2023年
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3月
3月26日 友来たる
今朝は6時まで眠れたからか眠気も疲れも幾らか取れたようで朝からパソコンで文字を入力する気にはなった、昨日までの 二日間は眠たくて何もする気にもならなかったからYahoo GyaOで動画ばかり見て過ごしていた。
正午前に妻がケアをしてくれたのだが陰洗は面倒くさくなったので断った、陰洗したら体も下がるから妻一人で体を 上げてもらわなくちゃいけないので…それも嫌だったし。午後3時には中学から50年来の友Mが顔を見せに来てくれた。 そして1時間半ほど話をして帰っていった。僕は話を聞くだけでほとんど話に参加することはないのだけれど、今回は 地図の話から話に参加することが出来た。有田・伊万里の地図を見てたら知らない建物の名前がいっぱいあった。20年も 経ったら当然だろうが色々変わっていた、変わっていると知らなかったことが悔しかった。小中高校の同級生で僕の家に 訪ねてきてくれるのは今ではほぼMのみ。僕はほとんどの人とすぐに話すことは出来たけど深い付き合いをする努力は 怠った、僕を訪ねてくる人がいないという今の現状をそれが物語っているのだろう。まあ全て自分のせいだから 仕方ないな。

3月25日 N看護師初陣
土曜日のケアは朝10時15分から、担当は訪問看護ステーションTのN看護師(K所長は指導のため同行)とK会のヘルパー Mさん。昨日お風呂に入ったから今日のケアメニューは洗顔と清拭と陰洗で1時間、出来るだけ短いのがN看護師の初陣には 適しているしヘルパーが教え上手なMさんなのも丁度いい。いつも通りMさんが洗顔している間にN看護師はバイタルを測り その後K所長と二人で脚のマッサージ。それからN看護師とMさんの二人で清拭と陰洗(K所長は監督?)、清拭はまあまあだと 思ったけど陰洗は差し込み便器をきちんと差し込めるようになるまでにまだまだ時間がかかりそう。それにやり方に時々 指導が入るからケアには1時間20分かかったが…仕方ないか。まあ初めてにしてはよく出来た方かな。
どうも気温に身体がついていってないみたい。何かやろうという気持ちがしないし疲れも貯まってきているのか一日中 眠かった、まあ昨日のリハビリの疲れも幾分は残っているのだろうけど。それに体温調節が上手く出来ない身体だから エアコンや掛け物を調整しても変な汗をかいてしまう。かといって掛け物を何枚か減らすのも風邪引きそうで怖い。

3月24日 H先生のリハビリ
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのKさんとKさん? (Fさんは同行)、若い方のKさんは次から独り立ちという。テレビのワイドショー的な番組では今日もWBCでの日本優勝の ことばかり報じていた。聞いててまだ心地良いけど少々飽きてはきた。今日のお風呂はちょっと熱め、でもいつもの様に 少しずつ慣れてきてお湯の温度は気にならなくなった。しかし今日は左足の指がお風呂の後方の壁に擦れて痛かった。 普通の人は踵は直角だから指の上の方が壁に当たるなんてことは想像出来ないのだろう。今日もお風呂をあがってから 顔や腕に汗が吹き出した、これから半年以上こんな季節が続くのだろうな。
午後3時過ぎからはH先生のリハビリ。今日のリハビリはいつもよりかなり厳しかった、特に立位運動と脚の可動域 運動が。最初のベッドの右端での端座位は背中に当たるものがなくてスッキリしていつも通り気持ち良かった。背中を 伸ばしてもらった時に窓の外を見たらユキヤナギには白い花がまだ残っていたので嬉しくなった。次の立位運動では立つ 時もベッドに腰掛ける時も今日は太ももの力をかなり使わされた。立位運動で太ももにこんなに力を使うのは久しぶり、 最近は腰を伸ばす時の腰の様子ばかり気にしていた。時には太ももの力を使うのも良いものだ、3回とも鍛えているって 感じがした。最後の脚の可動域運動では膝の裏伸ばしとアキレス腱伸ばしが特にきつかった。体調がもうひとつだった せいではないと思うが…。

3月23日 今日は快便
今日は排便の日。昨日ラキソベロンを1滴増やして14滴にした効果が出たのか朝から結構強い便意があった。
木曜日のケアは9時45分から。最近訪問看護ステーションOのM看護師が時間通りに来るからパソコンを事前にシャット ダウンした。M看護師はちょっと遅れてきてすぐにバイタルを測り洗顔開始。そして洗顔が終わった時にK会のヘルパー Fさんが合流して…いつもなら二人で背中を拭いてもらうところなのだが急に便意が強くなってきたので排便介助を先に してもらうことに。M看護師にまず摘便してもらうと…固い便が出た後に片手山盛りの軟らかい便が出たそうな。その後は 液を半分ずつに分けて浣腸を2回してもらって、M看護師にお腹を押しながら摘便で残便と便汁を出してもらったらお腹も すっきり。背中を拭いてもらっても時間も余裕を持って終わった。今日は便もたっぷり出て良い終わり方だった。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。木曜日の車椅子移乗は一度立ってからスライド ボードで車椅子に移る手順、二人に立たせてもらった際は脚に結構力が入ってかなり安定して立てた。車椅子には テレビが見える位置で座らせてもらった。横目でユキヤナギ?の木を見たけど白かった花が緑っぽく見えた。1時間後 車椅子からベッドに戻った時には少し寒気を感じた。今日一日体調はもうひとつ。

3月22日 WBC決勝日本vsアメリカ戦
今朝未明死に繋がるかもしれない出来事があった。午前3時?過ぎ 水抜きをした時に回路のどこかが外れたらしい、 呼吸器を着けても(回路外れの低圧)アラームが鳴っているのに夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーNさんはアラームの 音を気にも止めなかった。慌てて僕が文字盤で「(息)苦しい、アンビュー」と伝えて…ようやくNさんが呼吸させて (アンビューして)くれた。呼吸して一息ついたこの後は「この危機を妻にどうやって伝えるか」が問題、Nさんにはこんな 危機にどうやって対処するか考える頭がないから…僕が考えて文字盤でNさんに伝えるしかない。だからアンビューして もらっている合間合間に文字盤を使ってNさんに「電話して」という要件を伝えた。ただNさんは文字盤初心者だから要件が なかなか伝わらないし、呼吸器から空気が送られてきてないことを分かってない(何回も「呼吸器を着けてもいいですか」と 聞かれた)&呼吸器から空気が送られてきてない時の対処法を知らない・アンビューし続けないと僕が呼吸出来てないと いうことさえも理解していないと思った。幸い妻が電話に気付いて来てくれたから死なずに済んだけど…、Nさんからは 危機感を全然感じなかった。改めて重度障害者訪問介護のヘルパーの無知さ加減を知った。トラブルの時に どう対処するか、マニュアルの必要性を感じた。それにこんなトラブルの時は両手が使えないと無理だと思った。
日本時間午前8時過ぎからWBC決勝 日本vsアメリカ戦開始。日本の先発は今永投手、1回表2番バッターにツーベース ヒットを打たれたがこの回は0点に抑えた。だが2回表6番バッターにソロホームランを打たれ1点を先取された。しかし 2回裏先頭打者村上が完璧な当たりでソロホームラン、1アウト満塁でヌートバーの1塁ゴロの間に3塁ランナー岡本が 帰ってきて2:1で逆転した。更に4回裏岡本のソロホームランで1点を追加し3:1とした。アメリカの打撃陣は誰も一発が あるバッターで今日の日本の投手陣は大変だった。今永→戸郷→高橋(宏)→伊藤→大勢と繋ぎ8回はダルビッシュ・9回は 大谷で締めた。ダルビッシュはまだ本調子ではなく5番バッターにソロホームランを打たれたが追加点は与えなかった。 大谷も先頭バッターを四球で出したけど次の1番バッターをセカンドゴロ併殺打に打ち取り2アウト、そして2番トラウトを 三振に打ち取りゲームセット、3:2でアメリカに勝利し侍Japanが世界一に輝いた。WBCのMVPは大谷選手、だけど日本 チームのMVPは初日から宮崎キャンプに参加しチームを一つにまとめたダルビッシュだと僕は思う。僕が注目していた 吉田選手は13打点でWBCの打点王、今日は目立った活躍はなかったけど昨日の準決勝の同点3ランホームを初めとして 大活躍だった。

3月21日 WBC準決勝日本vsメキシコ戦
今日は朝8時からWBC準決勝日本vsメキシコ戦、チャンネルを間違えて覚えていて最初を見逃すところだったけど妻が チャンネルを合わせてくれた。佐々木朗希投手は調子良さそうに見えたが4回の表に2アウトを取ってから2者連続ヒットと ホームランを打たれメキシコに3点を先行されたが、7回裏に近藤のヒットと大谷の四球で2アウト1-2塁にし吉田の ホームランで追いついた。これで安心したのもつかの間佐々木の後を継いで5回から投げた日本のエース山本投手が8回 表に捕まりツーベースヒット2本で1点を取られ、1-3塁にランナーを残したまま湯浅投手に交代。湯浅投手もタイムリーを 打たれ1点を取られたがレフト吉田のバックホーム好返球でタッチアウト、3:5の2点差で何とか食い止めた。8回裏岡本の 死球・山田のヒットで1-3塁、山川のレフト犠牲フライで4:5の1点差にした。そして9回裏先頭の大谷がツーベース ヒット、これで僕は何とかなると思った。続く4番吉田は四球を奪い代走周東、0アウト1-2塁でバッターは今日3三振の5番 村上。でも僕は「ライトフライぐらいは打てるだろう」と楽観視してた、ライトフライで1アウト1-3塁になれば同店までは 持って行けると。ところが神様村上様はセンターフェンスに当たるツーベースヒット、大谷に続いて周東まで帰り6:5の 逆転サヨナラ勝ち、明日の決勝vsアメリカ戦に駒を進めた。それにしても周東は速かった、メキシコのセカンドが ボールをつかんだ時にはホームベースのすぐ手前まで来ていた。
WBC準決勝日本vsメキシコ戦の間に朝のケアとリハビリを受けた。朝のケアの担当は訪問看護ステーションOのM看護師と 社協のヘルパーFさん。洗顔・背中拭き・陰洗をしてもらってそれから車椅子移乗、全てがスムーズにいって10時半には全て 終わって妻と雑談してた。10時50分頃訪問リハビリのH先生が1週間振りに来てリハビリ開始。最初は車椅子に座った ままで右上半身の可動域運動、それぞれの関節が程々に痛んだけど十分我慢出来た。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は 前に出した足に体重を移動する際に前足に力を込めて踏み込むことが出来たので調子良かった。ベッド上での左上半身の 可動域運動では肩と指の運動がきつかった。呼吸リハでは胸を下から押してもらった時に痰が剥がれ出た。 いい感じだった。

3月20日 今日の排便も難しかった
今日は月曜日 またもや排便の日、朝から弱い便意はあったけど昨日の方が強かった感じだ。昨日経管栄養の前に ラキソベロンを13滴服用したのに今日は効果が弱かったか、15滴まで増やした方がいいのかな。今日の朝のケアの担当は 訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさん、排便には悪くないコンビだけどT看護師にお腹をマッサージ してもらっても便意が強くならなくて難しかった。洗顔と清拭が終わっていよいよ排便タイム、1回目の液半分の浣腸では ガスは出たけど便は出なかった。だけど便が降りてきた感じはあったからT看護師に摘便で固い便を出してもらって残り 半分の液を浣腸、それで便が一塊出たけど下腹に残ったまままた止まった。急いでT看護師を呼んでお腹を押しながら 摘便して下腹に降りてきていた分の便を出してもらって…これで木曜日までもてるなとひと安心した。後は左側臥位で 残便・便汁を出してもらってお尻を洗って終わった。今日も25分もオーバーした、ヘルパーさんにも看護師にも申し訳 なかった。出来るのならばいっそのこと朝のケアの時間を2時間にしてくれないかな。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師と社協のヘルパーFさん。月曜の車椅子移乗は一度立ってからスライドボードで 車椅子に移してもらう手順。二人に立たせてもらった際今日はとても安定してた、Fさんのお尻の持ち上げ方が上手くて 僕の身体を支える手も安心感を与えたのだ。そんなFさんも今月末で異動とのこと、入浴車のスタッフとしては来るけど ケアでは来ないと。寂しいけど仕方ない。僕はFさんの性格も明るいキャラクターも好きなのだ。

3月19日 疲れた
夜中何度目が覚めただろう、何時であろうとも一度目が覚めたらもう二度と熟睡出来ない体質だから。ほんと毎日毎日 寝不足みたいな感じで疲れている。それに今週の重度障害者訪問介護のヘルパーさんの日々のシフトを考えると更に 疲れる。その上最低でも次の重度のヘルパーさんが見つかるまではこの体制が続くと思うと…更に更に疲れる。この 疲れ、多少の違いはあっても死ぬまでずっとだろうな。まあ仕方ないか、それが僕にとって生きてるって ことだから。

