2024年
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9月
9月7日 やっと来た
土曜日のケアは午前10時15分から。その前に訪問看護ステーションTのK所長がようやく9月で僕の訪問看護を辞める言い訳を 言いに来た。原因はやはり先週の土曜日のトラブル、「N看護師を土曜日に出勤させないと(=僕の所にも寄越さないと) 訪問看護ステーションTとして回せない」と言うのだ。僕に言わせれば「今さら何を言う」だ。N看護師の看護師能力がかなり 低いことは2-3回来た時点で解った、それでも今まで我慢して付き合ってきた。N看護師を雇い続けるのなら何故教育しない、 訪問看護ステーションとしてN看護師の能力が低いことに気付いてないとは言わせない。幾つかはクレームもあるはずだ。 僕は能力の低い人との付き合いに我慢するのには慣れてしまった(腹は立つ)。少しは重度障害者訪問介護の図太さを 見習ったら。T看護師は良い看護師だから(人間としても良い人だし)別れるのが寂しい。
今日のケアの担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーIちゃん、普段なら最強の二人なんだけど…。最初に いつもの様にIちゃんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸の聴診をした後に脚のマッサージ。それから二人で 清拭、今日も手足の間も隅々まで丁寧に拭いてもらって気持ち良かった。そして最後は陰洗、僕は陰洗の時に差し込み便器を 使ってもらっているんだけど…お尻が上がらなくなっていた。色んなところに衰えが来ているな。

9月6日 腰が変
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、今日はいつもより5分ぐらい遅かったので忘れているのかと一瞬心配した。今日の 入浴車のスタッフは看護師のY子さんとHuさん・ヘルパーのKさんとMoさん(ミャンマーの若者が途中まで動向)、 看護師さんは二人とも久しぶりで嬉しかった。浴槽にお湯を溜めようとしたらすぐにお湯が出なくなるトラブル、 5分ぐらいで出るようになったからよかったけど・・・。いつも通りお湯が溜まるまでにHuさんが脚のマッサージを してくれて、その後看護師さん二人に万歳・左側臥位になってタッピング・吸引してもらってスライドボードで浴槽に 移った。それからネットを緩めてお湯に浸かったのだが、前回(水曜日)と同じお湯の温度のはずなのだけど水曜日ほど 熱くは感じなかった。そしてゆっくり温まりネットを張って身体をあげて隅から隅まで身体を洗ってもらった。それから もう一度ネットを緩めてもらってお湯に浸かり十分に温まってからお風呂からあがった。ベッドに戻ってもしばらく汗が 引かなかった。今日も楽しくて気持ちの良いお風呂だった。
午後の最初の訪問は2時前のかかりつけ医T先生の往診、バイタル測定・胸の聴診の後カニューレ交換をしていただいた。妻が アズノールとラキソベロンの処方を頼んだ。アズノールは気管切開部の穴の周りに痒み止めと痰の穴漏れに対して防水保護の 意味で塗布、ラキソベロンは液状の下剤だ。常用しているからなくなるのが早いようだ。
3時半前からはH先生の訪問リハビリ、今日は端座位・立位運動・脚の可動域運動のメニュー。最初はベッドの右側に座らせて もらって端座位、退院してから端座位で前かがみのままの姿勢でいると胸がしんどくなる。今日も途中で息苦しくなって蘇生 バッグで押してもらった。次の立位運動では端座位での疲れもあったのか短くしてもらった立位運動でも3回目は ギリギリだった。それに左足重心になった時の股関節の痛みが気になった。立上がって腰を伸ばそうとする際に一瞬腰の力が 抜けるのは相変わらずだ。最後は脚の可動域運動。股関節の屈曲運動が終わって脚を伸ばした時に腰の真ん中に痛みが 走るのはいつものことだけど、今日の痛みは何か変だった。何だろう。膝の裏伸ばしも水曜日よりも痛みが早く来たし今日は 痛みが来るのが全体的に早かった。何故?

9月5日 脚の装具
木曜日、退院して3回目の排便の日。過去2回の排便はまあまあ上手く出たと思う。昨日は夕方7時にラキソベロンを 入れ忘れたことを8時半過ぎに気付いたので、すぐに少し多めの15滴を服用して今日の排便に備えた。
木曜日の朝のケアは9時45分から、今日も訪問看護ステーションOのM看護師は定刻前に着いたのだが バイタルを 測りながら色々話しをしている内に10時を回ってK会のヘルパーMさんが来てしまった。なので洗顔を後回しにして二人に 背中拭きと排便介助をしてもらった。背中拭きは右肩・右腕を上着から抜いて…背中に汗をかいていたので着替えもして もらって胸も背中も腕も手も拭いてもらったから上半身は清拭してもらったも同じだった。
次は排便、まず左側臥位になって摘便してもらったら固い便が3個ぐらい取れたとのこと。そして浣腸、初めはガスばかり 出るので心配だったが…一塊以上の軟便が出た。それから下腹に残った残便をお腹を押しながら取ってもらったら… だらだらといっぱい出たらしい。そしてしばらく待っても出なかったので洗ってもらってもらった。排便が終わった時に 時計を見たら11時10分過ぎ、5分〜10分余計にかかったけど まあまあかな。最後にM看護師による洗顔、MさんがM看護師が 髭剃りする様子を見学して帰った。先週の土曜日Mさんが洗顔を担当したのだが…自分の髭剃りに納得が いかなかった?
午後3時からは車椅子移乗。社協のヘルパーKさんがミャンマーの若者を連れてきた,透明文字盤を使って会話をしている ことを教えていた。M看護師はちょっと遅れてやってきた。そしてM看護師とKさんの二人で脚のマッサージをして脚と頸に 装具を付けた。木曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから、M看護師とKさんの二人にベッドの右側に端座位にして もらってから立たせてもらったけど月曜日よりスムーズに立ち上がることが出来た。それからスライドボードを使って ベッドから車椅子に移してもらって車椅子を庭の方に向けてもらった。最初に目に入ったのは愛染カツラの花、もう 終わりを迎えていた、愛染カツラの花が咲いているのをひと目でも見ることが出来て良かった。次に目に入ったのが 梅の老木の領域を侵しているユキヤナギの枝、何とかしないと梅がやられてしまいそうだ。そんなことを考えながら 1時間ずっと庭を見ていた。
午後5時装具屋のAさんが新しい脚の装具を作るために確認に来た。Aの専務と会うのは何年ぶりだろう、頸の装具を新しく した時だから3〜4年前か。自分では右足の踵の向きが変わったという自覚はあったけれどそれ以外はそれほど変わって いないと思っていたのだけれど、専務が言うには「足の形が変わっているから足の装具は新しく作り直すしかない」 とのこと。そして「後日脚の型を取りに来る」と言うことだった。脚の装具作りが本格的に始まった。

9月4日 在宅レスパイト事業?
水曜日の朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとFさん(ケアマネージャー)・ヘルパーの KさんとNaさん、G看護師の世話になるのは久しぶりだったけどきれいになったと思う(笑)。いつもの様に浴槽にお湯が 溜まるまでにF看護師が脚のマッサージをしてくれて、その後万歳10回・左側臥位になってタッピング・吸引してもらい ベッドから浴槽に移してもらった。浴槽に浸かったら今日のお湯は熱め、ゆっくり温もってネットを上げてもらい身体を 丁寧に洗ってもらった。それからもう一度お湯に浸かって十分に温まってからお風呂からあがった。ベッドに 戻ってからも汗が湧き出していた。お湯は熱めだったけど…今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
帰り際Fケアマネージャーから驚くべき話があった、「訪問看護ステーションTが今月で辞める」と言う。僕の訪問看護を 辞めたがっていた(と思う)訪問看護ステーションTに先週の土曜日のトラブルが辞める言い訳をする(僕に言わせれば 白旗を揚げる)いいきっかけになったか。それにしてもケアマネージャーに先に言わせるなんてなんて常識のない訪問看護 ステーションだ、ケアマネージャーに話したその足で所長自ら話しをしに来るべきだろう。まあアンビュー(蘇生 バッグ)を「何のために使うのか分らない」なんて使用目的を知らないみたいなことを平気で言う看護師を雇うのだから 訪問看護ステーションとしての程度が知れたな。安心出来る・本当に信頼出来る看護師はT看護師だけだったから…。 「やったことないから自信がなかった」ならまだ分かるけど、N看護師は 駄目でしょう。
午後1時過ぎに訪問看護師・ケアマネージャー・所轄の保健師・県のコーディネイターが集まってきた、新しい「在宅 レスパイト」という福祉制度についての会合らしい。僕は在宅レスパイトを介護保険や障害者総合支援法等とは別枠で 48時間の制限付きで訪問看護と訪問介護を利用出来る制度と理解している。ただ僕は重度障害者訪問介護も 利用しているから重度障害者訪問介護の契約時間をオーバーしない限り訪問介護は関係ない。そして訪問看護は事業所の 許可がないと日曜出勤は出来ないし、日曜出勤したら代休が必要になる。だからM看護師に「いつ使うのか?」と 聞いてみたら「他の訪問看護ステーションが入った日も入れるし、自分が入った日でも入ったら別枠の利用費を 請求出来る」と、なるほど。しかし在宅レスパイトに入る日も決まっているし「今更何故会合を開く必要がある?」、 初めて在宅レスパイトを使うという県庁へのデモンストレーションだろう。今の僕は重度障害者訪問介護で24時間介護を 目指しているから…それを実現出来れば在宅レスパイトは不要になる、いつ24時間介護が実現出来るか分からないから… 死ぬまで無理かもね。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。リハビリの時間になっても会合は続いていた、そんなに話す事があること自体 不思議だが。そんな会合メンバーがリハビリ中にもかかわらずずけずけと僕の部屋に入ってきて「要望はありますか?」と 突然の質問、僕が「ない」と答えると入れ替わり立ち替わり 特にコーディネイターは「要望が必ずあるはずなのに 何故 言わない」と詰め寄るような口調。何様だ、と一気にこのコーディネイターが嫌いになった。三ヵ月ぶりに病院から 帰ってきた僕には24時間介護と時々の近所の散歩、あとは出来るだけ今の状態・環境を続けて死を待つのみ。みんな僕が 66歳ということを忘れているんじゃないか、こんな片足を棺桶に突っ込んだ人間よりも若い人に聞けよ。そしてあとで 気が付いたんだけど「レスパイト」でしょ,どういう時に介護対象者を離れリフレッシュしたい方の家族・介護者に聞くのが筋だろう。レスパイトなのにどうして僕に聞くのか、筋違いなのに。
会合メンバーに邪魔されたリハビリの方は前回ほどじゃなかったが脚の可動域運動は痛かった。でも今日も数を数える ことは出来た。少しずつ慣れてきているし痛みが来るのも遅くなっている と思う。立位運動は僕が息苦しがるのに H先生が配慮してくれて立っている時間を少し短くしてくれたので幾分楽になった。ベッドから立ち上がる際の膝回りの 筋肉の力の入り具合だけど、上手く力が入ったかどうかは分からなかった。

9月3日 上半身のリハビリ(退院から1時間後)
火曜日のケアは朝9時半から。訪問看護ステーションOのM看護師が5分前に来たからびっくり、やりかけを終わらせて パソコンをシャットダウンしたら9時半を過ぎてしまった 申し訳ない。今日のパートナーは社協のヘルパーNaさん、 今日も元気いっぱいの笑顔。いつも通りNaさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを測り胸とお腹を聴診してから脚の マッサージ。それから胸と背中を拭いた後に陰洗。M看護師の背中拭きは独特で右肩・右腕を上着から抜いてから拭いて くれる。その分丁寧に拭けるけどどうやって時間をかけないかがテーマ、M看護師は時々時間オーバーする程度だから 流石。
そしてケアの最後は車椅子移乗、スライドボードを使って車椅子に移った。車椅子は今日も庭が見える向き、窓も開けて 車椅子を外に近付けてもらったから庭がよ〜く見えた。まず目に入ってきたのはユキヤナギの傍若無人な姿、梅の木の 領域を枝が何本も侵略しているしモチノキの領域も侵し始めている。モチノキはまだいいと思うけど梅の木の領域は 剪定しなければ梅の老木がやられそうだ。下の息子に剪定を頼みたいが…近くにいるのか? 愛染カツラはまだ元気、 カーキ色の花が幾つも咲いていた。庭をしばらく見ているとエビネラン?の葉の先にトンボが何回か止まっていた。その後 初めてアゲハチョウが飛んできてカーキ色の花に止まった。うちの庭にトンボやアゲハチョウが飛んでくるなんて ちょっと感激。
午前11時前訪問リハビリのH先生が到着、今日は車椅子に座ったままで左上半身&ベッドに横になり右上半身の可動域運動 ・ベッドに戻るための4歩の歩行運動・呼吸リハ。まずは車椅子に座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、 今日は車椅子に座って30分もしない内にリハビリが来るから安全と思って車椅子の背もたれを普段より一段上げていたら 胸がきつくなった。関節の可動域運動による痛みより右胸のしんどさの方が気になっていて…正直左の可動域運動が早く 終わって呼吸リハに移るのを待っていた。ベッド上での右の可動域運動の時も同じだったけど先週と違って数を数えて 我慢することが出来た、痛みが来るのが遅くなって数を数える余裕も出来たということだろう。4歩の歩行運動の時は左足 中指が少し曲がっているのが気になっていた。ほんのちょっとだったから影響はないだろうと高をくくっていたが、 左脚に力が入りにくくて左足重心の時に不安定になった…認識が甘かった。リハビリの最後にH先生が「自分の支え方が 甘くなった」と謝っていたけど、違うんです。
午後2時半からは訪問歯科。日曜日の午後から左下奥歯の歯茎の外側に腫れてる感が出ていたから,妻から 歯科衛生士さんにらその事を伝えてもらった。歯科衛生士さんが歯間ブラシや他の歯ブラシで左下奥歯の歯茎を 刺激したら血がいっぱい出ると思っていたのだけれど…思いのほか血は出なかった。左下奥歯の一番奥の歯の歯茎の 腫れを確認したということで先生に相談して抗生剤を出してくれた。これで腫れが治まればいいのだが。

9月2日 久しぶり
久々の月曜日の朝のケアは10時半から。訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNaさんの顔が見えたからつい 「今日は安心」と思った。二人とも久しぶりだったけどいつも通りでNaさんは相変わらず元気、嬉しくなった。
今日のケアは洗顔・清拭と排便、まずNaさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸を聴診した後に脚とお腹の マッサージ…三ヵ月前と同じ(嬉)。次は清拭。力強く丁寧に 手足の指の間まで段取りよくきちんと拭いてくれたので 気持ち良かった、申し訳ないけど土曜日と違った。最後は便の量と時間が課題の排便。便意は昨日からまあまあ あったけど 便が下腹に降りてきている感じは昨夕ラキソベロンを15滴服用しているにもかかわらずあまりなくて、 どうかなって感じだった。最初の摘便で固めの便が幾らかは取れたみたいだった。そして浣腸、最初はガスばかり出て 不安にさせたが…最後に一塊弱の便が出て ひと安心。下腹に残った残便をT看護師の摘便とNaさんの上手なお腹押しで ださてもらって、下腹もペッコリで便意もほぼなくしばらく便は出そうになかったけど安心のため5分待って出る気配も なかったので洗ってもらった。片付けまで終わったところで時計を見ると12時20分前、ケアには1時間50分かかったけれど 排便は50分以下で終わった。まあまあだ。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師と社協のヘルパーNiさん。Niを見た時 聞いて分かってはいたけれど帰ってきて 最初の車椅子移乗解除のヘルパーがNiさんかと不安になった。月曜日の車椅子移乗は車椅子に移る前に一度立たせて もらう、だから背が低くて力の強くないNiさんじゃ不安なのだ。最初に脚のマッサージをしてから装具を付けて もらったのだが 右脚のNiさんの方が上手く入っていた(驚)。そして頸にも装具を付けてから まずベッドの右端に 端座位させてもらった上で二人に立たせてもらったのだけど…ベッドから腰を浮かせて膝を伸ばすのに時間がかかった、 やはり(立って?)膝を伸ばす力が弱くなっていた。ベッドに戻って横になりスライドボードを使って車椅子に移った。 車椅子は庭向き、車椅子に座っている時間帯テレビでは今韓流ドラマしかやっていないのでテレビを見る必要がない。 三ヵ月ぶりの庭を見るとユキヤナギの枝が伸び放題、梅の木の領域まで侵していた。モチノキの葉も多く濃くなっていて いい見栄えになってきた、今年こそ赤い実が付くことを期待したい。愛染カツラの緑の蔓にもカーキ色の花が 付いていた。間に合った、今年もカーキ色の花が見られた。



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8月
5月31日 あり得ない
土曜日のケアは10時15分から、K会のヘルパーMさんと訪問看護ステーションTのN看護師が部屋に入ってきた。それを見た 瞬間「今日は駄目だ」と思ったと同時に「昨日何のためにヘルパーさんに「明日洗髪する」とケアマネージャーに伝えて もらったのか」と、「明日洗髪する」と言えば訪問看護ステーションTがN看護師を寄越さないと思ったのに…甘かった。
最初にMさんが洗顔している間にN看護師はバイタルを測り脚のマッサージ、脚の屈伸運動はやってくれなかったけど。 次は洗髪、段取りと後片付けに少々時間はかかったがN看護師の洗髪の力強さは気持ち良かった。そして清拭、この時にも 手順を忘れたりしていろいろ問題はあったけど上半身の清拭は終わった。下半身の清拭の前に回路がボコボコ音を たてているのにN看護師が回路を持ち上げたので気管に少し水が入ってきてしまった。それで吸引してもらったのだがまだ 息苦しさが残った。そこでN看護師に「アンビュー」と要求したのだけれど…キョトンとした顔をして「使ったこと ない」と、人工呼吸器装着者の所を訪問しているのに蘇生バッグを使えないなんてあり得ない。吸引と蘇生バッグは 一体だろう,それを訪問看護ステーションが理解していないのか。K所長に電話してもらっても「来れない」と、それで ケアマネージャーに連絡して来てもらうことにした。この事件でケアを30分以上中断させてしまったが、この件はそれ 以上に問題にすべきことだったと思う。N看護師は呼吸器装置のお宅を訪問すべきではないし、その自覚がないN看護師も それを見逃した訪問看護ステーションTも許せないという気持ちだ。ただ Mさんには申し訳なかった。
この辺りの訪問看護ステーションの実力はこんなもんということだ。

5月30日 入浴車 台風襲来でお休み
朝社協から早々と「入浴車中止」の連絡が入った。火曜日のケアの時に訪問看護ステーションOのM看護師に「散髪したい」と 連絡を頼んで 訪問理容は来ることになっているんだけど…、困ったなあ。僕の位置からは外の様子は見えないから何とも 言えないけど風の音もほとんど聞こえないし、重い入浴車に影響が出るほどの強い風が吹いているのかな(疑)。 社協からは(午前)11時にヘルパーを寄越すとのこと、洗顔・清拭・陰洗をしてくれるらしいのだが 頭もゴシゴシ拭いて もらおうっと。
朝9時前自動車の駐まる音がした、訪問理容リリアンさんの到着だ。すぐにリリアンのKさんが僕の部屋に入ってきて散髪 開始。僕の髪のカットする長さはずっとKさんにお任せ、散髪の度にだんだん髪の毛の長さが短くなっていくような気が 僕はしているけど。ま 誰も「おかしい」と言いたげな様子(気配)は見せないから似合ってはいるのだろう。30分で散髪の 準備から後片付けまで終えてKさんは帰っていった。いつものことながら鮮やかなものだ。
午前11時前に社協のヘルパーYさんとKさんが来た、僕のことをよく分かっている二人だから呼吸器を着けている僕が 対象でも何の心配も要らなかった。最初にYさんが洗顔している間にKさんは脚のマッサージ,この辺りが無駄がない。 次に清拭、病院ではお風呂は充実していたけど清拭はなかったから久しぶりの清拭だ。まず胸と腕・手を拭いてもらい そして背中を拭いてもらったのだが、背中は特に気持ち良かった。それから脚の清拭と陰洗、右足の甲の先が乾燥して ヒビ割れてボロボロらしい。右足の甲の先はナースコール用のピルケーススイッチを押していたところ、痒みもあるし 黄色い帯状のウレタン?に触れていたところだからウレタン?に負けたのか。最後に頭をゴシゴシ拭いてもらって 終わりにした。ありがとうございます。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、最近T先生がうちの駐車場に自動車を駐める音が5分前に毎回聞こえるから びっくり&慌ててしまう。今日の診察もいつも通り血圧もSpO2も変わりなし、カニューレ交換をしてもらって終わった。 そして午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。金曜日のリハビリ(通院でない日)はベッドの右端に端座位した後に 立位運動と脚の可動域運動,最初の端座位で胸がしんどくなって力尽きた? 端座位している時に蘇生バッグ (アンビュー)で押してもらわなくちゃいけないし、右脚の装具の踵の右が装具に当たって痛いし。踵の右が装具に 当たるということは右脚の装具の踵を何cmか右にずらさないといけないと言うことか。立位運動は今日は特に息苦しさが 先に来たし、1回立つと踵が下りてきて指が曲がっちゃうし。脚の可動域運動は今日も痛かったけど水曜より痛みの 来るのが遅かった気がするし 関節の可動域も広がった気もするし、気のせいかな。

5月29日 台風襲来
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師が来て最初に発した言葉は「午後の車椅子移乗は 休みにさせてください」と,「強い風の吹く音が時折聞こえてくるし、台風10号がもうすぐ九州に上陸すると言ってるから 仕方ない」という気持ちと「今週は月曜日しか車椅子に座ってないのに今日も座れないのか、それに明日台風でリハビリが ないかもしれない「という気持ちとが半々で素直に聞く気にならなかった。それと月曜日にFケアマネージャーが言ってた 「木曜日の午前中の排便が1時間を越えているから時間を増やす代わりに追加料金が発生する」という話、この話も僕の気に 触っていた。僕の家での排便が長くなるのは昼から便が出ないように絞り出してもらおうとするから。病院での排便の ように便が出ても構わないと考えれば幾らかは短く出来る。今日はそれを試してみた。
今日のヘルパーはK会のIちゃん、洗顔が終わった頃に着いた。すぐに背中を拭いてもらいそれから排便、まず最初に 摘便してもらったら固い便が親指大3個取れたらしい。そして浣腸、それで便が二塊ぐらい出たがまだ下腹に残った感じ。 それを摘便で出してもらって下腹の残便感はなくなったもののしばらく待った。それでも便が出る気配はなかったので 洗ってもらった。総て終わった所で時計を見ると11時10分より前、思惑通り。しかし 隣の部屋に行ってから妻と三人で 長話して…Iちゃんが帰ったのは11時半を過ぎていた、意味ないじゃん。
車椅子移乗の中止になった午後はパソコン三昧。

5月28日 久しぶりの入浴車と下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは久しぶりにお湯に浸かれる入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)と Yさん・ヘルパーのMaさんとMoさん、久しぶり と言っても三ヵ月だけど 懐かしかった。まず浴槽にお湯が溜まるまで Y看護師が脚のマッサージしてくれて、その後に万歳10回・左側臥位になりタッピングして吸引してもらってスライド ボードでベッドから浴槽に移してもらった。入浴車に入る時のいつもの手順だったけど…入院生活が永かったせいか少し 違和感を覚えた。一度お湯に浸かって温まってからネットを上げて身体をゴシゴシ洗ってもらって、もう一度お湯に 浸かって身体が温まってからお風呂からあがった。気持ち良かったけど…お風呂の間中落ち着かないがあった。たった 三ヵ月なのにこの始末、駄目だなあ。
午後3時半前からは訪問リハビリ、H先生の下半身(脚)の可動域運動と立位運動。でもリハビリの前にK先生とのWeb面談を するとのこと,僕は訪問リハビリを介護保険で受けているから三ヵ月に一度H先生が所属する施設の医師K先生との面談が 必要になるのだ…本当は7月に実施しなければいけなかったらしいのだが入院してたから。Web面談はH先生が僕の状態を 「三ヵ月の入院で筋肉や関節が固くなっているけど、(妻が今度は11月に右股関節を手術)次の入院までの三ヵ月(実際には 二ヵ月ちょっと)で少しずつ改善させていく予定」とK先生に説明,了承を得て僕はK先生から「頑張って」と励ましの言葉を いただいた。
Web面談の後にリハビリ開始。まずは脚の可動域運動、ひと言で言って股関節の関節も太ももも膝も踵の関節も足の甲も 全部泣くくらい痛かった。最初の膝を曲げての膝の外開きでは今まで痛いと思ったことがなかった太もも内側の股関節 寄りの腱と筋が延びて痛かったし、股関節の屈曲運動では股関節と大腿二頭筋が痛かった。膝の裏伸ばしでは膝の裏と膝 そのものが痛んだし、踵伸しでは踵の関節と足の甲の骨が痛かった。まあ病院のリハビリの時間は20分しかないので脚の リハビリの時間は立位運動2回と車椅子移乗に充てたから、脚の可動運動は就寝前にスタッフにやってもらっていた。 H先生は「脚の関節の可動域も10°ぐらい狭くなった、痛みも早く来るようになった」と言ったけど、僕は「よくこのくらいで済んだ、上出来だ」と思っている。立位運動はほぼ昨日と同じ、左膝の不安がちょっと小さくなったか。ベッドから 立ち上がって腰を伸ばそうとすると力が抜けそうになるのは座骨神経痛と関係あるのか。左脚を動かした時に時々痛む 腰の右下(右お尻の上)に湿布を貼らないと駄目かなあ。

