12月 12月31日 大晦日、か 大晦日、今年も何とか無事一念が終わって生きながらえた。みんなに感謝!。 今日午前10時30分から今年最後の入浴車、火曜日は本来入浴車の日ではないのだが年末という事で特別に大晦日の 順番に入れてもらった。ありがとうございます、おかげで新たな気持ちで新しい年を迎える事が出来ます。1年間本当に ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。でも今日の入浴車は午前中という事でまだ身体が 起きていなくて少しばかりしんどかったかな。 僕の入浴中からみんなは大掃除の真っ最中、それからもずっとそうだったから誰も相手をしてくれなくてちょっと 寂しかったかな。昼過ぎから僕はパソコン遊びとテレビ、これしか僕はやる事がないから。いつまでって、 経管栄養までずっと。テレビ鼻に見よう、紅白歌合戦はもう知らない歌手がほとんどだからもう昔の様に楽しむ事も 出来なくなった。かといって大晦日の夜に他に面白い番組がある訳でもなく…。だからしばらくYahoo GyaO!で アニメでも見てた。そして9時過ぎから紅白…。残念ながら知っている曲が3曲しかなかった、寂しいなあ。 今年も無事生き延びた。 12月30日 晦日 12月30日、今年もあと二日。今日が今年最後の訪問看護、対応する人で僕の感情・対応・考え方がずいぶん違うなとまた 改めて感じた。僕が快く思ってる人には僕も愛想良く対するが僕があまり良い感情を持っていない人には僕から 話しかける事も必要最低限、でも僕は人好きの方だからそんな対応する人はめったにいないし気にさわるなと思っても 出来るだけ我慢(看護/介護してもらっている立場をわきまえて)、こっちから無視したいと思う人などほぼ皆無。 だけどこの彼女に対しては我慢も限界、こんな(よく言えば)変わった?人にはお目にかかった覚えがない。 つくづく…相性が悪いんだるうな。 今日もサブで一度来たが挨拶もしないし僕と目を合わせる事は今日も一度もなかった、ま相変わらず猫には愛想よく 挨拶するけどね。普通年末最後に会う時には年末の挨拶をするのが常識と思うのだがそれもなし。まあ彼女なら そんなもんだろう、僕の常識と彼女の常識とはかなり違うから。今日はこれを除けばまあ良い日だった。朝のケアも 気持ち良かったし夕方ベッドへの移乗の時間も良かった。来年よろしくお願いします。 12月28日 腹の立つ 今朝(というか夜中)目が覚めたらいつもの様に(退院してからほんの1週間だが)チビが僕の脚の間で気持ちよさそうに すやすやと眠っていた。朝5時過ぎ一度ベッドを下りて行ったがしばらくするとまた脚の間に遊びに来た。それからまた しばらくは寝ていたがみんなが起きてきたら居間の方に行っちまった。ところが僕が経管栄養中の9時前またまたチビが 僕の脚の間にはいってきて眠っちまった。こんな事初めて、僕は嬉しくなってしまった。でも朝10時のケアの時間が きて僕とチビはお別れ…。 今日の朝のケア(洗顔・洗髪・清拭)は訪問看護師のFさんとヘルパーのYさん、二人とも優しく僕に接してくれる。Fさんの リハビリはいつもどんな時も手足のいろんなとこの関節を丁寧に動かしてくれる、時間が無い日でもそれなりに丁寧で 僕は満足、誰かさんとは大違い。午前中は眠くてボーっとしている僕だがそれなりに満足の心地だった。 昼3時からの車椅子移乗の介助は看護師・ヘルパーのダブルMさん、このコンビには実のところ初めから一抹の不安を 感じていたがそれが当たってしまった。まだ不慣れなヘルパーさんに対してもこの看護師さんはいつもの振る舞い、 ヘルパーさんを育てるためとか言ってヘルパーさんがどんなに困っていてもヘルパーさんの役割には一切手を 出さない。それが今日は度が過ぎた。車椅子からベッドに戻る時瞬間気管に硬そうな痰が詰まりそうになった。そこで 僕は看護師に合図を送ったつもりなのだが…看護師は気付かなかった、この看護師はケアの間僕の目は一切 見ていないから。痰を取るのは今は当然看護師の役目だが僕を見守り状況に応じて適切に対処するのも貴女の 仕事だろうと怒りを面に出した。けど馬耳東風・柳に風/馬の耳に念仏、彼女の耳には届かなかった。気の毒だったのは ヘルパーさん、自分のせいと思い込んでおろおろしてた。ごめんなさい。 やっぱりあの看護師さんとは相性が悪い。 12月27日 リン、また下痢 昨日リンをケージから出した時に(僕が出した訳ではないが)リンがまた何か悪い物を食べてしまったらしくひどい 下痢になってしまった。嫁さんがリンのオムツを替えた途端リンがまた下痢をする、3-4回それを繰り返した。こんな ひどい下痢が続いていたらリンの体力が無くなってしまっているのではないかと心配。 今日になってもリンの下痢は治まっていないらしくリンは夕方までずっとゲージの中に入ったまま(途中からチビも 一緒に)。けれどリンは遊んでとかゲージから出してとか言って(僕にはそう聞こえた)騒いでいた。その騒ぎ方を 聞いているとリンに元気が無いとは思えないくらい。それで車椅子に座っている時に嫁さんを呼んでリンを出して もらった。リンは嬉しそうに部屋から出て行った。このまま良くなってくれるならいいのだが。 12月26日 年賀状、焦るー 退院してから年賀状用の住所録も裏面も何とか仕上げた。後は印刷だけ。けれどこの印刷が難しい、僕には手足が ないから…。こんな時僕の手足になってくれるのは嫁さんと息子たち、だけどみんな忙しいからなかなか僕の相手を している暇はない。そこをどうやって頼むかタイミングを見測るのがとても難しい。昼のパソコンの時間(朝のケアと 午後3時からの車椅子移乗の間)下の息子に宛名印刷を手伝ってもらった。そしてよる今度は上の息子に裏面の印刷の 手伝いを頼んで無事年賀状を終了、安心した。 今日の訪問看護は僕の不得手な看護師さん、猫には挨拶するが僕とはケアの間一度も目が合わない。車椅子移乗前の リハビリも2-3分と中途半端(他の時のリハビリも極端に早い)、看護の腕は確か?と思われるが彼女の看護に僕は愛情を 感じた事はない。一度こんな風に感じたら彼女のやる事なす事も有気に入らなくなった。こうなったら僕の望む事は 彼女のケアが早く終わる事のみ。 12月24日 クリスマスイブ 今日はFacebookの話題を見るまですっかり忘れていたがクリスマスイブ、それほど我が家ではこの数年クリスマスが 話題に上がった事がないと思う。 子どもたちが小さい頃は我が家でもクリスマスツリーを飾ったしサンタさんにメールするように見せかけて(実は姉に メールしてた)子どもたちが欲しいものを聞き出していた。大変だったけどそれなりに楽しかった。我が家でクリスマス ケーキも買わなくなったのはケーキのクリームでさえ飲見込めなくなってからだろうな。申し訳ない…。 12月23日 天皇誕生日 情けない事に未だにもうひとつ馴染みがないが今日は天皇誕生日、祝日で訪問看護はお休みなのでいつもの祝日用の ヘルパーさんコンビが清拭・洗顔に来てくれた。僕はもうこのコンビには慣れたもので安心しきってついでに脚の リハビリなんかも頼んだりなんかして。吸引と今の時期寒いのだけはちと困るがそれ以外はほぼ任せている。この 田舎でも早くヘルパーさんが痰の吸引をしてくれる時代が来ないか。いくら医学の進歩が目覚ましいと言っても今の 進歩の具合から見て早くしないと生き続ける事は時間的にまだまだ無理かも、時代の流れは見てみたいなあ。 意外な事に帰って来た日からチビが毎日僕の脚の間で寝てくれる、朝までずっと僕の脚の間で寝ていてくれるという 訳でもいつも自分からベッドに上がって来てくれるという訳でもないが…。でも嬉しいなあ。 12月22日 全国高校駅伝 今日朝の経管栄養の時嫁さんがテレビのチャンネルをめずらしくNKH総合に固定した。テレビでは(ちらっとしか 見なかったら定かではないが)特定秘密保護法のフォローの日曜討論があってた様だ。この特定秘密保護法、適用範囲も ものすごく曖昧に思えるし政府行政から独立した第三者審査(監査?)機関も設置するかあやふや何もかもがとっても 怪しく見える法律で好きになれない。でも国民が衆参両国政選挙で圧勝させた自公の国会議員が法律にしたこの 特定秘密保護法法律として認めざるを得ない、我々には国会議員のリコール権はないのだから、したがう事が選んだ 者の責任だから。 いつの間にか眠ってしまい目が覚めたらテレビの中にたくさんの女子ランナーが走っていた、これは全国高校駅伝 (女子)だ。そうかだから嫁さんはNKH総合にチャンネルをしたのか。全国高校駅伝はほぼ毎年見ていたもんな。 Thank you. この高校駅伝を見て昔は有名になった選手をかなり覚えたものだが…今はなかなか選手の名前も顔も 覚える事が出来ない。年のせい、それとも高校駅伝に対する興味が薄れて熱心に見なくなったため。そういや今日の 結果もあまり覚えていないもんな、女子は豊川高校が優勝した事と男子は陸上競技場に入ってまでも四つ巴で最後は 山梨学院大学付属高校と大牟田高校が競い合って山梨が競り勝った事ぐらいしか。それにしてもいつの間にか勢力図が かなり変わったな。 12月6日−20日 レスパイト入院 今日から2週間レスパイト入院、訪問看護ステーションの所長が9時半に迎えに来ると言っていたが今回は何と9時半少し 前に迎えが来た。病棟から「11時までに入って欲しい」と言われているとは聞いているが毎回毎回少しずつ迎えの 時間が速くなるのは身体的にもしんどいし正直辛いなあ。 病院に着いていつもの神経難病病棟・いつもの病室へ車椅子に座ったまま移動、病室では準備は全て出来ていてもう僕が ベッドに横たわるだけの状態だった。ナースコール用のスイッチは今回もピルケーススイッチがオーバーテーブルの 下の梁に貼り付けてあった。出迎えてくれた看護師のメンバーもみんなもう顔見知り、歓迎してくれた。この ピルケーススイッチちょっと触れただけでもちゃんとナースコールが反応する。あんまり反応が良過ぎて右足を上げる 力が入院している間に弱ってしまい家のコールが押せなくなるのではと心配した程だ。幸い今日20日に家に帰っても 家のコールは押せたのでちょっとばかり安心したが…。 今回の入院中も先週の火曜日・水曜日と動血(CO2の検査)/胸のレントゲン/心電図/血液検査と検査を受けた。 血液検査については主治医から「大事なし」と太鼓判、他の検査も追加の処方はなかったから異常なしだろう。 今回リハビリは病院にしてはしっかりしてもらった方だろう。今回のリハビリは以前一度だけリハビリをしてもらった Nさん、前に「しっかりと手足の関節を動かして欲しい」と頼んだ事を覚えていてくれて十分?に動かしてくれた。 それでも痛く感じなかったのは訪問リハビリのH先生が週に1回ずつだが手足の関節を可動範囲ぎりぎりまで動かして くれているおかげだろう。 今回の年末のレスパイト入院は例年よりも少し早目の入院だったから病棟でのクリスマス会(看護師さんや医師による パフォーマンス)に僕は最初から参加できないと思っていた。ところが入院初日看護師長さんがいきなり僕のベッド脇に 来て「クリスマス会が病院の都合により18日から延期になりました。ごめんなさいね。」と謝られた。僕はその時 初めてもともとクリスマス会が18日だった事を知った訳でその事自体に驚いた次第だった、だから謝られても…。 その上18日に僕の病室でミニクリスマス会をとり行ってくれると、感激した。そして18日の午後2時半過ぎ僕の病室に 看護師さんたちが集まってくれて(クリスマス会に退院する患者さんたちも)ミニクリスマス会、クリスマスソング合唱/ ハンドベル演奏/手品ショー、素人のこういうショーは完璧に出来ないところがとっても良い。本当に楽しかった& 嬉しかった。看護師長さん&看護師の皆さん、ありがとうございました。 退院の日午前中に排便介助をしてもらい迎えの時間午後2時前までゆっくり、もう前みたいに迎えを楽しみに思う 気持ちも無くなった。2時半近くお迎えが来ると大勢の看護師さんたちが集まってきて僕の外出準備、そして 見送られながら病棟を後にした。玄関で訪問看護のリフト車に車椅子のまま乗り込む、今回は意外に時間がかかった。 玄関まで見送ってくれた看護師さん、寒い中すみません。帰路あの県境の拡幅工事現場を見ると歩道の舗装も 仕上がっていた、完成まであと少し。家に着いてベッドに移乗させてもらっている時に僕の部屋の入り口の敷居の上に モモが見えた。僕のお出迎え、まさかね。でも嬉しかった。 12月5日 レスパイト入院前日 今日はレスパイト入院前日、いつもならパソコン内のドキュメントデータの整理&バックアップ・ホームページの更新・ メール送信・Facebookへの投稿等々やる事がいっぱいでてんてこ舞いの一日なのに、今日はやる気が全然起きない。 何故だろう。 今日のケアの相手は僕との相性の良くないあの方、ケアの腕は確かと思うのだがケアに思いやりが感じられない。 たぶんこういう想いが僕の根底にあるからだろうがあの方の一挙手一投足が気にさわって堪らない。明日からの入院を歓迎しない気持ちもあるからなのだろうが…、今日は嫌な気分のした一日だった。 12月4日 訪問リハビリ(下半身) 今日は脚&足の可動訓練と(首と脚に装具を着けて)立つ訓練。朝10時10分ぐらいにリハビリの先生が部屋に来る、朝の 経管栄養が終わってからまだあまり時間が経っていないからお腹がちときつい時もあるがまあそんなもんだろう。朝の この時間僕まだあんまり目が覚めてない。だからこの時間のリハビリの時は(気持ち良さもあって)つい目をつむって しまう。それが皮肉にも丁度良かった、可動訓練の時目を開けると痛みが少し辛いって合図になってくれるから。 立つ訓練の前に先生からはひと言「今日は車椅子に移乗してみる。」と、先週車椅子移乗の時に2日続けて右ひざが 崩れそうになった事に訪問看護ステーションの所長さんが危機感を覚えてか先生に相談があったからとの事。でも僕を 車椅子に一人で移乗させる時と二人で移乗させる時とではやり方や僕の脚の使い方がかなり違いそうなのであまり 参考にならないんじゃないかと思った。実際にやってみると案の定かなり違った。先生にその事を告げると 納得された様で「今度看護師さんが移乗させる時に見に来る。」と。そうでなくっちゃ。 12月3日 訪問リハビリ(上半身) 火曜日は朝の経管栄養が終わってすぐに訪問看護師さんによるケア(洗顔&軽いリハビリ この方は独特?)、それが 終わったらもう1人の看護師さん(11時過ぎ訪問)と車椅子に座らせてもらい(1時間)そして午後2時から 訪問歯科(約30分)。それから午後4時半からの訪問リハビリを待った、合間はもちろんパソコン。 訪問リハビリの時間嫁さんは今日もお出掛け、オシッコさえ済ませておけばリハビリのH先生が痰は吸引してくれるから まあいいか。今日は上半身と胸のリハビリ、左肩の筋肉?筋?をほぐしてもらっている時珍しく痛みが走った。 どうしたのかな。今日はH先生に2回吸引してもらったがH先生の吸引もかなり上手くなった…と思うけど(目の前の 先生の吸引動作しか見えないからなんともいえない?)。リハビリしていただく時間がいつも長くなって 申し訳ない…。 12月1日 もう12月 今日からもう12月。今週末からレスパイト入院なのでやる事がいっぱい。それなのに年賀状の住所録すら出来てない。 どうしよう!?。 |
11月 11月30日 お袋、それはまずい 僕は真夜中は気管切開をし人工呼吸器を着けて在宅生活を始めてからずっとお袋に痰の吸引をしてもらっている。 ところが昨日一昨日と朝方吸引に来なかった。一昨日は夜中にチビが僕の脚の間に寝に来た時コールを 動かしたみたいで朝方目が覚めた時コールが右踵辺りにあって押せなかったのだが、昨日は朝方4時過ぎから(呼吸器の 回路の中の水を取り去って欲しくて)4-5回コールを押したがお袋が起きてくる気配はなかった。お袋が来たのは7時前、 お袋がトイレに向かった様子を聞きつけてコールを押したらようやくお袋が来た。お袋が言うには「真夜中1時過ぎから 眠れなかったので朝が精神安定剤を飲んだ。」と。それはまずいよお袋、朝方薬を飲んだらそりゃコールが鳴っても 起きれないだろう。 お袋のこの理由に僕は危機感を覚え嫁さんに「朝目が覚めたらまず僕のところに来て」と頼んだ、万年寝不足の 嫁さんにはこれ以上言えなかった。まあ今の真夜中の痰の出方なら何とか朝までもてると思うし万が一の時は僕の 運命が尽きる定めの日だったのだろう。呼吸器を着けてから12年目でもう55歳、末の息子も中学3年で高校入試は 心配ない。3人の子供たちはちゃんと成長してくれた。僕がいなくてももう…。夜お袋からも僕に対して「夜は 11時半までに寝てくれ、お前たちが寝ないと眠剤を飲んで寝ても気になってよく眠れない。」と頼まれた。僕に 言わせりゃ「眠剤を飲まないと眠れないのなら10時以降に寝てくれ、眠剤でぐっすり眠れるのは長くても 4-5時間なのだから」。眠剤を入れないと眠れない僕の場合はせいぜい3-4時間だけどね。眠らないと僕は肺が冷えて すぐ風邪をひいてしまうから。 11月29日 我が家の猫、久しぶり 入浴車の時に嫁さんがリンのゲージを移動させてからまる2日我が家の猫たちを見ていない。チビもリンがいないと 僕のところに遊びに来ないみたい。ところが午後3時過ぎに車椅子に座らせてもらった時に僕の部屋の障子を 開けてもらっていたらモモとチビが僕の部屋に遊びに来た。リンは部屋の入り口で車椅子に座っている僕をしばらく 覗き見してからどこかへ去って行った。うちの3匹の猫をこんなにじっくり眺めたのは久しぶり、やっぱり我が家の 3匹の猫は可愛いな。 実は昨日チビは去勢の手術を受けた、まだ生まれて8ヵ月なのにかわいそう。麻酔が効いてるとかで夜遅くまでチビは ずっと寝ていた様だ。でも今日見たチビはいつも通り元気、安心した。夕方下の息子がリンの入っているゲージを僕の 部屋に持ってきた。しかし誰も相手をしてくれない僕の部屋でリンは寂しいのかずっと泣いてる。これもかわいそう。 リンにとって僕の部屋に居る事は幸せなのかな。 11月27日 下半身のリハビリ 訪問看護師さんたちによる車椅子移乗の際2日続けてよろけてしまったという何とも言いようのない不安の翌日の下半身 訪問リハビリ、H先生のサポートならまだ立てるとは思っていたが実際に立ち上がれた時はやっぱり嬉しかった。 H先生の下半身リハビリは両脚のつけ根・膝・足首・足の指の可動域を広げる訓練、そしてベットに腰掛けさせて もらってからの立ち上がる訓練。H先生のこの立ち上がる訓練は結構腰・膝の筋肉を使わせる。H先生の立つ訓練の時は ベッドの高さが少し低いから膝を伸ばそうとする力だけではすまない、少しは(今の僕にはこれが精一杯なのだが) 立ち上がるための膝や太ももの筋肉を使う。またH先生は立った時に僕自身の力で腰を伸ばす事を求めてくる、今の 僕には腰を伸ばすだけで目一杯やっているつもりなのだがH先生は腰を伸ばし続ける事まで求めている。だけどそれは かなり困難だ。その上下手をすると首に装具を着けていても頭が後ろに倒れてしまい身体が後ろに反ってしまい 倒れそうになる。僕にはそれを阻止も加減も出来ない。難しい事を要求する先生だ。 11月26日 立つのが難しくなってきた? 昨日今日と車椅子に移乗させてもらう時にいつもの様に訪問看護師さんに支えて立たせてもらっていたら二日続けて よろけてしまった。昨日はベッドの高さがいつもより低くなっていたのでこのベッドの高さでは膝に力が入らずに 立ち上がれなかったからで、今日は車椅子から立つ時に右足の位置がわずかに内側に入っていて(立つ前から何となく 不安に感じていた事が現実になって)よろけた。という風に理由があるにはあったが、以前なら今日の様に少しぐらい 足が内側に入っていてもよろける事はなかったはずだ。やはり寒くなって足にわずかに残っていた筋肉もさらに 委縮し始めたかなあ、来週金曜日からの2週間(予定)のレスパイト入院でもっと弱るかもしれない。支えてもらってても もうすぐ立てなくなるのかなあ。不安!?!。 11月24日 ニャンコ湯たんぽ 昨日の夜嫁さんが寂しそうな鳴き声を上げて騒いでいたリンを僕の脚の間に置いた、ニャンコ湯たんぽの出来上がり。 リンのニャンコ湯たんぽはとっても暖かかった、手や腕に汗をかきそうなほどに。2-3時間ほどリンは僕の脚の間で 眠っていた後、僕が寝る時にリンはケージの中に戻された。リンがいなくなった後は僕の脚が急に寒々と、やっぱ ニャンコ湯たんぽはとっても温かいんだなあと改めて感じた次第だ。 今朝4時前に目が覚めた時脚の間に久方振りにチビの重みを感じた。知らぬ間に再びニャンコ湯たんぽだ。しかし チビニャンコ湯たんぽも温かいには温かいがリンニャンコ湯たんぽほど熱くはなかった。やはりアメショウのリンは 毛が長い分体温が高いのかなあ。でも久しぶりにチビが僕のところに来てくれて嬉しかった。 11月23日 勤労感謝の日 今日は勤労感謝の日、働いている人に感謝する日/働ける事に感謝する日だ。僕も在宅で今の僕の能力で出来る仕事を したいと思うが、年々仕事をしたいという意欲が薄れていっている。 旗日、今日訪問看護は来ない。朝はヘルパーさん2人がもしかして午前中の洗髪等々のケアには来てくれるかなと ほのかに期待していたが、嫁さんが告げた事には「今日ヘルパーさんの訪問の予定はない」と。残念だけど仕方が ない。他にやる事もないから正午過ぎからパソコンを始めた。それから9時間余り、パソコンをずっとやりっぱなし。 途中3時過ぎいつもの様にパソコン休憩をしたかったが今日はそうもいかないみたい。夕方足が疲れてしまってもう 動きそうもないと思ったがやる事もなく続行、疲れた、かな。 11月21日 脚の間のリン 夜ゲージの中で寂しげに騒ぎ回っているリンの様子を感じ取って嫁さんを呼んで僕が「リンが遊んで騒いでいる」と 告げると、嫁さんはリンを僕の脚の間に置いた。初めリンは落ち着かなさそうにざわざわと前足を動かしていたが やがてすやすやと眠ってしまった。するとリンのいる脚の間からリンの温もりが身体中に広がって大分身体が ぬくぬくと。やっぱりニャンコ湯たんぽはいーい!。 ところが2時間ほどした頃チビが珍しく自分から僕の部屋にやって来てベッドに上がってリンと喧嘩&じゃれだした。 (これが嫁さんの言う様に僕の脚の間の場所取りのためにじゃれあってくれているのならとっても嬉しいのだが。) チビはしばらくリンとじゃれあった後それにもあきたのかベッドから下りてしまった。するとリンもチビを追いかけて ベッドの下へ、僕は音でしかリンのベッドから飛び降りている様子はうかがえないが脚の動かないリンの音は決して ベッドから落っこちている音ではなかった、確実に飛び降りている音だった。これだけ身体を動かす事が出来るなら もし階段を作ったらリンもベッドに上がってきてくれるかな。 11月19日 たぶん回復 たぶん…もう回復、悪化せずに済んだ様だ。Facebook友達の皆さんには心配をかけた。ただまだ眠くって…。 午後2時からの訪問歯科の時にはあくびを連発、歯科衛生士さんに迷惑を掛けた。申し訳なかった。 今回はほとんど悪化せずに済んだがこう肺が寒くっちゃこの冬はこんな事を繰り返すに違いない。はたして僕の 弱々しい肺がこの冬を乗り切れるか…、真に心配している。人工呼吸器を従量式に変えてもらえば肺もこんな 寒々とした思いをしなくて済むと思うのだが、自発呼吸がこれ以上弱るのも困るから。 11月18日 体調不良 昨日の夕方から肺を中心に胸・背中・手足に寒気を感じ始めてくしゃみが続けて出てきた。くしゃみをするたびに口の 周りが唾でビショビショに、それに気管から出てくる痰の量も吸引の回数も増えてきた。それで用心も兼ねて寝る前に 眠剤と一緒に風邪薬も入れてもらった。 その風邪薬の副作用か今日は朝から身体がだるいしいつもより痰が出ないからか息苦しい。それに排尿の回数も多い。 安易に風邪薬を使ったせいかな。やはり風邪薬は服用方法が難しいなあ。 それにしても日曜日にはよく僕の体調が落ちる。やっぱり日曜日はケアがなくてリハビリなしだし身体を全然 動かさないからかな。 11月16日 義母の1周忌 嫁さんのお袋さんが急にいなくなってからもう1年、僕にはまだ義母が亡くなったという自覚がちっともない。亡くなる 2-3ヶ月前からずっと会えていなかったし、それに僕は身動き出来ないこの身体だから当然の事ながら義母のお通夜にも 葬儀にも出ていないから。今でもたまーに母が訪ねてきてきてくれる様な気がしてる…。 そして今日が1周忌の法要。今日は経管栄養をいつもより早めの時間から落とし、10時前にみんな出かけて行った (家を離れている大学生の娘は昨日午後3時前に3ヶ月ぶりに帰ってきた)。当然僕はお留守番、みんなが出かけた後 すぐにお袋にパソコンをセットしてもらった。なせならお袋は僕の呼び出すコールに反応しない(来てくれない)事が 時々ある。パソコンさえあれば姉ちゃんにメールして電話してもらえるから安心だ。結局夜までパソコン三昧、他に 楽しみもやる事もないから。 11月15日 通院日 通院日、前回から診察予約時間が昼の1時半に変わった、と僕だけが思い込んでいた様でヘルパーさん(通院リフト車に 同乗してくれる)と訪問看護師さん(2人で僕をベッドから車椅子に移乗させリフト車に乗り込ませてくれる)が 11時半過ぎ(向こうとしてはいつもの時間)にもう来たので(僕としては何でこんなに早く来るんだと)びっくり。道理で 前回の通院時予約時間を30分遅らせてと言うこちらの主張を訪問看護がすんなり認めたはずだ、1回きりの事だから。 でも僕は病院へ向かう道すがらはその事が気になって車窓からの景色どころではなかった。 病院でも診察室が救急処置室Uに変わった他はいつも通り、3週間後のレスパイト入院が決まっただけ。ただ帰り道 ずっと「寝たきりになって12年目、下の息子も来年3月には中学を卒業するしもういいかな」って考えていた。県境の 拡幅工事現場の未舗装の歩道残り50mぐらいもようやく工事が始まった様だ。街路樹の銀杏の木も少しずつ黄色く 色付いて来たようだ。秋も深まってきている…、もう11月も半ばだもんな。 11月13日 実験 9月中旬の長崎コミケンフォーラムの会場で長崎大学工学部のI先生に数年ぶりにあった時、「誰でも僕の右足の指に セッティング出来るスイッチを作って欲しい」と上の息子を通して懇願した。今右足の親指と人差し指の間に挟んで 使っているピルケースイッチは指の間をほとんど広げる力のない僕にはセッティングしてもらうのがかなり難しいのだ (鳴れている人しかセッティング出来ない)。そして昨日の夕方スイッチが着いた。 夜上の息子にI先生に送ってもらったセンサースイッチ機器一式をセッティングしてもらって実験開始。だけど右足の 親指と人差し指を閉じようとどんなに力を入れてもセンサースイッチが反応しない、息子が指で押すとオペナビも ちゃんと動くのに。息子をあまり拘束しておく訳にもいかないしやはり力不足かと諦めて息子に片づける様に頼んだら 息子が袋の中に機器の説明書を見つけた。それによるとセンサーの感度をちゃんと調整出来るらしい。また今度息子の 時間が取れたらセンサーの感度を一番鋭くしてまた実験してみよう。 