3月18日 重度障害者訪問介護
土曜日のケアは朝10時15分から、定刻ギリギリまでパソコンをしていた僕は玄関の開く音を聞いてからシャットダウン 操作を始めたから間に合わなかった。時計を見たら10時15分丁度、まあいいかと思った次第。今日の担当は訪問看護 ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMさん、何の心配もない絶好のコンビだから安心して任せて目を閉じた、今日も 寝不足みたいで朝から眠かった。昨日は通院だったから今日のケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コース、丁寧に 洗ってくれるし拭いてもくれるから満足だった。ケアが終わった時間も11時45分、ぴったしだった。久しぶりに時間を 気にせずケアを受けることが出来た。
午後5時からは重度障害者訪問介護、夜間のヘルパーは昨日に引き続きAさん。でもAさんがこうして頻繁に来ることは これからはなくなるだろう。昨日のAさんの話によると「Fさんは日・月・水・木の週4日」「Nさんは本業の関係で曜日が変わる 可能性はあるものの基本は週2日」「Kさんは隔週1日」。ということはAさんも基本は隔週1日、ただし誰かが来られなく なった時はAさんが代わり来る+繋ぎが必要な時は繋ぎに入る。今まで繋ぎは「火曜日は常時・日曜は時々・水曜は無視」の 週2回あったのを0にしFさんの努力目標に変えるとのこと。Aさんは週の重度障害者訪問介護の質がどんなに落ちるかには 考えが及ばないのだろう、シフトを埋めるので精一杯だからケアの質なんてものは考えたことがないのだ。まあ僕が 諦めた・何も言わず我慢しようと決めたNさんを出来ると判断して週2回もシフトに入れるのだから。「いくら募集しても 人が集まらない」ということを言い訳にして何か厄介者を押し付けられたみたいな心境だ、なにせこっちには選択権が ないのと同じ状況だから。Aさんも嫌いになりそう、重度障害者訪問介護はますます疲れる一方だ。

3月17日 通院日
今日は通院日。午前11時半前に社協のヘルパーYさんとFさんが来て…Yさんは洗顔・Fさんが脚のマッサージと装具付け。 その途中でFケアマネージャーが来て…今日は訪問リハビリのH先生が来られないから何らの手伝いに来たのかな。二人に 任せればいいのに車椅子移乗の様子を自分の目で見ないと心配だったのだろう、本当にいい人過ぎ。それからYさん・ Fさん二人で頸に装具を付けスライドボードで僕をベッドから車椅子に移動させた。それがヘルパーさん二人なのに 火曜日より上手い、流石ベテラン二人。そして体勢を整えてもらいFケアマネージャー(看護師)が最後の吸引をして もらって、妻も呼吸器を車椅子の下の板の上に動かしたりして外出準備完了。時計を見ると正午少し前、今日も 早かった。
外に出ると曇り空、ヘルパーさんが「病院までの往復で雨が降らないといいですね」と言っていた。今日の通院の目的の 一つは桜の咲き具合を見ること、東京で開花宣言したからこっちの方はどうかなと楽しみにしてた。病院までの道中1ヵ所 早咲きの桜があることは数年前から知っていたので、今年もこの早咲きの桜が咲いてると思って予め妻に「写真を撮って 欲しい」とメールしておいたのだが…早咲きの桜のある場所を直前にして「カメラを忘れた」と。まあこんなもんだろう。 結局今日は4ヵ所?で桜を見ることが出来た。早咲きの桜は3分咲きくらいかな。道中の路傍で目立ったのは白と黄色の 水仙、もう3月も下旬になろうとしているのに今年の水仙は未だに元気だ。
隣町のナフコの交差点で僕の乗ってるリフト車を救急車が追い越して病院の方へ向かったから救急処置室は使用中だとは 思っていたけれど、病院に着いた時救急処置室の入り口の前に救急車がやっぱり停まっていた。玄関でリフト車を降り 待合室の入り口で検温して招かれたのは救急処置室A、そこで車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを 測ってから主治医を待った。20分後(時計が見えなかったからはっきりとは分からないけど)主治医が来て診察と処置 (カニューレ交換)。それから主治医と妻が話していたけど目新しい話は次のレスパイト入院のこと、次のレスパイトが 4月28日からの二週間に決まった。診察が終わってストレッチャーから車椅子に戻り帰途についた。
家に着いた時に周りを見渡してもツバメの姿は見えなかった。使っているカラス撃退グッズは1種類だけ、折角3種類 買ったのに。自分の部屋に入り時計を見ると午後2時20分前、今日の通院も早く終わった。今日はリハビリがないから すぐに経管栄養、そして重度障害者訪問介護のヘルパーさんが来た頃には外が暗くなりかけていた。今日はほんと一日 天気がもうひとつだった。

3月16日 WBC準々決勝 イタリア戦
今日木曜日も排便の日、どうにかして排便を週1回に出来ないものかなと思うが…。朝9時45分ほんのちっょと前に 訪問看護ステーションOのM看護師が着いてバイタルを測り洗顔開始。そして洗顔が終わった時にもう玄関の開く音が して誰かの声がした。M看護師が「誰かしら」という問いに僕は「こんなに早く来るのは(K会のヘルパー)Mさん」と思ったが… その通り障子を開けて入ってきたのはMさんだった やっぱり。
それから二人でいつもの様に丁寧な背中拭きをしてもらい次は問題の排便。今日は朝は便意はなかったけど時間が経つに 従ってだんだん便意が強くなってきた、それでも便を出す自信はなかった。まず摘便でガスと固い便を出してもらった。 次に浣腸、最初ガスがいっぱい出て便も一塊出たけど腹圧が足りなくてまた途中で止まってしまった。それでM看護師を 呼んで下腹を押してもらったらいっぱい出た。それでもまだ残っている感じがしたのでもう1本浣腸してもらったら… 残便と便汁がヌルッと出た、これでお腹もスッキリになった。ケアも11時には終わっていた、今日は排便にしては珍しく 早く終わった。
朝のケアが終わった時にM看護師から「天気が崩れなかったら昼から庭に車椅子で出てみませんか?」と提案があった。僕は 来週には神社でも桜が咲いてるだろうからそっちの方を見に行きたいので「来週(散歩に)行きたい」と言ってしまって…、 つい「(今日は)どっちでもいい」とも言ってしまった。午後3時前M看護師が来た時には雲が広がってきていた。それで M看護師は「庭に出ます?」と聞いて僕は「行く」と答えた。社協のヘルパーYさんと二人に僕は一度立たせてもらってから スライドボードで車椅子に移って外に出た。外にはまだ日が射していて暖かく感じたし風も前回の散歩の時ほど冷たくは なかったしそろそろ散歩にはよい時期になってきた。最初は「ゆいたん」の見学、きれいな建物・内部もきれい・Y子さんにも 会えた。それから近所をぶら散歩(さるく)、菜の花が良い時期を迎えていたが椿はもう少しかな。妻が世話を焼いている 野良猫も石の上でくつろいでいた。朝晩のご飯と庭の3畳ぐらいの道具小屋の中に寝床与えたらしい、もううちの外猫 みたいなもののようだ。みんなこの猫のことを「不細工」と呼ぶけど愛嬌のある顔をしてると僕は思った。チビはこの 「不細工」を嫌ってはいないようで時々つるんで遊んでいるとのこと、チビは誰にでも優しいから。今年もツバメが巣に 来ていたらしい、今度こそツバメを烏から守ってやらねば。
今日の一番の楽しみは「WBC準々決勝 日本vsイタリア戦」を見ること。今日の先発は大谷翔平、前回の中国戦より調子は よかったようで4回までは2安打1四球5三振無失点に押さえていた。ところが5回表はこれまでの全力投球の疲れが出たのか 制球が乱れて2死球1安打、2アウト満塁で3番バッターにタイムリーを打たれ2点を奪われて降板、その後は伊藤投手が ぴしゃりと押さえた。日本の攻撃は3回裏近藤が四球で出塁すると大谷のセイフティーバンドで1アウト1-3塁、4番吉田の センターに抜けるような当たりをショートが取って1塁でアウトにする間に近藤が帰ってまず1点。そして5番村上の 四球の後6番岡本がホームランを放ちこの回4点を先取した。大谷が2点を取られた5回裏には大谷・吉田の四死球の後 村上・岡本の連続タイムリーツーベースヒットで3点を取り返した。最終的には9:3で日本の快勝、打撃陣も3回に先取点 4点→5回に中押し3点→7回にダメ押しの2点と理想的な点の取り方・投手陣も大谷(4回2/3)→伊藤(1/3)→今永(1回)→ ダルビッシュ(2回)→大勢(1回)と万全の布陣。ただ大勢は左打者?に弱いらしく2安打打たれた。クローザーが課題に なるかも。良い兆候もあった、村上がツーベース2本 打球も上がってきた。期待大。
ダルビッシュの登板は必要だったのか、栗山監督が日本のファンを喜ばせるために登板させたのかも。それとも決勝戦の クローザーに起用するためには今日の登板が必要だったのか。

3月15日 今日のリハビリ
午前10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のYさんとGさん・ヘルパーのIさんとMさん、久しぶりの 組み合わせだったが熱心に洗ってもらった。今日の井戸端会議の話はWBCの準々決勝の侍JAPANの先発メンバーのことを 考えていたから聞こえなかった。今日は先週ほど汗をかかなかった、今日の方が気温が低かった ということは体感的に ないはずだが。体長の問題か、不思議だ。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後2時過ぎからは訪問リハビリのH先生の代理 M先生のリハビリ、今日は脚も手も動かしてくれるとのこと。あんまり 機体はしていなかったけどありがたかった。M先生のリハビリが2時に変更になったってことを知らなかったから2時前に 玄関の開く音がしてM先生の声が聞こえた時はびっくりしたけど…、おそらく入浴車のスタッフとして最初来る予定だった Fケアマネージャー(看護師)が伝えるつもりだったのだろう。まあM先生のリハビリでは立つことがないから経管栄養が 終わったすぐ後にリハビリだとしても構わなかったが…。意外だったけどM先生のリハビリは下半身は結構力強くて まあまあ気持ち良かった。今週のリハビリは今日のみと、まあ仕方ない。

3月14日 ホワイトデー
ホワイトデー、昔からそして今でも僕には関係のない日だ。まあ関係ないと思っていた時点で僕の思いやりのなさを 露呈してると言えるのだろう。本当にしょうもない性格だ。もし僕が気遣いの出来るこまめな性格だったならばもてると いう言葉と縁がのかもしれない。
火曜日のケアは朝9時半から。ちょっと前に僕の部屋の障子を開けて入ってきたのは訪問看護ステーションOのK看護師と 社協のヘルパーFさん、K看護師は僕を立たせることは出来ないから何処までやるのかなと思っていたらFさんから 「聞いてます、端座位5分でいいですか」と。誰かと誰かが話し合って?「K看護師は端座位までなら出来る」との判断で ここまでになったのだろう。実際ほぼFさんの指導を受けて端座位までなら出来た。でもケアが終わったのは10時50分、 ちょっとかかり過ぎ? ケアが終わった時にFさんから「バレンタインデーにチョコレートをいただいたかお返しを持って きました」とのこと。後でプレゼントを見せてもらって…花とハンドタオル、妻が「きれいだから飾っておこうか」と。
何故いつもと違うケア内容になったのか、それは訪問リハビリのH先生が最低1週間は来られないから。

3月13日 排便はやっぱり難しい
今日は月曜日 排便の日、なのに朝から(ガス?で)便意はあったけど便が降りてきている感じはなかった。月曜日の朝の ケアは午前10時半から、定刻に今日の担当の訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさんが部屋に 入ってきた。このコンビなら排便に適した方なのだけど…便が出る自信は今日もなかった。
いつもの様にKさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸とお腹を聴診した後でお腹と脚のマッサージ。 それから二人で清拭、やっぱりこの二人の清拭なら安心して任せられた。ただテレビで「WBC」の話題が出た時なんかに 世界選手権の参加資格の話になって文字盤を使って二人の会話に加わって…時々清拭を中断させたりもした。そのつけは 後で回ってくる。
さて 問題の排便、今日はラキソベロンの効果があんまり出なくて便が降りてきてないようだったので浣腸液を2本使うと 決めた。T看護師に摘便でガスを出してもらい1本目の浣腸液を注入、ガスはいっぱい出たけど便は出ず…ただ便が 降りてきた感じはした。それから摘便で大腸を刺激してもらい2本目を浣腸、それで便は出かかったがまた止まった。 仕方ないのでT看護師を呼んで下腹を押してもらって便を出した。僕はもう自分では便を出すことが出来なくなった みたい、情けない。排便が終わった時に時計を見たら30分オーバー、申し訳ない。
午後3時からの車椅子移乗、T看護師とYさんが来てくれた。月曜日の車椅子移乗は一度立ってから、二人に立たせて もらったら…立ち上がる時は膝が少し不安定だったけど腰を伸ばす時は上手く力が入った。車椅子にはテレビも庭も 見える向きで座らせてもらった。梅の花はもう散ってしまっていたけれど隣に白い小さな花がいっぱいの枝に連なって 咲いていた。名前の花か知らないが…庭に花の色があるってやっぱりいい。

3月12日 WBC1次ラウンド全勝突破
WBC1次ラウンドプールB最終オーストラリア戦、国内の大エース山本投手の4回1安打無失点の好投と1回表3番大谷の3ラン ホームランで流れを掴んだ侍Japanは第二先発・中継投手陣の好投もあり7:1でオーストラリアに快勝、1次ラウンド プールBを全勝で突破し16日の準々決勝進出を決めた。テレビで見ていて日本の強みは投手陣の層の厚さ、他の国は リリーフに出た投手が制球をよく乱しているが日本のリリーフ陣にはそれがない。それに三振を取れるピッチャーが 多いのが日本の強み。世界一まであと三勝、先発投手以外は総力戦で頑張れ。BR> 正午30分前から妻にケアをしてもらった。その後妻に「(午後)4時から(実家の親戚の)法事があるので出かける、4時に重度 障害者訪問介護の人が来るようになってる」と告げれた。出かける数時間前に「出かける」という話を聞くのはよくある ことだからもう何とも思わないけど…それにどうせ聞いても僕には何も出来ないし。そして4時前重度障害者訪問介護の ヘルパーAさんが来ると妻は出かけたようだ。Aさんがうちに来るのは3日連続、Aさんと一緒にいる時間は妻と一緒にいる 時間よりたぶん長い。同時にもしかしたらAさんがご主人と一緒にいるより僕と一緒にいる時間の方が長い。こんなことを 続けていてAさんの結婚生活は大丈夫かな。