5月27日 上半身のリハビリ
今日のリハビリは午後4時頃からと、ということは車椅子移乗はなしか。昨日車椅子に座ったし立って4歩歩いたからまあ いいか。火曜日のケアは朝9時半から、訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさんが定刻前に来たから僕は 慌ててパソコンを終わらせた。今日のケアには妻からの要望もあり着替えを追加、胸も背中も手も拭いてもらい着替えも してもらったのだが手順は僕もM看護師も浦島太郎状態だった。それから陰洗、もう時間は残り10分を切っていたようで 車椅子移乗がなかったにもかかわらず時間をオーバーしそうな雰囲気だった。結局ケアの終わりが10時40分になり今日も オーバー、ケアを丁寧にやりすぎなのか。
午後4時前に訪問リハビリのH先生が着いて上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動・呼吸リハ・立位運動。H先生はそれほど きつく動かしてはいないようなのだが僕は泣きそうなほど痛かったし、その上上半身の関節の可動域は10°ぐらい狭く なったとのこと。ま 病院の無理をしない可動運動?じゃ仕方ないか。上半身の可動域運動の次は呼吸リハ、久しぶりに 胸を押してもらったけどかなり痛かった。最後は立位運動、1回目→2回目→3回目となるごとに立っている時に息苦しく なって3回目は耐えられなかった。それと左膝辺りに違和感あり、やはり何かありそう。立ち上がって腰を伸ばそうとした 時に力が抜けそうになった、これ治るかな。久しぶりのH先生の上半身のリハビリ、痛かったなあ。

5月26日 退院
89日間入院して今日ようやく退院、長かった。最後の日のこの病室の受持看護師はNさん、今回の入院中に名前を覚えた 4人の看護師の中の1人で僕はまあ気に入っている。入院中病棟のスタッフのみなさんには大変良くしてもらった、が SpO2が下がる患者さんがびっくりするほど多くて 看護師さんも介助員さんもスタッフはいつも大忙し。ナースコール 待ちや他の患者さんのアラーム待ちが僕はいつもとても気になっていて、正直いつ事故が起こってもおかしくないと 思っていた。それに僕の呼吸器のアラームが鳴った時にもスタッフはこんな風に来ないんだろうなと思うと恐くて…、 でも幸いそんな日は退院まで来なかった。
奥の手を使うことは…オーバーテーブルの下に貼り付けていたナースコール用のピルケーススイッチが剥がれ落ちた時 以外はなかった。実際に4回ほど奥の手を使おうかなと思って家へのメールに手をかけたシーンはあったけど、スタッフが ギリギリ来てセーフ。今回の入院で自分が同じ病室の誰よりも健康なことが解った。スタッフのケアやお風呂に不満は なかったけど、リハビリには満足出来なかったかな。あと三ヵ月Windows11を使ったけどタッチパネルやマウスを使えない 僕らにはショートカットが少なくなって不便になってた。それからペイントが新しくなって機能も増えて使い方が全く 分からなかったが、メモ帳はタブを増やせるようになってたし自動保存になって便利になってた。
家に戻ったら訪問リハビリのH先生がもう来ていて、僕の部屋に入ったらH先生がすぐに歩行運動で車椅子からベッドに 移してくれた。立てるかどうか・歩けるかどうか心配だったけど何とかなった、左膝に一抹の不安は感じたが…。夕方に なって蜩の鳴き声が聞こえた ツクツクボーシ。今年は聞けた 蜩の鳴き声。

5月25日 昨日からパワーポイント一色
23日までにパソコンで入院中にすべきことがデータのコピーも含め全部終わったので、昨日今日と難病担当の看護師の エキスパート研修のパワーポイント作り。以前作ったパワーポイントの幾つかのファイルから数枚ずつのスライドを 抜き取って寄せ集めて作った今回のエキスパート研修用のスライドに、今回話したいと思っている内容の5枚のスライドを 作って追加して並び替えた。これでエキスパート研修用スライドの流れは出来た。後はそれぞれのスライドを今回の エキスパート研修用に修正していけばいいが…それは家でやっても十分だ。目的のところまでは仕上がった。

8月23日 お風呂 気持ち良かった
今日の空は朝から雨が降りそうな雲、狐の嫁入りが起こるかもと一時思っていたが昼からは天気は回復した。時々青空と 入道雲が見えた。こんなにはっきりと入道雲を見るのは今年初めて、もう秋口だと言うのに。そろそろ蜩が鳴いて いるのかな。あと3夜、最後まで何事もなく無事過ごせるか?
今日の予定は午後からお風呂とリハビリ、一日に3回は背中をベッドから離したいので午前10時の陰洗の時間帯に左右の 側臥位をしてもらった後身体を上にあげてもらった。これで昼の経管栄養の後の体調がだいぶ違うのだ。午後になり リハビリとお風呂 どっちが先に来るかなと思っていたら今日はお風呂、本当はリハビリの先生に「リハビリの時間を 遅らせて」と連絡しなければいけないと思ったのだけど…僕の中の重要度と照らして「まあいいや」と。お風呂はトローリー じゃなかったけど寒くはなかったし、ただ右踵が堅いところに当たって痛かったのとクッションがないから少し 息苦しさを感じた。その分しっかり側臥位になって身体も頭も力強く洗ってもらって気持ち良かった。
お風呂から戻ってしばらくするとリハビリの先生が来て最初に「脚の力が弱くなってる」「脚が太くなってふくらはきが 入りにくいから装具を作り直したら」と。立つ力が弱くなったのは自分でも自覚しているけど先生の身長と立たせ方じゃ 仕方ないでしょう、先生は自覚してないの。脚が太くなったのは脚を挙げることがないから長い入院生活で浮腫みが ぶり返してふくらはぎに来ただけで、装具の問題の一番は変足がひどくなって踵が入りにくいことじゃないの。今日の 肩の可動運動もちっとも無理をすることがなくてつまらないだけだし、むりもせずうごくはんいで動かしているだけなのに 「痛くないですか?」なんて聞くなよ。次の入院の時には出来るだけ背の高い先生に代わって欲しいけど、誰に言えば 失礼なく代わってもらえるのかな。
家にもメールしたし 予定していたことは全部終わった。土日はパワーポイントをしていい環境が出来た。

8月22日 時間があるはずが…
今日は昼からの予定はない。今日絶対やらなければならいことはメールと昨日のこの雑記帳、時間が余ったらパワー ポイントでもやろうかと思っていたがそんなに甘くはなくて…雑記帳を終わらせるのがやっとの有り様。左右の足の スイッチの調子は良かったのに…、入力が遅くなったかなあ。まあパワーポイントは土日やってある程度の流れ (ストーリー)が分かるところまで出来りゃいい訳だし、三ヵ月先の資料に慌てる必要も焦る必要もないのだから。ただ 流れだけは早めに作っておかないと引き受けた時の気持ちを忘れてしまう。

8月21日 行事いっぱい
昨日とは一転、今日は行事がいっぱい。午前中は排便とカニューレ交換、午後は他病棟の2年目の看護師さんの(教育的) 訪問・リハビリ(立位運動2回と車椅子移乗)・ケアマネージャーと訪問看護師の訪問。スケジュールいっぱいなのにパワー ポイントが気になって構想をメモる始末、当面のメールも作り終わってないのに…自分の中で何してるんだと 思いながらも。パワーポイントをやり始めたら止める区切りがなかなかないから難しい。
排便は朝から便意がほとんどなかったし便が下腹に下りてきている感じも少ししかなかったから難しくなると思ってた、 便が片手分出ればいい方だなと半分諦めていた。ただ排便介助についてくれたのが僕のことをよく知ってる M看護師だったのがラッキーだった。最初の摘便で幾らかは取れたみたいだが量は分からなかった。そして浣腸、ガスと 塊の便は幾らかは出たけど…止まってしまった。その下腹に残った少し固めの残便を摘便で取ってもらってもう少し 待つと次にもう一塊便が出てきたが、最後の残片を残して止まった気がした。それを出そうと自力で頑張ったのだが 出たのはほんのちょっとのガスと便汁、自分の力で便を出せないなんて本当に情けない。そこでもう一度摘便して もらったのだが「何も触れない」と、あの肛門近くに便の残った感覚は何だったのだろう。
午後の訪問はまずK副さんと2年目の看護師さん2人、K副さんが僕がスイッチでパソコンを操作している様子・ ナースコール用スイッチを足の甲で押す様子と文字盤でコミュニケーションしていることを説明してた。午後2時半過ぎ (今日も遅い)からはリハビリ、今日の立位運動は僕の出来が悪くて膝折れする姿を2年目の看護師さんに見せてしまった まずかった。車椅子に座った後はその2年目の看護師さんと文字盤のデモンストレーション、話すことがなかったから人の 話をした。最後はケアマネージャーと訪問看護師さん、色々な話があったようだけど結局は日曜のケアの話だったかな。 朝早くの洗顔や陰洗なんて考えられないし夕方は面倒くさいし。週に1日ぐらいなくてもいいし…、やって欲しかったら 夕方自分で言うから。こんなことじゃ24時間介護なんて考えられないな。

8月20日 行事の少ない日の過ごし方を間違った
今日はメールしかやることがなかったのでパワーポイントにとっついたところ、ひと区切りつくまで途中で止められ なくて肝心のメールも打てない始末。その上作ったパワーポイント1ページも保存しないで終わらせてしまって…ホント 情けないったらなかった。
唾液の治験を今週やるということで退院を来週初めに延ばしたはずなのだが、治験の要項がはっきり決まらなかった ということで「治験は今回はやりません」と午前中主治医が言いに来た。治験という言葉の響きに興味があったのだけど、 何だったのだろう。僕ぐらいの重症度になると受けられる治験が滅多にないから…。

8月19日 皮膚の生検の結果の説明
今日の午前中はスケジュールがいっぱい、皮膚科の診察(7月29日生検した右耳の左の顔の皮膚の結果説明)と陰洗と新人 看護師さんの見学の予定だった。ところが新人さんの見学が午後になり 病室でのまつり(僕は関係なし)が午後1時半から 急遽入り、リハビリ(今日は立位運動2回と車椅子移乗)が元々午後2時半過ぎからあって午後が大忙しになった。 新人さんには僕のナースコールをピルケーススイッチで操作している様子とパソコンを足で2つのスイッチ(PPSと ピルケース)で操作している様子を紹介、僕はこの病棟にとってナースコールもパソコンもスイッチで操作する都合の 良い患者なのだろうな。
陰洗が終わって1時間ほどパソコンをしていると顔の皮膚の生検の結果を伝えに皮膚科の先生が来た。結果は「異状なし、 シミ?は加齢によるものでシミが大きくなって嫌になったら手術して取ってもいい」と言われたけど…必要ないな。
車椅子に座っている時に気になったことは「動かしてないからか右肩と首の間が時々痛む」ことと「首が少し 弱くなったな」ってこと、でもまあ三ヵ月入院していたのだから上出来だと思うけど…。

8月18日 一八夜
今夜は我が町我が地区(僕らの昔の言い方では「ぶらく」)の祭 一八夜。本音で言えば一八夜までには家に帰りたかった、 一八夜の終わりの花火の音は家のベッドの上で聞きたかった。

8月17日 予定変更
この土日の2日間は入院中に依頼された「エキスパート研修」用のパワーポイントの構想作りに当てようと思って いたのだけど…、金曜までに終わらせようと思っていたこの雑記帳とメールの返信を終わらせることが出来なくて今日に 持ち越した。あとは優先順位の問題だったが…3ヵ月以上先のパワーポイントの構想作りはやっぱりやる気にならず、目の 前の雑記帳とメールを優先したが 切羽詰まらないとやる気が起きない性格だもんな。だけどお題をもらった時に構想の メモぐらい作っておかないと熱意を忘れちゃうし、もうやる気が薄れてきたから入院中に何かしておかないと危ない 気がする。
今日は四日ぶりの排便の日、朝からパソコンしたのでいつもとリズムが違ったからか弱い便意しかなくて「今日は ダメかも」と思って最初から弱気だった。まず摘便してもらって幾らか固い便は取れたらしいが、浣腸しても どのくらいかは分からなかったが(多分少ない)ガスと一緒にブリッブリッと固そうな便が出て 止まった。その下腹に 残った便を摘便で取ってもらって、しばらく待ったけど何も出なかったので終わりにした。まだ不十分な感じは 残っていたけど下腹はへっこんでスッキリになった。
夜になって右足の親指と人差し指を閉じる力が弱ってパソコンを上手く操作出来なくなった、今日は朝からパソコンを したから足が疲れたのかもしれない。ギリギリに終わったらシャットダウン出来ないかもしれないと思ったから早めに パソコンを終わらせたが…、就寝介助まで長かった。

8月16日 お風呂
今週はお風呂の曜日が火曜から金曜に代わった。金曜日の午後2時半からはリハビリの予定があるけど金曜日のリハビリは 僕が効果を疑問視している先生の肩の可動運動だから、かぶった場合はどちらを優先するかは僕の中ではとっくに 決まっていた。幸い僕のお風呂の順番を遅くスケジューリングしてくれたのでリハビリとお風呂が重なることは なかった、僕が気をやんだだけでちゃんと考えてくれていた。リハビリはリハビリの先生の言う「無理をしない リハビリ」で毎度のことながら楽しくとも何ともなかった。でも先生の動かす肩の可動域は今日はいつもよりちょっと 広かったみたいだ、なんで?
リハビリが終わって少し待つとお風呂の迎えが来た、みんな心許せるメンバー。そして今日はお湯が溜められる トローリータイプ、ただスライドボードでトローリーに移してもらった時に右股関節が少し痛んだのが気になったが…。 お風呂の洗い場での今日の井戸端会議の話題は僕の退院のこと、ほぼ三ヵ月入院して世話してもらっていた訳だしまた 三ヵ月もしない内に長期入院して世話してもらうことになる訳だし みなさんのことは心配しなくても忘れませんよ。 三ヵ月もいたのに看護師さんや介助員さんの名前を覚えたのは今回もわずか数名だけだった、みんなケアの時にはケアの 邪魔にならないように名札を付けているので見えないから覚えられないとスタッフ名前を覚えることはもうとっくに 諦めてる(笑)。トローリーにお湯を溜めてもらって身体が温まってから病室に戻ったら妻と娘が来ていた、上の息子に メールで頼んでおいたことを代わりにやってくれたようだ。たいしたことを話すこともなく「時間だから」と帰ったが、 洗濯物を取りに来たのだからこんなもだろう。顔を見せに来てくれただけでも良しだ。妻を見て自分が改めて66歳だと 認めた。
昨夜は一晩中ナースコール用のスイッチに悩まされた。スイッチの反応が悪いのは夕方から分かっていた。それを寝る 前になって「寝ていて起きた時にナースコールが鳴らなかったらどうしよう」と不安になって「ナースコール用の スイッチが・・・」と言い出したのが間違いだった。さらにスイッチの下の発泡スチロール加工物に貼り付けていた黄色い クッションを取り外してもらったのも間違いだった、四角い発泡スチロールだけだと四角の底面に足の甲が平行に 当たらないと(ピルケース)スイッチの中のマイクロスイッチの突起部に力が伝わらなくて=ナースコールが鳴らなくて 余計に苦労した。運が良かったのは夜間の受け持ちがF看護師だったこと、大分気を配ってくれていたと思う。今日の日勤 時間帯になって介助員のSさんが来てくれて、僕の指示を聞きながらピルケースと発泡スチロール・発泡スチロールと 黄色いクッションの接触面をまずアルコール麺で拭きそこを両面テープでくっつけてくれた。ただ黄色いクッションの 方の発泡スチロールへの両面テープの張り付きが良くなかったみたいで発泡スチロールと黄色いクッションの周りを テープで補強してくれたようだ。それからはナースコールは順調、黄色いクッションが大き過ぎて足で押す際の遊びも 大きいけどね。

8月15日 ちょっとしんどい?
世の中はお盆と言うらしいが、ここ(病棟)も我が心もそれはない。我が故郷は7月盆だから8/13〜15の期間を元々そう 思ったことがないのだ。しいてあげれば8月15日は祇園(地区のお祭り)の集中日、昔の淡い思い出の日かな。
今朝はちょっとしんどい気がした。未明の自主トレのやり過ぎ?、朝からダラダラ痰が出て何回も吸引して疲れたのか? ただ今日のこの病室の受け持ちがK看護師で本当に良かった。K看護師は何も言わなくても的確に動いてくれたから しんどい身体には楽だった。そして朝の経管栄養が終わってからやや強めに蘇生バッグ(アンビュー)で押してもらって しばらくしたら身体のしんどさも消えたみたいだった。ところが夕方になるとまた身体にしんどさを感じだした。やはり 長い入院生活で心も体もどこでも疲れているようだ。あと11夜、もてるか。自主トレ、明朝は止めるべきかなあぁ。

8月14日 いつもの水曜日?
今日もいつもと同じ一日がまた始まった。ただ今日がいつもとちょっと違うのは午前中にH看護師が洗髪してくれたことと 午後2時半過ぎからはリハビリがあったこと。洗髪は6日ぶり、寝ているから頭が枕に接している部分を洗うのは 難しかっただろうけど…H看護師の手の指は痒い所に届かなかった。
そして今日のリハビリは立位運動2回と車椅子移乗、今日はリハビリの先生が病室に入ってきた時に看護師さんが待機して いたようなものだったから脚と頚の装具付け等の前準備が短時間ですんなり終わった。その分車椅子に座るのが早くなり 1時間以上車椅子に座っていたから左膝近くの太ももの裏が痛くなって我慢出来なかった、家では車椅子に座る時も 左脚には装具を着けているからか痛むことはないのだが。踵のことといい この左足脚には色々と問題がありそうだけど… 仕方ない。立位運動は相変わらずの立ちにくさ、これも仕方ない。立つ機会が有るだけいい。

8月13日 息子が見舞いに
今日はお風呂の日と午後になっても寸前まで思っていたので また娘も初盆参りに行くと言っていたので「今日は誰も 来ない」と思ってお風呂なしのメールは送らなかったのだが、思いもかけず妻と上の息子の姿が見えた。妻からは退院の 前に訪問看護師とケアマネージャーが来ること・退院後みんなを集めて話し合いがあることが告げられ、上の息子は近未来 (彼女のことを含め)のことについて話をしてくれた。息子に彼女がいると聞いた数年前から今年の転職のことも含め 気になっていたが…、両方ともちゃんと考えていたってことで安心した。「そのうち彼女を連れてくる」と息子が 言っていたけど僕がその女性に言いたいことは一つだけ、「息子を頼む」。
今日は四日に一度(基本)の排便の日、まあまあ快便だったと言っていいと思う。最初の摘便では便に触れなかったと いうことで浣腸してもガスしか出なくて諦めかけたのだけれど、しばらくして急に便意がもよおしてきて一塊半の軟便が 出た。それでも下腹に便が残っている気がして恒例の2回目の摘便をしてもらったらたっぷり便が出たと言う。その後 しばらく待っても何も出なかったので洗ってもらった。量も出てスムーズだったのだから快便だろう。

8月12日 山の日(祝日)
今日はハッピーマンデー(祝日)で山の日、8月12日 日航機墜落事故の日が祝日というのが皮肉だなあ。 ハッピーマンデーというのは該当する週の最初の月曜日に来るのが普通なのだけれど今回はお盆に連なる三連休を 作るために翌週の月曜日、今回は大型連休を作って意味を成したが僕の好きになれない制度だ。日航機墜落事故では僕が 昔勤めていた会社の人も1人亡くなった、有名人では坂本九さんも亡くなった。こんな辛い重大事故の日を祝日にして いいのか。

8月11日 不可抗力だけど…
今朝のこと、朝の経管栄養の時の体位調整の際に出来ることを確認したはずのナースコールが 7時半頃ナースコール用 スイッチを押してみたら鳴らなくなっていた。スイッチに確実に強く当たっているはずなのに鳴らなかったということは 接続部の接触不良が起きているということ、こうなると誰かが僕らの病室に来るのを待つしかない。通常は看護師が 呼吸器確認で8時半に病室に来るから1時間待とうと覚悟した。経管栄養の途中で一度気管吸引してたから気管に痰が 詰まる程痰が出てこなかったのが幸いだった。結局8時半前にこの日の夜間担当の看護師が来たのでまず吸引してもらい、 それからナースコールが鳴らないことを伝え♂プラグを刺し直してもらったらナースコールが鳴るようになった。 プラグの接触不良は起きたらどうしようもないから、出来るだけまめに♂プラグを抜き差ししてもらうしかない。
残念だったのは8時前に隣りの患者さんのアラームが5分近く鳴っていたのに誰も来なかったこと。誰か来ていれば僕も 歯ぎしりで呼ぶことが出来たし、自分の呼吸器のアラームが鳴った時にもこうやって放置されるのかと思うと 恐ろしい。

8月10日 掛け物調整
昨晩僕の他にもこの病室が寒いという患者さんがいて冷房の設定温度を看護師さんが確認してみたら22℃、 寒いはずだった。設定温度を変えたということはまた掛け物の調整が必要、掛け過ぎたらあせもが出来て痒くなるし 少しでも少ないとくしゃみが始まり風邪を引くという厄介な身体だ。この頃昼の経管栄養が終わると暑くて肩の バスタオルを外してもらっている。時には掛け物をタオルケットだけにすることもある。それに対して寝る時には毛布を 追加してもらって掛け物3枚+肩にバスタオル、朝方(未明?)になると肺が冷えるから寒くないようにしている。僕は 状況に応じて臨機応変に掛け物を変えているけど…同じ病室の他の患者さん達はそんなことはしていないみたい。 朝寒くはないのかな。
夜9時を過ぎた頃気管に痰が詰まり始めてゴロゴロ言い始めたからナースコールを押してHELPした。しばらくすると(10分 ぐらい?)介助員さんが来たので「(看護師さんに)吸引(と伝えて)」と頼んだのだが…、いくら待っても(10分ぐらい?) もう一度ナースコールを押しても誰も来なかった。息が苦しくなるし頭もボートして来るし…、残った力で奥の手を 使おうとした(家へのHELPメール送信)ところへようやく看護師が来て 吸引して蘇生バッグ(アンビュー)で押してもらって …復活した。この病棟へ来て約二ヵ月半、一番危なかった・苦しかった。その看護師さんが言うには「他の患者さんの SpO2が下がっていてその患者さんに対応していて これなかった」と。それは分かる、でもそれならどうして他の看護師を よこそうとしない。SpO2が下がる等呼吸器に関する危機に慣れ過ぎて看護師の持つべき危機感が薄くなっている、これが この病棟の悪いところだ。

8月9日 四連続はダメだったか
今日は排便の日。いつも通り昨夕ラキソベロンを12滴服用した。それなのに今朝下腹に下りてきていた便の量を少なく 感じたし、便意も今日はほとんどなかったから便が出るかどうか心配だった。案の定最初にしてもらった摘便では固い 便が幾らかは取れたらしいが、次にしてもらった浣腸ではガスばかりしか出なかった。やっぱり四回連続快便なんて そんなにうまくいくはずがなかった。その後の摘便で片手分くらいは便が取れたと言うことだったが…下腹に便が 残っている感じはほとんどなかった。前回まで三回連続して便がたくさん出ていたから今日は少なかったのだろう。量が 少ないと刺激してもらわないと出せない、困った身体だ。
午後2時半過ぎからはリハビリ。金曜日のリハビリはマッサージ程度の肩の可動運動、僕はもう金曜日のケアの ルーティーンの一部としか思ってなくて楽しみでも何でもない。どちらかというと3時半からの体交で側臥位になれるが どうかを気にしてるくらいだった。リハビリの先生から最後に「月曜日は祝日だから来ない」と、「山の日か、この ハッピーマンデーは有効だな」という感想しか浮かばなかった。「もったいない」という想いは頭をよぎらなかった。今の リハビリは僕にとってこんなもんだ、終わりも見えてるし。

8月8日 算盤の日
今日はパチパチ 算盤の日、クラブ活動をしなかった僕でもそろばん塾には4年4ヵ月通った。いろいろ思い出がある。 8月8日にはそろばん塾でイベントがあったけどそれも懐かしい。
木曜日は行事が最も少ない曜日、午前10時以降に陰洗をしてもらった後パソコンを設置してもらい午後3時半からの体交で 左右に側臥位にしてもらった以外はパソコン三昧。まあ今日は採血と検尿があったからいつもの木曜日に比べると行事が あった方か。

8月7日 危なかった
今日の未明左踵が痛くて?目が覚めてナースコール用のスイッチを右足の甲で押そうとしたら…スイッチがどこを探しても 足が触れなかった。こうなったら気管に痰が出てこないように祈りながら 僕は興奮しないように努めながら他の 患者さんの所にスタッフが来るまで気長に待つしかないと覚悟した、何時間でも・・・。もし気管に痰が出てきて気管に 詰まることにでもなったら、僕は相当苦しむことになるだろうが、アラームの音とSpO2端末の異常に看護師さんが 気付いて駆けつけてくれるだろう。この時は前の患者さんのアラームが鳴って看護師さんが来てくれて、いつもより 小さな僕の歯ぎしりの音にも気付いてくれたから僕は苦しくならずにすんだ。僕の歯ぎしりに気付かない看護師が多い中 今日の夜の部屋担当がU看護師でラッキーだった。この夜は全体的にナースコール用のスイッチに対して足が当たって いたはずなのにならないことも多く苦労した。それで10時のケアの後で介助員さんにスイッチの両面テープを詳しく 説明しながら貼り直してもらった。介助員さんも時間をかけて付き合ってくれて、おかげで以後ナースコールは 好調 かな。
午後2時過ぎ午後一のケア陰洗の途中に娘が来てくれたのだが、娘が来ると思ってなかった僕は妻かなと思いちょっと ドキマキ。娘がまだいる時にリハビリの時間が来て先生も来た。今日のリハビリは立位運動と車椅子移乗でリハビリの 先生の今日僕の身体を支える手の位置は腰辺り、そこじゃ僕の上半身を支えることは出来ないのに元に戻ってしまった。 前回前々回と脇に手を添えたのは偶然だったか。娘も僕が立ちにくそうにしていたのが分かったそうだ。「リハビリの 先生が小さいから」と理由を説明して娘も納得。娘に妻の状態を聞くとまだまだと、これで8月26日に本当に退院?
左下奥歯の歯茎がまた腫れてきた、まずい。家に戻って歯科衛生士の処置を受けることが出来るようになるまであと20日 もつかな。

8月6日 お風呂
火曜日の午後はお風呂、昼の経管栄養の滴下スピードの見方を間違えて遅い決定をしてしまったから時間も遅くなって バタバタになってしまった。今日のお風呂はストレッチャー型、トローリーとは違うので最後のお湯をためて身体を 温めることがないからベッドに戻った後に少し寒気を感じた。ここ数日部屋が寒い気がする。外は猛暑(日)と 言ってるのに僕だけ寒さを感じるのはなんで?、自分で解ってないけど体調がずっと良くないのかも。

8月5日 今日も快便 何故?
今日の皮膚科の診察で1週間前の生検で取り抜いた右こめかみの下辺り(右耳の横)の皮膚痕の抜糸を行うことは前々から 決まっていたから僕の頭には入っていたのだけれど、あんな時間(10時頃 排便介助の途中)に来るとは思わなかった。 抜糸は無事終わり 皮膚科の先生によると「縫い痕もきれいだからガーゼはしなくていい」とのことだった。
排便の方は今日も快調、これで3回連続で快便となったがどうして急に良くなったのかが不思議だ。今日も最初に摘便で 固い便を取り出してもらってそれから浣腸、それでガスと一緒に軟便がバリバリ出て その上下腹に残っていた最後の 一塊も出た。そしてもう一度摘便してもらってお腹に残っていた便汁が出たので終わりにした。いつもこんな排便だと 精神的にも楽なのだけど…。
午後2時半からはリハビリ(立位運動2回と車椅子移乗) のはずがリハビリの先生は今日も15分遅れてきた。残り3週間に なって思うことはもう立位運動も車椅子移乗ももういいかなと、いけないな。今日の1回目の立位運動は膝折れしそうに なったけどリハビリの先生とスタッフが支えてくれて持ちこたえ、2回目は脚にまあ力が入ってまあまあ上手く立てたと 思う。車椅子に座っている時は普通だな。

8月4日 突然風邪気味?
昼の経管栄養が終わった頃から急に少し息苦しさが出て、午後3時半からの体交で左側臥位にしてもらった後から突然 くしゃみが出るようになって少し寒気もしてきた。また夜は鼻詰まりみたいな症状も出てきた。これってもしかしたら 風邪引いたってこと? なんで?