11月11日 我が家の猫B 最近の我が家の猫たち、この頃グッと寒くなってきたのでモモはたまには家の中にいる様になった。しかしモモは 依然として僕の部屋にはちっとも近寄ろうとしないし姿も見せない、実に寂しいなあ。チビは嫁さんが掃除をする時は いつもリンのゲージに入れられてなかなか出してもらえない。ゲージの中では時々「出して」と悲しげな声を出して 騒ぎもするが、いつの間にか諦めてリンと一緒に仲よく寝ている様だ。いつもゲージに入れているせいか他の時は なかなか僕の部屋に近付こうとしない。でもたまーに何の気まぐれか僕の脚の間に入って眠ったりもする。 その時僕は笑顔!。 リンは元気だと僕は思うのだが、便はまだゆるいらしい。僕はまだリンをゲージから出す事を許されていない。だから 僕はネットワークカメラでしかリンの姿は見られない。だけどこの2日ほどリンのオムツ処理が終わった後嫁さんが リンを僕の脚の間に置いてくれる。するとリンはしばらくゴソゴソしているが、やがて足の間に落ち着いて寝息が 聞こえたりなんかして。僕はまたまた笑顔。 11月9日 お腹が緩くなりそうな予感 リンが木曜日の夕方から軽い下痢ピー状態になっている。僕が車椅子に座らせてもらった時にリンをゲージから 出してもらったのだが、嫁さんが言うには「その時リンが変なものを食べたのかも」と、リンは動物性たんぱく質が 駄目なのだ。昨日車椅子に座った時にも(僕はもう治っているかと思って)リンを出してもらったのだがところどころに 糞がポツリポツリ、嫁さんに「許可するまでリンをゲージから出す事は禁止」と言い渡されてしまった。今日のリン とっても出たそうにしていた…。 リンがまだ下痢してるという心理的影響はないはずなのだが…、車椅子からベッドに戻った後なんだか僕も明日 下痢しそうな気がしてきた、明日は日曜日だから訪問看護は来ないのに。この2日間お腹が冷えない様にお腹や胸に 使い捨てカイロを張り付けていたのに、なんでなんだ!。明日下痢したら嫌だなあ。 11月8日 インフルエンザ予防接種 今日午後2時からの掛かり付け医T先生の往診の時にインフルエンザの予防接種をしてもらった。インフルエンザの 予防接種は毎年この時期打ってもらっている、早からず遅からずのつもり。軽いとはいえ菌を身体の中に 入れ込んだ訳だからこの2週身体が耐えられるかどうか、最近肺からの上半身への寒気を更に強く感じる様に なってきているから自分ながらちと心配かな(免疫力や自然治癒力がかなり減退しているからね)。夕方からちょっと 寒気がしてて軽い鼻詰まり、これって…?。 昭和の歌手がまた1人逝った。島倉千代子、子供の頃からテレビで彼女の姿を見ていたという気がしていたから もっと年配と思っていたがまだ75歳との事、若すぎる死だ。彼女の歌で僕が一番好きなのは「東京だよおっかさん」、 この歌を聞くたびにほのぼのとした情景が頭の中に浮かんできていたから。ご冥福をお祈りいたします。 11月6日 今日の行事は 今日の行事は訪問リハビリ(下半身+立つ訓練)と入浴車。リハビリは以前より30-40分早くなったから経管栄養が 終わったばかりの僕にはちとつらいが、その分リハビリの内容が充実しているから僕がうまく調整しようと思う。 H先生のリハビリは僕の場合はどちらかというと変な風に固まりつつある骨・ケン・(なくなりつつある)筋肉等をほぐした 上で可動範囲を広げる事に重きが置かれている様だ。僕の顔色をうかがいながら各部位を動かしてくれるし今までの リハビリの先生が伸ばしてくれなかった部位も伸ばしてくれる。だけどいくら気持ち良くっても目をつぶっちゃ いけない、今はまだ先生が僕が痛がっていると勘違いするから。そこらへんが難しいところかなあ。 午後一からは入浴車、今日の入浴車の看護師さんは先週に引き続きWY(?)、この2人は親しみがあって僕の結構 お気に入り。先週は看護学校の実習生がいたのでスタッフのみんなの口数は少なかったが、今日はみんなのびのびと 井戸端会議をしていた。11月になって外も冷えてきたのだろう、最初湯船に入る時は熱いかなと感じていたお湯も すくに温めと感じる様になってたし湯までしてもらう様になってきた。いくら温もったつもりで上がっても身体がすぐ 冷える。だからお腹に小さめの使い捨てカイロを貼ってもらった。これで便が緩くならなくて済むかな。 しばらく眠った後またパソコン…。 11月4日 文化の日、振替休日 昨日は文化の日で日曜日、当然今日は振替休日で訪問看護はお休み。だから先月の体育の日と同じ様にケアは ヘルパーさん達だけ、でも今日もいつもの2人だからなんにも心配はしていなかった。いつもの様に2人は清拭や 下洗いを無難にこなしてくれた。そこで僕はついでに今日はちとわがままを言ってみた、いつもは看護師さんに 頼んでいる様な事を。ヘルパーさんは僕の依頼に少しまごついてはいたが何とかこなしてくれた。お疲れ様でした。 11月3日 東北楽天ゴールデンイーグルス、日本一 楽天イーグルスが見事に日本一になった。今シーズンのプロ野球日本シリーズでは楽天の先発投手陣(則本・マー君・ 美馬・辛島)がものすごく安定していた。確かにエースマー君は第6戦で4点を取られたけれどあの強力巨人打線を相手に たかが4点(2試合で5点)、たいしたもんだ。第6戦の160球の熱投にも感動したし翌日第7戦の9回表志願リリーフ登板も 見ていて涙が出た。則本・田中・美馬の先発した6試合の防御率は1.636、すごかった(巨人新人投手菅野も 素晴らしかったが)。ジョーンズとマギーはこのシリーズ飛び抜けた活躍はあまりなかったけれど楽天の若手打線もよく 活躍してた。それでも今シーズンの楽天のリーグ優勝はジョーンズとマギーの活躍とリーダーシップ あってのこぞだったから。 さて楽天の日本一優勝記念セールが始まった。今どうしても買いたいものはないけれど…何買おう。 11月1日 通院日 今日は通院日、今日の通院日から診察予約時間が午後1時半に変わった(30分遅くなった)のでリフト車に同乗してくれる ヘルパーさんも正午過ぎに来て何となく変な雰囲気。昼飯時間に完全にかかるのでヘルパーさんや看護師さんたちに なんか申し訳ない。 外は晴天、リフト車に乗り込むために車椅子で外に出ると日差しが暖かかった。日向ぼっこしたいな、と思った。 車窓に見える風景はほとんど艶やかな色無し、見えるのはススキ…、なんだかもの寂しい。早く稲刈りをした田んぼは 切り株から新芽が出て青々してた、なんだか不思議。ここである疑問が頭に浮かんだ、コンバインには2つの方式が あるのかと。切り株だけの田んぼと稲穂だけを刈り取った様な稲の茎がたっぷり残っている田んぼ、昔の稲刈りしか 知らない僕には分からないなあ。 病院に着き救急処置室に入って車椅子からストレッチャーに移ってバイタルを測り終えると…、もう主治医が来た。 そして診察・処置をしていただき主治医が部屋を出て行った時間は、これまでとほぼ同じ時間。早い!。 帰りはリフト車の上の方の窓のカーテン?を開けてもらった。山はまだ紅葉には早い様だ。ただたまに赤いのが ちらほら、ハゼの木だろう。家に着くと訪問看護師さんが1人、帰宅時間が想定外に早過ぎてもう1人の看護師さんは 訪問中との事。でも僕のお気に入りの看護師さんと車椅子の移乗・着替えに慣れているヘルパーさんだったから No problem 。しかし主治医が僕を待たせないで済むような時間に診察時間を合わせたのだからこんな事が 続くかもしれないな。 |
10月 10月31日 理学療法士のH先生が吸引 昨日訪問リハビリ(理学療法士)のH先生から「リハビリする立場の流れから見た時同意書さえ書いていただければ (自分が)吸引してもいいだろうか?」とメールで申し入れがあった。(もう時効だろから書いてもいい?)以前も あるリハビリの先生に立つ訓練の前に吸引してもらっていたからリハビリの先生が吸引すると言ってもなんにも不安は なかった、なんせお袋でさえ吸引をしている日常なんだもの。このリハビリの先生の吸引という行為がやがての ヘルパー吸引のとっかかりになればいいなという考えもあって。 そして今日の正午前リハビリのH先生が早速訪問看護ステーションの所長を伴って吸引の研修に来た。吸引の様子は 経験者だけあってさほど戸惑いはない。ただ僕の痰の癖や吸引している時の合図の目配せには慣れてもらう必要は ある様だ。なんにしても一歩前進。 10月29日 手足が欲しい 夏以降調子に乗って物をたくさん買った。ついでに整理用に小さなキャビネットも買った。これに買った荷物や ディスク等を入れて整理したいのだが…、息子たちに頼んでも色よい返事は返ってこなかった。確かに高校2年の息子は 模試の前・中学3年の息子は来年春高校受験、勉強で忙しい。でも月に30分-1時間僕の手伝いをしたところでそれが テストに影響するというのならそれはただ息子たちに自力が備わっていないだけだと思う。 誰かボランティアやアルバイトで月に4時間ほど僕の手足になってくれる人いないかな。しかし募集の方法も 解らないし…。 10月28日 寒い 今月の中旬台風26号が通り過ぎてから朝晩が冷える様になって今はもう一日中寒く感じる様になった。1週間ほど前 掛け物の1枚を薄手の毛布から厚手の毛布に替え小さな毛布をもう一枚追加したのだがまだ寒かった。今年もまた寒さに 耐える季節がいよいよ来た。 普通の人なら掛け物を増やしたりホッカイロを貼ったりして寒さに対抗出来るが人工呼吸器を着けている僕はそうは いかない。僕の場合身体の中から肺から身体を冷やしてくるので対応策が難しい。一番の対応策はエアコンの暖房を ガンガンにかけて部屋を温くする事だが、まだ10月の末だからそんな訳にはいくまい。こんな肺の調子で今年の冬を 乗り切れるのかな。 10月27日 今日は暇な日曜日 今日は日曜、僕にとっては暇な一日。上の息子はいつもの様に学校に行く時間にクラブ活動に出かけた。そして 午後から下の息子は佐賀市内に漢字検定を受けに嫁さんはその息子の送迎に出かけて行った。僕はいつもの日曜同様 暇つぶしも兼ねてずっとパソコンに黄昏ていた。 息子たちが何を考えているのか何も分からない、息子たちと深く話す事もないし。下の息子は中学3年である今の内に 英検と漢検の出来るだけ上位の級を取得するつもりの様だ。息子が何のためにそんなにも上等な目標を掲げているのか 生涯英検でさえ受けようとはちょこっとでさえ思わなかった僕には分かりようもないが、今回は2級or準2級を 受けたらしい。息子によると「中学生でこの級を受けるのは自分だけかも」と、いずれにしても たいしたもんである。 10月25日 モモ、体調悪し モモが一昨日から元気がない、喉の奥に何かが引っ掛かった物を吐き出したい風な「ゲー」という音を度々たてている 様だし昨日の夜は数ヵ月ぶり(半年以上?)に僕の脚の間に入り込んで夜半までじっと寝ていた。今日のモモはいつも 抱かれるのを嫌がるお袋にでさえおとなしく抱かれていたしよほど具合が悪い様だった。 お袋に促された事もあって夕方嫁さんがモモを動物病院に連れて行った。帰ってきた嫁さんに「モモの具合は どうだった?」と聞くと、「鼻の回りがウイルスに侵されているらしい。」との事、発熱のために元気がないらしい。 早く良くなってくれればいいのだが、モモも大事な我が家の一員なのだから。 10月24日 U先生訪問 今日午後2時過ぎ予定通り西九州大学のU先生が研究用測定器具製作?のため業者の方を伴い僕の家を訪れた。U先生が どんな研究をしているのか僕は何にも知らないが、肺の動き(肺の下部に高感度センサーを貼って:僕は腹呼吸)と(首に 高感度マイクを貼って)わずかに残っている僕の飲みこむ(嚥下)時の音を測定してパソコンで波形を取っていた。これが どんな事に役に立つのか僕には分からないが、少しでもU先生のお役に立てるのなら嬉しいな。 U先生は「次は学生を連れてきます。」とまたの訪問を約束して帰っていかれた。U先生、またの訪問 お待ちしています。 10月22日 模試数学、終わった 上の息子にスキャンしてもらった高校2年の模試の数学の問題(必須大設問4問+選択大設問3問をようやく解き終わった。 5-6日もかかってしまった。息子が言うほどレベルの高い難しい問題だとは思わなかったが(高校2年の2学期だから しょうがないかな)、2問ほど考えに詰まった。 【4】の(2)は解き方がしばらく思い浮かばなかったし、【5】の(3)(2次と3次を組み合わせた)グラフの問題では最初 問題の意味するところが理解できなかった。実際に模試を受けていたらこの45点(200点中)分はtime overだったろう。 最後は何とか全部解いて今日の夜解答?を印刷して息子に渡したが…、息子はこれをどうするかな!。 10月22日 胸のリハビリ、2回目 今日は2回目の胸のリハビリ(肩・腕・手を含む)、前回は僕の呼吸回数が多すぎて先生は僕の肺の動きに合わせて押すのに 苦労した風に見えたが、今日は僕の呼吸も少しゆっくりで吸った後にコンマ数秒間吐くのを止める事が出来たので肺の 動きもいつもより幾分はっきりしていたから今日は先生も少しはやりやすかっただろう。 数年前から肋骨の動きが悪くなっていたと自分でもずっと思っていた。前回今回と先生のリハビリを受けていたら肺が 少し広がっていると感じている。このまま週に1度先生の胸のリハビリを受け続けていたら僕の肺の具合も少しは 変わっていくのかなって思うと少しワクワクしている。 10月20日 息子からのチャレンジ? 数日前上の息子から「模試の数学の問題見る?。」と聞かれスキャンしてもらった。「模試の問題をスキャンする?」 なんて事を自分から言うなんてこれは数学に自信を持っている息子からの挑戦と僕は見た。そしてここ数日奮闘中…。 ここいらで息子が「今回の模試は少し難しかった」と言った数学の問題を僕が軽く解いて見せりゃ息子にはいい 刺激になるだろう。 問題はさほど難しいレベルとは思わなかった。ただWordで考えながら解いた内容をパソコンに打ち込む、頭の中の 記憶中枢に式や数字を留めておく事は出来ないから考え方や手順・途中の式を出来るだけ詳しく書く。それにメモ書きや ひっ算は出来ないから文字式の割り算の暗算で考え込む。ともかく時間がかかる、大設問1問解くのに1日がかりだ。 これを息子が苦労していると受け取らないか気がかり…。 最後の必須問題の大設問Cの(2)で壁にぶつかる、解き方が頭の中に全く浮かんでこなかった。ひとまず選択問題を 解いてからこれに戻ろう。ただ今奮闘中!。 10月18日 通院日 今日は3週間ぶりの通院日、看護師さんとヘルパーさんにベッドから車椅子に移乗させてもらいリフト車に乗るために 外に出ると一瞬だが日差しが身体に当たって温かく感じた。だから本当は「帰ってからしばらく日向ぼっこをさせて」 と言いたかったが…言えなかった。寂しい&虚しい。 車窓から見える風景はコスモスももうすっかり終わっていてほとんど花は見えなかった、あちこちにただススキが 見えるだけだった。田んぼのほとんどが稲刈りももう終わっていて秋の移り香の早さを僕に感じさせた。県境の 向こうの拡幅工事現場の歩道の未舗装部分50mほどは一向に進展なし、確かにここを歩いて通る人はいないと思うが もうここを舗装して完成させる気はないのかな。紅葉が始まるまでもう車窓からの風景を見る楽しみもないな。 病院に着き救急処置室に入るとなじみの看護師さんがいない。少し心配したが無事終わった。最近僕の主治医の 外来患者さんが多いらしく次の通院日から予約の時間が(午後)1時?に代わった。僕は訪問看護の対応が難しいかなと 思っていたがあっさりOKだった。次回の通院日経管栄養が終わった後から通院の時間まで何しよう!?。 10月16日 人工呼吸器を着けて12年目に入った たぶん12年前の今日気管切開をして人工呼吸器を着けた。最初主治医は夜だけ呼吸器を着ければ済むかもと 期待していたらしいが、予想以上に僕の肺機能は弱っていた様でうまくいかなかった。呼吸器を着けた当初は 時計ばかり見て4-5秒に1回息を吸い込もうと懸命だったがいつのまにか慣れた。出来れば下の息子が高校を 卒業するまでは生きていたい・せめて小学校を出るまでは最低限生きていなければと思って生き続けてきたが、あれから 丸11年(下の息子も中学3年生)家族も僕もよく頑張ってきたと思う。いつまで生きれるか分からないがこれからまた 一日一日一年一年頑張って生きていなければならないなぁ。 10月15日 胸のリハビリ H先生に代わってから2週目のリハビリ、今週から火曜日に上半身のリハビリ(胸のリハビリ含む)・水曜日は下半身の リハビリ(装具を着けての立つ訓練を含む)をしてもらえる事になった。本音を言えば金曜化土曜日にもう一度下半身の リハビリをして欲しいのだが…、機会を待つ事にしよう。 そして今日が胸のリハビリをしてもらう最初の日、誰に限らず本格的に胸(肺)のリハビリをしてもらうのは多分 初めてだ。H先生の胸を動かす(抑える)力は結構力強い。少々痛いかなと感じた時もあったがその分次第に少し (吸った時に)肺が広がってきたかなと思う様になった、下手したら呼吸器の吸気圧の設定を主治医に少し弱めて もらわねばならないかなと一瞬思わせたほどに。これから週1回H先生に胸のリハビリをしていただく事で僕の肺機能が どう変わるか(もう手遅れ?)楽しみだ。 10月14日 体育の日 今日は体育の日、ハッピーマンデー法 嫌な法律だ。何で今日が体育の日なんだ、今でも納得がいかない。10月10日は 50年前東京オリンピックの開会式があったという記念すべき意味のある日なのに。 今日のケア(下洗い・洗顔・清拭)にはヘルパーのFさんとKさんが来てくれた。この2人のケアには今では全く不安は 感じていなかった。だって月曜日が祝日の時のケアはずっとこの2人だし、文字盤も使ってくれるし呼吸器の取付・ 取外しも上手くやってくれるから。今日のケアもさほどの不都合もなく上手くいったし吸引するタイミングも清拭& 上半身の着替えで左右にゴロゴロした後上手く来て丁度の時に嫁さんを呼んでくれた。今日のヘルパーさんたちの ケアはナイスだった。 10月12日 最近の我が家の猫A 最近の我が家の猫たちは天井裏でネズミが騒ぐのがすごく気になっている。 チビは2週間前退院してから五日間はほぼ毎日僕の部屋に遊びに来て僕の脚の間で眠っていたが、天井裏でネズミが 騒ぐ様になってからはすっかりご無沙汰。僕の部屋でチビが見れるのはチビが敷居に登って天井をコツコツ叩く 時だけになった。ところが昨日の夜チビが突然ベッドに上がってきて朝まで脚の間で寝てくれた。天井裏でネズミが 騒ぎ出すと部屋を出て行くがしばらくすると脚の間に戻ってきてくれた、それも4回も。その度に僕はニヤリ、 嬉しかった。 4日前モモが久し振りに僕の部屋に現れた、僕の部屋の屋根裏で騒ぐネズミの足音が気になったらしい。敷居に登り そこから棚の上に渡りエアコンへと移った。そして棚の上に戻ってしばらく天井を見つめていた。今日車椅子に 座っている時モモとチビが喧嘩している様子を見た。チビが少しでも近づこうとすると本気のうなり声をあげていた。 あの様子ではモモはチビが自分の生んだ仔猫だという事をすっかり忘れていると思えた。今では怒りの対象の様に 見えた。避妊手術の影響だと思えるがチビがかわいそう。モモの代わりにみんなが君を可愛がってくれるからね。 リンはゲージ登りが上手くなった。今日リンがゲージに登る様子をネットワークカメラで見ていたが本当に上手い。 ゲージの一番上まで登ってからゲージの中ほどの高さにある棚に横座り、その棚の上で寝たりゲージにつかまって 立ったりしていた。棚から下りる時も以前はドタンと落ちていたのだが、今日は前足から下りた。今日キャスターの 車輪諸々を買った。これで後ろ足の替わりになる台車を作ってあげて外を散歩したいな、僕も一緒に。 10月11日 今回は看護学校の学生さんとよく話した 今日で実習も終わりと所長が学生さんを連れてきてくれた。今回の学生さん3人は自分から文字盤を使って積極的に 話しかけてくれた。文字盤を使って僕と話をするのは健常者にとってはとっても面倒臭いはずなのだが3人とも 嫌がらずに僕と話してくれた。とっても嬉しかった。話しかけない・目すら合わせようともしない看護師も世の中には いるのだが、この学生さん達には半年先正式に看護師になってからどんなに忙しい時にでも今の様に患者さんに気軽に 話しかける看護師になって欲しい。来年の2月に国家試験があるとの事、今のまま素直に頑張れば3人とも大丈夫だから 油断せずに頑張れ!!。 最後の挨拶を受けた時思わず涙がこぼれそうになったが何とか我慢した。「また遊びに来て」と言いたかったが…、 流石に言えなかった。 10月9日 今日は大忙し 今日の昼間は大忙し。ます10時半前からH先生による2回目の訪問リハビリ、今日は脚全般のマッサージ・関節の可動& 筋力訓練をしてもらってから(脚と首に装具を着けて)立たせてもらった。膝は伸ばす事は出来るのだが曲げる方は力が 入らないしどうすれば膝が曲がるのさえ脳も身体も忘れてしまっていて実に困った。リンもこうならない様に足の リハビリをまめにしてもらわなければとつい思った。また立った時右脚重心だったのでそうならない様お願いした。 まあ丸50分凄く熱心かつ丁寧にリハビリしてくださる先生だからそのうち先生と僕の息もあう様になるだろう。 火曜日に上半身&肺のリハビリをしてもらえる事になった。 次は正午から訪問理容。カットはいつものKさんと介添えの人1人(こちらもよく来てくれる方)、Kさんとはもう13年の 付き合いになる。長い間お世話になっている。これから寒くなるというのに嫁さんが気軽に「短く。」と言う、風邪を ひくかも?。Kさんはいつもの様に手際よくカット、30分もしない内に終了。うなじがちょっと寒い。Kさん、いつも ありがとうございます。 午後1時過ぎから今度は入浴車、いつものスタッフさんだが今日は実習生が見学していたのでみんな口数が少なく いつもの井戸端会議はほとんど聞こえなかった。少し寂しかったかなぁ。2時半過ぎ入浴車のスタッフが帰った後、 嫁さんに塩水を飲ませてもらってからひと休み、そしてパソコン三昧。今日はばたばただったなあ。 10月7日 看護研修生 今日から1週間看護学校の学生さんが僕の看護を担当してくれている訪問看護ステーションに研修に来ている。 その学生さん3人僕の所にも毎日?何らかの形で訪ねてくるとの事。そして早速今日の朝のケアの時2人の学生さんが 来た。この2人運がいい、今日のヘルパーがFさんだったか。Fさんは自分が脇役をし学生さんに清拭の一方を任せて 実践させてくれた。呼吸器を着けた患者の清拭なんてめったに出会わないからいい経験になっただろう。午後3時からの 車椅子移乗の時もう1人の学生さんにも会ったが、今回の学生さんも真面目で一生懸命、文字盤もすぐ使いこなし僕と 話もしてくれた。嬉しかった。 10月5日 ヘルパーさんの苦悩 今日の午前(ケア:洗顔+先発+清拭)と午後(車椅子移乗)の看護師さんと一緒に介添えしてくれるヘルパーさんは2人とも それぞれ僕に不慣れなヘルパーさん、不慣れなゆえに異常に緊張するらしい。そして緊張するがゆえに手際が 悪くなるという悪循環、看護師さんもついている事だしそんなに緊張する必要はないのにと僕は思うのだが。幸い 今日はパートナーが僕の不得手な看護師さんじゃなくて良かったが、今後この二人と僕の不得手な看護師さんが 組む事があると思うと不安だなあ。早く僕に慣れて欲しいな。 それにしてもあの看護師さん、一昨日の車椅子移乗の時僕とひともめあった事を所長に報告していない様だな。 10月3日 リンの元気がない リンが朝の餌を食べないと、そう言われれば早朝から僕の部屋にいるはずのリンの身動きする気配も感じなかったし 毎朝餌を催促して「ギャーギャー」鳴く鳴き声も全くしなかった。同じ部屋にいたっていうのにリンの具合が悪かった 事にも気付かないなんて何てことだ。本当に情けない。 昼前まで死んだ様に眠ってばかりいたリンを嫁さんが動物病院に連れて行った。夕方帰ってきた嫁さんにリンの状態を 聞くと、尿路感染による40℃を超す高熱と便秘により弱っていたと。事故による影響でペニス等が欠落した リンにとって最も恐るべき症状だ。病院で点滴でもうってきたのか家に戻って来た時のリンは幾分元気を取り戻し 動き回っていたので少し安心した。これからもこんな事が何度なくあるのだろうな。 10月2日 新しいリハビリの先生 昨日11時過ぎ車椅子に座る準備をしている時に新しいリハビリのH先生を紹介してもらった。その時ついでにH先生に 僕の手脚(足)の関節の具合を診ていただいたが、僕の関節の伸曲や脚&足の筋肉の強弱まできちんと確認して もらえた。確認してもらっている時のこの先生の身体の使い方を見て感じた事は、このH先生はかなり上手い。 そして今日10時半からH先生による初めてのリハビリ、初めてって事もあるのだろうがH先生リパリは丁寧かつ真面目、 こんなに丁寧にやっていたら40分というリハビリの時間内にどこまで行くのだろうと心配になるほどだった。その上 先生は呼吸リハも出来るという事で今日は(装具を着けて)立つ代わりに呼吸リハをしていただいた。水曜日は 車椅子には座れる日ではないので是非とも立つ訓練をしたいと言い張りたいところだったが数年ぶりの呼吸リハビリの 魅惑につい負けてしまった。 ケアマネージャーに火曜と水曜の連続ではあまり意味がないと一度は水曜日だけの訪問リハビリにしてもらった僕だが 、ここ数年肋骨が硬くなっていると感じていたので呼吸リハビリをしてもらえるとなると話が違ってくる。だから 一昨日ケアマネージャーからH先生のスケジュールに火曜日16時半に空きがあると聞いていたのでその時間に呼吸リハを やってもらえないかとお願いした。はたしてどうなる事やら。 |
