝にはちゃんと力が入り久しぶりにしてはまともに歩けた方だと思う。脚の可動域運動はひと言で言うと全般的に 我慢出来ない程痛かった、久しぶりにこんなに強く動かしてもらったということもあるのだろうが。特に踵の可動域 運動の時は「痛い」と声を上げそうだった、まあ声は出ないから歯ぎしりしたけど。久しぶりというのにH先生に手心を 加えるつもりはないみたい。えーっ 手心は加わってるの?

9月15日 M看護師久しぶりの排便介助
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、久しぶりにM看護師が洗顔と排便介助に来た 2-3ヵ月ぶりだろうか。まず バイタル測定と胸・お腹の聴診とお腹のマッサージ そして洗顔、いつもH看護師がやっていたのと同じこと。洗顔が終わる頃 K会のヘルパーFさんが着いて 二人で着替えをしてもらいそれから背中拭きと排便介助。ところが排便介助はH看護師の排便 介助に慣れすぎて違和感を感じる始末、それでもM看護師は上手いから便を十分に出してもらった つもりだった。 それなのに昼からの経管栄養が終わった頃に残便の便汁が出た。昼から便が出るなんてほぼ1年ぶりのことだ、また1年前と 同じように体質が変わったのかな、それとも排便の後にM看護師がしたお腹のマッサージのせいかな(笑)。
午後3時からの車椅子移乗にはM看護師(S看護師が同行)と社協のヘルパーFさんが来た。木曜日の車椅子移乗は一度 立ってからまたベッドに寝てスライドボードを使って車椅子に移るやり方、背の高いH看護師は最初から上手く フォローしてくれたけど背の低いS看護師に出来るのかな。また心配事が増えた。まあ「しばらくは自分も来る」とM看護師は 言ってくれたけど。

9月14日 入浴車
昨日もこうだったのだけど朝目が覚めて呼吸が昼間の活動モードに入ると肺から痰がだんだん湧き出してきて、痰を 吸引してもらうと今度は肺が冷えてきてくしゃみも出てきて体調が落ちて気管切開孔が痰がだらだら溢れ出てきて首辺りが 痰ですぶ濡れ。これから寒くなってくるとこういうことが増えてくるのかな。そう思うと制御が効かない自分のこの身体に やってられないという気持ちにもなってくる。
朝10時過ぎからは入浴車、入院すると退院前までしばらく入浴はないから頭から足先まで全身をごしごし洗ってもらって お風呂を味わっておこうという気持ちだった。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとY子さん・ヘルパーのIさんと Mさん、Aちゃんがいるだけで僕の心中は安心して穏やかになるみたい。今日のお風呂のお湯はちょっと熱め、だからか お風呂からあがっても体中から汗が噴き出して中々引かなかった。それにしても頭から玉のような汗がしたたり落ちた。 髪を切ってから前より頭に汗をかくようになった気がするのは僕だけか。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時半前からはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域運動、やっぱり耐えるのは難しい 特に踵の可動域運動が。 耐えられなくて声?を挙げてしまった「痛い」と。次は立位運動3回。これはもうH先生が立たせてくれたようなものだ、 情けない話だが。今の僕の力ということだろう。

9月13日 H看護師最後のケア
火曜日のケアは朝9時半から、担当は訪問看護ステーションOのH看護師(S看護師が同行)と社協のヘルパーYさん。実は H看護師は今日が最後の訪問看護なのだ。H看護師とはほんの1年弱の付き合い、だけどそんな気がしないのは僕の所へ来た 回数が多かったからだろうか。若いのに技術があって、明るく年配者を尊ぶことを知っていてみんなと仲良く出来るような 社交性もある本当に良い性格の持ち主だ。辞めないで欲しいけど…。そんなことを考えながら最後のケアを受けた。
火曜日のケアは洗顔と背中拭き・陰洗・車椅子移乗、その上今日は上着の着替えもしてもらった。車椅子は今日も庭向き、 庭の景色が先週とは全然違っていた。生垣の南天や細いモチノキ?の葉っぱが落ちて少なくなったのか隣の庭がかなり 見えるようになった。庭の老木梅の木もひと回り小さく見えたしうちの庭で一番大きなモチノキもほとんど幹と枝だけに なっていた。いつもと違い不思議な風景だった。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動、今朝4時過ぎに目が 覚めてそのまま起きていたからケアが始まった頃から眠気が襲ってきてリハビリしている時も瞼が重くて仕方なかった。 左上半身の可動域運動の時には眠気の方が勝っていたのかあまり可動域運動の痛みは感じなかった。次のベッドに 戻るための4歩の歩行運動の際には最後の1歩の時に背骨の上の方に強い痛みを感じたが…これは何だろう。ベッドに 戻ってからの呼吸器リハの時もH先生に胸を押してもらうと背骨が痛くなった。本当にこれは何だろう。

9月12日 排便は未だに難しい
今日月曜日のケアは10時半から、週の中で一番遅く始まるから月曜日はパソコンでいろいろ出来る。まず社協のヘルパー Yさんが定刻に来て洗顔開始、少し遅れてきた訪問看護ステーションTのT看護師がバイタル測定と胸・お腹の聴診 それと お腹・脚のマッサージ。T看護師が遅れてくるなんて始めて、本当に珍しいけど何かあったのかな。それから二人で清拭と 排便介助、清拭はやっぱりK所長よりT看護師の方が丁寧で配慮もあるし気持ち良かった。排便はいつも通り浣腸液を半分に 分けて2回で、朝から結構便意があったので今日はでると思っていたのだけれど…1回目の浣腸で出たのはガスだけで不発に 終わった。その後2回の摘便と2回目の浣腸で便は両手一杯分ぐらいは出たらしいのだけど、柔らかい便を摘便して もらっても僕には出た便の量が分からなくなっている。ほんと排便は未だに難しい。
夕方5時前に夜の介護要員としての重度障害者訪問介護のヘルパーの姿が見えた。またKさん(旦那の方)、先週からKさんの 来る頻度が多いのは嫌がらせ。今日も長い夜になりそうだ。

9月10日 案の定
土曜日のケアは朝10時15分から、この15分という時間はとても微妙だがパソコンしてるとひと区切りつける決心がついて 丁度良い時間だ。今日の担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーFさんというもうひとつのコンビ、いつも 受け身のFさんと病院勤務時代の癖が身に染み付いてどちらかというと大雑把なK所長じゃ気持ち良いケアを期待するのは 難しいと最初から諦めた。案の定暖かいタオルを手に握ってごしごしと肩や腕を小さな動きで拭くK所長の清拭はあまり 気持ちの良いものではなかった。背中や太股を拭く時のようにタオルを掌に広げてもう少し長い距離を拭けばいいのに と 思うのは僕だけだろうか。まあK所長の清拭はこんなもんだと思っていれば腹も立たない。もしかしたらK所長は人工呼吸器 についてあまり知識と経験がなくて怖がっているのかも。人工呼吸器の回路がこんなに短くなっているのに、しかも呼吸器 マウントが下向きに繋がっていて気管に水が直接飛び込みやすい状態になっているのに注意が行かないのだから。でもまあ 今日K所長が来たということは来週の月曜はT看護師の期待大。
午後5時からは夜間の重度障害者訪問介護。ヘルパーとして予想していたMさんではなくKさん(旦那の方)の姿が見えたので 本当にがっかり、長い夜になると覚悟した。嫌いなKさんが今週3回目、なんてことだ。嫌いだからちょっとしたことでも 腹が立つ。案の定2回ももめて…思わず「下手くそ」と日頃思ってる本音を言ってしまった、他の重度のヘルパーなら 我慢しただろうに。でも「もう来るな」という言葉が喉元まて出かかったが我慢した、代わりがいないという弱味を握られて いるから。せめて14時間半という土曜日の夜間の長丁場をKさん(旦那の方)に任せるのだけは止めて欲しい、一番の問題の 元である経管栄養が2回あるし他の重度のヘルパーでも腹立つことがあるくらいなのだから。

9月9日 息苦しい
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。そして今日のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのIさんとFさん、何か あったらちょっとしんどいかなって思うメンバー。それに最近お風呂に浸かっていると息苦しいなって感じることがある、 先日湯船に浸かった状態で息苦しさを感じY看護師に蘇生バッグ(アンビュー)で押してもらったこともあったけど なんだろう。それに午後3時過ぎからの訪問リハビリでも息苦しくなった。場面は端座位が終わって立位運動に移る時、 このまま立ったら息が続かないと思ったからその前に蘇生バッグで10回ぐらいおしてもらった。そのためかいつも通り3回 立つことが出来たけど最後は息が切れ切れで苦しかった。

9月8日 歯を抜いた
今日は訪問看護ステーションOのH看護師最後の木曜日。朝のケアのペアはK会のヘルパーMさん、H看護師によるバイタル 測定とお腹の聴診・マッサージの後二人で排便介助。やっぱりH看護師の摘便は格段に上手い、下りてきている便を 掻き出した上にお腹に溜まっていたガスの大方?を出してくれた。それでも1回目の液半分の浣腸では便は出なくてガスが 出ただけだけど。けれど2回目残りの浣腸で便が下りてきて摘便でいっぱい出してもらった らしい、というのは僕は今では 自分では出た便の量が分からなくなっているから。まあ次の月曜までもつには十分な量出たことは分かったけれど。 Hさん 今まで木曜日本当にありがとうございました。
午後3時からは車椅子移乗、今度はM看護師と社協のヘルパーYさんが来た。そしてM看護師が脚のマッサージをしながら 「Hさんが辞める」とポロリ、その言葉で僕の涙腺が緩んでしまい涙がぼろぼろ出てきた、Hさんの前では涙を見せないように してはいるのだけど…。その後二人に一度立たせてもらってからスライドボードで車椅子に移った。そして1時間後には HさんとYさんが来てスライドボードで車椅子からベッドに戻してもらった。木曜日のHさんは本当にこれで最後、涙は こらえた。
車椅子移乗の前 2時からは訪問歯科、今日は先生が来て右下の5番目 前々からぐらついている歯を診てもらいやはり 抜くことになった。この歯は先日抜いた歯の左隣、先日抜いた歯よりずっとずっと前からぐらぐらとぐらついている 歯だった。今日抜いた歯は糸切り歯のはずなのだけれど形が全然尖っていないのはどういうことだろう。この5番目の歯を 抜くのに麻酔は前回抜いた4番目の歯の2-3倍は使ったと思う。その分麻酔に時間はかかったけれど抜くのは全然痛くは なかった。麻酔が切れた後も痛みはなくすっきり、やっぱり抜いて良かった。

9月7日 訪問理容
朝9時前から待ちに待った訪問理容、いつもの二人が顔を見せた。切るのはいつもKさん、切る度に「今度が一番髪が短い」と 言われるけど。補助が〇さん(名前不明)、一番初めから補助に付いてくれた女性で初めて見た時には会社時代の人事の 女性の双子かなと本気で思ったほど。Kさんはどちらかというと昔から若く見えたから今もほとんど変わらないけれど、 〇さんは綺麗だった分歳月が顔に出てた。まあ初めて会ってから20年も経つのだからそれが道理、変わらないKさんが おかしいぐらい。今日も今風に髪を切ってもらったようだ、ありがとうございます。それにしてもパソコンに映った顔を みたらひたいがばか広くなったなあ。
10時過ぎからは入浴車、散髪の後の入浴は本当に有り難い。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとGさん・ ヘルパーのMさんとKさん、そしてお湯に浸かった僕を囲んでの井戸端会議の今日の話題は修学旅行、過去2年中止とされて いた修学旅行が今年から縮小されて再開されたらしい。この2-3年の生徒や児童は満足な修学旅行が出来なくて本当に 可哀想だった、一番楽しい思い出になるかもしれないイベントなのに。台風11号一過以降季節が変わったみたいでお湯に 入った時のお湯の温度の感じ方やお風呂からあがった時の汗の湧き出し方も変わった。まあお風呂の気持ち良さは 変わんないけど。今日もお風呂をありがとうございました。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。まずは脚の可動域運動、今日も数を数えながらなんとか痛みに耐えていたけど踵の 可動域運動では我慢出来なくて歯ぎしりする場面もあった。次の立位運動ても気力がもうひとつ湧いてこない最近は H先生に立たせてもらい腰も伸ばしてもらっている割合が大きい、情けない話だけど頑張る意味が分からなくなった 今は。

9月6日 台風一過
今年始めて九州本土に接近した台風が対馬海峡を通過し日本海を北上しオホーツク海で温帯低気圧となって消えた。日本 近海の水温はまだまだ熱いようだからここしばらくは北上しながら発達する台風が日本を襲い、今回と同じようなコースを 辿るかもしれない。今日の午前中に来た訪問看護師さんが「風の音が強くて眠れなかった」とか「公園の木が倒れてた」とか 言ってたから激しい風だったのだろうが、僕は眠剤を服用して寝るので朝方目が覚めるまで風の強さに気付かなかった。 4時半に目が覚めてからも僕の耳には時々強い風がビュービューと吹いているように聞こえただけ、だから風はそう強くは ないのかなと思っていた。ほんと 鈍感としか言えないな。
火曜日のケアは朝の9時半から、そして今日のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師と社協のヘルパーYさんという 美人の二人(僕の目から見れば)。Yさんが洗顔している間に少し遅れてきたH看護師がバイタル測定とお腹の聴診、それから 二人で背中拭きと陰洗と車椅子移乗、今日は台風の関係で訪問リハビリがないから立ちたかったけど座らせてもらっただけ 儲けものだ。今日も庭が見える向きで座らせてもらった。今も時々風が強く吹いてモチノキや生垣の南天の枝や葉が大きく 揺れ…愛染カツラの最後の花も散ってしまっていた。それと 庭にあるモモの面影が小さくなったような気がした。
1時間後M看護師とH看護師が来て僕をベッドに戻してくれた後…ショッキングな話がMさんの口から出た、「Hさんが辞めて 福岡に行く」とのこと。ガーン ショック、だけど涙は我慢した。田舎を出て都会の暮らしをしたかったのだろう、まだまだ 若いのだから都会に憧れる気持ちは理解出来なくもない。人生に別れと出会いはつきものと分かってはいるが、この年に なっての別れは辛い。それに優しくて明るく上手なHさんがいなくなったら…火曜と木曜のケアはどうなるのだろう、 Mさんがいつも来れる訳もなく…考えたくない。
午後2時半からは訪問歯科、噛み合わせの時に右下の5番目の20年以上前からぐらついてる犬歯?が痛むと訴えた。そうしたら 木曜日に抜くことになるだろうと、まあ仕方ない、

9月5日 ちょっとした心配
朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさん、土曜日のケアもT看護師だったので今日は 違うかもと怖れていたけど…。そして今日のケアは洗顔・清拭・排便介助、洗顔と清拭は程よい力加減で気持ち良く満足。 排便介助では今日も浣腸液を半分ずつ2回に分けて注入してもらった。1回目の浣腸ではガスしか出なかったけど、2回目の 浣腸で一塊半出た。それでもまだ残っている感じだったのでもう一度浣腸してもらったが…便汁しか出なかった。昨日も 一昨日もラキソベロンを服用しておいたのに便が十分には降りてきてなかったみたい。入院中はこの方法は使えない。 レスパイト入院中の排便がどうなるか心配。
午後の車椅子移乗の担当はT看護師とYさん。この二人に一度立たせてもらってからスライドボードで車椅子に移動。背中を 伸ばすのにちょいと時間がかかったけど何の問題もなし。
夕方5時前嫁さんに挨拶する重度障害者訪問介護のヘルパーKさん(旦那の方)の声が聞こえて姿が見えたのがやっぱりKさんで …思わずがっかり、しょうがないけど。まあ9時でAさんと交代だったので良かったけど。

9月4日 疲れてる?
今日もまたYahoo GyaO動画を見ながら意識が途切れ…目が覚めたら動画がまたもや終わっていた。重度障害者訪問介護の ヘルパーがいる夜間の生活がどうやら精神的にも肉体的にもしんどくて体が疲れ参っているようだ。でもまあそれもあと 2週間の辛抱。16日からはレスパイト入院、二週間はゆっくり休めるし飽きるほど寝れる・寝るしかすることがない。まあ 寝ることにも一週間もすれば飽きるけど…、あと一週間ぐらいなら家に居るより精神的には楽だろう。

9月3日 僕の回りでまた新型コロナ感染者
昨日からまた右下歯茎が腫れて痛み始めた、また膿が溜まってきたのかもしれない。それに強く噛み合わせると右下の 昔からぐらついてる犬歯?が上の歯に当たって痛いのだ。この現象を短期間に何度も何度も繰り返している。どうやら潮時 なのかもね。
僕の回りでまた新型コロナ感染者が出た。今度も重度障害者訪問介護(夜間)のヘルパーさん、これで重度のヘルパーさんで 3人目。しかし 彼女は家でもことある毎に消毒して新型コロナウイルスには気を配っていると言っていたのだけれど…、 そんな彼女でも新型コロナウイルス陽性判定。ほんといつ誰がどこで新型コロナウイルスの感染者になるか分からない 世界。まあ彼女には小学生のお子さんがいるからそこからもらったのかもしれないし 実態は分からないけど。
前々日の夜間10時間彼女の介護を受けたのだけれど、彼女がマスク・手指消毒・ソフトグローブをして僕に対応していたのと 接触時間が少ないということで濃厚接触者には当たらないという保健所?の判断だったようだ。もし僕が濃厚接触者に なっていたらしばらくの期間介護サービスが受けられないのはもちろんのこと(嫁さん一人で対応出来るはずもなく かといって人工呼吸器を着けてる僕を受け入れ出来る病院もない)、昨日今日接触した10人はどうなっていたのだろう。 そう考えると拡がりが怖い。

9月2日 色々なことがある金曜日
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日のスタッフはF看護師(ケアマネージャー)とY子看護師・ヘルパーはIさんと Kさん。お湯に浸かっている僕を囲んで台風11号の進路について話が出てたけど今日も話はよく聞こえなかった。右耳が 更に聞こえづらくなっていることもあるけど…気力が湧いてこない。今日お湯に入った時あんまり熱くは感じなかったけど エアコンの設定温度を下げなかったからかお風呂からあがってからまた今日も汗が噴き出した。申し訳ない。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診。診察とカニューレ交換の後嫁さんがT先生に親父の検査結果を聞いたら 「肺のレントゲンは変化なし・CTは幾分良くなっているのではないか、半年に一度レントゲンを撮って経過観察をして いこう」とのこと。嫁さんが「100まで生きるって言ったけど本当かも」と笑っていた。まあ次に逝くのは僕だから。
午後3時半前からは訪問リハビリ。まずはベッドの端に端座位、端座位していると部屋の窓の外にはエアコンの室外機が 見える、室外機の上の毛布はモモの一番お気に入りの場所だったけど…今はもうどんなに見てもモモの姿は僕の目には何回 見ても映らない。モモが見えないと力が入らないのかも。脚の可動域運動は独り言を言って数字を数えて何とか 我慢出来たけど…。

9月1日 今日は一日H看護師
今日のケアは一日訪問看護ステーションOのH看護師Day。
午前のケアは洗顔と排便介助、木曜日はまずH看護師が先発で来てバイタル測定とお腹の聴診・マッサージ そして洗顔。 洗顔の途中でK会のヘルパーMさんが着いて洗顔の後すぐに排便。たた今日は難しいと思っていた、いつも通り昨日一昨日と ちゃんとラキソベロンを服用していたのに今朝になっても便意は全然襲ってこなかったし下りてきている便の量も月曜日に 比べても少なそうだったから。だけどH看護師は上手かった。最初の1回目の液半分の浣腸こそガスしか出なかったけど…、 その後の摘便が上手く大腸を刺激したのか2回目の残り分の浣腸で片手一杯分以上の便が出た。それでもまだ肛門近くに 便と便汁かガスが残っている感じがしたのでもう1本浣腸液を注入してもらった。それですっきりとまではいかないものの 月曜日までもてる分ぐらいは出た。今日はこれで十分 と思って洗ってもらった。
午後3時からは車椅子移乗、ベッドから車椅子に移る時はH看護師と社協のヘルパーYさんが担当・車椅子からベッドに戻る 時はH看護師とFさんが担当。木曜日は一度立ってから車椅子に座らせてもらう日なので立たせてもらったけど、久しぶりに あまり膝折れせずに立てた。車椅子に移るのは行きも帰りもスライドボード、腰がちょっと痛んだけど二人で僕を車椅子に 移すのだから仕方ないか。


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8月
8月31日 チビのため?
チビはモモがいなくなってひと月以上経つが今も寂しく思っているのだろうか。先日座敷の横の猫の通路のコンクリートの 上で涼んでいるチビの姿を見たけど…やっぱり寂しがっているように見えた。チビが寂しさのあまり寿命を縮めちゃ元も 子もない。チビが寂しがらないようにするためには家の中でチビと気の合う友達を作ってやるのが良い、そう考えて重い 腰を挙げてFacebookで知り合った(よく猫の里親を捜している)中学の同級生の奥さんに「妻に子猫を見に行かせたい」と メッセージを送った。色好い返事が返ってくればいいけど。
午前10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとY子さん・ヘルパーのMさんとKさん。Aちゃんが いるのに今日の僕は浮かない気分、みんなの話もほとんど聞こえてこなかった。今日もお風呂からあがってからいつまでも 汗が引かなかった、温もり過ぎだ。それもあるけど今日はお風呂の中で特に息苦しさを感じた、浴槽の中でAちゃんに 蘇生バッグ(アンビュー)で押してもらった程だった。
モモが見えなくなってからリハビリにも気合が入らなくなった。

8月30日 部屋の様子が変わった
今日の午前中のケアの担当は社協のヘルパーFさんと訪問看護ステーションOのM看護師、Fさんが5分前に来て洗顔・M看護師が 10分遅れてきて大急ぎでバイタル測定。それから二人で背中拭き・陰洗 そして車椅子移乗、車椅子には今日も庭向きで 座らせてもらった。お隣の庭に接する生垣の中で細いモチノキ?だけがより高く葉や枝が伸びていた。僕の部屋のパソコンの 上や部屋の隅っこの陽当たりの良い棚の上には荷物が置かれていた、これじゃ猫が休めないだろうに。ただ僕の部屋の窓の 外の室外機の上の毛布だけはモモが来るのを待っているように見えた。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の可動域運動、H先生に左腕を 強めに引っ張られた時は肩が抜けるように痛んだ。やはりこの肩は腕を真横から上に挙げる動きと腕を引っ張る動きに 弱いようだ。次に4歩の歩行運動でベッドに戻った。1歩目の左足重心の時に膝が完全に伸びきらないまま歩いたって感じで ちょっと不安定かなと思える部分もあったし、4歩目で腰の真ん中に全体重がかかった時に一瞬痛って思ったけど…歩きは まあまあだったかな。

8月29日 運の悪い日
月曜日の朝のケアは10時半から、僕の部屋の障子が開いて今日の担当の訪問看護ステーションTのK所長が見えた時には 「今日の排便は無理だな、せめて下腹に下りてきている便ぐらいは出てほしい」と思った程だ。救いは社協のヘルパーYさん、 YさんならKさんを上手くリードしてくれるかもと思っていた次第。だが現実はそんなに甘くはなかった、お腹のガスを 動かすマッサージの仕方も摘便の感じも違った、便はあまり出そうになかった。案の定1回目の液半分の浣腸ではガスしか 出なかった、が 少し降りてきている感はあった。そして2回目残りの浣腸液を注入してもらうと両手に満たない分くらいは 出た。これで木曜日までくらいはもてると思ったけど…下腹に便と便汁が残っている感じがした。いつもならもう一度 浣腸してもらうところなのだけど、ケアの終わりの時間も気になったし…諦めて洗ってもらった。それでもケアが終わった 時間は12時10分と10分オーバー、どうしたものかなあ。
午後3時からは車椅子移乗、今回はT看護師と社協のヘルパーYさんが担当。月曜日の車椅子移乗は一度立ってから。今日も 立たせてもらったがまた右膝から折れかかった、二人が両脇を上手く支えてくれていたからよかったけど。そろそろ限界が 近付いているのかもしれない。それ以外は何の問題もなくスライドボードで車椅子に移りベッドに戻った。
夜間の重度障害者訪問介護の担当は僕とは性格の合わないKさん(旦那の方)、長い嫌な夜になりそうだ。

8月28日 月命日
今日はモモの月命日、ひと月前の今日の早朝モモは僕を誘わずに一人でひっそりと逝ってしまった。寂しいよモモ、この 数年僕と一番一緒に居てくれたのがモモだったから心の中にぽっかりと大きな穴が開いたようで毎日寂しい。本当は河原の 適度に大きな石を拾ってきてモモと彫ってモモが眠っている所に置きたいけど…、自分では出来ないから猫の墓石でも 買ってモモの埋葬された山・所に置きたいけど、他の家の山にモモの墓石を置いてもらう訳にはいかないだろうし…。
今日も嫁さんがチビを僕の部屋に連れてきてくれた。今日は日曜日だから日中は誰も来ない。チビが何時まで僕の部屋に 居てくれるか楽しみだった。嫁さんが僕の部屋に来た時には必ずチビに話しかけていた。それに答えるチビの声が小さな 声で「クウン」、やっぱり寂しそうに聞こえる声だった。う〜ん どうしよう、子猫を探すべきか。嫁さんのケアが終盤に 近付いた正午過ぎ、チビが毛繕いする姿が絵のガラスに映って見えた。いよいよ動きだす準備に入ったか。そして毛繕いが 始まって10分ぐらい経った頃ポトリと音がした。嫁さんに「チビは?」と聞くと「(部屋から)出ていった」と。チビも一日の 活動期に入ったようだ。

8月27日 T看護師のケア
土曜日のケアは午前中のみ、夕方まではゆっくり出来る。朝8時頃嫁さんがチビを僕の部屋に連れてきてくれたけど… 10時過ぎ訪問看護の自動車の音がしたら?部屋を出ていってしまった。図太いモモだったらこんなことはなかったのに。
今日の担当も訪問看護ステーションTのT看護師(7回?連続)とK会のヘルパーTさん、そして昨日通院だったから今日のケアは 洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コース。今日のT看護師とTさんの洗髪と清拭は幾分力不足の感はあったけれど気持ちは 良かった。結局今日のケアも15分オーバーしてしまった。どうして1年前はこれに排便介助が加わっても同じくらいの時間で 出来たのか、よっぽど昔の看護師さんが優秀だったのか それとも昔の方がペアの息が合っていたのか。不思議。でも僕は T看護師のケアには十分安心出来てる。僕が所要時間を気にしすぎているのかなあ。

8月26日 通院日
今日は通院日、11時半前まではゆっくり出来るけどそこからは大忙し。11時半前社協のヘルパーFさんとKさん二人が来て スロープの設置・洗顔・脚のマッサージ・脚の装具付け、そこへ訪問リハビリのH先生が着いてヘルパーさんと一緒に頸に 装具を付けて僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。最後に嫁さんが吸引をして…リフト車が着くのを待って外に 出た。空は晴れ模様、いつもの隣家の塀際の花壇のナデシコの花がまだ幾つか残っていたし側に牡丹?の花が幾つも 咲いていた。病院への行き帰りもモモの眠っていると聞いた山は見えなかった。そしてリフト車の中からも景色を見る気にも ならなかった、ただ眠くて…目をつむっていたい気分だった。
病院に着いて玄関でリフト車を降り待合室の入り口で検温して救急処置室@に入ったら…誰もいない、ちょっと待ったら 外来の看護師が現れて僕を車椅子からストレッチャーに移動させバイタル測定。している途中で隣の救急処置室Aから 「くも膜下出血」という言葉が聞こえてきて…嫁さんが看護師さんに「どかなくていいの?」と聞くと「このままでいい」と。 その後しばらく待つと(今日は最近のいつもより待った と言っても待ち時間は30分未満)主治医が来て診察とカニューレ 交換、それから主治医と嫁さんが話して9月16日からのレスパイト入院が決まった。このレスパイト入院について 重度障害者訪問介護との人間関係に疲れている僕には異論はなかった、むしろ僕も重度障害者訪問介護のヘルパーとの間に 時間と距離を置きたかったくらい。事情があるから許されないけど毎日毎日あの連中と顔を付き合わせるのも辛いものだ。 そしてこの間重度障害者訪問介護のヘルパーさん達と会わずに済む、こういう意味ではこのレスパイト入院はいい 機会かも。主治医の診察が終わって車椅子に戻してもらい外に出るとトンボがリフト車の回りを飛んでいた。帰り道 リフト車の中から田んぼを見ると稲穂が所々顔を見せていた。少しずつ秋の気配。
家に着いて部屋に入り時計を見るとまだ2時半前、待ち時間があった割にはかなり早かった。そして10分ぐらい待ったら H先生が着いてリハビリ開始。今日は4歩の歩行運動も脚に上手く力が入って 脚の可動域運動も割と我慢出来て前回よりも 良かった。少しは落ち着いてきたか。

8月25日 チビが寂しそう
木曜日の朝のケアは9時45分から、火曜とは15分遅いだけなのに気分的には大違い、バタバタせずに済む。今日のケアの 担当は訪問看護ステーションOのH看護師と久しぶりにK会のヘルパーAちゃん。木曜日の洗顔は看護師さんが担当、しかし 看護師による週に1回の洗顔は僕の顔の皮膚状態の確認に有益だと思っている。効率から言えば他の曜日のように ヘルパーさんが一緒の時間に来ればいいのだろうが…僕はそれを望んでいない。
木曜日の朝のケアは洗眼と排便介助、排便で浣腸は今日も液を2回に分けて半分ずつ入れてもらった。結果便は両手一杯は 出たとのこと、まあまあかな。僕はこのところ自分の出したはずの便の量が分からなくなった。どうも僕は排便のやり方を 忘れた・便を出す感覚を忘れてしまったようだ。
午後3時からは車椅子移乗、今日はテレビと外がギリギリ見える向きで座らせてもらった。座って外を見てたら久しぶりに チビがゆっくり見えた。チビは座敷の雨戸入れの下がお気に入りだ、よくそこで涼んでいる。何となくチビが寂しそうに 見えた。モモのことは絶対に忘れることは出来ないけれど…やっぱりもう1匹ネコが居た方がチビは楽しく 幸せなのかなあ。

8月24日 気持ちの変化
朝10時過ぎからは入浴車、今日は朝から頭の中がボーっとしてて何も考える気にならなかった。今日の入浴車のスタッフの 中には久しぶりに明るいA看護師がいたけど…浴槽に浸かっている時の話も耳に入らなかった。まだ時々何もかもが無性に 寂しくなるしむなしくなる、気分の乗らない自分がいつもいる。切り替えるのは今の僕には難しいことだ。今日は お風呂からあがってからあまり汗はかかなかった、少しは涼しくなったのか。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域運動。今日は膝の裏や踵に痛みが早めに来た、というより 我慢するのが嫌になったというべきか。どうも僕の心持ちの問題のようだ。次が立位運動3回、1回目は腰がどう痛むか 探りながら。どうしても腰の痛むのが怖いのか恐る恐るになってしまう。2回目・3回目は腰がどう痛むのか体が分かって くるので立ちやすくなって左右の片足重心もだんだん安定してくる、まあ呼吸はしんどくなってくるけど。それが 辛いかな。

8月23日 やっぱり何処にも居ない
今日のケアは朝9時半から、担当は訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーFさん。今日はMさんが10分遅れで 来た。Mさんが来たにしては玄関が開くのが珍しく早かったから僕はてっきり来たのはH看護師と思っていたけど、僕の 部屋の障子を開けて入ってきたのはMさんだった。洗顔・背中拭き・陰洗の後は車椅子移乗、今日も車椅子を庭の見える向きで 座らせてもらった。部屋の中や外のあちこちにモモの想いがあった、部屋の隅の日当たりの良い棚の上の水色のタオルや エアコンの室外機の上の黄色い毛布・座敷への上がり石や隣の家への猫たちの通路、何所にも姿は見えなかった。もし僕に 霊を見る力があったなら少しは見えたのかも…。でも もしかしたらモモが埋葬されたと聞いた山はここからは1kmはある モモが全然知らない所、誰かが迎えに行って呼びかけなければ霊もうちに戻って来れないのかも。

8月22日 今日はもうひとつ
今日も排便の日、担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさん。T看護師は6回連続、僕の専任になったと したらそれは嬉しいけど…。今日もT看護師とYさんは外で待ち合せしているのか一緒に部屋に入ってきた。そしてYさんが 洗顔している間にいつもの月曜日と同じ様にまずバイタルを測った後お腹のマッサージをしてガス便を移動させ脚を マッサージしてほぐしてもらった。それから二人で清拭と排便介助、僕の下腹は昨日のラキソベロンが効いているのか 張ってはいるけど量はそんなに多くはなさそうだ。清拭はどこもしっかりと拭いてもらった。そして排便介助、今日も 浣腸液を2回に分けて半分ずつ注入してもらった。それでも便は一塊ちょっとしか出なかった、今日は両手一杯分は出て 欲しかったのに。それにまだ下腹にかたいのが一つ残っているような気がしてもう一度浣腸してもらったけど…便汁しか 出なかった。それで諦めて下も洗ってもらった。それにしても月曜日に下腹に便がこんなに残っている感じは久しぶり、 まあ木曜までは何とかもつだろう。
午後3時からの車椅子移乗。月曜日の車椅子移乗は一度立ってから再度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移して もらうって手順だけど、今回の担当もT看護師とYさんという安心感のあるコンビだったから何の問題もなし。ただ 看護師さんとヘルパーさんに脇を支えてもらって立たせてもらうようになってから、右膝がすんなりとは伸びなくなって 二人に苦労をかけてる。すんなりと立つことが出来なくてなくて申し訳なく思っている。

8月21日 嫌いになりそうだな
重度障害者訪問介護のヘルパーの中でお気に入りだったはずのFさんのことを嫌いになりそうだ。髪を短く切って雰囲気が 変わったこともあるけど…一番の理由は毎度毎度5分-10分遅れてくることに反省の色がないこと。遅れてきても 「ごめんなさい」と言えば済むかのように思っている態度が それにその事を注意した時の改善する気がしない態度がついに 許せなくなった。思えば今までFさんの家庭環境に配慮し過ぎて甘く接してきた、もう3年にもなるのに時間前に来たことが 何回あったか。こちらのその甘い態度がFさんを増長させたのだろう。

8月20日 土曜日のケア
昨日・今朝とYahoo GyaOで動画を見ていて突然寝ていた自分に気が付いた。最近こんなことがよくある、疲れているのか。 寝不足なのは自覚している、夜中によく目が覚めるから。でも少々無理をしても構わない、後ひと月もしないうちに レスパイト入院なのだから。それにしてもYahoo動画を見てるうちにこんなに眠りに落ちることが今までにあったか。
土曜日のケアは午前中だけ、洗顔・清拭・陰洗の1時間コース。担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパー Fさん、Fさんが洗顔している間にTさんはバイタルを測り脚をマッサージ。それから二人で清拭と陰洗。Tさんの拭き方や 拭く力加減が最近丁度良くなった。安心して任せて目を閉じていられる、楽だ。訪問看護ステーションTの看護師の中で 最も僕が信頼しているのがTさんだ。でも5回連続でTさんが来てる。月曜はたぶん違うんだろうな。そう考えると今日 違う看護師で月曜日にTさんの方が良かったか。

8月19日 4回目のワクチン接種
昨日の一八夜の浮流は縮小して開催されたと聞いた、どてまかしょ(喧嘩浮流)もじゃーもん(風車の仕掛け花火)も なしだったそうだ。しかし地域の伝統的な夏祭りを守るためには開催したことに意義があったのだろう。なにせ山田神社の 浮流(一五夜)は山谷という昔の村に属する地区の持ち回りで行なっているのに対し、一八夜の浮流は我が地区だけで やっているのだから。
午前10時過ぎからは今週2回目の入浴車、この暑い時期だから週2回の入浴は本当に助かる。ありがとうございます。今日の 入浴車のスタッフは看護師のYさんとGさん・ヘルパーのFさんとKさん、今日はお風呂からあがってからあまり汗を かかないようにお風呂に浸かっているうちにエアコンの設定温度を25.5℃にしてもらった。だけど汗はやはり噴き出して きた。お風呂からあがった後に汗をかかないように調整するのは中々難しいなあ。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、その時に新型コロナウイルスの4回目のワクチンを射ってもらった。3回目の ワクチン接種の時が発熱と腰・注射痕の痛みで苦しめられたから4回目も何かあるかもと気を引き締めていたのだけれど、 注射した時もその後も驚くほど何にもなくて…拍子抜けしてしまった。このまま明日も何もなくて無事通り過ぎてくれれば いいのだが。診察の後に先生と嫁さんが「(10月から始まる?)オミクロン株専用ワクチンとインフルエンザワクチン」について 話してた。今年まだ2回もワクチン接種するの?