8月2日 おそれていた歯茎が…
昨晩は入院して一番長く寝たと思うが…それでも一日中眠たかった、肉体的にも精神的にも疲れが溜まっているのだろう。 その疲れの原因の一つが左下奥歯の歯茎の痛み、今日も朝から左下奥歯の歯茎が程々痛い。治療せずに腫れ・痛みが 引くのを待っていいものなのか 治療してもらうべきなのか 迷っている。泣くほど痛くないけど違和感は朝よりも強く なっている。この土日2日間 もてればいいが。
今では楽しみでもなくなった金曜日のリハビリ(肩の可動運動)、午後2時半過ぎには来てくれたから3時半からの体交の 時間に側臥位にしてもらえた。もう少し長めに側臥位になりたいところだけどここにいる患者さん達は側臥位が嫌いな ようですぐ「大丈夫」と心配して声をかけられる。誰も彼もに側臥位を長い時間勧めないのはもう病棟の体質になって しまっているのだろう。
夕方6時前気管に痰が出てきたのでナースコールを押してスタッフを呼んだのだけど 毎度のことながら来る気配が なかった、今の時間帯が夕食時で スタッフは食事介助をしていてかなり忙しい時間帯だということは 分かっていたけれど、誰もナースコールに対応することはなかった。その内気管に痰が溜まってきて限界が近いと 判断した僕は家にHELPメールを打つ準備を始めた。人工呼吸器のアラームもSpO2モニターのアラームも鳴り始めた。 そして窒息の危機を感じ家にメールを打とうとした瞬間S看護師がようやく来てくれて吸引してくれた、助かったと 感じた。こんなことが今後もあるだろうが…。

8月1日 今日もほぼ快便
今日の未明(午前2時頃?)左下奥歯のブリッジで出来た空間の奥の方の外側の歯茎が腫れて、その痛みで目が覚めた。寝る 時には左下奥歯の外側の歯茎は晴れていなかったのでおよそ3時間でだんだん腫れてきて痛みが強くなってきたようだ。 しばらく痛みで眠れなかったけど、ひと眠りしたら腫れも痛みも小さくなっているような気がしたし、朝になったら 腫れも痛みも小さくなっていた。未明痛くて目が覚めた時には悪い血が溜まって歯茎が腫れたと思っていたけど… 違っていたようだ。左下奥歯の歯茎に悪い血が溜まって腫れることがいつかはあると思っているけど、今回も違って 良かった。
前回の排便から4日目 今日もまた排便の日、また憂鬱だ。昨夕ラキソベロンは12滴入れた、前回の快便の時と同じ量だ。 ただ同じ12滴服用してても前回の便の量や腹具合で出方が全然変わってくるから予測がつかないし難しい。今日も最初の 摘便で幾らか取れたとのこと。そして浣腸でガスと一緒にバリバリと適当量の軟便が出た、いくらか残ったけれど今日も 悪くない。その下腹に残った便汁を摘便で出してもらって しばらく待ってみたけど…出なかったので洗ってもらった。 今日もまあ快便といっていいだろう。珍しく連続快便、これがずっと続くと精神的にも楽なのだが。
8月26日退院説が病棟にも入ってきているようだが…期待を抱かずにいよう、一週間縮まった? 誤差のようなもの?



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7月
7月31日 なんか疲れてる
昨日から脚に疲れを感じているので未明(3時〜4時)の親指と人差し指を閉じる運動500回を止めている。昨日は夕方からパソコンの入力が出来ないほど足が疲れていたが…今朝はそれほどではなかった。午後2時半過ぎからはリハビリ。水曜日のリハビリは立位運動2回と車椅子移乗、もう脚に疲れは残っていなかった。立位運動の時にリハビリの先生の手は今日も僕の脇の近く、まあ立ちやすかった。小っちゃなリハビリの先生も何かコツを掴んだか。

7月30日 入院して二ヵ月
今日で入院して二ヵ月経った。正直言って長かった が、まだひと月以上ある。まだまだ我慢の日々が続く。
お風呂が終わった時間に娘が会いに来てくれた。その時「(妻が)生検の結果説明の州に退院を考えてる」と聞いたが「回復状態は順調そうでもない」とも聞いたので期待しないで三ヵ月間いるつもりで待つことにした。ナースコールになかなか来てくれないのは怖いが早めにコールを押すことによって吸引が限界なる前に対処してもらうように努めよう。

7月29日 顔の皮膚の生検
顔の右耳の横辺りのアザ?の生検。午前11時の予定だったので午後2時半からのリハビリには間に合うと高をくくっていたのだけど…皮膚科の先生が実際に来たのはほぼ正午、生検が終わってからリハビリの先生に「開始時間を3時にして欲しい」と連絡してもらったが断わられた。仕方がないので昼の経管栄養の滴下を早くして対応した。滴下を早くするとお腹が膨れる、知らないだろう。
生検は顔の生検部位を消毒した上で顔に手術用シートをかぶせられた、こうされると口で何をするか説明されても現物が見えなくて不安に感じた。次は麻酔薬の注射を2本、注射を刺された時にチクッとしたのと注射液を入れられた時が一番痛かった。それからは痛いという感覚はなくて生検された部位の周り辺りを指で押さえられた感覚しかなかった、ただ血が流れるのは分かった。後は生検された部位を中心に大きな絆創膏みたいなのを貼られて終わり、絆創膏みたいなのの中には血止め用のガーゼが入っているらしいが(見てないから?)。夕方になって生検のキズが少し痛み始めて…、寝る前に目を力強く10回閉じたら 絆創膏の中で血が流れる感じがした。だから絆創膏の中を見てもらったら「ガーゼは汚れてない」と、??
時間変更がきかなかったリハビリ、少し遅れてきてくれて助かった。今日のリハビリの先生は立たせる時に初めて脇に手を添えて立たせてくれた。この方がずいぶん楽だ。

7月28日 久々に快便
今日は久々に 本当に何年振りかで快便だった。昨日の夕方のラキソベロンは12滴、いつもと同じで多いという訳ではなかった。今日は朝から下腹が張ってかなり気持ち悪い感じが強かった。だからだろうか 便の固さも軟便と便汁の中間ぐらいで僕の出しやすい固さだった、こんなことは珍しい。
今日の担当はO看護師、最初に摘便してもらうのにいつもひと悶着ある相手だ。だけど今日の補助に入ってくれたのが僕をよく知っているM看護師で、M看護師主導で排便介助を進めてくれたので説明は不要でもめることもなかった。最初のM看護師の摘便で固い便が総て取れたのか、浣腸してもらったらかなりの量の軟便?が出た。そしてもう一度摘便してもらったら下腹に残っていた便汁も出た。これでお腹もほぼすっきり。これだけ自分で便を出せたのは何年振りかな。

7月27日 モモの命日?
2年前の今日 モモは突然旅立った、みんなに何も言わぬまま一人で。前日の夜遅くいつものように出かけて行って… 帰ってこなかった。2年前の朝早く2軒隣の家の玄関前に眠るように死んでいたそうで、飼い主が分からなかったので自分ちの山に埋葬してもらったと聞いた。こんな時だけ思うのは飼い主の名前入り首輪をつけておけば良かったと、勝手だな。
今病院に持ってきているパソコンの背景は前日(2022年7月26日)の昼頃いつもの定位置で眠っているところを写真に撮ったモモ。?せてもいないし毛並みも悪くない、毎日見ているのだがどう見ても十数時間後に死ぬ姿には思えない。それなのに何故…なぜ…ナゼ…。「変わったところがあったとすればこの1週間ぐらい足にじゃれついてよく甘えてきた」と当時妻が言っていた。僕も当時ずっと「どうして一人で逝った、僕も連れていけよ」と思っていた。
それにしてもモモの死因は何だったの、まさか老衰? モモがうちに来たのは上の息子が中学3年の12月(2011年)、息子がやさしくしたら家までついてきたらしい。その時まだ小さかったから生まれて半年は経っていないようだった。ということは亡くなった当時モモは11歳、老衰というのには早すぎるだろう。ところでチビは2013年4月17日生まれの11歳、僕はひそかに心配している。まあチビは生まれてからずっとキャットフード育ちだから大丈夫だと思うけど、モモは幼き頃は生き残るために口にできるものは何でも食べただろうから。モモは人懐こくって誰にも愛された。僕の部屋にもよく遊びに来て脚の間でも眠っていた。年間滞在時間は家族の中でモモが一番長かった。ありがとう モモ、もっと長く生きていて欲しかった。

7月26日 オリンピック開幕
今日からオリンピック開幕、だけどパソコンでどうやればオリンピックを見られるのかが分からない。出来ればTverの無料放送で見たいのだけど、放送があるかどうかさえも分からなかった。こんな時に思うのはNHK+、登録しておけば良かった。もう一つ気になるのが時差、日本とフランスでどのくらい時差があるのか分からないが出来ればLIVEで楽しみたいものだ。

7月25日 つまらんなあ
今日の午後2時頃リハビリの先生が来て「明日休むことになって来られないから今日リハビリをやらせてほしい」と。それで「3時頃」と口約束をして一時別れたのだが…、3時20分になっても顔を見せなかった。こっちが3時と言ったのはケアの時間と兼ね合いがあるのだ、今日のリハビリ(肩の可動運動)より横を向くことの方が病院に居る今の僕にとっては重要なのだ。だがリハビリの先生が来たのは3時半過ぎ、3時半からの病棟のルーティーン体交で「横を向きたい」と言い出すチャンスを失った。
これが家に居て訪問リハビリの先生の肩の可動域運動を受けるのなら優先順位が変わるけど。今の病院のリハビリの先生のは肩は気持ち良いが全く攻めることをしないから肩の可動域は狭くなるだけだろう。まあ病院のこのリハビリの先生は肩の可動域が90゜ぐらいと思い込んでいるからそこから「100゜なった」「110゜になった」と嬉しそうだけど…、訪問リハビリの先生が腕を140〜150゜ぐらいまで挙げて肩の可動域を今まで何年間も維持してきたことを知らないから。攻めないリハビリの先生じゃ話にならない。
背が低いことといい関節の可動域についての考え方といい 本音で言うとこのリハビリの先生は代えてほしい。リハビリテーション科の中に僕の立位運動を見たことがある人はいないのか。脚の装具を着けると僕の身長は180p以上になるんだぞ。おそらく150pに満たないこのリハビリの先生が僕の腰を支えて上手く立たせることが出来ると思うのか、身長差で立ちにくくて仕方ない。僕の病気はALS しっかりした支えがないと立てない、それをリハビリの先生にお願いしてるのに…。

7月24日 夏の甲子園佐賀県大会決勝戦
決勝戦は鳥栖工業高校と有田工業高校の試合。と言っても僕はケアとカニューレ交換があってパソコンのネットで試合を見られたのは0-0だったけど3回表のピンチの場面、今日は苦労しそうだなとこの時点で思った。
今日は相手打線の調子が悪くて助けられたって感じ。似たようなエース同士の戦いで相手打線がストレート狙いだったから変化球中心の投球に切り替えたけど、その変化球がなかなか決まらなくて4回表に連続フォアボールの押出しで1点を与えた。その後の回もなかなかストライクが取れなくて毎回ドキドキだったけど、最終回はストライクも入って相手も早打ちしてくれて助かった。ほんと安心して見られたのは9回表のみかな、よく勝てたって感じだった。2-1で勝利(1点目は相手のワイルドピッチ)したけど、全体的に運があってラッキーだった。
佐賀県大会は1アウトからでもランナーが出たらバンドで2塁に送って点を積み重ねる戦法だったけど、同じ戦法だけで甲子園で1勝できるかは? 引き出しを増やして欲しいけど…。
今日のリハビリ(立位運動と車椅子移乗)ももうひとつ、もう期待していない。リハビリの先生が約束の時間より早く来ると車椅子に座っている時間が長くなるから困るんだけど。家では車椅子に座っている時に左脚の装具を外すことがないから知らなかったが、車椅子に座っている時に左脚の装具を外していると時間が経つに従って左太ももの裏が痛くなるから堪らない。今日は時間が長かったから我慢出来なくて顔をしかめていた。H看護師がひどく心配していた、ゴメン。

7月23日 望み薄か
午後のお風呂の後しばらくしてから娘が面会に来てくれた。昨日娘がくれたメールの内容からも今日娘から聞いた妻の股関節の様態からも3ヵ月間より短い期間で退院することはどうにも期待出来ないようだ。2-3週間でも退院が早くなればいいなと期待していたが…やはり8月19日の右こめかみの下辺りの皮膚の生検結果の説明はこの病棟で聞くことになりそうだ。あと8週間2日の残りの入院期間は変わらないか、寂しい〜。それにもしかすると妻の回復状況次第では入院期間が3ヵ月よりどんと長くなるかも、考えたくないし苦しい?なあ。

7月22日 希望通らず
7月8日の右こめかみの下辺りの皮膚(症状:時々襲ってくる中ぐらいの痒み)の生検の説明の日に 皮膚科の先生に娘を通して「7月29日の生検を1週間前倒しして22日に出来ないか」と希望を伝えていたのだけれど、希望は通らなかった というより皮膚科の先生は検討する気もなく馬耳東風聞き流したのだろう。そうしそうな顔をしてると期待はしていなかったけれど…、これで8月19日の生検結果の説明が決まった。皮膚科の診察を受け生検するとその場で決めたのが7月1日で生検結果の説明が50日後の8月19日なんて、いくら何でもかかりすぎだろう。そうなるのはこの皮膚科の先生が月曜日しか来ないのとそういう体制を取っている病院側のシステムの問題、それに決めた日付を変えたがらないのも病院らしいと言うべきか。
午後一からは夏の甲子園佐賀県大会準決勝第二試合 神崎高校vs有田工業高校の試合を視聴、相手は神埼青明ではなく我が母校伊万里高校と同格?の普通校(進学校)の神崎高校だった。今までずっと強い神埼青明と思い違いしてたし間違ってた。今年は普通校が強くてベスト8に4校残っていたけど、決勝戦に進んだのは鳥栖工業高校と有田工業高校(有工)の2校だった。ベスト8の顔ぶれから見ればこの2校以外なら大番狂わせというところだ。準決勝第二試合は6回裏2:1で有工のリードというところまでネットのバーチャル高校野球というWebで見ることは出来たけれど、7回からはリハビリ(立位運動と車椅子移乗)の時間で見られなかった。ベッドに戻ってからパソコンを見たら何とか点を取られずに無事勝っていた。それにしても有工の打線は今日の神崎高校の先発といい準々決勝のリリーフといいサイドスローは苦手のようだ。決勝戦の相手 鳥栖工業のエースは有工のエースと同じタイプで打ちなれてるとも言えるがそれは相手も同じ、鳥栖工業のエースは立ち上がりが悪いし突然崩れる回があるからそこで逃さず点が できれば大量点が取れるか。
車椅子に座っている時に主治医に「奥さんは順調ですか?」と聞かれて笑ってごまかしたけど、実際はどうなんだろう。

7月20日 有田工業高校 完勝
午前中窓から外を見ていると雲が見えた、夏の雲に変わりつつあった。もう北部九州も梅雨明けしたのか。昨日から?今週初めから?また一段と部屋が寒く感じるようになった。肩が寒く感じるようにななって気管切開穴からの痰の横漏れが多くなった、体調が悪くなる時の兆候だ。油断すると風邪引きそうだ。ナースステーションの冷房設定温度が変わったのか。
夏の甲子園佐賀県大会準々決勝第四試合 白石高校vs有田工業高校(有工)、有工の完勝(7回 11:2 コールド勝ち)だった。1回表を有工のエースが完璧に抑え1回裏に5点を取った時には5回コールドが頭に浮かんだ。そして3回裏に5点を取った時には白石高校が可哀想になって、今度は白石高校に1点取らせてあげたくなった。その思いは実現して白石高校は4回表に1点を取り5回コールドは何とか何とか免れたか…実力差は明らかだった。途中で気付いたのは体格の差、有工のレギュラーは甲子園に出る選手に引けの取らない体格をほぼしていたが 白石高校の選手は高校生だった。有工の監督の元に近くの野球が上手くて体格も良い選手(中学生)が集まるようになったか。レギュラーの大半がまだ2年生というのも楽しみだ。今年甲子園を経験しておけばどこまで強くなるか…。
ただ気になることもあった。有工のエースの3ボールの多さ、その一つの要因が右バッターの膝元へのスライダーが決まらなったからではないか。もう一つは白石高校のリリーフの右サイドスローを打てなかったこと、おそらく球速が遅くて待てなかったのではないか。振り回してばかりではなく反対方向へ打つ工夫は出来なかったのか。こんなことでは準決勝戦の神埼青明や決勝戦の鳥栖工業の試合を心配してしまう。

7月19日 典型的な負けパターン
夏の甲子園佐賀県大会準々決勝 我が母校vs鳥栖工業の試合は初めから残念ながら我が母校の典型的な負けパターン。エラーにことごとく相手の得点が絡み5回までに5失点(5エラー)、攻撃は相手ピッチャーの調子の出ない内に点が取れず(特に3回裏の満塁) 立ち直った4-6回は完ぺきに抑えられた。勝てるはずのない試合だったが 7回裏に希望を見せてくれた、疲れの出てきた?相手ピッチャーから4点を連取して2アウト3塁まで攻めた。しかし 底力は鳥栖工業の方が上だったのだろう、そのピンチを相手ピッチャー 鳥栖工業のエースが抑え次の8回表の攻撃でダメ押しの1点を奪った。結果は6:4の僅差負け 、たらればはないのだが もし3回裏の攻撃で1点でも取っていれば鳥栖工業のエースは立ち直れたか。
結局夢 我が母校伊万里高校と有田工業高校で決勝戦を戦うという夢を語る機会はなくなった。
金曜日の午後はリハビリで肩の可動運動、でももう期待することはなくなった。

7月18日 ようやく半分 あと半分
妻が大学病院に入院して左股関節の手術を受けたのが6月4日、その三か月後 9月4日ー(僕の入院した日)5月30日=98日(両端入):5月29日+49日=7月17日 昨日で入院予定のようやく半分が終わった。あとまだ半分 7週間、気が遠くなるほど 長いなあ。かといって愚痴を言う訳にもいかないし、妻が無理しちゃうと困るしなあ。上の息子もみんなに「お母さんは無理しちゃう方だから、くれぐれも無理はさせないように」と頼んでと聞いてるから…、僕がそれを乱しちゃまずいよなあ。
今週になって身体が本調子ではないような気がする、身体が異常に疲れてしんどいし痰が出にくくて肺がすっきりしないし。いつまでもてるかな、正直自信ない…。

7月17日 自分が諦めた
水曜日の午後2時半からはリハビリ、今日はリハビリの先生がちょっと早めに来た。水曜日のリハビリは立位運動2回と車椅子移乗、だからリハビリの先生に早く来られちゃ車椅子に座っている時間が長くなるから本当は困るんだけどな。今の僕は車椅子に1時間以上座っている自信はない、車椅子からベッドに戻るのは基本的に午後3時半からの体交の時間で僕らの病室に来た時と決っているから。幸い今日は車椅子に座っていても調子良くて、もし吸引しても体勢さえ崩れなければあと15分は座っていられたと思えるくらい。
ただその前の立位運動はダメで、立とうという意欲・腰を伸ばそうという意欲さえ失いかけた。こうなって言うのではないが身長のないリハビリの先生の立位運動は不利過ぎる。立とうとする時に前かがみにもなれないし立つ時に脇に手を添えて上体を持ち上げてももらえない(腰は持ち上げてくれる)・起こしても支えてももらえない、ただ僕の胸をリハビリの先生の肩に密着させているだけ。せめてベッドに端坐位させた時にもう少し浅く腰掛けさせてベッドを少しでも高くしてくれれば少しは立ちやすくなるはずなのに、膝の角度90°だもんな。

7月16日 考え方が違う
昨日が海の日でリハビリも休みだったということで、リハビリの先生がお風呂の後に肩の可動運動に来てくれた。しかし…左肩の近くに人工呼吸器の回路があるから無理は出来ないと、右肩は腕を挙上した時に90゜付近に引っ掛かるところがあるから無理はせずに徐々に少しずつ肩の挙上の可動域を広げていきたいと。このリハビリの先生には関節の可動域を無理して広げようとするとかえって可動域が狭くなるという考えがある。
ここで一応このリハビリの先生の言う通りだとしよう。家に来る訪問リハビリの先生は肩の関節をかなり攻めて腕を150゜くらいまで挙上してくれる。それをこのリハビリの先生にやってもらったとしよう。無理をしたことで可動域が130゜に狭くなったとする。それに対してこのリハビリの先生の今のやり方で90゜を130゜まで広げることが出来るのか。このリハビリの先生は重要なことを失念している、僕が自分では少しも腕を上げることは出来ないということを。僕の肩や腕に無理して痛む筋肉があるのか。

7月15日 海の日
梅雨時の海の日なんて何の意味もない。政府も最初海の日を制定した際と目論見が変わってしまったのだから祝日を取り消せばいい。面子で「一度祝日としたものは取り消せない」と言うのならせめてハッピーマンデーだけでもやめて、昔のように7月20日固定したらどうなんだ。ハッピーマンデーは祝日が20日の州の前に行くだけ、前に行けば梅雨に入る可能性が高くなる。海の日を作った時の本音は「夏休みを1日増やしてやって、この日に家族で海水浴に行ってもらって子供たちの人気を稼ごう」じゃなかったのか。
今日はハッピーマンデーということで月曜日で祝日、月曜日のリハビリは立位運動と車椅子移乗で折角体幹を使う機会だったのに祝日だからなくなった。週に2回しか立位運動と車椅子移乗の機会はないのにその内の1回をハッピーマンデーのせいで失った訳だ。日付を固定出来ない祝日が本当に必要なのか。「日本は世界一祝日が多い国」と言われているらしい。エコノミックアニマルと言われた時代を重荷に感じてどうする、誇りだろうが。

7月12日 衝撃(当然?)の言葉
あと1週間もすれば入院予定の半分が過ぎるかと考え出した今日この頃。金曜日の午後2時半過ぎからのリハビリは手脚の可動運動。リハビリの先生から「短い時間で手脚の両方を動かすのには無理があるから金曜日は肩に集中しましょう、固くなってきている」と提案があった、仕方のないことだと同意した。それから「立つ時の腰を伸ばす力 体幹が初めに比べると弱っている、頑張って腰を伸ばして」と。僕は今でも頑張って腰を伸ばしているつもりだ、手助けがないと精一杯だ。
元々家に比べると立つ機会は5回→2回・車椅子に座る機会は3回→2回と減っている、道理に合う結果だと思わないか。脚は親指と人差し指を閉じる運動毎日500回以上、努力しているつもりだ。体幹は 僕じゃ鍛えるすべがない?