9月 9月30日 最近の我が家の猫たち 「モモはすっかり不良猫になってしまった。」と嫁さんが言っている。モモがうちに帰ってくるのはエサを食べに 来る時と夜中寝る時だけの様でそれ以外は外をうろつき回っている様だ。昨日23時過ぎに妻が外へモモを迎えに行き 連れて帰って来てくれた時久しぶりにモモを見た、が朝にはもういなかった。 リンは後ろ脚は動かせなくても相変わらず元気だ。最近はゲージをつたって登り中二階の棚の上でたまに寝ている。 1日に数回ゲージから出せと騒ぎだすが僕にはどうしようもない。早めに何とか後ろ足の代わりになる様な4輪台車を 作ってあげたいのだが…。 チビ(4月に生まれたモモの仔猫)は未だに乳離れが出来ていなくて乳を吸いに行こうとモモに近づいていくが、モモは それを嫌ってギャーッとうなり声をあげてチビに喧嘩を吹っ掛ける。もうチビはモモに近寄れなくなった。モモはもう チビが自分の生んだ仔猫って事を忘れてしまったのかな。その代わりリンとチビは仲良し、嫁さんが掃除機をかける時 チビをリンのゲージの中に入れてチビが掃除機の音に驚かない様にしているがリンとチビ2匹は仲良くゲージの中で 寝ている。それに退院した日から今日で4日だがもう3日もチビが僕の脚の間で寝てくれた。嬉しいなあ。 9月30日 リハビリのO先生最後の日 今日のリハビリでO先生のリハビリはこれで最後、O先生にデイケア施設で最初にリハビリしてもらってからもうすぐ 13年だ(途中1年ぐらい中断期間があったかな)。その間ずっとO先生は僕を立たせてくれた。僕が今でもまがりなりにも 何とか立てるのはO先生のおかげだろう。長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。 泣くまいとずい分こらえていたが結局涙がこぼれた。まあしょうがないか。 9月27日 ただいま? 今日昼無事2週間のレスパイトから帰ってきた。帰り道リフト車から外を眺めるとこの2週間で稲穂はすっかり黄金色・ 残念ながら彼岸花ももう終わった様だった。家に着いた時隣の庭垣に黄色い彼岸花風な花を見たので嫁さんに写真を 撮って来てもらった。が、おしべの形状から見るとユリ科とも思えたが…。 僕が部屋のベッドに落ち着いても我が家の3匹の猫は思い思いの行動をしててちらっともぜず完全無視、猫たちにとって 僕ってそんなもんだろうが。でも午後9時前になってチビがベッドに上がってきて僕の脚の間で寝てくれた。その時は チビに「おかえり」と言われた様な気がして嬉しかった…な。 この2週間で朝晩が急に寒くなった。またしばらく掛け物で苦労しそう!?。 うちに帰ってきても今では僕に「おかえり」と声をかける者はいなくなったなあ。僕の年に4-5回のレスパイト入院は 僕にとっても家族にとってももう年中行事、自然の流れになっている。だから…。 9月13日〜27日 レスパイト入院 今日から2週間の予定でレスパイト入院、ノートパソコンは持ち込むけどインターネットはつながらないから 暇だろうな。何しようかな。 病院に着くと車椅子でいつもの神経難病病棟に移動、病室は今回はいつもの病室の隣らしい。この病棟の 看護師長さんによると「いつもの病室に空きが出来次第いつもの病室に移動します。」との事らしい。右足の甲(or 親指)でオーバーテーブルの下の梁に貼り付けて蹴って鳴らすナースコール用のスイッチは前回のレスパイト入院の時 使ったピルケーススイッチ、感度が良いから少しピルケーススイッチに触れただけでコールが鳴ってくれる。安心だ (鳴り過ぎるかな)。 初日から心電図検査/胸のレントゲン/検尿/血液検査を済ませた。主治医から検査結果について何ら説明もなかったから 何ら問題はなかったのだろう、かな。 日曜日(15日)介護タクシーを1日契約をして長崎医療センターで行われた長崎コミケンフォーラムに嫁さんと娘・上の 息子と一緒に参加した。何年ぶりかの参加、久しぶり会う人も多くてそれだけで感激した。(開発者本人の)Yさんの 『Hearty Ladder/マイボイス』の発表の時にマイボイスユーザーとしての開発者Yさんへの感謝の言葉と元気な内に 自分の声をデータ化して残す必要性を13年前にパソコンに録音しておいた僕の声で話させてもらった(約1分?)。それを 聞いた娘が「お父さんの声を久しぶりに聞いた」と感激していたそうである。 (つづく) 9月12日 入院前日は… 今日は朝から僕のホームページの貯まっていた日々の雑記帳づくり、その合間にFacebookを見てメールの返信を して…。ああ時間がない、忙しい。ホームページの更新とメールの返信だけでもできるのかな。どうしよう…。 9月11日 忙しい? 風邪ひくまでには至らなかったが一昨日の影響が出ているのか身体が少しだるい。だけど今日明日は少々無理をしても やるべき事がいっぱいあるのだ。 まずは11時前から訪問リハビリ、僕を12年以上担当してくれた理学療法士の先生が病院を辞めるという事で この先生からリハビリしてもらうのは今日を含めてあと3回、少しぐらいだるくてもリハビリして立たして もらわなければ。次のリハビリの先生が立たしてくれるかは分からないものね。 午後1時過ぎからは入浴車、入浴車は気持ちよくいただいたが入浴車のスタッフさんたちが帰った後入浴の反動でよく 身体が冷えてくるので今日は用心のために薄手の布団+肩にタオルを掛けてもらっていた。ら、顔に汗がだらだら。 上手くいかないな。 入浴車の後いつもなら1時間ぐらいは眠るのだが、今日は嫁さんに塩水を飲ませてもらった後すぐにパソコンを セットしてもらった。目指すは英会話のテキストのVol.1の完成、下の息子にスキャンしてもらったテキスト画像を OCRソフトにかけ清書しているのだけれどグーンと時間がかかる。でもあと2ページ、なんとしても今日中に 完成させなければ。そして…終わったのは約5時間後の午後8時半前、もうたっぷり疲れた。(足が動かなーい。) 9月9日 風邪ひいたかな? 日曜日は訪問看護はお休み。だから車椅子に座る事も着替えも出来ない、ただ上向き不動の体勢でじっと 寝ているだけだ(まあ足だけは自分の意思でわずかに動かしてはいるけれど)。でも不思議な事に日曜日の夕方になると 寒気がしてきたり体調不順に陥る事が多い傾向にあった。 昨日もそうだった、肩から背中にかけて少し寒気がしていた。その影響が出たのか今日の朝のケア(清拭と排便介助)の 後は昨日より強い寒気がしてきて午後3時半訪問看護師さんたちに車椅子に座らせてもらった時には鼻水タラタラの 状態に。用心のため1時間後車椅子からベッドに戻った後訪問リハビリで立つ訓練は止めにした。少し腰が痛いし微熱も 出てきた様だし、昼夜の寒暖差にやられてついに風邪ひいたかな?。それにしても相性悪いなあ。 9月8日 今度のカニューレはいたーい 昨日が僕のかかりつけ医であるT先生の往診によるカニューレ交換、全く同じと言われているカニューレでも僕ら 人工呼吸器装着者には何かが違うと感じる事なのだが今回交換したカニューレは交換直後から何となく違和感が あった。その違和感が今朝になって痛みと変わった。今日はカニューレが入っているところが全体的に痛いし唾液を 飲み込んだだけでものどぼとけのところらに痛みが走る。慰めの言葉が欲しくて嫁さんに「カニューレが痛い」と 訴えたら「(今日の診察が終わる)午後一番に交換してもらう?。」とドライな返事、僕がそんな事は出来ないと 知っているくせに。やはり13日のレスパイト入院まで耐えるしかないな。 9月5日 最近の我が家の猫たちは 我が家の猫たちの最近の様子。(嫁さん曰く)モモは避妊手術をしたためか子ども返りをした様で昼夜構わずチビと 一緒に1日3-4回は廊下を走り回っている。よく外に出て行ってなかなか帰ってこないし家の中ではほとんど 寝てばかり、僕の部屋に寄り付きもしない。 リンはゲージの中でしょっちゅう大きな音を立てて騒いでいる。力強い前足と両膝でよくゲージをよじ登っている 様だ。痛がるかもしれないがきついリハビリをして後ろ足の肉球を使う事を思い出させれば後ろ足の先まで動かす事を 思い出すと思う。リンが立とうとしている今がチャンスと思うのだが僕にはリンのリハビリは出来ない。息子たちに 頼むしかない。リンは相変わらず僕になじまない。 チビは相変わらず気まぐれ。1週間前は2日続けて自分から僕の脚の間に上がってきて寝ていたのにその後は僕の部屋の 窓の桟で時々眠ってはいるが僕に近寄ろうともしない。そうなると返って寂しくなってきたなあ。 もうモモもチビも猫タワーで遊ぼうとはしない、飽きたのかなあ。その代わりリンをゲージから出した時たまにだが リンが猫タワーの柱で爪を研いでいる。まだ役には立っている…かな。 9月3日 テキストスキャン 英会話の教材を聞き始めてほぼひと月余り、いまだにほとんど聞き取れないし一向に上達が見られない。宣伝文句では 5分聞き流すだけで半年後にはほとんどの人が英会話が出来る様になるという事だが、ひとつひとつの単語レベルでも 何と言っているの聞き取れないのがまだまだ数多くあるし日本語訳を聞いてもどういう風な単語が並んでいるのか 推測しても(時にはインターネット辞書で調べても)聞き取れない。これでうまくなるはずがない。やっぱりテキストを 見ながら聞かなくては駄目だ。 そう思って下の息子に頼み込んで英会話の教材テキストをスキャンしてもらった(流石に全部とは言えなかったので Vo.1とVo.2を)。そしてスキャンしてもらったテキストを見てみたら聞き取れた個所と違う部分がいっぱい。やはり テキストを見ながらもう一度やるしかないな。 9月1日 寒い 台風15号が温帯低気圧に変わって九州の西海上を通過した日から熱帯夜ではなくなった。僕は掛け物を タオルケットから薄手の布団に替えてもらったのだがそれでも僕の身体は冷えてきて時々寒気がしてくる。僕の部屋の 室温は26℃以上はあるようなのに暑さにも寒さにも弱いなんて本当に情けない身体だ。その上この2-3日は朝晩が 涼しくなってきたそうで昼夜の寒暖差にも身体がついていかない様だ。まだ九月になったばっかりなのに寒いなーあ。 こんな事でこの冬を乗り切れるのかなーあ。 |
8月 8月31日 台風15号接近 台風15号が東シナ海を北上し日本上空の秋雨前線を刺激しているという事で我が町でも昨日の朝から激しい雷雨が 続いていた。台風は深夜五島列島沖で温帯低気圧に変わったらしいが、我が町でも昨日の朝から雨が200mm以上降ったと 思われる。その上雷がずっとゴロゴロで時には家が震えるような落雷もドカンと落ちた。朝のケアの時 訪問看護師さんが「昨日雷が家の近くに落ちてテレビやエアコンが壊れた」と話していた。雷の時も構わずに パソコンを使っているがやっぱり落雷は怖いなと再度思わされた。やっぱもう一度UPS買おうかなぁ。 8月29日 リンをゲージから出してもらったら… このところ僕が車椅子に座らせてもらう時にはリンをゲージから出してもらう様にしている。今日も3時過ぎに車椅子に 座った時に訪問看護師さんにそうしてもらった。いつもはリンのフリー空間は僕の部屋だけなのだが今日はこの時間 嫁さんがいるという事で座敷までフリースペースを開放、リンは久々に広いスペースを(前足だけで)走り回ったり チビとじゃれあったりしていた。リンはチビとじゃれあっている時が一番楽しそう。リンの後ろ足の膝から下をまた 動くようにしてやりたい、激しいリハビリさえすればリンの後ろ足は必ず動く様になると僕は思っているのだが。 8月27日 仔猫の名前は? 4月に我が家のモモが生んだ4匹の仔猫、3匹はよその家にもらわれていき1匹はモモのため・僕らのために残した。 この家に残った1匹の仔猫、顔の輪郭や目と鼻の辺りがモモにそっくりと家族のいうこの仔猫はとってもやんちゃもの。 避妊手術を受けて子ども返りをしたかの様なモモと一緒に朝な夕な晩と激しく廊下を走り回っている。ひと月ほど前は 僕の脚の間に入り込んで右すねで爪を研いだり噛んだりするいたずら者だった。でも…可愛い!。 僕はこの仔猫の事をチビと呼んでいる、嫁さんは(僕の前では)チビネコ・下の息子はキジの介(黒のキジ柄だから)と 呼ぶ。ところが最近になって「大きくなった時にチビじゃおかしい」という事で誰かが「レオ」と名付けたらしい。 しかし僕から見ればあの仔猫はレオって柄じゃない。僕らの年代でレオと言えば『ジャングル大帝』を思い出す、あの 凛々しくて勇気ある白ライオンと違いうちのはただのいたずら好きの可愛い黒キジ猫だ(足はきれいな白ブーツ の様)。 僕は仔猫が大きくなってもチビでいいのになあ。 8月25日 猛暑のち豪雨、寒気がする 金曜日まで猛暑続きだったのに昨日土曜日から激しく雨が降り始め急に平年並みの気温に変わりとっても情けない事に 体力のない僕の身体はたちまち寒気を感じ始めた。こうなると温度調節の効かない僕の身体ではエアコンの設定温度や 掛け物の調整が一挙に難しくなった。挙句の果ては寒気のために時々肩や背中がぶるぶるっと、幸い風邪を ひくまでには至らなかったが普通の人にはどうってことはない温度差でも体力&免疫力の無い僕のこの身体には ググッと響いちまう。本当に何とかならないかな、もう!!。 8月23日 通院日 通院日、病院に向かう時の僕はリフト車の車窓から通っている道路の横断歩道ばかり見ていた。そして横断歩道の縦の 仕切線はいつ無くなってしまったのだろうと考えていた、昔は確か横断歩道に立ての仕切線はあったはずなのに(昔 ⇒今)。横断歩道をよくよく見ていると自転車用横断道付/無の2種類ある 事は分かったが…。 途中県境の拡幅工事現場の歩道未舗装区間を見ると依然として進展なし。 病院に着くとすぐストレッチャーに移りバイタルを測り終えて主治医を待った。今日は先生の担当する通院患者さんが 多い様で少し待つ事になった。まもなく先生が来て診察と処置を済ませた。次に病院に来るのは9月13日からの レスパイト入院の時らしい。レスパイト入院中の15日に長崎コミケンフォーラムが開催される。嫁さんと主治医・ 連携室の相談さんの話が聞こえてきたがたとえ病棟に外出届を提出してコミケンフォーラムに参加してもいつも 入院している神経難病病棟の援助は得られない様だ。コミケンフォーラムとこの病院or神経難病病棟との関係は こんなものかと解かってがっかり、それに27,000円もかけて僕がコミケンフォーラムに参加する事に意義を 見いだせるのかと思い疑問を感じる様になった。 帰り道は眠気に襲われたので目をつむっていたが残念ながら眠れなかった。少し寝不足もあったのに、おかしいな。 家に帰ってから訪問看護師さんに着替えさせてもらった後すぐパソコンに向かったがついうとうと、やっぱりね。 8月22日 よろけた 今日車椅子からベッドに戻る際訪問看護ステーションの所長さんとヘルパーさんが車椅子から立たせてもらった時に 大きく体制が崩れてよろけて右側に倒れそうになった。原因は右足が少し内に向いていた事、もあるが膝が 思っていたよりずっと弱ってきていたという事だろう。ビザが最近ますます弱ってきている事は訪問リハビリで 立たせてもらう時もずっと感じている事だし、このひと月しばしば右足の親指と人差し指で挟んで操作している パソコン用スイッチの反応が鈍い&両脚がだるく感じている。いつまで立てるかな、不安いっぱい!。 8月21日 入浴車 水曜日の午後一番は入浴車、今日の入浴車のスタッフは最もお馴染みのメンバー、今日はあれこれ無意味な気を回す 必要もなくお湯に浸かれそう。テレビで夏の高校野球準決勝(花巻東vs延岡学園)をかけながらの入浴、お湯はちょっと ぬるめだけど今日も猛暑日だしこんなもんだろう。入浴中3回ほど熱中症計のアラームが鳴ったがエアコンも25℃ 設定だしこれ以上下げちゃまずかろう。少し汗をかきつつ浴槽から上がりベッドに戻った。 最近少し息苦しさを感じる事がある、経管栄養が終わってしばらくは特に。今日も午前中痰がすっきり出ず入浴車の 時も若干息苦しさを感じていた。だから呼吸器を外して背中を洗ってもらう時はちょっと苦しくなった。そろそろ 呼吸器の吸気圧の再調整が必要な時期になったかなあ。 8月19日 英会話、上達せず? 聞くだけで上達するという英会話の教材を買って二十日余り、教材のVo.1を聞き始めてもう半月も経つというのに僕の 英会話を聞く耳は少しは上達したのか。確かに毎日聞いているだけあってどういうフレーズが次に出てくるか 覚えている事もあり半分近く聞き取れる様になった。しかし全く何を言っているのか分からないフレーズも多々ある。 やはり英会話のテキストを手に取ってみれないのは痛い、日本語訳を頼りにインターネット辞書で当てはまる英単語を 調べてはいるがなかなか見つけきれないでいるので難しいし厳しい。こんな調子で半年後に英語が聞き取れる様に なるのか、自信がないなあ。(誰か200ページ以上あるテキストをスキャンしてくれない?。) 出来れば英語が不得手な方の息子の手本になりたいのだが。そのためには10月末までに僕のある程度進歩した姿を 息子に見せつけて息子にも何とかこの教材をさせたい。英会話に自信が付けば息子の英語に対する取り組み方も 変わってくると思うのだが。上の息子のために僕の出来る事はこのくらいの事だから。 8月18日 十八夜 今日は十八夜(我が地区の夏祭りの日)、と言っても我が家では特別な日でもなんでもなくなった。昔はお客さんが たくさん来てご馳走を食べられて1年で一番賑やかな日/特別に小遣いをもらって(祭り会場の)お寺の境内の夜店を 楽しむ日/宿若のナイアガラ・仕掛の『ジャーモン』・打ち上げ花火を身近で思いっきり楽しむ事が出来る祭り好きの 僕にとって欠かせざる日だったのに。今の我が家はひっそりと静かなもんだ。 午後7時浮立の出発の時間に合わせてテレビを消すが我が家では浮立の笛・鐘・太鼓・地囃子の音も聞こえない/ 祭りりの賑わいも聞こえない、寂しいもんだ。 見に行けないのは解っちゃいるけど寂しいし虚しい。世の中不公平だ…、と思う。 8月17日 難しいなあ 今日の朝のケアの担当の最初の訪問看護師さん(土曜日の朝のケアは途中で看護師が代わるのだ)は僕のもう一つ苦手な あの人、という事は昼の車椅子に座る時の担当の看護師は当然あの彼女となる訳か。加勢のヘルパーさんはまだ僕の 車椅子介助に慣れてないと思われる方、こりゃあ午後の車椅子移乗は大変そうだ。 午後の車椅子移乗の時間、ベッドから車椅子への移乗の時も1時間座った後の車椅子からベッドへの移乗の時も多少の 手違いと問題点はあったけどちゃんと移れた。だいたいあのヘルパーさん緊張のし過ぎ、もっと落ち着いてやれば ある程度上手く出来るはずなのに。それにしてもあの看護師さんヘルパーさんが困っていても相変わらず 知らんぷりだもんな。 8月15日 花火の音 夜9時過ぎ突然花火の音が聞こえてきた。あれは山田神社の夏祭りの浮立が終わった時に上がる花火の音、それで改めて 今日が8月15日だと気が付いた。ほぼ地元だというのにこの我が古里にいた若かりし頃恥ずかしながら僕は一度も15日の 夜の山田神社の祭りに行った事がない、昔は唐船城址=山田神社は今ほど整備されていなくて夜出かけて行くには 何となく怖い感じがあったから&旧我が町のホントの祭りは十八夜だけと思い込んでいたから。今更ながら十五夜の 山田神社の祭りにも一度くらいは行っときゃ良かったと思う。そうすれば今日聞いた花火の音も違った感じに 聞こえたかもしれないなあ。 8月14日 娘、帰る 12日の夕方帰ってきたばかりの娘が今日の夕方もう帰った。帰って来た時すぐに僕は娘に頼み事をしたのが今回は 忙しかったのか僕の相手もほとんどしてくれず頼み事は何もかなわなかった。結局娘本参り&手伝いに 帰って来ただけだった。 僕は大学1-3年の時は大学が長期休暇に入ると食事代がもったいなかったので帰れるだけの金があれば余程の用事が ない限り出来るだけ早くこの田舎へ帰ってきて田舎の友達としょっちゅう遊び回っていたものだった。娘が休みの間 何をしてるか知らないが、娘にとって向こうの暮らしがよほど面白いのだろう。 8月12日 初盆 義母の初盆、当然事ながらこの1週間嫁さんはお袋さんの初盆の準備のためてんてこ舞、何も出来ない僕は一人 蚊帳の外。ただおとなしく横になっている事が僕の出来る唯一の仕事&僕の唯一の役目、リンと一緒に。寂しいけれど 仕方ない。 僕は初盆は経験した事はない(50年前妹の初盆を体験しているはずなのだが幼かったせいかなんにも 覚えちゃいない)からどんなことをするのかさっぱり分からない。ともかく嫁さんと息子たちは(午前)9時前そして娘は 夕方帰ってきてすぐに嫁さんの実家へ出かけて行った。今日も初盆参りにお客さんが来るらしい。僕は義母が 逝ってしまう少し前から顔を見ていなかったから未だに向こうに行ったとは思えないでいる。 8月10日 暑ーい 今日は朝からの息苦しさが時間が経過してもなかなか取れなかった。なんでかなあと考えると思い当たる事が一つ、 今日は異常に暑いって事。エアコンは冷房の27℃に設定しているのにベッドからabout 50cm上方の壁に貼り付けてある 熱中症計は温度30℃/湿度50%の要注意領域との事、エアコンの風向き自動の当たる僕の回りでも28-9℃はあるだろう。 熱に弱い身体になっちまった僕にとってこの温度は息苦しいはすだ。 午前中のケアの時あわててエアコンを1℃下げてもらっても息苦しさは変わらなかった。結局息苦しさがすっかり 治まったのは車椅子に座らせもらった後、だから車椅子に座らせてもらうのは止められない、なあ。 8月9日 通院日 今日は2週間ぶりの通院日、リフト車の車窓からはほとんど草花は見えないし県境の拡幅工事現場にほんの50mばかり 残された未舗装の歩道の工事も何ら進展なし。見ていてもちっとも面白くなかったので病院までひと眠りしようかなと 思って目をつむったが眠れず。冷房の効いた車内も僕の身体には暑いのか寒いのか分からないしホント 面白くなかった。 病院へ着いてもいつも通りの情景、主治医を待つ間に前回レスパイトした時同室だったY君の経過を地域連携室の方に 聞くと「経過は順調でお盆の時自分の家に一泊外泊する予定。」と、気管切開の手術をしてまだ1カ月足らずなのにもう 外泊なんてすごい!と安心。 しばらくすると主治医が来ていつもの様に診察と処置、その間にマイボイスの事を聞かれ嫁さんが「水曜日に 植田先生に来ていただきました。(マイボイスは)ちゃんと聞けたし聞き覚えのある声でした。」と報告していた。 帰路もリフト車の車窓から花々を捜してみてたがほとんど見当たらなかった。田んぼでは稲が青々と育っていた。 こんな風景を見ていると心の中で思わず「いいな!」と呟いてしまうなあ。 8月8日 有工 甲子園初戦勝利 今日から夏の甲子園、佐賀県代表我が町の有田工業高校は開会式直後の第一試合で相手は岐阜県代表の大垣日大、 4-5回に3点を先取されたものの有工は7回2点/8回3点を取って逆転し8回裏大垣日大に1点を奪われ5-4に迫られたが 9回裏を0に抑え勝利した。テレビで見ていても大興奮の試合だった。 有工のヒッチャー古川の出来はもう一つだった。立ち上がりからストレートが高めに浮いていた。本調子が出たのは 7回ぐらいからかな。古川が次もこの調子だったら次は危ないな。なんせこの有工ってチームは粘り強いチームでは あるけれども古川の出来次第のチームでもある。古川君、がんばれ!。 8月7日 マイボイス 今日入浴車の後(いつも通院している病院の)元作業療法士(現西九州大学の先生)植田先生が僕のパソコンに吉村さんが 開発したマイボイスを入れに来てくれた。簡単にマイボイスの使い方を教えてもらったがもう一つ分からない事が多々 残った。植田先生の方もなにかうまくいかない事があった様でオペレートナビTTでMyVoicePlayerは動作しなかった。 そこでオペレートナビを閉じてHeartyLaderを起動してスイッチボックスをUSBにつないでスイッチで読み上げ操作を してみたら昔の僕の声を使ったマイボイスで読み上げた。それで試しにHeartyLadderのWindows操作でオペレートナビを 起動させ『行読上』キーをクリックしてみたら…今度もマイボイスで読み上げた。マイボイスで読み上げた昔の僕の 声を聞いた嫁さんは「確かにそういう声だった。」と(けれど僕はもう自分の声を忘れてしまっている)。マイボイスの 声を聞いた僕の感想は、思っていたより聞けるしもっとポツンポツンとした読み上げになると思っていたが結構 スムーズだった。植田先生、マイボイスを僕のパソコンに入れてくださってどうもありがとうございました。 いつかパソコンで自分の声で話せる日が来ると思って自分で基本的と思った声(50音/数字/家族の名前/挨拶)を 離職してから買ったパソコンに録音したが13年前、吉村さんの開発したマイボイスのおかげついにパソコンで自分の声を 出せる日が来た。吉村さん、ありがとうございます。 ただ録音した時僕の声はもうかすれ始めていて大きな声は出なくなっていたので、あと半年早く録音しなかったのか・ しかももっとたくさんの言葉を録音しなかったのか、今更ながら反省しきりだ。 8月5日 姉に整理を少し頼む 昨日から三日間の予定で帰って来ていた姉にプリンターの下に据えていた台の中を整理してもらった。昨日帰ってきた 日(初日)には親孝行とかで雷雨が一時的に病んだ時に山向こうの温泉に遊びに行った。そして温泉から帰ってきた 今日の午後台の中の整理を手伝ってくれた。今まで台の中に何が入っているのか分からなくてずっとイライラを 感じていた僕の心根も少し落ち着いた。あと気になっているのは机の上の整理とディスクの要不要の区分、またいつか 息子たちor娘に手伝ってもらって整理したいな。 姉ちゃん、サンキュー!。 8月4日 朝からどしゃ降り&雷 今日は朝から結構激しいどしゃ降りでついでに時にはゴロゴロと雷も、雨と雷は午後4時過ぎ一時病んだが8時前から 雨がまた降り始めそして激しい雷も鳴り始めた。ついに9時前にピカッと光りすぐにドカーンと地響きがした、それも ちょいと間を開けて続けて三度も、どうやら我が家のすぐ近くに雷が落ちたらしい。今まで生きていて日に一度なら 我が家のほんの側に雷が落ちたのを経験した事もある。その時はADSL用の電話線を通じて雷の高圧電気がパソコンの モデムの中に入り込みパソコンの一部を壊した。たぶん我が家のこんな近くに雷が落ちるのはその時以来、僕は平静を 装ってはいたが本当は雷で電化製品や人工呼吸器・パソコンが壊れるんじゃないかと心配してた。小心者だ。 今日は朝から何となく身体が変だった。朝から痰がよく出た、いや出過ぎて何度も痰の吸引をする必要にかられた。 それなのに夕方から痰がとんとでなくなり寝る前には痰が肺に張り付いた感じに。何度も何度もアンビューバッグで 押してもらったりカフを入れ直してもらったりしたがどこかに引っかかった感じで吸引してもらってもすっきり しなかった。仕方ないからほどほどで寝たが、僕の身体どうしたのだろう。 8月1日 脇机の整理 昨日今日と下の息子に脇机の中のパソコンの周辺機器の整理をしてもらった、放っておくと買っておいたはずの物が いつの間にかよく所在不明になってしまうし僕としても脇机の中にどんな周辺機器/部材が入っているか 知りたかったのといつでも使える様に整理しておきたかったから。 整理の仕方は機器一式・部材を種類別にチャック付きのビニール袋に入れ、あらかじめ商品名?を印刷しておいた紙を 切って両面テープで区分したビニール袋に貼り付けてもらった。これでどんなものが残っているか大体把握出来たし 整理も出来てひと安心。ついでに机の上の整理やディスクの要不要の区分もしたかったがまたの機会にした。 (息子よ) Thank you 。 |