8月18日 一八夜の浮流
朝7時花火の音は聞こえなかったけど正午の花火の音は鳴った、一八夜の祭はあるのか。午後2時も4時も花火の連発が 打ち上がった、一八夜の浮流は今年は3年振りに行なわれるようだ。せめて打ち上げ花火ぐらいは見たいものだけど…。 新型コロナウイルス感染者が増えている我が町、どんな形で祭を浮流を進めたのか。その進め方に地区のそして町の 新型コロナウイルスに対する姿勢が現れているはずなのだが。
木曜日のケアは午前9時45分から、担当は訪問看護ステーションO。午前中はH看護師が来た。まずバイタルを取りお腹の 聴診をし洗顔スタート、洗顔の途中でK会のヘルパーMさんが来て排便の準備をし脚のマッサージ。そして二人で排便介助。 H看護師は最初にお腹のマッサージをしてガスを移動させて摘便でガスと下りてきていた便を出してもらった。Hさんは お腹を押しながらの摘便が本当に上手いのだ、見事な程よくガスが出るのだ。それから2回に分けて半分ずつ浣腸液を 注入、今日も上手くいって両手一杯分出たと。十分だ。
午後の車椅子移乗はM看護師が来た、ひと月ぐらい会ってないと思う。でも僕にとってはその方が良かった、Mさんを見ると モモのことを思い出して悲しくなるし…Mさんから「モモ」って言葉が出るのが怖かったから。
夜8時花火の連発の音が聞こえた。例年より打ち上げ花火の量がかなり多かった気がした、お花(寄付金)が多かったとは 思えないけど。とはいえ一八夜の浮流が行なわれて良かった、何年も間隔が開くと伝統を受け継がれるのが難しくなると 思うから。

8月17日 12日ぶりのお風呂
先週お風呂が中止になったから今日は12日ぶりのお風呂、入院した時はこのくらい間隔が開くのはしょっちゅうだけど 自宅でこんなにお風呂がなかったのはこれが初めてじゃないかな。ところが入浴車の時間になって外は音が聞こえる程の 大荒れ、雨はザーザー降り雷はゴロゴロドーンの繰り返し、スタッフが「停電しなけりゃいいけど」と言っていたし最後に 入ってきたヘルパーさんなんか肩の所がずぶ濡れになっていた。それくらい激しい雷雨だった。今日の入浴車のスタッフは 看護師のFさん(ケアマネジャー)とGさん・ヘルパーのMさんとKさん、Fさんは手をブラブラした後に手を挙げてくれたし Kさんは頭を何回もゴシゴシ入念に洗ってくれた。今日は胸にシャワーをかけることもなかったのにお風呂からあがったら 相変わらず汗がダラダラ噴き出して看護師さんに迷惑をかけた。やっぱりエアコンの設定温度をもっと早く下げて おかないといけなかったな。
午後2時過ぎにフジレスピロニクスの担当者が人工呼吸器の点検?に来た。僕はこの担当者の名前も覚えていない、おそらく 話したこともこの十数年間で一度か二度あるかどうかだ。僕は僕と話しをする気もないこの担当者が昔から好きでは ないのだ。嫁さんとこの担当者が話してるのを聞いていたら「呼吸器を交換して持ち帰る」とか…聞き間違いかもしれない けど。でもそんなことをしていいのか、呼吸器の交換は病院で行うことになっているはずだろう。この日はこの担当者が 持参した呼吸器の調子が何か悪くて交換せずに持ち帰ったみたいだけど。しかし これってヒヤリハットだろう。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初は股関節と脚の可動域運動、股関節・膝の裏(および大腿二頭筋)・踵の 可動域運動の時に痛みはそれぞれ前より早めに来るけど何とか耐えた。立位運動は立ち上がって腰を伸ばす際に一瞬腰から 力が抜けるけどH先生が上手くフォローして下さっている。後は力も入るし…まあまあか。

8月16日 庭向きに座って
火曜日のケアは9時半から。社協のヘルパーFさんが5分前に来て洗顔開始。ところが訪問看護ステーションOのH看護師が 10〜15分遅れて合流、バイタル測定とお腹の聴診をして「今日もガスは溜まってる」と微笑し「今日はお腹がよく動いている」 と言ってた。それから脚をマッサージしそして二人で背中拭きと陰洗、遅れてきた割には車椅子移乗の前に時計を見たら まだ10時10分より前だった。車椅子は今日も庭向きに座らせてもらった。庭を見たら室外機の上とか石の上とか隣の家への 通路とかあちこちにモモの軌跡が残っていて辛く悲しくなるのは分かっているのに…、どうしてももう一度モモに 会いたくて見てしまう。庭の生垣のモチノキ?もだいぶ背が伸びたなあ。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、今日も疲れているのか中々目を開ける気にならなかった。まずは左肩・肘・腕・手の 可動域運動。痛みが来るのは先週よりは遅くなったけど…やっぱり痛い、心の中でモモに痛いよって言いながら我慢した。 ベッドに戻る際の4歩の歩行運動は初めから膝折れしそうで不安を感じてた。1歩目と3歩目左足重心になる時は後ろ足で 体を前に押すつもりでいたのだが…出来なかった。それに少し膝折れしそうな感じになったけど力を入れて踏ん張った。 右足重心の時は腰の真ん中にグッと痛みが来たけど耐えられた。後は右上半身の可動域運動と呼吸リハ、でも先週よりは ずいぶんマシになったと思う。

8月15日 花火の音が聞こえない
上の息子と入れ替わりで今日の夕方下の息子が来て嫁さんと一緒に実家にお盆参りに行った。いつ家に帰ってきたかは 知らないけど気が付かないうちに戻ってきてた。8月初めに新型コロナウイルス感染の陽性判定を受けて10日間一人で 隔離生活をしていた下の息子に「体調はどうだ?」と聞いたら、「もう回復した、喉に症状があったのも3日程」と。咳も 出てないようだし安心した。
パソコンでアニメを見ながら夜8時ぐらいから気を付けていたつもりなのだけど…花火の音が聞こえなかったみたい。 やっぱり一五夜は 山田神社の浮流はなかったみたい。これじゃ一八夜もないのだろうな。これで3年間一八夜の祭が浮流が なかったことになる。可哀想なのは今年度末に高校を卒業して我が地区を離れる高校3年生、一度も一八夜の浮流に 触れずに我が地区を出ていくことになる。一八夜の浮流の本当の面白さを知らないままに…。
今日のケアは洗顔・清拭・排便介助、何の問題もなく今日も終わった。担当看護師は訪問看護ステーションTのTさん、今日で 4回連続だ。担当がTさんだったらほとんど何にも言わなくていいから安心、ゆっくり出来る。便の量は両手一杯以上かな、 木曜までは十分もてる。

8月14日 上の息子帰る
12日の夜に戻ってきた上の息子も今朝8時過ぎに自分の町名古屋に帰っていった。モモが僕の部屋をいつもの様にシッポを 振りながら出ていったのに…帰ってこなかった(逝ってしまった)ように、この息子と次も必ず会えるとは限らない。こんな 想いで見送った、僕もいつ急変して迎えがくるか分からないし。上の息子には「仕事は面白いか?」と聞きたかったのだが、 悩んでいる様子もないし…大丈夫だろう。僕の会社員 新人の頃とは大違い、僕は入社して4年半は転職のことばかり 考えていたから。

8月13日 お盆 か
世間は今日からお盆、まあ我が町は7月盆だからあまり関係はないけど。嫁さんと上の息子は実家の方がお盆ということで 昼からお盆参りに出かけていった。それで重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが正午から来てくれた。僕は…いつから お盆という行事に関わっていないのだろう、もう忘れてしまったな。そういうのも寂しいものだけど…。
土曜日のケアは午前中のみ、昨日通院だったから今日のケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コースだった。担当は 訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーTさん、珍しくTさんが遅れてきたけど。洗顔のあと二人で洗髪、 T看護師は結構上手くて気持ち良かった。髪を洗った後あとで 午後から頭が痒くなるのはあるあるだけど。それから清拭、 T看護師もだいぶ慣れてきたって感じでゆっくり出来た。もう5ヵ月も経つから当たり前かな、今週3回目のケアでもあるし。 最後の陰洗もそつなく終わったし今日も問題なし。

8月12日 通院日
今日は通院日。午前11時半前に社協のヘルパーKさんとYさんが来て外出準備、二人でまず家の玄関にスロープを設置して Kさんは洗顔・Yさんは脚のマッサージ。そのマッサージの途中でもう訪問リハビリのH先生が着いて脚と頸に装具付け。 それからH先生が僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれて、最後に嫁さんに吸引してもらって外出準備完了、外に 出た。空は強い雨模様、リフト車に乗り込む時は一時的に小降りだったけど。リフト車に乗り込む時にお隣の塀際の花壇を 見るといつものナデシコも花が少なくなっていた、3ヵ月僕を楽しませてくれたナデシコの花ももう終わりなのだろう。 空を見上げてもツバメの姿は1羽も見えなかった。来年ももう来ないのかもしれない。病院に向かっていても瞼が重くて… 今日は景色を楽しめなかった、モモはいないし人が嫌いになって眠りの時間も短いし…精神的にしんどい・ 疲れているみたい。
病院に着き玄関でリフト車を降りて待合室の入り口で検温(35.9℃)してもらってから救急処置室に入った。看護師さん達と ヘルパーのKさんに車椅子からストレッチャーに移してもらった途端病院の外に大きな雷が何回も落ち、短い時間だけど 一度停電もした。看護師さんも「こんなに酷いのは初めて」と言っていた程だ。それからバイタルを測り採血をして主治医が 来るのを待った。血液検査があった時は主治医はいつも検査結果が出た頃(20-30分後)に来るのだけれど、今日は僕の 気付かないうちにもう来てた。そしてすぐに診察と処置(カニューレ交換)。その後嫁さんは薬の処方について主治医と話を していたのだが、「背中に痛みがあるようだからリリカを増量して欲しい」と頼んだらしい「いくら増やします?」と 聞かれた。確かに背中?腰の右上?には強い痛みがある、ベッドの上半身を下げる時に顕著に表れる。だけどリリカを 減らしたから痛みが強くなった訳でも出た訳でもない、何か他の理由があると僕は考えてる。だから次の9月のレスパイト 入院で画像を撮ってから、それまでは痛くとも我慢する。モモのことを考えるとそれくらいの痛みに耐えるのは当然だと 思っている。そう考えてリリカの増量は断った。
そして帰り支度、ストレッチャーから車椅子に移って玄関に移動しリフト車に乗り込んだ。空は依然として雨模様、景色が 窓に付く雨粒でよく見えなかった。ただ稲の緑が大きくなっていることは分かった。家に着き部屋に入って時計を見ると まだ2時半前、リハビリまではもう少しある。今日も早かった。
10分ほど待ったらH先生が着いてリハビリ開始。まずは車椅子から4歩の歩行運動でベッドに戻った。歩行の時に腰の どの辺りが痛むのか確認している自分が常にいた。右足重心の時にはやはり腰の真ん中にぐっと来る痛みはあったけど脚は 力が入って踏ん張ることが出来、歩行にはあまり支障はなかった。あとは歩行に自信の持てない自分がどこかにいるから 自信を持つこと だな。脚の可動域運動は痛む領域が遅くなって水曜日よりはかなり我慢出来たと思う、まあH先生が力を 緩めてくれただけかもしれないけど。全体的には上向きかな。
分かってはいたけれど今夜の重度障害者訪問介護の担当はKさん(旦那の方)、今日は午後4時からの約束。部屋の障子が 開いて実際にKさんの顔を見た時「我慢の夜の始まり」と本気で思った。Kさんのことは出来るだけ無視して見ないように・ 必要最低限しか話しかけないようにしてるけど…それでもことごとく腹が立つ。これは相性が悪いというよりも肌が 合わないというべきだろう。こんな状態で週1回我慢しているのにそれを増やすなんて…、もう嫌と本部に訴えようかな。 もう1点Kさんについて気になることがある…。ひと月程前Kさん夫婦は新型コロナウイルス感染の陽性判定を受けた、 症状はどの程度だったかは知らない。多分二人とも先週から現場復帰しているのだろう、奥さんの方は先週から僕の所へ 来ている。旦那の方は今週の月曜から僕の所へもまた来るようになった。その旦那の方が月曜日の夜もそうだったが時々 盛んに咳をするのだ。新型コロナウイルス感染症の後遺症だろうとは分かってはいるけれど…まだ新型コロナウイルス 感染症が治ってはいないのではないかとつい疑ってしまう、こんなことを考えたら新型コロナウイルスに対する偏見と 見られるのかもしれないけど。

8月11日 山の日
今日は旗日 たぶん山の日、山登りが好きな僕はFacebookへの投稿で写真を楽しむしかない(僕にとっては)迷惑極まりない いらぬ祝日だ。だが多くの企業に勤める民にとっては盆休みを1日増やす貴重な祝日、現に名古屋にいる上の息子も夜遅く 公共交通の人混みを避けて自動車で帰ってきた。
祝日ということで木曜日担当の訪問看護ステーションOは休み。代わりに訪問看護ステーションTが来てくれた、2週間前 2回続けて休んだことのお返しとのこと。洗顔するのが始めてとのことでT看護師とK所長の二人が来た。主にT看護師が バイタルと洗顔を担当しK所長がお湯の準備など補助って感じ、おそらくバイタル測定と洗顔を30分で終える自信が なかったのだろう。洗顔の途中でK会のヘルパーMさんが来た、Mさんはだいたい10分ぐらい早く来るのだがT看護師は少し 慌てた感じだった。洗顔が終わるとK所長は次の現場に向かって行って…残った二人は背中拭きと排便介助、先週便が余り 出なかったから一昨日ラキソベロンを7滴服用した。その効果があったのか今週の月曜並みの便意があった。まず摘便で 下りてきていた便を掻き出してもらった。浣腸は今日も半分ずつ2回に分けて。1回目の浣腸で僕にしては固めの便が一塊 でた。その後摘便で固めの便の残りを出してもらい2回目の浣腸、それでガスとある程度の量の便汁が出た。これで 両手一杯は出たはず。満足だ。
午後の車椅子移乗は中止、仕方ない。その分パソコンを楽しんだ。

8月10日 また身近に
朝社協から電話があって「看護師さん二人が体調が良くなくて入浴車に入れないから、代わりにヘルパー二人による清拭に して欲しい」と、洗髪は出来ないと承知の上「OK」の返事。そして10時過ぎFさんとMさんが来てくれて事情の説明、「看護師に 新型コロナウイルスの陽性者が一人でて一人が濃厚接触者」と。これで身内の2人(遠方)を含め身近に6人の新型コロナ ウイルス感染者が出たことになる、症状は軽そうだけどインフルエンザ以上の感染力。外には何処に新型コロナウイルス 感染者がいてもおかしくないって状況だな。これでもし社協の全機能が止まったら僕のケアは回らないし我が町で困る人は たくさん出るんだろうな、考えたこともなかった。
Fさんがまずバイタルを測りそして洗顔、Mさんが僕のケアに入るのはほんと久しぶりでドキドキしてると言ってたし手順も もう忘れたらしい。僕はこの二人なら結構好きだし安心なんだけど。それから二人で清拭、入念にやってくれた。最後に Fさんから「モモのこと聞きました」と言われまた涙が止まらなくなって…。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。脚の可動域運動は相変わらず痛みが早めに来る、「我慢」という言葉を 忘れたみたいだ。立位運動は先週よりは腰にも膝にも太股にも力は入ったから比べたらまあ良かったと思う。ベッドの 高さを少し高くしたからじゃかな。

8月9日 歯茎が痛い
火曜日のケアは午前9時半から、まず社協のヘルパーKさんが先発で来て「(訪問看護ステーションOの)H看護師から遅れると 連絡が入った」とのこと。僕は「Hさんのことだから遅れると言っても45分には来るだろう」と高をくくっていたが…その間に Kさんは一人で洗顔・背中拭き・陰洗の途中まで、そして30分遅れで来たH看護師と二人でお尻拭きとスライドボードを使って 車椅子移乗。今日も車椅子は庭向きで座らせてもらった。室外機の上の毛布も見える景色もいつもと同じ風景、ただ 何処にもモモが存在しないだけ。H看護師が車椅子に座ったままバイタルを測ってその後「7月の終わりに何か悲しいことが ありました?」と聞いてきた。ただ涙…。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、最初は左肩・肘・腕・手の可動域運動。痛みに耐えきれず歯ぎしりすることも しばしば、もう気持ちがなえたって感じ。次が4歩の歩行運動、やはり自信を失ってるって感じかな。それに右足重心に なった時に腰を真っ直ぐに伸ばした瞬間(腰にきれいに上半身の体重がかかった瞬間)腰にズキッときて腰から力が抜ける ような不安に襲われた、まあ歩けたけど。それから右肩・肘・腕・手の可動域運動と呼吸リハ、それでH先生のリハビリは 終了。調子はもう一つ。
午後2時半からは訪問歯科。先週歯科衛生士さんに口の中をきれいにしてもらって以来右下の歯茎がピンポイントで痛く なって、この一週間苦しめっぱなし。今日こそは何とかしてもらおうと思っていたが…、口の中も痛む歯茎のポケットも 掃除した後で嫁さんとの相談の結果…歯茎の小さな?膿を出すことに決まったようだ。細く先が針のように尖った器具で 歯科衛生士さんが歯茎の患部を何回も突く、それで膿は出たようた。歯科衛生士さんが歯茎の患部を触っている時や家に いる間は患部の痛みはたいしたことなかったに、歯科衛生士さんが帰った途端患部の突いた所がピンポイントで痛み始め… 痛みがどんどん強くなった。そして5時頃痛みに耐えられなくなり嫁さんを呼んで鎮痛剤を入れてもらった。それから 痛みは和らぎはしたけど段々歯茎に広がっていって…寝る前にもう一度鎮痛剤と抗生剤を入れてもらった。

8月8日 そろばんの日(世界猫の日)
朝起きてすぐに「今日はそろばんの日だ」と思った。そろばんはいつも僕の身近にあった。今でも数を数える時は必ず そろばんが頭の中に浮かび動かない指を動かしていつの間にか足し算の暗算をしている。もうそれが習慣になってる。
月曜日の朝のケアは10時半から、担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさん。二人待ち合せしていた 様に一緒に僕の部屋に入ってきてYさんは洗顔、T看護師はバイタルを測りその後にお腹と脚のマッサージ。昨日一昨日と ちゃんとラキソベロンを服用していたのに…便が下りてきている感じはあるのだが便意はほとんどなかった、嫌な予感は したけれど仕方がなかった。二人でまず清拭、僕が掌と足の二度拭きを希望したから(僕の)予定より5分オーバー。そして 排便。最初に摘便で下りてきていた便を出してもらった、珍しく少し固めだったらしいが。浣腸は液を2回に分けて注入、 1回目で一塊半2回目でもう一塊出た。木曜日にちょっと少な目だったから本音を言うともうちょっと出て欲しかったけど… まあ今日は両手一杯で十分だ。

8月6日 ケアの時間
今日土曜日のケアは洗顔と清拭の1時間、担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーMさん。まあしっかり者の Mさんがペアだから時間内に終わると思っていた。土曜日のケアの開始は朝10時15分から、でも終わったのは11時半。 どこで15分オーバーしたのか、僕が不要なことを頼んだのか そもそも1時間では無理なのか。
Mさんが洗顔している間にK所長がバイタルを測定しそれから脚のマッサージ、眼鏡をかけてなかったからはっきりは 分からないけどここまで25分要したようだ。あと35分では清拭を完了するのは難しいと思った。案の定清拭で50分 かかった。それにしても1年前土曜日のケアのメニューは洗顔・洗髪・清拭・排便介助だった。それで1時間半のコース、 確かに幾分オーバーしてたけど…。いったいどうやっていたのか。
モモは誘いに来なかった、勝手に一人で逝った。リンもTも一人で逝った、何故だ。苦しまなければいいと覚悟は してるのに。今は…一つやることが出来たので、迎えに来るのはちょっとだけ待って。

8月5日 汗が噴き出す
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今回の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーはIさんとKさん、 今日は最初文字盤が上手くいかなくてイライラした。僕は「今日Y子さんが変だった」と思っているけれど本当は違うのかも しれない、声には出さないものの誰にでも腹を立てているから。今日は汗が噴き出さないように足し湯とか気をつけていた つもりなのだが、お風呂からあがってからは次から次へと汗が噴き出して迷惑をかけた。やはり最初の温度を少し 下げてもらうしかないのか。でも僕は少し熱めが好き、今日も気持ち良くお風呂をいただきました。
正午過ぎから昼の経管栄養を落とし終わってしばらくすると午後2時前 T先生の往診の時間、まず血圧とSpO2を計り終え すぐに聴診とカニューレ交換。それからT先生と嫁さんが話を始めた。全然聞こえなかったけどどうやら4回目の新型コロナ ウイルスのワクチン接種のこと、予約券が届かないようだ。だいたい黙って待ってるだけで4回目の予約券というものは 来るものなのか。僕としてはどっちでもいいのだけれど…3回目の副反応がきつかったから打たずに済ませられるのなら そうしたいが。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、まずは頸と脚に装具を着けて端座位から。端座位の姿勢でリハビリを受けながら 外を見ても大きな石と愛染カツラのカーキ色の花々とモチノキの葉っぱや幹は見えたけど…、エアコンの室外機の上に モモの姿はやっぱりなかった。せめて霊だけでも遊びに来てくれてその姿を僕に見せてくれればいいのに。僕は霊感が 弱いから…。次は立位運動、腰の痛みが気になって腰に力が入りにくい感じがした。次の脚の可動域運動も痛みが いつもより早めに来て中々耐えられなかった。やっぱり何かが変。

8月4日 不発?
朝から便意がない。昨日一昨日ときちんとラキソベロンを服用していたのに…、月曜とは大違い。月曜日に一杯出たから 心配してたんだけど 案の定…。
今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とK会のヘルパーMさん、H看護師は色々と手を尽くしてくれて お腹のマッサージ→浣腸液を半分注入→お腹を押しながら摘便→残りの浣腸液を注入→お腹を押しながら摘便→新しい 浣腸液を1本注入→お腹を押しながら摘便、これで方手一杯分は出たという。これで月曜まではもつだろう、今日は この量で十分だ。
午後の車椅子移乗は3時から、担当はH看護師と社協のヘルパーKさん。今日は1日Hさんだった。でもその方がいい。 M看護師が来るとモモを思い出して涙がこぼれてしまうだろうから。木曜日の車椅子移乗は一度立ってから車椅子に座る、 看護師さんもヘルパーさんも大変だろうけど。今日も車椅子を庭向きにして座らせてもらった。どうしても隣の家の庭に 目が行く。屋根から落ちた雨だれが庭の端にラインを引いていた。モモもこのラインの上をのっそのそと歩いていた。 生垣の南天の枝が伸びて葉の緑も濃くなっていた。隣の庭もいつの間にかもう端しか見えなくなっていた。

8月3日 歯茎も痛い、どこもかしこも
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のメンバーは看護師のFさん(ケアマネジャー)と明るいAちゃん・ヘルパーはMさんと Kさん。お風呂に浸かっている僕を囲んでいつもの様に井戸端会議が始まったが…モモでいっぱいだった僕の頭には言葉が ほとんど入ってこなかった、確か新型コロナウイルスの話題だったと思うけど。今日もお風呂で暖まり過ぎたようで お風呂からあがってからも汗が中々引かなかった。申し訳ないことをした。
午後3時過ぎから訪問リハビリ、今日は脚の可動域運動と3回の立位訓練。可動域運動の痛みに耐えるのはモモの苦しみに 気付かなかった僕の償いだから…と思うようになった。頸に装具を着ける際嫁さんが顎にガツンと装具を着けようとした 時に右下の歯茎をかなり強い痛みが襲って後を引いた。これも何かの報いか。ベッドから立ち上がって腰を伸ばそうとする 際に右腰が痛むのが怖くてつい及び腰になった。そこをH先生がフォローしてくれた。モモが見ていれば頑張れるのに、 情けない。

8月2日 背骨のすぐ右が痛い
今日のケアは9時半から、担当は訪問看護ステーションOのH看護師と社協のヘルパーKさん。今日のケアは洗顔・背中拭き・ 陰洗だったのだけど、背中の下の方?腰の右?の痛みと左脇腹の赤みの確認とどのような処置をするのがいいかの話し合いに 時間を要し…車椅子移乗が終わったのは訪問リハビリのH先生が来た時になってしまった。本当に申し訳ない。やっぱり 痛い場所や痒い場所を文字盤で伝えるのは難しい。それにしてもベッドの頭を下げる途中の背中?腰?の痛みが顔をしかめる 程になった。
上半身のリハビリはまずは車椅子に座ったまま、庭の方を向けて座らせてもらったのだけど…モモの通っていた道ばかりに 目が行って切なくて涙がこぼれそうだった。隣の家と2軒隣の家との間に1m以上の高さの塀があった。あの時のモモはその 塀が越えられなくて冷たい玄関でちょっとひと休み、家にたどり着けなかったのかと…。右上半身の可動域運動の後4歩 歩いてベッドに戻った。1歩目は後ろ足で体を押せた。2歩目と4歩目右足重心になった際には右腰にグンと上半身の重みが かかり腰や右膝を伸ばせるかと不安になった。だけど「モモもうちにたどり着こうと頑張ってた」と思って「窓を開けて なくてすまない」と思って可動域運動の時も歩行運動の時も痛みに耐えた。

8月1日 後悔
今日は朝から強い便意がありケアの開始時間10時半前には柔らかい便が久しぶりに出ていた。今日の朝のケアの担当は 訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーFさん。Fさんが洗顔している間にTさんはバイタルを測り それから お腹のマッサージをしてもらっていたら…また便が結構出てしまった。それでいつもは清拭から始めるのだけど便が 出てしまっている今日は排便介助からやってもらうことにした。
まず摘便で残っている便を掻き出してもらいそれから浣腸してもらった、今日は浣腸液を全部1回で入れて。でもそれが 失敗だった、浣腸を使った後も便が残っている感じがしたし今日も半分ずつ2回に分けたらよかったと後悔した。おかげで この後入念に摘便してもらうことになり時間もオーバーした。せっかく短い時間ですっきり出すチャンスだったのに…、 ここ2-3日後悔ばかりだ。


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7月
7月31日 
昨日からただ涙がこぼれるばかり。家族の中で一番たくさん一緒にいてくれたモモ、確かに5日間姿は見てないけど僕には よくあったじゃない。これは現実なの?どうして二軒お隣だったの?、教えてモモ。5日前飄々といつもの様にシッポを 立てながら僕の部屋をいつも通り出ていったくせに、帰ってこないなんて…。

7月30日 
モモがあまりにも突然逝ってしまった(悲)。
モモが2軒隣のKさんちの玄関?で一昨日死んでたそうです、顔は穏やかだったと聞きました。Kさんのお宅の方が埋葬して くださったとのことです。
火曜日の夜中に出ていって帰ってこなかったらしい。月曜・火曜と久しぶりに続けて僕の部屋に来て寝ていたのは何故?、 火曜日の昼間僕の部屋を出ていく時にはシッポも見えていつも通りの様子だったのに。訳が 意味が分からん。なぜなぜ なんで…
水曜日の夜中か木曜日の早朝に僕の部屋の所まで来て外のモモがお気に入りの室外機の上にいたかもしれないな、だって Kさんちまで20mもないんだもの。気付かなくてごめん 窓を開けてなくてごめん!!
モモも また先に逝った…

7月30日 大雑把?
土曜日のケアは10時15分から、担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーFさん。昨日通院だったから今日の ケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗のはず…なのだけれど、二人とも洗髪があることを知らなかったようだ。まぁこの二人なら あり得ると思っただけ、幸いFさんが車の中に洗髪用具を置いていたから良かったけど…。
Fさんが洗顔している間にKさんがバイタル測定と脚のマッサージ。それから二人で洗髪と清拭と陰洗、前も感じたけど Kさんの洗い方や拭き方は訪問看護としてはどちらかというとざっくりの方。病院勤務時代の習慣が未だに残っている感じで 少し丁寧さに欠けるという感じがして痒いところまではもう一つ手が届いていかない。文字盤で訴えればいいのでしょうが 時間がかかるのは嫌だし、そこまでケアは期待もしてないということで時間ないに終われば十分と思っていた。結局 11時50分には終わっていたし…今日は十分だ。

7月29日 通院日
今日は通院日。11時半前にヘルパーさん二人YさんとKさんが来てYさんは玄関にスロープの用意をしてから洗顔・Kさんは脚の マッサージ。それから二人で脚と頸に装具を着けて、車椅子移乗のために来てくれた訪問リハビリのH先生が一度立たせて 車椅子に座らせてくれた。そして嫁さんに吸引してもらった後外に出たら…外の熱さが気持ち良く感じた、まあ10分も外に いれば倒れてしまうのかもしれないけど日頃が空調の管理された部屋の中ばかりいるから。この暑い中蝉の声を聞きに散歩… なんて期待を持っちゃいけないこの病気は、この良い天気の中通院外出出来るだけで十分。みんなに感謝すべき。
車椅子でリフト車に乗り込む際に燐家の塀際の細長い花壇を見たらナデシコの花がまだ咲いていた、もう2ヵ月は咲いている んじゃないかな。次々と咲き代わってはいるのだろうが生きの長い花だなあ。青い空を見上げても電線にツバメは1羽も いなかった。病院に向かう時にリフト車の中から西の空を見ると青空の中に所々白い雲が浮かんでいた。東の空は一面雲、 こんなに違うものかと思った。山はもうすっかり真夏の緑に変わっていた。国道35号線とのT字交差点、ここの塀の上の 小さな斜面にはかって鬼百合が1輪真夏になると顔を見せていた。ここを通る時それを見るのが楽しみだった。しかし… 防災という名の自然破壊がこの斜面を緑のコンクリートで封じ込めた。病院までの路傍には目立つ花は見られなかった。 車椅子の背もたれを立て過ぎたのか目当ての蓮池も見えなかった。隣町に入った頃から西の空にも雲が増え、病院に 近付くに従って正面の大村湾の上には青空が広がっていた。通院日和だ。
隣町の端っこで救急車に追い抜かれた、おそらく僕の向かう病院に行くのだろう。病院に着き玄関でリフト車を降りて 待合室の入り口で検温をして救急処置室へ向かったけど…救急処置室(@)は予想通り使用中、それで救急処置室(A)に 入った。車椅子からストレッチャーに移乗、すぐにバイタルを測ったら…間もなく主治医が来て診察と処置(カニューレ 交換)。今日もすんなり終わった。それから看護師さんが皮膚科の先生を呼んでくれて嫁さんに僕の帯状疱疹の痛みに関して 問診、それで今日の診察は終わった。ストレッチャーから車椅子に戻してもらい久しぶりに玄関からリフト車に 乗り込んだ。病院の中があまりに寒かっただけに外は暑かったけど気持ち良かった。そして帰路についた。
家に着いてリフト車から降り部屋に入って時計を見ると午後2時半前、今日は皮膚科の診察もあった割には早かった。10分 待ったらH先生到着、下半身のリハビリ開始。まず4歩の歩行運動でベッドに戻る。腰の痛みは気になったけど脚に力は 入った。次に脚の可動域運動、まずは右の股関節の運動から。多少腰に響いては来たけれどいつもの事、気にならなかった。 それから脚挙げと踵伸し、耐えるのみ。そしてH先生がベッドの左に移動した時に背骨の右?右腰?にズキンと今までにない 痛みが走った。左足が右側に動いたことによるものらしい。それからはこの右側の痛みといつもの腰の真ん中の痛みに 耐えてリハビリ。だけどこの右側の痛みは変。
今夜の重度障害者訪問介護の担当はKさんだと聞いててっきりご主人の方だと思っていたのだけれど…午後5時前玄関の開く 音がして聞こえてきた声は女性だった。これで我慢の夜にならずに済みそうだ。