7月10日 胃ろう交換
今日は午前中陰線→カニューレ交換/胃ろう交換(CT撮影で確認)・午後3時半からリハビリ(立位運動と車椅子移乗)、目いっぱいのスケジュールで大忙しだった。その上CT撮影が終わって病室に戻ってきた後にセットしてもらったパソコンでは右足のスイッチが上手く動かないし…、ドキドキとイライラの一日だった。と言っても初めからドキドキしていた訳じゃない、起床介助の時看護師さんが「ドキドキして眠れなかったんじゃないですか」と言ったことで胃ろう交換を意識させられて…ドキドキし始めたのだ。
さて入院中の最大のイベント 胃ろう交換無事終了、今年も胃ろう交換は結構痛かった。それでももう一つのイベントが出来てしまった、右こめかみの下辺りの皮膚の生検だ。1週間に1度しか来ない皮膚科の先生の生検はいつまでかかることやら、気が遠くなりそうだ。車椅子に座った時から痰がいっぱい出てようやく肺もほぼすっきり、今日は朝から肺の調子がもう一つだったから。パソコンの右足のスイッチは車椅子に座っている時にリハビリの先生が予備のスイッチに交換してくれて調子が良くなった、イライラも消えた。

7月9日 病院でも難しいか
今日は排便の日だったけどちょっとしか弁は出なった(看護師さんは便の量を中と言いはしたけど…)。四日に一度の排便なのにだんだん便の量が減ってきている、困ったもんだ。まあ排便の後も残便感は少しあるけどお腹が張っている感じはなくなる。一日だけ下痢を起こす薬はないのか、半月に一回ぐらいならお腹もすっきりすると思うのだけど。
午後からはお風呂、だけど今日はバタバタしている感じだった。お風呂の迎えがきたのは3時過ぎ、今日は今はなき旧5階病棟のメンバーが身体を洗ってくれた。もちろん気持ち良かったし懐かしさもあった。この病棟には旧1病棟・旧5階病棟にいた看護師が結構いるから心強い。

7月8日 皮膚科受診
今日の受け持ちはH看護師、この病院の旧1病棟に新人看護師として配属された旧姓の頃から知っている。負けん気が強くてもまだ筋力が貧弱で患者さんを体交させるのにもかなり苦労していたらいつまでこの病棟で働き続けられるのか心配していたけど…、僕の期待をいい方に裏切って二児の母親になっても頑張って働き続けている。嬉しいことだ。そこで気になるのが同期のNさん、去年結婚退職したようなだがその後どうしているのか? 僕は彼女のことを将来の看護師長になれると思っていたのだが、寂しいような惜しいような。
午前11時過ぎからは皮膚科の診察、右こめかみの下辺りのアザになってる部分の生検の説明は娘だけが聞くものと思っていたのでいきなり娘が病室に現れたのでびっくり。面会禁止という割にはこの辺が緩いのは如何なものかと思う。皮膚科の先生の話はこの前とほぼ同じ、一つだけ「生検の日を1週間早めることは出来ないか」と注文を入れさせてもらったけど変化を嫌う病院では無理だろうな。ここで笑い話を一つ。今でこそこめかみの下辺りとなっているけどこれは僕の言い間違いから始まったことで、元々の患部はもみあげの中の小さなイボ?が取れた痕だった。もみあげとこめかみの言い間違いで始まってる生検だけど症状は同じ痒みだし、もみあげのことは「これも生検」と言われるのが面倒くさくなって言うのを止めた。まあその前に聞く耳も誰もないと感じた。
今日のリハビリも腰を伸ばせない立位運動だった。それに車椅子に座っている時に右肩が痛くなった。相変わらずナースコールになかなか来てくれない、吸引してほしかった時だったから3回とも15分ぐらい息苦しい思いをした。腹立ったのはある看護師が「SpO2は98ありますよ」と言いやがったこと。それは僕が必至こいて肺を動かしてたからまだ98あるんだ、僕の肺は疲れ切ってるよ。確かにこの病棟で重大事故が起こってないのはSpO2管理のおかげだろうけど、アラーム・ナースコールの遅れをヒヤリハットに入れればヒヤリハットはいくらでもある。僕か何も言わないのは病棟の実情をわかってしまったから飲み込んでるだけ、良いこととは思わないけど。ナースコールにも危機感を持って欲しい。僕は僕の人工呼吸器のアラームの設定数値をもっと厳しくして欲しいよ。

7月7日 七夕
病棟のスタッフから聞いた話、「七夕の日は毎年雨続き、晴れるのは何年ぶりだろう」。折角晴れたので七夕の願い事、家族みんなが健康で元気で。昨日から考えてることは「都城に行くのは無理だろうか」、往復10時間のリフト者の旅路を可能にする方法は? 妻は長時間車内に座っているのは無理だろうから誰に話しを持っていくか? 途中えびの高原に立ち寄りコスモスを見るのは無理だろうな。
今日は痰が多いし ちょっと息苦しい感じがあるなあ。

7月6日 
面会禁止、この言葉で何だか一挙に疲れた。

7月5日 みんな熱出してるって
この病室の他の三人がみんな熱出してるって。やっぱりみんなこの部屋が寒いってことを自分で気が付いてないんだ。僕は自分が厚い・寒いって感じた時はもう熱が出てしまった後だからいつも少し汗ばむような厚木にしているつもり、今も寝る時は毛布を追加する。それでも朝方呼吸が就寝モードから正常に戻ったら肺が冷えて寒くてたまらなくなる。
個室からこの病室に戻った時に「この部屋寒くないですか?」とみんなに聞いてもらったけどその時には「寒くない」とのこと、四人部屋の室温コントロールはみんなの合意がないと出来ないから僕は重ね着をするようにしたけど…。この病室の前はナースステーションというただっ広い空間、同じ室温設定でも前が廊下という限られた空間より部屋に入ってくる冷気の量と質が違うからこの病室の方が寒いと思う。なにせナースステーションや老化は働く人のための温度設定なのだから。
この病院でまた新型コロナウイルスが流行ってきたらしく面会禁止とのこと。面会は13:00〜16:00・親族のみ2名という他より厳しい基準なのに…、基準の厳穏はあまり関係ないのか。面会禁止、精神的に何かガーン(泣)。

7月4日 
手術から1ヵ月、妻はどの程度回復しているのか。親父の通夜・葬儀等々あったから無理したんだろうな。

7月3日 一昨日よりずいぶんまし
今日も梅雨の中休み、時おり空がまぶしく感じる時もあった。だが夏のもくもく雲にはまだまだ・・・。
今日も受け持ちは新人のB看護師かなと諦めていたのだが 今日は産休明けのH看護師、H看護師がこの病院で新人として勤務し始めた時 かなり以前からの顔見知りでリハビリ(立位運動&車椅子移乗)に立ち会うのが初めてといえども僕の心の中に不思議な安心感があった。その安心感ゆえにか今日の立位運動は1回目は左膝が本調子とは言えなかったけど立てたし 2回目はまあ上手く立てた。一昨日月曜日とは大違い。立つのもまだ大丈夫かな。これも見た目では動いてはいないけど…手脚や顔の筋肉に力を込める日頃の自己運動のたまものか?

7月2日 お風呂
連日降ってた雨も今日はひと休みのようだ。「ようだ」とは病室でベッドに横になっていると雨音は全く聞こえないし 目を凝らして窓の外を見ていても空から落ちてくる雨はほぼ見えない。かろうじて久?に溜まった雨粒が見えるかどうか。ほんと防音というものは有効だけどつまらないものだ、病院に居ると季節を音で味わうことも出来ない。外の音をBGMとして流してくれないかな、耳を澄ましても聞こえるかどうかの小さな音でいいからさ。
火曜日の午後は1週間で一番楽しみなお風呂。ただお風呂の準備をしている時にちょいとしたトラブルが…。頭(上半身)をジャッキダウンした状態で人工呼吸器の回路からカテーテルマウントを外し蘇生バッグ(アンビュー)押しに切り替えようとしたのだが、回路からマウントを外すのに結構な時間を要した。僕は頭を下げていると空気が肺に入りにくくなゃて息苦しさを感じてしまう。そのため自発呼吸が懸命に頑張るのだが…、時間が長くなると肺自体が疲労困憊してしまう。その上今日は手がお腹の上に置かれていて肺の膨らむ重しになっていた。こんな時はまず手をお腹から下ろし、アンビューの量を多めに 回数を早めに押してほしいのだけど…伝えることが出来なかった。だから看護師さんの押してくれるアンビューはいつも通りでも、いつもよりしんどさを感じていた僕の肺にはいつものようにお風呂の楽しさを味わうことは今日は出来なかった。BR>
7月1日 皮膚科受診
今日は皮膚科の診察がある、ということは分かっていたのだがまさか皮膚科の先生が午前9時過ぎに来るとは思っていなかった。すぐに右こめかみの下の方からもみあげにかけての患部(耳の横:症状は不定期に来る強いかゆみ)を診察、そして「問題はなさそうですが 患部が大きくなってます、生検をしてみますか?」との皮膚科の先生の問いかけに僕は「はい」と合図した。
月曜日しか川棚で勤務のないこの皮膚科の先生から提示されたスケジュールが以下、
8日か22日の午前中に皮膚科の先生から生検の説明を聞いてもらい同意書にサイン
29日に生検を行う
とのこと。どうしても生検の説明を聞きに来れない場合は電話で説明し後日同意書にサインをもらうとのこと。どうみても娘が月曜日に仕事を休んで説明を聞きに来られるはずがないだろう、それが世間の勤め人の常識というものと思うのだが…。
月曜日の午後2時半からリハビリ、今日は立位運動2回と車椅子移乗だったのだけど立位運動は今日は本当に出来が悪かった。理由としては色々な要因が重なったと考えられるが、一番の要因は僕が新人の看護師さんに不信感を抱いたままだったってことかな。そして気になったことはほんの一刻腰辺りにピリッと痛みが走ったってことかな。これはほんとは危険な兆候なんだけど、いつまで立てるか鬼門府がついてきたのかも。



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6月
6月30日 入院からひと月
昨日は痰が固くて 夜中気管から痰を1回吸引したかな。その代わり今日は朝から気管から痰がいっぱい出てきて3回吸引したところで肺もすっきり、もうこれ以上は痰は出ないんじゃないかと思っていたのだけれどその後も気管にはズルズル痰が続けて出てきて…。今日の肺は調子良いと一度は思ったのだけど、毛布を取った途端汗はかきそうなのに肩が寒いと感じるようになったし…。
入院して今日で早くも というかようやく1ヵ月、妻の股関節の回復状況が気になるところだ。元々病棟のスタッフは看護師さんも介助員さんも以前からの顔見知りが多くいるからコミュニケーションには困っていない(個人的に恥ずかしいのは未だに半数以上スタッフの名前を憶えていないこと)。パソコンもまあ上手く捜査出来ているし、お風呂も週1回だけど内容には満足している。
ナースコール対応は困惑することもあるけど…、人工呼吸器装着生活者の多さ・長期滞在型という病棟(元筋ジス病棟)の性格上仕方のないところかもしれない。だからSpO2管理をやっている。リハビリは不十分。だが20分という時間制限のある中で立位運動と車椅子移乗を重視してもらっているのだから、20分の手脚の可動運動1度で何をやってもらえるだろう。それを就寝前に看護師さん達に手脚の運動をしてもらうことで補っている。
6月28日 新人から解放
この二週間(土日除く)ほとんどの日を新人の看護師さんが担当で少々疲れ気味だったのだが、今日バイタルを測りに来たのがT看護師だったので安心したというのが正直なところだ。T看護師は中堅で自分の判断でテキパキと動いてくれる、あれこれと言わないで済むのも楽なものだ。
午後2時半過ぎからはリハビリ、金曜日は手脚の可動運動。脚の可動運動はまだいいけれど肩や肘・腕の可動運動は気持ちは良いが可動域運動と呼べるものではない。まあリハビリ時間20分で手脚両方を動かそうと言うのだから仕方のないことだろう。このリハビリの先生は良い相談相手というとこかな。

6月26日 肺 不調?
昨日の夜は毛布を追加して寝た、それでも朝は胸がかなり寒かった。それに朝から痰の出が悪くて何回吸引してもらっても、何回か蘇生バッグ(アンビュー)で押してもらって肺を広げても気管はなかなかすっきりしなくて 何かが引っかかってる感じで気管に痰がずるずる出てきていた。また部屋が冷えてる感じはまだあって 昨夜寝る前に追加してかけてもらった毛布も手放せないでいた。
この状態が変わったのは車椅子に座っている時から。人工呼吸器のモニターを見たら吸気量が460ml前後(月曜日の車椅子移乗時は410ml越え)に増えていたし ベッドに戻ってからも気管から痰がいっぱい出た。それに毛布をタオルケットに換えても手を掛け物の中に入れてさえおけば寒くはなくなった。立位運動と車椅子移乗して動いて体位が変わったことにより肺から痰が剥がれて、また肺の隅々まで空気が入るようになって肺の調子が良くなったのだろう。

6月25日 お風呂
火曜日の午後はお風呂の日、この病棟に来てからの一番の楽しみだ。病院での入浴は質が下がるというのがよく聞く話しだけどここは違う、洗い方も丁寧だし隅々まできちんと洗ってくれるし気持ち良いし…家での1時間の入浴車に負けないレベルだ。お風呂が週に1回ということにも不満を言うべきではないだろう、この病棟でこれだけの人工呼吸器装着生活者を抱えているんだから SpO2管理端末のアラームが鳴り止むことがないくらいなのだから。看護師さんも介助員さんも動きすぎなくらい動いてよくやってると思う。贅沢を言えば相談する時間が欲しい時もあるが…遠慮知らず?の僕でも遠慮してしまう。
お風呂に行っている間に病室が個室(六日間の隔離部屋?)から元居た所に戻っていた。所定の位置についた時の第一の感想は寒い。見慣れた風景よりもそれが先に来た、まずい!!

6月24日 月曜日のリハビリ
リハビリは週に3回、月水は立位運動2回と車椅子移乗・金曜日は関節の稼働運動。いずれもリハビリ出来る最低単位の20分だから両社とも満足する成果は難しい。だけど月水は何とか10分オーバーで収まるようになった。今日の立位運動は腰を伸ばしきることは出来なかったけど結構きれいに立ち上がれた。ただ車椅子に移る時は力任せに自分の腰を車椅子の座面に持っていかれている感じだ。もっと僕が立ち上がってから車椅子に移して欲しいものだが、リハビリの先生のこの身長じゃ立たせてからの横移動は難しいか。短い時間だけど懸命にやってもらっているもんな。

6月23日 身体がしんどい?
今朝(未明?)毎朝恒例の両足の親指と人差し指を動かす運動(目では見えないレベル)をしようとしたのだが…、身体がしんどくてすぐ動かすのを諦めた。じっとしていればさほど身体にしんどさは感じないようなのだけど、足の指を動かしたりなんかしたりしたら途端にしんどくなってしまう。こりゃあおとなしく寝ておくしかないなと観念した。身体を動かしたくないほどのしんどさは初めてといっていいくらい、身体の中で何か嫌なことが起きている気がした。
朝の経管栄養の前に気管吸引をしてもらったのだがまだ痰が上がってきていなかったようでカラカラ、だがその刺激で空気が肺の奥まで送り込まれるようになって…痰がいっぱい剥がれ出てきた。すぐにナースコールして吸引してもらったのだけど、その後も二度三度四度…と大量の痰が続け様に出てきた。二度まで痰が大量に出るのは肺もすっきりして良い。でもそれ以上に痰がいっぱい出るのは異常だ と気になった。それにパソコンの入力がいつもより疲れるのが気になったし、おしっこの頻度 すぐおしっこしたくなるのと量が多いのが気になっていた。
夜の経管栄養が終わるころから全身がかなりきついと感じるようになったので夜の担当看護師に「きつい」と訴えた。体温を測ってもらうと37.1℃、とりあえずアイスノンで頭を冷やしてもらった。僕の実感としてはもっと熱がありそうだったので解熱剤を希望したが…「使える熱の範囲が決まっている」と断られた。 幸いしばらくするとアイスノンが効いて熱は下がったようでからだのきつさも薄れていった。それにコロナ検査はマイナス、安心した。前日暑くて油断して肩まできちんとかけてなかったから身体が冷えたか?
親父の死が思っている以上に身体にも心にもこたえてるのかもしれないな。先週訃報を聞いてからずっとパソコンで文章を入力しっぱなし、だいぶ入れ込んで書いていたから疲労もかなりあった。でもそのくらいは書いておかないと自分の気が済まなかった。親父とはお互い勝手にやってきたけど「僕が思いのほか百姓が好き」だってことは親父は知らなかっただろう。親父には大学に行かしてもらった時の250万円の借りがあった。毎年10万ずつ返したけどどこまで返したか? 僕は親父から受けた恩をどこまで返せたのだろう、病気でマイナスか?

6月22日 今はまだ愚痴も言ってはいけない状況か
午後姉と娘が見舞いに来た。三日前の葬儀の時に妻の歩いている姿を見たが杖は使わずに小さい歩幅でそろそろ歩き、上の息子が「お母さんの大丈夫は信用出来ないから見守って」と娘に言ったらしいが だとすると妻は無理してたということか。二人から妻の回復状況を聞いたけど術後二週間ということでまだまだ、それに今週はリハビリにも行けてないはずだ。みんなの目が当然妻の回復状況に向いてる中で僕がくだらない?愚痴を言ってもみんな聞く耳を持たない。今の僕はまだ愚痴も言ってはいけない時期、それくらいの存在。あとひと月経ったら愚痴を言ってもいいのかな。まだたった24日…

6月19日 葬儀参列
一昨日の夕方から病棟のスタッフなお悔やみの言葉を言われる度に顔がくしゃくしゃ、涙が止まらなくて…。
病棟のスタッフの協力と訪問看護師・ケアマネージャーの助けを借りて葬儀には参列し、最期のお別れは言ってきた。父は94歳8か月、平均としては長生きだったことになるけど 本人が100歳まで生きると言っていたので…残念だ(涙)。遺影を見た時に僕の頭の中を「バカが」という言葉が何度も通り過ぎて行った、「食べられる能力があったのに何故普段からもっと食べていなかったんだ」「(転倒した気に)動く前に何故係りの人を呼ばなかったんだ」。そうすれば100歳まで生きることが出来たかもしれないのに…、全部親父の好きでやったことから 言っても詮無いことだけど。
葬儀が終わった会場で 親戚 ご近所さん 昔からの顔見知り たくさんの方が挨拶に来てくれた、中には40年ぶりに会う人も。面影のある懐かしい顔を見る度に涙。こういう機械でないと会えないのが寂しいが。
病棟に戻った僕は五日間個室待遇。個室はナースコールを押さないと誰も来ないからナースコール用のスイッチが命のカギを握る。スイッチに足が届かない時はThe end。個室は嫌いだけど、仕方ない。

6月18日 親父へ
親父「100歳まで生きる」と言っていたんじゃないのか、昔と違って諦めがよくなったな。親父の我慢強さは石磨きや刺繍の作品によく出てる、それなのに…。親父の寿命を縮めたのは僕が難しい病気を患って心配させたからか親父の独立させた池田という家の田んぼの将来を悲観したからなのか、親父はずっと僕の病気を受け入れることが出来ずにいたから。すまない。
子供の頃の僕は父ちゃんの背中を見て育ち、父ちゃんの行動を見て覚えた。一番古い記憶は親子四人で三川内の山までリヤカーでたきぎを取りに行ったこと、なぜ行き先があんなに遠い三川内の山だったのか分からないがリヤカーの中で喜んでいた幼い僕がいた。
タボを使ってウナギを捕まえるやり方も父ちゃんに教えてもらったし、ツガニとりにも父ちゃんと一緒に早岐や浦ノ崎の川に行った。一八夜の前の日には一緒に泥の干潟に行って必ずホウジョウとり、そこで子供の頃の僕は岩牡蠣の中身を海水で洗って食べることや海ニナのことを覚えた。今好きなことは全部その頃覚えたことばかりだ。
ものすごく恐かった思い出も…。父ちゃんに牛のいる小屋に投げ込まれた、どんな悪いことをしたか 忘れたが。
厭々ついて行ってた百姓仕事だったが、自分が人並み以上の体力があると気が付いたのは会社に入ってから出 それでいろいろ助けられた。それにこの難しい病気になってもう30年近く、まだ生きていられるのも百姓手伝いで鍛え体力がベースにあるのかもしれない。それから自分が意外と百姓仕事が好きだと気付いたのは家を出て3年目 21歳の時、親父の耕した土地は守りたいと思っていたが…申し訳ない。

さてこれから親子は何をするのか。ゆっくりするもよし 田んぼを作るもよし 酒を宮ノ松をたっぷり味わうのよし、好きなことを何でもしてくれ。今までありがとうな。
また一人先に行ったか。

6月17日 親父 逝く
夕方近くになって妻から病院に電話がかかってきた、「父が亡くなった」と。初めは「何故」という疑問だけが頭の中を通り抜けていっていた。というのは親父は僕らが見舞いに行った日の朝から食事が少しずつ摂れるようになり、入院する前には点滴も外れて食事も入っていると聞いていたから最悪の時期は抜けて体調は少し良い方に向かっていると思っていた。それが今日の今日 急変したなんて…認めたくなかった。
でもまあ「持ち直したはずの親父がなぜ急に?」「死因は?」なんて考える暇人は僕以外いるまい。だって親父はようやくの終の棲家にいたんだもの。
今更ながら前の施設にいたあの時に「親父ももっと注意していれば また施設側ももっと配慮してくれていれば転倒することも骨折することもなくてもっと長生きしていただろう」なん4てことをつい考えてしまう。施設にも限界があるのだからそんなことをかんがえてはいけないのか。あの時施設内で転倒させ骨折させ寿命を縮めた責任は…、お袋がその施設にいるから何にもいないか。

6月16日 恐れていたことが夜中に
ナースコール用にモノラルミニジャック端子(♂ オス)の付いたピルケーススイッチを使っているのだが、 恐れていたモノラルミニジャック接続部の接続不良が一番起こってほしくない時間帯 就寝後の真夜中に 起きた。経過は次の通り…
・就寝介助後ひと眠りして左踵の痛みで目が覚めて、ナースコールをして対処してもらった → スイッチを押すとナースコールにちゃんと反応していた
・しばらくして気管に溜まり始めた痰を吸引してもらおうと思ってスイッチを右足の甲で押しても、ナースコールのランプは尽かなかった
 → この時にはモノラルミニジャックの接続部の接続不良が起きてるとは思ってなくて、スイッチに足の甲が届かなくなったと考えていた

どちらにしろおお事で 体交の時間まで or 同じ病室の患者さんの呼吸器のアラームが鳴るまで or 僕の SpO2の数値が悪化の領域に達するまで(僕の呼吸器のアラームが鳴り続けるまで)心を穏やかにして耐えて 待つしかない と悟った。

・30分〜1時間経った時 隣の患者さんの呼吸器のアラームが鳴って、看護師さんが来て隣の患者さんの吸引を始めた
・僕は必死に歯ぎしりで音を出して看護師さんに気付いてもらい、その後に看護師さんが来てまず吸引してくれた ・ナースコール用のスイッチを張り付けているオーバーテーブルの高さをいくら調整してもナースコールは反応せず、
   ピルケーススイッチ側のモノラルミニジャックの♂(オス)の端子をナースコール側のモノラルミニジャックの♀(メス)の端子から一度抜いて
    もう一度刺してスイッチを押したらナースコールが反応するようになった

僕は現在のモノラルミニジャックの♂か♀の端子に構造的欠陥があると思っている。というのは この10数年の間に同様の体験を数え切れないほどしているから。逆に言えば10数年前まではこういう現象は 起こっていなかった。現在のミニジャックはステレオが主力、非主力のモノラルはスイッチ関係ぐらいの もので品種も数も少ないがナースコール等命にかかわるものだ。だからこそ消費者庁に本気で調べてもらいたい。

6月14日 リハビリの先生 人が良すぎ
金曜日のリハビリは関節の可動域運動。リハビリの先生が今日は珍しく30分遅れて午後3時頃来た。時短 勤務の看護師さん、彼とは確かに「リハビリが終わったら歯磨きする」と約束していたのだけど… リハビリの先生の前で「自分は3時半あがりなので歯磨きさせてもらえませんか」なんて言うか。それに 対してリハビリの先生は「他の患者さんを回って4時に来ます」と人の良いことを言う、普通は「こっちが 優先でしょ」と文句たらしいことを言わないか。歯磨きが終わってしばらくすると娘が見舞いに来た。娘と 話をしているとそこにリハビリの先生が来て「ご家族が来られているので書類を出してきます」とまた人の 良いことを、二度もリハビリの時期を譲るなんて、本当にこのリハビリの先生は人が良すぎる。僕は娘と 話しながらでもリハビリしてもらってよかったのに。
リハビリの先生の関節の可動域運動ははっきり言ってまだまだ物足りなかった、特に上半身が。左肩の 可動域運動は人工呼吸器が障害になるから難しいという話は聞いていたけど…、右肩も90゜を過ぎた辺りで 引っ掛かりがあるということでそれ以上は動かしてもらえなかった。肩の可動は娘が来た時に頼むしか ないな。

6月12日 今日は結構ハード
今日は午前中に排便とカニューレ交換・午後2時半からはリハビリとイベントの少ない病院生活に慣れて しまった体の僕には結構ハードな一日、まあ元々排便の日は見えないプレッシャーに精神的にはいつも 追い込まれているんだげね。
病院での排便の下準備として毎日カマグのジェネリックを服用し、その上前夜もラキソベロンをダブルで 服用するようにしてて家にいる時より出やすくしている。その代わり下痢する可能性もある。家では 出来ないかけのようなものだが…、病院ではダブルでカマグとラキソベロンという下剤が使えるし 今のところダブルが良い方に出てる。今日も最初の摘便と浣腸で軟便がたっぷり?出てお腹もほぼ すっきり。三ヵ月間この調子でいってくれれば悩みも少なくなって幸せなのだが…(大袈裟?)。
今日は僕もカニューレ交換。本当は今日はこの病棟の南棟のカニューレ交換の番なのだけども、三週間 カニューレ交換の間が開くのがどうしても嫌だったから今日にしてもらった。医師はカニューレ交換を 南棟からしてくる訳だからしばらく待つことになったのは自業自得だろう。やがて医師=主治医が来て 僕のカニューレ交換。いつものことながらあざやか、5分もかからない。ただが以来の時と主治医から 醸し出ている雰囲気が違う。そういうものだろう。
午後2時半過ぎからはリハビリ。月曜と水曜のリハビリは立位運動2回と車椅子移乗。今日は分かっている T看護師が応援でついていたこともあるけど…リハビリの先生も4回目ともなるとだいぶ慣れてきた感じで 危なげなかった。こうして週に2回立たせてもらったり車椅子に座らせてもらったりすることで、脚の筋肉や 体感を保持する筋肉が何とか維持出来て機能を保てればいいのだが…。でも三ヵ月も入院するのも 初めてだし それより僕もいつの間にか66歳、年齢による衰えに勝てるのか。まだ入院して二週間じゃ 諦めるには早すぎる。とは言うものの弱気の虫が…。