3月11日 WBC 佐々木朗希のピッチング
今朝「訪問リハビリのH先生が濃厚接触者になった」と連絡が入った。これで最短一週間はH先生の訪問リハビリは休み、 暖かくなって調子が上がってきたところみたいだけど…まあ仕方ないか。
土曜日のケアの担当は訪問看護ステーションTのN看護師(T看護師は指導係)とK会のヘルパーAちゃん、Aちゃんが土曜日に 我が家にケアに来たのは本当に久しぶりとのこと。それで「ケアの手順を忘れているかもしれない」と言いながらも N看護師にアドバイスをしていた、その辺は流石Aちゃんだ。Aちゃんが僕の所にケアに来るようになってからもうすぐ 15年になるそうで、僕のことを一番知ってるヘルパーさんになる。
今日のケアは洗顔と清拭と陰洗の1時間コース、ただT看護師の言うことを聞いてからN看護師はケアに取りかかることに なるから30分も時間もオーバーした。N看護師の清拭ももうひとつ、まあN看護師もその内慣れてくるだろう。
WBC1次ラウンドプールB チェコ戦 今日先発は佐々木朗希投手、世界戦デビューでどんなピッチングをするか楽しみに してた。1回表チェコのバッターは佐々木の160km/hのストレートをフルスイングで打ってきた。僕はプロ野球もない チェコのバッターが160km/hのストレートに当てることに驚いた、野球後進国チェコのバッティング技術はそんなに 高いのかと・佐々木の160km/hのストレートでも空振りは奪えないのかと。そして3番バッターに二塁ヒットを打たれ4番 バッターのショートゴロを中野が悪送球し1点を先取された。2回からは決め球をフォークボールに替えた。結局 佐々木投手の成績は3回2/3 打者17人に対し被安打2・奪三振8・四死球3・失点1・自責点0、11のアウトのうち8個が三振 なのだから素晴らしい成績なのだけど…僕は佐々木朗希だからこその物足りなさを感じた。それは四死球の多さと ストレートでの空振りの少なさ、贅沢かな。WBCだからそこまで求めるのは間違いか。
試合は1巡目手こずったチェコの先発軟投派投手を3回に捉え吉田のタイムリーで逆転、その後も追加点を重ね宮城投手が 5回を1失点2安打に押さえて10:2で快勝した。8回裏に4番村上にも良い当たりのヒットが出た、これでひと安心。

3月10日 WBC韓国戦
WBC(World Baseball Classic)開幕、昨日の中国戦は中盤までチャンスは作るものの肝心なところでタイムリーが出ず 接戦になりイライラする展開に。7回の裏牧のホームランから流れに乗ったものの、それまでは「完全な格下相手にこんな 試合しか出来ないんじゃあ世界一に黄色信号」と思わせるような前・中盤だった。とはいえピッチャー陣は安定してたし 試合も全体的に見れば先制点・中押し・ダメ押しと理想的な得点パターンだった。ただ気になるのは4番村上・5番吉田に 良い辺りがなかったこと、僕は世界一への打線のキーマンは吉田選手と考えているから尚更だ。8回山田哲人にタイムリーが出て良かった。栗山監督もセカンドに牧を使うか山田を使うか悩みどころだ。
さて日本にとって今日の韓国戦はプールBの1次ラウンドの天王山になると思っていていたが…思っていたより韓国 投手陣が意外にもろかった。3回表ダルビッシュがホームランを打たれ3点を取られたものの、その裏1-2回で5三振を 奪って絶好調と思えた韓国先発投手が突如乱れヌートバー・近藤・吉田のタイムリーで4点を取って逆転した。この回村上・ 吉田の打席を楽しみにしていたのだけど…吸引してもらっていて見られなかった、残念。その後も日本の投手陣は きっちりと押さえ打撃陣はまんべんなく点を取って13:4で韓国に快勝した。僕が注目している吉田選手はこの試合 3安打5打点、復活したと言えるだろう。心配なのは源田選手の怪我の具合と村上選手に良い当たりがないこと、このまま 不調が続く場合いつまで村上を使い続けるか・いつから山川選手に替えるのか、1次ラウンドの間は村上を使うと 思うけど…。
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのIさんとKさん、今日も浴槽に お湯が溜まるまでにY子さんが脚をマッサージしてくれた。お湯に浸かった時は少し熱く感じたけれどすぐに慣れた。 今日のスタッフの井戸端会議の話題は「卒業式」のこと、僕の小学・中学校の卒業式に親は来たのかなと考えながら みんなの話を聞いていたが最近の卒業式には親のどちらかは参加するようだ。足し湯と胸にシャワーでお湯をかけて もらって温もってからお風呂からあがったら…全身から汗が噴き出してきてしばらく汗が止まらなかった、もうそんな 季節になったということだろう。もうすでに春。
午後3時半前からは訪問リハビリ。最初はH先生に支えてもらってベッドの右端に端座位、背中を伸ばしてもらった時に 庭の梅の木を見ても白い花はあんまり見えなかったような気がした。昨日の車椅子移乗の時に見たらまだまだ花は 付いていたのだけど、夜の激しい雷雨で散ってしまったのかな。次に立位運動3回、H先生の立たせ方が今日からちょっと 変わった感じで少しばかり僕の力を使わせる方向にH先生の意識が向いたみたい。最後は脚の可動域運動では股関節や膝の 裏や踵にはそれなりの痛みがあったけど…いつもより痛みが弱くなったように感じた。暖かくなったからかも。

3月9日 出た!!
今日の担当の訪問看護ステーションOのM看護師が久々に定刻9時45分前に来て、最初にひと言「今日はどうしても外せない 用事があるから11時15分(定刻)には帰る」と。まずバイタルを測り胸とお腹の聴診、朝からある程度の便意はあったけど お腹の聴診をしてもらったことがお腹の良いマッサージになったみたいで便意が強くなった。そして洗顔開始。洗顔が 終わったところでK会のヘルパーMさんが着いて…背中拭きより排便介助を優先してもらった。まず最初に摘便してもらい 固い便一塊を出してもらった。次に浣腸液半分を注入してもらったら今日もまた便が途中で止まった。その分の便を 摘便してもらったら大きなガスと一緒にドバッと便がいっぱい出た。それから残り半分の浣腸液を注入してもらったら 残便が一塊出て止まった。どうやら僕には便をいっぺんに出す力はもうないようだ。でもとりあえずお腹はぺっこりと 減っこみ便意もほぼなくなった。M看護師 お世話になりました。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーFさん。今日は木曜日、二人に立たせてもらったけど結構 上手く立てたと思う。いや上手く立たせてもらったというべきか。そしてスライドボードで車椅子に移って庭もテレビも 見える向きで座らせてもらった。庭の白梅の花もちょっと散ったかなって感じ。でも庭に花があるっていいな。1時間弱 車椅子に座っていたらM看護師早めに来て社協のKさんが5分前に来た。すぐに二人に車椅子からベッドに戻してもらい 午後4時45分にはすでに全て終わっていて雑談タイム。ニュースでソメイヨシノの開花も来週中にはと言われている中、 雑談に入り込み「桜を見に行きたい」と言いたかったのだけど…飲み込んだ。

3月8日 風呂上りに汗をかく季節
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのMさんと Kさん、お風呂にお湯に溜まるまでにF看護師は僕の脚を入念にマッサージしてくれた。その後看護師二人に万歳と 左側臥位をしてタッピングした上で吸引をしてもらいお風呂に入った。お風呂に浸かろうとした時に回路から気管に水が 入りむせてしまった。その影響があったのか今日はずっと息苦しさを少し感じていたと思う。Fケアマネージャーによると 4月1日付で社協において大幅な人事異動があるとのこと、今日の井戸端会議はこの人事異動のことで盛り上がって いたけれど…僕には知らない名前ばかりで何にも分かんなかった。お風呂に浸かって温まってからネットを上げて身体を 十分に洗ってもらい…ネットを下ろしてお湯に浸かり足し湯をして胸にシャワーでお湯をかけてもらってもう一度十分に 温まってお風呂からあがった。久しぶりにタオルで腕を何回も拭いてもらうくらい汗がいっぱい出た。そういう季節に なりつつあるのか、僕の脳はまだ感じないが。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時半前からは訪問リハビリ、H先生の下半身の可動域運動と立位運動3回。脚の可動域運動では股関節・膝の裏・踵の 痛みが少し薄くなったような気がした。立位運動では昨日の歩行運動でH先生に車椅子から立ち上がらせてもらった時の ことを思い出してベッドから立ち上がろうとした、3回とも立ち上がりは意識していた分少しは良かったと思うが…。 立位保持は 装具に踵を浸けようとしたけど、難しかった。

3月7日 うちの梅が咲いた
火曜日のケアは9時半から。なかなか熟睡出来なくて眠くて何もする気が起きなかったのでパソコンを早めに シャットダウンした。今日の担当は訪問看護ステーションOのK看護師と社協のヘルパーKさん、ここ2回連続 ヘルパーさんの帰るのが遅くなっていたので今日こそは定刻に帰してあげたいと考えていたのだが…無理だった。 どうして難しいのか。確かに(Kさんが今日指摘したように)K看護師のやり方には無駄がある。でもそれだけではない、 技術が身についていないのだ。所々に経験のなさが露呈する、そういう現場で働いていなかったのだから仕方ないし 訪問看護としての経験を積むしかないのだ。K看護師は病院事務の資格を持ってるという。たぶん病院事務の方が給与は 高いと思うのだけど…どうして訪問看護師になったのか、K看護師なりの理由があると思うけど。陰洗までは10時25分まで かかったけど車椅子移乗自体は20分で終わって訪問リハビリのH先生が来る前に済んでた、車椅子移乗はすごい進歩だ。 あとは洗顔・背中拭き・陰洗をどうやって10時10分までに終わらせるか。
午前11時前にH先生が到着。車椅子に座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、肩の内転・外転・上方への運動は 数を数えながら耐えた。庭には白梅の老木が沢山?の花を付けてた、うちの梅の木にこんなに沢山の白い花が付くなんて 僕の記憶にないことだ。去年の春に活動してない方の幹を切ってもらったのがこんなに良い結果を導いたのか。庭を 剪定してもらって良かったって思うのはこれが初めて、モチノキなんて枝が全然横に伸びてこなくて坊主みたいな ものだもの。次はベッドに戻る時の4歩の歩行運動、H先生に車椅子から立ち上がらせてもらう時に太ももと膝に少し力が 入ったような気がして それから腰を伸ばすことが出来た。それに歩行の4歩目に不安を感じたので脚に力を入れて 踏ん張った。最後はベッド上での右上半身の可動域運動と呼吸リハ、呼吸リハでは胸を押してもらっても背骨が 痛むことはなくなった。

3月6日 疲れる一日
月曜日 また排便の日、憂鬱だ。でもまあまあ便意はある、期待出来る。そう思っていたが…。
今日の担当は訪問看護ステーションTのK所長と社協のヘルパーSさん、僕の部屋の障子を開けて入ってきたK所長の顔が 見えた瞬間「今日は駄目だ」と諦めた。K所長の排便介助は僕と相性が悪いのだ。洗顔と清拭が終わった時に時計を見たら 午前11時15分前、まあまあの進行状態だったけど浣腸を3回(半分ずつ+1本)したけど…ガスはいっぱい出たが便は小さい コロコロ二個しか出なかった。まあ排便しながらしょっちゅう文字盤をしなければいけないんじゃ気分的にもゆっくり 出来なかった。こんな気持ちじゃ出るものも出ない…。
午後5時からは重度障害者訪問介護(夜間)。朝帰る時Aさんから「今日はNさんと一緒に来る」と聞いていたからNさんの顔を 見た時もびっくりはしなかったが…、「また朝まで疲れるのか」と思いはした。Nさんのケアはどれも時間がかかる、右手に 障害があるからか慣れてないからか それとも性格から来るものかは分からないけれど…僕はもう疲れてきた。 かといって新しいヘルパーの応募→採用がない限りどうすることも出来ない事情は分かっているし…無理だ。諦めの ムード。

3月4日 なんかバタバタ
土曜日のケアは朝10時15分から。昨日が通院だったから今日のケアは洗顔・洗髪・清拭・陰洗の1時間半コースで、今日の 担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーMさん。ヘルパーがMさんだからK所長を上手くリードしてくれる だろうと思っていたが…なんかバタバタはしてはいたけどMさんは期待通りだった。陰洗は終わったのは11時半、これを 効率的なケアだったと見るべきか。僕には清拭や陰洗では病院でのケアみたいで大雑把だなと思えるところもあって… パートナーがMさんだったけどケア中にもうひとつゆったりした気分になれなかった。まあ土曜日のケアは こんなものだろうけど。