7月 7月31日 入浴車 今日の午後1時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフの中の看護師さんは若い2人のWYさん、けれどこの2人の 入浴車での今までの対応や態度を僕は気にいっていたから久々の2人の登場が結構嬉しかった。 今日のお湯もちょっとぬるめ、だけど入浴の途中で少しぬるすぎるかなと感じ始めたので42℃のお湯を 追加してもらった。すると今度はまずい事に汗をかき始めベッドに戻ってからもなかなか汗が引かなくて困った。 温度調整の出来ないこの身体も好きくないが、相変わらずお湯の温度って難しいな。 7月30日 再会 今日の夕方以前勤めていた会社の元同僚YAさんが会いに来てくれた、昔仕事で付き合いのあったYBさんを伴って。 YAさんとはたまにメール交換をしていたしFacebook友達でもあったからネットでの交流はあったが会うのは13年ぶり、 YBさんとは20数年ぶりだ。僕は二人に会えるのが嬉しくて懐かしくて二人が着く前からもううるうるしていた。 二人が家に着き僕の部屋に入って来るとまたもや涙がボロボロ、全く涙もろくて行けない。二人の顔を見た瞬間の僕の 感想は二人ともちっとも変わった様にも老けた様にも見えないという事、特にYBさんは昔のまんまに見えた。YAさんは 僕が右足の親指と人差し指の間にピルケーススイッチを挟んでパソコンを(オペレートナビTTで)操作するのを見て 「凄い。」と言ったがパソコンを足の指で操作出来る僕なんてまだいい方だ、まあ動く脚の筋肉を出来るだけ 衰えさせない様に僕なりにずっと努力してきたつもりだ。30分あまり昔話をしてお別れの時、残念だが仕方がない。 「また来るね。」と言ってYAさんたちは次の仕事場に向かっていった。二人が会いに来てくれてとっても嬉しかった。 ありがとうございます。 7月29日 違った意味で大したもんだ 昨日?訪問看護ステーションの所長からいつの間にか僕と馬が合わなくなったある看護師さん(昔は僕の一番の お気に入りだったのだが)に僕が最近抱いている不満についてそれとなく話をしたと聞いた。今日の朝のケアは その彼女、部屋に入って来た時僕の顔を見て挨拶する事もなく(どこかに向かって挨拶はしているのだが)ケアの時僕と 目を合わせる事もないいつも通りの彼女。注意を促されても我関せずの態度を貫こうとする姿は違った意味で 大したもんである。まあ僕としてはこれからも悶々とする日々が続く事になりそうだが…。 7月28日 地区の海水浴 今日は地区(昔の言い方なら部落)の海水浴らしい、嫁さんと下の息子(中3)は(朝)8時集合という事で出かけて行った。 僕がこんな病気じゃなかったら海大好きな僕が毎年の様に同行しているだろうに。僕が子供の頃はほとんどの家庭で 家族で出かける事などなかったから部落でのこの海水浴と十八夜が夏休みの大きな楽しみ行事だった。息子も今日は 「友達に誘われた。」と言って出掛けて行ったが元来遊び上手じゃない様だ。最近はずっと真夏日で熱中症の心配も あり「もっと友達と外で遊べ」とは言いづらいが夏休みぐらいは友達と山や川・広場・グラウンドで遊んでもいいんじゃ ないかと切に思う。僕が中学生の時の夏休みは遊び相手を求めて毎日自転車で走り回っていたが…、 ジェネレーションギャップ?それとも考え方の違い?。 7月26日 通院日 今日は通院日、なのに外は朝から屋根に当たる雨音が聞こえる様な大雨。けれど病院に向け出発する時には雨はほぼ 上がっていた、ラッキー。 リフト車の車窓からは花々はあまり見えない季節、少し寂しい。パチンコ屋の横のT字路の交差点で以前正面の山肌に 山百合が咲いていた事を思い出す。今は緑色のコンクリで固められてもう生えれない。県境向こうの拡幅工事の残り 5-60mの歩道の舗装工事はひと月前から何ら進展がない。馬鹿にしてるのかなあ。 病院に着きストレッチャーに移動してバイタルを測り終え主治医を待つ、今日は僕の主治医の受け持ちの患者さんが 多い様で30分近く待つ事に。その間嫁さんが外来の看護師さんに「右頬と左腕のほくろ状の物がまた 大きくなってる様に思う。」と気になる事を話していた。結局主治医の診察・処置が終わって皮膚科の先生に 診ていただく事なった。皮膚科の先生によると「9割方心配ない。経過を観察していきましょう。」と。そう言われても 2年前の事もあるし嫁さんは怪訝顔、2年前も「大丈夫だろう」と言われつつ用心のためにと患部を切り取って 病理検査してみたら皮膚ガンでほくろ状の回りを4-5cm切除した。僕もこの先生はあまり良い印象はない、これまでの レスパイト中に他の患者さんに対するこの先生の対応を見ててぶっきらぼうに感じてたから。 家に戻ってしばらくしたらだんだん寒気を感じてきた。おそらくリフト車や病院の冷房に身体が 順応出来なかったのだろう、頭では全然寒いとは感じていなかったのに。ほんの2-3時間自分の部屋以外の異空間に 居ただけで…、情けない!!。 7月24日 入浴車 水曜日の午後一からは入浴車の時間、今日のお風呂はどんなかな?。 今日のお風呂は若干ぬるめ、でも先週丁度いい熱さのお風呂にゆっくり浸かってベッドに戻ったら汗がとめどなく 出てきて仕方なかったからこのくらいの熱さのお湯なら汗が出なくて丁度いいかと思って何も言わずそのままに しておいた。さてお風呂から上がってもさほど汗をかかずに済んだ、やれやれだ。入浴車のスタッフの皆さん、 いつもいつも気持ち良いお風呂をありがとうございます。 7月23日 色々あった火曜日 今日火曜日はいつにもまして忙しい。10時から訪問看護による朝のケア/11時半前から1時間車椅子移乗(車椅子に移る 時もベッドに戻る時も訪問看護師さん2人がしっかりと介助)/13時から下の息子の家庭訪問&三者面談/14時から 訪問歯科 で終わったらパソコン三昧だ。 家庭訪問で僕が先生に聞きたかった事は中学校での息子の過ごし方、僕は家でこの息子が楽しそうにしている姿を ほとんど見た事がない(僕の部屋が家族の普段の暮らしぶりが見えない位置にあるのが問題なのだが)。学校で息子が 楽しくやっているのか気になっていた。それに対し先生は「勉強でもクラスを引っ張ってくれているし同じクラブの 仲間とも仲が良い。」との話をして下さった。僕らが中学3年の頃は1-2年生に可愛い子がいると聞くと徒党を組んで 見に行ったものだが時代の違いかなぁ。もうひとつ気になる事、夏休みに入ってすぐにこの息子に「夏休みは どうするのか?」と聞くと「漢検準1級も受けるし英検2級も受ける。8月末には県下一斉テストもあるし友達から 誘われている海水浴に以外は1日5時間勉強する。」と面白くない優等生の返事。それで楽しい夏休みなのか、確かに 高い目標(僕に言わせればすごいと感心しきりの目標)を掲げて勉強するのは素晴らしく良い事だし無理の無い計画で 感心するが遊ばなくて夏休みは楽しいのかな。僕なんか夏休み宿題だけ済ませて遊びほうけていたのになあ。先生には そのあたりの目標もスケジュールも進路についても自分の考えを明確に話している様で「油断にさえ落ち込まなければ 今のところ言う事なし。」とのお墨付き、でも僕の中には息子の人生のとっかかりがこれでいいのかという不安が 残っている。 午後2時からの訪問歯科、歯科衛生士さんが来るものとばかり思っていたから僕の部屋の障子を開けて入ってきたのが 先生(歯科医)だったのでちょっとびっくり。まずは(スポンジ/歯/歯間)ブラシを使っての歯と歯茎の掃除、先生と いつもの歯科衛生士さんとでは少し手順が違ったのでちょっと戸惑った。先生に奥歯を診ていただくと「上の奥歯に 両方とも歯石が付いてる。」と。「今日は右だけ」という事で先生が歯石を取り取り見せてくれたが結構汚いし 最後のなんか5mmくらいもあった。「何も食べられないのだから歯石なんか付くなよ、まるで罰ゲームじゃんか」と 言いたかった…。最後に「右の奥歯歯茎に抗菌剤を塗って終わりにしましょ。」という先生に右足でコールを押し 嫁さんを呼んで「ついでに下(の歯茎)も」とお願いした。先生はピンときた様だった。ありがとうございます。 訪問歯科が帰った後パソコンをして人心地、昼間慌ただしかったなあ。 7月21日 参院選、自民圧勝 参議院選挙 世の中の見通し通り僕も当然自公が余裕で半数を取るとは思っていたが自民党がこれほど大勝ちするとは 流石に思っていなかった。午後8時投票が終わった瞬間テレビの開票速報では自公の獲得議席は77との予測、民主党の 失った議席の大方が自民党に移ったという事か。投票率は52.61%、選挙権を持つ国民のほぼ半分が投票に 行かなかったという事か。投票を放棄した人々は結果的に現政権を信任(応援)したという事を解っているのだろうか、 放棄するという事は@根本的に野党を勝たせる気はないA強力な組織票を持つ自民/公明/共産の票の獲得率が 大きくなるという事だから。 自公圧勝の要因は、@今のところアベノミクスの効果が出て円安・株高方向に動き国民が安倍政権ならもしかしたら 景気が回復するのではという期待を抱き始めているA民主党政権の裏切り・3年半にわたる失政→自公政権に代わる 受け皿が野党の中にないから。民主党はどうするのかな、解党して他党からも選りすぐりのメンバーを集めて新党を 作るしかないと思うけど。 7月21日 有田工業高校 甲子園出場 今日は朝からずっとモモとチビは冷房の効いた僕の部屋に置いてある猫タワーの上、これでリンも加え我が家の猫3匹 僕の部屋に揃い踏み。途中で二度モモとチビ2匹が連れ立って部屋を出て行ったがすぐに戻ってきた、おそらくオシッコ &水飲みだと思うが。猫も嫌がるほど今日は暑かったという事だろう。 そんな灼熱地獄の中で午後1時から夏の甲子園佐賀県大会の決勝戦、我が町唯一の高校 有田工業高校と4年前に 出来たばかりの私立の中高一貫の進学校 早稲田佐賀の戦い。実は僕はこの決勝戦をあまり期待していなかった、 我が母校の2回戦/3回戦/準々決勝・準決勝の1試合を見ていて佐賀県の高校野球のパワー不足を感じていたから(外野が 前気味に守っているのに外野の頭を超す打球が一球もなかった)。けれど試合を見始めると僕の見方は一挙に変わった。 有工のピッチャー古川は佐賀県No1投手の噂にたがわぬ本格派でストレートで三振が取れる、フェンス越えの ホームランも打ったという。その古川投手に対して早稲田佐賀打線はシャープに振って反対方向を狙う作戦。有工 打線も30イニング無失点の早稲田佐賀の好投手に対し外一辺倒のピッチングの時は反対方向に打ち内側を責め始めたら 引っ張るという見事な攻撃だった。 決勝戦は追いつ追われつ見ごたえのある試合だった。8回表に早稲田佐賀が有工の古川投手を打ち込んで3点を取って 5-4と逆転、有工は9回裏2アウトランナー無しから3番・4番・5番・6番の4連打で同点に追い付き10回裏またもや2アウト ランナー無しから1番・2番・3番の3連打で1点をもぎ取り試合を決めた。 有工は初めての甲子園、でも今日みたいな試合をしてくれたら甲子園での勝利も夢じゃないと思えた。今日はテレビで この試合を見て僕も浮かれた気分にさせてもらった。 7月20日 不満を漏らす 朝のケアの時の訪問看護師さん(僕のお気に入り?)から午後の車椅子移乗の時間は所長が来ると聞いていたので、その時 最近のイライラを所長にぶつけてみようと思った。最近の僕のイライラの元は僕と相性の悪いとある看護師さんの 言動、最近はその人の顔を見ているだけでもイライラする様になってきた。この調子じゃあ近いうちに「もう帰れ」と 怒鳴り散らしてしまう、早めにガス抜きをしなくちゃ危ないと思い所長に不満諸々を話す事にした。 正午過ぎから不満タラタラをパソコンで書き始め書き終わったのは3時前、車椅子に座らせてもらった後パソコン画面を 所長に見せ二人で「難しい。」と呟きあった。所長に愚痴った事で僕の気はちょっと晴れたが…。この事がこれからの 訪問看護にどんな影響を与えるか、これも難しい問題になるかなあ。 7月18日 車椅子移乗介助 木曜日と土曜日の車椅子移乗介助は訪問看護師さんとヘルパーさんがやってくれる。木曜と土曜のヘルパーさんは 異なる介護事業所のヘルパーさん、その上にこの1-2カ月の間に両事業所とも新しいヘルパーさんが僕の介護クループに 加わった。そのためその新しいヘルパーさんたちが車椅子移乗介助の補助役のやり方を一からまた覚えてもらわねば ならなくなった。そのヘルパーさんたちが僕を上手く移乗してもらえる様になるまでにまた時間がかかるな。たとえ ヘルパーさんが異常に慣れてくれたとしても僕と相性の悪い看護師さんの時はヘルパーさんもそして僕も 苦労するだろうな、一人だけ極端にやり方が違うから。辛いな!。 7月16日 リン 回復か? この数日リンの元気がなかった。嫁さんによると「リンは熱中症で弱っている様だ。」と、それで土曜日の夜に 嫁さんがリンを冷房の効いている僕の部屋に連れてきた。あれからまる三日ずっと黙って眠ってばかりいたリンの 鳴き声が聞こえる様になりネットワークカメラで見ても動きが出てきた。少し回復してきたかな。 それにしてもモモとチビは相変わらず朝晩は走り回るほど元気なのに何故リンだけがこのところの暑さに弱いのか。 嫁さんによるとアメリカンショートヘアーのリンの毛並みは上品で長いから熱が体に籠るからだと。 そんなもんかな。 7月15日 海の日? 今は不可解なものが祝日になっている。その一つがそう海の日、全く意味のないつまらない日を祝日にしたものだ。 その上ハッピーマンデー適用日と来ている、お陰で今日は訪問看護も訪問リハビリもお休みだ。つまらない日だ。 だけどヘルパーさんはケアに来てくれる。でも当地のヘルパーさんは痰の吸引はしない。だから折角洗顔・清拭・ 下洗いをしてくれるんだけど痰が溜ってくる度に吸引のために嫁さんを呼ばなければない。実に面倒だ。いつに なったらこの辺りにも痰の吸引をしてくれるヘルパーさん・介護事業所が現れるのかな?。それまで僕の在宅生活は もてるかな?。 7月14日 猫タワー 折角買ったキャットタワー、入院中に「モモもチビもタワーに登って遊んでいる。良かったね。」と嫁さんから 聞いてはいたが、どんな風に遊んでいるか自分の目で見たくなったので上の息子に頼んで昨日のうちに猫タワーを 縁側から僕の部屋へ持ってきてもらった(今日明日と連休で訪問看護も来ないので邪魔にはならないと思って)。 猫タワーのてっぺん(140cm)に嫁さんや息子たちがモモやチビを置くとしばらくは一緒に仲よく遊んでいた。けれどもう 2匹とも猫タワーで遊び飽きていたのか少しするとタワーを下りて行った。でもモモもチビもタワーがここにある事は 覚えただろうからまた遊びに来てくれるだろう。来てくれるかな…!?。 7月12日 退院した日は 退院した日家に着いても猫たちの出迎えは残念ながらなかった。病院の冷房による冷えにこの1週間僕の身体が 慣れきったためか自分の部屋に入っても部屋の中が暑いのか寒いのか分からなくなっていた。でも部屋に入って少し 経つと身体が冷えてきて寒々してきたので冷房を1℃上げて設定温度27℃にしてもらったら今度は暑くて堪らなくなって 我慢出来なかった。どうしたらいいのか…。これじゃあ僕自身の部屋に僕の身体が慣れるのに1週間ほどかかりそうだ、 全く情けない。 嫁さんや息子たちがモモやチビを連れてきて僕のベッドに乗せてもすぐに逃げてゆく、ああ無情!。 7月5日−12日 レスパイト入院 今日から1週間の予定でレスパイト入院。 病院に着きいつも入院している神経難病病棟のいつもの病室に車椅子で移動、でも今回のベッドは窓際、僕の苦手な 昼夜の寒暖差のある嫌な所だ。まあ病棟側は今回1週間と短いし景色の見える窓際の特等席を用意したつもりかも 知れないけどね。 ナースコール用のオーバーテーブルの下の梁に貼り付けた足の甲で蹴り上げるスイッチは何となく不調、第一に結構 大きいスイッチなのにある部分をピンポイントで上手く蹴り上げないとコールが鳴らない、第二に強く蹴り上げて スイッチをテーブルの梁に押し込まないとまたもやコールが鳴らない。第三に脚が以前ほどあげれなくなったので スイッチに足の甲or親指をくっけていなければならなくなった、おかけで足のスイッチに接している部位が痛い。 入院して四日目の月曜日に作業療法士の方がスイッチの手直しに来て下さったが、あれこれ説明するのが面倒臭く なったのでつい「ピルケーススイッチを使ったら」と口走ってしまった。ノートパソコン入力用に家から持ってきた ピルケーススイッチに替えてからはナースコールは好調、あまりにもオーバーテーブルの底の梁に貼り付けた ピルケーススイッチの感度が良過ぎるので右脚を上げる運動にならないと足からスイッチを少しだけだが 離してもらったほどだった。 今回も入院中初日に胸のレントゲン/心電図/尿検査を受け4日目に血液検査を受けた。結果は…???、主治医に 知らされていないという事は処置が必要なほどの異常はない・大丈夫という事だろう。 リハビリはあのナースコール用スイッチを見に来てくれた作業療法士さんがやってくれたがこのSTさんと僕とは歴史が ないので力加減が不満足、だから水曜日にわずかしか入らない力だが腕を伸ばす力と脇を締める力を入れてみせ 木曜日には膝を伸ばしてみせた。そのおかげか木曜日は膝の筋力運動も加えてくれた。それでも僕はまだ不満足、 思いっきりは万歳をさせてくれないから。ノートパソコンは今回も病室に持って行ったものの使わなかったなあ。 僕のベッドから見える患者さんは正面の七福神の福禄寿みたいなOさんと斜め右のまだ若いY君。Oさんとは前回の レスパイトの時も最初の2-3日一緒の病室だった(正面)。その時も感じたが今回もOさんやOさん夫婦を眺めているだけで 幸せな気分になれた。Y君は看護師さんとお母さんが話しているのが聞こえてきたのだが8日の月曜日に気管切開の 手術を受けるとの事。だからその前に「(僕と)話がしたいとY君とY君のお母さんがおっしゃってます。」と手術の前日 7日の日曜日にT看護師が伝えてきた。初めはこれから気管切開する若者に僕が何が言えるのかと消極的な気分だったが それでも会ってみる事にした。そしてその夜Y君とお母さんが僕のベッドサイドに遊びにきてY君から「気管切開の手術を した後は痛かったですか。」「気管切開をした後は痰が溜るとどういう感じになりますか?。」と率直で素朴な質問が 飛んできてまいった。その夜から僕とY君は友達になった。翌月曜日の正午前Y君は手術のため病棟を移動、夕方僕や Oさんの元に複数の看護師さんから「手術は無事終わった。」と報告があってこの病院では気管切開の手術は 手慣れたものと心配はしていなかったものの僕もひと安心。そして次の日(火曜日)の午後Y君はこの病室に戻ってきたが 傷口(気管切開部)にかなり強い痛みがある様だった。それでも翌水曜日開始、それに驚いた事に木曜日人工呼吸器を 同機種・同じ設定のものに交換するという。同機種/同設定の人工呼吸器でも機械個々に癖があり空気の送り込み方が 個々に少しずつ違うのに、4日目に交換というのはかなり無茶だ。医師もその辺は解っていないしメーカーは認めない。 Y君の場合は交換後SPO2が下がったというし「回路外れ」のアラームも時々なっているらしい。僕は呼吸器を元に 戻すべきだと思うのだがそんな事を言う権限は僕にはない。みんなY君のその日の熱発の陰に隠されたまま…。今日12日 金曜日に僕は退院、今日午後2時からこの病棟では七夕会が開催される、でも訪問看護師さんが昼から用事があるとかで 11時に病院に迎えに来る。Y君はようやく解熱剤が効いたのかようやく37℃を切ったとの事で、これで退院する時に Y君に挨拶して帰れるとひと安心。そして帰る時いろんな想いを込めて「またね」と挨拶出来た。 家への帰路訪問看護師さんが孔雀園までドライブしていこうという。久しぶりのドライブ、嬉しかった。 7月4日 入院前日は忙しい? 入院の前日はとっても忙しいはずなのだが…、今回は何もやる気がしない。とりあえず緊急分のメールは打った、 Facebookに明日から1週間の予定で入院する事も投稿した、データの整理は今回はしなかったがバックアップだけは今 取っている。最低のやる事はやった。でも心は満たされてない。何故!?。 7月3日 猫バカ 嫁さんは僕の事を猫バカと呼ぶ。そう呼ばれついでに籐製のキャットハウスを買った。でもモモもチビもハウスの 中には全然入ろうとしない。「下が硬いからよ。」と嫁さんが言ったのでハウスの中に敷こうと藁座布団(実はコーンの 皮製)も買った。それでモモがたまには入る様になった、ついでにリンも。「それよりも猫タワー買ったら、爪とぎも 出来るし。」と嫁さんから提案、その猫タワーが今日の昼前着いた。嫁さんが組み立てたのを見ると結構でかい。 みんな遊んでくれるかな。 7月2日 訪問歯科 火曜日の昼2時からは訪問歯科の日。先週歯間ブラシで掃除してもらった時に出血した左奥歯上の一番奥とその手前の 歯の間の歯茎が腫れている様で2-3日前から痛みがあった、特に内側が。その事を事前に嫁さんに告げ歯科衛生士さんに 「左上奥に違和感がある。」と伝えてもらったら、歯科衛生士さんが左奥歯を診てくれて「歯茎が少し赤くなって いますね。先生に来てもらいましょう。」と僕に告げた後先生に連絡してくれた。僕としては今週末からレスパイトに 入るのでそろそろ歯科医に診て欲しいなと思っていた。 先生が来る前に歯科衛生士さんが歯間ブラシ・歯ブラシ・スポンジブラシで僕の歯を丁寧に磨き上げてくれて先生の 到着を待った。やがて先生登場、僕の左奥歯を診て「歯茎の腫れを抑えるため抗菌剤を塗りましょう。」と言って 細いシリンジで痛みのある歯間/歯と歯茎の間に薬を注入、「シリンジの中の薬が無くなるまで数時間ごとに 続けてください。」と嫁さんに薬の注入の仕方を教えていた。訪問歯科の皆さんが帰った後しばらくしたら左奥歯の 違和感が消えた、即効性のある薬だったのだろう。訪問歯科の皆様、お世話になります。 7月1日 新車購入? 朝のケアの前訪問看護師さんと嫁さんとが話す声が聞こえてきた。「外のアクアは代車ですか?。」と看護師さんが 聞くと「買い替えたの。」との嫁さんの答え、たしかに前回のレスパイト入院中に嫁さんから「VOXYは燃費がかなり 悪いし今度の車検の時にはタイヤを買い替えないといけないからハイブリットに買い替えたい。」と相談を受けた。 嫁さんは初めウェルキャブを考えていた様だが、「もう家の自動車に僕が乗る事はない(諸々の理由から)」と僕が 拒否した。嫁さんはTOYOTAの販売店からプリウスを勧められていた様だが障害年金をもらっている家には分不相応と 1ランク落とす様告げた。その結果嫁さんはAQUAに決めたという事だった。 そのAQUAがもう来たという事かな、なんにも聞かされていないのに。寂しいやら情けないやら。それに最後ぐらい もう一度家の自動車でドライブしたかったなあ。 |
6月 6月30日 娘 一時帰省 昨日の午後娘が一日だけ帰省してきた。娘が帰ってきたら脇机の中にどんな物が入っているか見せてもらって一品一品に ラベルを貼って整理してもらうつもりだったが…、言い出せなかった。まあ時間もなかったし、なあ。不思議な事だが 娘が家に帰って来てからモモとチビが僕の部屋に寄り付かなくなった。もしこのままモモやチビ僕の部屋に 来なくなったら…、寂しいなあ。 そして今日の午後2時前娘は戻っていった。娘が家に居たのは、本当にまる一日…。 6月28日 サクランボ 会社に勤めていた頃の職場の後輩Mから今年もサクランボが送ってきた。Mがサクランボを送ってくれる様になってもう 10年近くなる。僕はこのサクランボを見る度に毎年勇気付けられ僕を見ていてくれる人がいるのだからまだまだ 頑張らねばという気を起こさせてくれる。 僕がMと仕事の上で実際に接していた期間はたしか1年余り、上司が僕ともう一人の同期にそれぞれ新入社員を付けて 仕事を教えろという事だった。でもMはもう一人の下に付いたし僕との接点は飲み会ぐらいで大した世話は出来てない。 仕事を離れてはゴルフに複数回も付き合ってもらったし1996年秋に6週間検査入院していた時に職場で唯一私的に 見舞いに来てくれた。 そんなMに世話になってばかりいた僕をMは今でも励ましてくれている。ありがとう、そして何もお返しが 出来なくてすまない。 6月28日 耳から血が 右耳から少し血が出ているらしい。確かに水曜日入浴車の後に耳掃除をしてもらった時に右耳の奥に一瞬痛みが走った。 だけどその時は血が出るほどの痛みとは思わなかった。けれど夕方嫁さんが僕の様子を見に来た時に「耳から血が 出ている。どうしたのか?。」と言いながら右耳の血を拭いて見せてくれた。見たところ耳から出たちの量は僕は 大した事ないと思った、3時間の間に右耳からじわじわと出てきたのだろう。だから血はすぐに止まると思っていた、 まあ血を見たからか不思議?な事にそれから時々右耳の奥に少し痛みを感じる様になったけど。 ところが今日の朝のケアの時訪問看護師さんが「右耳から少し血が出てる。」と指摘あり、まだ血が出ていたんだ。 それで午後の往診の時掛かりつけ医のT先生に右耳の中(外耳)を内耳鏡で見てもらう事にした。 T先生に見てもらった結果「8時の方向に裂け傷がある。」と、ただ「専門外だから耳鼻科の先生に治療の仕方を聞いて 連絡を入れる。」との事だった。T先生から連絡があった処置の方法は、ガーゼの先にオキシドールを付けて耳の中の 傷の所に当たる様に入れ込むだけ、耳の中に溜っている血はガーゼを伝わって外に出て傷はその内治ると。 訪問看護師さんにオキシドールを付けたガーゼを右耳の中に入れてもらったら最初の一瞬だけだがシュワシュワした。 その時耳の中の傷が消毒されているんだなと感じたよ。 6月27日 モモ 戻る モモが正午前避妊手術から帰ってきた。嫁さんが動物病院の先生から「避妊手術をしたら性格が少し狂暴になる。」と 言われたらしく帰ってきた後モモがチビやリンに対してどんな対応をするのかとそれを聞いて僕はまじで 心配していたが、モモはチビに対しては今までと変わりなく優しく接していた(僕はネットワークカメラでモモ・チビ親子 2匹の様子をずっと見ていた)。仔猫には優しく接しているモモだが手術疲れが出ているのか走り回るほどの元気はない、 窓際のプリンター台の毛布の上でしょっちゅう横になっていた。大変だったのだろうなあ。 モモのお腹には手術の跡がくっきり。モモは抜糸が済むまでは外に出る事は禁止と、かわいそう。それにモモは 避妊手術と一緒に中絶手術も受けていた。モモのお腹の中には仔猫が4匹入っていたそうだ。不甲斐ない飼い主で 本当にすまない、モモ。 6月26日 チビが脚の間に 夕方チビが初めて自分から僕のベッドに上がってきて僕の足の間でしばらくの間だが遊んでくれた。今までは嫁さんや 下の息子がどんなにチビを僕のベッドまで連れてきてもチビはすぐベッドから下りて逃げて行ってしまう、たぶん チビはモモがいないから寂しくて気まぐれで遊びに来ただけだろうが。チビが僕の脚の間にいたのはわずか15分 足らずの時間だったが僕はとっても嬉しかった。それで僕は嫁さんに写真を撮ってもらったが…。チビはまた僕の所へ 遊びに来てくれくれるかな。 6月25日 モモ、避妊手術 今日はどうした心境の変化かモモとチビが10時前から僕の部屋へ来てパソコンデスクの向こうの窓際で一緒に仲良く 遊んでいた(らしい)。朝のケア・1時間の車椅子移乗を終え午後1時前にノートパソコンをセットしてもらって ネットワークカメラで[モモ]で登録しておいたボタンFをクリックしてカメラを窓際に向けると、プリンター台の上で モモとチビが仲良く眠っていた。でも今日に限って何故???、やはりモモも今日は何かあると感じ取って僕に助けを 求めに来ていたのかな。すまない、モモ。 夕方嫁さんがモモを避妊手術を受けさせに連れて行った。避妊手術は日帰りでも出来るそうなのだが、朝絶食する 必要があるのとモモの手術後の体調の安全を図るため動物病院に二泊させる事にした。嫁さんがモモを動物病院に 連れて行った後チビは「ミャーミャー」鳴きながらしばらくの間そして時々モモを捜していた。病院から帰ってきた後 モモはこれまでと変わらずにチビを可愛がってくれるかな、心配…!?。 