7月28日 H看護師も上手い
今日は朝はお腹が張った感じはあまりなかったが、昨日服用したラキソベロンが効いてきたのか時間が立つに従って下腹が 張った感じになってきた。ただ便意はなかった。今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とK会の ヘルパーFさん。H看護師が先発で来て洗顔とお腹のマッサージ、これでガスが動いた気がした。それから二人で排便介助。 まず左側臥位しただけで2発小さなガスが出た後にH看護師が摘便してくれて下りてきていた便のかけらとガスを出して くれた。それから浣腸液を半分注入してもらってひとかけら半の便とガスが出た。次にH看護師に摘便で出しそこねた便の 残りを出してもらい残りの浣腸液を注入して残便を出した。最後にH看護師にお腹を押しながらもう一度摘便してもらって 便汁・ガスを全部?出してもらった。これで今日もお腹はぺったんこですっきり、H看護師も上手だなあ。
午後3時からは車椅子移乗、担当はH看護師と社協のヘルパーKさん。今日は一日H看護師だった。木曜日の車椅子移乗は一度 立ってから、二人に脚のマッサージをしてもらって脚と頸に装具を着けてから二人に脇を抱えてもらい膝も支えてもらって 立った。それからまたベッドに横になりスライドボードで車椅子に移動、体勢を整えてもらって1時間座った。その後 ベッドに戻る時もスライドボードを使ったが車椅子の背もたれを倒すと腰がかなり痛んだ。この腰の痛みはだんだん強く なってる、嫌な感じだ。

7月27日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネジャー)とAちゃん・社協のヘルパーIさんと Mさん。今日の井戸端会議での話題は当然有田工業高校(有工)が佐賀県大会で優勝し甲子園へ行く話。ところが途中から 寄付金の話になってお返しタオルが来たとか来なかったとか…。僕としては3回戦で伊万里高校(伊高)が神埼清明に延長 14回タイブレークで敗れていなければ もしかしたら有効−井高の決勝戦が見れたかもしれないのにと思うばかり。でも チーム力とタイブレークの戦い方は伊高より神埼清明の方が上、ピッチャーの森下君の140km/h台の速球は魅力だったけど。 それにしてもここら辺の野球の話になると「西松クラブ」って名をよく聞く。今日も楽しく気持ち良い お風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域訓練。今日は股関節も脚挙げ(膝の裏・太股の裏伸ばし)も 踵伸しも早めに痛みが来て、耐えていたけど二度も歯ぎしりをして「止めて」と訴えようとした。今日の脚の可動域運動は いつもと違って痛かった。何故だろう。次は立位運動。昨日と違い気力はあったけど、腰を伸ばそうとすると腰から力が 抜けるような変な痛みがあった。特に1回目が酷かった。2回目・3回目と腰が馴染んできたのか痛みが小さくなっていって 立ちやすくなった。

7月26日 気力がない
今朝は5時過ぎに目が覚めた、珍しく。重度障害者訪問介護のヘルパーEが夜間の担当の時は眠りが深いようだ、今日も朝 5時まで目が覚めずそれから二度寝した。夜の担当がEの時は安心しているのか、居眠りは一番多いようなのだけど。
今日のケアは9時半から、担当は訪問看護ステーションOのH看護師と社協のヘルパーYさん。今日は洗顔・背中拭き・陰洗を してもらって それから車椅子移乗。今日も庭向きに座らせてもらった。外は良い天気、モチノキの葉っぱもずいぶん増えて 5月に剪定された太い幹の切り口も見えないほど緑が多くなった。大きな石の上の愛染カツラ?のカーキ色の花もきれいに 咲いていたし時折飛んでくる蝶も可愛かった。庭っていいな。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まず車椅子に座ったままで右肩・肘・腕・手の可動域運動、ギリギリの攻めに痛みは 感じたけど辛いとは思わなかった。次はベッドに戻る時の4歩の歩行運動、脚に力が入って踏ん張ってはいたけど何かが 違う気がしていた。でもその何かが何だか解らなかった。そしてベッドでの左肩・肘・腕・手の可動域運動の時も漠然と 考えていたら…気力がなかったんだと気が付いた。リハビリの後もどうして急にこんな心境になったのかと考えていたけど 分からなかった。ただこんなことを考えていること自体がむなしくなってきて…。数年前から次に逝くのは自分だと 思っていたけれど、回りが次々と追い越していく。なんで?。生きていても何にもないのに…。
今日の夜間の担当は3日連続E、いつもの様に5分は遅れてきた。ところがいつもと違って「心ここに在らず」家に繰り返し 電話をかけていた、お子さんが出かける時から嘔吐していたと。そして9時頃「12時にAさんが来ます、その間は奥様が 対応してくださいます」と言って申し訳なさそうに帰っていった。1時間が経った頃コールを押したが…反応がなかった、 無視? やっぱりうたた寝?。この重度障害者訪問介護のヘルパーが夜間に来る生活からたとえ一日たりとも抜け出せないと 悟った。例え僕と相性の悪い重度のヘルパーが週に何回来る予定になっても重度のヘルパーが来さえすればいいのだから 誰でも関係ないのだろう。嫁さんが来たのはEが帰って2時間半経った午後11時半頃、眠剤を持ってきた。僕はAさんが来るのを待って「今日はどこから?」と聞いて現場からの連続勤務じゃないと知って安心して寝た、だってAさんは 無茶するから。

7月25日 やっぱりM看護師は別格上手い
今日も代打の訪問看護ステーションOが担当。朝のケアはM看護師、社協のヘルパーFさんが洗顔し始めたらすぐに玄関の開く 音がしたからてっきり今日はHさん(看護師)が来たのかと思っていたら…障子を開けて僕の部屋に入ってきたのはMさん。 今日は珍しく早いと思ったのが僕の正直な気持ち。Mさんはすぐに脚のマッサージをしようとしたから目で「バイタル」と 合図を送った。Mさんはバイタルを測った後脚とお腹をマッサージ、今日は便が出ますようにと願いを込めて?
洗顔が終わったら二人で清拭と排便介助。今日の清拭はいつもより念入り、嬉しいけど時間が過ぎて11時半前 排便が30分で 終わるか心配になってきた。さあ排便、まずMさんが摘便でお腹に溜まっているガスを出そうとしたが…出なかった。 それで浣腸液を半分注入、ガスがいっぱいと便がふた塊近く出た。それでもまだ残っているような感じだったのでMさんに 摘便で確認してもらって残りの浣腸液を注入、それでいくらか出た。後はMさんにお任せ、左側臥位をさせお腹を押しながら 体を色んな角度にして摘便をし残便と便汁・ガスを出してくれた。これでお腹もぺったんこでほぼすっきり、やっぱり Mさんは上手い。
午後3時からは車椅子移乗、担当はH看護師とヘルパーのFさん。この二人ほんと母親と娘のように仲良く会話したり脚の マッサージをしたりしてくれる、見てて微笑ましくなる。今日も一度立ってからスライドボードで車椅子に移って1時間 座らせてもらった。ほぼ問題なし、ただベッドに戻る際車椅子の背もたれをフラットに近いくらいまで倒した時に腰の 真ん中が結構痛んだのが気になった。

7月24日 E 意外と上手い
今晩9時半(当初予定は10時)から重度障害者訪問介護のヘルパーEが洗顔することになっていた。だけど嫁さんは朝の10時と 思い込んでいたようで早くからせっせと部屋の掃除、そして10時半を過ぎた頃嫁さんが僕に「Fさんが来ないけど…」と聞いて きた。はぁ何のことだと思って「Fさんが顔を洗うのは夜」と告げると「髭剃りするのは午前中でしょう…」などとブツブツ。 実はE(Fさん)に嫁さんが日曜日の午前中にしてくれるケアの際に髭剃りは止めるよう僕が言わせていたのだ。それからEが 今夜洗顔するようになった経緯を説明したのだけれど嫁さんが納得したかどうかは…。
Eの勤務は夜7時から、だけど今夜もEはいつもの事ながら遅れてきた。時間にルーズなのはEの悪い癖のようなものだけど 今日のようなイベントのある日ぐらいは遅れずに来て欲しかった。夜9時半前にEが準備に入ったところへAさんが着いて 洗顔スタート、まずは髭剃りから。暖かいタオルで髭を温めた後にシェービングを塗ってから髭を剃るという手順も ちゃんと覚えていたし髭の剃り方も柔らかくてスムーズ、まるでいつも誰かの髭を剃ってあげてるみたいな感じ。洗顔も 石鹸洗いの後の顔の拭き取りがちょっと甘かったかなって感じたし耳はもう少し丁寧に拭いて欲しかったけど…合格 レベルにはあった。前言撤回だな。

7月23日 代打
今日土曜日の担当だった訪問看護ステーションTに新型コロナウイルスの感染者が出たとかで訪問が回らなくなった みたいで、今日と来週の月曜日は訪問看護ステーションOが代打で来るという。今日の担当はM看護師、K会のヘルパー Fさんが洗顔している時に来た。僕とM看護師とは20年以上の付き合い、僕の事もほとんどご存知だ。当然清拭のやり方も 強さも僕好み。時間も含め全てを任せても大丈夫 のはずだ、いらぬお喋りさえなければ。
今日のケアは洗顔・清拭・陰洗の1時間コース、陰洗に多少手間取ったものの他は問題なく進んだ。時間はちょっと オーバーかな。M看護師でさえこうなのだから1時間じゃ難しいのかなあ。

7月22日 金曜日のリハビリ
午前10時過ぎからは今週2回目の入浴車の時間。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとY子さん・ヘルパーのMさんと Fさんという気の許せる4人。そしてお湯に浸かった僕を囲んでの井戸端会議には色々な話が出たけど僕はAちゃんの話した 「三者面談」という言葉が気になった。娘さんの三者面談で数学の話が出たという、それがずっと気になっていた。それで お風呂からあがった時に「夏休みの間は数学の問題を解く時に頭で考えたことを全てノートに書く」とAちゃんにアドバイス した。これですっきり、今日も楽しく気持ち良いお風呂をいただきました。
お風呂がしばらく休んだら少し早めに昼の経管栄養。そして午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、診察とカニューレ 交換をしてもらった。しばらく休んだ3時過ぎ訪問リハビリのH先生が着いてリハビリ開始。まずはベッドへの端座位から、 H先生に支えてもらって端座位している時に庭のモチノキや大きな石の上のカーキ色の花を見ようとして背中を伸ばして いるつもりなのだが…視野は広がらなかった。しかし枝の緑が増えているのは分かった。次は立位運動3回、背中を 真っ直ぐに伸ばそうとした瞬間腰の真ん中に痛みが走り力が抜けそうになったけどH先生が上手くフォローしてくださった。 まあ膝によく力は入ったから銚子自体は良かったと思っている。そして最後は脚の可動域訓練、今日は傷みが早く来て 耐えるのに精一杯だった。特に踵は悲鳴を上げるくらい痛かった(笑)けどなんとか耐えれた、1週間間が 開いたからだろうか。

7月21日 Hさんナイス
木曜日は排便の日。先週が全然出なくて気になっていたのだけれど…今日はいつもと違うお腹の張りが朝からあった。 今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とK会のヘルパーMさん、H看護師がバイタルを計り終え洗顔してる 時にMさんは来たのだがK会のヘルパーの中で5-10分早く来るのはMさんしかいないから顔を見なくても誰だかすぐ分かった。 洗顔の後はすぐに二人で排便介助、H看護師は手順も理解しているし進んで進めてくれるから本当に楽だ。最初の摘便で便を 片手ぐらい取り出してくれて、次の2回に分けた浣腸で片手一杯出て、最後のお腹を押しながら摘便で残便(便汁)も出して くれた。おかげでお腹もすっきり、ありがとう Hさん。
午後3時からは車椅子移乗、M看護師は15分以上遅れで来たけど。M看護師がいない間に社協のヘルパーYさんは脚を マッサージして装具を着けた。それから二人で頸に装具を着けてから一度僕を立たせた後ベッドに寝かせてから スライドボードを使って車椅子に移り1時間座った。僕が車椅子に座った時時刻は3時半を回ろうとしてたからM看護師は Yさんに「もう帰って」と言うのだが…看護師を残して簡単に帰れるものでもないだろう。一番いいのはM看護師がもう少し 早く来れば済むことなのだけど…M看護師の情に厚い気質では難しいか。

7月20日 H先生のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとKさん・ヘルパーのIさんとMさん、やっぱり Aちゃんがいると場が明るくなる。今日は朝から何故か体が冷えてる感じがした。だからか始めから足し湯をしてもらったし 胸にシャワーもかけてもらった。お風呂でたっぷり温もったからか昼からは冷えてる感じはなくなった。今日も楽しい お風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ、H先生が着いてすぐに「火曜日と同じことをしよう」と言ったのだけど僕は初めその 意味が解らなかった。脚と頸に装具を着けた後H先生が車椅子を持ってきた時に始めてその意味が解った、H先生は昨日 休みだったので今日は火曜日のリハビリのメニュー=「(車椅子に座っての)上半身のリハビリと4歩の歩行訓練」をしようと 言ったのだ。車椅子に座せた理由がすぐに解った、忘れていたが今日は医師との3ヵ月に一度のWeb面談の日だった。僕の 訪問リハビリは介護保険だからH先生が属する施設の担当医師と3ヵ月に一度面談する規定なのだ。まずH先生がタブレットを 病院とつないでテレビ電話の準備、担当医師はT先生が引退されたということで今日からK先生に代わった。K先生は年齢は 僕と同じくらいだろうか、言葉遣いは優しいけれど気難しそうな感じに見えた。Web面談は今日は僕の紹介、H先生が僕の 状態やリハビリの内容を説明してくださった。
Web面談の後は火曜日のリハビリのメニュー。まずは右肩・肘・腕・手の可動域訓練、それから4歩の歩行訓練でベッドに戻って 今度は左肩・肘・腕・手の可動域訓練と呼吸リハビリ。歩行訓練では後ろ足で体を押そうと思っていたのだけれど歩幅が広い 時には難しいことが解った。それと腰の真ん中が痛むのが気になった。可動域訓練は我慢出来たと思う。

7月19日 新型コロナが本当に身近になってきた
昨日訪問看護ステーションOのM看護師から「H先生の小学生の息子さんのクラスが学級閉鎖になったので明日H先生は 来れない、リハビリは中止」と聞き、今日の正午過ぎには僕の所に来る重度障害者訪問介護(夜間)のヘルパーのまとめ役の Aさんから「Kさん夫婦が新型コロナに罹って金曜土曜に行くのが困難になりました、代わりに行かせる人もいないので休みに させてもらってもいいですか?」と電話連絡があった。勝手な話だけどしょうがない。ついに僕の所に訪問に来る人の中から 新型コロナウイルス感染者が出たか、それも二人も。こうなってみて夫婦で同じところに入るということはこんなリスク (=不安定要素)を持ち合われているのかと思い知らされた。これで僕の重度のヘルパーは今は3人になった訳だ、まあ 来週には復帰するのでしょうけどあまりいい気はしない。でも夫婦で同じところに入るってことはあり得ないな。そして夜 Eと話している時にEがあまりにもウイルスが付着してるんじゃないかと気にしているものだから、僕も自分が 濃厚接触者じゃないかと少し気になってきた。まあそれならもう症状が出てると思うけど、僕が無症状なんて あり得ないでしょう(笑)。
今日はH先生が休みだから車椅子移乗はなし。だからケアの後にベッドに端座位して3回立たせてもらった。今日はこれで 十分。

7月18日 海の日
今日は海の日、僕の嫌いなハッピーマンデー。月曜日の担当の訪問看護ステーションTは祝日で休みということで代わりに 訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーYさんが来てくれた。朝のケアは洗顔・清拭・排便、問題は木曜日 出なかった排便だけど今日は朝から強い便意があったし看護師がMさんだってことは分かっていたから今日は大丈夫だろうと 思っていた。
今日の二人は僕をよく知ってくれている人たち、洗顔と清拭は全てお任せで僕は目を閉じてゆっくり休んでいた。問題の 排便、まず最初に摘便でお腹に溜まっているガスを出してもらおうと思っていたが…もう既に便が下りてきていたようで 摘便で片手一杯分の硬めの便が取れたとのこと。それから浣腸、始めはガスばかり出ていたが浣腸液でうまく便が下りて きたようでふた塊近く出た。最後にM看護師が上手にお腹を押しながら摘便して残便を出してくれて 排便は終了、お腹は ぺっちゃんこになっていた。やっぱりM看護師は上手い。

7月16日 アイコンタクト
今日土曜日のケアの担当は訪問看護ステーションTのM看護師が久しぶりに登場。ペアのヘルパーはK会のFさん、ちょっと 心配したくなるようなコンビだけど…今日のケアは洗顔と清拭と陰洗だから大丈夫だと思った。しかし最初から思わぬ 問題が起きた、文字盤はまあまあ読み取ってくれるのだけどアイコンタクトが時々しか通じない。Yesもウインク程度では 駄目でしっかりと目を閉じないといけないのだ。ケアはまあ問題なく進んだが意思疎通に時間がかかり30分以上時間 オーバー、Fさんに申し訳ないことをした。でも。ヘルパーがMさんやAちゃん・Tさんぐらいにリーダーシップを発揮する 人なら時間ももう少し短くなったと思うのだけど。

7月15日 金曜日のリハビリ
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師はY子さんだけ・ヘルパーはFさん・Iさん・Kさん、 Fさんは「看護師さんが1人来られなくなったから代理で来た」と言ってた。お風呂のお湯は初めは少し熱く感じたけどすぐに 慣れた。足し湯は少し、胸にシャワーをかける必要もなかった。それでもお風呂からあがったら上半身から汗がとどめなく 噴き出してた。この身体じゃあ暑さを上手く感じ取れないけどもうすっかり夏ってことだな。今日も気持ち良くお風呂を いただきました。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。最初に脚と頸に装具を着けてH先生に支えてもらってベッドに端座位、モチノキの てっぺんまで見るつもりで背筋を伸ばしてみたけど途中の枝のところまでしか見えなかった。そこにはかなりたくさんに 増えた葉っぱが見えた。そして庭の大きな石の上にかかった色鮮やかなカーキ色の花も見えた。去年もあったのかな、 気付かなかった気がする。次は立位訓練。右腰の痛みはあったけど膝に力が入って1本目から調子良かった。最後の脚の 可動域訓練は今日も厳しい攻めで耐えるの必死だった。でもまあこれがH先生のリハビリだ。

7月14日 出なかった なんで?
昨日一昨日とちゃんとラキソベロンを服用していたのに…朝から便意は全く襲ってこなかった。嫌な予感はしていた。 午前9時50分頃玄関の開く音がして「おはようございます」の声が聞こえてきた。この声は訪問看護ステーションOのH看護師、 部屋の障子が開いたらやっぱりそうだった。そしてH看護師が洗顔しているところにK会のヘルパーAちゃんがついて二人で 背中拭き。その時になっても便意はなかった。いよいよ排便、H看護師が僕を側臥位させいつも通りの手順で摘便でお腹に 溜まったガスをいっぱい出した後浣腸液を入れてくれたんだけど…便が出た感じは全然なかった。聞いてみると 「(小指ぐらいの)細長いのが1本出た」「お腹はぺっしゃんこ」と。まずいと思ったのは「浣腸した時もその後も便意がほとんど なかった」こと、便が全然下りてきてないみたいだった。それでも用心のためにおむつを着けてもらって排便を諦めた。 それにしても 出なかったのはなんで?
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、普段往診は金曜日なのだけど我が町が7月盆ということで今日になった。T先生の 診察とカニューレ交換を終え姉ちゃんと下の息子を呼んでいよいよ親父の話、と僕は思っていたのだが説明の場は Tクリニックと。これでも なんにも出来ない僕が何かあったら喪主なのか。
午後3時からは車椅子移乗、いつもの様に社協のヘルパーYさんが先に来て脚のマッサージと装具付け。10分遅れでM看護師が 着いて二人で頸の装具付けと車椅子移乗。ペアがYさんの時はM看護師は滅多にいわないのだけど「(僕を)立たせてから そのまま車椅子に座らせていい?」と聞いてOK。僕は車椅子に座っている間に便が出るかと期待していたけど… 出なかった。

7月12日 久しぶりにH先生のリハビリ
火曜日の朝のケアは9時半から、パソコンで何かをしていても中途半端なところで止めざるを得なくなる。まず先発で社協の ヘルパーFさんが来て洗顔開始。そこへ訪問看護ステーションOのH看護師が10分遅れで来てバイタル測定と胸・お腹の聴診。 それから二人で背中拭きと陰洗 それに車椅子移乗、外は雨だったけど庭が見える方向で座らせてもらった。モチノキは窓の さんの陰になってモチノキの枝や葉っぱの様子をを見ることが出来なかった、残念。梅や生垣の南天は葉っぱが伸びて 生き生きとしていた。今日は生き物は見られなかったけど…やっぱり庭を見てるのは楽しいな。
午前11時前からは2週間ぶりにH先生の上半身のリハビリ。最初に車椅子に座ったままで右肩・肘・腕・手の可動域訓練、かなり 厳しい攻めだったのか思っていたより痛みが早めにきた。病院でも毎日リハビリはしてもらっていたけど…病院の リハビリはH先生ほど厳しくないから久しぶりに新鮮だった。次はベッドまでの4歩の歩行訓練、1歩目?2歩目?の足がついた 瞬間態勢が不安定になりそうな気がして脚に力を入れて踏ん張った。後でH先生が「体重移動させるのが遅れた」と言った。 そうなんだ H先生の体重移動が遅れるとあんな感じになるんだ。でも後ろに下がらなかったということはH先生が遅れたのは 一瞬だったんだと思う。それに僕も最近後ろ足で体を押すことをずっと忘れている。それでも歩けてるってことは調子は 悪くはないのだろう。ベッドに戻り左の上半身を動かしてもらって最後に呼吸リハをしてH先生の久しぶりのリハビリは 終わった。これが家での火曜日の日常、そう思えてようやく落ち着けた気がした。

7月11日 今日も時間オーバー
今日は問題の排便の日。そして今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさんという 今日も絶好のコンビ。ラキソベロンも昨日13滴・一昨日5滴を服用して準備万端にしておいた。それに玄関の開く音かして 僕の部屋に入ってきたのは今日もT看護師、大丈夫だと確信??した。
今日の朝のケアは洗顔・清拭・排便介助、ケアの前にいらぬ話は今日はしなかった。Yさんが洗顔している間にTさんは バイタル測定、それからすぐに足に向かおうとしたから僕は歯ぎしりしてTさんを呼び止め文字盤で「お腹」と手順を促した。 Tさんはそれでピンときて入念にお腹をマッサージ、ガスがお腹を移動し始めた。それから二人で清拭、僕は丁寧にと お願いしたつもりもないし早く済むようしたつもりだったのだけど清拭が終わった時に時計を見たらもう11時半近く。 まずい、排便に時間をかけられない。
まず摘便でガスを出してもらいそれから浣腸、今日はある程度便意があったから浣腸液を全部入れてもらった。それで ふたかたまり近く出て途中で止まった感じになった、でも…その後摘便してもらったら残便が出てすっきり。良かった。 しかし 時計を見たら12時15分、今日も時間をオーバーした。Yさん 申し訳ありません。

7月10日 嫁さんはそんなに重度のヘルパーを信頼してるの?
今日の夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーはE、僕が重度のヘルパーの中で一番心を許してゆっくり話が出来る相手だ。 くりくりとよく動く目・時々可愛く見える表情、反応がいいから僕との相性もいいしおそらく僕はEのことがとっても気に 入っているのだろう。介護の腕は6月に辞めたYさんが重度のヘルパーの中で頭ひとつ以上抜けていた、そこは流石看護師と いうところだ。でも吸引と蘇生バッグ(アンビュー)による排痰はEの方が上手かったというより上手い、不思議だけど。
そのEに「濡らしたタオルで顔を拭いて」と頼んで顔を拭いてもらっのだがその拭き方はやや荒くあっちこっちと大雑把、長年 こういう短時間で大勢の人の顔を拭くやり方しかやってきてないだろうからそういうやり方がEの身体についてしまって いるのだろう。そこが時間をかけて丁寧に洗顔する日中のヘルパー(社協やK会のヘルパー)との違いだと思う。Eにそう 言ったら「チャレンジしたい」と。日曜の夜の経管栄養が終わった後と約束した、ただし髭剃り付き。心構えが出来たら 連絡するとのこと。
重度障害者訪問介護のヘルパーは仕事と割り切って僕の所へ来ているのが見え見えで情を感じない、僕のお気に入りの Eでさえも時にはそう思うのだから。それに対して日中のヘルパーさんも同じように仕事で来ているのに情を感じるのは 何故。それはたぶんヘルパーの表情と態度、それにヘルパーの技術に対する信頼感だろう。重度のヘルパーさんはEを 除けばなぜか表情がみんな暗いのだ。それに僕は社協やK会のヘルパーの方が重度のヘルパーより技術は上だと思って いるし、そしてもしもの時に嫁さんがいなかったら重度のヘルパーさんは本部に連絡を取ること以外は何も出来ない だろう。僕はそう思っているのに…嫁さんは最近よく出かけて家を留守にする。それは嫁さんが重度のヘルパーさんを 信頼しているということなのか、悪口を言う割には。もっとも僕なんかもうどうでもいいのかもしれないけど(笑)。

7月9日 時間オーバー…僕が話し過ぎたから
退院後初めての訪問看護、今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMさんという絶好の コンビ。Tさんは僕が訪問看護ステーションTの中で一番安心して任せられる看護師だ。それでケアの前につい調子に乗って 長話してしまった、皮膚科の先生に聞いた帯状疱疹の患部には色々な種類のウイルスが生息しているってことと入院中に 処方された帯状疱疹の患部の痒いところに塗る塗り薬のことを。今日のケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コース、 だけど僕の長話と洗髪で丁寧かつ長めに洗ってもらったから12時を過ぎてしまった。時間オーバーしたのは僕のせいだ、 けど 気持ち良かった。

7月8日 退院初日(夜間)から疲れる
予想はしていたのだけれど今日の夜間の重度障害者訪問介護の担当はKさん(男性)、やっぱり気分は↓。いつまで経っても 僕とKさんとは相性が良くならない、退院の日からKさんなんてやっぱりしんどかった。初日からまたもめた、何もベッドの リモコンの話を今日持ち出す必要はなかったのだけど…見ててどうしても気になってつい声を上げてしまった。そこには もちろん相性が悪さがある、申し訳ないがKさんのすることはほんの些細なことでも頭にくる傾向にある。
その上Kさんは僕のケアに勝手に独特のルールを作ってしまった、同じように教えてもらったはずなのにKさんだけ手順が 違うことも結構あるのだ。そこも腹立たしい。結局この相性の悪さにはKさんを生理的に受け付けないということが根底に あるようだ。Kさんの僕の家での週2回の勤務はいつまで続くのかな、そろそろ限界を迎えそう。Aさん約束したじゃない、 もうひと月以上経つよ。

7月1日〜8日 レスパイト入院
7月8日の午後 何の問題もなく予定通り定期入院から無事帰ってきた、今回の入院はどうも レスパイトのための入院と いうよりもやっぱり胃ろう交換のための定期入院だったようだ。
今回もPCR検査は無事陰性、結果が出た午後4時までは特別室で過ごし4時以降に僕の好きな4人部屋の方へ移動出来た。 どうして複数人部屋の方が好きなのか分かる?。他の患者さんがリハビリで頑張っている様子を見るとこっちも頑張ろうと いうやる気が起きてくる(今回は病室で人工呼吸器を着けてる僕が一番元気そうだったけど)し、僕がもしナースコールに 届かなくなった時でも看護師さんが他の患者さんのケアで来た際に歯ぎしりでギリギリしたら気付いてもらえる可能性が あるからその分安心出来るもの。これでベッドが窓際だったらもっと良かったのに…残念ながらベッドはゴールデン ウイークの時と同じように廊下側の方、外の病院の裏の山や空の風景は今回も見られなかった。それで今回の入院中には 出来るだけ看護師さんたちを知ること・看護師さんたちの顔と名前を一致させるように努めることにした。
でもケアを受けている途中で看護師さんの名札はなかなか見えない。そこで看護師さんに名札を見せてもらったり知ってる 看護師さんに「さっきの看護師さんの名前を教えて」と尋ねたり…前回のゴールデンウイークの入院の時の4人と合わせて 11人は名前を覚え顔と名前が一致するようになった。これで昔以前お世話になった旧知の看護師さん4人と 5階から4月に なって異動になった5人HYS・T&Kさん それに20年?前からお世話になってる病棟看護師長のIさんの合わせて21人と顔見知りに なれた?、でもまだまだ看護師さんはいっぱいいそうだから全員覚えるのはいつになることやら 気が遠くなりそうだ。
胃ろうの交換は今年は胃ろうの抜き差し時の出血もほとんどなく、交換時の痛みも想定していたよりずっと小さな ものだった。胃ろうが正しく入っているか確認するためのCT検査に行く際の人工呼吸器の移動準備に幾分手間取ったけど、 それ以外はとてもスムーズで今年が一番楽だったんじゃないかな。それにしても神経内科の先生は我慢強い って見てて 思った。今は胃ろう交換の時も朝の経管栄養は入れるようになったのだな、今年は朝6時半から経管栄養を始めたから栄養も 消化されたようだけど 去年は栄養が終わって胃ろう交換まで2時間も間が空いてなかったので栄養が噴き出るのではと 心配したなあ。
今回も土・日を除けば毎日車椅子に座らせてもらいました ありがたいことだ。そして車椅子移乗の前には必ずリハビリが あり僕のリハビリを担当してもらっているA先生が毎日車椅子に座るまで手伝ってくれたのだ、こんなことでもここ6階 急性期病棟が人手不足なのが分かる。可動域訓練と立位訓練が4日間毎日、夜中に足がしんどがってると思ったこともあった 程のリハビリでA先生の可動域訓練や立位訓練がだんだん僕の好きな方に近付いてるって感じがしてこの1週間は充実感が あった。お風呂は退院の前日のみ、こう暑い日が続くようなら2回は入りたいところだけどこの忙しい様子を見せられちゃ 贅沢は言えないな。
定期入院からの帰り道の景色は1週間前とは全然違っていた。ほとんどの田んぼで田植えが終わっていて早植えの田んぼでは 苗が伸びて気持ち良さそうに風になびいていた。紫陽花の季節はもう終わりかぁ、わずかに残っていた紫陽花も枯れかけて 色あせていた。道中にある隣町のお寺の横にある蓮池では蓮の葉が幾つも大きくなって白い花が一輪咲いているのが 見えた、何となく良い気分になった。家に着いた時ツバメ鳴き声がリフト車の中からでも聞こえ リフト車から降りる時に 空を見上げたら電線にツバメが1羽止まっていた。今年は小屋の中のツバメの巣が2回もカラスに襲われ雛も殺されたから もう来ないかもしれない、どういうカラス撃退対策をすればいいのか今も解らないけど何の対策も取らなかったことを 反省している。


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6月
6月30日 今日は一日H看護師
木曜日も排便の日。昨日一昨日と今回は忘れずにラキソベロンを服用していたからか朝のケアの時間(9時45分)が近付くに 従って便意が少しずつ強くなってきた。今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とK会のヘルパーMさん、 今日の便意ならH看護師なら大丈夫と確信した。ただ念のためHさんが洗顔する前に「浣腸液を二回に分けて」と話した。
Hさんは僕の排便介助の段取りをちゃんと理解してくれているから本当に楽、ひと言言えばほとんど済む。それに若いのに 上手いし…。今日も最初の摘便でお腹に溜まったガスを出してくれてまず半分の液で浣腸、それで下腹に下りてきていた 便の大部分が出た。残便とガスも摘便と残りの液の浣腸で出してもらった。これでお腹もほぼすっきりした。
午後の車椅子移乗は3時から。その時も玄関からH看護師の声がしたからびっくり、勝手に午後はM看護師と思い込んでいた。 一度立たせてもらってからスライドボードで車椅子へ。車椅子の背もたれを起こし場所を変えている時に気が付いた、 「クッションの上でお尻が滑っているんだ」と。道理で背もたれに滑り止めを付けても効果が薄かったはずだ。クッションの 対策どうしよう。

6月29日 汗が止まらない
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師Fさん(ケアマネジャー)とGさん・ヘルパーMさんとKさん、 Fさんは「(レスパイトに)いってらっしゃい」と言いに来たのかな。病院では次にいつお風呂に入れるか分からないから何回も 何回も髪を洗ってもらった。今日お風呂に浸かっての井戸端会議の話題は「早過ぎる梅雨明け」のこと、みんなそれぞれ 心配事があるようだ。今日は長湯をしたらしくお風呂からあがっても汗が全身から噴き出して長いこと止まらなかった、 着替えが遅れて看護師さんたちに迷惑をかけた。でも…今日も気持ち良くお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。脚の可動域訓練は今日はみっちり、脚挙げ(股関節の可動運動・膝の裏 伸ばし)も回数が少し多かったし踵伸し同様厳しかった、が 我慢出来た。立位訓練は歩幅が少し小さかったのか左足重心の 時に左にぐらぐらした感じだった。腰はH先生がスムーズに立たせてくれたのでさほど痛まなかった。立位訓練は最近に しては出来の良い方ではないかな。

6月28日 庭の風景
今日火曜日は9時半からケア、社協のヘルパーYさんが先に着いて準備。訪問看護ステーションOの看護師Hさんが10分 遅れで着いてバイタル測定とお腹の聴診。やはり遠くから来るHさんが朝9時半に着くのは難しいようだ。しかし ケアの 始まりが9時半じゃないといけない理由があるのだ、ケアの開始が9時半でないと1時間車椅子に座れないのだ。難しい ところだ。今は訪問看護ステーションOのM看護師とH看護師に頑張ってもらうしかないのだ。
ヘルパーYさんの洗顔が終わったらHさんとYさん二人で背中拭き・下洗い・帯状疱疹の部位(左太もも)の石鹸洗い、それに スライドボードを使っての車椅子への移乗。モチノキの新枝がどのくらい伸びたのか見たかったので庭が見える方を向いて 座らせてもらった。モチノキの新枝はかなり伸びていた 長いので20cm? 金曜日の2倍ぐらい?、他にも新枝が幾つも出てた。 梅の木の赤い新葉もほとんどが緑に変わっていた。生垣の南天を含めどれも成長している。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは車椅子に座って庭の風景を眺めたままの状態で左肩・腕・肘・手の可動域 訓練、いつもと異なる態勢でのリハビリでは部位の違うところが痛んだりするけどそれもまた新鮮だ。ベッドに戻る際の 4歩の歩行訓練ではH先生に立ち上がらせてもらって腰を伸ばす時の右腰の痛みは先週よりは小さくなったと思うけど、 歩行の時に股関節に少し不安を感じた。それで1歩1歩脚に力を込めて踏ん張ったつもりだ。歩行の出来はまあ良かったと 思う。右肩の可動域訓練は右腕を左肘の方に寄せる動き・腕を外側から上に挙げる動きの時は辛かったけど 耐えた。