3月3日 通院日
今日は通院日。午前11時半頃Yさん・Kさん二人が来てKさんは洗顔・Yさんは脚のマッサージと装具付け。ところが二人が ケアしている間に訪問リハビリのH先生がもう着いて二人は「もう」とちょっとびっくりした表情だった。洗顔が終わったら H先生とKさん二人で頸に装具を付けH先生が僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。今日はベッドが低かったから H先生も苦労するだろうと思い膝に力を入れるつもりだったのだけど力が入らず、H先生がしっかり立たせてくれて…僕は 腰を伸ばそうと力を入れただけだった。妻に最後の吸引してもらって車椅子で動こうとした時に正午のサイレン、今日も 外出準備が30分で終わった。リフト車に乗り込んで窓から空を見上げたら一面青空、今日も外出日和だ。
今日の通院で僕が見たいのは梅の花の咲いている様子、隣町に入って「行きに紅梅3本」「帰りに紅梅3本と大きな白梅1本」が 見れた。白梅は紅梅6本を合わせたくらい大きかった。山の方に登る道の途中にあるこの大きな白梅は去年も見て綺麗・ 見事だと思ったから位置も覚えていた。今日は梅の木を見ることばかりに目が行っていたから他の風景がほとんど目に 入らなかった。それにしてもリフト車に車椅子で乗り込んだ時は目の位置が窓に合わないから風景が見づらい。一般の 大きなワゴン車をリフト車に改造したから窓の位置がリフト車には合わない。ワゴン車のフォルムの型はそのまま 使っていいから窓を特別でっかく高くしてくれないかな。
病院に着いて玄関でリフト車を降り待合室の入り口で検温して救急処置室に入って時計を見たら午後1時5分過ぎ、結構 時間がかかった。すぐに車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを測り終えた後に前回に続いて採血。 いつもなら採血の結果が出た後に主治医が来るはずなのに…今日は採血が終わったらすぐに主治医が来た。そして 診察をしカニューレ交換をした後採血の結果を妻に伝え出ていったようだ。いつもならここで一息ついてから帰り準備を するところなのだけれども…「救急車が入る」と連絡があったとかで慌てて車椅子に戻り追い出されるようにバタバタと 救急処置室を後にした。玄関でリフト車に乗り込んでいる時に救急車のサイレンの音が聞こえた。出発した際に玄関前の 池を横目で見たら亀が3-4匹甲羅干ししているように見えた。家に戻り隣の部屋から時計を見るとまだ午後2時15分、 前回より1時間以上早かった。
20分ほど待つとH先生が到着、すぐに下半身のリハビリ開始。まずベッドに戻るための4歩の歩行運動、右足重心になる 時に思いっ切り踏み込まないと不安定になりそうで怖かった。次の脚の可動域運動では股関節の屈曲運動も膝の裏 伸ばしも踵伸しもいつもより若干長かったような気がした。H先生から「今日は関節が柔らかい」とのこと。調子が 良かったからこそ少しぐらい長くても耐えられるとH先生は考えたのかな なんて。

3月2日 散歩
今日木曜日も排便の日。だけど朝から幾分便意もあって月曜日よりいい感じ。今日の担当は訪問看護ステーションOの M看護師とK会のヘルパーFさん、排便介助はまず摘便でガスを出してもらい浣腸液半分を注入。最初はガスしか出なかった けれどしばらくすると半分ぐらい便が出た。M看護師にお腹をマッサージして押してもらうと途中で止まってしまった 残便が出て、確認の摘便をした上で残り液を浣腸してもらったら便汁とガスが出た。今日はこれでたぶん大丈夫、以外に スムーズにいった。流石M看護師。朝のケアの終わりにそのM看護師から「午後車椅子に座った時に散歩に行きましょう」と 言われ僕は大喜び。
午後3時からの車椅子移乗、先に社協のヘルパーYさんが来て「M看護師は10分遅れてくる」と僕に伝えてから脚の マッサージをし装具を付けた。そこへM看護師が着いてYさんと一緒に頸に装具を付けて…一度立たせてもらってからもう 一度ベッドに横になってスライドボードで車椅子に移って、外出準備が終わったところへFケアマネージャー(看護師)が 着いてみんなで外に出た。
ご近所への梅散策に付き合ってくれたのはM看護師とFケアマネージャーと妻。まずは道路沿いの斜め後ろのお宅の 枝垂れ梅を観賞、今が満開のようで垂れた枝に幾つもの花々が付いて今が見頃と綺麗に咲いていた。枝垂れ梅の上の方の 枝(幹に近い方)には花が付いていないのを今日初めて知った。次は30〜40mぐらい離れた焼き物屋さんの駐車場、去年は きれいな紅梅・白梅が咲いていたと記憶しているのだけれど今年は紅梅の花がふた塊ほど見えただけ、白梅は何輪か 咲いているようにも見えたがよくは分からなかった。もう散ってしまったのかまだ咲いていないのか…、この辺りはよく 風が通るから気温が低い。次は道路を上って我が班の端の方へ、といっても我が家の2軒隣だが。奥のお宅へつながる 道へ入っていくと奥のお宅に紅梅が両側のお宅には見事な白梅が咲いていた。いずれも今が満開、散歩の日を今日に 決めてくれて良かったって感じだ。それから田んぼの様子や路傍に咲く菜の花・スミレを眺めて家に戻った。家に戻る時に 東の山々が見えたのだけど…僕の知ってる子供の頃の山の景色と違っていて月日の流れを感じ寂しくなった。家に 着いたら庭で日向ぼっこ、その時庭の石の上で同じように日向ぼっこしている野良猫が見えた。野良猫と言っても妻が 餌と道具小屋に寝ぐらを与えているようで「ここが我が家」とでも言うように堂々としていた、が 僕があんまり 見つめるものだからばつが悪くなったの少し奥の見えにくい所まで引っ込んだ。妻とM看護師は畑?庭?に入り込んで ふきのとうを採っていた。風は冷たかったけど青空、絶好の散歩日和だった。ありがとうございました。

3月1日 訪問理容
今日は訪問理容、入浴車の前の朝9時に訪問理容リリアンのKさんが初めて?一人で来て散髪開始。ほぼバリカン1つで 散髪。バリカンの使い方の様子から髪は短く切られたらしいと思ったけど、妻からは「さっぱりしたね」と言われ入浴車の 時に髪を洗っている感じも直に指が頭に触れてるみたい。後でパソコンの画面に映った自分の頭を見たらほんと「短い」。 中学生の時のボウズの頃は「頭の後ろが出っ張ってる」と言われるのが嫌だったけど…今はいつも寝ていて人から 見えないから気にもならない。
午前10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフが部屋に入ってきた時の第一声は「髪切ったんですね、短く なりましたね」と。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさんとGさん・ヘルパーのMさんとFさん(Kさんは同行)、今日も Kさんは脚の係りとベッドメイクをFさんの指導の元実施。お風呂に入る前にF看護師が脚をマッサージしてくれて、その後 看護師さん二人で万歳をしてもらってから左側臥位してタッピングした後吸引してもらった。お風呂に浸かっている時の 井戸端会議のみんなの話題は「エホバの商人の輸血問題」のことから始まって色々、結構面白かった。井戸端会議の後は ネットを上げてもらい体をしっかり洗ってもらって、もう一度お湯に浸かり足し湯と胸にもシャワーでかけてもらって しっかり温まりお風呂からあがった。今日のお風呂も気持ち良かったし楽しかった。
午後3時半前からはH先生の下半身のリハビリ。初めに脚の可動域運動、股関節の屈曲運動は今日も内転気味。股関節の 内側が痛むが最近この痛みにも少し慣れてきた。耐えていれば良いことがあるのかも。脚を挙げてもらう膝伸ばしは だいたい90〜100秒、膝の裏や大腿二頭筋の膝側に痛みがうねりのように襲ってくるけどいつもの様に数を数えながら 耐えている。踵伸しもかなり痛い。アキレス腱の方はまだまだ耐えられる範囲だけど足の甲の方はもうぎりぎり。しかし 足の甲がこれ以上変形すると機能的にも問題が出てくるし見かけも悪い、だからH先生にお任せでただ我慢。H先生に よると今日はこの頃では可動域が一番動いてたと。立位運動はまだH先生に頼りっぱなし。ただ立ち上がって腰を伸ばす 動きが今日は3回ともスムーズで一連の動きになっていた。



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2月
2月28日 時間がかかる
火曜日のケアは朝9時半から、今日の担当の訪問看護ステーションOのK看護師と社協のヘルパーFさん二人が部屋の障子を 開けて入ってきた。どうやら火曜日の担当はK看護師と決めたようだ。洗顔・背中拭き・陰洗までは10時15分までには 終わっていてまあ悪くはないペースだった。ここから車椅子移乗、車椅子に座って庭の方を向いて体勢を整えてもらった 時にはもう訪問リハビリのH先生がもう着いた。Fさんは「遅くなってもいいから安全に そして確実に」とK看護師に対して 言ってたけど、ヘルパーさんをケア時間以上に留めておく訳にもいかないから…。K看護師に車椅子移乗に早く慣れて 欲しいなあ。
上半身のリハビリはまず車椅子に座ったままで。左肩の可動域運動を受けながら庭を見たら梅の老木に白い花が4〜5輪 付いてたが…だけど花が小っちゃい。妻は「栄養不足」と言うが、それならどうしたら普通に花が咲くの。ベッドに 戻る際の4歩の歩行運動では重心のかかる足をつく時に力を込めたら久しぶりに普通に歩けた。ベッドに戻ってからは 右上半身(肩・腕・手)の可動域運動と呼吸リハ、可動域運動は数を数えながら耐えた。可動域は少しは広がって いるのかな。
午後5時前に重度障害者訪問介護(夜間)のヘルパーKさんが部屋に入ってきた。だがその後にNさんも、えっ二日続けて 同行っ。介護を受ける者のことも考えてよ、同行は精神的にほんと疲れるんだから。特にNさんは右手に障害を持って いるから一つ一つのケアに時間がかかる、その辺は考慮に入れてるのかな。異常時で吸引が必要な時は僕はかなり 苦しむと思う、僕はそれを許可してる訳じゃない。重度障害者訪問介護が構造的人手不足だから技術が…。

2月27日 自信がなくなった
今日は月曜日 またもや排便の日、排便する自信がなくなって 困ったものだ。今日は朝から幸い幾分ながら便意はある、 「出ればいいのだが…」と思っていた。今日の担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーSさん、Sさんは 僕にとってはほんとに久しぶりだったけど…T看護師は「スーパーで何度か会ったことがある」と言う。いつもの様に Sさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸の聴診をしお腹と脚のマッサージ、このT看護師の上手なお腹の マッサージでお腹が動いて幾らかガスが出た。次に二人で清拭、ゆったりとした気持ちで安心して任せた。最後は課題の 排便、まず摘便でガスを出してもらい液半分を浣腸。それで半分ぐらい便は出たが途中で止まって出し切らなかった。 その分を摘便で出してもらって残りを浣腸。それで残便が出てお腹もスッキリ、ただ時間は15分ほどオーバーした。 申し訳ない。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とYさん。月曜日の車椅子移乗は一度立ってからスライドボードで車椅子に 移る手順。立たせてもらった時に今日はちょっとばかり上手く立てたような気がした。車椅子からベッドに戻る際の T看護師のペアはKさん、午前中のケアが永くなった分出来るだけ早くYさんに帰って欲しかったのだけど…出来なかった。 駄目だなあ。

2月26日 最後の放浪
昨日の夕方下の息子が帰ってきた。新潟・佐渡と屋久島に行って、今度釧路に流氷・4湖・生き物を見に行くと言っていた。 国家試験に受かっていれば(受かっていると思うけど)4月から仕事、もうゆっくり休める機会はなくなる。卒業式までの間 今のうちに6年間勉学を伴にした友人たちと遊び回るのも良いことだと思う、自分で貯めたお金を使ってなら特に。もう これが学生時代の友人たちと遊ぶ本当に最後の機会になるかもしれないのだから。
思い起こせば42年前規模は違うけど同じようなことをしてた。学生時代の特に仲の良かった10人ぐらいが集まって 山口県の湯来温泉で1泊してお別れ会をした、露天風呂に雪が積っていて趣のある景色だなと思ったことしか覚えて いないが。卒業式が終わって滋賀県の膳所に帰るという友達に誘われ付いていった。途中で降りて倉敷の美観地区と 後楽園を見学し、2日に渡って京都市内を案内してもらった。「哲学の道」「嵐山」「小倉寺・苔寺」等々、その友達とは それ以降会っていない。その後静岡県小山の友人宅にも友人と二人で遊びに行った。富士山の裾野辺りをドライブし ポルシェ館に立ち寄ったことを覚えている。
今思うと学生時代にもっと色んな所に行っておけばよかった。夏休みの北海道でのアルバイト・列車や自転車での 中国地方の散策、お金がないことを言い訳にしてたけどケチケチ旅行が出来たはず。思い切りがなかった!!

2月25日 寒いっ
今日は朝起きた時から肺が冷えて…体調が悪くなりそうな感じだった。
土曜日のケアは朝10時15分から、メニューは洗顔・清拭・陰洗の1時間コース。担当は訪問看護ステーションTのT看護師と K会のヘルパーTさんという何の問題も起こりそうにないペア、僕は安心して目を閉じてケアを受けていた。いつも通り Tさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸の聴診をし それから脚のマッサージ。次に二人で清拭、僕は 上半身の前の方を清拭してもらう時は肺が冷えないようにするためにいつも胸にホットタオルを置いてもらうのだけど、 胸に置いてもらった熱っつ熱のホットタオルが今日はすぐ冷たくなった。それだけ今日は気温が低いのだろう。最後の 陰洗が終わった後に時計を見るともう11時半。今日も15分時間over、申し訳ない。介護の単位時間が今の30分ではなく 15分ならばもっと融通が利いて増やせるし…僕も気が楽なのに。

2月24日 スイッチ交換
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのFさん(同行 Kuさん)とKaさん。Kuさんは同行2回目、今日はFさんが「一緒に来るのは3回よ」と言いながら指導しKuさんが介助してた。 F看護師がスタッフの中にいない今日はY子看護師が脚のマッサージと膝の屈伸運動、ありがたいことに脚のマッサージも 僕の入浴車のルーティンに組み込まれたようだ。その後看護師二人に万歳と左側臥位になってタッピング・吸引して もらってお風呂に入った。お湯は今日も結構熱く感じた、今朝も冷え込んだそうだ。頭を洗ってもらいながら体が十分 温まったところでネットを上げてもらい、体を隅々まで洗ってもらってもう一度お湯に浸かって温まっていたら… 久しぶりに汗が出てきた。今日はそれくらい温まったということだろうか。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時半前から訪問リハビリ、いつもよりちょっと遅れ気味でH先生の顔が見えた。まずは脚と頸に装具を付けてから H先生に支えてもらいながらベッドの右側に端座位、いつも背中が何かにくっついているから背中が解放されたみたいで 気持ち良かった。端座位でH先生に背中を伸ばしてもらった時に僕の部屋の定位置(部屋の南・東側の窓の隅)に置いてある 猫ベットの上で眠っているチビの背中がちょびっと見えた。僕がチビの姿を見ることはほとんどないから背中のちょっと 見えるだけで嬉しかった。立位運動は今日も3回ともH先生に頼りっぱなしだった、腰や太ももにもう少し力が入らない ものかな。H先生の脚の可動域運動は今日も激しくていつも通り数を数えながら耐えた、いつもよりちょっと 少なかったかな。
退院ししばらくして右足の親指と人差し指の間に挟んで使っていた圧電素子スイッチ(PPS)が上手く作動しなかったので、 ピルケーススイッチを使ってみたがスイッチがたまにしかONに反応せず使い物にならなかった。しかしスイッチを指に 挟んで使っていたら指の筋力トレーニングになるかもしれないと思いそのまま右足に挟み続け、その間は左足のピル ケーススイッチでパソコンを操作していた。ところがこの2〜3日左足でのパソコン入力が上手く出来なくなってきて イライラと右足入力が懐かしくなって、スイッチ交換(ピルケース→圧電素子PPS)して試してみたら…入力出来るように なっていた。やっぱり使える筋肉は使っていれば幾らかは成長するんだ。