モモ、1回しか子育てさせてやれないダメな飼い主でゴメンな。 6月23日 猫が僕の部屋に寄り付かない 我が家の猫モモもリンもチビもなかなか僕の部屋に寄り付かない。午後お袋が車椅子に仲よく寝ていたモモとチビを 縁側から車椅子ごと僕の部屋に連れてきてくれたがしばらくいて逃げた。どこに行ったかなと思ってちょっくら部屋に 来た上の息子に「モモはどこにいる?」と聞くと「縁側で仔猫と一緒に伸びてる。」と。どうやらチビは僕の部屋が 嫌いらしい、人工呼吸器の音を恐れているから?。それでもモモとチビが部屋から部屋へと走り回って遊ぶ時たまに 僕の部屋に入って来る様になった。それだけでも良しとしなければ、なあ。 6月21日 通院日(嵐の中?) 今日は台風の嵐の中の通院で最悪、かなと思っていたら台風4号が東シナ海で温帯低気圧に落ち正午に家を出た時には 雨は降っていたもののさほど激しくなく風もほとんどなし。けれど病院に着いてからが嵐のせわしさ。 梅雨が本格的になってきたためか患者さんが多くて入る救急処置室が空いてなく廊下で待つはめに(予約は 入っていたのに)。その時僕が思った事、病院は寒過ぎる。少ししていつもの処置室に入り車椅子に座ったまま バイタルを測りストレッチャーに移りそのまま腹部CT検査に、ほぼ隔週で来る右脇腹の痛みの原因を調べるため。 そしてすぐに処置室に戻って検尿検査、しばらく待つと主治医が来て診察と処置をしてもらった。その後主治医から CT検査の結果を教えてもらったら、疑い通りの結果と想定外の結果を告げられた。なんと身体の中に宝石が二つ、4mmの 尿路結石と胆石があるとの事。ガーン、何たる事だ、ショック!!。 リフト車の車窓から見る風景は、田んぼの大部分でもう田植えが終わっていて、なんとなく僕の気持ちもひと段落。 県境を超えて拡幅工事現場を見て「歩道の舗装作業、全然進んでないじゃないか!」と腹が立ったが、しばらく行くと 2週間前ローラーカーで土固めしていた部分の歩道のアスファルト舗装は終わっていたので安心した。あと残り50m、 早くやれよ!。 6月19日 忙しい水曜日 今日は11時から訪問リハビリ/12時から訪問理容/1時過ぎから入浴車のスケジュール、昼間はとっても忙しい日だ。 訪問リハビリでは理学療法士の先生に手脚のマッサージ・屈伸運動をしてもらった後今日も脚と首に装具を着けて いつもの様に3回(×30秒)立たせてもらった。だけどこの頃日によって膝に力が入ったり入らなかったりそれに腰に 上半身が上手く乗っからないなと感じる事が多くなった。体重も相変わらず増加中だしいつまで出来るかな?。 訪問理容はいつものKさんとNさん、Kさんには僕が健康老人施設にデイケアに通っていた頃からお世話になっていたから かれこれ12年になる。いつもは完全お任せなのだが今日は珍しく注文を付けた、「鬢を短めに切って」と(暑くなって 鬢も痒かったから)。それをKさんは全体的に短くと判断したのだろう、せっせせっせと鋏&バリカンを入れた。散髪の後 嫁さんが来て僕を見て「結構短く切ったじゃない。」と、まあ僕はどうせ見えないし夏だから、いいんじゃない!。 けどエアコンの風が頭に当たって冷えるなあ。 それから4-50分して今度は入浴車、新婚ほやほやのスタッフY君が「(結婚式)無事終わりました。緊張しましたよ。」と 僕の顔を見るなり報告してくれた。今日のスタッフの井戸端会議の話題は社協で懸賞?に応募するという営業車の話、 だけど聞いてても話の内容はよく分からなかった。今日の浴槽のお湯の温度は42℃で入れているらしいがちょっと ぬるめ、エアコンが効いている影響かな?。いつもより少し長湯をさせてもらった。入浴の後しばしうとうと、 それから嫁さんに塩水を少しずつ飲ませてもらったが100ccも飲んでないのに満腹感。全くなんてダメな身体なんだ。 6月17日 モモと仔猫(仮称 チビ) 今日車椅子に座っている時に初めてモモとチビが連れ立って一緒に仲良く遊ぶのを見た。モモのあとをチビが ついて回りチビがいなくなるとモモが探し回る、全く仲の良い親子猫の様に見える。嫁さんによればモモがチビに 色んな事を教えているんじゃないかと、本当に嬉しくなってくる。お礼にキャットハウスを買ったよ、これがあれば ヂビもモモも僕の部屋に遊びに来てくれるかな。 最後の仔猫(3匹目)が引き取られた日から足を引きずり元気をなくしていたチビも最近元気を取り戻しモモと一緒に 廊下を走り回っている。そして昨日から二日連続でチビがモモと一緒に昼間リンのいる縁側に置いてある車椅子の上で 昼寝をする様になった。これはリンがモモやチビと仲良くなる前兆かな。そうだったら嬉しいのだが。 6月16日 父の日 今日は父の日という事で大学2年になった娘がアルバイトをして貯めたお金でプレゼントを贈ってくれた、1輪の黄色い バラとパジャマを。本当に嬉しかった、少しばかり涙がこぼれた。 僕が子供たちに父親として実際の行動で接する事が出来たのは、娘と4年/上の息子と2年/下の息子とは残念ながら ない。娘も当然上の息子にも僕と遊んだ記憶はないだろう。僕は下の息子が生まれた頃には腕にはあまり力が 入らなくなっていて下の息子は抱っこすら出来なかった(胡坐をかいて組んだ脚の上で遊ばせるだけ)。ALSを 発症していなかったら せめて発症があと5年遅かったらもっと子どもたちと思い出作りが出来ただろうに、 と何度思った事か。 6月14日 尿意と右脇腹の激痛 今週の初めから何度おしっこをしてもいつもおしっこをしたい気分、その上昨日の午後車椅子に座らせてもらった際に ベッドに戻る寸前に週に一度の例の脇腹の痛みが襲ってきた(今回の痛みは2週間ぶり)。まだ訪問看護師さんと ヘルパーさんがいてくれたので検尿用の尿を採取した後身体を左横向きにしてもらった。幸いしばらくしたら右脇腹の 痛みは消えてくれた。我が家の掛かりつけ医の先生の検尿の結果 尿路結石の疑いがあると、ガーン!。昔勤めていた 会社の同期の友人が若い頃尿路結石を患った。石がコロンと出るまでものすごく痛かったと聞いた事を思い出した、 ショック!!。 そして今日は掛かりつけ医の処方してくれた薬が効いたのか朝から必要以上の尿意もないし右脇腹の痛みも出なかった。 尿の回数があまりも少なくなったので掛かりつけ医の往診の時に薬の休止を申し入れたほどだ。ところが午後9時前から だんだん右脇腹が痛みだし10分後には我慢できない痛みに。なんなんだ、全く。右脇腹の痛む間隔は今までずっと 1週間は間があいていたのでしばらくは脇腹が痛む事はないと踏んどいたのだが、なんて事だ、信じられない。やっぱり 次の外来の時に下腹部のCTを撮ってもらって何らかの対処をしてもらわねば。7月5日からまたレスパイト入院だから それまでは入院だけは何とか避けたいものだが…。 6月12日 モモも仔猫も僕の部屋が嫌い? 最近嫁さんが掃除機をかける際仔猫がいつもいる居間を掃除する時に仔猫の入っている段ボール箱を僕の部屋に 運んでくる(モモも心配?で付いてくる)。最初は親子でミャミャー呼び合っているが5-6分もすると親子2匹の鳴き声が いつも聞こえなくなる、僕の部屋から出て行った様だ、いつも いつも。モモも仔猫も僕の部屋が嫌いなのかな。僕は 何もしていないのに、寂し〜い!?。 仔猫の名前を早く決めてやらなくてはかわいそう。僕はクロ(黒のキジ猫だから)と提案したがあえなく却下。なら、 何にするんだよぅ。ミミもメスじゃないのにおかしいと却下されたし。 6月11日 サッカーW杯 アジア地区 最終イラク戦 今日のW杯サッカー最終イラク戦の中継は夜11時15分からだったので前半だけ見て寝るつもりだった、なんせブラジル W杯出場は4日のオーストラリア戦の引き分けで決めていて安心だったから。今日のイラク戦は長谷部はいないけれど 前半に1点は取ってくれるはずと思って前半だけを安心して見るつもりだったがなんと前半から60%以上イラクに ボールを支配されっぱなし、これじゃあ日本はとても点を取れそうもないとつい点を取るまで見てしまった。 今のままじゃあW杯で決勝トーナメントに進出するのも難しいかも、と思ってしまった。明日はかなり 眠いだろうなあ。 6月9日 お別れ 昨日の夕方3匹目の仔猫が引き取られていった。新しい飼い主さんは猫籠を持って引き取りに来たという事だから猫の 世話には慣れてる方の様だ。幸せにしてくれると思う。 お別れの直前(記念)写真を撮ってもらった。僕の部屋で仔猫たちと一緒に過ごしたのはたった5日間だったが、それでも 可愛いしいとおしいし別れはやはり寂しい。写真を撮った後仔猫が机の陰に隠れて出てこなかった、この仔猫もモモや 姉弟(兄妹?)から離されると感じていたのかな。 「今度はモモも仔猫を捜しているようね。」と嫁さんから聞いたしうちに残っている仔猫も眠ってばかりいるそうだ。 そういえば今朝は階上からいつもの仔猫の走り回る音が聞こえなかったなあ。やっぱり寂しいのだろうな。 それでもこの仔猫があまりにも元気がないし餌も食べない/足も引きずり気味で怪我をしている様なのでみんなが 心配になって嫁さんが動物病院に連れて行ったところ、(どこにあるかは分からないのだが)足の傷口からばい菌が 入ってしまってねつが40℃にもあがっていたそうで抗生物質を筋肉注射してきたという事だ。これでまたこの子が 元気になってくれればいいのだが。 6月7日 通院日 今日は通院日、訪問看護師さんたちに車椅子に移乗させてもらいリフト車に乗り込んでみる車窓からの風景はもう派手な 色の花はほとんど見えなくてわずかに街路樹のツツジの花がわずかに残っているだけ。田んぼも半分近くはもう水が 張ってあって田植えを待つのみ。県境の拡幅工事現場は相変わらず歩道の舗装はまだ、この2週間工事は全然 進んでいないんじゃないかと最初は少々怒りを覚えたがよく見ると歩道の一部に盛り土をして歩道幅の中型の ローラーカーで押し固めてあった。なるほどこれなら時間はかかるだろうが2-3人の工事夫で歩道の舗装工事だけなら 終わらせる事が出来る。でもこれで拡幅工事の完成はいつなのか?。その後しばらく行くと、あれれ波佐見高校入口の 万年橋工事中の看板が無くなってる。この万年橋架橋拡幅補修工事もかなり長かったが遂に完成か。通ってみたいという 衝動に駆られたが黙っていた。 病院に着くと救急処置二号室に入りストレッチャーに移りバイタルを測定、しばし主治医を待つ。間もなく主治医が来て 診察とカニューレ・胃ろうのバルーン水交換/人工呼吸器をチェック、僕の主治医にしては大変珍しい事だがカニューレが 1度で入らなかった(初めて?)。その後嫁さんが僕の腸へのガスだまりによる腹痛について相談、主治医から「胃ろうに ガス抜きチューブをつないで開放しておいて時々お腹のガスを抜いたらどうですか。」とアドバイスを受けた。 主治医の診察を終えて帰る準備に入る、今日は脚と首に装具を着ける時外来の看護師さんたちはどうするのかと 思っていたら僕がいつもレスパイト入院している神経難病病棟の看護師さんを装具の着け方を教えてもらうために 呼ぶと言う。しばらくして病棟のK看護師が来てくれて装具の着け方を指導、してもらうのかと思っていたら外来の 看護師さんはK君にまかせっきり、その上次の通院の時も頼むと言っていた。外来の看護師さんのその主体性のなさに 僕はもう呆れてしまった。なんたる事だ!。 6月6日 また腹痛 昨晩経管栄養の終わり頃になってまた右わき腹が痛み出して、経管栄養が終わった頃にはたまらなく痛んで…。鎮痛剤を 入れてもらって嫁さんに身体を横向きにして両膝を曲げた状態にしてもらっていたら少し楽になった。 レスパイトから退院してから毎週中日に下腹に今日の様な激しい痛みが走る。嫁さんがお腹を触診してみたらガスが 溜ってお腹がかなり張ってると、たしかに退院して以降おならの出が悪い。どうして急に体質が変化したかは 分からないが、とりあえずしばらくは弱い下剤を服用して腸の中のガスを減らしていくしかないようだ。 仔猫が生まれて今日でちょうど2カ月が経った。階上の上の息子の部屋からは毎日朝早くから仔猫たちの走り回る騒がしい ドタドタする音が聞こえてくる。でもそれも今度の日曜日で終わりでしょだろう、下の息子の友達が次の日曜の夕方 引き取りに来るらしいから。うちに残る黒のキジ猫、それでも元気に暴れてくれるかな。モモに突っかかってばかりの リンが仔猫と仲良くしてくれるかな。 6月4日 W杯サッカーアジア最終予選 オーストラリア戦 今日はW杯サッカーアジア最終予選 オーストラリア戦、テレビ朝日系列では(うちの地方のケーブルTVはKBC)この2週間 中継の番宣がものすごかった。あれは少しやり過ぎだよ。 テレビでは6時半から中継、でも実際の試合は7時半から、1時間も前振りがあるとは思わなかった。オーストラリア戦は 最初からハラハラドキドキの試合、日本はパスサッカーでコツコツ攻めてゴールを狙うがオーストラリアは縦パス一本で 日本のゴールを襲う。日本は2-3回はかなり惜しい攻撃もあったが相手のゴールキーパーが上手かった、日本の鋭い シュートもしっかりとキャッチしこぼしもしないし香川のシュートも片手で止めた。しかし後半35分過ぎの オーストラリアの攻撃でふわっと浮かしたクロスボールがキーパー川島の精一杯伸ばした手をすり抜けて日本のゴールに 滑り込み不運にも1点を奪われた。正直これで日本が負けたと思ったが…、アディショナルタイムに ショートコーナーからの本田のクロスが相手ディフェンスの腕に当たりPKをもらう。そのPKを本田がど真ん中に決め 1対1で試合が終わった。 この試合の引き分けで日本は勝ち点14となり2014年サッカーワールドカップブラジル大会出場を決めた。 良かった!。 6月3日 風邪ひいたかな? 昨日は朝から一日中鼻づまりに苦しめられそれに時々咳が出てその度に口の回りが唾液でぐしゃぐしゃに、だから 用心のために夜の薬と一緒に風邪薬(PL)を入れてもらった。その効果が出たのか今日は鼻づまりも咳も収まったが PL特有のだるさが身体に残り頭だけが熱っぽい(訪問看護師さんに体温を測ってもらったが熱はなし)。その上夕方から 左ほっぺがピクピクし始めた。このピクピクまでPLの影響という事はなかろうが…、PLって良く効くけど服用するには 相変わらず難しい薬だなぁ。まだ少し背中のゾクゾク感は残っているし頭もちょっと痛い。気を付けようっと。 体調もうひとつの原因は?って考えたら、やっぱりカニューレかな。前回のカニューレは空気の入りが悪くってちょっと 息苦しいかなって気がしてた。でもその文肺が冷えなくて掛け物を少なくしていられたけど、金曜日交換した カニューレはいつも通りで肺が冷え冷えするもんな。油断したなあ。 6月2日 仔猫の引き取り、再延期 嫁さんから昨日「明日(日曜)の夕方仔猫を引き取りに来る。」と告げられていたのでテレビでの野球中継(セパ交流戦 阪神vsソフトバンク、ソフトバンクが投手の継投ミスで負けた、秋山監督へ「9回で千賀投手を使うくらいなら7回表 阪神の攻撃ノーアウト1-2塁でどうして千賀に代えなかったの、可笑しいよ」)が終わった頃から心の準備を始めていた。 けれど6時半過ぎても引き取りに来る気配がしない。僕の怪訝そうな顔を見て嫁さんが「(相手のうちの)おばあちゃんが いないから次の日曜日の夕方まで仔猫の引き取りが伸びたのよ。」「嬉しかろ。」と言った。 おばあちゃんがいないからという理由は理解不能だが…、ともかく嬉しい。これで2匹の仔猫は生まれてから2カ月間は 僕のうちで過ごせる事になる。この仔猫2匹、僕のベッドの上で遊ばせてくれないかなぁ。 6月1日 体調不良? 今日の調子はもうひとつ?!。昨日訪問リハビリでベッドの縁に座らせてもらった時に腰がいつもより痛かったので 何となくおかしいなと思っていたが、今朝起きてパソコンしていても腰が依然として痛かったし背中がゾクゾクした。 ちょっと風邪をひいて熱が出て手足の関節や腰が痛む時の感覚と感じはよく似ていたが熱はない。どういうこと??。 少し幸いな事は今日は遅くなったとかで仔猫の引き取りが明日の夕方になったって事、これでモモがキジ模様の白足と もう1日一緒に居れる事になった。気休めだけどちょっと嬉しいかな。 |
5月 5月31日 モモ、また発情期? 「(下の息子の友達が)明日の朝9時頃に仔猫を引き取りに来る。」と嫁さんから今朝突然告げられびっくり、今夜一晩で ついにお別れか、改めて寂しさを感じてきた。嫁さんには一応「お別れの前に仔猫の写真を撮って」と頼んでは おいたが…。 最近モモの態度がまたおかしい。息子によると発情期だと、そういえばこの2-3日時々モモのおかしな泣き声が 聞こえていたなあ。しかし仔猫を4匹生んでからまだ2カ月弱、出産と仔猫4匹の子育てでとても疲れているはずなのに また子供を産むつもりなのか、死んじゃうぞ!。かわいそうだが嫁さんが言う様に避妊手術を早めるしかないな。モモが 死んじゃうのは嫌だしまた仔猫が生まれても飼い主を捜す自信はないもんな。情けない飼い主でごめんな、モモ。 5月29日 分かってはいた事だが… 水曜日は午前中に訪問リハビリそして午後一番に入浴車、今日は入浴車のスタッフのみんなの井戸端会議が盛んに 飛び交い楽しかった。 夜嫁さんから日曜日に下の息子の友達が残りのもう1匹の仔猫(キジの足白)を引き取りに来ると聞かされた。仔猫が 生まれた時から分かっていた事だが、2カ月も経たない内にうちに残す予定の(仮称)長靴を残して残りの3匹の仔猫がもう 引き取られてゆくなんて寂しいなあ!?。せめてこの足白キジの仔猫とも引き取られる前に一緒に写真が撮りたいな。 よーし、嫁さんに頼んでみようっーとっ。 5月28日 モモ、その後は? 今日は10時から訪問看護によるケア、引き続き1時間車椅子に座らせてもらい午後2時から訪問歯科が来て口の中の ケアをしてもらった。 モモは仔猫が2匹いなくなって気が抜けてしまったのかそれともただ単に暑いだけなのかは分からないが昼過ぎから しばらく玄関マットの上に眠っていたとの事、残された仔猫たちはすっかりおとなしくなって隅っこの方で静かに しているそうだ。やはり寂しいのかな。 モモの行動で僕にとって嬉しかった事は、レスパイト入院から戻って以来半月以上も僕の部屋へ近づこうともしなかった モモが昨日今日とわずかの間だが僕の部屋に遊びに来てくれた事。子育てに余裕が出来たからかなあ。 5月27日 別れ 茶系と一番キジのはっきりしている仔猫2匹が今日引き取られていった。 モモと4匹の仔猫たちにとって昨晩は一緒に過ごした最後の夜。モモはどうしているだろう・2匹の子猫がいなくなった後 モモはどうするのだろう(もしかして仔猫を捜して家出?or残りの2匹を隠す)・新しい飼い主さんは仔猫たちを心底 可愛がってくれるだろうか…なんて事をずっと考えていたから今朝は寝不足だった。 何にも知らない仔猫たちは今朝も 階上の息子の部屋で無邪気に大暴れしていたが…。 朝9時過ぎに早くも仔猫のお迎えが来てしまいゆっくりお別れする事も出来なかった。でもそれだけ早く仔猫に 会いたかったという事、それに小さな男の子の声が聞こえていたのできっと優しく面倒をみてくれるだろう。 お別れの 前に嫁さんに写真だけは撮ってもらった。 嫁さんに「モモはどうしてる?」と聞くと「 モモは意外とあっさりしている。」との事。嫁さんが言うには「猫は おバカだから数が解らない。(2匹)仔猫が残っていれば捜そうとはしないからそんなに心配する事はない。」と。しかし 僕はモモが自分の生んだ仔猫が4匹いた事は解っていたと思う、だってモモが僕の部屋から階上の上の息子の部屋まで 連れて行った時順繰りに1匹ずつ仔猫みんなを連れて行ったではないか。モモがポーカーフェイスを装っているとしたら モモ自身が幼い時から放浪児になっていたからではないかなあぁ。 それにしても仔猫2匹が引き取られて以後階上から仔猫の暴れる音が聞こえてこない…。 5月25日 仔猫と別れが決まった ここ2-3日モモの元気がない。嫁さんは「子育てに疲れているのよ。」とか「急に暑くなったからばてているのかも。」と 言っていたが…。 その嫁さんから「月曜日に仔猫を2匹引き取りに来る。」と聞かされた。別れが来るのは分かっていた事だが現実を 突きつけられるとやはり寂しいなぁ。 5月24日 通院日 今日は退院して最初の通院日。社協のリフト車に同乗してくれるのはこの前からヘルパーさん1人(今日は1人での同乗は 初めてのヘルパーさんなので主任と2人)、まだ乗車する時まごつく事もあるが訪問看護師さんもヘルパーさんも大分 慣れてきた様だ。車窓から見える路傍の風景は濃いピンク色の鮮やかな花がたまには見えるが咲いている花々はかなり 少なくなっていて、田んぼは小麦色かもうだんだん田植えの準備に入ってきている。県境の拡幅工事現場は?。 2週間前に退院した時と全然変わっていない様に見える、歩道だけ舗装してないまま。何故工事進めないの?。 病院に着き車椅子で救急処置室に入るとすぐに1人の看護師さんが「お久しぶりです。産休が開けて戻ってきました。」と 挨拶してきた。よくよく眺めて見ると以前外来で僕の担当をしてくれていた看護師さん、マスクをしていたのと外来の 担当看護師はよく代っていたのですぐには思い出せなかった。それからストレッチャーに移りバイタルを測定、血圧計が やけにきつく感じたがいつも通りの数値だった。すくに主治医が来てカニューレの交換と胃ろうの固定水の交換、処置の 後吸気の入りが若干弱く感じたが朝から痰の出が悪かったから空気の入りが悪いと判断した。そして主治医が部屋を 出て行った後帰る準備に入ったが不思議な事に看護師さんが脚と首の装具の装着をヘルパーさんにお任せ、 ヘルパーさんが装具の装着に慣れている訳ではないのに。帰路の途中もその事が僕にはどうしても納得出来ず頭の中から 離れなかった。よーし、メールしよう。 5月23日 モモ 最近モモが僕の部屋に近づこうともしない。寂しい…。 5月22日 つばめ、その後 親燕が1羽いなくなった我が家の小屋のツバメたち、6羽の雛たちがどうなるのだろうと本気で心配していたが息子たちに 様子を聞くと「他の親たち(?)がちゃんと世話してるよ。」と。それでも安心出来なかったので「そのうち写真を 撮ってきて」と頼んでおいた。 今朝お袋が嫁さんに「今朝見たら燕がもういなくなっていた。どうやら巣立ちしたよう。」と話す声が聞こえてきた。 上の息子の話によると雛に孵ったのは2週間くらい前、たった2週間で雛が巣立つものなのだろうか。僕は巣の中で 雛たちがのたれ死んで親燕が泣く泣く巣を後にしたのではないかと心配、息子に「巣の中を見てきて」と頼みたいが…、 言えないなあ。 5月21日 デスクトップパソコンを処分 2003年7月に意思伝達装置として申請しほとんどを町から助成してもらって買ったデスクトップパソコンDell Dimension 8300とVAIOの一体型パソコンを処分してもらった、ずいぶん前から起動しなくなっていたので。8300はCPUがPentium4で 1GHz以上またメモリーRAMも1ギガバイト以上あったしWinXP→Win7にバージョンアップすれば何とかなるかなと思って バージョンアップディスクを買ったのだが駄目だった。近所のパソコンを設定する事などを生業にしてる人に修理を してもらった場合の見積もりをしてもらったらメモリー&グラフィックメモリーの増設などで25,000円と、それなりに 妥当で受け入れても構わない値段だったのだけど嫁さんも息子たちもデスクトップパソコンは使いそうもなかったので 処分する事にした。寂しいけど…。 5月20日 下の息子の中学の体育祭 今日は下の息子の通っている中学校の体育祭。本当は昨日あるはずだったのだが昨日は朝から音が聞こえるほどの雨、 朝7時過ぎに「20日に順延」の放送があった。今日の天気は見えないが晴れている様だ。 昨日息子に「何に出る?」と尋ねたら「100m走だけ。」とどうでもいい様なそしてやる気もない様な返事、 見た事ないが息子は走るのは遅い方ではないと思うのたが。僕が中学生の頃は(40年前)200m走と障害物競走は必須で リレーだけが選抜だったのに、今は選抜の競走競技と団体競技が多いそうだ。でも中学生にもなって男子でさえも なぜ100mなの!?。 夕方帰ってきた息子に「どうだった?」と聞くと「疲れた。」との答え、100m走の事を聞きたかったのに。 それにしても下の息子の体育祭、1回ぐらいは見たかったなあ。 5月18日 つばめ うちの小屋に燕が巣を作っている。今までの巣じゃなくて今年新しく巣を作ったらしい。巣には雛が6羽いるそうだ。 今夜親燕が1羽家の中に迷い込んできた、小屋のシャッターが閉まっていたために小屋への抜け道を探して家に入り込んで 来たらしい。お袋と下の息子が懸命に外に追い出そうとしたのだがなかなか上手くいかない。1-2度僕の部屋にも 入り込んできたのだが追い払われて出て行った。僕は「玄関の灯りだけ点けて他の部屋の灯りは消して」と 言おうとしたが間に合わなかった。結局親燕は壁にぶつかって落ちて死んでしまった(と思いたい)。 僕の部屋に入って来た時に追い出さずにそのままにしとけばよかった…と反省!!、朝窓を開ければ自然に 出て行ったのに。それにしても雛が6羽もいるのに残りの親燕1羽で巣立ちまでたどり着けるかな、心配!。僕は何にも 出来ないけれど…。 5月17日 お尻が痛い 昨日便介助をしてもらった際に紙パンツのしわがお尻の真ん中に集まってしまっていたのか夜の経管栄養を入れている 途中から少しずつお尻が痛み始めて夜中3時過ぎに目が覚めた時には痛みがピークに。かといってこんな真夜中に嫁さんを 呼び出して「お尻が痛いからパンツ(のしわ)を伸ばして」と頼む訳にもゆかないし…、じっと我慢・我慢して眠るよう 頑張った。 今朝目が覚めてもお尻には依然として激しい痛みがあった。それでもパソコンをしていたら気が紛れて痛みを 忘れるかもと思ってパソコンを開始、でも甘かったなぁ…、今朝はあまりパソコンを楽しめなかった。8時過ぎ朝の 経管栄養の時ようやく嫁さんが現れてお尻のしわを伸ばしてくれて、…人心地。久々に痛かったなあ!!。 5月15日 入浴車 毎週水曜日は11時から訪問リハビリで昼一番(午後1時)入浴車。今日の入浴車のメンバーは社協で最も若い看護師さん 2人とにぎやかで元気のあるヘルパーさんと真面目なヘルパーさんの4人、今日の入浴車のメンバーの井戸端会議の話題は 何かな、まあ楽しそうなお風呂になりそうだ。 ところがみんな僕を洗うに一生懸命で俗世間の話題はほとんど出ず、その分お風呂は気持ちよかったけどちょっと 寂しいかな…なんてね。こんな事言ったら贅沢だよね。 5月14日 寒い/暑すぎる 早朝パソコンしている時寒気がしたので1枚余計にかけてもらってそのまましていた。そうしたら午後3時過ぎ頃から 突然背中に汗をかき始め1枚取ってもらってももう1枚取ってもらってもまだ暑かった。結局毛布と薄手の子供用掛布団 それと窓を開けてもらって落ち着いた。 全くこの身体は体温管理が難しい。頭では肺が寒いと言っているのに背中や手には汗をかいている。本当にしょうもない 身体です、最近はさらに熱に弱くなったし急に暑く感じたり寒く感じたりするしなあ。 5月13日 リン、遊びに来る 昨日今日となぜだか分からないがリンを僕の部屋へ連れてきた(もちろんゲージごと)、日向ぼっこかなぁ。ベッドで 寝ている僕からはリンの姿は見る事が出来ないから先日取り付けてもらったネットワークカメラ(BL-C111)でカメラの 方向を合わせて覗き見してる。リンは障害児だけど元気だ、カメラで見ていると時々ケージによじ登ったりもしている。 足さえ動く様になれば外だって動き回れるのに。何とかしてあげたいとこなんだけれど…、僕はリハビリも してあげられないしなあ。 入院中リンの後ろ足用車椅子?について色々思案してみた。そしてレゴブロックの自動車用部品やラジコンのタイヤや 車軸のパーツを利用できないかと思いついた。そして今日インターネットで調べてみたら、レゴブロックは強度的に 無理そう、ラジコンのパーツはタイヤ/ホイール/軸受/ベアリング…いっぱいあるのだがどれをどう組み立てたら どうなるのやらさっぱり分からない。安い完成品(中古?)買って分解して見せてもらおうかな。誰かラジコンに詳しい人 いません?。 5月11日 仔猫、可愛い 入院中に嫁さんにモモと仔猫たちの写真を撮っておいてくれるよう頼んでおいた。そして退院した昨日の夕方早速 その写真を見せてもらったがものすごく可愛い。こんなに可愛い仔猫の姿はみんなにも見せてあげなくては。そう思って 今朝から動画と写真をFacebookに投稿、ついでに仔猫の嫁ぎ先が決まった事も書いた(1匹は下の息子の友達/2匹は近所の おばさん:より可愛いのから決めて行った??/1匹は家に残す;よくお袋が承知したなあ)。実は仔猫が生まれたすぐ後に 高校時代の同級生にメールで「仔猫の飼い主を捜して欲しい」とお願いしてて色々あたってくれて、僕の入院中に 「二人ほど飼い主が見つかりそうだよ。」とメールが入っていたのに。僕が嫁さんに「時々メールを見て」と 頼んでいなかったばっかりに徒労に終わらせてしまった。本当に申し訳ない事をしたと思っている。すまない!。 |