6月10日 そうだったのか
今日のリハビリの時に今回の入院中の受持看護師であるK副さんを含めて入院中のリハビリの方向性について 立ち話で話しがあって、その中で分かったことは…。週に何度リハビリで立位運動をし車椅子に座るのか、 今までリハビリの都合で決まるものと思っていたけれど…病棟の都合で決まるのだった。リハビリは 月・水・金、一方病棟では火曜と金曜はお風呂、「看護師も介助員も少なくなるから対応出来ない」という 明確な理由で反論しようがなかった。反論するとすれば「リハビリを金曜から木曜に替えて」ぐらいか、 面倒くさい。リハビリの先生が「期待させて申し訳ない」と誤った、人の好い先生だ。リハビリの先生に 対する僕の評価がずいぶん変わった。

6月9日 奥の手行使
夜8時半頃だったか ナースコールに繋がっているスイッチ(オーバーテーブルの底の梁に両面テープで 貼り付けてあった)を足の甲の先の方で強く蹴りすぎたのかスイッチが梁から外れ、僕の足の届かない所へ 落っこちてしまった。ナースコールは鳴っていたのだけれど こんな時に限って運の悪いことに看護師さんが ナースコールを摂る前に、体のどこかがコール端末の通話ボタンに触れたみたいでこっちのコール呼出器の スピーカーから看護師さん達が交わす会話が聞こえてきた。
こうなってしまうと就寝介助までの1時間強、人工呼吸器のアラームが鳴るか誰かのSpO2が下がらない限り 誰も来そうになかった。この病棟は重大事故を防ぐためにSpO2管理を徹底しているが、僕の場合呼吸器は 従圧式モードで気管に痰が詰まりだして気道が狭くなっても僕が呼吸を頑張っている限りSpO2の数値は 下がらない。数値が下がるのは力尽きた時で、一気に下がるから危ない。一度は就寝介助時間まで 耐え忍ぼうと決めたのだけれど…、だんだん息苦しくなって頭がぼーっとし始めて「吸引してもらわないと 窒息する」と思ったら我慢の限界がきて家にいる娘に「たすけて」とメールしてしまった。病棟は家から 電話がかかってきてしばらく大混乱、申し訳なかった。これは奥の手だったから出来るだけ使いたく なかったんだけど、まだ入院10日目なのに奥の手を使わざるを得ないなんて…情けない。

6月8日 次の三ヵ月は身体が…
娘が妻の入院先に見舞いに行った後、僕の所にも立ち寄ってくれて妻の状況を話してくれた。それによると 「経過は良好」、ただ「右股関節も手術する必要があり手術した左股関節の回復次第手術は出来る」との こと。聞いてはいたがこんなに連続と考えてなかった。ただでさえ今回の入院で立つ機会も車椅子に座る 機会も週2回と減って、家に戻ってからのH先生の訪問リハビリや日常の訪問ケアで筋力や関節の可動域が 戻る可能性があるのかと疑問を感じ始めていた。それなのに回復する期間もなくまた三ヵ月の入院となれば もうなすがままに身を任せようという諦めの境地になるだろう。出来ることがあるとすれば次の入院期間の 三ヵ月を少しでも短くすることぐらいか。妻はひと月は間を開けるつもりらしいからその間に僕は 訪問リハビリのH先生や訪問看護師・ヘルパーの力を借りて、車椅子に座るための筋力と立つための筋力の 回復に精一杯頑張り肩の可動域運動に耐える。かつ重度障害者訪問介護に24時間介護を迫る…、かなり 難しいが。
一番の優先は妻の回復、それは理解している。

6月7日 2回目の車椅子移乗
今日の午後2時半からのリハビリは立位運動?車椅子移乗だと僕も思っていた。だって水曜日のリハビリの 時にリハビリの先生自身も「稼働運動は必要ないかもしれません」と言ったじゃないか。それに 看護師さん達も車椅子に座らせるつもりでいた。でも計画書では金曜日のリハビリは可動運動のままだった らしい。しかし今週立ったのは1回、その辺は融通を効かせてほしいものだ。
今日の車椅子移乗はとてもスムーズだった、それはS看護師がいたから。S看護師自身も言ってたが僕と S看護師は15年来の付き合い、ここまでくるとかなり分かり合える。この病棟にも顔見知りは結構いるけど 十分に分かり合える人間はまだかなり少なそうだ。リハビリの先生とも分かり合えそうにない。「左肩は 呼吸器があるから動かせない」とあっさり言うし…、可動運動はリハビリの先生には期待しない。

6月5日 初めての車椅子移乗
今日からようやくリハビリが本格的に始まった。初日の今日は立位運動2回?車椅子移乗。月曜日の20分 宣言通り時間がないということで脚のマッサージもなしにいきなり脚の装具付けから始まった。普通は 足首をhほぐしておかないと脚の装具に踵がマッチしないものなのだが、このリハビリの先生は僕の「膝を 曲げながら装具を付けて」というアドバイスだけで見事に脚の装具を付けて…僕に「もしかするとこの リハビリの先生は意外と上手いのでは」と思わせた。
このリハビリの先生の身長はおそらく160pに満たない。一方脚に装具を付けた僕の身長は185p近く。この 25p以上の身長差が立位運動に支障が出ることもありそうだ。現に今日の立位運動の2回目は右膝が 中途半端に伸びないままの立位だった。ベッドへの端坐位から一気に立ち上がらないとリハビリの先生に 立ち上がらせてもらわないと右膝が伸ばしづらいのだが…。そして折れた膝を伸ばすのは非常に困難だ。 これも25pの身長差ゆえに脇に手を添えられないからだろう。でもまあ車椅子にはちゃんと座れた、結果 オーライ。

6月4日 快調
夜中ナースコールが鳴らせなくて苦しい思いをした。幸い30分ぐらい経った頃他の患者さんのケアのため 看護師さんが病室に来たので、歯ぎしりで音を出して看護師さんの注意を引き気管吸引してもらって 事なきを得たが…。
ナースコールが鳴らなかった原因がナースコールに繋いでいるピルケーススイッチがぐらぐらして 安定してないため足の甲の当たり方が悪くなっていると考えた僕は、朝介助員さんに「両面テープで オーバーテーブルの底の梁と同じ横向きに(梁に)スイッチを固定する」ように頼んだのだが…スイッチが ぐらぐらしなくなってもナースコールの鳴りにくさは変わらなかった。それで看護師さんを介して [固めの発泡スチロールかウレタンをスイッチの下に貼り付けて」と頼んで、介助員さんが持ってきたのが 木目の細かい発泡スチロールで丁度良かった。その発泡スチロールを別の介助員さんがお風呂に行って いる間に加工してスイッチに貼り付けてくれていた。初めはスイッチの厚みの3倍もあろうかという そのでかさに驚いたが…、反応と使い勝手はすごく良くなっていた。これで夜安心して寝れそうだ。また 一つ懸念事項が少なくなった。ありがとうございました。
今日の午前中妻が手術を受け、午後見舞いに来た娘から「手術は無事終わった、お母さんは疲れたのか ウトウトしていた」と報告を失せた。安心した、これからのリハビリが大変らしいがひとまず良かった。 初めから分かっていたことだから僕のことは気にしなくていい。まずは自分の身体を治すことだけに 専念すればいい。僕は三か月間居る覚悟をして病院に来ているのだから。

6月3日 期待薄?
今日からリハビリ開始。担当は先日パソコンのスイッチ調整をしてもらった作業療法士?の先生。最初 口から出たのは「20分というリハビリの時間内でどのようなリハビリを行うか」という病院側として見本の ような話、裏を返せば「自分としては20府を上回るリハビリはしない」と宣言したようなものだ。今までは こっちに寄り添うリハビリの先生ばかりだったが…、初めてのタイプ。それに関節の可動域を確かめると 言っておきながら全然限界を探ろうとしないし…、文字盤を使ってくれるのは嬉しかったけどかなり 物足りない。このリハビリの先生が可動域運動が必要と言ったから、週3回になったリハビリの内2回を 立位運動?車椅子移乗で妥協せざるを得なかった。



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5月
5月31日 パソコン設置完了
今回の入院は長くなるということで以前使っていたパソコン(2012年製)を持ち込んだ。スイッチ等は予め西九州大学リハビリテーション学部の植田先生に製作・セッティングしていたものを持っていき、今日の午後病院のリハビリの先生に来てもらって植田先生に描いていただいた説明書に基づき病室のベッドでセッティングしてもらった。 それは1時間ぐらいで終わったのだけれど、今のFacebookが登録したメールアドレスで何かを受信しないと使えないことが分かって入院中のアカウントを設けたり初めて使うWindows11に苦戦している。

5月30日〜 3ヵ月の入院?
妻が6月初め股関節の手術を受けることになり、世話してくれる妻が不在となる僕は今日(5月30日)から入院となる。 退院の時期は不明、ただ妻が医者から「3ヵ月は重い物を持ってはいけない」と言われているとのことだから退院は 2〜3ヵ月先のことになるのだろう。3ヵ月以上入院するのは気管切開して人工呼吸器を着けた時(2002年10月〜2003年2月) 以来で当時は44歳 今は66歳、年を取って体力も気力も弱くなった。入院中はリハビリはあると思うのだけれど… 立位訓練と車椅子移乗出来るのはせいぜい週に2回?。リハビリのやり方や激しさも訪問リハビリと病院では全然違うし、 在宅している時に比べるとほとんど寝たきりの状態(ベッド上で30分ぐらい座るのは可能だと思うがナースコール 出来ないので危険と自己判断)になる入院中にこの身体が衰えずに済むか。この家に状態を維持して戻ってくる自信は ないなあ、まあそれだけ在宅ケアが充実してるってことの裏返しなんだけどね。


5月29日 最後の…
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とY子さん・ヘルパーのKさんと Moさん。今日のFケアマネージャーは来た時も帰る時も口から出たのは「今度の入院は長い」って話しが中心だった、 三ヵ月と覚悟し自分に言い聞かせているのだからその話題には少ししか触れて欲しくはなかった。いつもの様に浴槽に お湯が溜まるまでにY子看護師が脚のマッサージをしてくれて、その後二人の看護師さんに万歳・左側臥位になって タッピング・吸引してもらってからみんなにスライドボードで浴槽のネットの上に移動してもらった。
それからネットを下げてお湯に浸かった時は少し熱く感じたのだけれどすぐに慣れて、今度は少しぬるく感じたので 温度を上げて足し湯をしてもらった。そして僕を囲んでの井戸端会議の話題は進学とその後の就職のこと。高校卒業後 スポーツリハビリみたいな方向に進みたいらしいのだが、色々な資格が必要らしくてそれぞれに国家試験があるとの ことだ。僕はこちら方面は全然知らないから聞いてるだったけど…面白かった。この井戸端会議で身体を温めてネットを 上げてみんなに身体を洗ってもらい、もう一度お湯に浸かって十分に温まってからお風呂からあがった。ベッドに 戻っても汗がなかなか引かなかった。こうして湯船に浸かるのも今日が最後、次はいつ?
午後3時半前からはH先生の訪問リハビリ。水曜日は脚の可動域運動と立位運動3回。水曜日に限ってよくあるのだが脚の 可動域運動で痛みが来るのが襲い、今日も股関節の屈曲運動でそう感じた。その代わり踵伸しは涙が出るくらい 痛かった(笑)。立位運動は脚や腰に力を入れて頑張ったつもりだ。ただ3回目は息苦しくて…たまらなかった。H先生の 激しいリハビリも今日で最後、病院で激しさは期待出来ない。僕を満足させるような激しいリハビリは次はいつ?

5月28日 庭の風景も見納め?
火曜日のケアは朝9時半から。社協のヘルパーYさんが先に着いて洗顔しているところに訪問看護ステーションOの M看護師が来て、バイタルを測り胸の聴診をしてから右脚のマッサージ(左脚のマッサージは時間足らずで後回し)。洗顔が 終わってから二人で背中拭き?と陰洗。M看護師の背中拭きはいつものことながら胸から始まり脇腹→背中や腰や首まで きちんと力強く拭いてもらえるから、ほぼ上半身の清拭並みと言ってもいいくらいだし気持ちも良かった。陰洗も丁寧に 洗ってもらってスッキリした。
そして最後に車椅子移乗、二人に脚をマッサージしてもらった上で脚と頸に装具を付けてもらいスライドボードを使って 車椅子に移してもらった。車椅子は火曜日は庭向き、南天の木にはよ〜く見ると大きい二つの花の塊の他に花になる前の 緑の蕾?がたくさんあった。愛染カツラの蔓とユキヤナギの枝の背高比べはやっぱりユキヤナギの枝の方が高かった。 モチノキは葉っぱが多くて青々しているが…やっぱり左下が物足りなく感じた。これで我が家の庭の風景もしばらく 見納め、「しばらくだったらいいな」とほんと不安視している。自分の身体とアクシデントに自信がない。
午前11時前からはH先生の訪問リハビリ。まずは車椅子に座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動。上半身の 可動域運動は車椅子上とベッド上では痛みの来る感じがかなり違う。車椅子上では手の指の運動が痛いだけだが、 ベッド上ではほとんどの運動が痛かった。ベッドに戻るための4歩の歩行運動では不安定にならなかったから まあまあだろう。
そして午後2時半からは訪問歯科、歯科衛生士のIさんが今日も一人で来た。いつも気になっている左下奥歯の歯茎、 昨日は少し違和感があったのだけど…今朝はもう消えていた。色んなブラシで歯間や歯と歯茎の間をきれいにして もらったが今日も気になる左下奥歯の歯茎からはほとんど血は出なかったようだ。入院中も左下奥歯はずっと気にする 存在になるだろう。

5月27日 毎度のことながら排便は難しい
月曜日の朝のケアは10時半から。社協のヘルパーKさんがちょっと前に来て洗顔の準備をしているところに訪問看護 ステーションTのT看護師が顔を見せた。そしていつもの様にKさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸の 聴診をしてお腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭と排便介助。清拭は二人で微妙に拭き方が違うけど、首や手足の 指の先と間もきちんと丁寧に拭いてくれたから気持ち良かった。問題の排便は昨夜の下剤をカマグ(酸化マグネシウム)を 止めてラキソベロンにしたから何らかの大きな効果を期待していたのだけれども、浣腸液2本を使った割にはお腹は スッキリしなかった。通常の月曜日に比べたら便の量は多い方だけど、毎度のことながら排便は難しい。
午後3時からは車椅子移乗、Naさんが脚のマッサージをしているところにT看護師が着いて同じように脚のマッサージをし 二人で脚と頸に装具を付けた。Naさんは足首の関節を力いっぱい強く曲げたりはしなかったのに脚の装具をとっても 上手く付けた。もしかしたら社協のヘルパーの中で一番上手いかもしれないし全体を見ても(訪問看護ステーションOの) M看護師についで上手いかもしれない。Naさんは僕を立たせるのも安定している。T看護師とNaさんに車椅子に座る前に 立たせてもらったけどしっかり立てたし腰も何回か伸ばせた。立った後ベッドに寝て二人にスライドボードで車椅子に 移してもらった。車椅子は庭向き、南天の花がしっかり目立ってきた。モチノキも葉が増えた、今年の冬はもしかしたら 久しぶりに赤い実が付くかも。愛染カツラの蔓が上に伸びてユキヤナギの枝を追い越したかも。

5月25日 急遽代打
土曜日のケアは朝10時15分から、のはずが「10時半からになって、看護師も(訪問看護ステーションTの代わりに訪問看護 ステーションOの)Mさんが来る」と妻からケア直前の10時頃に伝えられ「またか、お子さんに何かあったか」と思っただけ。 そして10時半前にK会のヘルパーTさんが来て洗顔を始めた。洗顔の途中でM看護師とO看護師が来てM看護師は家に入って くるなり電話・O看護師はぼーっと立ってるだけ…バイタルでも測ればいいものを 動かなかった。「触りたがりやの O看護師も指示がないと動かないタイプか」と見切った。
洗顔が終わったら三人で清拭、M看護師はO看護師をベッドと壁の間に行かせ清拭補助の役割をTさんにはタオル係を 与えた。O看護師の清拭 拭き方は普通、手足の指の拭き方も全体的に拭くだけで指の1本1本までは拭いてくれなかったが それが普通だろう。陰洗は差し込み便器を使うと聞いてM看護師は脚を持ち上げて便器を差し込ませてから陰部を洗って くれた。この差し込み便器を脚を持ち上げて差し込む方法はM看護師だけがやるやり方、久しぶりと思うくらいM看護師が 土曜日に来てない訳じゃないのだが…前回は僕の自我を譲って差し込み便器を使わなかったのだろう。急な代打、 ご苦労様でした。
土曜日の午後はケアもない、ソフトバンクの試合の視聴とパソコンで動画(テレビドラマ)を楽しんだ。入院が近付くに 従ってイライラが大きくなっている。

5月24日 井戸端会議
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、「入院前の入浴車はあと2回か 楽しもう」と。今日の入浴車のスタッフは看護師の GさんとYさん・ヘルパーのKさんとNaさん、G看護師が水曜日に続いて来るのは珍しいけど…嬉しいかな。いつもの流れで 浴槽に移してもらってお湯に浸かった。今日の浴槽の中のお湯も「熱っち」と言う程じゃなくて…すぐに温度を上げた お湯で足し湯をしてもらって温もった。
お湯に浸かっている僕を囲んでの井戸端会議の今日の話題はNaさんとG看護師が中心になって運動会の話、最初に出たのが 「盛り上がるはずのリレーが各学年からの選抜じゃ…盛り上がらない」という不満。「リレーは足の速い人が走るのは当然の こと」という考えが頭に刷り込まれている僕には最初この言葉の意味が理解出来なかったのだが、今はリレーをみんなで ちょっとずつ走ることがあるらしいのだ。子供の数が多かった昔では考えられないことだけど、今は一学年19名?の ところもあるとのこと。それから我が校区の小学校・中学校の合併の話があるらしい。校歌が消えてしまうのは 寂しいなあ。
こうして身体が温まったのでネットを上げてもらいみんなに身体を洗ってもらった。そしてネットを下げてもう一度 お湯に浸かって十分に温まってからお風呂からあがった。ベッドに戻っても少し汗が出ていた。今日も楽しくて気持ちの 良いお風呂だった。
そして午後2時からはかかりつけ医T先生の往診。最近T先生の来る時間が早くなって、今日もきっちり5分前には いらしてた。すぐに診察とカニューレ交換。僕は入院している3ヵ月間にラキソベロンが無くならないか気になっていて 妻に「追加処方を頼んで」と言ったのだけど…「無くなったら病院に言えばいい」と取り付く島もない。病院の液体下剤 (ラキソベロン)はジェネリックで、そのジェネリックの効きがもうひとつだから頼んだのに。妻は僕が排便に悩まされて いるか理解していない。
午後3時半前からはH先生の訪問リハビリ。まずは端座位なのだけどその前に「吸引する?」と聞かれた時に痰がどこかに 引っかかっている気がしたけど「大丈夫」と答えて、端座位した途端に鼻水ズルズル・唾液もダラダラ。困ったもので端座位 しているのがやっと、何かが出来る余裕もなかった。次は立位運動3回。上手く立とうと そして腰を伸ばそうと努めて、 やろうとやる気が出た分まあまあかな。最後の脚の可動域運動は…全体的な痛かった。股関節の屈曲運動は股関節の 内側が痛かったし、膝の裏伸ばしも数を数えて45ぐらいまで耐えた。今日一番痛かったのは踵伸しか? でもこれだけ 痛くても踵の角度は120゚ぐらいにはなるのかな。しかし こんな激しいリハビリを受けられるのはあと2回、病院での リハビリではこれだけの効果は期待出来ない。どこまで落ちるかな。

5月23日 排便は苦労の連続
来週は病院か、今でもナースコール対応と排便が心配。
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師がちょっと遅れて着いてすぐにバイタルを測り胸と お腹の聴診をしてから洗顔に取りかかった。そして髭剃りと石鹸洗顔が終わりかけた頃K会のヘルパーMさんも着いた。 それから二人で背中拭きと排便介助、今日もM看護師はMさんをベッドと壁の間に行かせた。M看護師の背中拭きは背中も 胸も首も脇もきちんと拭いてくれたからほとんど清拭とほぼ一緒、しかも力強くて…気持ち良かった。さていよいよ 問題の排便。最初の摘便でガスは出たけど便は幾らかは取れたのか?、昨日は結構便意はあったんだけど。次に浣腸液を 半分注入してもらったけど、便が下りてきた感じがあったのだが出たのはガスだけだった。それで仰向けでお腹を 押しながら摘便してもらったら…どのくらいかは分からないけど幾らかは出たみたい。その後に残り半分の浣腸液を 注入してもらったら 今度はひと塊半の便が出て…止まった。それでM看護師に摘便してもらい残便を出して終わることが 出来た。いつもいつも排便には苦労しっぱなし。
午後3時からは車椅子移乗、5分前に社協のヘルパーNaさんが来て脚のマッサージをし脚の装具を付け終わったところに M看護師が着いた。木曜日の車椅子移乗も一度M看護師とNaさんに立たせてもらってから。立たせるのも上手いNaさんだと 油断したのか立つのにちょっとだけ手間取ってしまったかな。車椅子は庭向き、庭の景色で最初に目に入ったのは季節 外れの南天の花。南天の花が咲くのは確か10月のはず、ひと月前まて南天には赤い実が付いていた。また実が付くのか。 ユキヤナギの枝も愛染カツラの蔓もかなり高くなって2軒隣の家の見え方が変わった。

5月22日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとY子さん・ヘルパーのKさんとMoさん、久しぶりに Y子看護師とMoさんの登場だ。今日も浴槽にお湯が溜まるまでにY子看護師に力強く脚のマッサージをしてもらって、 それから看護師さん二人が万歳10回と左側臥位になってタッピングしてくれてから吸引もしてもらった。G看護師の万歳は 手や腕をかなり上まで挙げてくれるから気持ち良い。その後みんなにスライドボードでベッドから浴槽に移動してもらい お湯に浸かった。
浴槽の中のお湯はあまり熱くは感じなかった。温度を1℃上げたお湯で足し湯をしシャワーで胸にお湯をかけてもらい 温もった。お湯に浸かった僕を囲んでの井戸端会議の今日の話題は進学のこと、今日の入浴車のスタッフの中にも 高校3年生・中学3年生の子を持つ方がいるようだ。「(普通校に進んだ子の)3者面接・進路相談で出る話は大学進学のこと ばかり、就職と言うと話が進まない」、僕が普通校を卒業した48年前は半数ぐらいが就職する時代だったから進路担当の 先生は就職にも熱心だったと思うが。それから「大学は(日中に)アルバイトが出来るほど授業が少ない」という話が出たが それは偏見、確かに一日に4コマ(1コマ=100分の講義)ある曜日は少なかったけど…3コマはあったし土曜日も2コマ授業。 アルバイトは日曜しか出来なかった。
こんな会話を楽しみながらゆっくりと身体を温め、それからネットを上げてもらってみんなに全身を洗ってもらった。 身体を洗ってもらう時に右側臥位になったら今までは右肩がよくネットのロープに擦れて痛かったんだけど、今回から 右肩にスポンジを当ててくれたのでロープに擦れることはなくなった。身体を洗ってもらった後もう一度お湯に浸かり 十分に温まってからお風呂からあがった。ベッドに戻ってもしばらくは汗が引かなかった、もうそんな季節になったと いうことか。今日も楽しくて気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後のリハビリはH先生が有給消化のためお休み、昼からはパソコン三昧。

5月21日 火曜日のケア
火曜日のケアは朝9時半から。訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさんがほぼ一緒に来たので「今日は 何でM看護師早いの?」と思ったくらい。いつも通りKさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを測り胸を聴診してから お腹(何故?)と脚のマッサージ。それから二人で背中拭きと陰洗、M看護師は何故かKさんをベッドと壁の間に行かせた (いつもと逆)。いつものM看護師の気まぐれか今後ずっとこうするのか、M看護師はヘルパーさんの腰痛を考えての ことだけど僕自身の体験としては疑問符。陰洗が終わって車椅子移乗、二人にスライドボードを使って車椅子に移して もらった。車椅子は火曜日は庭向き、愛染カツラの蔓と葉が右上に広がって庭の大石?の髪の毛みたいではなくなった。 モチノキも葉が増えた、左下にも葉が増えたら今年は赤い実が付くかもしれない。ユキヤナギの枝は伸び放題、梅の 領域を侵してきた。ユキヤナギの枝はどこを切れば初春いい花が見られるのか?
午前11時前からはH先生の訪問リハビリ。窓を開けて車椅子に座ったままでまず左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、 何故か痛みが小さく感じた。ついで言うと車椅子に座って外を見たら目をぱっちり開けられなかった、まぶしいのとは 違うみたいなんだけど。パソコンの文字も見づらいし…この目にいったい何かあるのか。それから4歩の歩行運動で ベッドに戻った。歩行はいろいろ考えていろいろやって歩けているからまあまあかな。ベッド上での右上半身の可動域 運動は…肩も手指もかなり痛かった。肩は左右での違いがあるのか車椅子とベッド上との違いなのかは分からないけど。 ベッドでのリハビリの途中で気管から痰が剥がれて出てきたのでH先生に気管吸引してもらった。
午後2時半からは訪問歯科。今日も歯科衛生士のIさんに左下奥歯の歯間と歯茎を中心にきれいにしてもらった。 左下奥歯の歯茎からはこれで3週連続少量の出血しかない。逆に不気味。