6月27日 K所長のケア
午前10時半少し前玄関の開く音がして「おはようございます」の声が聞こえ…聞き覚えのない声だけど誰かなと思っていたら 障子が開き入ってきたのは訪問看護ステーションTの所長Kさん、う〜ん 排便はまた一から段取りを教えないといけないのか と思ったらちょっとがっかり。洗顔を始めた社協のヘルパーFさんを通して「帯状疱疹が痛いから洗って」と伝えた。 ヘルパーさんが洗顔している間にKさんはバイタル測定やお腹と脚のマッサージ、あれっ Kさんのお腹のマッサージの回す 方向が他の看護師と違う。Kさんはお腹のマッサージの目的を分かってんのかな、排便の最初の摘便でお腹に溜まっている ガスを出来るだけいっぱい出したいのでガスをおろすためにやっているのに。
洗顔が終わったら二人で清拭と帯状疱疹の太ももの石鹸洗い、これは問題なく終わったのだけどここまで1時間、今日も時間 オーバーするな。排便は今日もヘルパーさん主導で進行、僕は助かるけど。Kさんに摘便してもらった時予想していたよりも 痛かった、おそらくKさんの指が太くて短いのだろうがこればかりはどうしようもない。最初の摘便ではガスもほとんど 出なかったし便は全然出なかったけど、最終的には二回の浣腸で木曜までもてるくらいは十分出て結果オーライ。 よかったよかった、ひと安心だ。でもKさんはやっぱり大雑把な性格みたい。

6月26日 暑い
日曜日の朝は7時半まで重度障害者訪問介護のヘルパーさんがいる。当然朝の経管栄養は重度のヘルパーさんが繋ぐ 時間を かけてもそもそと、ほんとパソコンする邪魔になってイライラして面倒くさい。それから夕方までは自由な時間、嫁さんが 週に一度ケアしてくれる嬉しい時間も含まれるしね。朝は雨音が聞こえるほど激しく雨が降ってあまり感じなかったけど… 昼になり天気が良くなって気温が上がったようで、窓からの外気で顔が火照ったようになりしっとりと汗をかいて気持ち 悪いと感じるようになった。こんな気持ち悪いと感じる暑さなんて今年初めて。これからずっとこんな日が続くのだろう、 身体もつかな。
昼過ぎ嫁さんが怒り心頭で知らせに来た「(ツバメの)雛がまたカラスに襲われた」と。今度は3羽全滅らしい。実は春にも カラスに襲われて巣の一部を壊され雛が1羽やられていたのだ。Netで「カラス撃退法」を検索したらいっぱい出てくるのだが ツバメまで来なくなったら本末転倒、それをどう見極めるかが難しくて買うのを躊躇している。早急に何とかしなければ いけないのは分かっているんだけれど…。

6月25日 
午前中は激しい雷雨、11時前後の30分は激しい雷鳴の連続で「ゴロゴロ」「ドンドン」と凄まじい音が鳴り響いてた。雨風の 激しく吹いている音も聞こえてた、嵐のようだった。後で雷の歌を思い出そうとしてみたけど…ふきのとうの『春雷』しか 思い出さなかった。う〜ん、季節が合わない。
今日のケアは洗顔・清拭と下洗い、担当は訪問看護ステーションTのSさん(=T看護師)とK会のヘルパーFさん。今日Sさんが 家に着いた時に一番に「(左太ももの)帯状疱疹がヒリヒリ痛むから洗って」と頼んだ。訪問看護ステーションTの中で Sさんになら言えると思ったという僕の心境の変化の現れだ。
今日のケアは1時間の予定。だけど僕がケアの最初に話しかけたのと帯状疱疹の石鹸洗い等の処置で若干時間オーバーして しまった。ヘルパーさんが洗髪のない日は料金を1時間分しか請求出来ないからヘルパーさんに申し訳ない気がしている。 ヘルパーさんは仕事した分つけていいと思うのだけれど…システムがそれを許さないみたい。

6月24日 久しぶりに好調?
昨晩から寒くなった感じがしたので寝る時にちょっと厚手の布団に交換した、世の中は熱帯夜と騒いでいるのに。
午前10時過ぎからは今週二回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師はAちゃんとKさん(二回連続)・ヘルパーは IさんとFさん、まあAちゃんがいればいつだって楽しいけど。そしてお湯に浸かっての井戸端会議の最初の話題はKさんの 小学校低学年のお子さんが通学途中で色んな物に引っかかるらしい。良い意味で捉えれば他の子と見る視点が違う学者肌と いうことだろう。その得意分野を伸ばすのも僕はありと思うけど。僕自身今日はちょっと肌寒いと思っていたから浴槽に 入ってから足し湯をしてもらったし胸にお湯のシャワーもかけてもらった。ただ途中から温もり過ぎと思ってエアコンを 点けてもらい掛け物も薄着に。今日も気持ち良くお風呂をいただきました。
しばらく休んで昼の経管栄養を流し、午後2時前からかかりつけ医T先生の往診。そして診察とカニューレ交換の後T先生から 親父の体調について話があった。自分の生き死にについても考えたことのある僕だから何を言われても驚くことは なかったが…。親父も今年9月末で93歳だから。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。今日は最初に脚と頸に装具を着けてベッドに端座位、出来るだけ庭の景色を見ようと 思って背を伸ばしていたつもりだ。モチノキに新枝・新葉が伸びていた。まだ10-15cmぐらいだけどこれからどんどん伸びて いくだろう。H先生にしっかりと支えてもらってはいるが僕の今日の端座位は安定感あったと思う。次は立位訓練、1回目は 腰を伸ばそうとした瞬間に右腰に痛みが出てひと呼吸入れてしまった。2回目はベッドからの立ち上がりから腰伸しまで 一蓮の流れで流れがスムーズ、右腰は痛まなかった。3回目は腰を伸ばす前に流れを止めてしまい右腰が少し痛んだ。 どうやら立ち上がりから腰伸しまでの間の流れが止まらなければ右腰は痛まないようだ、難しいけど。それにしても今日は 息が続かなかった。最後は脚の可動域運動、今日は水曜日より各部位の運動が少し短時間だから十分耐えられた。でも踵は やっぱりきつい。

6月23日 失敗した?
今日は排便の日、だというのに朝から便意はほとんどなかった。朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とK会の ヘルパーAちゃん、Hさんが先発で来て洗顔した後お腹にガスが溜まってるということでお腹を軽く叩いたりマッサージ したりと事前準備を色々としてくれたのだが…二回浣腸しても片手に満たないくらいしか出なかったとのことだった。 どうやら便が全然下りてきてなかったようだった。考えられることは一つ、火曜日の夜ラキソベロンを使うと下痢しそうな 感じがしてラキソベロンを服用しなかった。失敗だった、二日連続ラキソベロンを服用しないと便が下りてきにくい身体に なってしまったようだ。入院中どうしよう。

6月22日 サクランボ
朝10時過ぎからは入浴車。今日のスタッフは看護師のY子さん・KさんとヘルパーのMさん・Kさん、看護師のKさんと会うのは ほんと久しぶりなのでちょっと嬉しい。今日はお風呂に入る前から暑く感じたのでエアコンを26℃設定で入れてもらった。 浴槽に浸かっていても足し湯はなし、それでも浴槽からあがったらずっと汗が噴き出していた。ついにこんな季節が 来たようだ。これから9月までは汗と痒みに悩まされることになる、憂鬱だなあ。お風呂や洗髪が待ち遠しく なるだろうな。
お風呂に入る準備をしていた時に玄関のチャイムが鳴った、その時サクランボが届いたのだろう。このサクランボは昔の 20数年前の会社時代の後輩が毎年送ってくれるもの。もうとっくの昔に「サクランボを送るのはもう止めて、申し訳なくて」 と言っておかないといけなかったのだけど…僕が生きていることを十分に認識してくれている後輩との繋がりを失いたくは なかったからずっと言えなかった。今年のサクランボは出来が良いそうだ、「形も輝きも去年とはまるで違う」と嫁さんが 言ってた。この後輩とはゴルフには何回か行ったけど、「昔野球部」と言ってたからソフトボールの試合もして みたかったなあ。嫁さんが「お返ししなくちゃ」と言ってたけど…。

6月21日 右腰が痛い
火曜日のケアは朝9時半から、パソコンしてたら何もしてないのに終わりになる それくらい早い。社協のヘルパーFさんは 5分前に着いていたのだけど僕がシャットダウンに手間取り定刻に。Fさんが洗顔をしているところに訪問看護ステーション OのH看護師が着いてバイタルを測り胸とお腹の聴診をしたら、それから二人で背中拭き・下洗い・帯状疱疹の処置 そして 車椅子移乗。今日は最初「庭の方を見るように座って梅やモチノキの葉っぱや枝の成長の様子を見たい」と思っていたの だけれど、そういう空気じゃなかったので口にするのを止めて大人しくテレビを見た。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ、最初の右肩・腕・肘・手の可動域訓練の時は車椅子に座っていてもたいして 感じなかったのだけど…4歩の歩行訓練の際にH先生に立たせてもらった時は腰を真っ直ぐに伸ばそうとしたら右腰がかなり 痛くなった。それで歩行の時は右腰の痛みに負けないように1歩1歩力を込めて踏み込んだつもりだ。ベッドに戻ってからの 左上半身の可動域訓練の時もずっと右腰の痛みが気になっていた。帯状疱疹の発症以来腰のいろんなところが 日替わりで痛む。

6月20日 強い便意があっても…
今日は朝からお腹が張っていて9時頃にはお腹の痛みと伴に強い便意が襲ってきた。こんなことは1年振りだ。ただ硬い便が 蓋になって大きく漏れることはなさそうだったのでお腹の痛みと激しい便意に耐えて訪問が来るのを待った。今日のケアの 担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさん、二人が着くとすぐに「今日は排便から」とお願いした。
今日のこの強い便意なら誰に摘便してもらっても簡単に便は出るものと安易な考えでいたのだが…摘便してもらっても かなりの残便感があった。それで先週の月曜日訪問看護ステーションOのM看護師がやったことを思い出し浣腸液を半分ずつ 2回に分けて注入してもらった。そして浣腸の後にお腹を押しながら摘便してもらったら…すっきり出た。でも お腹を 押していたのはYさんみたいな感じだったけど…、こういうのをチームプレイって言っていいのかな。
いつもと違い排便を先にしてしまったものだから「次は何をしたらいいんだろう」とT看護師は戸惑っていた。でもそこは ベテランのヘルパーYさん「清拭を先にしましょ、洗顔は最後にやります」と場をリードした。終わってみれば今日も ヘルパーさん主導だったな。

6月19日 妻は法事
嫁さんが実家の法事があるということで朝10時半に出かけていった。どんな種類の法事なのかは僕は寝たきりの体だから 嫁さんの実家の行事にはほぼタッチしてないから情けないけど分からない。今年やるべき法要としては義父の三回忌が あるけど義父の命日は9月だったはず。義母の命日も11月、う〜ん。
嫁さんが夕方まで外出ということで朝10時にM看護師が来てくれて11時前からケア開始、最初に洗顔 そして背中拭きと 言いながら着替えもしてほぼ清拭。それから下洗い、最後に歯磨きもして右下の歯茎のポケットに抗生剤を注入しケア 終了。正午を回ってたから昼の経管栄養を落とし白湯が終わった午後2時前に重度障害者訪問介護のヘルパーY子さんが 着いて…M看護師のお役目はここで終了、最初は「重度のヘルパーさんが来たら着替えを手伝ってもらおう」なんて言って いたのだけれど…結局全部一人でやってしまった。僕はMさんが来てくれて助かった、重度のヘルパーさんは経管栄養を 繋ぐ時もそもそとして長いから面倒くさい。ありがとうございます。Y子さんは2-3ヵ月振りの登場だったけど まともだった。

6月18日 K所長のケア
今日のケアには訪問看護ステーションTの所長Kさんが来た。前回のケアの時に物足りなさを感じたけど…今日は排便が ないしパートナーがK会のヘルパーMさんだったからなんとかなるだろうと心配はしていなかった。ただMさんは「今日も 自分がリードしなければいけないのか」とうんざりした顔に僕には見えた。今日のケアは洗顔・洗髪・清拭で持ち時間は 1時間半、そんなに難しくはないと思う。洗髪や清拭をしてもらっている時に何となく思ったのだけど「K所長はどちらかと いうと大雑把な性格」みたい、まあ洗い方はあんなものだろうけど特別気持ちいいということはない。1年前のFさんや Iさんの洗い方と力加減が懐かしい、洗髪も清拭も全てお任せで良かったから楽だった。今ふり返ってみると二人は 優秀だったなあ。

6月17日 通院日
今日は通院日、11時半前 いつもより少し早くヘルパーさん二人が着いたので僕は大慌てでパソコンを消した。ヘルパーさん 一人が洗顔を担当しもう一人が脚のマッサージ。そこへ訪問リハビリのH先生が着いて脚と頸に装具を着け僕を一度 立たせてから車椅子に座らせた。その時膝に力が入り腰もたいして痛まなかったので「今日の調子は悪くない」と僕は 感じた。最後に嫁さんに吸引してもらい玄関から外に出た。正午のサイレンが聞こえた直後だった。今日の空は 明るかった。
幸いなことに今日は梅雨の中休み、病院に向かう時は空には黒くて分厚い雲が見えたけどリフト車にはずっと太陽が 当たっていた。帰る時には空には白い雲(中にはもう少し成長したら入道雲になりそうな雲も)、たまに青空も見えたけど リフト車の走る道は日の当たっていない所がほとんど。不思議。
リフト車に乗り込む時にいつものお隣の塀際の花壇に植えてあるナデシコを見ても今日のピンクは輝いては見えなかった、 このナデシコもそろそろ終盤を迎えているのか。今日の通院でリフト車の窓から紫陽花の様子はどうなのか 見るのも今日の 目的の一つなのだから。二週間前の紫陽花は色合いがさえなくて周りの景色に溶け込んで目立たない存在だったけど、 今日の紫陽花は色鮮やかになっていてすぐに何処にあるか分かった。紫陽花は今が見頃のようだ。アジサイロードの名が 一瞬頭をかすめたが…仕方ない。他にも目に入る花はあったけど名前を知らない花だった。田んぼは3-4割が田植えが 済んでいて水が溜めてある田んぼもいっぱい、次に病院に行く時にはもう田植えも終わっているだろう。
病院に着くと待合室の入り口で検温をして救急処置室へ、けれど処置室には誰もいなくて少し待った。そして救急処置室に 入りみんなに車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタル測定。このバイタルを計り終えた時に胸に聴診する手が 伸びてきて 見ると主治医、早い今までで一番早い。そのまま診察と処置(カニューレ交換)をして、嫁さんと処方箋・物品の 打ち合わせをし最後に僕に「今度は入院ですね」と声をかけ処置室を出ていった。僕が処置室を出たのは午後1時半前・家に 着いて部屋の時計を見たら2時過ぎ、二時間ぐらいで戻ってきた。今までの最短、今日は本当に早かった。
午後2時40分H先生到着、30分車椅子に座って待ったことになるけど…今日は僕が通院の時間の終わるのが本当に早かった だけのこと 珍しくね。まず4歩の歩行訓練でベッドに戻った。歩行は前に進もうとする気持ちはあって良かったと思う、 精神的には。脚の可動域訓練も踵の可動には声を上げそうになったが我慢出来たし腰にもそう強くはこなかったし…出来は 最近にしてはまあまあだったと思う。

6月16日 木曜日の訪問看護師
今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのM看護師とK会のヘルパーMさん、月曜より朝からの便意が弱かったので かなり気になっていたけどM看護師の顔を見た途端何とかしてくれると思った。げんきんなものだ。でも案の定色々な工夫を して便を出してくれた。工夫が出来るだけの経験を積みそれに見合うだけの知識や積極性がある、それがM看護師の流石と 思うところだ。こだわりが過ぎて辟易することもあるけど…。
午後3時からは車椅子移乗、こちらの担当看護師はHさん。誰に対しても言葉遣いが丁寧でどのヘルパーさんともよく話し 仲良く出来る性格の良い看護師だ、たまに気の強さを垣間見ることもあるがこのくらいでなくちゃ訪問看護師は務まらない だろう。木曜日の車椅子移乗は一度立ってからもう一度ベッドに寝てスライドボードで車椅子に移る手順、Hさんは背が 高いし上手く支えてくれるから安心だ。M看護師とは20年来の旧知だしH看護師はお気に入り、木曜日はいい日だ。

6月15日 湿布の効果?
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーはFさんとKさんという珍しい 組み合わせのメンバー、5月のある日A看護師が「看護師は当面F・K・Y(Aちゃん)で回さないといけない」と言ってたけど その期間が終わったようだ。今はもう暑くなったから足し湯もしないでいいようになった、水道代の節約に繋がるかも(笑)。 今日も気持ち良くお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初は脚の可動域訓練、今日もH先生の股関節や膝・踵への攻めはかなり? 適度に?厳しかったけど十分耐えられたし腰へ響いてくる大きさは小さくなったと思う。次の立位訓練は昨日も湿布を 張ってた効果があったのか先週に比べて腰への負担が小さかったし、膝に力が入って1回目から大分立ちやすくなってた。 やはり湿布を貼る効果はありそうだ。

6月14日 庭の風景
火曜日のケアは朝9時半から。今日の担当看護師は二日続けてMさん、そして今日のケアは洗顔(ヘルパーさん)・背中拭き・ 下洗い・帯状疱疹の処置。それから車椅子移乗、雨が降っていたけど外向きに座らせてもらった。梅の木の赤い新芽の 葉っぱがずいぶん伸びてきた、これまで例年では気付かなかった光景だ。死んでいた幹を切ってもらったからかもしれない。 これで来年一つでも実が付けば申し分ないのだが、この梅の木の実はもう何年も見ていない。モチノキにも小さな枝と 新芽が出てるのが見えた。それでも来年も今年の様なにぎあいを見せてくれるかまだ心配している自分がいるけど。 生け垣の南天も少し背が伸びてお隣の庭も見えにくくなってきた、そのための生け垣なのだが。今日は庭の木の成長を 楽しめた。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ。まずは右肩・腕・肘・手の可動域訓練、H先生のリハビリは今日も厳しかったけど 耐えることが出来た。次はベッドまでの4歩の歩行訓練。昨日から腰に湿布を貼っている。その湿布の効果が出たのか H先生に車椅子から立ち上がらせてもらって腰を伸ばした際の腰の痛みが小さかったような気がした。また歩行も先週よりは 良かったと思う、まあこれは今の腰の痛みとは関係ないけど。それから左の肩・腕・肘・手の可動域訓練、いつものことだけど 肩と肘の可動は右に比べて厳しいものがあるなあ。最後は肺の可動域訓練、今日はちょっと痛かったかなあ。

6月13日 ラッキーなのかな
今日は排便の日、でも昨夜ラキソベロンを服用したかなと思うくらい朝から便意がなかった。今日は苦労するかもしれない と思っていた矢先連絡が入った「今日は訪問看護ステーションTが来られなくなったので急遽訪問看護ステーションOの Mさんが来てくれることになった」と。これはもしかするとラッキーなのかも、何ごとも上手くこなしてくれるMさんなら 今日の便もきちんと出してくれるかも。
今日の朝のケアは10時半から。社協のヘルパーFさんが先に来て洗顔、Mさんが15分遅れで着いてバイタル測定。それから 二人で清拭と帯状疱疹の処置、そして排便。まずお腹のマッサージで溜まっているガスを移動させて摘便で出した。次に 浣腸液を半分入れたらガスと便が一塊出た。でも四日分にしてはまだまだ少なすぎる。それで摘便で残便を出してもらい 残りの浣腸液を注入、そしたら便がもう一塊出た。それでもまだちょっと残っている感じがしたのでお腹を押しながら 摘便してもらったら…大きなガスと便汁が出た、これですっきり。流石Mさん。
午後3時からは車椅子移乗、今日の担当はH看護師と社協のヘルパーFさん。今日も親子のように仲良く車椅子に座らせて くれるので気分的に楽だった。

6月12日 相性が悪い?
僕は夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーKさんとは相性が合わないようだ。のんびりしたようにしか見えない動きと気の 利かない・考えようとしないYさんの性格が気にくわないようだ、些細なことでも腹が立ってしまう。元々僕は自分で考える 力があってシャキシャキ動いてくれる人間の方が好きな傾向にあるようだ、あんまり頻繁に僕の部屋に入ってこられても 煩わしくて困りものだけど。
今日の夜僕のグループの責任者Aさんが来るということで次のことを伝えようと思う。@Kさんは出来る時は(出来れば)週に 1回にして欲しいAAさんとKさん(女性)も週に1回は来て欲しいB1ヵ月以上来られないようならグループから抜けて新しい メンバーを探して欲しい(来られないような数合わせのメンバーなら不要) と。

6月11日 順調
今日寝てても腰の中央付近の痛みはほとんどなかった。ほんとに何だろう。
今日のケアの担当は訪問看護ステーションT、5分前にT看護師の顔が見えた時には安心したと伴にがっかり。これで月曜日の ケアはK所長かM看護師が確定だな、月曜日はまた苦労するのかな。その代わり今日は僕が口を挟む必要もなく順調、ただ ヘルパーのMさんがやけに時間オーバーを気にしてた。ヘルパーさんはかかった時間通り1時間半つければいいじゃない、 看護師の指導もしてるんだから。僕はそう思うけど、月曜と土曜のヘルパーさんの大変さは見てて分かっているから。

6月10日 歯も腰も調子悪い
今日は朝から歯茎が腫れて口の右側が全体的に痛いし腰は寝ていても真ん中辺りが痛む、今朝からいい状態とは 言えなかった。そんな中で朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(久しぶり)とY子さん・ ヘルパーのIさんとFさん。そして浴槽につかってからの井戸端会議の話題はテレビでマッシュルームに写っていたことから 何故か木耳(きくらげ)の話に。それから木にどんな風に付いているかの話になって最後は海のクラゲの話に。しかし 調べたらきくらげって木の耳と書くらしい。食感はたしかに食用クラゲに似ているけど見た目は言われれば人間の耳に結構 似ているものね。今日も気持ち良く楽しいお風呂がいただけた。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。最初の端座位の時はあんまり感じなかったけど、立位訓練になると腰を伸ばそうと すると真ん中辺りが痛み始め腰に力が入らなかった。立位訓練の3回ともこんな感じで全部H先生に腰を伸ばしてもらって 立っているのを支えてもらった。こんなこと久々 初めて?。次の脚の可動域訓練の時も腰に響いてきた。何だろう。

6月9日 どのくらい出た?
今日の訪問担当看護師は一日Hさん。今日は朝からある程度便意があったので排便は上手くいくと思っていたのだけれど… 便がある程度下りてきていたが故に久しぶりで判断を間違ったみたいだ。最初に摘便でお腹に滞っていたガスを出し下りて きていた便を全部取ってもらえば良かったのだが、中途半端に残った状態で浣腸してもらったものだからガスと一緒に 浣腸液も全部出て便はほんのひとかけらしか出なかった感じが僕にはした。当然僕にはすっきり感はなかった。それで 二度目の浣腸をしてもらったのだが…ほとんど出なかった。ということで終わりにした。結局今日は自分で便を出すことは ほとんどなかったなあ。だからどのくらい出たかは自分では分からなかったけど…結構出てたらしい。
今朝重度障害者訪問介護のヘルパーYさん(看護師資格有)から「今日で最後です、お世話になりました」と挨拶があった。 今までの3年間何人ものヘルパーさんが交代していったけど…挨拶があったのはYさんが初めて。重度障害者訪問介護の ヘルパーとは接する時間は長いけれど…想いはない=関係は機械的なものでしかないと割り切っている。

6月8日 H先生の下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフはA看護師とK看護師・ヘルパーはMさんとFさん、今日は井戸端会議の話の 途中でユニクロの名前が出たからスエットシャツの話かなって思ったけど。最近左耳も悪くなってきたのか人の話す声が 聞きづらくなって内容が分かっていなくてもうなずいてる時がある、困ったことだ。最悪の場合集音器か、そうは なりたくはないものだけど…。今日はお風呂の中で温もり過ぎたようで、あがってからは汗が次から次へと湧き出してきて 止まらなかったので慌てて冷房を点けてもらった。今日は気温も高かったようだ。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域訓練、今日もH先生の攻めは厳しくて耐える時間が結構 あったけれど腰に響く度合いは先週の金曜日より小さくなった。だけど立位訓練の時は腰の痛みが思っていたより強く 来た。1回目の立位運動の時にH先生にフォローしてもらって腰を伸ばそうとした際に腰の真ん中のちょっと下に強めの 痛みが来た、いつもの痛みは右腰辺りなのに辺だと思った。1回目はほとんどH先生に立たせてもらった感じだ。ただ 立ってる時に庭の方を見たらチビが石の上で休んでいるのが見えた。だから頑張ろうと思った。そのせいか2回目3回目は 少しずつ良くなった。単純だなあ。

6月7日 やる気不足?
今日のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師と社協のヘルパーFさん、この二人は楽しそうに世間話をしているし 本当に仲の良い親子のように見える。今日もFさんが洗顔している間にHさんがバイタルを測って胸とお腹を聴診、それから 二人で背中拭き・下洗い・帯状疱疹の処置 そして脚のマッサージをしてからスライドボードを使って車椅子移乗。今日は外は 明るかったのだけれど空に雲しか見えなかったから大人しくテレビを見ることにした。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ、H先生が着いた時は目が開かないほど眠たかったのだが右上半身の可動域 訓練を受けているうちに眠気は少しずつ取れていった。最後の眠気を払いながらベッドまで4歩の歩行訓練、腰がいつ・ どのくらい痛みが来るか気にしながらの歩きだったけど左右の脚に力は込めたつもりだった。が H先生には今日は僕の体が 重く感じたようだ。やる気が出てなかったか、今日は朝からそんな気分だったから。
午後2時半からは訪問歯科、抜いた歯の隣=右下の五番目糸切り歯もかなり前からぐらついているのだがその歯が上の歯に 当たって歯茎が少し腫れ始めているのが気になった、外側から歯茎を抑えられた時に小さな痛みを感じたから。

6月6日 情報が共有されてない
今日の朝のケアの担当看護師は珍しく訪問看護ステーションTの所長Kさん、Kさんが自分で排便介助をするのは初めてだから 大いに不安はあったけど…ペアが社協のヘルパーYさんだったから何とか上手くフォローしてくれると思っていた。が Mさんがそれ以前に駄目だった。なにせMさんにもその都度僕の排便のやり方=手順を一つ一つ教えないといけなかったから 僕がゆっくり排便できるはずがないだろう。これで訪問看護ステーションTの看護師三人には一人一人に僕の排便の手順 一つ一つを教えたことになる。何で僕の排便介助の手順ぐらい聞いてこないのかなあ・教えないのかなあ、同じ訪問看護ステーションなのにどうして対象者のケアの内容=情報を共有しないのかなあ 不可思議。

6月4日 まあまあだろう
土曜日のケアは10時15分から、そして今日の担当は訪問看護ステーションTのM看護師とK会のヘルパーTさん。Mさんが洗髪は するのも見るのも初めてだったからちょっと心配したけれど、Tさんが上手くフォローしてくれたので無難に終わることが 出来た。欲を言えば二度洗いして欲しかったけど…。清拭はMさんは自分でやったはずなのに…胃ろうの蒸留水での洗浄と 帯状疱疹の部位の石鹸洗いを忘れた。胃ろうの洗浄はもう痛みがなくなったから構わないのだけれど、帯状疱疹の部位は 痛がゆい箇所が何ヵ所かあるから石鹸洗いはして欲しかった。でもまあ時間は少しオーバーしたけれどそつなく終わったからまあまあだろう。ただ帯状疱疹の部位の表面が痺れた感じなのが気になる。

6月3日 通院日
今日は通院日。午前11時半頃にヘルパーさん二人が来て外出準備、ヘルパーさんがいつもより早く5分前に着いたから 予期せぬ到着に僕は精神的に大慌て。まずヘルパーさん二人でスロープを設置して、それから一人が洗顔・もう一人が 車椅子の準備やら足のマッサージやら。そこへ訪問リハビリのH先生が着いてH先生とヘルパーさんで脚と頸に装具を 着けて、H先生が僕を一度しっかり立たせてから車椅子に座らせてくれた。最後に嫁さんが吸引してこれで外出準備終了、 部屋を出た。
玄関から出てリフト車に乗り込む時に正面にお隣の塀際の細長い花壇に咲くナデシコが見えた。太陽の光が当たって 鮮やかなピンクに輝いていた。きれいだった。今日の病院までの道中で僕が見たいのは紫陽花の様子だった。紫陽花は 咲き始めてはいたけど色合いはもうひとつ、まだ緑の紫陽花もあった。緑の紫陽花を見ると花に見える部分ががくだと 言われてもおかしくない気がしてくる。山は新緑の雰囲気がほとんどなくなった。田んぼもそろそろ田植えの準備? 水を 溜め始めた田んぼも何枚か、同じくらい刈り取りがまだの麦畑(麦田んぼ?)も残っていた。今日の道中はよく揺れた。 運転する人の違いもあるのかもしれないけどそれよりもタイヤの空気圧が高過ぎるのではないかと思う。
病院に着くとカメラ付き自動検温器で検温して(でも反応しなかったようだけど)救急処置室に入って車椅子から ストレッチャーに移してもらった。そしてまずバイタル測定 それから今日は血液検査、今日は待ち時間がいつもより長く 30分ぐらい待って主治医が処置室に入ってきた。そして最初に帯状疱疹の状態を確認し診察とカニューレ交換、待ち時間が 長かった割には終わるのは早かった。リフト車に乗り込む時に玄関前の池を見ても甲羅干しする亀はいなかった。天気が 良過ぎるのだろうか。
家に着き部屋に入って時計を見ると午後2時半過ぎ、車椅子の態勢を整えているうちにH先生の姿が見えた。まずは4歩の 歩行訓練でベッドに戻った。火曜日より調子は良かった。脚の可動域訓練もそこそこ、股関節の運動の時に腰には くるけれど全体的に水曜日よりは我慢出来たと思う。

6月2日 いつもこうなったらいいのに
今日の担当看護師は一日中訪問看護ステーションOのMさんだった、珍しく。昨日一昨日のラキソベロンが久しぶりに十分に 効いたのか今朝からかなり強い便意があって…だから今日はMさんじゃなくても誰でもよかったんだけれど、場合によっては 他の訪問看護ステーションでもよかったのかも。ということで午前中のケア:洗顔・背中拭き・排便・帯状疱疹の処置は スムーズに終了、いつも月曜日もこうだったら月曜日のケアも気楽なのに。
午後3時からの車椅子移乗はM看護師と社協のヘルパーKさん、Mさんが15分も前に来たのでびっくり。慌ててシャットダウン しようとしたので足でのパソコン操作にまごついてしまった。Mさんの車椅子移乗は時々僕を立たせて強引に90゚回して そこに車椅子を突っ込ませ座らせるという力技、僕は立てるからどっちでもいいんだけど。ただ二人で立たせてもらう時は 重心を足の親指に置きにくくなったから膝折れしやすくなったなあ、困った。

6月1日 腰が痛い
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさんとAちゃん・ヘルパーのFさんとKさん、浴槽にお湯が 貯まり始めるといつも看護師さんたちが背伸びをするように万歳を10回してくれる。これがかなり気持ち良いのだ。そして ベッドを平らに近くして左側臥位にして排痰、帯状疱疹を発症した頃からベッドを平らに近くした時の腰の痛みの種類が 変わり痛みが更に強くなってきた。普段の腰の痛む場所は腰の中央より少し右上寄りなのに最近は中央だったり左上寄りの 時もある。腰にも帯状疱疹があるから湿布も貼りにくいし…ロキソニンの服用以外現在は手がない。この腰の痛みの原因が 帯状疱疹によるものかどうかは不明だけど。左側臥位して吸引してもらった後は服を脱がせてもらって浴槽へ、今日は 先週の冷えた反省から冷房も点けずシャワーでお湯を胸に掛けてもらった。そのため風呂から上がったら汗が噴き出して なかなか止まらなかったが…。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初の可動域訓練もそろそろH先生も本腰を入れてきたようで攻めが厳しく なって、特に股関節の可動域運動の時に腰にも響いた。立位訓練の時も1回目は腰を真っ直ぐに伸ばそうとした瞬間に右腰に 痛みが出て右膝から力が脱けそうになった。右腰の痛みは右膝にくるからいけない。2回目3回目はだんだん良くなって 立ちやすくなった。どうしても1回目が問題だなあ。


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5月
5月31日 気分がもうひとつ
火曜日のケアは朝9時半からと早い、だけど今日は気分が乗らなくてパソコンは早く止めて訪問が来るのを<待っていた。 今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさん、Mさんはちょっと遅れたけど。今日のケアは洗顔・ 背中拭き・下洗い・帯状疱疹の処置と車椅子移乗、全部そつなく進んで最後に車椅子には庭の方を向いて座らせてもらった。 遠くてモンシロチョウが飛んでいた。梅の木には赤い新葉が出ていたけどモチノキは未だに丸坊主、今年の冬にはほんとに 葉っぱをいっぱい付けるようになるのかなあなんてプロの腕を疑うなんてことも思う。まあ嫁さんは「下の方見えない所で 伸びてる」と言ってたけど本当かな。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、まずは右の方:肩・腕・肘・手の可動域訓練。先週よりはましになったけど可動域 訓練で痛みが来るのがまだ早いような気はした。ベッドに戻る時の4歩の歩行訓練は腰や膝に上手く力が入るか最初から 不安があったので両脚とも力を込めて踏ん張ることにした。それでも4歩目の右足重心の時は少し不安定になって更に力を 入れて持ちこたえた。
午後2時半からは訪問歯科、その時歯科衛生士さんに僕の疑問「(右下に奥歯が)何本残っているか?」をぶつけた。そしたら 歯の状態票をくれた。それを見ると「奥歯はなんと4本」、僕はずっと「奥歯は3本」だと思ってた。抜いた歯は右下奥歯の 四番目、道理で右下奥歯のブリッジは手付かずだったはずだ。