4月 4月26日〜5月10日 レスパイト入院 今日から2週間の予定でレスパイト入院、だけどネットが使えないからパソコンを持って行っても面白くない。世界史の 復習とか百人一首を覚えるとかパソコンでやるべき事はいっぱいあるのだが…、気が乗らないな。 11時前に病院に着きいつもの神経難病病棟・病室に向かった。今度のベッドは入り口の近く、僕はどちらかというと 窓際より入口に近い方のベッドが好きだ。何故って手前の方のベッドなら窓際の患者さんを看るために看護師さんが僕の 前を何回も通るから何かあっても歯ぎしりして呼べる可能性があるので窓際より安心感が持てるしそれに気温差が 小さくて体調管理し易いから。病室に着いた時にはもう僕の受け入れ体制は準備万端出来ていて後はナースコール用の スイッチをオーバーテーブルの下に貼り付けるだけ、ありがとうございます。 初日に胸のレントゲンと心電図と血液検査と嫁さんの希望で尿検査を受けた。嫁さんの予想通り尿検査の結果少し血が 混じっていたらしいが経過観察で見ていくとの事、それ以外には主治医から何の指示も出なかった様だし7日目(木曜日)の 回診の時主治医が「(僕の)状態はほぼ横ばい。」と話すのを聞いたし上出来&まあ良しとしよう。 今回も病院にノートパソコンは持って行ったがまたもや利用せず、看護師さんに右足の親指と人差し指の間にピルケース スイッチをどういう風に挟むか説明するのを面倒に感じたから(スイッチの挟み位置の微妙な調整もいるしね)。 この病棟の看護師で僕がパソコンするところを見た事のある者はもう2-3人かな。今回も主治医にリハビリを 依頼しなかった。左脚付け根に動かすと(上にあげてもらった時のみ)少し痛みが走るから休ませる事も必要だと思ったし たとえリハビリをしてもらってもか弱いリハビリなら意味ないなと考えたから。それに看護師さんたちが3時過ぎに脚と 首に装具を着けて一度ベッド脇に僕を立たせてから車椅子に座らせてくれるので膝の力がこの2週間の入院でさらに 弱る事はないだろうという甘い見込みもあった。はたして結果は如何に!?。 今回の入院中は同じ病室の患者さんがよく替わった、その原因は僕にもあるのだが。入院した時の僕のベッドのすぐ前の 患者さんは明るく礼儀正しい老紳士、僕もあのように素直に『ありがとう』の言える患者になれたら…と思ったほどだ。 その患者さんが翌週退院して次に来たのが1週間前に脳障害(脳梗塞or脳卒中?)の発作を起こし記憶障害(近5-6年)と軽い 顔面痙攣の残った患者さん、この方「記憶が戻らない自分なんか化け物」「生きている価値がない」と言い「名前も年も 住んでいる住所も家の電話番号もわからない」「この年になってどうしてこんな目に合うのか、自分がどんな悪い事を したというのか」「今聞こえている叫び声は本当の事ですか?」とか(僕にも聞こえるから現実)「医師が記憶を取り戻す 治療を全然しない、治療法も今のところない」を何度も何度も繰り返す。看護師が「声は現実ですよ」「脳を治療する 薬は点滴の中に入っていますよ」「記憶はリハビリを続けていれば徐々に戻ってきますよ」と何度も丁寧にそして優しく 説明するのだがそれでも何度も何度もぐちぐち繰り返す。記憶をなくして混乱しているのは充分に分かるし同情も するが…、「僕の見たところあなたの身体はこの病棟で最も軽い病状だし(記憶障害はいつ治るか分からないが) 身体の方の治療法は確立されているのだから治療と食事療法を続けていけばあなたの症状ぐらいなら必ず治るはず」 「本当に治療法のない病気があるのをあなたは解っているのですか?」「空気を送る管や栄養を補給するチューブに 繋がれてその上動けない僕はあなたに言わせれば十数年前から超化け物ですね」「あなたの記憶が欠けているのは たかがこの数年の間だけ、奥さんの事も姉弟の事もお見舞いに来てくれた友達の事も55歳で会社を辞めこの町へ 越して来て暮らしてきた事(それ以前を含め)もあなたは覚えている、奥さんの事を覚えていなければ奥さんもあなたも 2人とも大変な暮らしが待っているだろうから不幸だと思うけど不幸中の幸いそれもない」「箸の使い方や歯磨きといった 生活習慣ももうすっかり身体にしみこんで身体が覚えているから生きていく上では困らないじゃないですか、そもそも この病室で普通に箸を使い食事しているのあなただけなのですよ」「ALSを患い動けないでいる僕が何か悪い事をしたと あなたは言うの!、僕は40歳台前半でこうなった 60歳を過ぎるまで何事もなく暮らせたあなたが贅沢言うなよ」 「あなたの身体は十分によくなるのだからたとえこの数年の記憶が戻らなくても奥さんの話を聞きながら新しい 記憶として覚えて記憶のパーツを埋めていけばいいじゃない、そうしている内に記憶が部分的に繋がるかもしれない、 もっとポジティブに考えなさいよ」と心の中で叫び続けていた。そうして丸1日この暗いネガティブ発言を聞いていて僕の 頭の中が切れた。僕は看護師さんを呼んで「前の患者さんは7回病室を替わっているらしいから僕の病室を替えて」と 文字盤で訴えた。しかし前の患者さんが病室を替えさせられた、どうやら人工呼吸器を着けた僕はよほどの事がない限り ナースステーションに一番近いこの病室から移せないらしい。僕は12年以上レスパイトや緊急入院でこの病院にお世話に なっているが病室を替えてと頼んだのは初めて、その自分の不甲斐なさに涙がこぼれた。これをきっかけにそれ以後 4-5人の患者さんが病室を替わったかな。 僕はこの入院期間中に誕生日を迎え55歳になった。一番初めに「今日誕生日ですね、おめでとうございます。」と 言ってくれたのは夜勤の看護師さん、朝一番顔拭きの時に言ってくれた。そして夕方仕事帰りに神経難病・筋ジス病棟の 介護員さんがわざわざ立ち寄ってくれて明るい笑顔と「おめでとう」の言葉を届けてくれた。嬉しかった。翌日の昼過ぎ 嫁さんと帰省していた娘が見舞い来て「お父さん昨日誕生日だったね、おめでとう。」って言ってくれた。55にもなって 誕生日を迎えてもあまり嬉しくはないし食べれない&動けない・動かせないから欲しいプレゼントなんて物もないが…、 「おめでとう」って声をかけてもらうとやはり笑顔になるなぁ。 今回の入院で辛かったのは3-4月の異動で新しい看護師さんが増えコミュニケーションが上手く取れない場面が結構 あった事。この2ヵ月間に病棟に新しく来た看護師さんの数は9人(但し1人はこの病棟の経験者/2人は新人/1人は4月末で 産休)、こんな人事を敢行するなんて異常だとしか思えない。新しく来た看護師さん(新人除く)をこの2週間の入院中に 出来るだけ仲良くなっておこうと努めてみたがやはり難しかった。何回も気長に文字盤を使おうと努力したつもりだが 結局イライラしてダメだった。 退院の日は結構忙しい。10時過ぎに浣腸・便介助をしてもらい終わったらお風呂、しばらく休んで昼の経管栄養をちょっと 早めに入れてもらい2時の迎えを待つ。間もなく嫁さんと訪問看護師さんのお迎えの顔が見えて退院準備、病棟の 看護師さんに車椅子に移乗してもらいそのまま玄関へ向かい介護事業所のリフト車に乗り込んだ。今日の見送りは 看護師さん一人(たぶん)、ちょいと寂しいが家路につく。今回は車中家が恋しくない、何故だろう???。 4月25日 レスパイト入院前日 明日からレスパイト入院、その前に最低限やらなければならない事はデータのバックアップ。正式なバックアップは去年 このNECのノートパソコンを買った時、だから今回は是非ともバックアップしなければと思っていた。 昨日の夜からバックアップ開始、ローカルディスク(D)→ピクチャー→ビデオ→ドキュメントの順で新しく作った フォルダーとファイルを32ギガSDカードにコピーしていったのだがビデオのフォルダーをコピーしようとしたところで メモリー不足の表紙が出た。こうなったらどうにもならない、退院してから何かほかのバックアップの方法を 考えなければ。それまでどうかこのノートパソコンがおかしくなりません様に。 4月23日 訪問歯科 火曜日は朝の10時からのケアに引き続き11時半から1時間車椅子に座らせてもらうand2時からは訪問歯科、だから 午後3時までは結構忙しい。 今日の訪問歯科はいつもの歯科衛生士さん一人、いつもの様に丁寧に優しく歯間ブラシ→スポンジブラシ→歯ブラシ→ スポンジブラシ→歯茎や頬肉のマッサージの順で口の中のケアをしてくれた。でも今日の僕は気分が乗っていなくて 対応がもう一つ、申し訳なかった。本当は昨日左下奥の歯茎が少しはれぼたっく感じていたので左下奥の歯間ブラシは 悪い血が少し出るくらいちょっと激しめにしてと言おうと思っていたが今日はそういう気もなくなっていた。 しかし1年ほど前左下奥の歯茎がひどく痛んだ時には大学病院に入院して全身麻酔でブリッジを削ろうと言われた僕の この歯、訪問歯科の皆さんのおかげです。 4月22日 カメラを付けた 大分前の事だがFacebookで昔勤めていた会社の職場の年下の元上司(ネットワークカメラに詳しい)に「LANに接続する カメラでいいのがあったら教えて。」と尋ねたところ「BL-C111がいいんじゃない。」と教えてくれた。今回 デスクトップパソコン(10年前意思伝達装置の申請をして買ったもの)を処分しようと考えお袋が知っていたパソコンの 設置等をやっているという業者に頼み、ついでに教えてもらったネットワークカメラを買うようにして取付and設定も 依頼した。 今日昼過ぎ業者さんにネットワークカメラBL-C111を取り付けてもらった。このカメラ 画像もまあまあ、左右や上下の 首振りも想像して以上に動く。これで僕の部屋窓の外の景色や僕の部屋のアルミサッシの窓の桟で休むモモの寝姿を (また戻って来てくれたらだけど)パソコンで少しは垣間見る事が出来るかな。 デスクトップパソコンも不具合が見つかって(ウイルス対策ソフトが二つ入ってるって、何故!)動く様になるかも 知れないって、とりあえず見積もりを出すって。どうしよう……。 4月21日 頑張れホークス 相変わらず暇な日曜日。午後からパソコンで(YAHOO! プロ野球 一球速報)で野球観戦。今日はホークス勝利、ホークスの 先発武田は何度かピンチはあったもののオリックスに3塁を踏ませないピッチングで7回を4安打無失点、先発の役割を 完ぺきに果たした。打線もペーニヤを除けば上向き加減、5連敗した時が嘘のようにタイムリーも出ている。これで ホークスは3カード連続で勝ち越し、借金を1とした。この調子なら交流戦に入る前にいくらか貯金が出来そう。 問題はピッチャーでは山田と東浜 バッターではペーニヤ、とにかく内容が悪過ぎ、秋山監督はいつまで我慢するのか。 4番松田はおそらくその内荷が重くなって打てなくなってくるだろうから松中のいない今ペーニヤは使い続けて調子を 戻るのを待つしかないのかもしれない、そうしないと4番がいなくなるから。しかしピッチャーは訳が違う。寺原がいるし 新垣もいる。(もし中継ぎに金澤や柳瀬・大場が入ってきて安定感を出せば岩崎を先発に戻せるし先発候補としてなら 楊や川原も使ってみたい。かってのドラフト1位 巽はどうしたの?。)より取り見取りだ。 それにしても南海ホークスの復刻版ユニホームは今のホークスの選手には似合わなかった。あれが似合うのは小太りの 選手かガタイのよっぽどしっかりした選手だけだもの。(近鉄バッファローズのユニホームは今見ても かっこいいなあ。) 4月19日 寒いなぁ 昨日の午前中までどちらかというと身体がほてっていて少し汗ばんでいる感じだったの今日は朝から寒気がして鼻水 たらりとくしゃみが少し、どうも僕の身体がこのところの気温の上下変化についてゆけず悲鳴を上げ始めている様だ。 どうにかしたいのだが掛け物を調整するぐらいしか出来る事はない。自分の身体ながらどうする事も出来ないそして 情けないと言うしかないこの身体、全く歯がゆいばかり。こうなればもうホッカイロに頼るしかないな。 4月17日 腹が冷える 昨日はまだ形があったが今日はほぼ下痢。昨日はPLの影響かなと思っていたがどうやら今回のカニューレはお腹が冷える 分の様だ。時々肺が冷えるとかお腹が冷えるとかいうカニューレに当たるのだが今回のは去年下痢がひどくて入院した時 以来のひどさかも。仕方がないので入浴車が終わった後お腹の所にホッカイロを貼ってもらって腹を温める事にした。 これで良くなってくれればいいのだが。 次のカニューレ交換は金曜日であと二日、それまで僕の身体頑張れ!?。 4月16日 体調不良? 昨日の昼過ぎから少し寒気がする様な気がして、3時半から1時間車椅子に座らせてもらった時には鼻水がポタポタ 滴る様になって、ベッドに戻った時にはこれから寒気が本格的になってくる様な気がしたのでこの後の訪問リハビリの 時間に「今日は立たたない」と理学療法士の先生に合図した。そしてリハビリの後用心のために嫁さんに夜の薬と一緒に 風邪薬(PL)も服用させてくれるように頼んだ。その後ちょっと無理してパソコンをし始めたが時々くしゃみが出て唾液が 口の回りに飛び散って困った。 今日はくしゃみも鼻水も出なくなった代わりにPLの影響か朝から身体がだるくずっと眠かった。その上訪問看護師さんが 家に着いた瞬間便が出て看護師さんに余計な迷惑をかけた、これもPLの影響か。車椅子に移乗させてもらう際も立った時 膝に力が入らなかったし車椅子に座っている時も眠気が襲ってきて仕方がなかった。PLは即効性はあるのだが相変わらず 服用が難しいなぁ。 4月14日 ホークス、打ち勝って連勝 ホークスが今季初めてタイムリーが複数打出て打ち勝って連勝。今期のこれまでの試合はなかなかタイムリーが出ず ほとんどがホームランでの得点、しかし昨日今日の試合はヒットが続いてチャンスにタイムリーも出た。これでようやく 波に乗れるかも。チーム防御率は2点台とヒッチャーは十分抑えているし中継ぎ/抑えのピッチャーの頭数ならびに出来は 十二球団一なのだから昨日今日の様にタイムリーさえ出る様になれば勝ち越しカードも増える。交流戦までには5割に 戻すぞ。 4月13日 好き嫌い 2-3日前から体調不良の様だった嫁さんが昨日ついにダウン、そうなると僕も難儀するがもっと困るのはリン。オムツは 訪問看護師さんが代えてくれたからひと安心出来たが問題となるのは食事。下痢が続いているリンは食事療養中で 病院から渡された病院食以外は禁止、それに食事には薬を混ぜないといけないしその量も嫁さんしか知らないから リンの世話や看護・介護が出来るのは嫁さんだけ、リンは嫁さんがいないとどうにもならない(僕はお袋と息子たちが力を 合わせてくれれば一日二日は耐えしのげる)。 今日嫁さんは何とかギリギリ動けるようになった様でリンと僕の朝の食事とケアを済ませてくれた。午前10時からは 訪問ケア、まず開口一番モモが昨晩仔猫たちを連れて行った事を訪問看護師さんに報告。そしてケア開始で洗顔と洗髪、 ヘルパーさんも3回目で大分慣れたのか髭剃りもスムーズになって洗髪介助も順調、訪問看護師さんの洗髪は力加減も僕に 合ってて気持ち良い。洗髪が終わると看護師さんの交代、今度の看護師さんは基本的に僕の顔を見ないし声掛けもしない 人だから僕も必要最低限度の事でしか歯ぎしりをして呼ぶ事もない。その分作業もスムーズ、清拭と下洗いが 30分しない内に終わる。そして「何かありますか。」と聞かれ「ない」と合図してさよなら。あっけないがこの人なら それで十分。 人間に限らず好き嫌いも相性もある。人間関係、割り切り/諦めも大事。 4月12日 モモ、移動 モモが仔猫たちを連れて僕の部屋から引っ越ししてしまった。夜9時前から約2時間かけて仔猫を1匹ずつくわえ2階の 高校2年の上の息子の部屋に連れて行ってしまった。 僕の部屋は朝が早くて夜はいつまでもテレビがついていてうるさいし、家族や訪問看護師さん・ヘルパーさん等々人の 出入りが頻繁でしょっちゅう寝床の中を覗かれちょっかいも出される。わずらわしくなってゆっくり子育て出来る環境へ 移動したのだろう。 でも生まれた後からずっと6日間この部屋で見守り続けていた僕としたら…寂しいよぅ。 4月10日 仔猫の飼い主捜しは難しいな モモに子猫が生まれて3日が過ぎた。子猫の飼い主に決まっているのはまだ下の息子の同級生ただ一人、僕も何とか仔猫の 飼い主を一人でも探そうともがいてはいるがなかなか色好い返事は返ってこない。思い切って新しい交渉相手を探そうと 思いFacebookで中学の同級生の名前を思い出し出し検索してみたがちっともヒットしない。どうやら僕の中学の同級生は ほとんどFacebookはしていない様だ。 次は高校の同級生、Facebookで出身高校と高校の所在地との条件で友達検索してみたら名前と顔の一致する同級生が 5人ほどいた。中学の同級生には全くいなかったからてっきり高校の同級生でもFacebookをしているものなんてほとんど いないだろうと思っていたからびっくりした。だけどの中に僕の事を覚えていてくれるものが何人いるのかな、その上で 「仔猫の飼い主を捜して欲しい」なんて言えるかな。仔猫の飼い主捜しがこんなに難しいなんて、自信ないな。 僕のルートで最低一人は見つけて…、親父の後ろ姿?見せたいなあ。 4月7日 子猫誕生 今朝下の息子から「モモに子猫が4匹生まれた。」と報告があった。朝4時ごろ息子の部屋にモモが来て「(障子を) 開けて」と障子の向こうでゴソゴソしたらしい。息子が障子を開けてあげるとモモはベッドに上がって寝ていたらしいが 息子が朝目覚めるとか細い音でミャーミャーと聞こえ見ると子猫がいたらしい。嫁さんによるとモモは胎盤も自分で きれいに処理して(食べて)いたというし子猫にお乳もちゃんとあげているらしい。モモは若いのにちゃんと子育て している様だ、ひと安心!。それにしても下の息子ベッドの上がモモにとってこの家で一番安心出来る場所だったとは… ちと残念?。 さあ後は僕らが子猫の飼い主をちゃんと探してあげられるかどうかだ。難問!?。 4月5日 通院日 通院日、今日の移送サービスから同行はヘルパーさん1人なった。不慣れなせいもあるのだろうが出発準備に若干時間が かかってしまった。リフト車に乗り込む時も車椅子への移乗させるために来てくれている訪問看護師さんたちがこの 社協のタイプのリフト車には慣れていないのかヘルパーさんを手伝ってくれたのだが、やはりまごついた。 ヘルパーさんも訪問看護師さんもみんなが慣れてくれるまで仕方ないか。 病院でストレッチャーに移乗してバイタルを測っていると嫁さんと地域連携室の相談員さんが早速レスパイト入院の 打ち合わせ、それもゴールデンウイーク期間だけではなく7月も9月の連休も。それからすぐに主治医が来て診察と処置、 その時先生が「両手の腫れが引きましたねぇ。」とひと言。嫁さんが「いつも手を(枕で)上げていますから。」と 説明していたが腫れが引いたのは手首まで、ひじから上はもっと晴れてしまっている。それに僕が手用の枕を 作ってもらって手を上げようと考えたのは手から採血や点滴が出来る様にと思っての事、しかし手からは血管が 見つからなくて…、考えが甘かった。 帰りはいつものコースで家路につく。リフト車の車窓からは時々路傍に咲く菜の花が見えた。鮮やかな黄色、菜の花って 息の長い花だなあ。たまにだが蓮華草の咲く田んぼが見えた。僕らが子ども頃には田んぼはどこもかしこも蓮華だらけだったのに今はめったに見ない、懐かしささえ感じる風景。 いつもの拡幅工事現場を通る。前回通った時から3週間、工事がどれだけ進んだかと思って楽しみにしていたが舗装も まだだしほとんど進んでいない様に見えた。どこが変わったかよくよく見ると工事区間全てがちゃんと(両側)二車線に なっており歩道の土もきちんと固められているし路傍の削られた壁面にもコンクリートが打ってある。もう車道と歩道に 舗装さえすれば完成するように見えた。5週間後レスパイト入院から帰る時にはもう完成かな。 4月4日 戦えホークス ホークスは開幕初戦に摂津で勝ったっきり四連敗、相変わらずチャンスでタイムリーが出ない ヒットが続かない。今日も 2回松田のホームランで1点先行したもののその後ノーアウト1-2塁のビッグチャンスを作ったのにまたもや追加点ならず。 3回裏西武に同点に追いつかれた後の4回表ノーアウトで長谷川が3塁打を放ったもののまたタイムリーが出ず無得点。 そして5回裏2点を取られ逆転れた。チャンスに追加点が取れないから逆転を許す、この試合もホークスのいつもの 負けパターンだ。 結局ホークスは3-1でまた負けてこれで5連敗。いくら柳田を将来の4番に育てなければいけないって言ったって2回 ノーアウト1-2塁ではやっぱり送りバンドだろう、秋山監督。この5連敗の試合でチームの得点はたった1or2点、これで 勝てるはずがない。チームにも選手にもっと工夫が欲しいよなぁ。 ホークスがまた負けた以外は今日も変わらない一日、ただ少し違うのは相性が合わない人とはだんだん顔を見るのも 嫌になると気づいた事ぐらいかなあ。 4月2日 久しぶりにモモを見たら 今日午前11:30から1時間車椅子に座らせてもらった時に僕の部屋に入ってきたモモを久しぶりに見た(音による 判断なのだがモモが僕の部屋に入ってくるのは朝とても早い時間だけ、その時僕はベッドの中にいてモモは見えない…)。 大分モモのお腹が大きくなった、いったいモモのお腹の中に何匹の子猫が入っているのかな。 そろそろ臨月になると思うのだが無事生めるのか、何処で生むのか、生まれても子猫たちにうまくお乳がやれるか、 心配だなぁ。モモにとって多分これが最初で最後の妊娠・出産・子育てなのだから。 4月1日 松井が国民栄誉賞!? 長嶋さんの国民栄誉賞は十分納得出来るが松井の国民栄誉賞はAprle foolだろう。野球界で松井クラス(松井も確かに ものすごい選手だけど)に国民栄誉賞を与えるのならイチロー初め与えなければならない野球人がいっぱい 出てくるではないか。これでは国民栄誉賞の大安売りになっちまうなあ。 |