5月20日 植田先生 応援
月曜日の朝のケアは10時半から。定刻に訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNaさんが部屋に入ってきた。 月曜日の朝にNaさんの顔を見るとなんとなく嬉しくなる。今日もいつもの様にNaさんが洗顔している間にT看護師は バイタルを測り胸の聴診をしてからお腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭と排便介助。清拭は手足の指の先・間と 隅々まできれいに そしてきちんと拭いてもらって…気持ち良かった。排便は浣腸を2本使うことになったけど、1本目で 幾らか出て下腹にも降りてきたので仰向けでお腹を押してもらって そして摘便してもらって…まあまあ出たみたい。でも 出きった感じはしなかったので2本目を浣腸、それで幾らか出て下腹に残った便汁を仰向けになってお腹を押しながらの 摘便で出してもらって…終わりにした。今日は難とか便が出て、ひと安心。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とNiさん。月曜日の車椅子移乗は一度看護師さんとヘルパーさんに立たせて もらってから。今日は見物人がいたので正直「Niさんか、立たせるの 大丈夫かな!!」と思ったが…、見物人がいたから 上手く力が入ったのか今までにない一番良い出来で立たせてくれたので・立って腰も伸ばせたのでびっくりした。その後 二人でスライドボードを使って車椅子に移してもらった。今日は本当に上出来、ご苦労様でした。
午後 病院へ持ってゆくパソコン用のスイッチを作るために西九州大学の植田先生が助手の方(大学院生?)を伴ってきて くれた。スイッチの仕様は家と同じ方式を依頼、右足用:親指と人差し指の間に挟んで使うPPSスイッチ・左足用:台に 貼り付けて親指で叩くピルケーススイッチ。スイッチが二つあると片足が何かのアクシデントで使えなくなった時や、 疲れたりした時もパソコンを続けることが出来るから非常に便利なのだ。
左足用のスイッチ取付台は植田先生の子供さんが小さい頃遊んでいたというブラスチックブロックを組み立てて 持ってきてくれた。そのブロック台にマジックテープを貼り付けてピルケーススイッチの高さ位置調整が出来るように してもらった。一方右足用のPPSスイッチは指に挟んでの使用ということである程度の厚みが必要なので、ピルケースを ベースにウレタンテープ?を張り重ねて厚みを調整しそこにPPSスイッチを貼り付けたのだと思う。
ここでひと休み、車椅子移乗で看護師さんとヘルパーさんに立たせてもらう様子・スライドボードで車椅子に移してもらう 様子を見てもらった。そして車椅子に座っている間に予備のスイッチを作ってくれた。病院で植田先生にリハビリして もらっていた時以降もこうして立っているという姿を植田先生に見て欲しかったのだ。1時間後ベッドに戻ってから両足の スイッチの最後の動作確認と写真・動画を撮影してもらった。今度作ってもらった新しいスイッチの方が反応が良いみたい だけど…入院まで大事に取っておこう(笑)。植田先生のおかげでまた一つ懸念事項がなくなった。これで家で出来る ことはFacebookの設定とTverの設定ぐらいでほぼなくなった。あとは病院で自分で切り開いていくしかない。植田先生と 助手の彼女 4時間もの長い間ありがとうございました。植田先生と助手の彼女の作業中の掛け合いが息が合ってて 面白かった(笑)。

5月19日 今週2回もSさん 疲れる
ソフトバンクが西武ライオンズに3連勝、うち2試合(昨日・今日)がさよなら勝ち。良い気分でいたが…今夜の重度障害者 訪問介護の担当はSさん、そう考えるだけで疲れる。Sさんの勤務は夕方5時〜翌朝7時半まで、14時間半の付き合うのは かなりの苦痛だ。でも呼ばなければ基本的に来ないから来る回数は制限出来る。だがSさんの一番の問題は吸引、技術的に 他の重度のメンバーに比べると明らかに技能が劣り吸引した後に気管に痰が残る率が多い すなわち痰をスッキリ 取ることが出来ないのだ。
夕方の痰は気管の奥の方だったしまだ気管の壁にくっついてる痰みたいだったからSさんには最初から難しいと思って いた、取れなくても仕方ない。しかしその刺激で出てきた痰は他の重度障害者訪問介護のヘルパーなら普通は取れそうな 痰だったのに、Sさんの場合は何回吸引してもすっきりしなくて…ついに我慢出来なくなって「妻に吸引を頼んでこい」と 指示した。極めつけは寝る前のサラサラ痰、これを引くのに3回もSさんはかかった。サラサラ痰を一度で吸引出来ない なんて話にならない、そう思って「もう一度研修してもらったら」と言った。僕はSさんに吸引をどう教えていいのか もう分からない。

5月18日 Aちゃん ご苦労様
土曜日のケアは朝10時15分から、K会のヘルパーAちゃんと訪問看護ステーションTのN看護師が部屋に入ってきた。 N看護師の顔を見た時 申し訳ない言い方だが 今日のケアは諦めた。まあAちゃんが何とか上手くケアを進めてくれる だろう、僕はAちゃんに全幅の信頼を置いている。今日のメニューは洗顔・洗髪と清拭・陰洗、1時間半あるから時間的にも 難しいケアの中身でもなかった。
いつも通りAちゃんが洗顔している間にN看護師はバイタルを測り脚のマッサージ、他の看護師の様に胸の聴診をする心の 余裕はN看護師にはないのだろう。次は洗髪、N看護師の洗髪は2回目。N看護師は髪を洗う時に爪を立てて洗うから ちょっと痛い、前回髪の洗い方を「もっと強く」と注文を付けたからだろうが。ここで本人に「痛い」なんてそんなことを 言ったら今度は遠慮して洗い方を弱くし過ぎて効かなくなるのが怖いから言わないことにしたけど。まあ痛くも あったけど気持ちも良かったからいいや。
それから清拭。N看護師の清拭も少しずつ満足の域に近付いては来てるけど…まだまだ抜けがある、今日は呼吸器回路の 水抜きを前もってしていなかったから右側臥位になった時に気管に少し水が入り苦しい思いをした。あとは手足を拭く 時に指を広げて間も股も拭いて欲しい。最後は陰洗、N看護師は細部まできちんと拭いてくれる。とはいえ前準備が全然 駄目、差し込み便器を差し込むために立て膝した時の足の位置が全然定まらない。今日はAちゃんが力を出してお尻を 持ち上げてくれたから何とか便器を差し込めたけど…。
今日はAちゃんが一つ一つリードしてくれたから上手くいった。Aちゃん お疲れ様でした。

5月17日 通院日
今日は通院日。11時半頃に社協のヘルパーKさんとNiさんが来て外出準備、まず二人で玄関にスロープを設置しKさんは 洗顔・Niさんは脚のマッサージ。そして洗顔が終わる前にもう訪問リハビリのH先生が着いて……H先生はNiさんが脚に 装具を付けるのを見守った後Kさんと一緒に頸に装具を付けた。それから僕を一度立たせた後に車椅子に座らせた。その後 妻が吸引してくれて外出準備完了、玄関から外に出た。
空は雲一つない?青空 良い天気、絶好の外出日和だった。リフト車に乗り込む時に小屋の中からはツバメの鳴き声が 聞こえ、隣の家の塀際の小さな庭にはナデシコの花が咲き始めていた。病院までの道中は山を見てたのだが、この時期の 新緑はもっと黄色が強かったような気がするのだが。不思議なことに今でもツツジの花が結構咲いていた。ほとんどの 田んぼは耕されて田植えの準備が出来ていてあとは水を溜めるだけ、田んぼの麦畑?も黄金色になって一部麦刈りが 終わっている所もあった。うちの田んぼは本家に任せているけどお百姓さんがこの時期どういうことをしているか どうしても気になってしまう、百姓やりたいな。病院までの道中路傍には薄い山吹色の花があちこちで目立っていたが、 あれってなんてなんの花だろう。今年はいくら季節が早めに動いてるといっても、さすがに紫陽花や蓮の花が咲くような 気配もなかった。
病院に着き玄関でリフト車を降りて救急処置室Uに入った、この部屋の雰囲気は久しぶりだったけどやはり落ち着いた。 看護師さんが集まったらすぐに車椅子からストレッチャーに移してもらい、バイタルを測り始めたらもう主治医が来た。 そしてしばらくして診察と処置(カニューレ交換)・妻と二週間後の入院のことを話して部屋を去った待ち時間0・診察時間 10分ぐらいかな。妻は入院期間を主治医には「二ヵ月」と言ったが…僕に対しては「二ヵ月は最低よ」と付け加えた、 解ってます「三ヵ月」を覚悟してます。それからストレッチャーから車椅子に戻してもらい家路についた。玄関前の池の 置き石の上に亀はいなかった、こんなに良い天気過ぎちゃ亀も甲羅干し出来ないか。
家に着いてリフト車を降りる際にツバメが二羽小屋から出てくるのが見えた。ツバメは3月中旬には我が家の小屋に 来ていたようなのだが近くで見るのは今日が今年は初めてだった。最初来たツバメは入り口近くの巣にいたようなのだが 今度のツバメは別の巣に居ついたらしい、まあカラスが来た時のことを考えるとその方がいい。家の中に入り時計を 見ると午後2時20分ぐらい。待ち時間がなかった割に思っていたより早くはなかった、どこで時間がかかった? 出発するまで?
訪問リハビリのH先生は午後3時過ぎに着いた。そして4歩の歩行運動でベッドに戻った。僕が歩行運動で重心移動の時に 腰を伸ばそうとしている気持ちはH先生に伝わっているようだった。次は脚の可動域運動。股関節の屈曲運動の時は 股関節の内側が両脚とも痛かった。膝の裏伸ばしと踵伸しは左脚の方が時間も少し長く痛かったかな。だけどこの激しい 可動域運動を味わえるのもあと4回、病院での可動域運動はほとんど痛みを感じないもの。

5月16日 よかった
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師はちょっと遅れて来たのだが、僕がパソコンを 長引かせたため更に5分程度ケアの開始を遅らせてしまった。M看護師はバイタルを後回しにしてすぐに洗顔開始、まあ 僕の体調が悪そうにはないということを見越してのことだろうが。M看護師の洗顔はやはり上手いしスムーズできちんと 洗ってもらっても10分ぐらいで終わったみたい。洗顔が終わりに近付いた頃K会のヘルパーTさんが着いて、洗顔が 終わってから二人でまず背中拭きに着手。今日M看護師は胸から拭き始めてそのまま背中拭きにいこうとしたから「珍しく 今日は右腕を脱がせないのか」と思った、が 直前になって気付いたようで…右腕を抜いてから背中拭き。やはりM看護師の 背中拭きは力強くてしかも丁寧で気持ち良かった。
そして最後は自分でもどうなるか全く自信のない排便。昨日は朝から強い便意があって出るんじゃないかと心配した程 なのだが、今朝起きたら便意が全くなくなってて…。最初M看護師に摘便してもらった時から珍しくそこそこの量の便が 取れたようだ。ただ下腹にまだまだ便が残っている感じがしたので1本浣腸してもらったら…幾らかは出たのだけれど 何かが引っかかって止まってしまった。それで仰向けのままでお腹を押しながら摘便してもらって出し損ねた便を取って もらい、左側臥位になって摘便してもらい便汁を出してもらった。そしてもうすぐには便も出そうにないから終わりに した。M看護師によると「今日はいっぱい出た」と、ひと安心。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーNaさん。木曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから 車椅子に移る。M看護師とNaさんに立たせてもらったら一発ですんなり立てた、脚の装具も上手く付けることが出来るし やはりNaさんは全然違う。それからもう一度ベッドに横にしてもらいスライドボードで車椅子に移った。車椅子は 庭向き、モチノキの葉っぱのない左下が今日も気になった。愛染カツラの葉と蔓が伸びて庭の大きな石の髪の毛のように 見えた。ユキヤナギの枝はどこまで伸びるのだろう。チビは今日は僕の見える範囲に姿を見せなかった、残念。

5月15日 いつもの入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとHさん・ヘルパーのKさんとNiさん。水曜日の 入浴車で看護師は三週連続でG看護師とH看護師、この二人で基本的には固定したのかもしれないけど…二人は僕の好きな 雰囲気を持っているから不満じゃない(笑)。僕のベッドの右横に設置された浴槽にお湯が溜まるまでに、この二人の 看護師さんに脚のマッサージ・万歳(G看護師の万歳は手をかなり上まで挙げてくれるから?)・左側臥位になってタッピング してもらった後に吸引してもらって、みんなが力を合わせてスライドボードを使ってベッドから浴槽へ身体を移動して くれた。浴槽のお湯は最初は少し熱く感じたけど…すぐに慣れた。
浴槽に浸かっている僕を囲んでの井戸端会議の話しはスーパーで始まった、隣町のとあるスーパーでKさんとH看護師が 会ったというのだ。そこで僕は「H看護師も隣の町に住んでいるのか」と思った次第。そうしている内に話しは業務 スーパーに飛んでて「隣町にも業務スーパーがある」という話が出て、僕は「田舎に業務スーパーを作っても採算が 取れるのか?」と心配して その業務スーパーがエレナ系列と聞いて納得した。それから我が町で200万円もする 電気マッサージ機を無料開放して客を集めているお店があると聞いてびっくり、採算は?
そんな話しを聞きながらゆっくりと温まり、ネットを上げてお湯からあがりみんなに身体を丁寧に洗ってもらってから もう一度お湯に浸かった。お湯の温度は丁度いいくらい、それでも足し湯と胸にシャワーでお湯をかけてもらって汗が 出そうになるまで十分に温まってからお風呂からあがった。今日も楽しくて気持ちの良いお風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。水曜日は脚の可動域運動と立位運動3回。最初は股関節の開脚運動と屈曲運動、 膝を開き大腿二頭筋の内側の筋を伸ばすのはたいてい大丈夫なのだけど屈曲運動ではいつも股関節の内側に痛みが来る。 膝の裏伸ばしの時も結構強い痛みがあるけど、今日は時間が少し短かったみたい。踵伸しもかなり強い痛みがあるけど、 このくらい激しくやってもらわないと機能が維持出来ないと思って耐えた。最後は立位運動3回、今日もH先生は僕に 幾らかでも太ももの力を使わせようとした。どこまで出来たか分からないけど立位運動は1回目→2回目→3回目と 良くなった。腰伸ばしも頑張ったつもりだが…どうだったか。

5月14日 千客万来
火曜日のケアは朝9時半から。訪問看護ステーションOのK看護師と社協のヘルパーKさんが部屋に入ってきた。K看護師の ケアは半年ぶりぐらいだろうか、「今日はMさんがお休みだから私が来た」とのことだった。M看護師だったら「お腹が 張ってて少し便意がある」と相談しようと思っていたが…。K看護師の小さくて色白で自信のなさそうに見える顔が 相変わらず僕を不安にさせたが…、問題はなくほぼスムーズにいった。
いつも通りKさんが洗顔している間にK看護師はバイタルを測り脚のマッサージ、痛いという程ではないけれどK看護師が 無駄に力を入れてマッサージするのはナゼだろう。洗顔が終わったら二人で背中拭き?と陰洗。K看護師の背中拭きも胸や 首まできちんと力強く拭いてくれて、陰洗も丁寧に洗ってもらった。最後に車椅子移乗、スライドボードを使って 車椅子に移してもらった。車椅子は火曜日は庭向き、庭のモチノキの左下に葉の群がないのだけが不自然で目立った。 愛染カツラの葉や蔓が大きな石の前だけでなく上にも伸びていた。ユキヤナギの枝の伸び方も雑多で荒れ放題?
午前11時前からはH先生の訪問リハビリ、今日は上半身の可動域運動とベッドに戻るための4歩の歩行運動。まず車椅子に 座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、不思議と肘の運動以外はあまり痛みを感じなかった。次の歩行運動は 腰にも脚にも力を込めて体重移動の際にも腰を伸ばそうと努めたつもりだが…、H先生の評価はどうだったか。ベッドに 戻ってからの右上半身の可動域運動はどこも 肩も肘も手の関節もかなり痛かった、H先生もベッド上の方が動かし やすいのか。最後は呼吸リハ。最近気管や肺から痰が剥がれにくくなっているのか一度に大量の痰が剥がれ出ることが なくなった。呼吸リハにもその影響が出ているようでH先生が胸を押してもなかなか痰が剥がれない、H先生に苦労を かけてる。3年前?の排便もそうだったけど身体の傾向が急に変わるから困ったものだ、車椅子に座っているとうたた寝も 出来なくなったしおしっこも便もいつからか出なくなった。
午後2時半からは今度は訪問歯科。昨日左下奥歯の内側の歯茎が腫れてる感じがあったので歯科衛生士さんに言おうと 思っていたのだが…今日は腫れも引いてその必要もなくなった。今日も歯間ブラシ・歯ブラシ等で歯間や歯と歯茎の境を 掃除してもらったのだけど、歯茎からはほとんど血は出なかったようだ。これで二週連続ほぼ出血なし、 良いことなんだけどなんか不気味。
午後3時過ぎに新しい(難病担当?)保健師さんとFケアマネージャーが来た、今年度のお試し事業である「レスパイト 事業」の説明に来たようだ。レスパイト事業、難病患者を対象に該当家族の介護負担を減らすことを目的として「@1日1回・ 最長4時間看護師やヘルパーに訪問を依頼出来るA年間上限48時間?介護保険・障害者介護とは別枠C〇割補助」。 保健師が言いたかったのは「レスパイト事業を本格実用とするために48時間近く利用して欲しい・成功事例になって欲しい」 ということ。ただこの制度では人の確保はこっち任せ、「別枠」というのは都合の良い言葉だけど人が一番難しい。Fさんは 「重度障害者訪問介護に来てもらえばいい」というけど重度障害者訪問介護も人手不足だし重度障害者訪問介護の ヘルパーの実力を理解してる?、社協のヘルパーさん並みに介護の実力があるのはMさんぐらいだよ。吸引することが 許可されているというだけでどうして全てに力があると思うのか。何故そんなに重度障害者訪問介護の評価が高いのか・ 期待するのか、僕には理解出来ない。

5月13日 苦難
月曜日の朝のケアは10時半から、定刻に社協のヘルパーKさんが来て訪問看護ステーションTのT看護師がちょっと遅れて 着いた。Kさんはすぐに洗顔に取り掛かりその間にT看護師はいつも通りバイタルを測り胸とお腹の聴診をしてからお腹と 脚のマッサージ。そして洗顔が終わったら二人で清拭と排便介助。清拭は胸や背中から手足の先まで丁寧に力強く拭いて もらって…まあ満足。指を広げてから指の間も股の奥も拭いて欲しかったけど、指を広げることってほぼないから。
そして最後は毎回苦悩の排便、今日もまた便出しに苦労した。最初の摘便では「便にも触れない」と言われたしガスも ほとんど出なかった。それで1本目の浣腸、だけどガスはいっぱい出たものの便は出る気配すらなかった。そこで 左側臥位になってお腹を押しながらの摘便で刺激してもらった後に2本目の浣腸、これでようやくお腹が動き出して便も 下りてきて幾らかは出たのだけれど…何かが障害物になって途中で止まってしまった。それで仰向けでお腹を強く押して もらうことで便を押し出してもらい、その後に左側臥位になってお腹を押しながらの摘便で下腹に残っていた残便を 出してもらった。それだけしてもらったにもかかわらず上の方にまだ便があるような気がしたがもう時間、 終わりにした。排便にこんなに苦労しているのだからそろそろ下剤の使い方や種類を変えるべきなのだが、病院で排便での苦労を少なくしたいから…病院で使いたいラキソベロンの服用は控えておこう。
午後3時からは車椅子移乗、担当は今日一日T看護師とKさん。月曜日の車椅子移乗は看護師さんとヘルパーさんに一度 立たせてもらってから車椅子に移る。T看護師とKさんに立たせてもらったけど二人の息が合っていて僕も脚に力が 入りやすくてすんなり立てた。午前中も感じたことだけどKさんはT看護師の次の動きが分かっているから先に先に 動いてくれる、何にも指示することなく二人に身を任せていられるので楽だ。

5月12日 消費者生活相談センター
先日ネットショッピング詐欺に遭いで(「中古のピエゾニューマティックセンサースイッチ PPSスイッチ」代8,160円+銀行 振込手数220円=)8,380円を騙し取られたのだが、その件で今日佐賀県の消費者生活相談センターにWebフォームで 訴えを行なった。別に被害金額も8,380円と大きい訳じゃないし要望がない限り被害届を出すつもりはない。
ただ「中古 ピエゾニューマティックセンサースイッチ PPSスイッチ」でGoogle検査した時に出てくる結果の大半がウイルス バスターで注意喚起が出る見出し、残ったサイトの大半がネットショッピング詐欺と思われるもの。問題のあるサイトの 会社概要を見ると実在する会社名や人の名前を勝手に使用したサイトもあるし、こういう重度障害者を狙う悪質な サイトの管理者には消費者庁の方から渓谷をし一つずつ潰していくしかない。従わなければ逮捕、取り締まる法律が なければ作ればいい。いたちごっこになると思うけど…、やってもらうしかない。

5月11日 妻の誕生日
今日は妻の誕生日。「誕生日 おめでとう」のメールは早朝ちゃんと送信した。去年は当日花束が着くようにしていたけど、 今年は鉢植えの花を手配した。ただし鉢が着くのは1週間後、4月中に手配はしたのだがその日以降しか着日指定 出来なかった。まあ鉢植えだからどうしても当日着かないといけないというものでもないと思って。鉢植えが着いても 「気まぐれに植物を買うな」と言われそうだけど、幸福の樹も買ったし。
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻ちょっと前に訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーTさんが来て、Tさんが 洗顔している間にK所長はバイタルを測り脚のマッサージ。今日の看護師はK所長だしパートナーはTさんだから今日は少し 楽になりそうだと思ったのだけれど…。洗顔が終わったら二人で清拭と陰洗、清拭は手足の指の間まで力強く拭いて くれたのだが何故かどこかに物足りなさを感じていた。陰洗も丁寧に洗ってもらって不満はなかった。ただ人工呼吸器の 回路が引っぱっり気味なのが気になって「かいろ」と伝えたのだけど…意味が通じなくて理解してもらうのに長いこと かかってイライラした。

5月10日 妻 通院
妻は朝9時から通院とのこと。代わりは昨夜からの担当 重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが7時半で一刻 抜けたものの、8時半に戻ってきて入浴車が来るまで居てくれた。昨晩寝る前に気まずいムードになったAさんと一緒に 居るのは楽しいものではなかったが…仕方なかった。Aさんに何があったか知らないがAさんは最近変わったと僕は 思っている、Aさんの良いところは真面目・気遣いがある・努力を惜しまないことなのにそれがこの頃薄れているようだ。 だいたいAさんは頼まれれば何でもかんでも引き受けているみたいで断ることが出来ないから忙しすぎる、まあ我が家は その性格に助けられているのだけど。
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとHさん・ヘルパーのKさんとMaさん、 ヘルパーのMaさんがメンバーに入るのは久しぶりで何だか嬉しかった。そのMaさんは今日は洗髪係り、昔からの入浴車の メンバーだけあって慣れてて何の心配もなく上手かった。今日もいつも通り浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達に 脚のマッサージ・万歳・左側臥位になってタッピングしてもらった後に、最後に吸引してもらってからスライドボードを 使って浴槽に移動した。お湯に浸かった瞬間はみんなも心配してたように熱く感じたけれどすぐに慣れた。それに今日は お湯に浸かった僕を囲んでの井戸端会議を主導するメンバーがいなかったので静かな?お風呂になった。お風呂の中で ゆっくり温まってからネットを上げてみんなに身体を洗ってもらい、もう一度お風呂に浸かって胸にもシャワーでお湯を かけてもらって十分に温まってからお風呂からあがった。今日はお風呂からあがったら汗はすぐ引いた、今日の方が 水曜日より寒いのか。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後2時前にかかりつけ医T先生が来て診察と処置(カニューレ交換)、T先生も急いでいたのか超簡単に終わった。そして 午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。まずH先生に頸と脚に装具を付けてもらいベッドの右端に端座位の姿勢で支えて もらった。「背中に何も当たってないというのは気持ちの良いものだ」と改めて思った。次は立位運動3回。1回〜2回目は H先生に立たせてもらって腰も伸ばしてもらったって感じだったけど、3回目は太ももにもだいぶ力が入って立つのも腰を 伸ばすのもまあまあ良かったと思う。最後は脚の可動域運動。股関節の運動・膝の裏伸ばし・踵伸し、それぞれ数を 数えながら痛みに耐えていたけど 今日はちょっと長めだったかな。脚の可動域運動の途中でM看護師とO看護師が物品 補充に来てO看護師から「気持ち良いでしょう」と言われたが…、笑うしかなかった。一度H先生に リハビリしてもらったら。