5月30日 M看護師まあまあ
今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのM看護師と社協のヘルパーFさん、排便介助は初めてのM看護師でちょっと 心配だったけど排便の時はもう一人来ると言ってたから何とかなるとは考えてはいたが…本当に誰か来たのかな。清拭は 何とか無事に乗り切ったけど排便介助の手順は大まかな流れしか教えてなくて細かいやり方を文字盤でいちいち教えるのに 苦労したし面倒くさかった。けど 木曜日まで保てる分ぐらいは十分出た。これで二週連続排便が上手くいった。 ひと安心だ。

5月29日 日曜は地獄と天国
日曜日の朝は一週間のうちで僕が一番嫌いな時間、重度のヘルパーさんが7時半までいるから。重度のヘルパーさんが パソコンのスイッチを合わせようとしても足になかなかフィットしないし朝の経管栄養の接続ももそもそぐずぐず、それが 重度のヘルパーなのだからと承知はしているけどそれでもイライラもやもや。かといって重度のヘルパーがいるのに 嫁さんを呼ぶわけにもいかないし…日曜日の朝7時半までは我慢と忍耐の時間、7時半を過ぎ玄関の閉まった音が聞こえると ようやくゆっくりした気分になる。
午前11時頃嫁さんが掃除を終えると僕のケアをしてくれる。嫁さんのケアは週に一度のことであり今から夕方5時までは 嫁さんを独り占め出来る時間でありまたわがままを言える時間、僕にとっては至極の時間になっている。の筈だったのだが 今日嫁さんは午後2時頃からお出かけ、何処に行ったなどとは僕が聞くこともないので?。嫁さんが留守の間は娘が いてくれた。娘が付き添ってくれるなんてことは滅多にないからそれはそれで嬉しかった。これも僕にとってはある意味 極楽かな。

5月28日 順調
土曜日のケアは10時15分から、15分という微妙な時間なのだがこれが僕にとっても訪問看護にとってもすごくいいみたい。 今日の担当は訪問看護ステーションTのT看護師(K所長)とK会のヘルパーTさん、ケアが始まる前に昨日の昼から寒気が したとか無理なく気軽に僕の体調についてT看護師に話すことが出来た、それだけ心許せる相手してT看護師のことを僕が 認めたということだ。当然今日のケア(洗顔・清拭・下洗い)も僕は時々OKの合図を送るだけで二人に任せっきり、土曜日の ケアの時間にこんなにゆったりした気分になれるのは久しぶり 半年以上前だったんじゃないかな。

5月27日 腰が痛い
午前10時過ぎからは今週二回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは水曜日と似たような配置で看護師はAちゃんとYさんで 同じ、ヘルパーはIさんとKさんで1名代わったぐらい。今日もいつも通り気持ち良く楽しくお風呂をいただいた。そんな中で 変わったことといえばお湯の温度が42℃といつもより1℃低かった?・ベッドを平らに近づけた時腰がいつもよりずっと 痛かった・お風呂からあがっても汗が出なかった、そして昼から寒気がするようになった。お風呂の時に今年初めて冷房を 入れお風呂をあがってから布団を薄手に変えた、間違ったかな。
午後2時からのかかりつけ医T先生の往診が終わってしばらく休んで…3時過ぎからはH先生の今週3回目のリハビリ。体調が もうひとつだとやはり結果は付いてこないようだ。端座位は何とか耐えられた?けど…立位運動は立つ動作の最後の腰を 伸ばす時に腰に痛みが走って、1回目は腰が伸ばせなくてH先生に強くフォローしてもらい2回目3回目は何とか腰は 伸ばせたものの納得できる出来ではなかった。脚の可動域訓練の時も腰が少し痛んだし…この腰の痛みはいったいどこから 来ているのだろう。

5月26日 奥歯を抜いた
4月22日入院した日から噛み合わせがおかしいと感じ始めた右下奥歯。初めはベッドが変わったせいだと思ってた。ところが 退院しても全然良くならなくて…それどころか先週の初めからは右の奥歯の上と下の歯が当たるとガツンと痛むように なった。どうやら歯が浮いてきて抜けるための準備をしていたと言うことか、二週間前定期往診で診てくださった 歯医者さんのおっしゃる通りだった。そして火曜日に歯科衛生士さんが「抜くか削るかした方がいい」と結論を下し、先生の 判断で「抜く」という結論が出て正午過ぎに電話があった。僕も朝には抜く覚悟が出来ていたのですんなりと受け入れた。
午後2時歯医者さん到着、右下奥歯の状態を確認し抜糸の準備。まず歯茎に麻酔、その時僕は??あれ。右下奥歯は ブリッジになってるはずなのに…なんで歯1本しか麻酔を打たないの。麻酔がよく効いていたのか歯を抜いた際に下顎に ゴツンときたが予想していたより全然痛くなかった、昔は涙が流れるくらい痛かったという記憶ばかり残っているの だけれど…、技術の進歩だろうか それともそれほど歯がぐらぐらしていたのか。歯医者さんが帰った後に抜いた歯を 見せてもらったら四角錐(円錐?)形に1本綺麗に抜けていた。これを見ると…右下奥歯ってほんとにブリッジだったっけ、 自信がなくなった。
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、午前中がH看護師・午後の車椅子移乗がM看護師。午前中の排便は朝から便意が ある程度あってうまくいった。週の月曜と木曜二日ともうまくいくのは何ヵ月振りだろう。毎週この調子でいけば いいのだが。午後の車椅子移乗は車椅子からベッドに戻る際に上手く立ち上がれなかった。僕も苦手になってるしMさんも やり方が荒くなっているように思える。まあ何より僕の心構えが足りなかったのだけど。

5月25日 暑くなった
午前10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師はAちゃんとY子さん・ヘルパーはMさんとKさん、今日も気の 許せるメンバーでゆっくりとお風呂を楽しむことが出来た。今日は気温が上がったようで浴槽に浸かっていてもシャワーで 胸にお湯をかけて足し湯する必要はなくなったし、お風呂からあがった時に汗が噴き出て止まらなくなっていた。もう そんな蒸し暑い時期がやってきたか。そういえばあと一週間もすれば梅雨に入るって天気予報で言ってたもんな。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初の脚の可動域訓練はH先生も右脚の関節の可動域を動かす時は大分力を 入れてもらえるようになったけど…帯状疱疹の左脚は少し抑えてもらってる。しかたないか。たた左大腿四頭筋?の上外側の 腱が引っ張られたように時々痛むのが気になってる。次が立位訓練、1回目は右腰が痛むのが気になってH先生に立つのを かなりフォローしてもらった。が 2回目3回目とだんだん良くなってひと安心、やる気も少しは回復したし。

5月24日 歯が痛い…やる気なし
火曜日のケアは9時半から、いつもならパソコンを慌てて終わらせたりなんかするのだけれど疲れが溜まっているのか 昨日から眠たくてやる気がなくて…今朝もパソコンはとっくの前にシャットダウンしてた。今朝のケアの担当は社協の ヘルパーのYさんと訪問看護ステーションOの看護師さん二人、「時間が出来たから二人で来た」そうだ。帯状疱疹の石鹸洗い・ ガーゼ保護が土曜日から増えたので二人だったら丁度良いのかも。ケアの最後は車椅子移乗、今日も庭を眺める態勢で 座らせてもらった。今日の庭はあまり変化がなかった、モンシロチョウが飛んできたくらい。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ、上半身の可動域訓練は本当に久しぶりだったので肩や肘や指に早く痛みが 来た。ベッドに戻る時の4歩の歩行訓練は金曜日に比べると歩行がちょっと不安定な感じがした。歯の痛みがあってやる気が 小さくなっていたのかも。感情に立位運動が左右されるなんて…な。

5月23日 あとほんの1歩? ほぼ満足
今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーYさん、土曜日の清拭がまあ満足するものだったので さほど気掛かりではなかったけど…昨日一昨日と服用してたラキソベロンの効果がほとんど出てない感じがして排便の方は やはり気になった。でも事前にお腹のマッサージをしてもらったり排便の際に膝の下にクッションを置いてもらったりして みたら…今日はあと少しで完璧というところまで便が出た。これで最後にガスか便汁が出ていれば…。まあ月曜はこれで 十分、十分に満足だ。

5月21日 満足?
土曜日のケアは10時15分から、担当は訪問看護ステーションTのT看護師&K所長とK会のヘルパーFさん。今日のケアが洗顔・ 洗髪と清拭・下洗い(+帯状疱疹の処置)だからFさんにリードしてと頼むのは難しいだろう。Tさん(K所長)に頑張ってもらう しかないと思っていたが…期待以上の満足度だった。2回の経験でここまで出来るようになるのなら土曜日はもう心配ない だろう。時間が大幅にオーバーしたのは改善する必要はあるだろうが無理からぬところもある、帯状疱疹の処置は今日が 初めてなのだから。

5月20日 通院日
今日は通院日、11時半にヘルパーさん二人が来て外出準備に取りかかる。一人は洗顔・もう一人は玄関にスロープの設置と 脚のマッサージ。そこへ訪問リハビリのH先生が着いてヘルパーさんが脚と頸に装具を着けたところで僕を立たせてそれから 車椅子に座らせてくれた。H先生に立たせてもらった時膝や腰への力の入り具合が水曜日とは明らかに違っていた。 帰ってからのリハビリが楽しみと思えてきた。
リフト車に乗り込んでお隣の塀際を見ると鮮やかなピンク色の花をつけたなでしこが咲いているのが見えた。小屋の方を 眺めているとツバメが2羽飛び出てきた、巣立ちはまだしていないようだ。病院に向かう途中山々を見ると2週間前に 見て取れた新緑のもこもこした感じはなくなり緑のグラデーションになっていた、もうすぐ夏が来ると思わせるような山の 色になってきた。田んぼの麦も黄金色、今か今かと刈り取りを俟っていた。昔の麦畑にはくろんぼ(真っ黒な穂をした何か )があってそれを取って人にくっつけたりして遊んでいたのだけれど…今の麦畑(田んぼ?)にもくろんぼはあるのかな。
病院に着き待合室の入り口でカメラによる検温にパスして救急処置室に入るとストレッチャーに移してもらってまず バイタル測定、それから看護師さんと談笑しながら主治医を待った。するとそんなに待たないうちに主治医が来て 帯状疱疹を確認してから電子カルテを見て、それから診察と処置(カニューレ交換)。その後主治医と嫁さんMさんが処方箋の 話をして主治医の診察は終わった。次は皮膚科の診察、今日のメインかも…。
皮膚科の診察でも帯状疱疹は本物とのこと。処方は今服用している経口薬と石鹸で洗った跡に塗る塗り薬しかないと、 痛みが伴う場合は痛み止めが必要なようだが僕の場合は痛みはほぼないから不要だ。新型コロナが2年続く今なんらかの ストレスを抱えて帯状疱疹を発症する人が増えているらしい。僕の帯状疱疹の原因となったストレスは何だろうか。 向こうの方で皮膚科の先生と妻の話す声が聞こえてきた。「帯状疱疹を発症して3週間経った時に痛みが残っていたら その時の痛み一生付き合っていくことになる、そんな人が3割いる」「帯状疱疹の痕は火傷の痕と同じような皮膚の壊し方を するから残る」なんてイヤな話をしていた。
皮膚科の診察も終わって外に出るとモンキチョウが飛んできた。こんなに近くで見るのは久しぶり、モンキチョウって こんなに黄色かったのかと思った。リフト車に乗り込んで玄関前の池を見ると亀が2匹甲羅干ししてた、曇り空なのに。
家に着いて小屋の方を見ると物干し竿にツバメが1羽止まっていた。僕がリフト車を下りる音にも動じない、人に 慣れているって感じ。部屋に入るとすぐにH先生が到着、そのまま4歩の歩行訓練でベッドに戻った。立つ時は腰に力を 入れるタイミングに迷ったけど歩行の際は膝にも腰にも力が入り上手く歩けたと思う。脚の可動域訓練も水曜日に比べると 痛みが出るのが遅くなったし可動域も広がったと思う。いい感じだ。

5月19日 寒い
夜中目が覚めたら「寒い〜!」。慌てて重度のヘルパーさんを呼んで布団を追加してもらって、それでも寒かったから胸の所に 使い捨てカイロを当ててもらって。なんか嫌な感じ…、まるで今週の日曜や月曜みたい。口を閉じると右奥歯が痛いし… 悪いことが重なりすぎ、なんか良くないことが起こりそう。
今日の担当看護師は一日Hさん、午前中の排便は1回目の浣腸では便は下りてこなかったけどその後お腹を押しながら 摘便してもらっていい感じになった。そして2回目の浣腸で両手量の便が出たそうだ。午後3時からの車椅子移乗は社協の ヘルパーのKさんがペア、まるで姉妹のように仲良く僕を一度立たせてくれてからスライドボードでベッドから車椅子に 移してくれた。そして1時間後にはFさんとのペアで親子のように仲良く車椅子からベッドへ戻してくれた。相手を敬う心も 持っているし礼儀もわきまえている、僕にはHさんの性格ならみんなに好かれていると思っていたのだけれど…嫌う人も まれにいると聞いた。あんないい娘っこを嫌いになんて…不可思議。

5月18日 H先生も復帰
水曜日、午前10時過ぎからは入浴車。帯状疱疹があるからどうなるかなと思っていたけどいつも通りの行程。今日の入浴車のスタッフは看護師は久しぶりのAちゃんとY子さん・ヘルパーはMさんとFさん、気慣れたメンバーだ。帯状疱疹の所は水疱が 破れてはいけないということで強く擦らないという約束があるようだ。最近は暖かく?なったからお湯に浸かっている際に シャワーでお湯を胸にかける量も少なくてすむようになった。今日も気持ち良くお風呂をいただいた。
正午前H先生が挨拶に来て濃厚接触者の経緯を説明をしてくれた。そして午後3時過ぎH先生のリハビリ、まず脚の可動域 訓練。退院後初めてのリハビリでありH先生のリハビリは約1ヵ月振り、しかも僕は今帯状疱疹という病気持ち、H先生には いつもよりかなり手加減してもらっていた。それでも顔を歪めるくらいだから僕は身体的にも精神的にも落ちていると いうことだろう。最後は立位訓練、全体的に力が入りにくい感じだった。それに珍しく左腰に痛みがきた、体の左側に 帯状疱疹がある影響だろうか。ひと月前とは比べもにならない立位訓練だったがとにかく立てた、それに安心した。寝る 前には両足が異常に熱を持ってヤキヤキしたし指に下の方足の裏がかなり痛かった。湿布を貼って対応したが、これは 帯状疱疹の影響 それとも久しぶりにしっかり立ったから。

5月17日 看護師さんが車椅子移乗
今日のケアは朝9時半から、そして今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさん。M看護師は 帯状疱疹に関心が強く背中拭きと下洗いの時に腰と左股関節の写真を撮った。その後に車椅子移乗、いつもならリハビリの H先生が11時前に来てベッドに戻してくれるんだけど…H先生は最低でも今日までは来れないからM看護師とH看護師が ベッドに戻してくれた。
車椅子に座っている間は外の方を向いて庭を見て過ごした。うちやお隣の庭にはいろんなものが飛んできた。 モンシロチョウとモンキチョウ、意外と早く消えていった。黒いアゲハチョウ、この部屋からは初めて見た? 遠くの方や 南向きの窓からはツバメが素早くUターンするのが見えた。M看護師と話している時にアマガエルがどこからか庭の大きな 石のてっぺんに飛んできて垂直な石の壁面をつたって下りていった。その様子をMさんに知らせようとしたがMさんが気付く アマガエルはツワブキの葉っぱに飛び移ってしまった。Mさんは「何処?」って…。庭を見ていると些細なことが沢山ある。 楽しかった。
夕方僕の主治医に向けて下記メールで「帯状疱疹」のことを連絡した。
お世話になります。
日曜日の午前中に左太ももの付け根付近と腰下辺りに赤いところが見つかり水疱もあったそうです。
月曜日に患部の写真を撮ってかかりつけ医のT先生に診ていただいたら、
帯状疱疹じゃないかということでその日の夜から経口薬を服用しております。
患部に自覚症状はありません。
ただ関係ないかもしれませんが
・土曜の夜まで左大腿四頭筋の内側膝側がピンポイントでキリキリと痛かった(以降は痛みなし)
・左股関節の内側と腰がいつもより痛い(湿布を使うほどではない)
・日ー月寒気がした
以上連絡です。
添付画像は16・17日のもの

午後2時半からは訪問歯科。実は入院した日から歯の噛み合わせが急に悪くなり右奥場が上下当たる状態が今でもずっと 続いていた。一週間前始まる前に噛み合わせが悪いことを「右(奥歯の上下)が当たる」との表現で訴えたんだけど…口内炎の 位置と勘違いされた。今日は右下奥歯が腫れっぽくて噛みしめると右下一番奥の歯が痛む状態なのだけどどうしたものか。 「抜糸するとなると佐賀大学歯学部?で全身麻酔での施術」と昔言われたが…。

5月16日 帯状疱疹?
今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーのYさん、今日は僕の試算より時間は少しオーバー してたけど清拭まではすごく上手くいった。後は排便、昨日一昨日とラキソベロンを13滴・5滴服用し今朝は嫁さんの提案で 使い捨てカイロを使ってお腹を温めてはみたんだけれども…便意は強くはならなかった。最初の摘便の前にも「出来るだけ ガスを出して」と頼んで途中までいい感じだと思ったんだけど…結局便は出なかった。どうすればいいのか…分からない。 排便はやっぱり難しい。
さっきの清拭の時に二人が「左太ももの付け根付近と腰の下辺りに赤いところや一部水疱がある」と言い出した。それで 昨日の午前中に嫁さんがケアしてくれた時も「左太ももの辺りに赤いところと水疱があると言った」と伝え嫁さんにも 見てもらうと「赤味が広くなってる」と。そのため午後の車椅子移乗の時に嫁さんが患部の写真を撮ってかかりつけ医の T先生に見てもらうと、「帯状疱疹じゃないか」ということで…夜から経口薬を服用している。

5月15日 嫁さんお出かけ
日曜日の午前中だけは嫁さんがケアをしてくれる。一週間でこの時間が一番の楽しみかも。
午後からは嫁さんはお出かけとのこと、何しに出かけるかは聞いたようだけどよく分からなかった。嫁さんが留守の間は 娘がきてくれた。娘と会うのは今年何回目 2回目?3回目?、新型コロナウイルスが流行してから僕の所へはめっきり顔を 出さなくなった まあ仕方のないことだと思うけど。娘からは誕生日のプレゼントとして掛け物をもらった。それは当然 嬉しいけど…家に戻ってきて僕の手伝いをする回数券がもっと良かったかも(笑)。

5月14日 ヘルパーさんに頼りすぎ?
今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのM看護師(遅れてK所長)とK会のヘルパーMさん。Mさんは10時前に来たけれど M看護師が着いたのは10時10分過ぎ、それで二人に「土曜日のケア何時から?」と尋ねたらMさんは「10時」M看護師は「10時半」 どうりで。これに関してはMさんがケアマネジャーに確認するということで決着。
Mさんが洗顔している間にいつも通りM看護師がバイタル測定と脚のマッサージ。それから二人で清拭と下洗い、だけど 僕には今日のケアもMさんが主導しているように見えた。途中でK所長が来た、M看護師が心配だったのだと思うけど 主導出来るヘルパーさんならば土曜日は不要だと思う。いつになったら訪問看護ステーションTの看護師はきっぱりと 独り立ちしてくれるのかな、せめて土曜日ぐらいは…。

5月13日 リハビリの代わりに車椅子移乗
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。これで入院中に溜まった垢?も大分剥ぎ取れたかな。今日の入浴車のスタッフは 看護師のFさんとY子さん・ヘルパーのFさんとKさん、今日もF看護師がお風呂に入る前に脚のマッサージと屈伸運動をして もらった。今日のスタッフの井戸端会議の話題は「社協の職員の中で誰が若いか」ということ?、今日の担当のKさんもかなり 若い方。そんな話を聞きながら今日も楽しく気持ち良くお風呂をいただいた。
昼前に警官栄養を始め午後2時からはT先生の往診、そして3時半から車椅子移乗。普段は3時過ぎからH先生のリハビリ なのだけど今はまだH先生が来られないので、代わりにケアマネジャーの配慮でH看護師と社協のヘルパーFさんが来てくれて 車椅子に座らせてくれた。その上で昨日Mさんが買ってきてくれた滑り落ち防止のシートを車椅子の背もたれに貼り付けて 使ってみたら、思っていた以上に滑らなくて滑り落ち防止の効果は抜群だと思った。ただあまりにも滑らなさすぎるので スライドボードが使いにくくなるのではという懸念が湧いたが…。

5月12日 Hさん復帰
9時45分からは朝のケア、僕の部屋の障子が開いたらそこにはH看護師の姿が。濃厚接触者の立場から仕事に復帰したようだ、良かった。まずは洗顔、木曜日は看護師に洗顔してもらう唯一の機会だから顔に何か異常な変化がないか確認してもらう 必要がある。そうこうしているうちにK会のヘルパーAちゃんが着いて二人で排便介助。便は月曜日にほとんど出てないから 下腹はかなり張ってる風、それに昨夜7時にラキソベロン(ジェネリック)を12滴服用しているから便意もけっこうある。 それでも出す自信がないのはなんで。
排便介助の最初は硬い便・お腹に溜まったガスを出すためにHさんに摘便してもらったのだが、ガスはそこそこ出たけれど 浣腸しても便は少ししか出なかった。ただ便意は増してきてたのでお腹を押してもらいながら摘便してもらったら便が 片手分ぐらいは出たらしい。そしてもう一度浣腸してもらおうとしたら管と浣腸液が刺激になったみたいで両手分ぐらい 出たとのことだった。更に残っていた浣腸液を入れてもらったらガスと残便が出た。これでお腹もすっきりした。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。木曜日の車椅子移乗の段取りは通常は脚と頸に装具を 着けてベッドに端座位し一度立ってからもう一度ベッドに横になりスライドボードで車椅子に移るというもの。だけどこの 方法は時間がかかるということで今日も時間短縮のためにYさんの許可をもらって(火曜日と同様に)Mさんが僕を立たせ 強引に回して車椅子に座らせる方法を取った。火曜日と違うのはMさんが火曜日は僕の左足を軸に回したのに対し今日は 右足を軸に回したこと、だからMさんも僕を回しにくかったと思うしYさんも僕のお尻を強く引く必要があったと思う。 苦労をかけた。座った後もMさんは僕の滑り落ちと左脚が外に開くことを気にした。滑り落ちは滑り止めを使うという、 左脚が開くことに対しては窮屈になるとは分かっていたけど僕からステップの使用を提案した。Mさんは?だったけど。

5月11日 入浴車
午前10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネジャー)とGさん・ヘルパーのIさんとMさん。 今ではもうお馴染みのメンバー。お風呂に入る前に「もうしばらくはリハビリ出来ないから」とFさんが脚をマッサージし軽く 動かしてくれた。その気持ちがありがたかった。というのは訪問リハビリのH先生も濃厚接触者で自宅待機中なのだ。 お風呂は浸かっていてもお湯がなかなか冷えなくなったしお風呂からあがっても汗がなかなかひかなくなった。そういう 季節になったということだろう。今日も楽しく気持ち良くお風呂をいただいた。そして昼からはパソコン三昧、 仕方ない。
今日は嫁さんの誕生日、昨日MさんやFケアマネジャーに「花を贈ったら」と言われたが…「確かに花はネットで注文出来るけど 支払うのは嫁さん、それでも嬉しいものなのか」と思った。今の僕に出来ることは子どもたちにメールで事前に「お母さんの 誕生日」と促すこととメッセージカードを送ることぐらい。

5月10日 新型コロナウイルスが身近に…
今朝カチガラス(正式名称:カササギ)が遊びに来てたと嫁さんから教えてもらった。僕がこどもの頃は電信柱のてっぺんに 丸い大きな巣を作っていて姿をよく見かけたのだが、その巣が撤去されてからは急速にいなくなった。もうこの辺りには いないと思っていたのだけれど・・・良かった。僕が最後にカチガラスをみたのはもう20年以上前、佐賀平野の北の方にある クリニックに月に一度通っている頃だったなあ。
かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
  大伴家持『新古今和歌集』(小倉百人一首 第6首)
午前9時半からケア、今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師とヘルパーのFさん。Fさんが洗顔している間にMさんが バイタルを測定した後に胸とお腹を聴診。それから二人に背中拭きと下洗いをしてもらって、その後脚をマッサージして もらってから脚と頸に装具を着けてベッドから車椅子へ移してもらった。今日は外を向いて座った、剪定後の庭の様子を 見たかったから。庭は思っていたよりバッサリと切られていた。見事なほど枝打ちされて坊主になったモチノキ、これから どんな風に枝が伸びて葉や実を付けていくのか心配な程だった。生け垣が剪定されてお隣のうちの庭が随分見えるように なって…途中で隣の庭にカチガラスが飛んできてしばらく遊んでた。カチガラスって思っていたより小さかったし愛嬌の ある歩き方だった。嫁さんを呼んで見せようと思ったけど間に合わなかった。今日はいい物を見たって感じ。
車椅子に座っている時にMさんと久しぶりにゆっくりと話をした。僕からは「訪問看護ステーションTの看護師が清拭にしても 排便にしても手順をちっとも覚えていない、Mさんが訪問看護ステーションTに何回も同行したのはいったい何のため だったんだ」と不満を、Mさんからは「Hさんが濃厚接触者になった、1回目の検査は陰性 今週の2回目の検査が陰性で仕事 復帰」と。これで僕の訪問関係者で二人が濃厚接触者になった。どっちも家庭内感染の濃厚接触者なのだけど…新型コロナ ウイルスが本当に身近になってきたなって感じだ。

5月9日 Mさんの同行はなんだったのか
今日月曜日のケアも訪問看護ステーションTの担当、K所長とT看護師 それに社協のヘルパーYさんが来た。ラキソベロンは 一昨日の寝る前に5滴・昨日は夜7時に12滴服用していたのだけれど、便が下りてきている感じはあったのだが便意そのものは 小さかったから出ないような気はしていた。
まず清拭、ヘルパーのYさんが何度も「暖かいタオルを胸において」といっているのだけれどK所長は馬耳東風。足を拭く時も Yさんは「指を1本ずつ拭いて」といってくれたのだけど…もうひとつ気持ち良くなかった、まあこれはK所長の清拭は2回目 だから仕方ないとも言えるのだが、僕が昨日嫁さんに手足を拭いてもらった時に言われた「足がくさい」が気になっていて つい「もう少ししっかり拭いてよ」と思っただけなのだが…。次は排便介助、K所長の口から「まず浣腸して」の言葉が出た時は 「違うだろう」とびっくりした。側で見ていたT看護師が「まず摘便で確認でしょ」と口を挟んでくれたのが救いだったけど… K所長の摘便は簡単なもので、訪問看護ステーションOのM看護師はどういう風にしてたっけとつい思ってしまった。便が 出なかったことよりも訪問看護ステーションTの看護師が手順を覚えていないことの方が腹立たしかった。M看護師の4月の 6回の同行はいったい何だったのだろう。今更ながら去年9月までのF看護師とI看護師の優秀さが解った。

5月7日 洗髪を見た人がなんで来ない
朝から庭の剪定作業、大きな音がしたから気が付いた。庭の剪定はこれまでは親父がやってくれていた。しかし親父はもう 出来なくなったのだからこの家ではもう業者に頼むしかない、僕がこんな身体だから。剪定業者の使う機器でブレーカーが 難解も落ちた。この冬も普通に電気を使う生活の中で何回かブレーカーが落ちた。50アンペアの契約でこんなに簡単に ブレーカーが落ちるものなのか、何か電気の配分とかシステムにおかしい所があるんじゃないかな。そうじゃないと…。 庭の剪定作業は昼前に終わった。さて庭はどんな風に変わったかな。
土曜日のケアは訪問看護ステーションTとK会が担当。K会のヘルパーMさんは10時前に来たけれど訪問看護ステーションTは 遅れている。僕は今日のケアのすたーとは本当に10時からかなと思ったほどだ。10分ぐらい遅れてM看護師が来てその口から 「後でTさんが来ます」と。T看護師もM看護師も洗髪するところを見たことない、洗髪するところを見たK所長が今日は 来ないと意味がないと腹が立った。仕方ないのでヘルパーのMさんに「今日はリードして」と頼んだところ清拭までも ヘルパーのMさんの指示待ちに。なんで! 前回の月曜日に清拭をしたT看護師が教えたらよかろうもんと呆れた。
洗髪は見てないのだから仕方ない、清拭もMさんは初めてだから仕方ない。しかし 二人とも僕の吸引の手順でさえも覚えて いないのか。僕は気管からの痰の吸引の時はセッシを使うと訪問看護ステーションOのM看護師は何度も教えたしT看護師も 自分で何回かやったはずだ、それなのに…。ああ T看護師に期待した僕が馬鹿だった。ヘルパーのMさんは大変だった・ 可哀想だった。


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4月
4月22日〜5月6日 レスパイト入院
4月22日から二週間の予定でレスパイト入院。病院に着いたらまずPCR検査、陰性の結果が出るまで特別室で過ごし陰性の 結果が出てから久しぶりに四人部屋へ移動した。僕は四人部屋は看護師が患者が多い分来るから好きなんだけど、ベッドの 窓際が空いてなくて外が見られる位置ではなかったのが残念だった。この辺りの病室から見える山側の風景が僕は好きで 久しぶりに見られるチャンスだったのだけれど仕方なかった。その他の検査は入院した日の次の月曜日にありそれにも 異常はなかったみたいだ。また面会禁止は今も続いているから二週間誰とも会えないのはやっぱり寂しかった。面会禁止の 放送が今は「長崎県内の新型コロナウイルスの感染者は増えています」と、佐賀県は入院前から増加傾向だったけど長崎県も そうだったのかと思ったものだった。
今回の6階病棟への初めての入院では以前入院していた5階から異動した看護師が5名(+以前から顔見知りだった看護師が 4名)いると聞いていただけ、それに6階病棟がどういう種類の病棟かも知らなかったから入院前からある種の不安があった。 それに6階病棟では元々文字盤を使う患者はいなかったようで看護師の中には文字盤を使わない・文字盤を使おうとしない 看護師も半数ぐらいいたから、コミュニケーションが上手く取れなくて苦労した。でも僕の担当になった看護師さんは 積極的に文字盤を使ってくれて半日もすれば上手く使えるようになりコミュニケーションも取れるようになって助かった。 僕には使わず嫌い、つまり文字盤を使う前に文字盤を使うことを面倒ぐさがって嫌っている看護師もいるのかなと思えた。 そんな中で今回の受け持ちが5階病棟にいたK看護師だったこと・初日の担当が日中も夜間も5階にいた看護師だったことは 不安の中にいた僕にとっては救いとなった。
車椅子移乗に関しては「看護師がいないから車椅子に座るのは平日だけ」と最初に言われちゃったし、車椅子に移乗する時は リハビリの人が手伝いに来ると言ってたから諦めもついたし実際毎回その通りだった。それに6階急性期病棟は入院も毎日 あるしコール対応もかなり遅い/点滴切れアラーム対応にもなかなか来ない、6階の看護師には余裕がないように見えるし 本当に忙しいみたい。事故が起こらないといいけど…。本当に忙しい時は他部署から応援が度々来ているし…今は人員 バランスがおかしいように思える。
お風呂は退院する週だけみたいだし…まあ僕の場合は今回の受け持ちがK看護師だったこともあり途中での洗髪と洗顔を お願いしたけど、他の患者さんにこんなことが出来るのか。ともかくあらゆることを改善してほしいかな。
帰り道山を見たら山には新緑の黄緑や黄色がもっこもこ、これぞ春の山という風景だった。我が町の街中に入ると街路樹の ツツジはもうすっかり終わっていた、陶器市が開けたばかりだというのに今年はかなり早い。家に着いて庭の隅を見ると アヤメの花がもう咲いていた、去年こんなの見たかなって心境だけどね。僕はアヤメとカキツバタの違いは分からないの だけど、アヤメが水辺に生えていると思っていたけどネットで調べてみたら逆だったようだ。ということは太宰府天満宮の 大きな池にあったのがカキツバタか。カキツバタの方が花がより青いそうだ。それにしても今年は梅雨が早く来そう、 もう梅雨の心配って嫌だな。

4月21日 久々に順調
今日の朝のケアは洗顔と背中拭きと排便、昨日と一昨日のラキソベロンが効いたのか朝から下腹が張っていて珍しく痛みが あった。その上今日の担当看護師は訪問看護ステーションOのMさん、最初から久しぶりに上手くいきそうな予感があった。 そしてその予感通り排便が久々にスムーズにいった。どうしていつも今日のようにスムーズに行かないのだろう、 ラキソベロンは同じように服用しているのに。難しいなあ。
午後の車椅子移乗の担当看護師はHさん、これもいつも通り順調。だいたいHさんは人に好かれる性格をしているし若いのに 気遣いもあるし身長もあるから車椅子移乗で失敗したことはない。今日は楽な一日だった。

4月20日 入浴車
今朝バメの卵の殻が3個分落ちていたと、雛が孵化したようだ。退院したら雛もだいぶ大きくなっているだろう、 楽しみだ。
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさんとAちゃん・ヘルパーのMさんとFさんという気兼ねの ないメンバー。井戸端会議の話題もテレビ番組のことで盛り上がった。僕はそのテレビドラマを放送時間帯で見ていたと いう訳ではないのだが、YahooGyaOの見逃しテレビで見ていたから話を合わせられた。このメンバーで楽しく気持ち良く お風呂をいただいた後…珍しく30分ぐらい熟睡、嫁さんが昼の経管栄養を持って来たのも気付かなかった。よほど疲れて いたのだろう。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初は脚の可動域訓練、H先生の可動域訓練は相変わらず厳しくて声を 上げそうになった(出ない)けど…何とか耐えられた。次は立位訓練、ベッドの高さがいつもより少し高くて3回とも上手く 立てた。ただ3回目は息が続かなくていつも苦しくなる、まあ仕方ない。