3月 3月31日 暇な日曜日 今日は3月の最終日しかもとっても暇な日曜日、昼からプロ野球ソフトバンクvs楽天戦があるので楽しみにしていたが 5回を終わって6-0で楽天の一方的リード、ほぼ楽天の勝ちは堅い。見ていても一方的過ぎて面白くなくなってきて YAHOO GyaOで先週時間が足らなくて見損ねたアニメ アタックNo1の残りの話数を見る事にした。ソフトバンクの試合は いつの間にか9-1の完敗。開幕カード楽天に1勝2敗の負け越しだ。やはり今年も打てないのかなぁ。 3月29日 プロ野球、開幕 今日からプロ野球が開幕、WBCに参加したピッチャーの中で先発はソフトバンクの摂津だけだそうだ。それだけ他の チームには先発ピッチャーに余裕があるのかな…なんて。 さて今年のソフトバンクはどうかな?。先発の頭数は揃っている様だから抑えは誰が務まるかと打撃陣がどこまで 頑張れるかだな。昨年も投手陣はそこそこ抑えているのだが打撃陣がチャンスをものに出来なかったから結局3位という 惨めな結果に終わった。今年新外国人を補強したが彼がどこまで働いてくれるか若手がどこまで育つかが優勝への 分かれ目だな。 今日の試合はテレビで見てはいないないけど結論から言うとピッチャー側から見ると今シーズンの展望が見えた 試合だった。先発が頑張れば後はロングリリーフも出来る岩崎や五十嵐・森福で抑えて最後はファルケンボーグが締める、 いい試合だった。打撃陣は今シーズン期待出来るかどうかまだよく分からないな。今日の試合も6回までは細川のツーラン ホームランだけで2-1、7回裏に本多のまぐれ?の満塁ホームランで4点を追加して最終的に7-1で勝ったけれどタイムリーで 入れた得点は1点のみ、今シーズンもタイムリー欠乏症かなぁ。 3月28日 なにもないなぁ 最近のパソコン時間は朝3時間:世界史の補講/昼2.5時間:Facebook/夕方3-4時間:雑記帳を書きながらYAHOO GyaOで アニメ鑑賞。 僕の最近のお気に入りアニメは、はじめの一歩(更新終了)/Masterキートン(更新終了)/プレイボール(更新終了)/ アタックNo1/機動戦士ガンダム/ドラゴンボールZ(魔人ブー編)など。どれも昔僕が週刊マンガ雑誌で見たものだが、今 見ても結構面白い。まあそれしか面白いと思える事もないしやる事もないしなぁ。 3月26日 W杯サッカー 最終予選ヨルダン戦 サッカーワールドカップ アジア地区最終予選ヨルダン戦、今日勝って勝ち点3を取ればブラジル行が決まる。試合は 日本時間午後11時から始まる、終わるのは午前1時近く、見ていても明日僕の体力が保てているかどうか?、心配!。 ヨルダン戦、か弱い身体にムチ打って頑張って午前1時過ぎまで見たのに2-1で惜敗、惜しかった。日本チームの調子が 悪いという訳でなかったと思う。ただ解説者が言っていた様に慎重になり過ぎてゴールにより近づいてチャンスをより 大きくする事ばかり考えてシュートを打つチャンスを何度も逃してしまった。そうしている内にヨルダンの流れに試合が 変わっていきヨルダンにボールが支配される様になりアディショナルタイムに1点を奪われた。そして後半15分 カウンターから右サイドを抜かれキーパー川島と一対一になりヨルダンにもう1点を追加された。それでようやく目が 覚めた日本は日本本来の動きを取り戻した。それから日本は攻めに攻め清武からのスルーパスに香川が絶妙に反応し キーパーとの一対一を制しゴールを奪って2-1、続けて攻めたてペナルティエリア内で内田が倒されPKのチャンスを得た。 蹴るのは遠藤 日本屈指のPKの名手、遠藤は絶妙にゴールの右端を狙うがキーパーがファインパンチング、同点の チャンスを逃した。日本はその後も攻め続けていたがゴールは割れず2-1のまま試合は終了、ブラジルワールドカップ 出場は6月のオーストラリア戦に持ち越した。今日は日本チームの弱さを見せた試合だった。ライトサイドバック先発 酒井も頑張ったがもし永友が故障していなかったらあのヨルダンの2点目はどうなっていたかな。まあ今までが上手く 行き過ぎていただけだと思うけど。 3月25日 桜、満開 Facebookの投稿の写真からもテレビの報道からも桜満開のニュースがいっぱい。今年は桜の開花が早すぎて訪問看護Sの 所長さんに「桜を見に行こうョ、桜を見に行きたい」とまだ言えてない。何とか見に行きたいものだが週末にはすでに 散ると言ってるし今年ソメイヨシノを見に行くのは難しいかな。 梅や桃・桜に石楠花に藤(ついでに苔も)、盆栽を買おうかと思うかと思うのだが買っても誰が世話をしてくれるのか。誰も いないではないか。水をかけるだけで済むなら親父や息子たちに頼めば済む。けれどそれだけでは済まないだろうな、 きっと!。 3月24日 我が家の家族 猫2匹 我が家の家族 猫のモモとリン。 モモはお腹が大きくて3月末・4月月初にも子猫が生まれそう。最近は早朝僕の部屋に来て何かゴソゴソして(何を しているかは見えないから分からない)それから家を抜け出して外へ朝の散歩、お昼前後に帰ってきてエサでお腹を 満たしてから嫁さんが用意した段ボールの箱の中でずっとゴロゴロ。お腹が重くなったからか以前の様に部屋から 部屋へと動き回る事はほとんどなくなった。 リンは足の具合(ほぼ動かない)やお尻の皮膚の具合はまだまだと聞いているが大分元気を取り戻してきた様だ。たまに ゲートからリンを出してあげると動かない足を引きずって部屋から部屋を動き回る、その動き結構速い。足先は時々 動かしている様だからリンの脚のリハビリを続けていけばまた動く様になるかも。まずは足首を曲げて座れる様に なる事から。けれど動けない僕にはリンに対して何もしてあげられない、虚しいなあ。 寂しい事に僕の新しい家族リンも1年3ヵ月いるモモも僕の事を人間だとは見ていない。三十数度の熱を保つ人の形をして ベッドに横たわるただの置物…。 3月22日 終業式 今日は終業式だったらしい、日付感覚がないからすっかり忘れていた。息子たちに成績表を見せてもらって 褒めてあげなきゃ。 明日から春休みか、小・中・高校生の頃春休みになるといつも山々のミカンの段々畑に通ってツワ(蕗)やワラビを 取りながら遊び回ったものだった(もしかしたら大学生の頃もそうかも)。それが僕の日課だったしそれが僕の小遣い 稼ぎだったから。息子たちの春休みは毎日クラブか。息子たちは僕が中・高校生の時クラブはやっていなかった事を 知っているから、僕の事をヒョロヒョロのもやしっ子だったと思っているかもしれない。でも大違い、よく山を 歩き回っていたし百姓の手伝いもさせられていたからあの頃の僕の体力は息子たち以上だったかもね。 3月20日 訪問理容&入浴車 今日は春分の日で祝日、だのに訪問の床屋さんと入浴車が来てくれる。ありがたい事だ。 正午を15分ほど過ぎた頃床屋さんが来た。床屋さんの来る日が今日に変更になった事を嫁さんは知らされてなかった様で 正午前僕が「今日床屋」と言うと驚いていた。床屋さんはいつもは正午前に来てくれるのに今日は正午を過ぎても 見えない。今日は祝日で床屋さんに対する予約を仲介してくれた訪問看護師さんとも連絡が取れないし、もしかして僕の 勘違いだったのではないかとかなりやきもきした。けどまもなく床屋さんから「申し訳ありませんが少し遅れます。」と 連絡が入り僕の勘違いではないと分かりひと安心。 床屋さんはいつもの二人、何も言わなくても立派に仕上げてくれるから助かる。まあ僕は髪をカットしてもらった後の 自分の頭を一度も見た事はない、でも散髪の後誰も変?という風な顔は見せないしみんな「さっぱりしましたね。」と 言ってくれるから僕は床屋さんが立派にカットしてくれたと思う事にしている。 午後1時過ぎ今度は入浴車の時間。床屋はいつも入浴車の来る直前に散髪してもらう様にしている。今日もそう、お風呂に 入れてもらってさっぱりさせてもらった。助かった。 3月19日 灘高入試問題 数学 半月ほど前中学2年の下の息子が担任の数学の先生から「灘高の入試問題をやってみろと言われた。」と聞いた。確かに 息子の定期考査の数学の問題を見る度に考えさせる問題があまりにも少な過ぎるといつも思っていた。だから担任の 先生のおっしゃった事は確かに的を得ていて息子たち数学の好きな生徒には必要な事だと思った。なんせ今の 定期テストの問題程度では応用がなさ過ぎて数学の面白さなんて感じないだろう、解けて当たり前の問題が ほとんどだから。 灘高の数学の入試問題と聞いて僕も興味が湧いた。早速パソコンで検索して問題を見たらかなり難しそう。つい僕も 解いてみようと思った。そこでインターネットで表示させた問題を画像で取り込んで設問毎にWordにコピー、これで1日 作業だった。問題数が多くて時間がかかりそう、苦労しそうな雰囲気。 翌日から1日1問のペースで問題に取り組む。問題@の(1)から無理数(√)を含む3つの文字の式のかなり複雑な計算、普通の 中学3年の受験生なら初っ端から嫌になりそうな問題、さすが灘高入試。ところが問題の文字列を偶然括弧( )でくくって みたら…、計算が結構楽になった。ラッキー!、この問題はこれを狙っていたのか。 問題@ 5問は灘高入試にしては難易度はそう高くはない基本を組み合わせた問題、しかし計算はどれも複雑だった。 問題Aは順列/組み合わせの応用の問題・問題Bは文字の式と速さ/距離/時間の応用の問題、どちらも中学2年生でも 懸命に考えたら解ける問題で息子も格闘している様だ。結構問題に罠が仕掛けてあって引っかかっていないか不安 いっぱいだ。問題Cは図形の問題、解くには解けたが考え方も答もあっているかどうかわからないしそれに計算して 解くのに2日もかかった。問題Dは図形の証明問題、どこから手を付けたらいいか分からず悪戦苦闘、解くきっかけを 思いつくのに3.5日もかかった。問題Eは立体図形(正三角形を四面集めた正四面体を二つくっつけた立方体)の計算問題、 (1)はよく見た問題だったからすぐに解き方はピンときたが(2)(3)は空間図形の苦手な僕は形が頭の中に思い浮かべる事が 出来ずに苦労した。結局灘高の数学の入試問題を解くのに2週間もかかってしまった。 あとはどうやって答合わせをするかだが問題の載っていたホームページには解答がなかったし最後の手段で息子の担任の 先生にお願いした。もし先生が息子に「(君の)お父さんすこいな。」と言ってくれたら息子が僕の事を少しは親父の 背中が見えたと感じてくれるかもしれないと思ってみたりもしたから。 3月19日 訪問歯科 今日は火曜日、午後2時から訪問歯科の日。今日も女性の歯科医と歯科衛生士さんの二人、今日はしょっはなから先生の 愛想が良い。だから今日は出来るだけ先生に協力的な態度でいこうと思った、まあ僕に出来る事と言えば口を大きく 開けようと努めてみる事だけだけど。 治療が始まりしばらくしてから「具合はどう?。」と聞かれて目で「上の左奥の歯茎が痛かった」と合図すると、なんと 通じた。そこで今日は左上の奥を重点的に治療する事になった。先生が診てくれた結果左上奥のブリッジの内側に歯石が ついて歯茎が赤くなって痛みが走ったらしい。それで先生が口の開かない僕の奥歯から懸命に歯石取り、30分以上格闘の 結果先生によると「結構歯石は取れた。」らしいがまだまだ歯石は残っているとの事、それで続きはまた来週という事に なった。よろしくお願いします。 3月18日 WBC決勝トーナメント準決勝プエルトリコ戦、敗退 10時過ぎからWBC決勝トーナメントの準決勝プエルトリコ戦が行われたが、日本は3-1でプエルトリコに敗れた。でもまあ 正直言ってよくここまでこれたものだと思う。今年の日本チームはピッチャー陣はダルビッシュ不在でも大勢の若手 投手がも育って中堅と若手の層が増し4年前とほほ変わらないレベルになっていたが(もしかしたらあの時以上かも)、 打撃陣は脇役は揃っていたが残念ながら4番バッターが不在だった。今のチームで4番を張れるのは阿部か糸井だけ、 日本野球界を見ても西武の中村(か巨人の村田?)ぐらいかな。僕は阿部の負担を減らす意味でも4番糸井でいくべきだと 思っていたが山本監督は絶対4番阿部を譲らなかった。 第3回WBC山本侍JAPANは良しにつけ悪しにつけ結局阿部ジャパンだったな。阿部が打てば大量点打てなければ接戦で どっちに転ぶか分からない試合。今日だって…。いや言うまい、阿部はキャプテンとしてキャッチャーとして十分責任を 果たしたのだから。 3月17日 娘、帰郷す 今日の夕方娘が久し振りに帰ってきた、2-3日はこっちに居るらしい。ずっと前に春休みに入っていたはずなのだが生協で 新1年生相手のアルバイトをしているとの事、感心な事だけどこのバイト新1年生が入学するまで続くらしい。これでは 折角の春休みが全部つぶれてしまう。正直そこまでしなくてもっと気ままに遊んでいいと思うのだが、ご苦労様。 そういえば大学時代1ヵ月以上の春休みを僕はどうやって過ごしていたのだろう、3年間春休みの記憶が全くない。何を していたのか、たぶん家に帰っていたかまたは広島の地で本を読みふけっていたか遊びほうけていて金が無くなったら アルバイトしていたのだろうな、あの頃は無計画だったから。 3月15日 通院日 今日は退院後初めて(2週間ぶり)の通院日、早かった様なそうでもない様な不思議な感じだ。外は快晴、ちょっと風が 冷たそうだが風の来ないところで日向ぼっこしたい気分だ。 リフト車に車椅子で乗り込んで車窓から見る風景はもうすぐそこまで春が来ている様だ。路傍にたまたま咲いていた 菜の花はまっ黄色満開だ。県境の拡幅工事現場は新しくできた坂道はもう完成していて今はその道につながっている元の 道の拡幅工事中、もう拡幅も歩道のコンクリート仕切りも終わっていて後はアスファルトを施すだけに見えた。 夏までには終わりそうだ。 病院に着いてストレッチャーに移りバイタルを測定、前回(約ひと月前)から外来の看護師さんが代ったため アイコンタクトが上手くいかない。この先も苦労しそうだ。間もなく主治医が来てカニューレ交換と胃ろうの処置、その後帰途に就く。次の通院は3週間後、そのころには桜はもう駄目だろうなぁ。 3月13日 桜の開花宣言 今日テレビのニュースで言っていたが福岡と宮崎で今年日本で一番最初にソメイヨシノの開花宣言が出たそうだ。今年の 桜は例年に比べかなり開花が早いそうで来週末には満開との事、このところの三寒四温が開花を早めた様だ。 福岡市内には桜の名所が結構ある。西公園・舞鶴公園・山王公園そして以前僕が勤めていた会社(かなり見事な桜だ)、 昔はお酒やつまみを持ってみんなでよくお花見に行ったものだった、楽しかったなあ。僕の町や周りの町にも桜の綺麗な 所はいっぱいある。今年はどこかに桜を見に行けるだろうか。今年こそ一度はゆっくり桜を見に行きたいな。 3月12日 新しい家族リンはなかなかの愛嬌者 土曜日からうちの家族に加わったリン、月曜日から座敷の縁側に移って(理由:@僕がこの土・日モモが僕の部屋に全然 入ってこないと僕がモモがいなくなったんじゃないかとあまりに心配するからA僕は午前0時過ぎに寝るからリンは部屋が 明るすぎて普段の様に眠れない)かえってイキイキしだした様に感じた。リンは後ろ足はほとんど動かせないのにおむつを したお尻を引きずりながら部屋から部屋へとついには僕の部屋まで動き回っていた。リンはここまで回復したのか。 これでお尻の糜爛が治って(皮膚が復活しないと合併症が気がかり)リハビリを続けて行けばもしかしたら後ろ足も 動く様になるかも…、かなり希望的観測だけどね、でも本当にそうなったらいいな。 リンはかなり人懐こい性格の様だが、ビビり出来難しいモモやベッドの上に寝てばかりいる僕と仲良くしてくれるかな。 モモもリンに慣れてくれ仲良くなってくれるかな、リンは僕の事を人と見なしてくれるかな。 3月10日 WBC 2ndRoundオランダ戦 WBC 2ndRoudオランダ戦が始まった。今日もハラハラドキドキの試合かと思ったが1回の表先頭打者の鳥谷がいきなりの ホームランで1点を先取した。一方先発ピッチャーの前田がオランダ打線を5回までを抑え打線も毎回得点を重ね5回を 終わって11-0で楽勝ムード、久々に日本チームの野球の試合をゆっくりとみる事が出来た。6回の裏変わった内海らが4点を取られたが結局16-4で7回コールド 日本がオランダを下し決勝トーナメントへの進出を決めた。 それにしてもオランダというチームは強いのか弱いのかよく分からないチームだ。韓国や台湾と互角に戦い2ndRoundの 初戦では接戦の上破れたキューバに勝ったのに今日の試合では日本に7回コールド負け、全く訳の分からないチームだ。 明日まさかオランダがまたキューバに勝つとは思えないが、どちらというとキューバより戦いやすいオランダに 決勝トーナメントに出てきて欲しいな。 3月9日 新しい家族が増えた 大丈夫?、モモ 夕方事故にあった(?)猫が動物病院から退院してうちに来た。嫁さんの実家から家出して約ひと月前に見つかった時には 瀕死の状態だった事を考えれば、下半身に障害は残っているけれど(下の世話が必要なためおむつ着用)よくここまで 回復したものだ。居場所は僕の部屋、うちで最も日当たりの良い座敷の縁側にはおいておく訳にもいかないし他の部屋に いつも人がいる訳もなく障害の残っていて気ままに動けない子猫では寂しがるだろうからと僕の部屋で 世話をする事にした様だ。 問題はモモ、もう1年3か月以上もうちにいるのに満足に動けない新参者の子猫(生まれて半年は経つが)にビビッて僕の 部屋に入ってこようともしない。もう赤ちゃん猫を産もうともしているのに全く情けのない話だ。だけどモモも この新参者に興味はある様でビビりながらも障子の隙間から覗いていたそうだ。今日から新しい家族が増えたのだから 僕もモモもこの新しい家族(リンと言うらしい)に早く慣れないといけないなあ。ひとつ心配なのは身重のモモが嫉妬して 家出しないかだ。大丈夫だよな、モモ。 リンよ、お互い障碍者同市一つの部屋で仲良くやろうぜ。と言っても僕にはリンの姿は全然見えないけどね。 3月8日 WBC 2ndRoud WBC 2ndRound台湾戦、何とか勝った。辛勝、苦労した、何度も何度ももう負けるのかと思った。怖かった、ドキドキ しっ放しだった。 Japan打線は今日は7回までに7安打を放つものの4度の得点圏のランナーを返せず相変わらずのタイムリー欠乏症で台湾の 2点リードのまま終了、なんとなくやばい雰囲気が漂い始めていた。ムードを一掃したのは今日も井端のセンター前への 渋いヒット、前の打席で2アウト1-3塁のチャンスをつぶした内川も1-2塁間を抜くライト前ヒットで続き4番阿部に ようやくヒットがそれもタイムリーヒットが出て1点、糸井の送りバンド失敗で流れが止まったに見えたが6番坂本も ショートのグラブをはじく内野安打を放ち阿部の代走本多がホームを踏み同点にした。 その裏(8回裏)6回から投げていたマー君がまさかに打たれまた台湾に1点をリードされた。9回表に8番稲葉がアウトに なった時点で僕はもう一度負けを覚悟した。それから9番鳥谷がフォアボールを選び出塁、1番長野のセンターフライで 2アウトの後2番井端の打席で1塁ランナー鳥谷がまさかの盗塁、それが成功し井端の気迫のセンター前ヒットで2塁 ランナー鳥谷がホームに帰り同点にした。全く井端というバッターの精神力は大したもんだ。 続く10回の表1アウト2-3塁で中田翔がレフトフェンス手前に犠牲フライを放ち勝利した。全くの辛勝で ハラハラドキドキの試合で見ているだけで疲れる試合だった。それにしても台湾チームはよく映しよく守るしとても 良いチームだった。出来得る事ならば台湾チームがキューバ・オランダに勝ち抜いて(当然日本が10日にオランダに勝つ事が前提)決勝トーナメントの決勝戦で日本と台湾が戦う事が出来ればいいな。 3月6日 WBC 1stRound 今日は日本/キューバそれぞれ2勝0敗をうけてのWBC1stRound最終キューバ戦。それにしてもこれまでの壮行試合・ブラジル /中国戦と相変わらず打線が振るわない。打線を組みかえして調子の良い打者を主軸に据えればいいと思うのだが、 山本監督はよほど巨人の打者を信頼している様で主軸から外さない。確かに巨人のバッターが先発して活躍しないと 日本は勝てないのだけど阿部5番/長野1番/坂本6番(3番内川/4番糸井/中田と松田は先発で使う)が良いと 僕は思うのだ。 今日のキューバ戦、山本監督の侍Jaoanの打線はやはり巨人中心。今日のキューバ戦は何が何でも勝たなければならないと いう試合ではなかった。どちらかというと2ndRoundや決勝ステージでも必ずあたるキューバにその時勝つための偵察・ 予行練習を兼ねての試合だった。 先発は大隣、ここでキューバ打線を何とか出来れば自信もつき今季の活躍も大いに期待出来る。7番打者に ソロホームランを打たれて1点は失ったが今期に期待出来そうなピッチングだった。2番手はマー君、立て続けにヒットを 打たれて1点を失ったが4-5回のアウトはすべて三振(5Kだったかも?)、次にキューバと戦う時には通用するなと 思わせてくれた。3番手は沢村、沢村の力で押しまくるストレートではキューバには通用しなさそうだ。4番手は森福、 7回を無失点で抑えたが右打者ぞろいのキューバ相手に出番はあるのか。ともかく調子は良さそうだ。8回は若手中継ぎの 今村(広島カープ)、3ランホームランを打たれて3点を失ったが経験を積んでいけばきっとものになるだろう(今年のWBCに 間に合うかどうかは分からないが)。 打撃陣は今日も不振、チャンスは幾度となく作ったがあと1本が出なくて8回まで無失点、9回表1アウトランナー無しで テレビのチャンネルを替えてもらったから3点返した場面は見なかった。でもこんな打撃陣でファイナルステージまで 勝ち進めるかかなり心配!!。 3月5日 訪問歯科 今日はお昼から訪問歯科の日、体調も少し戻ってきて朝のケアの時はまだ眠気・ダルさが身体に残ってぼんやりだったが その後車椅子に座っても何て事はなかったしパソコンをしながら午後2時に訪問歯科を迎えた。どういう訳だか 分からないが今日は歯科医の先生と歯科衛生士さんの2人、先生と会うのはこれが二回目だが前回診てもらった時の 第一印象が良かったとは言えない状況だったので今日も初めからほとんど期待はしていけないという気持ちだった。 今日先生が訪問に同行してくれたのは歯の裏側の歯石を取りに来てくれた様だ。まず歯茎の状態チェックしてそれから 歯石取り、先生は「もう少し口を開けてみてください…。」と言うのだが「これ以上もう開けれませんよ」だーっ。 先生の持つ器具が歯の裏に結構強くガツンとくるのでかなり痛い、心の中で「最初に探る時はもう少し優しく当ててよ」 と呟きながらももう先生に完全お任せ。よろしくお願いします。 3月4日 体調不良 今日の午前中のケアの時までは病院よりも一枚少ない掛け物でも暑いと感じていた身体なのに、午後から少しずつ寒いと 感じ始め車椅子からベッドに戻った頃には背中がゾクゾクしくしゃみの連続、掛け物を1枚増やし二重で 掛けてもらったのにまだ寒気がする。用心のために訪問リハビリは手足を動かしてもらうだけにして立つのはやめた。 やはりこのまる三日間掛け物を一枚少なくしていた弊害が出たか。 夜にはパソコンを少し早めにやめて経管栄養を落とし寝る前に睡眠剤と一緒に風邪薬を入れてもらって寝た。明日これで 体調が戻ってくれればいいのだが。 3月3日 おひな様 かぁ 今日は端午の節句 ひな祭。でも娘が大学へ行きうちからいなくなったからもううちではおひな様は箱から出なくなった。 しかし僕はうちのおひな様をまともに眺めた事があったか。元気な頃は仕事に夢中であまり家庭を顧みず、九大病院 神経内科の医師から「5年後には車椅子暮らしになる」と告げられた後からは筋肉の衰える時期を出来るだけ遅らせようと 休みの度に朝早くからの山歩きやジョギング・スイミングに明け暮れ、ついに動けなくなってからはこの時期座敷に 飾ってあったおひな様を見に行けなくなった…。嫁さんや娘に申し訳なかったと思うがもう後の祭り。 子ども達が大きくなるにつれてだんだん年中行事を僕の家の中では行われなくなった。十八夜…さえもね。 3月1日 家に戻ったら… 病院から家に戻った時僕は自分の部屋の中が暑いと感じた、もう10年以上年に3-4回こんな入退院を繰り返してきたのに 家の部屋の方が病室より暑いと感じるなんてこんな事はもう初めて。初めてだからどうしていいかさっぱり分からない。 とりあえず病院にいる時より掛け物を1枚(二重)少なくして見たがそれでも背中が汗ばんできている様な気がしていた。 だからといって1枚少ないままじゃ風邪をひきそう、それも怖い…なぁ。 少しずつ暖かく来ているからなのかモモはもう僕の相手をしてはくれない。脚の間で眠ってもくれないし僕のベッドに 上がってこようともしない、まあ僕の部屋に入って来てはいる様だが。なんせモモが通り抜けていた障子の穴がまた 開いていたから。でもモモが傍に近づいてきてはくれないと思うと…、寂しいなあ。 そういえばモモ 食欲が旺盛で下半身が少しずつ大きくなってきた様、だって。やっぱり赤ちゃん…かなぁ、 困った?!。 |
2月 2月22日‐3月1日 レスパイト入院 今日からレスパイト入院、一応1週間の予定だけれど…。 今回の入院前の心もちはなんか変、入院の日程は前々から心の中では十分承知していたはずなのに今回は直前になって 何となく行きたくない気持ちが強くなっていた。何故だろう、おかしいな。 今日入院した当日からお風呂に入れてもらった、感謝。今回の入院は基本的にゴールデンウイークまでの合間での レスパイト入院だと僕は位置づけて1週間の入院で僕自らお願いし了承してもらった。その辺のところを僕の主治医も 承知していた様で今回の入院中に検査は一切なし、まあおかげといったら変だが今回の入院中はパソコンは全くせずに ゆっくり寝ていた。 今回の入院で変わったところは顔見知りの看護師さんが入院中に一挙に4人もいなくなった事(3人が2月末で異動/1人が 産休)、みんな信頼出来得る看護師さんだったしほとんどが僕の話を聞いてくれる看護師さんだったので寂しくもあり 辛くもあり。まあいなくなったみんなにまた看護してもらえる日まで僕が頑張るしかないのだけど。でもやはり 寂しいなぁ。 今回の入院中はずっとなぜか足がだるくてたまらなかった。そこで看護師さんに「手足がだるいから(主治医に) リハビリの手配をして(欲しいと伝えて)」と伝言しておいた。しかしどこでこの伝言ゲームに狂いが生じたのか リハビリが受けられないままで終わった。だからといって今回の1週間の入院で膝の力がそれ程弱ったとは思わなかった、 この1週間毎日3時過ぎに3人以上の看護師さんがベッドサイドに集まって来てくれて首と脚に装具を着けてもらい一度 立たせてもらってから車椅子に1時間以上座らせてもらっていたから。看護師さんたちが立たせてから座らせてくれていた おかげで足腰もさほど弱らずに済んだ。またまた看護師の皆さんに感謝!。 退院の日 迎えは午後2時 昼の経管栄養が終わった後、お風呂は昨日入れてもらったしあとは昼の経管栄養を終わらせて 着替えを待つのみ。昼の経管栄養をいつもより30分早く11時半から入れてもらった。終わるのは2時間後 1時半の予定、 それなのに着替えをさせるために看護師さんが次々に見に来た。はっきり言って煩わしかった。終わりの時刻はだいたい 分かっているのだから1時半頃に身に来ればいいのに。それに病棟の看護師さんは2時というとすぐ退院が2時だと 思ってしまう、実際は2時にお迎えが来てそれから嫁さんたちが退院の準備をするのだからそんなに慌てる必要はないと 思うのだが。1時半過ぎに経管栄養が終わりしばらく休んでから着替えをしてもらった。すると直後に嫁さんが顔を見せて そして嫁さんが荷物の整理をするのに平行して車椅子に移乗させてもらい玄関へと向かう。外は雨、その中でリフト車に 乗り込み看護師さんたちに見送られながら家路についた。車窓から路傍の梅の木が見えた。満開だった、…。 2月21日 明日からレスパイト入院 明日からレスパイト入院、だから今日はパソコンのバックアップ作業にいそしんだ。この新しいパソコンのバックアップ 作業は確か半年前の8月にしたきり、そこで8月以降に新しく作ったファイルやフォルダをSDカードに仮保存しメールの バックアップもやった。これでひと安心かな。 今回の入院予定は1週間 この間見舞いのついでに洗濯物の交換に来てくれる嫁さん以外家族ともモモもとも会えない、 そう思うとやはり寂しさを感じてしまう。入院する前には息子たちとゆっくり話でもしたいところだが今は2人とも 期末テストの最中だから呼び出すわけにもいかぬ。せめてモモだけも遊びに来てくれよとも思うけどモモは唯我独尊、 僕の思いは届かない。寂しいなあ!。 2月18日 国語の採点をしてみた、恥ずかしい 昨日は古文/今日は漢文をやった。そして昼から国語の採点をした、本音を言えば国語の採点など怖くて決してしたくは なかったが…。その結果は…、ここに書くのも恥ずかしい。だいたい現代国語で75%は採らなくちゃいけないのに 半分しか出来ないなんて、こりゃ駄目だ。 いくら苦手科目と言えど国語でも六割前後は採りたいいや採らなくては駄目だと思うのだが、如何せん国語は学び方が 分からない。国語の問題に慣れてもダメだろうか?、やはりセンスの問題かな。 2月18日 訪問歯科 今日は訪問歯科の日。この2-3週間はケアマネジャーさんと訪問歯科との間で連絡が上手く取れている様で 歯科衛生士の人が毎週来てくれる。この歯科衛生士さんはとっとも優しくて丁寧、それだけに逆に物足りなく感じる事も ある。僕としては左下の奥歯の歯間ブラシはもっと激しくして欲しいし上下の歯の中央に指の第一関節を添えてあごの 付け根の間接が痛くなるほど口を開いて欲しいのに。歯科衛生士さんにそんな事お願いしてもいいのかな。 2月17日 三寒四温は身体にこたえる この頃暖かくなったり(3月半ばの陽気)寒くなったり(1月初旬の気温)の繰り返し、これを三寒四温と言うのだろうが この寒暖の繰り返しは身体にこたえる。毎日エアコンを効かせて僕の部屋の中は21〜25℃に保たれているのにそれでも 肺が冷えて胸や手足が冷え冷えして堪らなかったり少し汗ばんだりもする。それにこの1週間は寒気がしたり鼻水が 出たり、ちょっと風邪気味かなと思ったり。まあ週末からレスパイト入院だから丁度いいかもね。 2月16日 センター試験 国語は… 高校1年年の息子が先生たちから「今年のセンター試験の国語は変だった。」と言われたと聞いたので昨日初めて センター試験の国語を見てみた。