2月23日 天皇誕生日
今日は天皇誕生日、去年までなかった祝日で今年カレンダーで赤字なっていたから最初なぜだか分からなかったけど… 天皇陛下が一学年下の早生まれだと思い出してそうかと。祝日なのに訪問さんはみんな来てくれた。ありがたい。
今日も悩み多き排便の日、だけど便意も便が降りてきている感も月曜よりなかった。かなり心配だったけど…今日の 担当が訪問看護ステーションOのM看護師だと分かっていたから何とかしてくれるかも と幾らかは期待してた。
M看護師は今日も定刻(午前9時45分)に到着、まずバイタルを測り洗顔開始。そして洗顔の途中で玄関の開く音がして… 「あの声は誰かな?」と話していたら障子を開けて部屋に入ってきたのはK会のヘルパーFさん、久しぶり。それから 二人で背中拭き、毎度のことながらM看護師の背中拭きは清拭並みに丁寧で「そこまでしてくれなくてもいいのに」と思う。 さて問題の排便、今日も苦労した。今日は浣腸液を半分に分けず初めから2本使おうと決めていた。1本目で半分は 出たのだけれど…途中で止まって残った分を出すことが出来なかった。その分をM看護師に摘便で出してもらって2本目の 浣腸、それで残便も幾らか出たが…それも途中で止まって残りを出すことが出来なかった。その残便と便汁をM看護師が 絞り出してくれて、お腹もスッキリになった。ありがとうございます。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーFさん。二人で脚をマッサージし脚と頸に装具を付け僕を 一度立たせてからもう一度ベッドに横にしてスライドボードを使って僕を車椅子に移してくれた。今日も車椅子は 庭向き、庭の梅の老木に付く蕾は少しは大きくなったみたいだが…今日はお隣の庭の色鮮やかな紅梅は生垣の南天?の陰に なりほんのちょっとしか見えなかった。車椅子の背もたれを倒し過ぎたのか。その後もM看護師は部屋に残り足浴を してくれた。何年ぶりかの足浴、お湯に足を浸けることは同じだけど足浴には何か違った良さがあるような気がする。 M看護師の心? ありがとうございます。

2月22日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のメンバーは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのIさんと Kさん、F看護師は月末近くになると来月のスケジュール表を見せるためも合わせてかだいたいメンバーに加わっている。 この前の通院で左足が「血行不良としもやけ」と診察されたからか入浴前にF看護師のしてくれる脚のマッサージや屈伸 運動の時間が長くなった、ありがたいことだ。今朝はまた冷えたからお風呂に入った瞬間はお湯が熱く感じたけど… すぐに慣れた。それで足し湯と胸にシャワーで暖かいお湯をかけてもらって温まり、ネットを上げて全身をゴシゴシと 洗ってもらいもう一度お湯に浸かり十分に温まってお風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時過ぎからは訪問リハビリ、H先生の下半身のリハビリ。最初に脚の可動域運動をしてもらったのだけれど、 相変わらず股関節の屈曲運動も膝の裏伸ばしや踵伸しも初めの頃から結構強い痛みが来る。ほぼ1ヵ月間激しい可動域 運動から離れていた影響が未だに残っているのか、それとももう年齢的なものなのか。その後の立位運動も3回とも 立つのも腰を伸ばすのももうH先生に頼りっぱなし、やり方を忘れたみたい。立位状態で左右の足に重心移動した時に 腰を伸ばそうと色々試行錯誤してもがいてはいるが…これもなかなか難しい。
H先生のリハビリの直前に妻に「梅の写真を撮って」と頼んだのだが答えは「No」、だけど夕方ご近所の梅の写真を 撮ってきてくれた。僕が見たかったのは「うちの梅の木の蕾の付き具合」だったのにご近所の梅の花まで、 ありがとう。

2月21日 K看護師 独り立ち?
火曜日のケアは9時半からと早い。なのに訪問看護ステーションOのK看護師と社協のヘルパーKさんが定刻に来た。 火曜日のケアは洗顔・背中拭き・陰洗と車椅子移乗で1時間、しかし車椅子に移乗し終わったのは訪問リハビリのH先生が 来た時で時間がかかり過ぎだ。K看護師はひとつひとつの作業に時間がかかる、またひとつの作業(例えば背中拭き)に 時間をかけ過ぎだ。背中はそんなに何回も拭かなくていいのに、でも丁寧というのは違うような…。K看護師が 独り立ちするにはまだまだ時間がかかりそうだ。
車椅子に座り終えて庭の方に向かせてもらった時にH先生が来た。まずは車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の 可動域運動、庭の方を見るとモチノキは相変わらずさえないけど梅の木に蕾がいっぱい付いていそうお隣の庭の紅梅が 紅色で色鮮やかに見えた。可動域運動は今日も厳しかった、特に肩の内転・外転が。ベッドに戻る際の4歩の歩行運動は 4歩目の歩幅が広くて踏ん張りきれず少し不安定感を感じた。ベッドに戻ってからは右上半身の可動域運動と呼吸リハ、 呼吸リハで下から胸を押されても背骨はほとんど痛まなくなった。

2月20日 何とか出た
今日月曜日は排便の日、昨日一昨日とちゃんとラキソベロンを服用していたのに朝から便意もほとんどなく便が降りて きている感じもあまりなくて不安はあった。今日の朝のケアは10時半から、担当は訪問看護ステーションTのT看護師と 社協のヘルパーYさん。今日もN看護師が同行、今日はメモするだけではなく少し手伝っていたようだったが…。洗顔と 清拭は何の問題もなく順調にいったけど排便介助では二人にずい分苦労をかけた。
1回目浣腸液半分を注入した時はガスしか出なかった。その後摘便で固い便を取り出してもらって2回目残りの浣腸液を 注入、それで半分ぐらい出た感じはしたが摘便してもらってもまだ残っている感じがしたのでもう1本浣腸液を使って もらった。これでほとんど出たと僕自身も思っていたけれど便汁が出てない気がしたので用心のためにテープ式オムツを 着けてもらった。ケアが終わったのは12時半過ぎ、30分以上もオーバーしまった。三人に申し訳ない。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師と社協のヘルパーKさん。今日は一度立たせてもらってからスライドボードで 車椅子に移ってもらった。今日立った感じももうひとつ、なかなか上手く出来ないなあ。

2月18日 新人さん
土曜日のケアは朝10時15分から、定刻にK会のヘルパーFさんとそして訪問看護ステーションTのT看護師が僕の部屋の 障子を開けて顔を見せた。久しぶりにN看護師が同行、この前「訪問看護ステーションTの新しい看護師さんとは会った?、 名前はなんて言うの?」と聞かれ「Nさん」と答えたけど間違いなかった。昨日が通院だったから今日のケアは洗顔・洗髪・ 清拭・陰洗の1時間半コース、洗髪はゴシゴシと洗ってもらって気持ち良かったし清拭も特に手足を丁寧に拭いてもらって …ちょっとだけ時間オーバーして終わった。N看護師はケアの間ずっとメモ、笑顔も時たま見せるけど根っからが 真面目そう。まだN看護師は文字盤を一度も使ったことがないけど大丈夫かな。

2月17日 通院日
今日は通院日。午前11時半にヘルパーさん二人が来て外出準備、まず二人でスロープを玄関に設置しFさんが洗顔・Yさんは 脚のマッサージと装具付け。そして二人で頸に装具を付け終えたところに訪問リハビリのH先生が着いて僕を一度 立たせてから車椅子に座らせてくれた。玄関のスロープを下り外に出て空を見上げたら空一面の雲、外出日和とはほど 遠く 気温も下がって雨が降ってないだけましくらいの天気だった。今日見たかったのは梅の咲き具合、だけどご近所の 枝垂れ梅(紅梅)の蕾が大きくなってきたかな程度で リフト車の車窓からは道中どこに梅の木があるかも判らなかった。 今年は梅の開花が遅れているような気がするのだがそういう感じがしているのは僕だけ? 病院までの道中に路傍で 見ることが出来た花は水仙のみ、今の時期が路傍で見られる花々の一番少ない頃かもしれないな。
病院に着き玄関でリフト車から降りて待合室の入り口でヘルパーさんと一緒に検温、その際待合室を眺めると待ち人は いつものごとく二〜三人だけ。僕の来院時間が真っ昼間ということもあるけど「この病院大丈夫か」と来る度に 思ってしまう。救急処置室に入った時に時計を見たらまだ12時45分、ヘルパーさんが「今日は早く着いた」と 言っていたが…。みんなに車椅子からストレッチャーに移乗してもらい 看護師さんがバイタルを測って採血をしてから 主治医に電話を入れると 「病棟で患者さんに応対中」とのことで結局待ち時間50分、人工呼吸器を着けて以降の20年間の 通院でこんなに待つのはおそらく初めて。しかしあまり待たないで済む通院の方が一般的に言えば珍しいか、僕は昔から 大事にされていたということだろうか。待ち時間に話題に上がっていたのが僕の左足のこと。「右足より浮腫んでいるし 足先が冷たくてより紫色が酷い」のだそうだ、自分では指先の感覚もあるしなんとも感じないのだが…。結構待って ようやく主治医が来て診察とカニューレ交換、その後左足を診てくれて「長い間呼吸器を着けている方の中にはこういう 症状の出る方がいますものね」とのことで「皮膚科に診てもらいましょう」と。それからまたしばらく待つと皮膚科の先生が 来て左足と気管切開部の上部に出来た肉芽を診察、左足の方は「血行障害としもやけ」とのことで両方の部位とも塗り薬を 出してもらった。そのあとストレッチャーから車椅子に戻してもらい帰る準備をして救急処置室を出る時に時計を見たら もう14時15分、今日の診察はいつもより1時間以上長くかかった。リフト車に乗り込んでからも会計待ちで妻はなかなか 戻って来られず、今日は待たされっぱなしのアンラッキーな通院日だった…天気ももうひとつでしかも梅の花もまだ 咲いてなく見られなくて残念な日だった。
リフト車の運転手さんも急いで帰ってくれたのだけど家に戻り部屋に入って時計を見たらもう15時20分過ぎ、リハビリの H先生をずい分長いこと待たせてしまった。早速リハビリ開始。車椅子からベッドに戻る際の4歩の歩行運動では2歩目の 左足重心の時に十分重心が乗らないうちに3歩目に移行した感じで右膝が崩れた。次の脚の可動域運動では今日のH先生は 全体的に厳しいように感じた。股関節の屈曲運動では最近のH先生は股関節のやや内側向きに攻めるし、膝の裏と踵伸しは いつもより長い時間に感じたし…。40分ぐらいリハビリをしてもらいそれから昼の経管栄養、遅い昼食になったが リハビリを優先するというのが僕の考えだからしょうがない。

2月16日 排便の日
木曜日は排便の日、最近排便の日に便がちゃんと出てくれるかどうか不安になる。週に1回の排便ですむ経管栄養は ないのかとか、肛門近くに機器を埋め込んで降りてきた便を便器まで自動瞬間移動させることは出来ないのかなんて 未来話を考えてしまう。現実にちゃんと向き合って週2回便がスムーズに出る方法を考えないと駄目だな。
木曜日の朝のケアは9時45分から、定刻に訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを測り洗顔開始。そして洗顔が 終わる頃玄関の開く音がして小さく?「おはようございます」の声がした。「誰?」という話になってM看護師は「Moさん」僕は 「Maさん」、僕の部屋の障子を開けて入ってきたのはK会のヘルパーMoさん M看護師が正解。僕がMaさんと思ったのは ヘルパーさんが定刻(10時15分)8分前に着いたから、Maさん以外に10分ぐらい早く来るヘルパーがいるとは思って いなかった。でもM看護師とMoさんは息の合ったコンビ、朝からある程度の便意はあったし今日の看護師はMさんだと 分かっていたからほぼ出ると思っていたけど…案の定排便は順調で多少の残便感が残った程度。このくらいの方が次の 月曜日も便が出る予感。
午後3時からは車椅子移乗、社協のヘルパーFさんが少し前に来てパソコンの移動・車椅子移乗の準備・脚への装具付け。 Fさんが脚をマッサージして装具を付けている時に訪問看護ステーションOのK看護師が着いて、K看護師も右脚に装具を 付けた。その後二人で頸に装具を付け終えたところにM看護師が着いた。木曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから もう一度ベッドに横になりスライドボードを使って車椅子に移してもらう手順、K看護師は僕を立たせたことがないから M看護師とFさんが僕を立たせるところを担当し、後はK看護師とFさんに任せてM看護師はK看護師の指導に徹する ことに なっていた。ただいくら「手は出さない」と言っててもすぐ手が出てしまうのがM看護師の悪いところであり良いところ、 手が出てしまうのは仕方ないか。でもK看護師の積極性は買うべきだろう。