5月9日 駄目だ
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師が定刻5分遅れで来たからパソコンを終わらせるのが 遅れていた僕には丁度良いタイミングだった。M看護師は部屋に入ってきてまずお腹のマッサージ、それからバイタルを 測り洗顔準備。洗顔のお湯を汲んできたM看護師の最初のひと言は「髭剃りが新しくなりましたね、剃れそう」、そして 洗顔が終わろうとしている頃にK会のヘルパーMさんが早めに来て 洗顔が終わった後から二人で背中拭きと排便介助。 M看護師の背中拭きはいつも通り力強く丁寧に何度も拭いてくれて…気持ち良かった。そして最後は出るか出ないか毎度 お悩みの排便、最初M看護師に摘便してもらっても「便には触れない」と言うしガスも少ししか出なかった…嫌な予感が した。そこで浣腸液半分を注入、しかしガスはいっぱい出たものの便はほとんど下りてもこなかった。それでM看護師に もう一度摘便してもらったのだが「固い便は少し取れた」と言うが、便は少ししか出なかったみたい。そしてあと半分の 浣腸液を注入、それでも幾らかしか便は出なかったしM看護師に三度目の摘便をしてもらってもどのくらい出たのかも 分からなかった。でも時間も来たし…終わりにした。どうしたら便が出るのか、悩みどころだ。
午後3時からは車椅子移乗、社協のヘルパーNaさんが先に来て脚のマッサージ。そしてマッサージを15分続けた後に 脚に装具を付けてもらったのだけれど、装具が両脚にすんなりフィットした…Naさんがそんなに強く踵伸しをしたとは 思わないんだけど。やっぱりNaさんはうちに来る社協のヘルパーのメンバーの中で一番脚の装具付けが上手いようだ。 それから5分ぐらいしてM看護師が着いて二人で頸に装具付け、Naさんの置いた頸の装具の後ろがちょっと上だったかな。 木曜日の車椅子移乗は看護師さんとヘルパーさんに一度立たせてもらってから車椅子に移る。M看護師とNaさんに 立たせてもらったけど安定してた。Naさんが車椅子移乗に独りで来るのは初めてだというのに…、Naさんはやっぱり 体幹が強くてスポーツをずっとやっていた分「感」もいいんだ。M看護師も「Naさんは上手い」と褒めてた。僕もNaさんが ケアの時は楽しく安心している。
車椅子は庭向き、ツワブキの葉がこの熱さでしおれていた。モチノキも左下に葉の群集があれば見かけ上もバランスが いいのに。ユキヤナギも愛染カツラも成長が早く、2軒隣の家の2階の窓が見えなくなってきた。

5月8日 井戸端会議
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとFさん(ケアマネージャー)・ヘルパーのNaさんと Niさん、ここ二回連続ヘルパーはNaさんとNiさん、まさか入浴車のヘルパーは当面この二人に固定した? 今日もたいした 問題があったって訳じゃないけどちょっと不安かな。看護師さん達がいつもの様にちょっとした運動をしてくれた後に 吸引してもらってスライドボードで浴槽に移った。
身体を洗う前に温もる時に僕を囲んでの井戸端会議の話題は運動会のこと、G看護師とNaさんには同じ小学校に通う お子さんがいるようで運動会の話でみんなで盛り上がってた。我が町の隣の中学校校区内の小学校は今年の運動会から5月 開催になるらしい、我が中学校校区内の小学校の運動会はとっくの昔に5月開催になっていたから今までは同じ町内でも 運動会の開催時期が違っていたのか。不可解な話だが…陶器市が関係してたのか。
みんなに身体を洗ってもらってもう一度お湯に浸かって温まっている時の井戸端会議の話題はF看護師が中心になって テレビ番組の話、色々な番組名が出てたけど「Believe」以外知らなかったからどんな番組名があったか覚えていない。ただ みんな「Believe」以外は知っていたようで話が盛り上がった。そんな話を聞いているとじわっと汗が湧き出てきて十分に 温まってからお風呂からあがった。ベッドに戻ってもしばらく汗が引かなかった。今日も楽しくて気持ちの良い お風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、今日は脚の可動域運動と立位運動3回。まずは脚の可動域運動、股関節の 屈曲運動の時も膝の裏伸ばしも結構痛かったけど一番痛かったのは踵伸しかな。膝の裏伸ばしはいつもより少し時間が 短かったようだから耐えられた。立位運動は今日は立つのも腰を伸ばすのもH先生に頼りっぱなし、ベッドの高さを もう少し高くすればよかったか。

5月7日 基本のスケジュールにない排便介助
火曜日のケアは朝9時半から。定刻前に社協のヘルパーNaさんが来たのだが僕が「呼吸器回路の水抜き」を頼んだものだから ケアの開始時刻に少し食い込んでしまった。元来一番お気に入りのNaさんの顔を見るともっと嬉しいはずなのだが、 月末からの入院が心のどこかで気になっているのかその嬉しさが時間が経過と伴に少しずつ薄れていっているようだ。 Naさんは一人で洗顔に取り掛かったけどNaさんの洗顔は上手い」と思っている僕に不安はなかった。Naさんの洗顔が 終わりに近付いた頃に訪問看護ステーションOのM看護師が着いてバイタルを測り脚のマッサージをし始めた。そこへ すぐにNaさんが背中拭き用のお湯を汲んできて二人で背中拭き。今日のM看護師の背中拭きはいつもと違って胸から 拭き始めて…、胸も脇も脇腹も背中も首まで丁寧に力強く拭いてくれたので ほとんど清拭のようなものだった。最後は 車椅子移乗、スライドボードを使って二人に車椅子に移してもらった。火曜日の車椅子は庭向き、1週間ぶりに庭の景色を 楽しんだ。
庭の景色で最初に目に入ったのはモチノキ、中ぐらいの葉っぱがかなり増えてきたように見えた。ただ木の左下には ほとんど葉っぱがない。一昨年?の春に剪定した時に左下に枝が伸びるように左に向かう幹を残したはずなのだが、結局 枝が1本も出なくて…失敗だったのだろう。次に目に入ったのは庭の大きな2個の石の前に広がるツワブキのたくさんの 葉、茎が見えないほど葉が大きくなって青々してた。愛染カツラの葉々も大きな石の上にかなり張り出してきたし、 ユキヤナギも前に植えに雑多に伸びていた。この時期はほんと成長が早い。
午後2時半からは訪問歯科、今日は珍しく歯茎からの出血も少なかったようで平和?だった。そして午後3時半からは排便、 社協のヘルパーKさんとM看護師(O看護師は同行)が来てくれた。最初にM看護師に摘便してもらってもガスは出たけど 「便には指が届かない」と、それで浣腸液を注入、それでもガスはいっぱい出たけど便は残念ながら出なかった。そこで M看護師に摘便してもらっても「便には指は触れるけど取れない」と。ただ便が下りてきた感じはあったのでもう1本浣腸。 それでようやくちょびっと便が出て下腹に残便が残っている感があったので…お腹を目いっぱい押してもらいながら 摘便してもらったら便汁やガスがバリバリ出た。「便はたいして出なかったけどガスはたくさん出たから木曜日までなら もてるだろう」と思って終わりにしてもらった。O看護師も左側臥位になる時に何度も手伝ってくれたが…、手が あちこちからいっぱい出てくるので落ち着かなかった。基本のスケジュールにない排便介助、ご苦労様でした。

5月6日 上の息子帰る
ゴールデンウイークも今日が最終日、先週の日曜日に帰省していた上の息子も朝8時に勤務地のある宇都宮に向かって 帰っていった。情けない話しだが寂しさを感じた。かなり気弱になってる、もう余生を過ごしている身なのに。息子が 帰る直前に苦言?を残していった、「お母さんの左手はまだかなり痛そうなので(もっと)気遣ってあげるように」と。訪問の いる時は夜はもちろん昼もよほどのことがない限り妻を絶対呼ばないようにしてるのに・訪問のいない時でも出来るだけ 妻は呼ばないようなしてるのに、まだ多いか。「一日の内お母さんが累計何十分お父さんの部屋にいる?」、二年前までは 家族の中でモモか唯一僕の部屋に長く居てくれたから。それとも気持ち方か、そっちは僕の苦手分野。どっちにしてもあと 24日すれば僕はいなくなる。
今日は振替祝日にもかかわらず朝10時半に社協のヘルパーYさんとNiさんがケアに来てくれた。今日はYさんが洗顔・ Niさんが脚のマッサージ、僕の気持ちの問題だろうけど安心感が違った。洗顔の後は二人で清拭、清拭のためのお湯は 最初胸にタオルを置かれた時は「熱過ぎるんじゃないか」と思ったけれど…いつもは下半身の清拭の前に替えるお湯が 今日は何故か背中を拭く前にお湯がぬるく感じるようになった。清拭は手足の指の間まできっちり拭いて欲しかったけど 力強く拭いてもらったからまあまあかな。最後の陰洗も丁寧に洗ってもらって…、ありがとうございました。

5月5日 こどもの日
今日はこどもの日。だけど今日の僕は上の息子に手伝ってもらい入院準備、病院に持っていく予定のノートパソコンの 取付台への設置と入力環境を整えてくれた。スイッチはピルケーススイッチと電圧素子スイッチの二つを用意<しておく ことにした。そのために今回「ピエゾニューマティックセンサースイッチ ppsスイッチセット」も新しく買ったのだが、 そのコントローラーも新しい取付台に付けてくれて動作確認もしてくれた。その辺は流石技術者、安心して任せることが 出来たし配置も見栄え良く仕上げてくれた。まだ入院に関して懸念事項は幾つかあるがまた一つ解消してくれた。 ありがとうね。

5月4日 天国と地獄
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻に訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーTさんが部屋に入ってくるのが 見えた。まあこのコンビならたとえ便は出なくてもガスはいっぱい出るだろう、そう思わせる安心感がこのコンビには あった。最初にT看護師に「今日は清拭はしなくていいから背中拭きと排便をして欲しい」とお願いした、次の月曜日 訪問看護ステーションTは休みで排便は出来ないから(排便には火曜日の午後訪問看護ステーションOのM看護師が 来てくれる予定)。
いつもの様にTさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸を聴診しお腹と脚のマッサージ。それから二人で 背中拭きと上着の着替え、「上着を着替えるくらいなら清拭しても同じじゃなかったか」と一刻思ったが。そして最後は 排便、最初にT看護師に摘便してもらったら便が幾らか出たみたいだった。それから浣腸液半分を注入してもらったら便は 出かかったけど出なくて…、ガスはかなりいっぱい出た。それに便が下りてきた感はあったのでせめて下りてきた 便だけでも出してもらおうと思って、二人に仰向けでお腹を押しながら摘便という共同作業をしてもらったら…便も 幾らか?たくさん?出たもののガスはブリブリ出た。更に左側臥位になって摘便で便を絞り出してもらい残りの浣腸液を 注入、それで幾らかの便とガスが出た。最後に仰向けで共同作業してもらって肛門付近に残っていたガスを出し、 左側臥位の摘便で確認してもらって時間も気になったから終わりにした。時刻はケア終了時間の11時45分の少し前、 これから陰洗と片付けをしたらまた時間オーバー、申し訳ない。便はどのくらいの量出たか自分では分からなかったけど ガスはほんとにいっぱい出た。これで十分、お疲れ様でした。
土曜日の午後はケアがない日、テレビを見ながらパソコン三昧。ソフトバンクは延長でサヨナラ負け、胸くそが悪い。 そんな中に午後5時前に夜間担当(夕方5時〜翌朝7時半)の重度障害者訪問介護のヘルパーAさんとTさんが来た。「今日も 同行か、煩わしいし面倒くさい」というのが第一感想? 午後6時半前手脚のマッサージを依頼、その間に僕はAさんと 話しをしょうと歯ぎしりで呼んだのだが最初Aさんは僕の意図に気付かずに今日も全てをTさんに任せようとした。 「ルーティーンはTさんに任せそれ以外はAさんと分業したら良かろうもん」と思って、少しカチン。夜の経管栄養の途中で 呼吸器回路から音がし始めたのだがAさんは来ない。しばらくしてAさんを呼んで文字盤で「聞こえないか?」と言ったけど 反応なし。それで「音」と伝えたのだが理解出来なかった、僕が「音」と言ったらずっと前から呼吸器回路の水抜きに 決まっているのに…それにも気付かなかった。その上「何の音ですか?」と聞いてきたのでカチン。「水抜き」というのは 簡単だけど言いたくなかったので関連する別の話をしたら…僕の文字盤を上手く範読出来なかった。元々Aさんは文字盤が あまり上手い方じゃなくて「てにおは」が苦手なのだが、今日はほんとに酷かった。文字盤に時間がかかってその上僕の 言いたい意図が理解されないことに切れてつい「頭が悪い」「こんなコンディションで同行に来るな、代われ」と本音が 出てしまった。概して重度障害者訪問介護のヘルパーは申し訳ないけど理解力が悪いように思うし知能指数が少し弱い 傾向にあるんじゃないかと思う。だけどAさんには「頭が悪い」とは絶対言わないつもでいたんだけど、腹が立ちすぎてつい 口から出てしまった。ごめんなさい。

5月3日 誕生日&ありがとうな
今日は66回目の誕生日、20年ぶりに自宅で過ごしている。妻からはついでにせよ「誕生日おめでとう」と言ってもらえるし 訪問の方からも「今日誕生日ですね、おめでとうございます」と声をかけてもらえるし、自宅も悪くはない出来事だった。 まあイベントは何にもなかったけど、この年になってもう誕生日を祝って欲しい訳じゃないけれど。
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とYさん・ヘルパーの NaさんとNiさん、F看護師以外は僕の入浴車はまだ素人に毛が生えたくらいのものだから不安は感じたけど…F看護師の リーダーシップとNaさんの明るいキャラがあれば何とかなるかなと。浴槽の設置も支障なくいきいつもの様に浴槽に お湯が溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・万歳・左側臥位になってタッピングしてもらった後吸引して もらってから、みんなにスライドボードを使ってベッドから浴槽に移してもらってネットを下げてお湯に浸かった。
お湯に浸かった瞬間は今日もお湯は熱く感じたけどすぐに慣れた。そしてお湯の中でみんなに囲まれて雑談、僕は 「右もみあげとこめかみの痒みの原因が加齢」「経過観察しましょう」と皮膚科に言われたことを伝えたかっただけなのに… 長くかかった。この雑談でゆっくり温まった僕はネットを上げてもらってみんなに身体を洗ってもらい、そしてもう一度 お湯に浸かって十分に温まりお風呂からあがった。ベッドに戻ってからも少し汗をかいた。今日も気持ちの良い お風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。まずは脚と頸に装具を付けてもらってからベッドの右端に端座位。最近この 時間帯は身体に眠気とだるさを感じていて、今日も端座位している時は少し息苦しかった。次に立位運動3回、今日も H先生は僕に太ももの力を使わせる立たせ方で…結構しんどかった。腰はH先生に伸ばしてもらったって感じだ。最後は 脚の可動域運動、今日も全体的に結構痛かった。特に膝の裏伸ばしの時に膝に 踵伸しの時には足の甲にいつもはない変な 痛みを感じたけど…あれは何だったのだろう。
ゴールデンウイークに帰省している上の息子に、今使っているノートパソコン取付台へのSSD外付けディスク・スイッチ 分配器の取り付けと機器および配線の整理を 5月末入院時に病院に持っていく新しく買ったノートパソコン取付台への 前のパソコンと機器(ピエゾスイッチコントローラー・オペナビUSBスイッチボックス・テーブルタップ)の取り付けを 頼んでいる。今日の午後から本格的に取り組んでくれて今使っているノートパソコン取付台の方は終わらせてくれた。 この上の息子ならそれほど長く時間はかからないと思っていたのだけれど、思っていた以上に時間のかかる作業だった ようだ。その代わり機器も配線もきれいに配置されていた。ありがとうな、これでバックアップが取れるし 病院へ 行くための懸念事項が一つは解決された。もう一つの取付台もよろしく頼む。

5月2日 流石M看護師
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師が10分ぐらい遅れてきてバイタルを測りお腹を マッサージしてから洗顔開始。そして洗顔の途中でK会のヘルパーAちゃんが来たのだが「緊急事態が起きた」ということで M看護師に帰らされた。K会ではヘルパーの補充が出来ないと聞いたM看護師は社協さんに電話して「今から来られる ヘルパーさんはいませんか?」とYさんに尋ねたところ、「近くにNaさんがいるから行かせます」というありがたい答え。 そして10分もしないうちにNaさんが来てくれた。
洗顔が終わったらM看護師とNaさんの二人で背中拭きと排便介助、M看護師の背中拭きは今日も丁寧で背中だけではなく 胸まで拭いてくれた。それから排便、まず最初にM看護師に摘便してもらったのだが便は結構取れたらしい。そして1本 浣腸液を注入、それでお腹に下りてきていた便の大部分が出たようだったけど…まだ便汁がお腹に残っている気が したのでM看護師にお腹を押しながら摘便してもらって便を出してもらった。まあ出過ぎても土曜日に困るから終わりに した。Naさんも積極的に動いてM看護師の補助役を十分に務めていた。Naさんがいると何故か嬉しくなるから 不思議だ(笑)。
明日が祝日ということで今日の午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、診察と処置(カニューレ交換)も終わり予防の ために麻黄湯の処方を頼んだ。そして午後3時からは車椅子移乗、社協のヘルパーNiさんが先に来て脚のマッサージと 装具付け、20分ぐらい遅れてM看護師が着いた。すぐに頸に装具を付けてから立たせてもらったが最初は失敗、 懸念していたけどやはりNiさんは力が強くない。そこがNaさんとの大きな違いでありそれが安心感の違いに繋がって いる。一度立たせてもらってからベッドに戻りスライドボードを使って車椅子に移った。車椅子は庭向き、愛染カツラの 葉が大きな石の上に大分伸びてきた。ユキヤナギと愛染カツラの成長が早くて庭の様子が日に日に変わってくる、 面白い。車椅子移乗の終わりに近い時間になって5日前に帰ってきた上の息子の草むしりする姿が見えた、初めは チビかなと思ったけど。ご苦労さま。

5月1日 満足
朝10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとHさん・ヘルパーのKさんとMoさん。最近水曜日は このメンバーで固定されているようだけど、このメンバーなら気心も知れてるし安心出来る。最初Kさんから先週の僕の 要望に対する回答をもらったけど、何か難しい事と勘違いしているようだったので「ネットを上げててる時に肘を少し 曲げてくれればいい」と説明し了解を得た。肘を少しでも曲げれば固いネットのロープに肘が当たることはないのだ。 それからいつもの様に看護師さん達二人に浴槽にお湯が溜まるまでに脚のマッサージの後に万歳10回・左側臥位になって タッピングしてもらってから吸引(今日は気管から痰は出なかった)、そしてスライドボードを使ってみんなにベッドから 浴槽の上に張ったネットに移った。今日はネット上での身体の位置が良かったのかロープに肘が当たることは なかったが,肘を曲げて枠の上に置いてくれたので(ロープから肘が少し出る程度で良かったのだが)安心だった。
ネットのロープを緩めてお湯に浸かった瞬間は久しぶりに我慢出来るくらいに熱く感じた。その中で胸にシャワーを かけてもらいゆっくりと温まり、それからネットを上げてもらいみんなに身体を洗ってもらった。その時も肘を曲げて もらっていたのでネットのロープに肘は当たらなかった。そしてネットを下げてもう一度お湯に浸かり十分に温まって お風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。水曜日のリハビリは脚の可動域運動と立位運動3回。今日の脚の可動域運動も 千部痛かった、眠気が次第に飛んだ。股関節の屈曲運動では股関節の内側がかなり痛かったけど…数を数えながら 耐えた。膝の裏伸ばしも膝を少しでも押さえられると痛みが倍増したが、いつもより20秒ほど短かったみたい。踵伸しも 足がびびるほど痛かったけど、あのくらい激しくしないときっと変足が酷くなってしまう。立位運動で端座位にして もらった時も立ち上がった時も庭の大きな石の上に伸びてきた愛染カツラの蔓と葉が見えた。ベッドから立ち上がる際に 今日はH先生が太ももに力を入れるように立たせてちょっとしんどかったけど…立位運動の出来はまあまあかな、3回目の 途中で息苦しるしくなって困ったけど。



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4月
4月30日 変則のケア
火曜日のケアは朝9時半から。定刻前に社協のヘルパーYさんが来て、訪問看護ステーションOのM看護師が10分ほど 遅れてきた。Yさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを測りお腹と脚のマッサージ。それから二人で背中拭き。 いつもの様にM看護師の背中拭きは右腕を上着から抜いてから背中を拭く、その分力強くしっかりと丁寧に拭けるけど 肩から胸にかけて寒さを感じることもある。最近の僕は上半身に寒気を感じることが多い 特に朝は、何かの異変の 現れか。次は車椅子移乗、M看護師とYさんでスライドボードを使ってベッドから車椅子に移してくれた。
車椅子は庭向き。庭の様子はこの5日間で様変わりしていた。ユキヤナギの新枝が伸びて眼鏡がないと藪のように見えた。 眼鏡をかけて見るとユキヤナギの枝が伸びて老梅の領域を侵略していたしモチノキの上の枝の方まで伸びていた。 モチノキそのものの葉も上の方は少しずつ大きくなって目立つようになっていて、庭の一番大きな石の上に髪のごとく 愛染カツラの蔓と葉が伸びてきていた。「今年は愛染カツラのカーキ色の花が見られないのが残念だ」と思って見てた。 ユキヤナギの新枝と生垣の南天の木の枝はまた剪定してもらわないといけないのだろうな。
午前11時前からはH先生の訪問リハビリ。今日は上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動と車椅子からベッドに戻るための4歩の 歩行運動。まずは車椅子に座わったままで左上半身の可動域運動。いつものことながら横から上に腕を挙げる運動と肘を 曲げる運動が痛かった、ベッド上での右上半身の可動域運動は全体的な可動域運動で痛みを感じた。歩行運動では 車椅子から立ち上がる際にはやはり力は入らなかった、H先生に立ち上がらせてもらってから腰を伸ばすので精一杯。 歩行は腰に不安を感じながら、でもまあまあだったかな。
午後2時半からは訪問歯科、今日も歯科衛生士Iさんが一人。歯間ブラシで左下奥歯の5番-6番を掃除してもらったら歯茎の 内側から血が出た。今日は朝から左下奥歯に違和感を覚えてたけど…。
午後3時半頃から今日は変則で排便介助、M看護師とYさんが来てくれた。日曜日に結構強い便意があったから便は出ると 思っていたのだが…、お腹を支配していたのはガスだったようだ。1本目の浣腸でガスは結構出たけど便は難しかった。 だけど便が下りてきた感じはあったからM看護師に摘便してもらったんだけど、「便には触れるけれど取れない」と。それで 2回目の浣腸をして親指大の便は出たけれども便を出す力と勢いがなくて途中で止まってしまったので、仰向けおよび 左側臥位でM看護師にお腹を押しながら摘便してもらって残便が幾らか出た。ついに「もう出そうな気がしなくなったし どうせ明後日もまた排便の日だし」と考えて陰洗を頼み終わりにした。結局2時間近く拘束してしまった。M看護師にYさん ありがとうございました。

4月29日 昭和の日
今日は昭和の日だったかな、名前が 天皇誕生日→みどりの日→昭和の日 いろいろ変わったから分かんなくなっちゃった。 祝日にもかかわらず朝10時半 社協のヘルパーYさんとNiさんがケア(洗顔・清拭・陰洗)に来てくれた。Yさんがいたから 心配はしてなかった。Niさんが洗顔している間にYさんは脚のマッサージ、Niさんの髭剃りや洗顔はまだもうひとつって 感じたけど…少し上達してた。それから二人で清拭と陰洗。右側臥位になる前にYさんが怖がらずに呼吸器を外し なってから付けてくれた、昔取った杵柄で正しい手順…ほんとは禁止なんだけど(笑)。清拭も陰洗も無難に終わった、 ありがとうございます。

4月28日 だまされた?
中古の「ピエゾニューマティックセンサースイッチ PPSスイッチ」、4月17日に注文し何度か先方とメールでやり取りを してその日の内に入金した。翌日「入金を確認した、2-3日中に発送する」とメールで連絡はあったものの荷物は未だに 届かない。メール対応も早くてメールの内容もほぼちゃんとしてたから疑わなかったけど、今日他のサイトで同じ価格・ 同じ商品説明「家族が、多系統萎縮症(難病)のため購入しました。うまく使えなかったため、ほとんど使用していません。 センサー類も未使用状態です。」のピエゾニューマティックセンサースイッチ PPSスイッチがあったから… だまされたのか。それにしても利用者の少ないこんな商品を買う人間をターゲットにしてもたくさんのお金を 奪い取れるとは思わないのだが。それに商品ホームページを作ったりメール対応をしたり…採算が合わないと 思うんだけど なんで。
今回だまされたのは(8,160+220)円、たったこれだけでいい勉強をしたとも言えるけど…ネットで買うとだまされそうで 怖くなった。消費者センターに連絡すべきかな。それにいくら中古でもピエゾニューマティックセンサースイッチ PPSスイッチがこんなに安く買える訳ないか。

4月27日 自宅でのゴールデンウイーク
今日からゴールデンウイーク。ゴールデンウイークを自宅で過ごすのは20年ぶり、毎年この時期はレスパイト 入院していたから。社会人時代はゴールデンウイークを有難く思い 若い頃はこの連休を利用して与論島・沖縄に5年連続 行って楽しんだこともあったが、こうして寝たきりになり介護を受ける身になるとゴールデンウイークは邪魔なばかり。 祝日は訪問が来られないこともあるからケアマネージャーに工夫をしてもらっている。立場が変わると考え方が全然 違ってしまう。
沖縄の木と言えば僕はハイビスカスと幸福の木を思い出す。幸福の木は沖縄土産として二度ほど買ったのだが…、 育てることが出来なかった。これらの思い出も含め 庭にハイビスカスも幸福の木も欲しいのだけれど。
土曜日のケアは朝10時15分から。ゴールデンウイークに入って今日のケア内容は変則で、洗顔と洗髪と着替と排便を してくれるように頼んでいた。定刻5分前にK会のヘルパーAちゃんが来て、続いて訪問看護ステーションTのK所長が 部屋に入ってきた。Aちゃんの顔を見た時に「今日は安心だ」と思ったけれど…K所長の顔を見て更に安堵した。いつも通り Aちゃんが洗顔している間にK所長はバイタルを測り胸を聴診しお腹と脚のマッサージ。次に二人で洗髪、髪が短くなって 洗いやすいこともあったのだろうけど 洗う強さも聞いてくれたし…気持ち良かった。それから着替えをしてもらって 最後に排便、「今日はガスだけでも出ればいいや」と気持ちが軽くて浣腸液を半分ずつ2回に分けて注入してもらった。 1回目は僕の思惑通りいっぱいガスが出たのはいいのたが、便も幾らか下りてきたの2回目の浣腸。それで親指大?の便が 出て残りをK所長に摘便で出してもらったら お腹はある程度スッキリ、今日はこれで十分だ。やっぱりK所長の方が N看護師に比べたら十分安心出来た。