4月19日 庭の様子
火曜日のケアは朝9時半からと早い。パソコンを中途半端な状態で終わらないといけないから僕も嫌だけど担当の訪問看護 ステーションOも隣の市から来ていて遠いから朝早くは大変だろうな。今日の担当はH看護師とヘルパーのFさん、洗顔が 終わって二人で背中拭きと下洗い、それから車椅子に移って庭の方を向いて座らせてもらった。Hさんももう慣れたもので 適切に呼吸器を付け替えて庭が見やすいようにしてくれた。モチノキには赤い実がかなり少なくなっていてヒヨドリももう 飛んでこない。時折蝶々が飛んでは来るのだけど速過ぎて何の蝶だか分からなかった。そんな移り変わりを見せる庭を 見ているのが好きだった。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。今日は車椅子に座っているから左肩の可動域訓練から。いつもはベッド上での 動きだから可動範囲が異なるようで痛み始める所が違う。やはり時々はこうやって異なる体制でリハビリしてもらうのも いいのかなと思う。次は車椅子からベッドに戻る時の4歩の歩行訓練、今日は右足重心に移る際に脚に上手く力が入らなくて 踏ん張れず歩行が不安定になった。歩幅がいつもより少し広く感じた。

4月18日 どうしたらいいのか分からない
今日月曜日のケアは洗顔・清拭と排便、今日の担当は訪問看護ステーションTの看護師Mさんと(見学でTさん&訪問看護 ステーションOのMさんが監督)と社協のヘルパーのYさんと第にぎやか。まずはヘルパーのYさんが洗顔している間に 看護師のMさんがバイタルを測り胸とお腹の聴診をしてそれからMさんとTさんで脚のマッサージ。次にMさんとYさんの二人で 清拭。Mさんの清拭は初めてだったけど手足の指もしっかり拭いてはくれたしまあまあか。最後は問題の排便、今日の排便のために昨日一昨日とラキソベロンを5滴・13滴続けて服用して準備をし病院方式で臨んだんだけど…二回摘便と浣腸をしても ガスしかでなかった、朝から下腹が張ってる感はあったのに。だって…色々な所から声が聞こえてうるさかったから・ (当然だけど)一人一人浣腸や摘便のやり方が違うから・時間のことばかり言ってたから、腹が立って声を荒げて しまった。
昼の経管栄養を入れたら あるいは車椅子に座ったら便意が来るかもしれないと期待していたが…来なかった。便意が襲って 来たのは午後6時半頃、幸い重度障害者訪問介護のヘルパーYさんがいたから嫁さんの手を煩わせずにすんだ。それにしても Yさんは上手い、訪問看護ステーションOのMさん並みだ。もしYさんが6月に入社試験を受けるという病院に実技試験が あるならば一発合格だろう。

4月16日 土曜日のケア
土曜日のケアは洗顔と清拭、今日の担当は訪問看護ステーションTの看護師Tさん(見学でMさん&訪問看護ステーションOの Mさんが監督)とヘルパーのTさん。今日は看護師のTさんとヘルパーのTさんが清拭。看護師のTさんの清拭で贅沢を言えば 拭く回数が少し少ないかなと思うけど全体的にいえばほぼ満足。僕の場合半年前まで看護師のFさんとIさんがあまりにも しっかりと拭いてくれたから、普通の清拭ではもう満足しなくなったみたい。しいて改善して欲しい点を上げれば今の 胸へのホットタオルの置き方じゃ午後から風邪引いた風になるみたい、そこは直して欲しいかな。それにしてもMさんは 挨拶以外ひと言も発しなかったな。

4月15日 金曜日のリハビリ
午前10時過ぎからは入浴車、今日も気持ち良くお風呂をいただいた。最近暖かくなって足し湯の温度を上げないですむように なったし量も少なくなった。暖かくなったことは嬉しいことだけど風呂上りに汗をかくようになった。これは…。しばらく 休んだら昼の経管栄養、そして午後2時からかかりつけ医T先生の往診があり診察とカニューレ交換をしていただいた。 診察の後はしばしの間新型コロナウイルスについての雑談、僕の病気の話は出なかったから今回の診察も異常はなかったと いうことだろう。
午後3時半過ぎからは訪問リハビリ。まずはH先生に支えてもらいベッドに端座位して背中のマッサージと肩甲骨の運動、 絶えず背中が圧迫されているから解放されて気持ち良い。ただ背中を伸ばそうとしたがもうひとつ出来なかった。でも庭の モチノキの赤い実は見えた。次の立位訓練の1回目は右腰の痛みが気になって上手く力が入らず腰くだけ気味になった、まあ 2回目・3回目は修正出来て上手く立てたけど。立っている時に庭の花を眺めたのだが、嫁さんはピンクの椿の花って 言ったけど…僕にはどうしても赤にしか見えなかった。最後は脚の可動域訓練、H先生の攻めはいつも通り厳しいのだけれど …金曜日は痛みが水曜日より遅く来るのは何故だろう。

4月14日 gacco講座「AI・データサイエンス基礎」仮終了
木曜日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのM看護師とK会のヘルパーのTさん、今日の排便のために一昨日の夜に ラキソベロンを5滴・昨日は夜7時に13滴服用したのだけれど朝になっても強い便意はほとんど来なかった。それで差し込み 便器を使わないで横を向いて浣腸した後テープ式紙おむつに便を出す病院方式でやって何とか出た。毎回毎回排便で 悩まされるなんてやってられないな。
午後3時からの車椅子移乗はH看護師と社協のヘルパーのKさん(行き)・Fさん(帰り)が担当。車椅子に移る時は一度立った後 もう一度ベッドに横になってからスライドボードで車椅子へ、ベッドに戻る時はそのままスライドボードで車椅子から ベッドへ。どちらも仲良く楽しそうに移乗してくれた。
gacco講座「AI・データサイエンス基礎」、今日で第5章の確認テストも終わり残すは第6章の「対談」の視聴とWordによる まとめ。ただ字幕がない講座は初めてでどうまとめていいか分らない。講座の内容を理解出来ているならまだいいけど…、 確かに修了点はオーバー出来たけど理解しているのは上っ面だけ。やっぱり概論は難しい、講義は基礎って名前だけど。 せめてスライドぐらいは保存すべきだと思っている。

4月13日 H先生の下半身のリハビリ
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。最初は脚の可動域訓練、いつものことながらH先生の可動域訓練は厳しい。 今日はいつもより特に動かし方は厳しいような気がしたけど…。股関節の可動運動は数を数えながら何とか耐えてはいるが (膝や太ももの後ろの筋肉・腱を伸ばすための)脚挙げやアキレス腱・(変形した)足の甲伸しの痛みに耐えるのはもう限界に 近い。もし嫁さんや訪問看護師さんが同じリハビリを受けたとしたら悲鳴を上げる痛さだと思う。それでも頑張れるのは H先生への信頼と成果が上がっているように思えるからだ。脚挙げの足は以前より少しだけだけど上の方に見えるし、 ヘルパーさんが脚の装具を着ける時も踵の関節の曲がりやすくなっているようで装具が少しは着けやすくなっているように 思えるのだけど。
最後は立位訓練、H先生が僕をベッドから起こして端座位にしてもらった際に窓の外のエアコンの室外機の上にモモが休んで いるのが見えた。それだけで頑張ろうと思った、それだけで立位訓練は腰や膝に上手く力が入って3回とも頑張れた。立った 時にモモが見れるのが嬉しかった。そんなどうでもいいことで頑張る気になるのが不思議だけど。

4月12日 ネットワーク面談
今日の担当看護師は訪問看護ステーションOのHさん、珍しく少しだけ遅れてきたけど背中拭きと下洗いをさっさと終わらせ 時間内に車椅子移乗まで。パートナーと息が合ってたこともあるけど、その辺がHさんの性格の良さかな。車椅子に座る時 最初は庭の方を見て座ろうと思っていたけど天気が今日は曇り空、いまひとつ良くなかったので諦めてテレビの方を向いて 座った。でも今日はそれで良かった、今日は3ヵ月に一度のネットワーク面談の日だった。
11時前からはH先生のリハビリ、まずはH先生の所属している施設の担当医師であるTa先生とのネットワーク面談。僕の リハビリは医療の範疇ではなく介護保険扱い、医療ならば主治医の指示書があれば動けるが介護保険の場合は施設担当 医師と3ヵ月に一度の面談が義務付けられているのだ。H先生がタブレットでTa先生と(Ta先生はパソコン?)ネットワークを 繋ぎ面談開始(便利になったものだ)。H先生が僕の現状と経過をタブレットを通してTa先生に説明しTa先生からも励ましの 言葉をいただいた。Ta先生はもう少ししたら引退するとのことでTa先生との面談は今日で最後、Ta先生 お世話に なりました&ありがとうございました。
ネットワーク面談が終わったらいつもの上半身のリハビリ、右肩と肘・腕と手の可動域訓練。それから車椅子からベッドに 戻るために4歩の歩行訓練、こちらは気持ちは後ろ足で身体を前に押していて体重移動もまあ上手く出来ていたと思うから まあまあだろう。ベッドに戻ってからは左肩と肘・腕と手の可動域訓練、最後に肺の拡張運動をして今日のリハビリは終了。 H先生 いつもありがとうございます。

4月11日 Tさん初めてのケア
今日のケアの担当は訪問看護ステーションT(同行でMさん:監督)、初めてのTさんのケア。まずヘルパーさんが洗顔している 間にバイタル測定と脚のマッサージ。それからヘルパーさんと二人で清拭、Tさんの清拭は拭き方も力加減もまあ悪くない。 手足の指も指の間もきちんと拭いてくれたし初めてとしてはまあ満足出来た、良かった。
Nさんはまだ排便介助は見たことないということでMさんの出番。今日も朝から便意が弱いということで差し込み便器は 使わずに側臥位で摘便と浣腸をしてもらいテープ式の紙おむつに出すという病院方式、それでも2回浣腸してようやく出た。 Nさんにも迷惑かけそう…。

4月9日 訪問看護ステーションTのケア
今日のケアは訪問看護ステーションT、K所長と見学でT看護師とヘルパーのMさん・監督としてMさん(看護師)が来た。今日の 清拭は早く慣れてもらうためにKさんにお願いした。拭き方も力加減も最初としては満足、足の指もしっかりと拭いて くれたし。ただ午後から肺が冷えた感じがした、胸の暖め方が課題か。慣れれば何とかなるだろう、期待大。今日は 見学していた若いTさんは理解が早いみたい、大丈夫だと思う。

4月8日 訪問理容
通院のない金曜日は午前中にお風呂・午後からはかかりつけ医の往診とリハビリ、ただでさえ忙しいのに今日はお風呂の 前に床屋さんが入っていて更にバタバタに。まあ僕は嫁さんに言われるまで床屋さんのことはすっかり忘れていたけど。 朝9時に訪問理容リリアンさん二人が到着、一人は20年以上お世話になってるKさん。今では散髪の加減は全てKさんに お任せ、でも切る度に1回1回短くなっているような気がするけど。もう一人の方は以前1-2回来たことあると思うけど 名前は知らない。猫好きのおばさんって感じで丁度僕の脚の間で寝ていたモモの頭を何度もなでて可愛がってくれた。 それだけで親しみが湧いた。リリアンさん いつもありがとうございます。
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師はFさんとAさん・ヘルパーはFさんとKさん、気の許せる メンバーだ。今日の話題は入学式のこと、新型コロナウイルスの影響で入学式に参加出来るのは一人だけ、在校生も 参加しないとのこと。親がどの入学式・卒業式まで来たか覚えてないけど…在校生がいないのは寂しいな。それから30分程 休んで昼の経管栄養、これが終わって程なくした午後2時からT先生の往診、たぶん異常・異変はなかったのだろう。
3時過ぎからはH先生のリハビリ。今日はまず脚と頸に装具を着けて端座位から、なぜだか分からないが胸を張ったり 背伸びをしようという気力に今日は少し欠けていた。モチノキを見る楽しみがなくなったからかな。次は立位訓練、だけど 1回目は右腰がどう痛むか気になって上手く力が伝わらなかった。右腰を意識し過ぎたら余計悪くなったのか。まあ2回目・ 3回目は上手くいったけど。そして最後は脚の可動域訓練、今日も厳しくて長くて?音を上げるところだった。でも確実に 可動域は広くなってる と思う。

4月7日 gacco講座「AI・データサイエンス基礎」受講開始
レスパイト入院まであと半月、それまでにもう1つgacco講座をやりたいと思って講座一覧を見たら「AI活用人材育成講座」 シリーズの「AI・データサイエンス」関連が幾つもあった。めぼしい講座もなかったししばらくこの講座シリーズを続けて 見ようかなと思った次第。で この講座シリーズの始まり「AI・データサイエンス基礎」を今回受講したって訳。でもこの 講座 「基礎」って付いている割には意外と難しいし字幕が初めから表示されないシステムになってる。僕がgacco講座を 受講するようになって4-5年になるけど字幕がどこにもないなんて初めて、字幕のダウンロードが出来ないってことは何回も あったけどその時でも講義動画の右には必ず字幕があったもの。Wordでのまとめはどうしよう。スライドだけでも いいかな。
今日のケアは訪問看護ステーションOが担当、そして今日は一日H看護師だった。午前中のケアは洗顔と背中拭きと排便、 ペアのヘルパーはMさん。ヘルパーさんが洗顔している間にHさんがバイタル測定と脚のマッサージ、それから二人で排便 介助。排便は先週と同様に昨日一昨日とラキソベロンを服用してたけど朝からの便意が小さかった、我が身体ながら本当に コントロールが難しくなってきた。カマグ(酸化マグネシウム)との併用も考えていたけれど下痢が続きそうで怖いし… 病院方式で出るのならと思ってしまった、無駄金遣いにはなるけれど。午後の車椅子移乗はYさんとのペア、こちらの方も 何の問題もなし。スムーズに車椅子に座らせてくれた。

4月6日 H先生の下半身のリハビリ。
今日は朝10時過ぎから入浴車。メインの看護師がYさん・サブの看護師がAちゃんという珍しいパターン、Aちゃんがいる時は だいたいAちゃんがメインなのに。サブでもAちゃんは合間を見て明るく話しかけてくれて…手足の指もしっかりと洗って くれてマッサージもしてくれるし今日も気持ち良くて楽しいお風呂だった。最近暖かくなって昼間は暖房の必要がなくなり お風呂も足し湯の時に温度を上げずにすむようになった。これが部屋の中で春を感じるということか。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域訓練。股関節の可動域訓練は最近大分厳しい攻めにも 我慢出来るようになった。脚挙げの角度も幾分高くなっているように見えた。アキレス腱伸しは相変わらず顔をしかめる程 厳しい、特に足の甲に強い痛みが来るが我慢だ。最後の立位訓練は今日はベッドの高さが少し高かったのかいつもより楽に 立てた。まあ時には無理をしなくてこんなこともいいだろう。

4月5日 疲れてる 眠い
この頃夜眠れていない、挽回も目が覚める、結局しょっちゅう寝不足だ。以前から朝方早く目が覚める傾向にはあったけど 今ほど早くはなかった。以前から二度寝は苦手だったけど今ほどしょっちゅう何回も目覚めることはなかった。これも 夜間に重度障害者訪問介護を利用するようになってから、夜間隣の部屋に控えている重度のヘルパーさんが僕になんらかの 心理的な影響を与えているのだろう。
今日のケアの担当は訪問看護ステーションOのH看護師とヘルパーのFさん、見ていて親子かと思える程仲のいいコンビ。 洗顔・背中拭き・下洗いをしてもらい それから車椅子移乗、今日も庭向きに座らせてもらった。今日はヒヨドリはモチノキに 来なかった。向こうの方で小鳥や虫(蝶?)が飛んでいた。
午前11時前にH先生が着いて左の肩からリハビリ開始。でもその時もまだ眠くて…H先生の厳しい攻めでも感覚が鈍くて 痛みが来るのが遅くなった気がした。が 歩行訓練までに眠気を取ろうと努めたつもりだ。そのおかげか歩いている時に 脚から力が抜けることはなかった。まあまあか。

4月4日 月曜日のケア
今日は訪問看護ステーションTの2回目のケア、今日の担当 所長のKさんは看護師とヘルパーの動きを見たいということで 今日は見学するとのこと。で 今日はM看護師とヘルパーのFさんがいつも通り?することに。今日のケアは洗顔・清拭と排便、 排便に添えて昨夜7時にカマグを1錠・寝る前にラキソベロンを12滴服用しておいたのだけれど朝になっても便意はあまり 来なかった。案の定1回目:差し込み便器を使って浣腸した時はガスはいっぱい出たけれど便はちっとも出なかった。それで 2回目は病院と同じやり方で まず横を向いて摘便で便の状態を確認しかつ腸を刺激して それから2回目の浣腸、そうしたら 便は何とか出た。やはり病院のやり方が無難なようだ゜申し訳ないけどKさんとこにも苦労をかけそうだ。
午後3時前から車椅子移乗、訪問看護ステーションTのKさんは初めて見る。まず脚と頸に装具を着けてベッドに端座位、 そして看護師さんとヘルパーさん二人に両側から抱えて一度立たせてもらい、それからもう一度ベッドに横になって スライドボードで車椅子に移動。Kさんは身長がそれほど高くないから立たせるのに苦労するかもしれないけど… まあ大丈夫だろう。

4月3日 gacco講座「樹木の生命力」終了
袈裟重度障害者訪問介護のヘルパーMさんが繋いだ警官栄養が途中からまた漏れた、どうやら胃ろうとチューブの接続が 甘かったのだろう。重度のヘルパーさんが胃ろうから経管栄養を漏らすのは3回目、嫁さんは怒り心頭だ。よく「途中で 経管栄養の漏れていることが分からないのか」と言われるが、滴下がゆっくりの時はじわーっと染みてくるから濡れていると 感じない。今日も白湯をさっと流した時に初めて濡れていると感じた。嫁さんはすぐに僕の管理者Aさんに連絡を取った ようだが「違う要件でそちらの方に向かっているけどもう少しかかる」と。嫁さんが僕の着替えを済ませしばらくした頃 Aさんが着いて、二人で僕をスライドボードで車椅子に移動させお尻の辺りがずぶ濡れのマットレスを交換した。これで Aさんも経管栄養が漏れた時の大変さを理解しただろう。
今日gacco講座「樹木の生命力」が終わった。この講座は1週で終わる、それで選んだ。複雑な炭素化合物化学式か出て後半は 内容も難しかったが年輪=細胞壁ができる秘密だけは分かった。樹木の細胞で生きているのは10%以下とのこと、また 年輪で色の濃い真ん中部分のほとんどは100%細胞は死んでいるけど木を支えるとか水を通すとか樹木の役に立ってると。 雑学が増えた。ただ確認テスト・採集課題の締め切りが3月29日だったのと配信終了が31日だったからWordでのまとめが 時間が足らなくて大変だった。
嫁さんは今日も昼からお出かけ、隣の市の図書館である講演を聞きに行くとか。嫁さんが留守の間は重度のヘルパーさんが 来てくれた、嫁さんが手配していてくれたのだ。嫁さんが僕のせいで自分の時間をどれだけ犠牲にしたかと考えると 嫁さんの行動にとやかく言えるはずがないしどうのこうの言うことは出来ない。そのための重度障害者訪問介護の利用 なのだから。

4月2日 新しい訪問看護
今日から新しい訪問看護ステーションTを利用、今日うちに来たのは所長のKさん、同行しているMさんとよく話す明るい 性格のようだ。第一印象としてはまあ好感触だ。今日KさんはMさんと一緒に清拭をしてくれたが力加減も拭き方も僕の 好みに近いし足の指もちゃんと1本1本力強く拭いてくれた。やはり前のYさんの拭き方がおかしかったんだ、一般的な 訪問看護ってこの程度かと諦めかけていた。Mさんが言うには「メンバーの中に一人真っ直ぐ(考え方が一方向?)の看護師が いるからその人の相性が…」と、まあ相性がいいとは言えないYさんと半年間付き合えた僕だから大丈夫だろう。

4月1日 通院日
今日は通院日、いつも通り午前11時半頃にヘルパーさんが二人来て外出準備。まずは二人で玄関にスロープ(木製)を設置し それから嫁さんの要求に応えて紙パンツ替え、どうやら紙パンツが破れていたらしい。でも破れたのはいつ?なぜ?、 思い当たらない。次にヘルパーの一人が洗顔もう一人が脚のマッサージ。そこへ訪問リハビリのH先生がもう着いて、今日は 早い。それから脚と頸に装具を着けH先生に一度立たせてもらってから車椅子に移乗してもらって、最後に嫁さんに蘇生 (アンビュー)バッグで肺を広げてもらって吸引して玄関から外に出た。空は青空良い天気、今日は残り桜が見れそうだ。 リフト車に乗り込み小屋の方を見ているとツバメが1羽小屋に入っていった。頻繁な行き来はない、雛はまだのようだ。
桜は一昨日昨日二日続けての雨風に耐えて見るにはまだ十分だった。僕の見たい所 蔵宿駅や炎の博記念公園 それに 病院への通り道で以前桜がきれいに咲いてたと僕の記憶にあった所はもちろん、それ以外の所でも桜はいっぱいきれいに 咲いてた。山にも所々に山桜を見ることが出来たし、僕はこの道を22年通っているが今年が一番かもしれない。病院の桜も きれいに咲いていたし十分満足した。帰り際に玄関前の池を見ると亀が全員揃って甲羅干ししながら花見をしてた。 面白い風景。
病院に対だ時同時に救急車も入ってきてどこの処置室に入っていいのか分からなくて待合室で待つことに、だけど誰も 迎えには来なかった。20分ぐらいして外来のM副看護師長が通りかかり第2救急処置室へエスコート。それからは急ピッチで 動き出した。車椅子からストレッチャーに移乗しバイタルを計り終えた頃に主治医が来て診察とカニューレ交換。それから 主治医と嫁さんが話していたのだが医師には入院する時の病棟を決める権限がなくなったらしい、だから22日からの レスパイト入院は日時も病棟も確定してはいないとのこと。その後副看護師長さんがどこかと連絡を取って22日という 日付だけは確定したらしい。どうしてこのような変革になったのか。僕がいつも通院や入院で世話になっている川棚病院の 病室が4月から一階分減ったそうだ、それも僕の慣れ親しんだ5階神経内科・内科病棟が。6階の呼吸系病棟と統合されて6階に なったって、よく解らないが22日からの入院で6階病棟に入院出来ればはっきりするだろうが。ただ今回の入院が6階に なるか4階になるか、どっちにしろ今回はコミュニケーションで苦労しそうだ。それにしてもこの2年間5階病棟の看護師は ずっと忙しそうだったのに、そしてそれは6階にコロナ病棟が出来て5階は絶えず満杯と聞いていたのに。確かにこの2年間 駐車場はガラガラで待合室も混雑してたことはなかったと思うけど。この病院はそんなにひどい赤字で危ないのかな、 無くなると困るけど。
家に戻ったのは午後2時半頃、それから30分ぐらいしてH先生が到着し今日のリハビリ開始。まずは車椅子からベッドに 戻るために4歩の歩行訓練。やっぱり金曜日は調子いい、後ろ足で体を前に押す気になれたし火曜日のように体重移動する 際に移す足の方にも不安定さは感じなかった。通院のリフト車での移動中に知らず知らずのうちに脚を踏ん張って、それが 脚の準備運動になり調子の良さに繋がっているのかもしれない。次の脚の可動域訓練も調子良かった、可動域が広がって いるような気がした。これは何故。


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3月
3月31日 なぜが順調
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、新しい訪問看護が見学に来るかもと聞いていたけど都合が悪くなったらしい。 こんな感じで大丈夫かなと一時思った。朝のケア:排便は看護師MさんとヘルパーのTさん、火曜の寝る前にラキソベロンを 5滴・昨晩7時にラキソベロン13滴を服用していたからか朝から程よい便意があってケアの前には強い便意が…こんなことは 久しぶり。やっぱり二日前にもラキソベロンを少量服用してたのが良かったのかな。でも月曜日は同じことをしているのに 出にくいし…、間隔が3日と4日 違うだけなんだけど。自分の身体ながら分からん。

3月30日 入浴車
午前10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師はAちゃんとY子さん・ヘルパーはMさんとIさん、隅々まで しっかりと洗ってもらった。浴槽に浸かった僕を囲んでの今日の話題は入学式や卒業式のこと、だけど入学式や卒業式の ことは小・中・高・大学と全て全然覚えていないし子供たちのそんな式にも一度も参加したことがないからその雰囲気さえ 知らない。だからみんなの話に加わることは出来なくて聞いているだけだった。
午後のリハビリはH先生の有給消化日に当たるとかで今日はなし、まあgacco講座「樹木の生命力」の配信が明日中で終わりに なるからWordでのまとめを終わらせるためには丁度いい時間だったのかもしれない。

3月29日 庭の景色
今日の朝のケア&車椅子移乗はH看護師とヘルパーのKさん、Kさんはなんか久しぶり。それでも二人でケアも車椅子移乗も 進めてくれた。僕には何の憂いもなかった。Hさんの時には初めて外を見る向きで車椅子に座らせてもらった。Hさんは 呼吸器の回路を右(いつもと反対)から回すことに初めは少しとまどってはいたがすぐに理解して設置してくれた。外 庭の モチノキは葉っぱがほとんど散って赤い実だけ残る異様?な風景、小鳥も赤い実をつつきに来ることはなくなったようだ。 親父も今年93歳、昔のようには軽やかに動けなくなり認知も幾分?進んで庭も少しずつ荒れてきた。庭師を捜さなければ。 大きな石の裏から伸びてきたユキヤナギは今日も小さな白い可憐な花をいっぱい付けてきれいに咲いていた。梅の老木も 左半分はもう駄目なようだ、花は咲かなかったし左側は今は葉も付いてない。どうにかなるのかな。
午前11時前H先生が来てリハビリ開始、車椅子に座ったまま庭を見ながら左の肩と肘・腕と手を動かしてもらった。左側を 車椅子に座ったまま動かしてもらうのは1ヵ月ぶりぐらいかな、ベッドの上でリハビリしてもらうのとはやはり少し感触が 異なるし痛む部位も痛み始める時間も少しずれる、不思議なものだ。リハビリを受けながらも外を見ているとモチノキに1羽 ヒヨドリが飛んできてしばらく遊んでいた。こんな風景を見られるのももう終わりかもしれないな。
次は車椅子からベッドに戻る間の4歩の歩行訓練、体重移動が両足ともちょっと不安定になりそうな気がしたが歩幅が広く なったから?。確かに歩幅が広くなると体をより前に押して前の足に重心を移動させないといけないから難しくなるのは 当たり前なのだけど…何とかついていけてるようだ。
リハビリを受けてる間に嫁さんが桜の写真を撮ってきてくれた、大樹神社とお寺と蔵宿駅。今年も綺麗な桜が見れた、 ありがとう。

3月28日 Yさん 最後のケア
今日でYさんのケアも最後、しかし朝のケアの時も午後の車椅子移乗の時も表情も仕草も動作もいつも通りひょうひょうと してた。清拭も最後まで僕を満足させることはなかった。今日の清拭も僕にいわせればあっちこっち、指の拭き方も 大雑把で1本1本しっかり拭くことは結局最後までなかった。指に関しては二度ほど要望したけど少し変わった程度、まあ あの拭き方がYさんのスタイルだったのだろう、なにせ最初に手の清拭をした時に「垢が出ない」と驚きの声を上げたくらい だから。今日は2回の浣腸で何とか便は出たけど相性はずっと悪いまま、本当によくも半年我慢したものだと思う。
車椅子移乗が終わった後Yさんはひと言「半年間お世話になりました」と言っていつもと同じ風で何の未練もなさそうに 帰っていった。おそらく僕に対する思い入れがないのだろう。僕もだけど。以心伝心。

3月27日 嫁さん 今日もお出かけ
嫁さんは佐賀市の方で用事があるとかで今日は昼からお出かけ。その後下の息子の所に寄ってくると言ってたから遅くなるということだろう。僕はこの22年訪問看護師さんが付いてきてもらわないと子供たち家族と出かけることも出来なかった、 当然のことながら娘や息子たちと外で一緒に食事をしたこともない。だから昔は嫁さんから「子供たちと映画を見てくる」 とか「食事に行ってくる」と聞くと羨ましがったり妬んだりしたものだが…もちろん何も言わないで行ってもらったけど。
嫁さんが留守の間は午後5時までは娘に頼んでくれていたし 5時からは重度障害者訪問介護のヘルパーさんが来る。傍に誰も居ないということはない。娘とこうやってゆっくり話すのは本当に久しぶり、新型コロナウイルスがどうのこうのと言って 僕の所に来るのをずっと避けてるみたいだったから。それにしても嫁さんはそんなに重度のヘルパーさんを信頼して いるのかな、もしもの時はなんにも出来ないと思うけど。まあその意味を含めての重度障害者訪問介護だしそんなことを 気にしてちゃ出かけることも出来ない。まあいいか。

3月26日 gacco講座「化粧で学ぶ心理学」ようやく修了
今朝gacco講座「化粧で学ぶ心理学」がWordによるまとめまでようやく終わった。この講座は結構難しかったこともあり また スライドが多かったこともありまとめをこなすのにかなり時間を要した。それに嫁さんがこの講師のことがよほど気に いらなかったのか横から何度も茶々を入れた、その煩わしさも終わった。この講義の中で黒系統のアイシャドーを上瞼に 施すと視錯覚(目の錯覚)により目が大きく見えるという教えがあったけど、それ以降他の色のアイシャドーを見るとどんな 意味合いでこの色のアイシャドーをしているのか気になるようになった。けど かといって聞く訳にもいくまいに…。次の 入院まで4週間ある。その間にもう一つ講座を受講出来ると思って講座一覧を見たら期間の合う講座がない。 どうしよう。
今日のケアの担当は訪問看護MのY看護師とヘルパーのFさん。そしてケアの内容は洗顔と清拭、最初は排便をどうしようかと 考えていたけどYさんの顔を見たら言う気がなくなった。だから今日のケアは洗顔と清拭の1時間コース、というとで最近の Yさんは時間のことばかり気にして僕のケアに取りかかっていた、まあ時間を全く気にしないよりはいいけど。結局僕は Yさんの清拭に半年間一度も満足したことはなかった。今日もYさんの清拭を受けてて「Yさんはソフトマネキンの相手をして いるみたい」なんて思ってしまった、いくら言葉遣いは優しくても相手を思う気持ち=情を持ってないと心が見えない、 重度障害者訪問介護と同じで仕事ととしてだけで来てること見え見えならこっちも楽しくないから話しかける気にも ならない ただ時間が早く過ぎて欲しいと思うだけ。情があれば相手を思いやる気持ちがあれば清拭のやり方も変わった はずだ。せめて足の指を拭く時は曲がった指を1本1本伸ばしながら拭いて欲しかったなあ。
ケアが終わりに近づいた頃から新しい道の開通セレモニーがもう始まるなと考えていた、今僕と一番親しくしてくれている 同級生Mも参加するのかなとも。それでケアが終わったらすぐにMにネットで連絡を取った、「新しい道が見たい、写真を 送って」と。するとMは写真を送ってくれてその後で他の写真も見せに来てくれた。この気遣い、本当にありがたい。 感謝。

$u1r3月25日 H先生の金曜日のリハビリ
午前中は今週2回目の入浴車、入浴車のスタッフの中にAちゃんがいると会話が多くなってお風呂の場が楽しい。最近暖かく なったからお湯の冷めるのがゆっくりになって足し湯の温度を上げる必要がなくなった。ようやくだ。昼になって 経管栄養を流し終えたらもう2時、かかりつけ医T先生の往診の時間。今日のカニューレ交換もいつもの様に無事終わり 二人で「新型コロナウイルスもインフルエンザと同じような扱いになればいいのに」と話してた。世間もその方向で動いて いるけどまだ飲み薬が出来てもいないのに果たしてそうだろうか。
午後3時過ぎからはH先生の今週3回目のリハビリ。まずは頸と脚に装具を着けて端座位から。端座位は2週間に一度背中・ 肩甲骨が15分?物から離れる数少ない機会、H先生は「肩甲骨がよく動くようになった」と言ってたけど今日はH先生の肩甲骨の 動かし方に合わせて僕も自分か動かしてたつもりだし 肩を下に押さえつけられた時も背伸びをして抗したつもりだけど 抵抗にもなっていないだろう。こうした背中への一連の動きは気持ちいいものだ。それに端座位している途中でエアコンの 室外機の上にモモが来たのが見えたから余計頑張る気になった。
今日の立位訓練は3回とも調子良かった。きっと端座位していたから知らず知らずの内に脚を踏ん張っていて脚に力が入り 端座位が立位運動のいい準備運動になっていたのだろう。脚の可動域訓練も調子良かったみたい、水曜日よりも長くH先生の 脚の各関節への攻めに耐えられた。条件はほぼ水曜日と一緒なのに金曜日の方がだいたいは調子が良い、なんでだろう。 端座位の姿勢を保持してもらっていることがやっぱり何か関係しているのかな。

3月24日 どうしたらいいか分からん
今日の看護は朝のケアも午後の車椅子移乗も一日H看護師、朝のケア:排便は昨晩7時にラキソベロンを12滴服用してたし 今朝からさほど強いとは言えないけどちゃんと便意もあったし大丈夫だと思っていたのだけれど…差し込み便器を使って 浣腸しても便は出なかった。どうやら便意はガスだったようだ。仕方なく仕切り直し、病院方式で横を向いて浣腸しテープ式 おむつに排便しようとしたのだが…今度も出なかった。確かに最近月曜と木曜の排便がいっぱい出てるからお腹の中?に 貯まっている便は少ないのかもしれないけどこんなに便が下りてこないなんて、今後どんなことをしたらいいのだろう。 分からない。火曜の夜に誘い水のラキソベロンを少し服用してみようかな。
午後の車椅子移乗はHさんとヘルパーのKさんのコンビ、息も合ってて一度立たせてくれた後にスライドボードを使って 車椅子に移して座らせてくれた。このコンビにもストレスはほとんど感じなかった。ストレスを感じるのはやっぱり 月曜日だけかな。

3月23日 新しい道
午前10時過ぎからは入浴車、今日入浴車のスタッフにYさんがいたら尋ねたいことがあった「新しい道が牧のどこを横ぎって いるか」を。セラミックロードから別れて伊万里につながる新しい道が出来ることは知っていたし、今日Facebookで26日に 途中までの開通セレモニーがあることも知った。でも新しい道は牧地区のいったいどこを通っているのか、今のセラミック ロードに対して真っ直ぐ作ったら家々の中を通ってしまうし山越えになるから道に激しい上り下りが出来る。今の僕の 一番の興味はセラミックロードをどこで別れてどっちの方向に進むか、それでルートのだいたいの予想がつく。
で Y子さんに聞いたら「信号のない交差点が出来て山田神社の入り口のところを通る」との答え、どうやら同級生の家の前の 昔からある道の上に出来たようだ。しかしセラミックロードからあの道につなぐのは結構難しそうなのだが…どういう ルートを通ったのだろう。

3月22日 H先生の上半身のリハビリ
朝のケアは9時半から、洗顔・背中拭き・下洗いが終わって車椅子に座る時に庭向きに座らせてもらおうと思っていたけど… 外は曇り空いまひとつの天気だったのでやめにしてテレビを見ながらH先生を待つことにした。午前11時前H先生登場、 まずは右肩・肘と腕・手の可動域訓練から。H先生のリハビリはいつものことながら厳しいけど褒め上手だからつい頑張って 耐えてしまう。H先生に上手く乗せられていると思うけど…。今日かなり効いたのは肘の関節の屈曲運動と掌の可動運動、 肘の方は着替えにかなり効果が出てる。
次は4歩の歩行訓練、1歩2歩3歩と体重移動が上手く行ったが最後の4歩目ちょっと不安定になって膝が少し危ないかなと 感じた。けど 踏ん張って立ち直れた、まあまあだった。ベッドに戻ったら左側の可動域訓練と呼吸リハ、訪問看護で 上半身の運動をしなくなった今H先生だけが頼りだ。

3月21日 春分の日 半ドン?
今日は春分の日、祝日なのに訪問看護MのYさんが来てくれたのは感謝すべきだと思うのだが…午後の車椅子移乗は3回目の ワクチン接種の副反応:(Yさんの場合は)腰痛で来れないとのこと。「まあいいけど」とすぐに思った、そんなに期待していた 訳ではないから。午後になってすぐに「ヘルパー二人が来てスライドボードで車椅子に座らせる」と連絡があったと嫁さんに 教えてもらった、有難いことだ。そして午後3時ヘルパーのFさんとKさんが来てくれて、脚のマッサージをした上で脚と頸に 装具を着けてスライドボードで僕を車椅子に移して座らせてくれた。その動きはYさんがいる時よりスムーズ、なんで?