2月15日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。部屋に入ってきたスタッフのFさんが開口一番「新人を連れてきた」と、3週間前?にFさんから 「新人を連れてくる」と聞いていたけど…幼稚園でインフルエンザが流行っていて幼稚園が休みになり延び延びになって いた。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とGさん・ヘルパーのFさん(Kuさん)とKaさん、Fさんが 熱心にKuさんに僕の場合の入浴車のやり方を教えていた。
スタッフにG看護師がいるとお風呂に入る前に脚のマッサージや屈伸運動をしてくれる、それがかなり気持ち良い。その後 看護師さん達に万歳10回と左側臥位の姿勢で30秒タッピングしてもらって吸引してからお風呂に入った。お風呂に入った 瞬間お湯はあんまり熱くは感じなくて、それで足し湯をしてもらい胸にシャワーでお湯をかけてもらって温まってから 体や髪を丁寧にそしてごしごしときれいに洗ってもらった。お風呂に浸かって温まっている時の今日の井戸端会議の 話題は中国人が購入したという沖縄の小島のこと、最初「どのくらいで買える?」ということから話は始まってやがて 「侵略じゃない?」と話しは移って偵察用気球に話は至った。体を洗い終わるともう一度お風呂に浸かり十分温まって お風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時半からは訪問リハビリ、H先生の脚の可動域運動と立位運動。可動域運動はH先生の厳しい動かし方にもある程度 耐えられたと思うけど3回の立位運動は立つのも腰を伸ばすのもH先生に頼りっぱなし、今日は力が入りにくくほとんど ダメだった。特に3回目?の右足重心になった時に踏ん張りきれずに右腰が落ちた。H先生とタイミングが合わなかったのは 確かだけれど…気力不足、立位運動の際はもっと気力を入れないと駄目だなあ。
ほんとに本当に久方ぶりにアンナさんのホームページを見た。アンナさんの心臓の状態がかなり思わしくないことは ずっと前から知っていたのだから…定期的にアンナさんのホームページのブログを見ていればアンナさんが亡くなった ことをもっと早く分かったのだろうけど。この日が来てまた友を失うのが怖かったのは確か…。つまらない言い訳を してもよかったら Web閲覧ソフト「Internet Explorer」が終わるのが分かって「Google Chrome」に切り替えたのだが、 IEのお気に入りをどうやってChromeに移していいか分からなくて…。今回アンナさんのホームページを開くのも 苦労したが、IEのお気に入りの中の「アンナさん」のプロパティにURLがあって無事開けた。7月末まで命がけでブログを 書き命ある限り生きたアンナさんの姿がそこにはあった。僕には出来そうもない。好きな相撲の話を熱く語る アンナさんの姿が瞼に浮かんだ。

2月14日 悲しい知らせ
昨日の夜悲しい知らせが入った、僕の呼吸器を着けた最初の友人の訃報が。福岡県の筋ジストロフィーを患っていた アンナさんが昨年の9月25日の早朝に亡くなったそうだ、喪中にも関わらず不謹慎にも年賀状を出してしまったのだけど その年賀状を見て娘さんからメールが入ったのだ。メールアドレスはアンナさんの、娘さんみぃちゃんはまだ アンナさんのメールアドレス・パソコン?を使ってくれている、何となく嬉しい。それと同時にアンナさんのブログを ずい分見ていなかった自分が情けなく申し訳なかった、大事な大切な友人なのに。何もする気がなくなってしばらく力が 入らなかった。
火曜日のケアは朝9時半から。なんと訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーYさんが定刻前に僕の部屋に 一緒に入ってきた、M看護師にしては珍しく早く。M看護師は「K看護師が来たら交代して次の訪問先に行く」とのこと。 いつもの様にYさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを取って脚のマッサージ。それから二人で背中拭きをしようと しているところにK看護師がもう着いた、たしか10時を過ぎると言っていたはずなのに。K看護師はM看護師の指導を 受けながら背中拭きと陰洗、火曜日にK看護師が来るのが何回目になるのか忘れてしまったがなかなか慣れてくれない。 M看護師も側臥位する時にK看護師に対して「呼吸器・呼吸器」と言い過ぎ、確かに大事なことだけど呼吸器に注意が 行き過ぎて他のことがおろそかになっている傾向がある。陰洗が終わるとM看護師は次の訪問先に向かっていった。
車椅子移乗はK看護師とYさんの二人、スライドボードを使って車椅子に移った。Yさんがいろいろリードしてくれて何とか 上手く車椅子に座ることが出来た。車椅子は今日も庭向きにしてもらった。今日の車椅子の位置からはモチノキも老梅も よく見えた。モチノキは今年はもう望みなし、梅の木には蕾が付いているように見えた。妻に近所の枝垂れ梅の様子を 聞いたら「まだ咲いてない」と、今年は梅が咲くのが遅いようだからうちの老梅もこれから咲くのかな。咲けばいいな。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。上半身の可動域運動は車椅子に座ったままで。肩の内転(腕を反対の肩の 方に近付ける)と腕を横から上に挙げる時は相変わらず痛みが早めに来るけど、これはもう仕方ないのだろう。ベッドに 戻る時の4歩の歩行運動は先週よりは良くなったと思うけどまだどこかに違和感がある。去年のようには中々戻らない 感じだ。呼吸リハで胸を下から押してもらった時の背骨の痛みはどんどん小さくなっている、身体が馴染んで きたのだろう。

2月13日 無事出た
今日は朝から便意はある程度あったし便が降りてきている感じがあったけど…先週のことがあるから便が出るか大いに 気になっていた。だけど今日便は無事に出た。本当自分の排便ひとつコントロール出来ないなんて情けない話だ。今日の 担当の訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさんは僕の便が出たことを喜んでいたし安心もしてた。 やり方は今までと同じ、違うのは前の排便の後にどのくらい残便感があったかどうか。先週の木曜日は車椅子に座った 後に少し便意が出てきたけど、先々週は便がスッキリ出過ぎて日曜まで便意は全くなかった。排便の後も少し残便感が あった方が次の時に便が出やすくなるという矛盾、困ったものだ。

2月12日 実地研修
今日は2回(昼・夜)に分けて重度障害者訪問介護のヘルパーさんの実地研修。2回になったのは経管栄養の手順の確認を2回 するため、気管から痰がそんなに度々出る訳でもないから痰の吸引の2回の確認も兼ねてるんだと思う。実地研修は普通は 2日に分けて実施するらしいが、僕の実地研修は何回も延び延びになっているから1日に2回実地研修をして実地研修を 1日で終わらせるようにAさんが各所を調整してくれた。その一つが指導看護師を大分県から呼び寄せたこと、僕はAさんに そんな調整能力があると思っていなかったから大いに見直した。
さて実際にNさんの実地研修だけど緊張していたからか片手に不自由な部分があるからかは分からないけれど一つ一つに 時間がかかった。それに気管の吸引も口の吸引もテクニックの問題で取り残しがあった。時間が解決すると評価されそう だけど。集合研修で現場に即対応したことも教えてほしいんだけど時間的に無理だから実地研修で教えるのか。しかし 実地研修は概ね評価の場になっているから同行の時に教えてもらえということか、教えることに関して素人に。今日も 疲れたけどこれからも疲れそうだ。
まあ指導看護師さんがアイシャドーは濃ゆくて若い頃の僕の好みじゃなかったけどきれいな人だと思った。でも部屋の 中でもコートを着たままで常識に欠けてるなあとは思った、コートの下を垣間見たらかなりの薄着だったから寒くて 脱げなかったのかもしれないけど。

2月11日 建国記念の日
今朝訪問看護ステーションOのM看護師から「今日のケアの担当の看護師から「風邪を引いたので今日は休ませてほしい」と 連絡があったので、代わりに私が(午前)10時半に行く」と電話があったとのこと。僕はてっきりヘルパーさんも10時半に 来るものと思い込んでパソコンを楽しんでいたのだが…、定刻10時15分前に僕の部屋の障子を開けて入ってきたK会の ヘルパーMさんの顔が見えたので驚いて そして慌ててパソコンをシャットダウンさせた。
Mさんは看護師さんが遅れることにたいして驚くこともなく洗顔開始。そして洗顔が終わる前にM看護師が来てバイタル 測定と脚のマッサージ。僕はもっと遅くなると思っていたので正直びっくりした。洗顔が終わると二人で清拭と陰洗、 息も合ってて僕もゆったりと安心してケアを受けた。M看護師は今日のケアにかかっていい時間が1時間だということを 知らなかったようで時間をかけて丁寧なケア、それで15分ばかりオーバーしてケアは終わった。M看護師 代打 お疲れ様でした。
夜のテレビの番組で池上彰さんが言っていたのだけど2月11日は正式には「建国記念の日」と呼ぶそうで、日本の建国 (国家の基礎が確立したこと)を祝う日だそうだ。僕は今までずっと「建国記念日」と呼んでいたがそれは間違いだった。 2月11日は「古事記」「日本書紀」によると初代天皇 神武天皇の即位日とのこと(紀元節)。

2月10日 真田紐
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とKさん・ヘルパーの FさんとKさん。今日のメインの役はK看護師が務めるとのこと、久しぶりだったけど安心していた。ところが困ったことが 起きた、カニューレが抜けることを防ぐための空色のウレタンの紐が今日はなかった。妻に相談すると真田紐を2本持って きて渡した。僕が見るのも何年ぶりかの真田紐。看護師さんが使い方を知ってるかどうかも分からないのに黙って 真田紐を渡した妻、優しくない。看護師さんは二人とも真田紐でカニューレを結ぶ様子は見たことあるようなのだけれど 使い方は覚えていなかった。仕方ないので僕がお風呂に浸かりながら文字盤で一つ一つやり方を教えた。が 言葉で 真田紐の使い方を教えるのはやっぱり難しかった。一つ発見したことは今のカニューレの箱の中に入っている真田紐は 両端が始めから斜めに切ってある、昔紐の両端は四角だった。このことを知っていればやり方の説明が一つ少なくて 済んだのに。
今日も楽しくて気持ちの良いお風呂をいただいた。お風呂に入る前にF看護師が脚のマッサージ&軽い運動をして くれるのだけどこれが結構気持ち良い。お風呂に浸かりながらの井戸端会議での話題は11テレビ(地元のケーブルテレビの 放送)の事、みんながインタビューを受けたらしいのだがテレビの映り具合を気にしていた。こんなたわいのない話を 聞くのも楽しいものだ。そして体も髪も全身しっかり洗ってもらって湯船の中でゆっくり温まり気持ち良くお風呂から あがった。やっぱりお風呂はいい。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、診察とカニューレ交換をしてもらった。妻にカニューレを抜いた時に 気管切開穴 特に穴の上部を見てもらったら「また肉芽が出来ている」とのこと、ほとんど毎回気切ガーゼに血が付いてるし どうりで痛いはずだ。
午後3時過ぎからは訪問リハビリ。最初にH先生に支えてもらってベッドの右端に端座位、今日は端座位の姿勢も先週より 結構安定していたしモチノキもかなり見えたければ葉っぱは相変わらず寂しい。次の立位運動はベッドがあまり高く なかったこともあり3回とも厳しかった。1回目→2回目→3回目とだんだん良くなっていくんだけれど、腰の伸ばし方を 体が忘れてしまったみたいで元に戻るには時間がかかりそうだ。最後の脚の可動域運動はだいぶ我慢した。H先生の 力加減が違うのかもしれないけどまた慣れてはきたようだ。

2月9日 いっぱい出た
今日(木曜日)は排便の日。そこそこに便は降りてきていて下腹が幾分ぽっこり膨れてる感じは朝からあったし便意も そこそこあった。しかしいくら便が降りてきている感があっても月曜みたいに出ないこともあると心配していたが…。
今日の担当は訪問看護ステーションOのM看護師、定刻にK看護師を伴って来た。そしてM看護師が洗顔している間に K看護師はバイタルを測りお腹のマッサージ(僕の要望)。それから二人で背中拭き。いつものことながらM看護師の 背中拭きは上半身の清拭と言える程本当に丁寧、頭が下がる思いだ。背中拭きの途中でK会のヘルパーAちゃん到着、 Aちゃんと会うのはほんと久しぶり 若いけど最古参?の頼りになるヘルパーさん。
そして排便介助の刻、まずM看護師が摘便して「固いコロコロした小さな便がある」と言って出してくれた。それから 浣腸液を2回に分けて注入、これで便はたっぷり出たようだったけど…便汁がまだ残っているような気がしたので M看護師に摘便で出してもらいもう1本浣腸液を注入。これで肛門の上辺りに残っていた便汁の残便も出て下腹も スッキリ。一度の排便で浣腸液を2本使うなんて離れ業は病院では頼めない 家での訪問看護ならではのことだな。
午後3時からの車椅子移乗で1時間車椅子に座った後ベッドに戻ったら…下腹に幾らか便が降りてきている感じがあった、 今頃になって昨日のラキソベロンの効果が出てきたか…遅すぎる。でも このまま便が溜まっていったら来週の月曜日 (次の排便日)は安泰だろう。

2月8日 入浴車
水曜日の朝10時過ぎからは入浴車。入浴はこの寒い季節1週間の内で僕が楽しみにしている時間帯でもある。今日の 入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのIさんとMさん、G看護師もメインとしての役割を十分に果たして いるし入浴車のスタッフとしてIさんが加わったのは久しぶりだ。いつも通りお風呂に入る前に看護師さん二人に万歳 10回と左側臥位になりタッピングしてもらった上で気管から吸引してもらいお風呂に入った。お風呂に入った瞬間は「少し 熱いかな」と思ったのだけれどすぐに熱さに慣れて「そろそろぬるくなりそう」と感じて足し湯をしてもらった。そして 全身をしっかりと洗ってもらい、浴槽に浸かり胸にもシャワーで熱いお湯をかけてもらって十分に暖まってお風呂を あがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後3時半前からは訪問リハビリ、今日は下半身の運動。最初は脚の可動域運動。今日のH先生の股関節の屈曲運動も結構 きつくて特に内転に近い方の屈曲運動の際に痛みが早めに来た。膝の裏伸ばしと踵伸しは痛かったけどまあまあかな。 4歩の歩行運動は1回目の立たせてもらってから腰を伸ばした時に腰が抜けたようで力が入らなくてH先生に伸ばして もらった感じだ。2回目・3回目とだんだん良くなって力が入るようになってきた。1回目にきっちり腰を伸ばすことは やっぱり難しいなあ。