なんと国語は現代国語100点/古文50点/漢文50点の配点、もし僕が現役の受験生だったら 国語の苦手な僕は(特に漢文は書き下し文しかできない僕が)100点取れるかな(国語は200点満点)。問題数も三十数問と 少ない様だしこんなんじゃ国語で足切りのある大学は受験さえできないかもしれないな。 問題の様子を眺めるだけじゃ「今年の現国の問題は変」と言った高校の先生の言葉の意味が分からないので一度実際に 国語の問題に立ち向かってみる事にした。昨日今日と現国の問題をそれぞれ大設問の一問ずつをやってはみたが… 分からん、僕は未だに国語の問題を解く能力はない。言訳をさせてもらえば…、国語の問題は当然縦書き、問題文が 画面に入らないので一行毎にページダウン/ページアップの繰り返し、落ち着かないしだんだんイライラしてくる。画像を 左回転して文章が画面に入る様にして見たがかえって見にくくなってしまった。マークシート方式だから答が4-6個 示してあるので鉛筆を転がそうかなと思ったほどだ。昨日今日と現国に取り組んではみたが僕の国語能力では先生の 言うところの「今年の現国(小説)の問題は変」は解らず仕舞い、今日日の受験生は大変だなあ。こんな調子だから もう止めてしまおうかなとも思ったが…。さて何点取れるか?!。 2月14日 バレンタインデー 今日はバレンタインデーという日、僕には昔から全く縁のない日だった。娘は誰かに手作りチョコレートに あげただろうか、息子たちは誰かからチョコレートはもらったかな。最近息子たちとはゆっくり話す事もないから 分からないや。 僕がバレンタインに贈り物をもらったのは一度だけ、高校1年の時郵便で無記名でクッキーと言葉入りの栞を送ってきた。 そこ頃僕には同じクラスに好きな女の子がいたからその贈り物はその子から送ってきたものと信じ込もうとした。大学・ 社会人と独身時代クッキーが入っていたその入れ物が僕の裁縫用具入れとなった。 それ以外では社会人時代社内にいる時には職場の女性陣からもろ義理チョコをいただいていたし、離職して家の中だけで 暮らすようになってから嫁さんと小学生だった娘から愛情のこもった可愛いチョコレートをもらった事があった。 その時のパッケージはスキャナーで撮って保存しておいたのだが保存方法を間違えた様で表示出来なくなっていた。 その事が分かった時僕の心は寂しさで満ち満ちた。悲しかった。 まあ酒好きだった僕にはチョコレートなんかはほぼ酒のつまみの一つにすぎなかったが…、ただただもらえる奴が 羨ましくはあった。 2月13日 センター試験 数学U・数学Bは一応解き終わったけれど… 今日で今年のセンター試験 数学U・数学Bは一応解き終わったけれど…、答合わせをする気もあまり起きなくて 「やった」という達成感もほとんどない、何故だろう。原因の一つは初っ端の 問題1 [1] で『外分』という知らない 言葉が出てきて10点以上も得点には入れられない設問が出て(インターネットで外分と調べてそれ以降の設問も解くには 解いた)やる気力を最初から少しそがれた事。二つ目 問題3 数列の設問の[2]で式を見誤った(答の形が違ったので問題を 見直して間違いに気づいてやり直した)り問題4 ベクトルの設問では描いた作図を見誤った(直線上にはない3つの点を 直線上にあると勘違いして式を作った、答の形が違ったのでどこかで間違ったと気づきやり直した)りしたし、問題5 統計の設問では去年覚えたはずの相関係数の公式がうる覚えで二つ公式を思いついたのだがどちらが正しいのか 分からなかったので両方計算して答の桁数が問題の中の桁数と合う方にした。これが本当にセンター試験を受けている 立場でこんな事をしていたら恐らく時間が足りなくてずい分困っていただろう。こんな風だから解いていく過程に 悶々として答えを合わせてみようという気にもならなかった。情けない……なあぁ。 今年のセンター試験の数学T/A&数学U/Bの感想は去年より問題を解く上では難しくはなかったという事。例えは 数学U/Bの問題3 数列の問題の[2]、もし問題文だけなら解き方の予想もつかなかっただろうがセンター試験だから 解くための過程が示してあったから何とか解く事が出来た。問題5 の統計の問題の(3)も同じ、こんな解き方があるのかと思った。ともかく去年より得点は取れたと思う。 2月11日 祝日 建国記念日 今日はハッピーマンデーに指定されていない祝日 建国記念日、なのになぜ月曜日なの!。 月曜日家では排便の日、いつもは訪問看護師さんとヘルパーさんに排便介助をお願いしてるけど月曜/木曜が祝日の場合は 訪問看護がお休みだから嫁さんにやってもらう。けど体力的に辛そうな嫁さんの顔を見ているとこっちが 申し訳ないという気になって落ち込んでしまう。 今日も嫁さんが10時過ぎに浣腸そしてその少し後摘便、僕にはもう自然排便するだけの腹筋(?)の力は残っていないのだ。 10時半前にヘルパーさんが2人来てくれて嫁さんの後を引き継ぎ下をきれいに洗ってくれた後洗顔・清拭、今日は 慣れているF主任が来れないという事でコミュニケーションが上手く取れるかなと心配していたが何とか問題なく 通過してくれた。良かった。 家でも前日にラキソベロンを10滴以上服用すれば便が柔らかくなって(下痢になるかもしれないが)自然排便の形を とれるのかもしれない。けれど時間が制御出来ないし1日に2度3度と便が出て帰って嫁さんに迷惑をかける恐れもある。 それが嫌なのだ。 2月9日 スイッチ不調? 寒く寒くなってから夕方になるとスイッチを上手く動かす事が出来ない日が多くなってきた。息子たちに何度か 見てもらったが夕方以降は中々上手く動かす事が出来ないでいてイラついてつい嫁さんにあたってしまう、自分ながら 全く情けない話だと思う。でもよくよく考えてみると夕方はもう脚が疲れてしまいスイッチを上手く動かすだけの脚の力 それに身体そのものも自分が感じているよりも弱っていて身体を維持するだけの体力が残り少なくなってきたのかも。 そろそろまた次のスイッチを探す時期が来たのかな。 2月7日 モモの発情期も終わったかな? 1週間ほど前からモモがおかしい、何かの拍子にところ構わず「ギャアーゴ、ギャアーゴ」鳴く。また発情期の様だ。 夜中でもところ構わず大声で鳴くものだからお袋が腹を立ててモモを小屋へ導き入れてしまった、どこかでモモの うろちょろしている気配がしないととってもとっても寂しく感じる僕の気持ちも知らないで。そしてこの3-4日は夜中に 家を出ていって道向こうの保育園の床下でどこかのオス猫と逢瀬を重ねていたらしい、こんなに心配している僕の 気持ちも察して欲しいなあ。嫁さんは「あの不良娘が。」と少し呆れていた。 ところが昨夜から急にモモがおとなしくなって以前の様にかわいく「ミャーミャー」と鳴く様になった。どうやらモモの 春の発情期は終わったらしい。だが問題は夜な夜な3-4日オス猫と逢瀬を重ねていたモモのお腹に新しい命が 宿ったかどうかだ。子猫が生まれたらどうしよう。 2月5日 『外分』ってなーに? 昨日一日かかって数学U/数学Bの問題を設問毎に画像にしてWordにコピーし今日から問題を解き始めたが、大設問は まるまる一日かかっても一問出来ればいい方な様だ。数学U/Bは大設問が全部で6問もあるのだが、こんな調子で22日に レスパイト入院するまでに終了出来るかな。 ところが得点を稼ぐための問題である問題1 (2)で僕にとって難解な言葉が出た。その言葉とは「線分ABを2:1に 外分する」。『外分』?、何の事?、昔の高校時代の記憶を懸命にたどってみたがそんな言葉は聞いた記憶が なかった。「線分ABをm:nに内分する」とは十分に記憶に残っているし理解も出来ているのだが外分はどんなに考えても 想像だにつかなかった。もうどうしようもないと感じたのでインターネットで検索して調べた。線分ABをm:nに 外分するをPとする=線分ABの延長線上にあって AP:BP=m:n になるような点、だって。外分って頭の中に 想像して描くのが結構難しいな。 外分の意味が多分理解出来た(?かな)ところで問題1の(2)の残りの設問をやってみた。出来るには出来たが 15点中10-11点は外分の意味が分からないと解けない問題、この分はやっぱり僕の得点に入れちゃいけないだろうな。 もうこの時点で90点オーバーは無理か。問題1の30点分はおそらく受験生に得点を与えるためのサービス問題だったのに、 情けない。焦るなぁ。 2月3日 センター試験 数学T/数学Aは終わったがモヤモヤする 今年のセンター試験の数学T/数学Aが終わった。月曜日数学T・Aの問題を画像でコピーしてWordに貼り付け火曜日から 解き始めて6日間、思っていたよりは時間がかかった。原因は【問題3】の作図を間違えた(半径3の直径ABの頂点AとBを 反対に記入して作図した、考えられないミス)のとしばらく熟考した設問があった事。問題の初めの方にしては計算が 難しすぎるなと思いながら苦労して答を出したが、出した答がマークシートのマス目の数と違ったから問題を読み直し 作図違いに気付いた。それから作図し直して再度考え直したら正弦定理/余弦定理を適用すればそう難しい計算は 必要のない問題、センター試験数学問題の最初の方の設問はこうでなくっちゃあ。そして答を出したらマークシートの マス目とピタリと一致、これは多分正解だろう。 しかしながら本当にセンター試験を受ける身だったら作図を間違ったり熟考なんてしていたらそれこそタイムアウト、 点を稼がねばならない数学で85点×2以上採れなければ死活問題になるところだ今年の数学T・Aでは問題の意味が 分からない設問が1つあったし作図間違いや約10分間熟考もした。どこまで採点に入れていいものやら、 嗚呼 モヤモヤする。 2月1日 通院日 通院前の車椅子へ移乗してもらっている時に訪問看護Sの所長から「あの(峠の)新しい坂道通れる様になったよ。」と 事前に情報が入った。リフト車に乗り込み出発して車窓に流れる景色を見ていても僕は心ワクワク気がせってほとんど 目に入らなかった。県境の峠を越えるとそこは拡幅工事の最終段階の片側通行、そのガタゴト道を通り抜けると目の前に 一直線の新しい二車線(歩道付)の坂道が広がっていた。その風景はすっきりしすぎて感動というより奇異に見えた、 今までのヘアピンカーブは風景が目に迫って来てたから。この調子なら3週間後レスパイト入院でここを通る頃には道の 二車線の部分はもう出来上がっているかもしれないな。 病院に着きいつもの様に車椅子からストレッチャーに移動すると久々に幅の狭いストレッチャーで肘が柵に当たって 痛かった。けれど外来の看護師さんは僕に不慣れな方でその事に気付かない。僕が嫁さん通して「肘が当たって痛い」と 伝えるとようやく手載せ台を持ってきてくれた。しばらくすると主治医が来て診察と処置(カニューレ交換と胃ろうの 蒸留水の交換)、その後僕が「吸気圧を上げて欲しい」と頼んだら動脈血液検査をした上で人工呼吸器のプレッシャー サポート値を上げてくれた。その上で主治医が「楽になったでしょう?。」と聞くから「まだ分からない」と 伝えてもらった。けれど帰路のリフト車の中で呼吸が楽になったと感じた。 それだけ自発呼吸が弱くなった証拠だな。寂しい…。 |
1月 1月31日 モモ受難 モモは最近僕の部屋の障子を少し開けておくとよく部屋に遊びに来るようになった。しかし先日の朝方お袋にパソコンを セットしてもらった後にお袋が障子をきっちり締めてしまったらモモは障子の外に置いてあるテーブルに上がって障子を 破り僕の部屋に入って来てしまった。それから障子が閉まっている時はその破れた障子がモモの入り口になった。 今日の午後車椅子からベッドに戻る時間にモモにとって悲惨な出来事が起きた。訪問看護師さんとヘルパーさんが僕を ベッド移乗させようと準備をしていた時障子は締まっていた。障子の向こうでゴソゴソとモモのいる気配がした。 「モモ、入るの。」と看護師さんが障子を開けた瞬間とモモが障子の破れに前足を入れた瞬間が重なった、「ギャーぁ」 モモは一目散に逃げた。僕の部屋に恐れを感じたのかそれからモモの僕の部屋に遊びに来る回数が減った、気がした。 1月29日 モモは贅沢品好き? 最近のモモは時々僕のベッドには寝てくれるのだが、僕の脚の間を通り越してベッドの奥に置いてある黄みどりの毛布に 眠ってしまう。何故かなって思っていたら訪問看護Sの所長がケアの途中で「この毛布気持ちいいね。」と言いながら 黄みどりの毛布のタグを見て「この毛布シルクで出来てる。」って驚いていた。当然の事かもしれないがモモにとって 僕の脚の間より黄みどりの毛布の方が気持ち良いって事か。僕にとってそれよりも驚いたのはうちにシルクの 製品なんてものがあったって事。どうしたって言うんだろう。 モモやっぱり贅沢品が好きなんだなぁ。 1月27日 センター試験世界史Bをやってみた 今日は午後一番にテレビで大阪国際女子マラソンを見てから今年のセンター試験の世界史Bの問題をやってみた。去年も 思ったがこのセンター試験の世界史の問題は何か世界史の本流から外れていてまるでクイズみたいに思える様なのが いっぱい、僕にとってはこんな細かい事まで知らなくてもいいじゃないかと思えるものがかなりある。試験がこんな変な 形の問題でいいのか?、こんなんでで90点以上とれる受験生がいるのか?、こんなひねくれた問題ではなくてもっと 各国々の国を形作ってきた主要な出来事を問題にすべきではないかと僕は思う。 採点した結果今年は運も手伝って今年の目標に達し51点、あと2-3問は出来てもいい問題もあったのだが ミスってしまった。それに中国史はある程度勉強したつもりだったのだがまた『市舶司』『欧陽脩』(見た事はあった?) 『顧炎武』と知らない言葉が出た。解説を読むと欧陽脩は唐宋八大家の一人、こんなのを一人一人まで覚えなければ ならないのか。それなら竹林の七人も覚えねばならぬのかも。 センター試験の世界史Bの問題はほとんどが四択の正誤問題、そのうち三分の二ほどは二択にまでは絞り込む事は 出来るのだがそこから出題者のかけた罠にはまってしまう。けれどもし世界史をもっともっと熟知していれば一つたけは 覚えておくべきまともな内容が記してあるのでも少しいい点が取れるはずなのだ。けれどまだまだ未熟だからミスリード されてしまう。全く情けない話だ。 さて、来年の目標は60点。戦後史が終わったら古代ギリシャ・ローマ帝国の補講と主なローマ教皇がやった出来事の復習、 あとは過去問を解きながら知らない言葉を見つけ出しそれに関連した出来事を覚えていけば知識は深まるはずだ。 頑張ろう!。 1月26日 明日はいよいよ世界史 センター試験が終わった日から次の日曜日には世界史の問題をしようと決めていた。冷戦の終了/ソ連の崩壊まで終わる 目途がついた木曜日の夜からこれまでに学習したノート(Word)の読み直し(読み上げ昨日による聞き直し)を始めた。 けれど見直しを始めると誤字(変換ミス)・脱字・おかしな文がいっぱい、聞きながら読んでいく度に訂正すべき個所が度々 出てきて書き直すのに時間がかかって中々次の題目(ファイル)に移っていけない。ついイライラしてくる。こんな事で 今年の目標50点が採れるのかなあ、不安!!。 1月23日 入浴車 今日は午後一番で入浴車が来る日、週に一度のお風呂だから楽しまなくっちゃ。 お風呂に入る前まではいるかのコンサートでいるかがどんな歌を歌ったかという話で僕も今日の入浴車のスタッフの みんなも盛り上がっていたが、浴槽のお湯に浸かってしばらくした頃「浴槽に追加で注がれているお湯をかき混ぜて 欲しい」と伝えようとしたが何度繰り返してもうまく伝わらないのでイライラしてつい「ぎりっ」と大きな音で 歯ぎしりをした。それからというもの部屋の中はお通夜、しもうた。 1月22日 訪問歯科 今日は久しぶりの訪問歯科の日(ケアマネージャーからもらっている1月の予定表では訪問歯科の予定は毎週 記入されているのだが)。最初に歯科衛生士の方に「口を開ける訓練をして」と依頼した、上の歯と下の歯に手の指を 添えて口を開く訓練をしたら少しずつは口が開けれる様になると訪問歯科の前の先生が教えてくれたから。 まずはスポンジブラシを使って口の中の掃除、次に歯間ブラシを使って歯の間を磨いてもらう、そして小さい歯ブラシで 仕上げをしてもらった。最後は楽しみにしていた口を開ける訓練、だけどやり方が違うしずい分物足りない。前の 先生の時は歯の付け根のとこの関節が痛い程だったのに。この歯科衛生士さんにそこまで期待するのが 無理なのかなぁ。 1月20日 センター試験 昨日・今日と今年のセンター試験が行われている。幸い天気は全国的に悪くなかった様だ。あとは受験生が日頃の自分の 力をどれだけ発揮できたか。もう遅いけど、受験生諸君がんばって!。 僕はセンター試験もその前の共通一次も経験していない世代だから今の受験生の大変さは到底分からないが試験の日程が ひと月半ばかり早くなったのは気の毒と思う。僕が高校3年の時は2月はひと月間まるまる休みだったので昼夜逆にして 初めてと言えるほど一所懸命に勉強した。(あの頃隣の保育園からは園児たちが大声で歌う『S.O.S』が目覚ましの 代わりに聞いていたものだった。)それにしても今の受験生はセンター試験の結果如何で志望大学を変えなければならない 事もあるそうだからかわいそうと言えばかわいそうだ。 去年と同じ様に今年のセンター試験の世界史Bと数学T・A/数学U・Bの問題はインターネットでセンター試験と検索して 一応保存しておいた。出来るだけ早く解きたいのだが今週は大戦後のソ連&東欧諸国の学習と簡単な復習をして来週から 解いてみたいのだが…。世界史Bの今年の目標は50点、どうなる事やら。 1月18日 雪景色 今日は昨年末退院してから約4週間が経って久しぶりの通院日、昨夜から雪が降っていると聞いてはいたが正午過ぎ 車椅子に移乗して外に出てリフト車に乗り込み車窓から外を眺めると人の入っていないところは一面真っ白な雪景色。 思わずにやり、やっぱり雪景色はいいなぁ(他の方々の迷惑は一切顧みず…ね)。 昔から雪はだい〜好き。若かりし頃夜中雪の降っている気配を感じると自然に朝早く目が覚めて、すぐに学校へ行き 薄暗い中真っ白なグランドいっぱいに足跡を付けて回ったものだった。あの頃は雪と戯れていただけで本当に 楽しかった。今でもよ〜く覚えている。 1月16日 あせ〜る 今週末に今年のセンター試験が行われる。今年も数学(TA/UB)と世界史Bをの問題を解いてみるつもりだ。別に センター試験の当日に問題を解いてみようって訳じゃないからそんなに慌てる必要はないのだけど、世界史は センター試験の規定の時間内(1時間?)に終わる事が出来る(数学の問題を解くには2週間以上かかるかな)から出来るだけ 早くやりたいのだ。けれどまだ世界史の勉強がやりたいところ(戦後史)まで終わっていないし今までにまとめた分の ノート(Word)の読み直し(聞き直し)もまだだ。あせるな〜あ。 1月14日 成人の日 今日は成人の日…らしい。Happy Monday法が適用される様になっていくつかの国民の祝日が分からなくなった。だいたい 日付をずらしていい祝日って祝日にする意味があるのか。日付と関連のない祝日なんてもう止めてしまえ、連休を増やす 意味合いだけの祝日なんてくそくらえだ。 月曜日は僕にとっては便を出してもらう日。自然排泄できる普通の健康な方々には分からない様な苦労が本人にも 介護してくれる人にもいっぱいあるのだ。寝たきりの排泄って本当に大変、僕にとって精神的に一番苦痛な行事だ。 Happy Monday法や振り替え休日で今は月曜日の休日が多い。僕には苦痛な日だ。旗日訪問介護が休みだから嫁さんが 浣腸・摘便をしてヘルパーさんが2人で後処理・洗顔・清拭をしてくれた。けれど介護事業所がヘルパーの吸引を 認めていないので吸引する必要が出てくるとその度に嫁さんを呼ばないといけない、面倒くさい。全国どの地域でも早く ヘルパーさんが吸引してくれる時代が来るといいな。 1月13日 都道府県駅伝【女子】 毎年楽しみにしている『都道府県対抗駅伝』、今日は女子の日。この大会を見ていて最も楽しみなのはかって都大路の 高校駅伝で活躍した選手たちのその後の成長した姿が見られる事、ただこの2-3年は女子の高校駅伝をあまりよくは 見ていないから(レースは午前中だから)有力選手でさえもあまり覚えていないのが残念だ。それにしても前々から 思っているのだが女子の都道府県対抗駅伝では高校生が一般女子に含まれるのはなぜ?、高校/大学・一般それぞれの 選手の力が拮抗してるって事、それともこうしないとチームを組めない都道府県が出てくる?。たぶん後者の意味合いが 強いのではなかろうか。 今年の優勝は神奈川、チームとしての穴がなく個々の選手が自分の力を十分に発揮した様で強かった。 1月12日 久しぶりに政治の話 3年10ヶ月前民主党に政権が移ってからしばらくは期待を込めて政治の話をここに書く事もあった。けれど2-3ヶ月も すると民主党政権に早くも失望して政治の話にはすっかり触れなくなった。以前福田内閣の時代大連合の話が出た時 小沢(当時)幹事長から「民主党にはまだ人材が育っていない。」と言ったがその通りだった。でも昨年末の総選挙で 嘘つきでダメダメ民主党政権がようやく終わった。 総選挙での安倍自民党の圧倒的勝利予想が報道された日から円安・株高の流れが動き始め昨日は89円/$間近・日経平均株価 10,800円間近で終わった、アベノミクスへの市場(外国人投資家)の期待の表れだろう。ただ自公政権は有益or無益/ 無駄かどうかは結果を見てみないと分からないが国債を発行しての超大型公共事業をすぐにでもやる。これ以上国の 借金を増やしてどうなるなるのかと思うが…、安倍さんに期待するしかない。だけど国の借金は消費税頼みに なるのだろうな、20%か。 1月11日 やっぱり忙しい金曜日 今日は先週の様に入浴車は来ないのだけどやっぱり忙しかった。 朝はいつもの様に早く起きてパソコン遊び、朝の経管栄養が終わってしばらくした頃の午前10時半訪問看護師さんが 来てくれて朝のケア(髭剃り・洗顔・手足のリハビリ・歯磨き)、午後2時にはかかりつけ医のT先生に往診に来ていただいて カニューレの交換、次は午後3時訪問看護師さん2人に来てもらって1時間車いすに座らせてもらう。最後は 午後4時40分過ぎ理学療法士の先生に来てもらって訪問リハビリ、それから夜の経管栄養の時間までパソコンで遊ぶ。 こうして書いてみてもタイトなスケジュールで結構忙しい。でも6年間2週間に1度金曜日はこのスケジュールで やってきたのだからもう慣れた、かな。 1月9日 気まぐれモモ 我が家の猫モモは実に気まぐれ、僕を全く無視し続ける日々もあれは二日・三日と続けて脚の間で寝る事もある。モモは いったい何を考えているのだろう、僕にはモモの気持ちは想像もつかない。モモが僕の部屋に近寄りもしないととっても 寂しいしモモが脚の間で眠っていてくれるととっても嬉しい。明日のモモはどっちかな、楽しみでもあるし 不安…も。 モモがうちに来てもう1年、この1年モモが僕の家族になってくれてとっても楽しかった。モモよ、ありがとね!。 これからもずっとよろしくね。 1月7日 七草粥 今日のニュースは七草粥の話題でいっぱい。芹・薺ナズナ・御形ゴギョウ・繁縷ハコベラ・仏の座・菘スズナ(蕪)・蘿蔔スズシロ(大根)、 僕はこの内セリとカブ(スズナ)と大根(スズシロ)しか知らない、セリは昔は田んぼ脇の溝に生えていたので時々 採ってきておかずにしてもらったものだったが。多分他のも子供の頃道端や原っぱで見ていたに 違いないのだけれど。 それにしても七草粥の事を良く聞く様になったのはこの二十数年の事、子供の頃僕は七草粥を食べた事はないし 七草粥の事など聞いた事もなかった。七草粥は正月のおせち料理を食べすぎて疲れている胃や腸を休めるのに適した 時期の食べ物として重宝されいると聞くが、昔は今のテレビで見る様な上等なおせち料理を各家庭で用意されている事も なく餅や数の子を食い過ぎたり酒を飲み過ぎたりしない限り胃や腸が正月明けに疲れていると思う事はなかった。現代の 贅沢な食生活が七草粥の習慣を現代に呼び戻したのかもしれない。 1月6日 スイッチが微妙 最近パソコン用のピルケーススイッチの状態が微妙だ。早朝パソコンをする時スイッチは快調に動くのに昼過ぎに パソコンをする時は少し動きが悪くなり夕方パソコンをする時にはスムーズに入力をする事が出来なくなる。初めは 寒さでピルケーススイッチを挟んで押す右足の親指と人差し指の動きが悪くなっているからかと思った。確かにそれも あるだろうがスイッチを改善すればどうにかなるのではと考えた。 そこで夜下の息子を呼んでピルケーススイッチの中に入れ込んでいるスポンジの厚みを調整してもらった(僕の右足の 親指と人差し指は挟む力はあるけれど広げる力はほとんど残っていない、だから僕の場合ピルケーススイッチを強制的に 広げてOFFにするためにはスポンジが必要)。今のところスイッチの調子は悪くないが具合が良いかどうかはしばらく 使ってみないと分からない。上手くいってくれよ!。 息子よ、Thank you !。 1月4日 今年初めての訪問 お正月も終わり今日から訪問サービスも再開、Facebookで見ると年末年始も訪問サービスを行っている地区がある様だが 残念ながら我が地区はそうではない。悔しいし寂しい事だけれどこればかりは仕方がないか。 今年の訪問サービス初日の今日は結構忙しかった。10時半からは朝のケア(洗顔および歯磨き)、午後一番に入浴車に入り 3時からは掛かりつけ医のT先生のカニューレ交換、そして3時半から訪問看護師さんたちに1時間弱車椅子に座らせて もらった。しかもその後はパソコンを楽しんで…、かなり忙しい一日だったが踏ん張れた。 人と人との付き合いにはどうしても相性というものがある。僕はあまり人の好き嫌いはない方だがどうしても 合わない人もいる。そして最近人の好き嫌いがひどくなってきている。しかし看護・介護してくれる方の好き嫌いなど口に 出せる状況ではとてもないので耐えるしかない。でも加齢によって僕の我慢出来る心の力もかなり 弱くなってきているからなあ、心配…。 1月1日 元旦 普通の元旦の朝の風景は家族みんなで年始の挨拶を交わして数の子を肴にお屠蘇を口にして正月を祝ってから雑煮を 食らう。僕も元旦ぐらいは雑煮を食してみたいが、嚥下機能がすっかり落ちた今の僕は食べ物を口にする事など 出来るはずもなく、せめて雑煮の汁くらいは飲みたかったがその事さえも口に出来なかった。寂しい〜。 僕の正月三が日の過ごし方はもう定番、早朝起きてまずパソコン操作・8時過ぎから午後2時まではテレビで駅伝観戦・ 少し休んでからそしてまたパソコンで遊ぶ、ここ数年この繰り返しだ。年末年始の4-5日間は訪問看護がないから リハビリする事もないし車椅子に座る事もない。その間この身体が弱らないか心配だがでもこればかりはしょうがない、 なる様になるだけか。 年末年始訪問看護がない事で最も気がかりな事は着替えや便の処理などで嫁さんばかりに迷惑をかけている事、本当は 間間にアルバイトの看護師さんを頼みたいところだがそれも難しい。嫁さんに申し訳ないし心苦しい。やっぱり 年末年始は病院にいた方がいいのかな。 |