3月19日 代打
土曜日は本来訪問看護Mが担当する日、だけど前日新型コロナウイルスの3回目のワクチン接種の予定ということでMさんに 交代して欲しいと事前に連絡があったという。その事は火曜日にMさんから話があった。だけどその前に他の方の訪問看護が 入っているとのことでここに着くのは10時半過ぎになるとのこと、その分ヘルパーさんの来る時間もちゃんと遅らせて 調整してくれたから何の支障も生じなかった。ところが訪問看護MのYさんからはこの事について僕にも嫁さんにもひと言の 連絡もなかった。この辺の常識のなさ というか気遣いのなさ・配慮に欠けるところがYさんのもんだいなんだよな。 まあいい、あと数回だから。
今日はヘルパーのMさんが先発、先に来て洗顔を済ませ脚のマッサージ。看護師のMさんは時間を読み違えたとかで遅れて 来たけどスピーディ、バイタルを計り終えたら二人ですぐに洗髪と清拭に取り掛かり1時間もしないうちに終わった。 力加減も拭き方も僕には十分、昔の土曜日を思い出した。昔のことを考えれば洗顔と清拭で1時間・洗顔と洗髪と清拭で 1時間半は楽に出来ると思うのだけれど。洗顔と清拭と排便で1時間半は僕の調子次第かな。

3月18日 通院日
今日は通院日。今日も午前11時半前にヘルパーさんが二人来てまずスロープの設置。それからIさんが洗顔・Fさんが脚の マッサージ、そして二人が脚の装具を着けているところにH先生が着いてIさんへの装具装着の指導しながら装具を着けて 一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。嫁さんに最後の吸引をしてもらい時計を見るとまだ正午前、外出準備が本当に 早くなった。
玄関から外に出ると空は小雨模様、今日は景色は楽しめない日かもと覚悟した。それでもリフト車の中から目をこらして 残り梅の様子と桜の開花状況を確かめた。梅の花はほとんど終わっていたけど紅梅が二ヵ所・散りかけの白梅が1本見えた。 病院のソメイヨシノは蕾がちょっと大きくなって枝が色付き始めていた。二週間後の通院日まで花が持てるか気になる ところだ。驚いたことに僕の通り道 川棚川の上流?中流?沿いに桜の花がかなり開いている木が1本あった。ここだけ なんで?
病院に着き待合室の入り口のところで検温をして救急処置室に入り看護師さんたちに車椅子からストレッチャーに移して もらった。頸と脚の装具を外してもらったらひと心地。そしてバイタルを計り終えたところでY副さんとT看護師が「3月末で 退職します、長い間お世話になりました」と。3月は別れの季節、何度経験しても寂しいものだ。特にY副さんには何年世話に なったことか、色々なことが思い出され涙が出そうになった。まずは皮膚科の診察、気管切開部を見て「もう大丈夫、 塗り薬は止めにしましょう」と。それからすぐに主治医が来て診察とカニューレ交換、診察の時に「右足の方が冷たいですね」 といつもと逆のことを言われちょっと気になった。それと4月22日からのレスパイト入院が決まったようだ。 ストレッチャーから車椅子に戻してもらい外に出てリフト車に乗り込む時に玄関前の池を見ると、こんな天気の中でも 亀が1匹甲羅干ししていた。そしてY副さんが手を振って最後まで見送ってくれた。
家に着き部屋に入って落ち着いたのが午後2時半前、それから10分ぐらいでH先生が来てリハビリ開始。まず4歩の歩行訓練で 車椅子からベッドに戻った、往復のリフト車の中で知らず知らずのうちに脚を使っているからか調子良かった。ベッドに 横になったら次は脚の可動域訓練、H先生の厳しい攻めでもいつもより少し楽に感じるのはやはりリフト車の中で脚を 使ってるおかげかな。

3月17日 出ない 訳が分からん
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、気を許していい木曜日。その上午前中の排便の担当は20年馴染みのMさん、 何の心配もないと思っていたのだけれど…出なかった。確かに昨夜ラキソベロンを12滴服用していた割には今朝の便意が 弱かった。だけどMさんなら何とか出来ると思っていた。でも…
そこですぐに病院方式で仕切り直しの提案あり、ここがMさんの機転の利くところ・頼りになるところだ。そして無事 たっぷり出た。流石Mさん。
午後の車椅子移乗は看護師のHさんとヘルパーさん、動きもスムーズでほとんどストレスもない。訪問看護MのYさんみたいに 呼吸器の回路の向きを変えるために回路を付け替えることもない。僕にはこれがストレスになっているということをYさんは 知らないのだけれど。

3月15日 ヒヨドリ
今日は午前中車椅子移乗、朝のケアが終わったら庭向きに座らせてもらった。11時前にH先生が着いて上半身のリハビリ、 引き続き庭を見ながら肩と肘・腕と手の可動域訓練をしてもらった。庭のモチノキにはヒヨドリが入れ替わり立ち替わり 来てちょっと枯れ気味の赤い実をつついて飛んでいった。ヒヨドリはさほど綺麗な鳥というわけではないけど動きが 面白くて見ていて楽しかった。
車椅子からベッドへ戻る時の4歩の歩行訓練では後ろ足で体を前に押す気持ちになり体重移動も上手く出来たし… 良い出来だったと思う。

3月14日 知らないの?
月曜日、今日の担当は訪問看護MのYさん。あんまり気の進まない曜日だけれど…病院と同じ方法:横を向いて摘便と浣腸をし 差し込み便器を使わずにテープ式の紙おむつに直接便を出す方法で、排便は何とか上手くいくようになった。それに Yさんの清拭も初めからもうひとつ合わなかった、ずっと気持ち良くなかったのだ。今日も「指を拭いて」と頼んだのだが 手も足も指を1本1本拭くこともなく指の股を拭くこともなく、僕には相変わらずあっちこっち拭いているように思えた。 たぶんこれはYさんの癖=やり方のようなもんだら変わることはないだろう。でも訪問看護Mは今月で代わる、それまでの 辛抱。それにしてもYさんの態度は一向に変わらない、もしかしたらこっちの気持ちが爆発して今月末で代わらせられることに気付いてないのかも、まだ知らされてないのかも。

3月13日 嫁さん お出かけ
今日は午後から隣町のI図書館で高校の同級生Tの話(講演?)を聞きに行きお出かけ、嫁さんが留守の間は重度障害者訪問 介護のヘルパー?手配してくれていた。今日の重度のヘルパーはKさん、顔や雰囲気・第一印象はどちらかというと僕の 好みの方だけど、のんびりとした性格みたいだからテンポがもう一つ合わないし察することももう一つ苦手のようだし…。 最初の吸引のやり方や文字盤の使い方が思ってた以上だったので進歩に期待していたが…イライラしてしまう。今日も いつの間にかイラついて腹が立って顔も赤くなったみたいだけど、声が出ないから怒鳴らずにすんだ。まあイライラしても してもしょうがない。みんな重度のヘルパーさんを特別視しているようだが重度と言ってもそんなもんだ、諦めよう。
嫁さんが戻ってきてから講演の録音を聞かせてもらったが動画もふんだんで分かりやすく面白い講演だったようだ。僕も 行きたかったけど…。

3月12日 副反応
昨日3回目のワクチン接種をした影響で昼から腰が痛くなり夕方から熱が出始めた、一日以上経っていたのに1回目2回目は なんともなかったのに。腰は真ん中辺が痛いんだけどこの痛みは以前の尿路結石の時の痛みに似ているような気がしたが、 この腰の痛みはいつまで続くのだろう。熱の方は下げるためにカロナールを服用したけどあまり気分はよくならなかったし 熱も下がっている気はしなかった。しんどい。

3月11日 3回目のワクチン接種
今日の午後2時からのかかりつけ医T先生の往診で3回目のワクチン接種をした、今のところ何ともない。午後3時過ぎからは H先生のリハビリも受けた、いつも通りに。まず端座位になって背中と背骨のマッサージ&刺激、やはり背中がフリーだと 気持ちいい。次の立位訓練と脚の可動域訓練の時も何の変化も痛みもなくいつも通りまあまあの銚子。このまま1回目と 2回目と同じように副反応が出なければいいのだが。

3月10日 散歩
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、午後の車椅子移乗の時にMさんが散歩に連れていってくえた。散歩に出て すぐに道向こうの公共施設の建物からY子さんが声をかけて手を振ってくれた。それからそのまま進んで大樹神社へ。風は ほとんどなくて陽射しはあってぽっかぽかでとってもいい気持ち、塀の上でも猫が2匹のんびりと昼寝をしているのが 見えた。その内の1匹は僕らに気付いて近寄ってきた、愛らしい猫だった。もう少し坂を上ると塀の上と田んぼの土手に猫が 3匹日向ぼっこ、こういうゆったりと時間がなかなかいい。田んぼの畦道には小さなスミレぽい花がいっぱい咲いていた。 もう少ししたら花の種類も数ももっと増えてくるのだろう、楽しみ。帰り道道の傍らで菜の花を見た。今が一番いい時期の ようで鮮やかな黄色だった。春はもう来ているようだ。
楽しかった。Mさん 今日はありがとうございました。

3月9日 嫁さんも言っちまった
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフの中にケアマネジャーのFさんが入っていた。気持ち良くお風呂を いただいた後で嫁さんがFさんに「(訪問看護)Mさんを替えて欲しい」と話した。こんなことを話すなんてことは聞いて なかったから僕はびっくり。この後Fさんは僕に「交代していいか」と了解を取った上で「次の訪問看護を捜す」ということに なった。
今日の入浴車のスタッフの中にも月曜日に来ているヘルパーさんは「5ヵ月も経つのに僕がYさんとはもう一つ合っていない」 ってことは知っていたと思うけど、先週の土曜日の出来事は今日来ている(社協の)ヘルパーさんは知らなかったから 嫁さんがあんなことを言ったから驚いたと思う。なんにせよ今日の嫁さんのひと言で僕の憂いも1つ取り除かれたことに なるのかもしれない。

3月6日 また消えた 消してしまった
メモ帳でこの雑記帳の下書きをしていたら、吸引している時にパソコンを操作している足の指が僕の想いと違う方向に 動いて…どうでもいい文字3文字に置き換わって上書き保存されてしまった。押したキーはたぶんこうだ、1?[読上げ] → A[(あいう)] → B[終了] → C[終了]。Cで[ESC]を押せれば何の問題もなかったのだけれど…。雑記帳の下書きの メモ帳をダメにしたのは今回で二度目、今回は1日ちょっとかけて作った3日分を失った。ショックでしばらく呆然と していたが…、メモ帳のプロパティにある復元を見てみたが後進データがなかった。何か複数のバックアップを取る方法は ないかな。

3月5日 1時間で帰る?
今日土曜日のケアは訪問看護Mが担当、今日のYさんは来た時から「ケアを1時間で終わらせる」ことにやけにこだわっていた。 確かにケアが洗顔と清拭だけの時は1時間半はかかり過ぎ 1時間で終わらせて欲しいと思ってる。でも今日のケアは洗顔・ 洗髪・清拭の1時間半コース、何故1時間にこだわっているか分からなかった。Yさんが1時間にこだわっているから清拭の 時間は当然短くなって荒くなる、僕の満足するレベルとはほど遠かった。
ケアは11時10分には終わっていた。するとYさんは「1時間を過ぎたから」と言ってヘルパーさんを残して帰った、嫁さんが 出かけていないのに。責任感の欠如? なんて言ったらいいのだろう。もし僕が吸引の必要があったら…。

3月4日 通院日
今日は通院日。空はあいにくの曇り空、帰りには雨まで降ってきた。病院までの往復の道中梅の様子を見るために リフト車の中から外を注視、僕が見たいと思っていた場所のひとつ 小さな梅林の横の道は遠回りになるということで 今日から通らなくなったらしい。それでも僕の通る道の周りには思っていた以上に梅の木が見つかった。梅の木は紅梅も 白梅も満開だった。それに白梅の中には花々が思いっ切りいっぱい付いてるのもあって桜じゃないのと思うくらい、梅って こんなにたくさん花が咲く木なのかなってしばらく気になった。
病院では今日はメニュー盛りだくさん、玄関でリフト車から降り救急処置室に入ってみんなに車椅子からストレッチャーに 移してもらってまずは看護師さんがバイタル測定。その時看護師さんが「今日は血液検査がある」と言っていたのだけれど、 採血する前に主治医が処置室に着いてしまったから診察とカニューレ交換を先に済ませることになった。採血が終わったら 次は皮膚科の診察、皮膚科の先生もほとんど待たないうちに来てくれて 前回切り取った気管切開部の上の肉芽痕を確認。 それから他の所を診て「九時方向(気切の右)に肉芽が残っているから これも今日取りましょう」と想定外の言葉、二回続けて 肉芽を切り取る施術だったが…痛かったのはやはり三ヵ所の局部麻酔のみ 電気メスで肉芽を切り取る時は大丈夫だった。 病院に着いたのは12時45分頃 処置室を出たのは午後1時半過ぎ、これだけ多くのメニューの割には1時間かかっていない。 今日は幾分遅くなると思っていたけど、予想以上に早かった。
家に戻って部屋の時計を見たら午後2時半少し前、10分車椅子に座ったまま待ちH先生が着いて今週3回目のリハビリ開始。 まずH先生にしっかり支えてもらって車椅子からベッドへ4歩歩いて戻った。右腰に少し痛みはあったけど体重移動は上手く 出来たし調子はまあ良かったと思う。それから脚の可動域訓練、H先生の股関節や膝・踵の関節への可動域訓練はとっても 厳しいのだが、成果が目に見えて分かるので頑張って耐えている。今日も膝の後ろや太ももの裏の筋肉がよく伸びて脚が よく挙がっているように見えた、まあいい調子かな。


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2月
2月26日 排便の病院方式
昨日の朝から下腹が張って違和感がある、どうやら便が貯まっているようだ なんせ5日分だもん。出来るだけ土曜日には 排便をしないつもりだったのに…今日はそうにも行かなそうだ。それに今週の月曜日にYさんから「次の排便の時には横を 向いてマッサージさせてください」って工夫しよう跡が見えた。それで今度は病院でしてるのと同じやり方で排便して みようとぼんやりとは決めていた。これは差し込み便器を使わずにテープ式おむつに直接排便するというものだ。病院では 毎回この方法でいろんな看護師さんに排便してもらっているから誰でも出る可能性はある。
土曜日 今日の担当は訪問看護MのYさん、いつものケアは洗顔と清拭(+排便)だけど今日は排便に時間を使うと予想して 予め「清拭はしない」と告げておいた。ヘルパーさんの洗顔が終わったらまずは横を向いてお腹のマッサージ、それから 横を向いたまま摘便してもらったら自分では分かんなかったけどいっぱい出たらしい。そして横を向いたまま浣腸、これも 出た。やっぱり横向いて浣腸と摘便、それから仰向けに名っておむつに排便ならどの看護師さんに介助してもらっても 出るみたい。9月までは初めコロコロ便でそれから軟便になっていたけど、今では初めから軟便だから差し込み便器で お腹が上がっていると便が下りてこないのかなあ。

2月25日 H先生の今週3回目のリハビリ
通院のない金曜日は10時過ぎから今週2回目の入浴車、入浴車のスタッフの中にいつも明るいAちゃんがいてまめに 話しかけてくれたから今日も楽しいお風呂をいただいた。午後2時からかかりつけ医T先生の往診、ところが今日は10分前に T先生の車の着いた音がしてちょっと驚いた。診察は今日も異常なし、いつも通りカニューレ交換をして終了した。次回 往診の時に3回目のワクチン接種、ファイザーになるとのことだった。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ、今日はまあまあ気合いが入っていた。最初の端座位の時も背中を伸ばして顔を上げて 南天な木の赤い実を見るつもりでいたし、立位訓練でも右腰の痛みの懸念はあったけれど3回とも膝にちゃんと力が入って まあ上手く立ち上がれたと思う。脚の可動域訓練では相変わらずH先生の脚の関節への攻めはとても厳しくてつい泣き言を 言いそうになるけど数を数えて耐えている。けれど今日は踵を伸ばすときに我慢出来なくて「止めて」と歯ぎしりしまった。 ほんと最近は特に厳しく感じるなあ、これって気のせい。

2月24日 Mさんでさえ出ない
朝9時45分からケア、Mさんがほぼ時間通りに部屋に入ってきたからびっくり。パソコンも木曜日ならまだしばらくは いいだろうと思い終わらせてなかったけど慌ててシャットダウンした。木曜日のケアはまずは洗顔から、看護師の洗顔は 入浴車を除けば木曜日だけだから顔に異常があった場合は気付いてもらえるものと期待している。
次のケアが排便。今までの20年間M看護師の排便支援で便が出なかったことは一度もなかったから、僕は今日も出るのが 当然と安心しきっていたけれど…出なかった。摘便しても指に便が付いてこない・便が降りてきてないって、たしかに今日は 便意が弱かった…けど全然なかったという訳じゃなかったのに。Mさんが言うには「先週の火曜日・木曜日と今週の月曜日、 続けて便がいっぱい出たから降りてきてないんじゃないか」って、でも丸三日出てないのにそんなことある?。Mさんでさえ 排便出来ないのか、困ったなあ。

2月23日 H先生の下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車。今日の担当看護師はwY、その内男性のY君は今度役場に出向と。何年お世話になったことか、 10年ではすまないだろう。寂しくなるが役場に出向したら福祉全般の知識も増える、Y君自身の将来に影響を及ぼす事だから 良いことなのだろう。勉強しておいで。今日も楽しくて温かいお風呂をいただきました。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ、今日は何となく気合いが入ってなくて、しかも立位訓練では1回目立つ際に 両足の幅がちょっとだけ広くて立たせてもらった時に脚に力が入りにくい感じで、H先生にほぼ全面的に持ち上げたように 立たせてもらった。このくらいの幅なら立てると思っていたのだが…難しかった。それでH先生に左足を少し近付けて もらったら…2回目・3回目は膝や太ももに力が入ってまあ上手く立てたと思う。足の幅が狭くても立つことは出来るけど (狭ければ狭いほど立った後にフラフラするが)広い方はちょっと広いだけでも立てないのか、解った。脚の可動域訓練は どんどん厳しくなっていってるみたい、その分脚も挙がるみたいだし>成果は出ているようだけど。

2月22日 プチ散歩
朝のケア、今日の担当は看護師のMさんとヘルパーのFさん。だけど…Mさんはヘルパーさんの洗顔が終わった頃 着いたけどね。それから二人で背中拭き・下洗いと車椅子移乗、今日は良い天気で庭を見たい気分だったから外向きに 座らせてもらった。そしたらMさんが「10分ぐらい外に出てみない?」って、甘えてしまった。庭に出たら日が当たって 暖かくて、そしたら今度は「そこら辺を回ってみない?」って、すぐに同意。ただうちから裏の道に出る通りが風の通り道に なっていて裏の道を挙がると風が強くて掛け物が飛ばされそうに、寒くて庭に戻った。空はいつの間にか曇ってきてて少し 肌寒さを感じるようになっていた。しばらくしてH先生が着いて庭での日向ぼっこもプチ散歩終り、玄関を入る時に部屋から 見ることの出来る庭の方を見たらまだ蝋梅の黄色い花は咲いていて奥の方に南天の木も見えた。部屋に戻っても外向きに 座らせてもらった。Mさん 久しぶりの(プチ)散歩、ありがとうね。
今日は外を見ながらH先生のリハビリ、庭の南天の木に小鳥が来ていて赤い実をつついていた。車椅子上では呼吸器の回路を いつもは左肩の方から繋いでいるのに今日は逆向き、呼吸器の回路を右の方から繋いでいて右肩が動かせなくて左肩・肘・ 手を動かしてもらった。H先生にベッド上で右を・車椅子上で左を動かしてもらうのは記憶にないほど本当に久しぶりだった から横から真上に手を挙げるのは両手ともかなり痛みがあったけどそれなりの新鮮みもあった。4歩の歩行訓練は寒かった 割には重心移動の債は膝にも腰にも力が入って踏み込めたしまあ順調だったかな。

2月21日 言っちまった
月曜日のケアは訪問看護MのYさん。午前中のケアは洗顔と清拭と排便、だけど清拭はもう一つ気持ち良くは感じなかったし 昨夜7時にラキソベロンを13滴服用してても しかも浣腸しても摘便しても便は便汁がほんのちょっとしか出なかった。 その上この場で何の工夫をすることもなく簡単に「もう一度浣腸しますか?」と聞いてきた。そのYさんの心のこもってないと 思えた姿勢についに腹が立「って文字盤で「下手、(Yさんの)摘便は腸に刺激を与えない」と言ってしまった。でも本当にそう なんだ、今まで20年おそらく100人以上の看護師さんに摘便してもらったけどYさんみたいに刺激を感じない看護師は初めて。 どうしてだろう、分からない。

2月19日 合わない?
今日のケアの担当は訪問看護MのYさんとヘルパーのMさん、訪問看護Mが担当する月曜と土曜は今では僕の憂鬱な時間と なってるが土曜日は午後の車椅子移乗がないからまだいい…毎日車椅子に座りたいと言っていた以前の僕とは大いに 矛盾しているけどね。今日も清拭の前にヘルパーさんを通じてYさんに対して「指を一本一本拭いて」と言ったのだけど… Yさんの拭き方はあっちこっちは指の股もしっかりとは拭かなくて僕の満足を得ることはなかった。やっぱり… 合わない。
洗顔と清拭しかしていないのだから当たり前のことなのだがケアは11時10分には終わっていた、僕はこれでも遅いと 思うけど。それで以前の土曜日みたいに洗髪してもらったらどうかと考えた。まずヘルパーのMさんに洗髪器の所在を 確認すると「事務所にある」と。Mさんが「洗髪したことありますか?」と尋ねていたけど…洗髪ぐらい出来るだろうと考え 嫁さんを通してケアマネジャーに変更を依頼することにした。

2月18日 通院日
今日は通院日。11時半前にヘルパーさんが3人来て1人が洗顔、あとの2人が脚のマッサージと装具着け。それが終わりそうな 頃にH先生が着いて頸に装具を着けて吸引してもらい、そして一度立ってから車椅子に座らせてもらった。それから嫁さんに 最後の吸引をしてもらい部屋を出た。まだ正午前、外出準備が早くなった。
外に出た時に空を見ると白っぽい青空、でも病院までの道中リフト車にはずっと太陽が当たっていて中は緩かった。それに 国道35号の街路樹のツツジの黄緑が2週間前は鮮やかな黄緑に見えたのだけど、今日はくすんで黒っぽい黄緑に見えた。 これって天気の違い? それとも気のせい?。梅の花は小さな梅林の白梅は咲き始めていたが、紅梅はここも別の一ヵ所も まだだった。ただ予期せぬ遠くの家の庭に紅梅が咲いてたような気もするのだけど…南天だったかも。去年まで全然 気付かなかったけどこの時期目立つのは南天だ。水仙の花もまだ残ってはいたのだがだいぶしおれてきていた、今年はもう 終わりだろう。
病院に着いて玄関でリフト車を降りて入り口のところで検温をし救急処置室に入ろうとしたら処置室は1も2も他も?使用中、 患者さんがさほど多いとは見えないのに待合室で30分待たされることに。昔神経内科の待合室で待つことはよくあったけど 気管切開して処置室で診察を受けるようになってからは待合室で待たされるなんていうことは初めてなんじゃないかな。 それに救急処置室に入ってストレッチャーに移りバイタルを計り終えた後主治医に連絡してもらうと診察中って、どうやら 今日は待たされる日のようだ。主治医が来るまでの間は旧知の看護師さんと世間話、楽しかった。しばらくして主治医が 入ってきて診察とカニューレ交換、それから嫁さんが主治医と「気管切開部の肉芽が大きくなってカニューレ交換の時に最近 出血が多い」と話していた。主治医も自覚していたようですぐに皮膚科に連絡して皮膚科の先生の診察、すると「この肉芽 今日取ってしまいましょう」と。それから慌ただしく準備が始まり…痛かったのはのどの気管切開部の上に局部麻酔を 注射した時だけ、電気メスで肉芽切り取っている時は痛くなかった。それから看護師さんたちにストレッチャーから 車椅子に移乗してもらい外へ。リフト車に乗り込む際に玄関前の池を見たらカメがいたようないなかったような…。今回は イベントの多い通院だった。
家に着いたのは午後3時前、H先生を30分ぐらい待たせてしまったようだ。4歩の歩行訓練でベッドに戻った、リフト車の中で 知らず知らずのうちに踏ん張っていたのかな…H先生に最初に立ち上がらせてもらった時にいつもより膝に早めに力が入って 立ち上がりやすかった。そして身体の重心移動も重心のある足への踏ん張りも上手くいったと思う、右腰にいつもの痛みは 来たけれど。脚の可動域訓練でのH先生の攻めは相変わらず厳しくて我慢するので精一杯、だけど脚挙げ=膝の後ろ伸ばしは 脚がいつもより挙がっていたと感じたのだけれど。

2月17日 担当はH看護師
今日の朝のケアは9時45分から、担当は訪問看護ステーションO。時間になったら珍しく人が入ってきた。それがH看護師、 排便介助に来るのは久しぶりじゃないかな 一人で来るのは初めて?。ちょっと心配したけど便は無事出た。Hさんなら 出るのにYさんの時は出ないのは何故?。精神的な問題と言いたいところなんだけど若いHさんの方が技術も知識もある。 だってHさんの摘便の方が刺激して便やガスを出すもの、コツが解ってるということだろう。
午後の車椅子移乗もHさん、身長があるし安心して任せられる 上手いし。僕との相性もいいしヘルパーさんとの仲も 良い。Yさんがするような時間の無駄になると思える2回の呼吸器の回路の方向を付け替えることもない。Yさんは清拭の際 体交させる時でさえも呼吸器を外さないのに立たせる準備の時は呼吸器を自分に近い方に回路を付け替える、そんなことを しなくても立たせることが出来るしベッドに寝せることも出来るのにといつも思う。それにスライドボードで移乗する時に 呼吸器の回路が邪魔になるだろうに。Hさんのやり方をYさんに見せたいくらいだ。

2月16日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のAちゃんとYさん&ヘルパーのMさんとFさん。そして浴槽に 入っている僕を囲んでの井戸端会議の話題は「バレンタインデー」のことと「オリンピック」。バレンタインデーに入浴車の スタッフである奥様方はみんなご主人にチョコレートをあげるんだね,幾つになっても何年経っても。確かに期待してる 訳じゃないけれどもらえると嬉しいものだから、まあお返しを考えるのが大変そうだけど。最近は小学生もすごいらしい、 小学生を持つAちゃんが話してた 「家に息子の同級生の女の子が何人も来て一人ずつ交代で渡していくんですよ、本命の 女の子子だけ手紙が入ってましたけどね」って。僕らが小学生の頃には考えられないことだ、まあ中学生の頃に誰かが チョコレートをもらったかもしれないけど噂は聞かなかった。それにしてもほんと僕はバレンタインデーにはほぼ縁が なかったなぁ。
オリンピックのテレビが毎日一日中かかってる。だからほとんどのオリンピックでの日本人の活躍はLiveで聞いていた はずだった。今日話題に上がったオリンピックの競技は女子チームパシュートの決勝戦、Liveで見るつもりだったけど… 見損なった。無念!。結果はVTRで見た、菜那がゴール直前でこけて銀メダルに終わったことを。残念だった、 可哀想だった、3人とも「次がある、頑張れ」としか言いようがないけど。

2月15日 Mさん お世話になりました
9時半から朝のケア、看護師のMさんはヘルパーさんの洗顔が終わった頃に合流し二人で背中拭きと下洗い・車椅子移乗。 ケアの途中でけんかして顔を引っかかれ怪我をし顔が膨れて元気をなくしていたチビを嫁さんが病院に連れていったけど、 Mさんはヘルパーさんを帝国で返し嫁さんが戻ってくるまでの間残ってくれていた。嫁さんが留守の間「昨日便が出なかった」 ことを話したら夕方来て排便をしてくれると言ってくれた、お世話になります。なおチビは膿を出したそうだ。
11時半前にH先生到着、今日は上半身の可動域訓練と4歩の歩行訓練。肩の可動域訓練は手を前から真上に挙げるのはかなり 我慢出来るけど、反対の肩方向に腕を動かすのと横から手を挙げるのは我慢がしんどい。肘の可動域訓練は成果が出てる、 上着が着替えやすくなった。4歩の歩行訓練は今日は重心のある足に踏み込む感じで体重をかけることか出来た。右腰に 心配はあったけど良い出来だったと思う。
夕方5時頃Mさんが来て排便を手伝ってくれた。昨日の夕方から下腹か張って気持ち悪かったから「排便しよう」と言われ 嬉しかった。でも流石Mさん、色々手を尽くしてくれて いっぱい出た。昨日はどうして全然出なかったのだろう、やっぱり 心理的要因?