2月7日 まだまだ
今日のケアは朝9時半から。定刻少し前に訪問看護ステーションOのK看護師と社協のヘルパーYさんが僕の部屋の障子を 開けて部屋に入ってきた。いつもの様にYさんが洗顔している間にK看護師はバイタルを取り脚のマッサージ、体温を 3回計り直していたけど。次に二人で背中拭きと陰洗、パジャマの脱ぎ着せに何だかまごまごして時間がかかった。要領が 悪いのだろう。それに人工呼吸器を着けたままの状態で回路を持ち上げるのは止めてくれないかな、水は高い方から低い 流れると決まっているのだからそんなことをしたら気管に水が逆流するのが分からないのか。僕の中じゃ呼吸器を着けた ままで回路を持ち上げないのは常識なんだけど。最後のスライドボードを使っての車椅子移乗はYさんが上手くリードして くれたので、今日のケアの中では一番?良かった。でもK看護師一人では安心出来るという域までまだまだ 行っていないのは確かだ。
車椅子は外が見える向きで座らせてもらった。午前11時前にH先生が来て車椅子に座ったままリハビリをしてもらった。 庭にあるモチノキはマットレス用乾燥シートの陰になって今日は見えなかった。梅の木は「蕾の付いている枝が あるのかな?」って感じ。今日も色のない寂しい庭だった。上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動では先週より痛みが遅く 来て我慢出来るようになったと思う。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動では左足重心を意識して歩いたけど、去年に 比べるとまだまだ本調子ではないと感じた。

2月6日 便が出なかった
昨日から夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーは五日連続Fさんとのこと。Fさんの勤務時間は夜の8時からの特別扱い、 それを言い出したのも許可したのも僕だけど五日も続くと思うとやってられないって感じ。まあ火曜日と水曜日はAさんが 夕方5時からつなぎで入ってくれるとは聞いているが、(吸引は一番上手いけど)慣れ過ぎて大雑把な介護(性格?)が五日も 続くのは嫌だなと。こういう現象は重度障害者訪問介護のヘルパーの人手不足から起きているのだろうと 想像出来るけど、どこの現場もギリギリの人数で回ってるとのことだし…求人広告を出しても佐賀県では応募してくる ヘルパー(看護師含む)もいないらしいし八方ふさがりのようだ。だからこんな事態はまたすぐに起こるだろう。
今日月曜日は排便の日。朝から少しは便が降りてきている感じはあったから今日は大丈夫だと思っていたのだけれど… 便は出なかった、結局降りてきていたのはガスだったようだ。今日の朝のケアの担当は土曜日の予想通り訪問看護 ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさんという排便介助も上手なコンビ、今日もいつもの様に浣腸液を2回に 分けて注入したら上手くいくと思っていたのだが…1回目はガスだけ出て2回目は何も出なかった。昼の経管栄養を 入れても出なかったし夜の経管栄養を入れても出なかった…、入院中は午前中便が出なくても経管栄養を入れたら 出たのに。おそらく先週の月曜日と木曜日に2回とも便がいっぱい出たからだと思うけれど…、困った。

2月4日 土曜日のケア
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻少し前に訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーMさんが僕の部屋の障子を 開けて顔を見せた。最初「あちゃぁ 困ったなあ」と思ったけど…月曜日のケアはT看護師の可能性が高いと思ったら「まあ いいか」と、それに今日のヘルパーはMさんだから「きっと上手くリードしてくれるだろう」と思った次第。思った通り 今日のケア(洗顔と清拭と陰洗の1時間コース)はMさんが所々でK所長を上手くリードしてくれて…10分余りオーバーは したけれど何の問題もなく無事終わった。それにしても「自分がK所長と相性が悪い」という思い込み?はいつになったら 直るのか、今はそんなに支障はないはずなのに。一度合わないと思ったらなかなか抜けない、僕の悪い癖だなあぁ。

2月3日 節分
今日は節分、恵方巻きを食べて豆まきするのが今の家庭では一般的なのだろうか。僕らの時代では「恵方巻き」という 言葉は一般的ではなく切る前の巻き寿司と同じ物だと思うのだが、どうして呼び方が違うのか。家では節分の行事は 豆まきしかやったことがないのだけど、下の息子が小学生の頃までだったからもうひと昔以上前のことだ。それ以降 我が家では一年のうちにやる行事はお正月とお盆だけになった。僕が元気だったら…。
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とGさん・ヘルパーの FさんとKさん。F看護師から「国家試験はもうすぐ?」と聞かれて「今週末」と答えることが出来たのは妻から教えてもらって いたから、入院中僕はずっと「2月末ぐらいかな、もう少しある」と思っていたから。体中のどこもかしこも十分に 洗ってもらって…今日も温かくて気持ちの良いお風呂をいただきました。
午後2時からかかりつけ医のT先生の往診で久しぶりに2週間の間隔を開けてカニューレ交換をしてもらった後、3時半頃に 訪問リハビリのH先生が来てリハビリ開始。まずは脚と頸に装具を着けてからベッドの端に座らせてもらって端座位。 10分以上背中をフリーに出来る端座位は久しぶりでとっても気持ち良かった。次は3回の立位運動。今日の1回目は 立ち上がってからの腰伸ばしではH先生にかなり助けてもらったけれど、2回目・3回目は腰にも膝にも力が入ったと思う。 ただ立ち上がって腰を伸ばしてからの左右の足への重心移動はまだ不安定だ。最後の脚の可動域運動では水曜日より 痛みが早く来た。股関節の屈曲運動はまだまだ戻っていない。

2月2日 久しぶり
木曜日の朝のケアは9時45分から。それなのに訪問看護ステーションOのM看護師が9時半には顔を出した。こんなことは M看護師とは21年?の付き合いになるけど初めてじゃないかな、「他の訪問先の通院に同行しないといけないから11時15分 (定刻)には帰りたい」とのことだった。木曜日の朝のケアには排便もある、長引くことを怖れたようだ。こんな律儀な ところもM看護師らしい。M看護師の計画ではヘルパーさんの来る前に洗顔と背中拭きを終わらせて、ヘルパーさんが 来たらすぐに排便介助に取りかかりたいようだ。でも その割には早く来た理由を長々と妻に話し始めた。話し好きであり 話しが長く話し始めると手が止まるのもM看護師の特徴だ、だから二度ほど歯ぎしりをして「急げ」と話を中断させた。 M看護師はバイタルを計り終えるとまず洗顔をしそれから背中拭き、相変わらずM看護師の背中拭きはもはや上半身の 清拭と言えるほどバカ丁寧。この背中拭きで手を抜きさえすれば15分も早く来る必要はないだろうに、その背中拭きでも 手を抜こうと思わないのがM看護師の特徴であり律儀なところでもあるのだろう。
M看護師が洗顔と背中拭きを丁度終えたところにヘルパーさんが来た。今日のヘルパーはK会のMさん、今日のM看護師には 最適とも思えるヘルパーだった。早速二人で排便介助。M看護師の(今日は特別)予想しづらい動きにも臨機応変に ついてゆくMさん。今日も浣腸液は2回に分けて注入してもらった、1回目はガスと降りてきていた便を出すため・2回目は 残便と肛門近くに残っている便汁を出すため。今日はこれが上手くはまって、しかも今日は朝から程良い便意もあって 便は幾分頑張ったらM看護師のフォローもあって順調に出た。ケアが終わった時間も11時10分とM看護師の意図通り。 良かった。
午後3時からの車椅子移乗、ヘルパーの社協のヘルパーFさんは5分前に来て移乗の準備をしM看護師はちょっと遅れて 合流するといういつものパターン。M看護師があまりにも遅れて到着するというのは困りものだけど…この方がドキドキ しないですむ。木曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから再度ベッドに横になりスライドボードを使って車椅子に 移してもらう手順。看護師さんとヘルパーさんに立たせてもらった時もまだ不安定できちっと立つまでに時間がかかって 迷惑をかけているけど、今の調子はまだこんなもんだけど「その内また良くなるから」と思って…勘弁してもらっている。 今日車椅子は外の景色もギリギリテレビも見える向きで座らせてもらった。嘆きたくなるのはモチノキの葉っぱと新枝の 貧弱さ、これで来年モチノキに赤い実は付くのか(今年はもう諦めた)不安。色のない庭は寂しいな。
僕が車椅子に座った後もM看護師は家に残ってくれた。というのは施設から連絡があり「お袋に続き親父も新型コロナに 罹って、肺に疾患を持っている親父には新しい治療を行うので承諾書にサインしてほしい」と、そういうことで妻が施設に 出かけていったからM看護師が家にとどまってくれたって訳。1時間余り経った頃M看護師が動き出しベッドメーキング、 Fさんは定刻5分前に着いたのにベッドが整えられていたことにびっくりしてた。それから二人で僕をスライドボードを 使って車椅子からベッドに戻しこれで今日のケアは終了、その後しばらく二人で昔話をしてそして帰っていった。僕は 看護師さんやヘルパーさんのそんな世間話を聞くのが結構好きなんだ。

2月1日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。浴槽に浸かったのは28日ぶり、退院前日に入浴があったけどシャワー浴だったので浴槽で 暖まることは出来なかった。でも介護人?の方2人とK看護師が丁寧に洗ってくれたから気持ち良かった。ありがとう ございます。しかし 冬のシャワー浴は寒く感じた。だけど久しぶりの入浴車はやはり暖かかくて本当に気持ち良かった、 入浴車のスタッフも僕のことをよく知っていて体中を力強くゴシゴシ洗ってくれるから安心して任せられるしね。今日の 入浴車のスタッフは看護師のY子さんとGさん・ヘルパーのMさんとKさんという僕に慣れたいつものメンバーで構成。 ありがとうございました。
午後3時からは訪問リハビリ、いつもより30分あまり早いのはWebでK医師との面談があったから。Web面談なら医師も 現場に行かなくて済む、本当に便利な世の中になったものだ。Web面談の後はいつもの水曜日通り下半身のリハビリ。 最初の脚の可動域運動では退院の日より我慢出来るようになったと思うけど、左脚は股関節の屈曲運動も脚挙げ(膝の裏 伸ばし)もまだつらかった。次の3回の立位運動ではベッドからの立ち上がりも腰伸ばしも1回目は全てH先生任せだったが、 2回目は腰や膝に少し力が入るようになり、3回目はH先生の力を借りて自分で立ち上がり腰を伸ばすイメージで出来た。 3回目だけはまあまあか。



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1月
1月31日 H先生の上半身のリハビリ
火曜日のケアは9時半からと早い。しかし今日は早めにパソコンを止め訪問の到着を待った。定刻少し前に訪問看護 ステーションOのS看護師と社協のヘルパーFさんが到着、Fさんはパソコンを片付け洗顔準備、S看護師はFさんに段取りの 教えを請いながらバイタルを測定。そしてFさんが洗顔しているところにM看護師が着いてS看護師の指導員が代わった。 今日のケアは洗顔・背中拭き・陰洗とスライドボードを使っての車椅子移乗。M看護師の背中拭きはいつもとっても丁寧で 力強いから上半身は本当に清拭しているようなものだ、ただS看護師に教えながらケアしてるからいつもより時間が かかった。
今日も車椅子は庭向きにしてもらったが…庭にはほぼ色がなかった、南向きの窓から散り残りの蝋梅の黄色い花が2輪 見える以外はモチノキにも南天にも実の付く気配すらないように見えた。去年白い花が咲いた白梅も今年は蕾が 膨らんでいるようには見えなくて…庭の何もかもが寂しくなった。剪定したのはやっぱり失敗だったかなあ。
午前11時前?からはH先生の上半身のリハビリ。右上半身は車椅子に座ったままで左上半身はベッド上で肩・肘・腕・手の 可動域運動。やはり上半身の各関節の可動域は狭くなっているようで動かしてもらうとずい分早く痛みが来るように なった。ベッドに戻る際の4歩の歩行運動では今日は左足重心の時に幾分不安を感じた。従来不安を感じる時は 右足だったのに、何故だろう。呼吸リハの時も下から胸を押してもらう際に背中に弱い痛みを感じた。ひと月以上呼吸 リハがなく胸も押してもらってなかったからこんなもんか。
午後2時半からは訪問歯科。入院中歯磨きしてもらった後に左下一番奥のブリッジの左側の歯茎が少し腫れた感じに なっていたことを思い出し、その事を文字盤で妻に言って妻から歯科衛生士さんに伝えてもらった。歯科衛生士さんは そのブリッジと歯茎の間を歯間ブラシと歯ブラシで入念に掃除して「これで様子を見て欲しい」と。歯科衛生士さんに よると「(その部分は)赤みは見られるものの腫れはない」とのこと。僕としてはもう少し激しく磨いて悪い血が出るなら 出して欲しかったのだけど…。

1月30日 上手くいった
今日は月曜日 排便の日、朝からまあまあの便意があった。入院中ラキソベロンは前日の寝る前のみ13滴、これで翌朝便が 降りてきている感じはあったけど便意はほとんどなかった。今回ラキソベロンは一昨日寝る前に5滴・昨日夜の経管栄養 前に13滴服用、この違いが今朝の便意に繋がったのか。今日の朝のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師と 社協のヘルパーKさん、このコンビなら清拭も排便もスムーズにいくと思っていたが便も順調に出た。ただ問題が少々、 頸の痛みが段々強くなっていることとかなりの時間オーバー。円盤状の大きな時計がないから時刻が分からなかった。 頸の痛みが出たのは車椅子に座る機会が入院中少なかったからだと思う…、僕の身体の中で肩・腕・手以外で筋力の最も 弱い部位だから。
午後3時からの車椅子移乗、担当はT看護師とヘルパーのFさん(戻る時はKさん)。久しぶりに看護師さんとヘルパーさんに 立たせてもらうから不安はあったけど…案の定まごついた。看護師も久々の車椅子移乗で戸惑う場面もあった。まあ 久々はこんなものだろう。

1月29日 左足が痛い
退院した日から夜間の介護担当の重度障害者訪問介護のヘルパーを利用。一昨日がKさん(夕方5時〜翌朝6時)・昨日がAさん (夕方5時〜翌朝7時半)・今日がFさん(夜8時〜翌朝6時)、それぞれ独自の癖(個性)を持つヘルパーさんで面白くもあり 取り扱いに注意もあり。これは病棟でも同じこと、NGWordは悪口かな。僕の意図してない言葉でも使い方を間違えば 悪口に聞こえることもある、今回の入院中にもKさんに気を悪くさせた。「そんな意味で使った訳ではない」と言い訳 しようとも思ったがこの言い訳では同じ様にKさんを悲しませると理解し…言い訳は止めた。申し訳ないことをした。 言葉って難しいなあと改めて思った。重度のヘルパーは個人経営だけど結束は固い、変な事は言わないように結構気は 使う。それが僕を無口にさせる?
お昼前から妻のケア、週に1度だけのケアだけど僕はいつも日曜日の妻のケアを結構楽しみにしている。妻のケアは丁寧な ところもありきついなあと思うところもあり、一人でやってくれているのだから側臥位が絡むと少々荒っぽくなるのも 仕方ないけど。いつもありがとうございます。
いつの頃からか病院にいる時はパソコンはしないと決めて…今回入院が3週間と1週間いつもより延びたためか右足が パソコン入力用PPSスイッチへの信号の伝え方を今現在は忘れてしまったようだ。右足の入力用スイッチは圧電素子PPSを 貼り付けたプラスチック板を親指と人差し指の間に挟んで、指を閉じることによって信号を発生させようと しているのだがなかなか反応しない…入院中も指を閉じる運動はしてきたつもりなのだけれど。左足は横に置いた缶に 貼り付けたピルケーススイッチを親指で叩くことによってパソコンを操作している。こちらはまあ順調。ただ入院中に 左足を横に動かす動きは全くしてなかったからか夕方には左くるぶしの上左足のすねの左側の筋肉がかなり痛くなった。 明らかにパソコンのし過ぎ、それでも湿布を痛む部位に貼ってもらってパソコンを楽しんだ。やりたいことが 溜まっていたから…。

1月28日 久しぶりの訪問ケア
土曜日のケアは朝10時15分から、1月5日以来の家での訪問ケア。病院でのケアと家での訪問ケアとの一番の違いはケアに かけれる時間、病院では何人もの患者さんのケアを限られた時間ですることになるから大雑把になるのも仕方のないと 思う。個人的に思うに週2回の清拭にこだわらなくても清拭を週1回にして時間をかけても良いのではないかと。
今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーTさん、今日のケアは洗顔と洗髪と清拭と陰洗の フルコースで1時間半。いつもの様にヘルパーのTさんが洗顔している間にT看護師がバイタルを測り胸を聴診した後に脚の マッサージ、可動域運動不足からか脚を動かしてもらっている時にいつもより脚の筋肉や関節が痛かった。次は二人で 洗髪、力強い洗髪で頭の痒みがかなり取れた。それから清拭、腕を力強く拭いてくれて垢が出てきたのでT看護師も驚いて いた。背中の痒みもあったけどが背中を拭いてもらって痒みも幾分取れたけど背中を拭いてもらった時に何か違和感が あった。最後は陰洗、陰部にも少し痒みがあったけど薬(市販の薬 カブレーナ)を塗ってもらってだいぶ治まった感じだ。 キメ細やかなケアをする時間があること、それが訪問ケアの強みだ。

1月6日〜27日 レスパイト入院
今日(27日)の午後3時過ぎ病院から戻ってきた。戻ってきた時には訪問リハビリのH先生はもう着いていてひと月振りの 4歩の歩行運動と脚の激しい可動域運動。歩行運動で感じた違和感はたいして多くはなかったけど…脚の可動域運動は かなりの痛みを感じた、やはり入院中の関節の可動域運動が少なかったのが原因だろう。看護師さんには毎晩寝る前に 手脚を動かしてもらったけど、これがなかったら手足の関節はもっと固くなっていたと思う。
今回の入院の目的はレスパイトと首の皮膚の生理検査。11日(水曜日)に首の左下のでき物を手術室で生検したのだけど… 「生検の結果が出るのと抜糸をするのに二週間かかる」と言われて今日1週間遅れで何事もなく無事に帰ってきた、1cmに 満たない生検の傷跡だったのでどうして二週間も抜糸に必要なのかと文句タラタラ思っていた。が 2週間目に入ると キズの奥がたまにズキンと結構痛んで…半分納得した。生検結果は「悪性ではなかった」とのことだったが…「詳しいことは 奥さんに次の通院の時に話す」というのはちょっと不気味だったかな。
それに抜糸するはずの水曜日に「皮膚科の先生は大雪になると帰られない所らしく 昨日は先に帰って今日はお休み」と 聞かされた時には「来週まで入院が伸びるのは辛いな」とマジで思った。なんせ今回の入院は新型コロナの影響が一番強く 出てリハビリも休む方が多かったようでリハビリの回数も車椅子移乗も予定の半分以下、リハビリしてくれる方も僕は 初めての方で恐る恐る。でもリハビリに来てくれただけで 看護師さん達が車椅子に座らせてくれただけでありがたい 状況だった。
シャワー浴をする機会は本当は2回あったのだけど、生検の前日この日の部屋担当の看護師さんに「お風呂に入るか車椅子に 座るかどちらかしか時間がないのですが?」と聞かれ車椅子に座ることを優先してしまった。だけど午後4時半にリハビリが 遅くなることが分かりリハビリも中止にしたから車椅子にも座れずじまい、リハビリの時間を読み間違えた僕の判断ミス。 結局お風呂には入れたのは昨日1回のみ、途中で洗髪してもらったけど週に1回はお風呂に入りたいものだ… 寝たきりだからこそ頭や背中が痒くて堪りません。
とは言っても6階病棟のスタッフのみなさまには本当にお世話になりました。ありがとうございました。

1月5日 木曜日のケア
木曜日の朝のケアは9時45分から、今日のケアのメニューは洗顔と背中拭きと陰洗 (それに追加でリハビリ)。いつもなら 陰洗ではなくて排便介助なのだが、昨日排便はしたから今日はなし。そして担当看護師は今日も訪問看護ステーションOの M看護師、一人だったのがちょっと意外だったけど。定刻より10分遅れで着いたが今日は排便がないから十分だろう。まず M看護師が洗顔、木曜日は看護師さんに洗顔してもらえる唯一の機会。M看護師が洗顔している時に玄関の開く音がして 「今日のK会のヘルパーは誰だろう」と話してたら僕の部屋の障子を開けて入ってきたのはMさん、「これはいい 柔軟性も あるしベストペア」と僕。そしてM看護師が「(僕が)しばらく体を動かしてないから脚を動かしてもらってもいい?」と確認、 最近のヘルパーさんはケアマネージャーが書類に記載しているケアの内容以外はしてはいけないのだ 面倒くさい。 洗顔が終わったら二人で背中拭きと陰洗、M看護師の背中拭きはとても丁寧でついでに胸やお腹も拭いてくれるし、これは もう清拭のようなものだ。手浴もしてもらって 余った時間で脚のリハビリもしてもらって、ありがとうございます。
午後3時からの車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。10日ぶりの車椅子移乗と立位運動だったけど出来た。

1月4日 ケア再開
昨日の夕方からケアが再開。5時からKさんで8時からは引き続きでFさん、Kさんは正月三ヵ日はずっと仕事と言ってたけど Fさんはどうだったのか。朝方4時頃人工呼吸器の回路がボコボコと結構高い音で鳴っていたので目が覚めて、何十回と 懸命に歯ぎしりしたんだけど隣の部屋からは何の反応もない。聞き耳を立ててみると隣の部屋からは小さないびきが… 熟睡しているようだ。これが回路のボコボコいう音でなく気管に痰が詰まっている状態だったとしても、あのいびきでは 気付かないだろう。結局今日は30分?15分?で目覚めて僕のガリガリ歯ぎしりに気付いて来てくれたけど、僕にとっては とっても長い時間だった。それに長く歯ぎしりしてたことで歯も痛くなったし…。
水曜日は午前10時過ぎから入浴車・午後3時半から訪問リハビリがいつものケアメニューなのだが、大晦日に排便したから 今日は4日目排便の日。特別に訪問看護ステーションOのM看護師とS看護師が入浴車の50分前に来てくれて排便介助。 そこは流石M看護師で摘便と浣腸を組み合わせて、一昨日と昨日のラキソベロンで降りてきていた便をお腹を押しながら きちんと取り出してくれた。今朝の便意はあまり強くなかったのに…やっぱりM看護師は上手い。排便はきっちり入浴車に 間に合った。ありがとうございます。
午前10時過ぎからは入浴車、今日のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのMさんとkさん。 F看護師は新年の挨拶をするためを兼ねてスタッフに加わったのだと思うけど、僕がお風呂に浸かっている時に色んな 話題を提供してくれて井戸端会議は大いに盛り上がった。5日ぶりのお風呂なのでスタッフのみんなは僕の体を十分に 洗ってくれたし、足し湯をしてもらったり胸にシャワーをかけてもらったりして僕も十分に温まってお風呂からあがった。ベッドの上でも顔や腕に久々に汗が少しの間引かなかった。
午後3時半からは訪問リハビリ、H先生が新型コロナの濃厚接触者扱いでまだ自宅待機の期間だからK園の M先生(理学療法士)が来てくれた。M先生が僕の身体に触れるのは今日が初めてだから「今日の可動域運動はどうせ様子見 だろう」と思っていたのだが…なかなかしっかりと動かしてくれた。ありがとうございます。

1月3日 上の息子帰る
今日の午前中名古屋から帰省していた上の息子が帰っていった。新幹線で帰ってきて新幹線で帰っていった、帰省客が 多くて大変だっただろう。それにしても名古屋まで6時間とは早くなったものだ。この息子の帰省中話したのは風邪で 息子が体調を崩してたこともあり2回だけ、向こうに帰ったらすぐ出張とのこと。仕事していて忙しいということは 良いことだろう、仕事が嫌でなければ。嫌そうには見えなかったし…いいや。
正月三ヵ日は駅伝とパソコン三昧、妻にケアしてもらう時以外はずっとパソコンしていたようなものだった。ただ今日の ケアは陰洗なし、チビが僕の脚の間にのんきそうに寝ていたから遠慮した。今日チビは脚の間に3-4時間寝ていた、脚が 暖かくて…嬉しかった。

1月2日 チビが来た
昨夜寝る前に右足の親指と人差し指の間に挟んでパソコンを操作していたPPS(圧電素子)スイッチが急に反応しなくなり、 今朝PPSコントロールボックスの表示が変になっていて調子が悪いことが分かった。妻と下の息子が色々やって くれたのだが直らなかった。僕は初期化を指示したのだけれど初期化の場所が見当たらなかったらしい。その時古い (感度調整用)つまみが壊れただけのPPSコントロールボックスがあったことを思い出し、下の息子に新しい方のつまみを 古い方に付けられないかと指示したが駄目だったと。その後PPSコントロールボックスを古い方に交換しドライバーで 感度を調整出来るようにしてくれた。
昨日の朝経管栄養を落としている時に妻が僕の脚の間にチビを置いたら今まですぐにベッドから飛び降り一目散に 逃げてたチビが…昨日は1時間ぐらい脚の間に留まって寝ていた。ただ音がするとどんなに小さな音でも全身がピクンと 動いて警戒している風だった。今日のチビは自分からベッドに上がってきて僕の脚の間に潜り込み昨日よりゆったりと 落ち着いた感じで眠っていたと思う。ただ脚の間に留まっていた時間は2時間×2程度、まだ心安まる場所になっていない のだろう。それにしてもようやく猫がチビが脚の間に来て眠るようになった。モモが逝ってしまってからの空席、 長かったし寂しかった。埋まるかな…。

1月1日 元日
せめて年末年始は家族だけで過ごさせたい過ごしたいからと毎年夜間の重度障害者訪問介護がいないように心がけて 例年は僕が入院、本年は僕が家に居るから重度障害者訪問介護の夕方5時から翌朝6時までの介護は12/31〜1/2の間は 休みにしてもらった。そしてその内の夜間の時間帯は妻の負担にならないようにと下の息子が僕の介護を務めてくれて いる、ありがたいことだ。上の息子も一昨日の夜中帰ってきたとのこと。昨日の朝は挨拶を交わして「3日に帰るけど やってほしいことがあったら言って」と言われた時には元気そうだしその気遣いが嬉しかったのだけれど…それ以降顔を 見せなくなった。体調を崩しているとのこと。「正月から気の毒」といいながら誰もあまり気にしている風はないけど… 僕だけは「もしかしたら新型コロナかも」って心配している、顔見て話していたらこんな心配はしていないのかも しれない。まあ風邪?を移したくないから僕の部屋に近付かないのだろうけど。
午前11時頃から妻がケアをしてくれた。洗顔・手足拭き それに陰洗、いつものことながら丁寧に優しく力強くして もらった。この三ヵ日は毎日妻にお世話になる、嬉しいけど申し訳ない。正午前に娘夫婦が僕の部屋に正月の挨拶に 来た。この正月は娘夫婦とも二人の息子とも会えた、こんなに嬉しいことはない。それから家族みんな?が座敷に集まって 賀詞交換と昼食、僕は一人部屋でテレビで「全国実業団駅伝」を見ながら昼の経管栄養…これなら家にいても結局独り ぼっちのようなもの。加われない寂しさは変わらないなと思いながらも、こんな体だから仕方ないけど…。


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