2月14日 バレンタインデー
バレンタインデー、昔から僕にはほぼ縁のない日だ。営業になり内勤になって義理チョコは何回かもらったけれど意味の あったバレンタインデーは二回だけかな、娘が小学何年生の時か忘れたけど娘からチョコをもらったのと高校1年の時に 手作りのクッキーをもらった。クッキーは郵送されてきたけど名前は書いてなかった。もしあの時消印を読むという知恵が あったらもっと誰からか推察出来たはずなのに。そうはいってもあの頃僕のことを「一番好き」と言ってくれる女子の 心当たりは一人しかいなかったのに、名前が書いてなかったのをいいことに?お礼も言わなかったしお返しもしなかった。 こんな気遣いのなさや思いやりのなさが間もなくの別れを招いたのだろうが…。
今日の排便は全然駄目だった。昨夜7時頃ラキソベロンを13滴服用していたし今日のケアでも何回か摘便してもらって いたし浣腸も2回もしてもらったのに全然出なかった。こんなに出なかったのは浣腸や摘便してもらうようになって20年に なるけど初めて、やっぱり心がYさんのケアを拒否している便が下りていくのを身体が拒絶しているみたい。排便に関係する ことで病院との違いがあるとすれば病院では便器を使わないで紙おむつに出すのと経管栄養を温めないし白湯が冷めてる ことぐらい。来週の土日は経管栄養を常温で流してもらおうかな。

2月13日 うちって重度障害者訪問介護の言いなり?
次に夜間に入る予定の重度のヘルパーさんは9時出勤、今日入ったFさんの出勤時間も家庭の都合で7時から9時に変更。元々 契約した時の入り時間は夕方5時だから「(社員の)私かKさんが5時から9時まで出来るだけ来るようにします」とAさんは木曜日 言っていた。が その舌も乾かぬうちに今日の帰り際(9時過ぎ)Aさんの口から出た言葉は「今度は火曜日の7時半に来ます」と。 7時半? 何それ、本当に出来るだけなんだ。
でもうちも悪いんだ、Fさんが家庭の事情で来る時間の7時への変更を言い出した時それを認めたこと・Yさんの看護学校の 都合で7時への変更を許したこと・その他諸々。これらがうちは事情を話せば時間変更も許してくれるという重度障害者 訪問介護会社の甘えを増長したのだろう。

2月11日 建国記念日
今日は建国記念日、祝日だけど介護サービスはいつもと同じで朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車 そして午後3時過ぎから H先生のリハビリ。ありがとうございます。
今日のH先生のリハビリは端座位から。窓の外の庭の様子を見たかったけど今日の頭の位置の状態では南天の木の下の方の 赤い実を見るのがやっとだった。肩を下に押さえつけられた時にもう少し背伸びをしようと試みたのだが…今日はちょっと 気持ちがぼーっとしたような感じで乗りがもうひとつ 難しかったかな。次は立位訓練。1回目立たせてもらった時に右腰に 少し危うい感じがしたので気合いを入れ直し2回目3回目立たせてもらったら、いつもの金曜日ほどじゃなかったけれど まあまあの調子に戻って立位訓練も良くなった。やっぱり気合いって大事。最後は脚の可動域訓練、今日もH先生の厳しい 関節の攻めに耐えた(笑)。

2月10日 往診
木曜日のケアの担当は訪問看護ステーションO、朝のケアも午後の車椅子移乗もMさんが来てくれた。最近はMさんが来る ことが多くなった、まあMさんなら僕の排便も車椅子移乗も慣れているし排便も上手く十分に出してくれるし安心なんだけど… 時にはH看護師にも会いたいなって。これって贅沢?
明日は祝日ということでかかりつけ医のT先生には今日の午後往診に来てもらって診察とカニューレ交換。ついでに3回目の ワクチン接種のことを嫁さんに確認してもらったら接種券が届いたらその次の往診日に打ってくれるとのこと。ワクチンが ファイザーになるかモデルナになるからはT先生の医院にも隔週で届くそうだから分からないらしい、僕としてはどっちでも いいかな。

2月8日 H先生の上半身のリハビリ
今日のケアは9時半から。いつものことながら始まりの時間が早くて嫁さんもバタバタしてるし、僕もいつもやり残しが あるのに中途半端な状態でパソコンを止めなければならないので何となくフラストレーションが貯まった状態でケアに 入ってる。今日のケアの担当は訪問看護ステーションOのMさん、ヘルパーさんが洗顔した直後に来て二人で下洗いと車椅子 移乗。少々遅れてきても時間内に終わらせるとは流石Mさん。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ、肩や腕や手の可動域訓練はいつもながらの厳しい攻め?でいつも通りの痛みは あったけど無事耐えられた。4歩の歩行訓練では今日は後ろの足で体を前に押すことは出来なかったけれど、歩行の際に 前の方へ動かしてもらった足への体重移動で真下にきた足に体重を置けたように重心があるように感じた。それだけ身体を 前に移動出来たということだから歩行自体は良かった方だと思う。

2月7日 どうなの?
今日のケアの担当は訪問看護MのYさん、僕にとって一週間で一番ちょっと憂鬱な日かな。この五ヵ月排便がまともにいった ことがない。それで今日は訪問看護ステーションOのMさんが排便してくれる時に取るような体勢をYさんに指示した。 Yさんもガスや便を出すためにお腹を押したり摘便したり…Mさんなりに努力はしているように覗えはする、それでも僕の 満足を得るには至らなかった。どうやら僕のYさんに対する精神的な負荷・不信感がこの五ヵ月で植え付けられてしまった ようだ。
でも今日の排便は上手くいった方でYさん曰く「いっぱい出た」と自己満足。だけど僕にはそんなに出た感もなかったし スッキリ感もなかった。この違いは何だろう。

2月6日 gacco講座「化粧で学ぶ心理学」受講中
久しぶりにgacco講座を受講、他にも気になる講座が「音波入門−音波の不思議を探る−」「因果推論」「数理・データ科学の ために結局勉強することになる微積分の基礎」「SDGs表現論」などいっぱいあったけど…どれも2月中が受講締め切りで 終りになるから修了出来ないと思って先週始まった講座「化粧で学ぶ心理学」をやることにした。
でもこの「化粧で学ぶ心理学」という講座は心理学に関係する人物も用語も出てくるからかなり難しそうだ。日程的に一週間 遅れていたから確認クイズは2週分(Week1-Week2)一緒にしたけど理解するのが難しかった、特にWeek2は心理学の成り立ち 過程みたいな内容も出てきて理解困難に近かった。これは毎週Wordによるまとめをしておかないと最終課題は 歯が立たないって感じだ。

2月5日 期待しない
朝10時からケア、今日は洗顔と清拭・下洗いだけ。ケアとしては一番楽な曜日かも、それなのに時間ギリギリ1時間30分も かかるのは何故。もしこれで当初のスケジュール通り排便を入れたらどうなるのか、考えただけでもそら恐ろしい。今日の 担当は訪問看護MのY看護師とヘルパーのTさん、二人ともフェイスフィールドをしていたが…Yさんのフェイスフィールドは 下の方がかなり開いていたけど。そして清拭の時に時々顔や腕に感じた冷たい点はYさんの汗?、気持ち悪い。
木曜日にMさんから僕が不満を募らせていたYさんの清拭に対して言いたいことはないかと聞かれ色々告げ口したけど… 少しは改善したかなって感じだけで本質は変わっていなかった。元々Yさんにはケアを受けている人の気持ちを察する 能力はないのだから。自分がこんな風に病院に毛の生えた程度の清拭指の間もきっちりと拭かない清拭で満足するかって ことを想像出来ないのだろう。こんな清拭で何故これ程時間がかかるのか、不思議だ。

2月4日 立春 通院日
今日は通院日、午前11時半前にヘルパーさんが3人来て洗顔や脚と頸に装具着け。その内H先生が着いて車椅子に座らせて くれると思いきや…なかなかH先生の姿が見えずにリフト車が着いて、ヘルパーさんたちがスライドボードを使って車椅子に 移してくれて外へ。意外とスムーズだった。
玄関からリフト車までのちょっとの間陽に当たったのだが陽射しはとっても温かった…時折当たる風はまだ冷たかったけど。 立春ということでリフト車の窓から春を捜したのだけど 残念なことに春の兆しは見つからなかった。リフト車の中から 見える二ヵ所の梅(林)もまだ花は開いていなかった。まあ梅の枝の先の方が赤く色付いているように見えたから蕾は大きく なってきているのかもしれない。それに国道沿いの街路樹のツツジの葉っぱや路傍の草が二週間前より黄緑感がより強く なってるように見えた、が これは春をどうしても捜そうとしてた僕の思い込みかもね(笑)。
病院に着いたら救急処置室に入り看護師さんたちに車椅子からストレッチャーに移してもらってまずバイタル測定と血液と 尿の検査、異常はなかったようだ。今日は20分ぐらい待ったかなあ 主治医が入ってきて診察とカニューレ交換、でも 二週間前とは様子が全然違った。二週間前のカニューレ交換の時はマスクはもちろんフェイスフィールドもガウンも着けて 手を挿入するための穴を開けたアクリルの箱まで用意してあって 飛沫感染対策これでもかって感じだったけど、今日は元に 戻ってゴーグルとマスクとソフトグローブだけ。この病院の感染対策もぐるぐる変わって一環も徹底もしていないように 思える、まあ今日は主治医の「この患者は飛沫は飛ばないから大丈夫」との判断かもしれないけど。診察が終わって車椅子に 戻りリフト車に乗り込む際に玄関前の池を見たら今日もメが1匹甲羅干ししていた、が 側を通ったお年寄りが杖で水を かけた後は見えなくなってしまった。せっかく甲羅干ししてたのに、可哀想。家に着いてからお隣の塀際を見ると… 山茶花も水仙ももう終りのようだ。
家に帰ったらすぐにH先生が来てリハビリ開始。まずは4歩の歩行訓練でベッドに戻った。歩行の出来は後ろ足で体を押す 気持ちはあったし重心移動でも脚を踏ん張れたしまあまあか。そして脚の可動域訓練、H先生の攻めは相変わらず厳しくて 悲鳴を上げそうな時(特に踵)もあるけど結果が見えてるから耐えられた。通院の後だったけど疲れは出なかった。

2月3日 木曜日のケア
朝9時45分からは朝のケア、今日は訪問看護ステーションOのH看護師が担当。木曜日の朝のケアにH看護師さんが一人で 来るのは初めてだったんじゃあないかな。初めは排便を心配してたけど 何とか無事出た、話をして色々工夫してもらった。 Yさんとの違いは信頼感と好き嫌いの感情かなぁ。
午後2時からは訪問歯科、三ヵ月に一度の先生に診てもらう日。この歯医者の先生が優しい顔をしていて話し方も優しくて、 本当に優しいんだろうなってことが見た目で分かる歯医者さんだ。僕の歯は下の左右の奥歯のブリッジがもうガタガタで だましだまし保たせてもらっているという感じ。なにせブリッジをどうにかする時は大学病院でって言われているくらい だから。毎週来てくれる歯科衛生士さん、ありがとうございます。
午後の車椅子移乗はMさんが来てくれた。Mさんは慣れたもののはずなのだけど…時々手順を間違えたり抜けたりもする。 それにちっとも腹が立たないところがMさんのご愛嬌、熱心にケアしてくれていることが伝わってくるしもう20年以上の 付き合ったことで培った安心感・信頼感が誰かさんとは違うもの。

2月2日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフの中には看護師のY君がいた、メインのY君は本当に久しぶり。Y君の 今日の第一声は「外は寒いですよ」、確かにY君の手は僕の足より冷たかった。お風呂に入る前にいつもの様にまず背伸びを 10回して(手を上に挙げて)もら衣そして30秒?横を向いた後吸引、それから入浴車のスタッフ4人にお風呂のネットに移して もらって浴槽に入る。この時期のお湯は最初は熱く感じるけどすぐぬるくなるから足し湯をしてもらう。それでも足らない 感じがするからシャワーで胸にお湯を掛けてもらっている。僕のお風呂の時はたぶんスタッフは大忙しだろう。 ご苦労様です。
今日はH先生の幼い方のお子さんが病気だとかで訪問リハビリはお休み、昨日H先生がもしかしたらと予告していたから 驚きもがっかりもしなかったけど…昼からが暇になった。だから昼からずっとパソコンの時間になった。おかげで?この 雑記帳が進んだ かな。

2月1日 寒い一日
今朝は冷えた、朝方目が覚めて肩や肺が寒くて眠れなった。こんなに寒いと感じるのは今シーズン二度目、一度目は掛け物が 3枚で朝方目が覚めて慌てて夜間の重度のヘルパーさんを呼んでもう1枚掛け物を追加して掛けてもらったけど…今日の 掛け物は4枚&胸の所にホットパックを置いているからこれ以上掛け物を追加したら胸が重たくなって呼吸がしづらく なりそうで…。だから僕は寒さに耐える方を選んだって訳、手の指の先まで冷えたって感じがしたけど。僕にとっては今朝が 今シーズンで一番寒い朝だった。
今日のケアは朝9時半から、早くてパソコンも中途半端に終わっていつもバタバタ。今日の担当は訪問看護ステーションOの H看護師とヘルパーのFさん。Fさんの第一声は「朝は寒かったでしょう、ブルッとしました」 Hさんの第一声は「お久しぶり です」、確かにHさんの火曜日のケアは今年初めてだった。Fさんが洗顔している間に少し遅れてきたHさんはバイタル測定と 胸とお腹の聴診・脚胃ろうのガーゼ交換、それから二人で背中拭きと下洗い・スライドボードを使った車椅子移乗をして もらった。ケアの間も楽しくおしゃべり、話題はFさんの離れて暮らす娘さんと娘さんの飼ってる犬の事、ビデオ通話の 話も出て母娘の様子が垣間見れて楽しかった。それどころかFさんとHさんも仲の良い親子みたいに見えて…。反省点と しては車椅子に移った後膝の位置が気になって一度は「体を上げて」といおうと思ったのだけれど、大丈夫と高をくくって 車椅子を動かした時にお尻がずれてお尻が浅くなってしまった。
午前11時過ぎからはH先生上半身のリハビリ、肩や肘・腕や手の可動域訓練は早めに痛みがきた。寒かったせいだろうか。 4歩の歩行訓練は眠くて気合いがもうひとつだったけど…可動域訓練中に気合いを入れ直した?から歩行はまあまあだったと 思ったけどね。
モモはいつも通り朝の経管栄養の前にベッドに上がってきて僕の脚の間で眠ってしまった。けれど訪問が来るとモモは いくら眠っていてもいつもどかされる。今日も無言の圧力を感じてベッドから下りていった。そして外が寒かったのか 昼の経管栄養に戻ってきてまた脚の間で眠っていた。途中パトロールに出かけていったけど夜の経管栄養の前に戻ってきて また眠って僕が眠りにつくまでずっと一緒にいてくれた。結局モモは今日半日ぐらい一緒にいたのかな。冬なって一番 一緒にいてくれるのはモモ。次はチビ、僕のことは丸っきり無視で部屋の中のどこかにいるだけだけど。次に夜の重度の ヘルパーさん、次が嫁さんかなあ。


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1月
1月31日 不発
今日の担当は訪問看護MのYさん、ただしYさんの時は三か月便がまともに出たことがなかったから訪問看護ステーションOの Mさんが監督?(見守り役?)として今日は付いてくれている。それで今日便が出なければ曜日を代えることを考えてくれるかも と甘い考えでいたのだけれど…今日は浣腸で便がいっぱい出て…当てが外れてしまった。何故今日に限って浣腸で便が 出たのか。考えられることは二つかな、@Mさんがいることで僕の精神状態が安定しYさんの精神的な負荷が消えた AMさんが お腹を何度も何度も叩いてガスを移動させてくれたことで便が下りてきて便意が若干強くなった。
便が出た後の摘便でもYさんの摘便では刺激を感じなくて便汁もガスも出なかったけど…Mさんがもう一度摘便してくれたら 刺激があって便汁とガスが両方出た。後で比べてみてMさんの方が指が短いと言っていたけど…何が違うのだろう。

1月29日 清拭も 物足りない
今日の担当は訪問看護M 僕にとって我慢の時間、早く終わることを時間が通り過ぎることを祈るのみ。ヘルパーさんが 洗顔してくれる間Yさんのすることはバイタル測定・胸とお腹の聴診・脚の可動運動だけなのにナゼ終わらない、バイタル 測定にナゼすぐ取りかからない・聴診をナゼそんなにいっぱいする・病院の清拭に毛が生えた程度の清拭なのにナゼ時間 ばかりかかる、Yさんのケアはナゼの洪水だ。
清拭のやり方も物足りない。タオルをナゼこちょこちょ小さく動かす、もっと広い範囲を拭けばいいのに。自分の体を洗う 時もそうしているのか。指の間をナゼ拭かない、清拭される人の気持ちが分かっていない。こんな清拭を続けていれば 拭いた時に垢が出るようになってしまうだろう。体交させる時にナゼ呼吸器を外さない、引っ張らないように一応気は 使っているようだけどそれが呼吸器を扱う基本だろう。ああ 月曜日か土曜日どちらかでいいから訪問看護ステーションOに 代えてくれないかな。

1月28日 H先生のリハビリ
10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今回の入浴車のスタッフはAGIF。Aちゃんがスタッフとしていると会話も多くお風呂の 場が明るく楽しい。今日の井戸端会議の話題は新型コロナ、社協のみんなもオミクロン株の動向は当然のことながら気に しているようだ。3回目のワクチンのことも話題に挙がった。Y子さんが3回目のワクチン接種をしたという。予約に欠員が 出来て電話がかかってきて急遽ワクチン接種に行ったそうだ。副反応として38℃の発熱、「心の準備が出来ていなかった」と 話していたらしい。どうりで今週は入浴車のスタッフとして来なかったはずだ。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ、今日はケアマネジャーのFさんとYさん それにケアマネジャーの実習生という見学者が いた。金曜日のリハビリは元々調子が良いのだけど見学者がいるともっと調子が良くなるから不思議だ、気合いが入るの かな。今日のリハビリのメニューは立位訓練と15分の端座位、それに嫁さんの「歩くのを見てみますか?」との提案を受けて 4歩の歩行訓練(×2回) 最後に脚の可動域訓練。立位訓練は1回目から膝に上手く力が入って立ちやすくはあったが腰が ふらついてH先生に強く支えてもらうことになった。背中がくっついていない端座位はやっぱり気持ち良い。今日も庭の 南天の赤い実を見ようと思って背伸びをしようとしてみたけど…難しかったなあ。4歩の歩行訓練でも後ろ足で体を前に押す 気持ちになれたから自分としても上手く歩けたと思うのだが…。見学した人たちはあれで満足したのかな。

1月27日 Mさんのケア
今日は木曜日、訪問看護ステーションOの担当の日。今日はMさんが朝のケア(排便)にも昼の車椅子移乗にも来てくれた、 どちらも急患が出たとかで電話が入って遅れてきたけど。昨夜7時頃にラキソベロンを12滴服用しておいたから下りて きていた便は浣腸で無事出た。残便も奥の方のガスも摘便で出してもらった。木曜日の便は浣腸で出るのに月曜日の便は 同じ浣腸驛でも出ないのは何故?。浣腸にも個々の技術の違いが出るのか、それとも僕の身体が月曜日の排便を 拒否しているなどという精神的な問題か。ケアが終わった後についでに「Yさんの清拭の満足度はFさんやIさんの1/3だ」とも 言わせてもらった。僕がこんなことを言えるのはMさんしかいないもの。本当は僕自身Yさんとは身体的にも精神的にも 合わないと思っているもの。

1月26日 重度の新しいヘルパーさん
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフはFIMF、特にF看護師・ケアマネジャーが入浴車のスタッフ(メイン) として加わるのは久しぶりかな 自分でも言ってたけど。僕の病理的外観を見に来たのだろう、必要なことだと思う。 お風呂は今日も温かく気持ち良くいただいた。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域訓練、僕には忍耐の時間だけど関節の可動域を広げる・ 維持するためにはあのくらい厳しくしなければならないことは解っているから耐えているけど…股関節(太ももの裏?)・膝・ (特に)踵は限界ギリギリかな。声を上げそう(笑)。立位訓練も1回目から膝や腰にまあ力は入ったしこの寒さの割には まあまあかな、単にベッドの高さがいつもよりちょっと高かっただけかもしれないけど。
重度障害者訪問介護 夜間の介護、前回お試し介護人K君を僕の介護人として不合格にしたから僕の介護グループにもう一人 新しいメンバーが加わることになった。K君の合否に関して僕は2回目ということを差し引いても今までの(緩い)基準なら 十分に合格のレベルと思った、だけど不合格。これは僕がK君の介護経験の少なさに懐疑的だったこと・嫁さんはK君の 性格を問題視していることに対する配慮か、指導看護師の提言に口答えしたことに対する制裁かもしれない。Aさんの話しに よると後者の方が強いと思うのだが。ともかくそういうことで今日から新しいお試しヘルパーさんの同行が始まった。 名前はKさん?って言ったかな、黙っていたからよく分からなかったけど気の強そうな目をしていた。どんな性格かも話して ないから分かんないけど…彼女と上手くやれるといいな。

1月25日 消えてしまった
三日かかって先週の6日分を書き上げてはいたのだけれど…痰が気管に引っかかったようになって右足の親指と人差し指の 間に挟んでいたPPSスイッチが意思に反して勝手に暴れ出し…下書きしていたメモ帳が消えてしまった? 消してしまった。 それでもう落ち込んで…何もする気にならなかった。消えてしまった6日分はこのショック?ですっかり忘れてしまってもう 一度書き直す気力は当然のごとくなかったなあ。
メモ帳が消えてしまった経緯は次の通り。[読上]-[IME]-(文字)-[終り]-[終り]-[読上]、最初の[読上]の後にすべてを 選択の形になって(文字)を入力した時に下書きが消えてしまったのは不運だった。もしタイミングが少しでも前後にずれて いれば下書きは消えなかったのに。また最後の[読上]さえなければ貼りつけ出来たのに。それに1回目の[終り]の直接 [ 保存しますか? S N ]が出た時に夜間の重度のヘルパーさんを呼んで「Nを押して」と伝えようとしたのだが…パソコンに 弱いヘルパーさんで「えぬ」の意味が分からなかった。初めから「右のスイッチを外して」と言えばよかった。ほんと不運が 重なった。


1月24日 技術も?工夫もない
3ヵ月以上月曜日の排便がまともに出ていないから僕は今までいろいろ試してきた。服用時間も午後11時→9時→7時と早く してきたし、ラキソベロンの服用滴数も8滴→10滴→11滴→12滴→13滴と増やしてきた。それでも改善しないから今日は 病院の時と同じように横を向いて摘便してもらった。これでも駄目なら病院と全く同じようにもうテープ式おむつに便を 出すしかないと思っていたのだけれど…今日は少しは出たのでしばらく様子を見ることにしよう。ただ最初の摘便の時に 今日担当の訪問看護MのY看護師さんから「柔らかいから取り出せない」と言われたのにはがっかりした、どっちにしろ 出せないのかと。それにしてもYさんの摘便はやっぱり刺激しないなあ。
一方のYさんはこの状態が3ヵ月続くのに気にならないのか一向に工夫をしているように感じられない、つまり進歩が 見られないのだ。普通は何とかしよう・もっとうまく出す方法はないかと考えると思うのだが…。Yさんはその感覚が 欠けているのだろう。

1月22日 インターネットが繋がらない
昨日朝は繋がっていたインターネットがいつの間にか繋がらなくなっていた。一昨日の夜帰ってきていた下の息子が自分が 出かけるまで色々調整してくれたのだけど直らなかった。それから丸一日は20数年ぶりにインターネットのない生活、 こんなに暇でつまらないとは思わなかった。それと昨日通院から戻ってきて嫁さんにインターネット配線の確認とかを色々 頼もうとしたのだが その時の嫁さんのなんとも言えない顔、自分で動けたならこんな嫌な想いはせずにすんだのにと 思うと自分が情けなくやるせなくなってきた。
今日の午前中嫁さんは電気屋さんに来てもらって以前(去年?)買っておいたルーターに交換したようだ。その電気屋さんが テレビのインターネット設定が終わったらさっさと帰ろうとしたから「パスワード(セキュリティキー)を教えて」と伝えて もらったら、セキュリティキーを紙に書いてついでに僕のパソコンの通信設定もしてくれた。ありがたかったが でも… セキュリティキーを家族に伝えておくのは当たり前のことだろう(後で聞いたのだがセキュリティキーは化粧箱に書いて あるとのこと)、テレビのインターネット通信のためだけにフレッツ光を申し込んだと思ったのか。そんなことはほとんど 考えられないだろう。「他に接続するものはありませんか」と聞いたりするような商売気のなさや配慮のなさが二世たる所以だろう。まあルーターを交換した後は通信状態は幾分良くなったけど未だにインターネットは時々切れる。何故?

1月21日 通院日
今日は通院日、午前11時半前ヘルパーさん2人が来て洗顔や脚と頸への装具着け。そして少し後に着いたH先生が装具漬けの 応援と一度立ってからの車椅子移乗、嫁さんの吸引も含めお出かけ準備時間がかなり短くなった。正午前にリフト車に 乗り込みお隣の塀際を見ると塀の向こうには山茶花の赤い花、手前には白や淡いピンクの花々と小さな黄色い花が見えた。 手前の花は何だろう、二週間退院の時は水仙だと思ったけど。
家を出てリフト車のまどからそらをみると小さな雲がいっぱい重なってリフト車には陽射しが届かなかった。だけど隣町に 入った頃からリフト車の中にも陽射しが差込んでくるようになって、青空が次第にいっぱいになってきてリフト車の中も 温かくなった。病院までの道中一番驚いたのは二つ隣の地区にあるのガソリンスタンドの上後方にあった同級生の家が なくなっていたこと、まだ防御柵があったので取り壊しじゃなくて建て直しかもしれないが。道中で紅梅・白梅の見える 所が二ヵ所あるのだが、どちらもまだ蕾が大きくなっていないようだった。この時期の花としてもう一つの梅? 蝋梅が あると思うのだけど…黄色い梅?はどこにも見えなかった。道中時々緑と赤に鮮やか染まった木が見えたのだけどあれは おそらく山茶花か南天の木だろう。それ以外の色は路傍にはほぼ見えなかった。この時期は色が最も少ない頃かな。
病院に着いて玄関でリフト車を降り入り口で検温してもらって救急処置室に入った。ところが部屋には看護師さんが誰も いなかった。この病院には20年以上通っているけど看護師さんがいないなんてことは初めて、いつもより少し早く着いた からかもしれないけど。しばらくして初めての看護師さんが来てバイタル測定、すぐに看護師さんたちが集まって 車椅子からストレッチャーに移してもらいひと心地着いた。それからもうしばらくして救急処置室に主治医が入ってきて 診察とカニューレ交換。それから「腰のCTを取りますか?」と聞かれすぐに「OK」の合図を返した、M看護師の顔が浮かんだ。 CTの結果は主治医の画像診断によると「尿路結石は見られない」と、詳しい結果は放射線科の方から出るらしい。そして 車椅子に移してもらい外に出た。空には雲が少なくなり青空に、リフト車に乗り込む時に玄関前の池を見たら亀は いなかった。
午後2時半少し前に家に着き車椅子に座ったままでH先生を待った。すぐにH先生が来て4歩の歩行訓練でベッドに戻った。 車椅子に座っている時は少し膝に痛みがあり上手く力が入るか心配してたけどその分気合いが入り結果オーライ、前に進む 気持ちがあって歩行はまあまあかな。脚の可動域訓練は我慢大会、踵&足の甲はいつもながら厳しいけど…耐えた。

1月20日 大寒
今日が大寒らしい、昼前のニュースで聞いたのだけど。どうりで?今朝は「フロントガラスが真っ白になっていた」と聞いた 昨日より寒いと感じたはずだ、朝方目が覚めて重度のヘルパーさんを呼んで毛布をもう1枚追加してもらったくらいだもの。 昼もそれほど気温も上がらなかったみたいだし大寒らしい天気って言うのかな。
今日は排便の日、だけど心配はしていない。だって今日の担当は訪問看護ステーションOだもの。そして期待通りの排便 介助だった、下りてきていた便も1回の浣腸でちゃんと出てその後の摘便で残便の残りかすまでMさんは取り出してくれる。 それにMさんの摘便は大腸を刺激するから最後の便汁やガスが上から下りてきて出る。月曜日のYさんはそれもない。なにが そんなに違うのか、技術?知識?両方?。でもこれで土曜日に今度も排便しなくてすみそうだ。
午後の車椅子移乗の担当はH看護師、今年初めてのケア。久しぶりでも何の問題もなかった。月曜日のYさんよりよっぽど スムーズ、Yさんは人工呼吸器のマウントの向きを何回も変えるから面倒くさい。Hさんは立たせ方にも気を使って僕の 右膝の膝折れをフォローしてくれている。若者らしからぬ気遣い、容姿?(持つ雰囲気)も性格も僕の結構お気に入りだ。 どうしても個人的に看護師に対する好き嫌いがある。


1月15日 どうして二人?
午前10時から朝のケア、今日の担当は訪問看護Mだけどなぜだか2人で来た。二人の話が聞こえたところによると訪問看護Mが 土曜日は半日出勤になったらしい、2月から2人で来ると言ってた。土曜日は極力排便はしないようにするつもりだから 2人は要らないのに と思いながら聞いてた。まあその内1人になるだろうけどね。
それにしても排便なし(代わりに下洗い)それに3人なのにケアが終わったのは時間ぎりぎり、洗顔と清拭と下洗いに どうしてこんなに時間がかかるのか。僕にはYさんの動きに無駄が多いように思えてならない。例えば聴診、肺もお腹も どうして毎度毎度あんなに何ヵ所も聞く必要があるのか。時間に余裕があるのならまだしもだいたいオーバーするのだから 肺の聴診を4ヵ所にするとかバイタルを手早くとか、短縮しても支障が出ない所は短くする努力をすべきだと 思うのだけれど。

1月14日 腰の痛みがなくなった 何故
10時過ぎからは今週2回目の入浴車、不思議なことに排痰を促すために側臥位しても腰が痛まなかった。昨日から腰の痛みを 取るためにしたことは湿布を貼ったことぐらい、それでこれだけ腰の痛みが取れるとは思えないのだけど…何故?
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。まずは端座位と立位訓練、久しぶりの端座位はとっても気持ち良かった。窓の外の 南天の赤い実を見ようと思って背伸び?をしてみたが南天の実を見るのはなかなか難しかった。そして立位訓練、やはり 端座位した後立たせてもらうと1回目から膝によく力が入って立ちやすくなる。だから1回目からもっと腰を伸ばして やろうと試みてはみたのだが…瞬間しか伸びなかった。まあ我々の病気はたとえ一瞬であっても筋肉に日々力を入れ続ける ことが保持の秘訣だと僕は思っているけど。次に下半身の可動域訓練。これは水曜日の可動域訓練とほぼ同じ内容だけど 腰はいつもぐらいにしか痛まなくて余裕で耐えられた。なんにもしていないのに、不思議だなあ。

1月13日 腰が痛い
朝のケアは9時45分からだけど看護師さんがなかなか着かない。ここまで遅れるということは今日の担当はMさんかなと 思ったしMさんも「私だと思ったでしょう」と笑っていた。でもMさんはここからが早くて洗顔を後ろに回してまず排便、 Mさんは上手いから時間もそれなりにかけてすっきりと出してくれた。これで土曜日(二日後)は排便処置をしなくても すみそうだ。しかし気になるのは腰の痛み、昨日より更に強くなってる。痛みの中心は腰骨?と骨盤の接続部辺り、昨日は 横を向いた(側臥位)時に腰が痛かったけど、今日は側臥位した時と側臥位して腰を前後に揺らした時もその中心がかなり 痛かった。
午後2時45分からは車椅子移乗、だけどMさんはまた遅れてきた。そのMさんに腰が痛いことを訴え湿布を貼ってもらった。 そして一度立たせてもらってからスライドボードで車椅子に移った、次の通院で腰の検査をするように念押しされたけど。 1時間後ベッドに戻る時は久しぶりに「立って戻らないか」と言う。そしてたったら強引にベッドに座らせられて… Mさんらしいけど僕の身体が車椅子からの立ち方を半分忘れてたなあ。

1月12日 入浴車
午前10時過ぎから入浴車、今日は入浴車のスタッフの中にAちゃんがいたから場が明るかった。Aちゃんは話し好き?で 入浴車のスタッフの中で一番僕に話しかけてくれる、それだけで入浴車がより楽しくなる。今日の入浴車のスタッフの 井戸端会議の話題は子育て 高校進学、最近は高校の内容も変っているようだし高校進学も僕らの頃とはだいぶ事情が 違うらしい。子育てにほとんど参加してこなかった僕には分からない&耳の痛い話だ。ベッドで横を向くと腰が痛むのが 少し気になった。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。股関節と大腿二頭筋(太ももの後ろ)の運動で膝を頭の方へ深く曲げて もらっている時に腰にかなりの痛みを感じたので力を緩めてもらった、僕としては珍しいことだ。アキレス腱を伸ばす 運動は耐えられた。立位訓練の時腰が痛むか気になったけどさほど痛むこともなく立ち上がれた。まあまあの出来だったと 思う。

1月11日 歯が痛くなった
朝のケアは9時半から、早い時間なのにMさんが時間より早く私服で顔を覗かせたのでちょっとびっくりした。11時前からは H先生の上半身のリハビリ、今日は三ヵ月に一度のT先生との面談で H先生が僕のリハビリの状況を説明してくれた。その後 上半身の可動域訓練と4歩の歩行訓練、腕を思いっ切り挙げてもらうのは久しぶりだったから痛みはあったけど 心地良かった。歩行訓練も膝や腰にちゃんと力も入ったしまあ良かったんじゃないかな。
午後2時半からは訪問歯科、病院で歯磨きをしてもらっている時右下の糸切り歯が更に大きくぐらぐらしているのが 分かって気にはなっていたのだが…。今日歯科衛生士さんがその糸切り歯およびその奥の奥歯のポケットをきれいに していたらズキンズキンと痛みが走った。それから歯間の掃除が終わって最後に口の回りの筋肉のマッサージを受けて いたら僕の目から涙がぽろぽろ。それを見て歯科衛生士さんが「痛かったですか、すみません」と謝った。でも涙は 歯科衛生士さんの勘違い、僕の涙はテレビに反応したものだから。

1月10日 刺激が ない
今日は成人の日、ハッピーマンデーの祝日。昨日嫁さんに「明日の訪問はあるの?」と聞くと「ある」とのこと、それで昨夜 7時 夜の経管栄養の前にラキソベロンを1滴増やし12滴服用しておいた。その甲斐あってか二日前土曜にはなかった弱い 便意が来て便も下りてきている感じあった。しかし 摘便して確認してもらうとガスは出たものの便にはまたもや 「触れない」と、まあ訪問看護MのYさんの技術ならそんなものだろうともう諦めてしまったけどね。困ったのは 普通肛門に 指を入れるとその刺激で便やガスが出そうになるのだが…、Yさんの摘便にはその刺激がない 指が腸を刺激しないんだ。 排便は昨日ラキソベロンを1滴増やしたおげで苦戦しながらも何とか出たけど 残便感があった。それでYさんにもう一度 摘便をお願いしたのだが…やはり腸を刺激せず便汁もガスも出なかった。今まで沢山の看護師さんに摘便してもらったけど Yさんの摘便はどうして刺激がないのだろう?、不可解。

1月9日 モモが来た
退院した日チビはいつも通り僕のことを知らんぷりしながら僕の部屋に入ってきていつものところで眠っていたけど、 モモは何処に居るのか…僕の部屋に近付きもしなかった。それで嫁さんに「ももを連れてて」と頼んで連れてきてもらって 嫁さんがモモを僕の脚の間に置いたのだが…モモは直ちに逃げてしまった。ところが今朝はモモが自分からベッドに 上がってきて僕の脚の間で眠くてしまった。昨日嫁さん連れてきてもらったことがモモにとって僕の脚の間は寝心地の 良い所だということを思い出させる記憶感知の役割を果たしたのだ。チビ猫は物事よく覚えていて何もしてあげてない僕を 無視し続けるけどモモはすぐ忘れる代わりに誘い水かければすぐに思い出す、気まぐれで猫らしい性格なのだ。嫁さんに ももを連れてきてもらった作戦成功だ。

1月8日 訳が分からん
今年初めての訪問は訪問看護M、土曜日だから仕方ないけど正直いうとちょっと不安かな。でも昨夜7時にラキソベロンを 11滴服用したから大丈夫だと思っていたんだけど(入院中は11滴午後11時前に服用しても排便は午前中にちゃんとあった)… 今日は朝から便意はあまり襲ってこなかったし便が降りてきている感じもほとんどなかった。案の定浣腸しても摘便して もらってもガスが出るだけで便はほとんど出なかった。4日ぶりの排便なのだから出て当たり前なのに出ない…これをどう 考えればよいのか、まるで僕の身体が訪問看護MのYさんに対して精神的に抵抗し嫌がらせをしているみたい。
出なければあと二日耐えればよいものを…午後4時頃になって急に大きな便意が襲ってきて出てしまった 四日分、何故 6時間も遅れたのか、分からない。


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