4月26日 通院日
今日は通院日。午前11時半少し前に社協のヘルパーKさんとNiさんが来て外出準備、まず二人で玄関にスロープを設置し Kさんが洗顔をしてNiさんは脚のマッサージ。そして洗顔が終わろうとする頃にKさんが「脚がほぐれたら装具を付けて」と 指示をしてNiさんが左脚に装具を付け終わったところに訪問リハビリのH先生が着いて、Niさんの右脚の装具付けが上手く いってないのを見て指導してた。それからH先生とNiさんの二人で頸に装具を付けて、H先生が僕を一度立たせてから 車椅子に座らせた。そして妻に吸引してもらってから車椅子の座面の下に取り付けたボードの上に呼吸器を移し外出準備 完了、玄関から外に出ると空は雨模様。リフト車に乗り込む時に小屋の方に耳を傾けたがツバメの鳴き声は聞こえた? 今日はNiさんが不慣れ?不器用?なために出発までにかなりの時間を食ったみたい。それでも社協はNiさんをリフト車の 同行に使いたいらしい、適材適所って言葉もあるけど…。
リフト車の車窓からの風景は今日は雨のためかもうひとつ。病院までの道中で見えたのはサツキ(ツツジはもう散ってるし ツツジにしては花の赤が鮮やかで花が少し大きい)とピンクのシバザクラ。帰りの道中ではまだまだ緑の麦の穂の田んぼと 小麦色に色付いた幾つかのグラデーションの田んぼが見えたし、街路樹のモチノキの赤い実が未だに残っているのも 見えたし枯れ始めた蓮華草のある田んぼも見えた。今日は咲いてる花が少なく感じた。
病院に着き玄関でリフト車を下りたら案内されたのは前回と同じ奥の方にあるちょっと狭めの審査室。対応した看護師も 僕には不慣れな看護師で要領も悪かったし その上採血もあった。主治医はバイタル測定が終わるともう来てて診察と カニューレ交換、その後に主治医と妻が話をして5月30日の入院が決まった。3ヵ月の入院で体力と残されていた筋力が どのくらい落ちるか大いに不安はあるけどこれも運命、仕方ない。だいたい僕が今の状態でいること自体が一般的に 見たら不思議なことだろうが…。血液検査の結果が出るのを待って「血糖値は正常です」と妻に告げて診察室を後にした。 それから廊下でストレッチャーから車椅子に移してもらい帰途についた。リフト車に乗り込む前に廊下の時計を見たら 午後2時20分、今日はいろいろな不手際が重なったからいつもより1時間近く遅くなった。僕はNiさんが指示待ちの姿勢で いる限り僕の町の移動サービスを利用しての外出の同行は1人じゃ難しいと思う。病院を出発した時に玄関前の池を 見たら、こんな天気にもかかわらず亀が1匹石の上に出ていた。
家に着いて部屋に入りベッドを整えてもらっている時に訪問リハビリのH先生が着いた。早速車椅子からベッドに 戻るための4歩の歩行運動、まだみんながいたから気合いも入って…まあまあだったかな。次は脚の可動域運動。 太ももの内側の筋(珍しい)も股関節の内側も膝の裏も踵も結構痛かった。今日は筋も関節も少し固かった気がする、 病院の冷房で身体が冷えたか。

4月25日 感謝
木曜日の朝のケアは9時45分から。ちょっと遅れて来た訪問看護ステーションOのM看護師はすぐにバイタルを測り洗顔 開始。ただ髭を剃る時に唇の上左端にあった出来物が見えなかったらしくかさぶたを削り取ってしまったようだ。僕が ギリっと歯ぎしりし「唇の左」と言ったからM看護師が見てみたら…何かが剥がれた痕があって少し血が出ていたとのと、 結構痛かった。洗顔が終わった頃にK会のヘルパーAちゃんが来てその後二人で背中拭きと排便介助。M看護師の背中拭きは いつもの様に上着から右腕を脱がせて丁寧に力強く…、気持ち良かった。
排便介助はまずM看護師の摘便から…、初めてかもしれないけど摘便だけでいっぱい(1回分?)出たらしい。そして浣腸、 それでひと塊ほどは出たと思うのだが自分ではよく分からなかった。それでM看護師にお腹を押しながら摘便してもらって 幾らかは出たと。だけど便がまだ残っているように感じたのでもう一度浣腸してもらったら幾らか便汁が出て…M看護師に 確認の摘便をしてもらったら「もう便には触れない」と、それで終わることにした。お腹はペッコリになった らしい。
午後3時からは車椅子移乗、今日はこの車椅子移乗の時間を使って僕が昔デイケアで通っていた施設に親父に会いに 行った。担当はM看護師と社協のヘルパーKさん、そして応援で訪問リハビリのH先生が来てくれた。木曜日の 車椅子移乗は一度立たせてもらってから車椅子に移る。H先生は一度僕を立たせてから車椅子に座らせた。移動は町の 移動サービスを利用、社協のリフト車に乗り込む時に小屋の中からツバメの鳴き声が聞こえた。施設までの道中でも 風景に変化があった、以前たくさんの材木(太い木の棒)が置かれている場所がセブンイレブンになっていた。我が町も 少しずつ変わっていってるようだ。
施設に着いてエレベーターで3階に向かう、親父は個室にいた。また痩せて全体が小さくなって下顎だけが異常に前に出て 目立っていた。意味もなく口はよく動かすものの目はたまに開くだけ、あれこれ対応するのが面倒くさいのだろう。 口から唾液がこぼれることはないのである程度の見込む力はあるようなのだが…何故か食べない、食べるのにも体力を 使うし 面倒くさいか。頭や胸が痒いのか時々手でかく、肩・腕・手の力はまだまだある。この部屋からは親父の好きな 田んぼや山・空も見えるし良い風景なのに、今のベッドの向きじゃ見えないか。僕もだけど 親父は生きていたい・ どうしても生き続けたいという意欲・意気込みを僕よりもなくしたか。昔の強かった親父はもう何処にもいない。親父は 「100歳まで生きる」と言っていたのに、僕のせいか 僕がALSという病気になったせいか。親父は僕の病気を最初から全然 受け入れることが出来なかったもんな。

4月24日 入浴時の不思議
朝10時半前からは入浴車、今期になって入浴車の社協を出発する時間が10分ほど遅くなったようだ。今日の入浴車の スタッフは看護師のGさんとHさん・ヘルパーのKさんとNiさん、Niさんが何かしでかしそうな風はあるけど他は安心出来る メンバー。そしてH看護師が脚のマッサージを終えても浴槽がきてなくて…、しばらくして浴槽にお湯が溜まり始めてから 看護師さん達が十分な万歳10回と左側臥位になってタッピングしてもらってから吸引してもらった。それからみんなに スライドボードを使ってベッドから浴槽に移してもらい呼吸器を着けても…呼吸器のアラームは止まらなかった。 呼吸器から問題なく空気が送られてきていることが分かっている僕は「呼吸器のアラームの原因はいつもやつか」と 理解したけれど、アラームをとても気にしてるスタッフのみんなにアラームの原因を短時間で説明するのは難しくて… 文字盤で「(アラームは)気にしなくていい」と言うのが精一杯だった。
浴槽に浸かった瞬間も熱くは感じなくて、温度を上げてもらった足し湯と胸へのシャワーで温まり洗髪がひと段落した 時にネットを上げてもらいみんなに身体を洗ってもらった。そしてもう一度お湯に浸かり十分に温まってからお風呂から あがった。今日はお風呂からあがってからはほとんど汗はかかなかった。最後のヘルパーさんからの挨拶の時に「ネットを 上げてる状態では肘を負けて欲しい」とKさんに注文、ネットの内側に肘があるとネットのロープに肘があたって 痛いから。とは言っても今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
昼の経管栄養を落としている時に親父に会ってきたT叔父さん・T叔父さんの娘(従姉妹)のS・Sの息子のI君がうちを 訪ねてきてくれた。姉はT叔父さんの体調を心配していたが、年を重ねそれなりに悪いところは出てきているようだけど 口調は昔のままで懐かしかった。いつも僕の病気(ALS)を気にしてくれているようだ。従姉妹のSと会うのはいつ以来か、 マチばあちゃんの葬式? 僕の記憶の中にはSが吉井に住んでいた頃の幼い姿ある、42年前。ということはSも今は50歳前、 T叔父さんも年を取るはずだ。従兄弟・従姉妹は各地に散らばっているが、もう一度会えたらいいな。
午後3時半前からは訪問リハビリ、H先生の下半身の可動域運転と立位運動3回。まずは脚の可動域運動。今日も股関節の 内側と膝の裏と踵の関節がかなり痛かったけど…数を数えながら何とか耐えることが出来た。今日は膝の裏伸ばしが 短かった分踵伸しが長かった。最後は立位運動3回。ベッドから立ち上がる時にH先生は結構太ももの力を使わせた。 立ち上がって腰を伸ばすとうちの庭で一番大きな石の上に愛染カツラが伸びてきていた。それを見たくて 頑張ったつもりだが。

4月23日 有朋自遠方來 不亦樂乎
火曜日のケアは朝9時半から。まず社協のヘルパーNaさんが来て洗顔の準備。少し遅れて訪問看護ステーションOの M看護師が着いてバイタルを測り胸とお腹の聴診をして脚のマッサージ。それから二人でいつも通り背中拭きと陰洗。 M看護師の背中拭きは今日も上着から右腕を脱がせて背中をついでに前も拭いてくれる、丁寧に力強く何度も。陰洗が 終わったら車椅子移乗、スライドボードを使って車椅子に移った。今日は車椅子の向きはテレビの方、11時に来客が あるから。Naさんは自分で考えて動くしM看護師にもついてゆくし…よく頑張ってた、お湯がもっと熱かったらもっと 良かったけど。
11時前からH先生の訪問リハビリ。今日は車椅子に座ったままで久しぶりに右上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動。 ところが肩の可動域運動が始まってすぐに来客 幼なじみのT子が顔を見せに来てくれたのでH先生がリハビリを一時 中断してくれた。
T子と会うのは20数年ぶり、T子は5年前の還暦同窓会には家庭の緊急事情で来られなかったから。街の中ですれ違ったら 気付かなかっただろうけど…T子の顔には昔の面影があった。昼から千葉の方に帰るということだけど、その前に顔を 見せに来てくれて嬉しかった。それにしても多くの同級生に会うことの出来た還暦同窓会からもう5年も経つんだな。 またみんなに会いたいような会いたくないような…。来てくれるものは拒まず なんだけどな。
車椅子からベッドに4歩の歩行運動で戻ってベッド上で久しぶりに左上半身の可動域運動。いつもの車椅子に座った ままでの可動域運動に比べるとその痛いこと、肩も肘も指も 悲鳴を上げそうだった。車椅子よりベッド上の方がH先生は 動かしやすいのかな、ベッド上の方が制約はいっぱいありそうだけど。歩行運動は不安定になりそうだったけど膝と脚に 力を入れて踏ん張った。だけど何かがおかしかった。
午後2時半からは訪問歯科、今日も歯科衛生士Iさん一人。口の中のケアが始まる前に目で口内炎があることを伝えた。 ただ上の唇の左端にあるのはヘルプスみたいなものではないかと。僕は口の両端は切れたことあるけど…唇に出来物が 出来たことないのに、僕は上唇の裏左の方の口内炎ばかり気になって唇に何かが出来ていることに気付いてなかった。 歯科衛生士さんは「様子を見ましょう」と言うが、どうなるのか少し気になる。口の中のケアはいつも通り、左下奥歯の 歯茎の内側をブラシで磨いたら…いつもの様に血が出てなかなか止まらなかったようだ。

4月22日 信じられない
月曜日の朝のケアは10時半から。定刻少し前に社協のヘルパーNiさんが部屋に入ってきた時には「僕の所に来るヘルパーは だいたい周期になっているから今日がNiさんだと想定できた」と思えたが、続いて訪問看護ステーションTのN看護師が 入ってきた時には「N看護師とNiさんのコンビなんて信じられない」と思い「今日の排便は無理だな」と諦めた。清拭の 途中の11時過ぎにT看護師は来たけど一度諦めた気持ちは元には戻らず…、半分+半分+1本 三度浣腸したけど便はほとんど 出なかった。N看護師の摘便は病院並みに浅いし…、あの手際の悪さじゃパートナーが誰であってもN看護師の排便 介助ではおそらく僕は無理だな。
午後2時を過ぎた頃呼吸器販売のMさんが来て前回依頼していた点滴棒?の付いた呼吸器台に入れ替え、呼吸器の設定数値を 呼吸器本体と一覧表とを付き合わせて確認し新しい呼吸器とも数値を照らし合わせたと思う。その上で今まで使っていた 呼吸器を新しい呼吸器に取り替えたと言う。この新しい呼吸器は前のに比べると音が少し大きいようだ。とは言っても 今まで使っていた呼吸器に切り替えた際にも気になる音があったけど…いつの間にか慣れて気にならなくなっていた。 今度の音もそうなればいいなぁ。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とNaさん(Yさんが指導)。Naさんからは今日も明るく挨拶を受けてYさんと 一緒に脚のマッサージ。そして二人が脚に装具を付けている時にM看護師が来て M看護師とNaさんの二人で頸に装具を 付けてくれたが、「もう少し奥がよかった」とNaさんには言いたかった。それから二人に一度立たせてもらったけど Naさんの方が力が強くて最初は少しアンバランスに、でもまあNaさんは若いから理解も早いし身体も強いのですぐに 慣れてくれるだろう。そしてスライドボードを使ってベッドから車椅子に移り庭の方に向けてもらうとまず目に 入ったのはモチノキ、小さな葉っぱがいっぱいになった。
車椅子に移ってすぐに新任のI保健師とFケアマネージャー(付き添い)が挨拶に来た。I保健師の話は新年度ということで 消防署(救急車)と九州電力への提出書類の更新のこと、それに毎度のことながら「緊急時の対応」について。この辺りの 災害は地形的に落雷しかないことを妻もF看護師も強調していたが、僕が小学生の時の昭和の大洪水では家の前の田んぼが 泥色の濁った川になり庭に出ると小学生の僕のすねぐらいまで水はあった。保健師の訪問の時はいつも緊急時の対応の 同じ話になるから、僕は話半分以下でが聞いていたので印象に残っていない。

4月21日 チビ
翌朝7時半まで重度障害者訪問介護のヘルパーがいるのは以前は日曜日だったのに退院した後は毎日、だから今朝も Sさんがいて朝の経管栄養まで済ませていった。本当はSさんには面倒くさいから早く帰って欲しいのだけど、妻が 経管栄養をやりづらいと言うのだから仕方ないだろう。
昼の経管栄養の後で妻がチビを連れてきて僕の脚の間に休ませた、「チビはこの部屋の人の出入りが多いから (近付かないのだ)」と協調しながらかのように…。チビは脚の間に眠っていたのは2時間ぐらいだろうか。チビが僕に 触れるのは本当に久しぶりだから嬉しかった。また来てくれないかな。
夕方5時前 重度障害者訪問介護のヘルパーTさんと少し遅れて指導役のAさんが来て夜間のケアの時間開始。そして6時半頃に 手脚のマッサージと身体をベッドの上方に動かしてもらった。その時のAさんの指導のための口数の多さ、こんなことまで 言わないといけないのかと呆れた。まあ僕が「Tさんのマッサージが早過ぎる」と言い出したのが始まりだけど。それからも 経管栄養を始める時も途中でもAさんはTさんに文字盤をさせようとする、こんなことまでTさんに聞かせる必要が あるのかと思うくらいに。そしてそのしつこさについに切れた、「もう文字盤は使いたくない」と。それからは必要なこと 意外は話さなかったが、疲れた。

4月20日 二日続けて男性 !!
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻に訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーAちゃんが部屋に入ってきたが 僕はまだパソコンの途中、僕が結局ケアの開始を10分あまり遅らせた。でも今日の二人T看護師とAちゃんは仕事の出来る 絶好のコンビ、何とかしてくれるんじゃないかと…。いつも通りAちゃんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り 胸の聴診をして脚のマッサージ。それから二人で清拭と陰洗、清拭は身体の隅々 手足の指の間までしっかりと拭いて もらって気持ち良かった。陰洗に使う差し込み便器もお尻の下で当たり前に真っ直ぐ、先週のN看護師とは違うな。まあ T看護師とN看護師じゃ安心感も違うけど。ケアが終わったのは11時45分、30分もオーバーして申し訳ないけどあれだけ 丁寧ケアしてもらったら しかも僕のせいでケアの出遅れもあったからこんなもんでしょう。
昼からはパソコン取付台のための最後の買い物(テーブルタップ+ケーブル類)をし、あとはパソコンでドラマを楽しんだ。 パソコンしかないのだ、相手をしたくないから。午後5時前に夜間担当の重度障害者訪問介護が来た。今日のヘルパーは Sさん、昨日のMさんに引き続き二日続けて男性だ。男性のヘルパーは経管栄養の時にもぞもぞするし察しが悪いし…、 疲れるのだ。その男性のヘルパーを二日続けるなんて、予め嫌だと言っておいたのに。佐賀県の責任者のAさんは 「やむを得なかった」「シフトの汲みようがなかった」と言い訳したけれど…。

4月19日 訪問理容
朝9時からは訪問理容リリアンさん、朝9時開始という時間設定は次の10時過ぎからの入浴車の開始時間に合わせた 設定だ。リリアンのKさんとは20年以上の付き合い、「横と後ろは短く切りましょう」と最初に言われた。時々右もみあげに 不可解な痒みが起きるから何の異存もなかった、まあ皮膚科の先生には「加齢によるもの」と言われて万が一と言うことで 経過観察中。Kさんの散髪時間は20分たらず、いつもながら早い。髪を切ってもどんな風になったか僕には分からない。 でも今日パソコンのカメラで自分の顔を見てみたら…髪はかなり短くて、パソコンに搭載されてるカメラの向きでは額が ずい分広がって額の上の髪は見えなかった。もう髪が耳をくすぐることもないし、いいよね。
朝10時半前からは今週2回目の入浴車、後になって妻から「今日は朝から何か痰の出方がおかしい?」と指摘されて… 確かにと思ったかな。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとYさん・ヘルパーのKさんとNiさん、浴槽にお湯が 溜まるまでにいつも通りY看護師が脚のマッサージをしてもらった後に二人の看護師さんが万歳と左側臥位になって タッピングしてもらってから吸引してもらい準備完了。そしてみんながスライドボードを使ってベッドから浴槽に移して くれてお湯の中に浸かったけどお湯に入った瞬間もお湯は熱くは感じなかった。それなのに体を洗ってもらった後 もう一度ゆっくりお湯に浸かりお風呂からあがったら汗が湧き出て止まらなかった、こんなに汗をかくの梅雨時みたい。 それでも気持ちの良いお風呂だった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、5分ほど早めの到着だったから妻はきっと慌て気味? 僕は前回カニューレ交換 したのが先々週の水曜日で、痰がカニューレにくっつくようになっていたので早くカニューレ交換したかった。T先生の 診察も処置(カニューレ交換)も何の問題もなく終わり、T先生は早々に帰っていった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。まずはベッドの右端に端座位させてもらった。久しぶりの長くて本格的な 端座位は気持ち良かったが…途中から息苦しくなった。次の立位運動も3回ともH先生に立ち上がらせてもらい腰も 伸ばしてもらった感じで全然ダメだった。先ほどの端座位の時の息苦しさの影響があったのか気力が足りなかった。 最後は脚の可動域運動。前回(水曜日)は全体的にほとんど痛みを感じなかったのに今日は股関節の内側も膝の裏伸ばしも 踵伸しも今日は全部痛かった、何故だろう。

4月18日 庭の変化
木曜日の朝のケアは9時45分から。訪問看護ステーションOのM看護師がちょっと遅れて着いてすぐにバイタルを測り洗顔 開始。そして洗顔の途中でいつものことながらK会のヘルパーMさんが早めに着いた。洗顔が終わったら二人で背中拭きと 排便介助。M看護師の背中拭きは今日も力強く丁寧、満足。最後は問題の排便、今日も便意もなく便が下りてきている 感じもほとんどなかった。まあ下剤がカマグ(酸化マグネシウム)の場合はこんな感じなのだろう。今回はガスが 出てなかったので浣腸液を半分ずつに分けて2回入れてもらうことにした、最初はガスを出すため・後のは便を出す。 初めにM看護師に摘便してもらってもガスは幾らか出たものの便には触れなかったらしい。それで液半分を浣腸、 思った通りガスはいっぱい出たけれど便が下りてきた感はあったものの出る気配はなかった。そのためM看護師に「摘便で 取れるだけ取って」と頼み、そうしてもらった後で残りの液を浣腸してもらった。その結果僕はふた塊近く出たと感じ、 M看護師が言うには「いっぱい出た」と。浣腸液半分ずつのお試しはまあまあか。時計を見ると11時半近く、 また時間オーバー。
午後3時からは車椅子移乗、担当の社協のヘルパーNaさん(Kさんは指導)が定刻少し前に来て二人で脚のマッサージを 始めた。Naさんの顔を見るの久しぶり、少し声がかすれているけれど相変わらず明るくて元気。ちょっと遅れてきた M看護師は仕方なく左右の腕の上下運動(笑)、それでも結構激しかった。それから3人で脚と頸に装具を付けた。木曜日の 車椅子移乗は一度看護師さんとヘルパーさんに立たせてもらってから車椅子に移る。今日の立たせる役はNaさんがやると 言うけど僕はあまり心配はしなかった、だってNaさんは力も強いし体幹も鍛えてあるから。そこがNiさんとの大きな 違いだ、Niさんは見るからにか細い。実際にM看護師とNaさんに立たせてもらったら…何かが違って時間はかかったが 立てた。そしてスライドボードを使って車椅子へ移動、今日は黄砂はひどかったらしいけど天気が良かったから庭向きで 窓を開けて…庭の様子を楽しんだ。
ツワブキの葉が暑さでしおれて苦しそう。モチノキは新芽が伸びて枝にいくつも小さな葉が付いていた、一昨日とは 大違い。ユキヤナギは緑の枝がどんどん伸びて高くなっていて…また剪定されそう。梅の実も付いているらしいが…。 車椅子座位の時間が残り10分ぐらいになってチビが僕の視界に入ってきて、最後は庭の石の上に落ち着いて顔をこっちに 向けたりあっちに向けたり毛繕いしたり…気楽そう。いいなぁ。

4月17日 チビの誕生日
今日はチビの誕生日、チビは2013年4月17日の午前中(9時頃?)に生まれて11歳になった。妻は最初僕の部屋でモモ(チビの 母猫)に出産させようと考え部屋の隅に寝床を入れた段ボールの箱を用意していた。だけどモモは僕の部屋では 落ち着かなかったようで、僕の部屋を出ていき2階の次男の部屋で4匹の子猫を産んだ。その後妻はモモと4匹の子猫を 僕の部屋に連れてきたのだけど、僕の部屋での子育てするが気に入らなかったようでモモは1匹ずつ首根っこを抱えて 連れていった。その頃から僕も僕の部屋も子猫に嫌われていたのかな。
最近のチビは僕の部屋に入ってこない と言うより部屋に近付いてもこなくなった、まるで妻の心を映したかのように。 元々僕はチビに嫌われている と言うよりチビは僕を人として見ていない、僕はチビの目に入ったことがない。チビが僕の 部屋に来る頻度は妻の僕の部屋へ来る回数・居る時間と妻の気持ち次第かな、チビは妻の気持ちの持ちようの影響を大いに 受けるから。
朝10時過ぎからは入浴車。退院して初めての入浴車、久しぶりに湯船に浸かることが出来る。病院の入浴は洗い場と簡易 浴槽が兼用、体を洗った後の洗い場を箱にしてお湯を入れるから体全部はお湯の中に浸からないし待ってるスタッフに 悪いから長湯する気にならない。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとFさん(ケアマネージャー)・ヘルパーの KさんとMoさん。いつもの様に浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・万歳・左側臥位になって タッピングしてもらってから吸引してもらってスライドボードで浴槽に移動した。
お湯に浸かった僕を囲んでの井戸端会議の今日の話題は新学年度らしくPTAの役員決め、ずい分盛り上がっていた。 子供たちが小さい頃からこんな病気だから僕の経験のない世界の話だけど、13人しか児童のいない学年もあるらしく 「何らかの役がすぐ回ってくるので嫌だ」と言っていた。こんな楽しい話を聞きながらゆっくりと温まり、ネットを上げて もらってみんなに全身を洗ってもらい、もう一度温度を上げてもらったお湯に浸かって胸へのシャワーで十分に 温まってからお風呂からあがった。やはり湯船に浸かるのはお風呂の醍醐味だ。今日も気持ちの良いお風呂を いただいた。
午後3時半前からはH先生の訪問リハビリ。今日はまずK先生との3ヵ月に一度のWeb面談、H先生が「大きな変化はない」 ことを伝えてくれた。それから脚の可動域運動、股関節の屈曲運動では股関節の内側にそれなりの痛みは出たけれど 全般的に強い痛みは感じなかった。最後は立位運動3回。立位運動のためにベッドの右端に端座位にしてもらった時に窓の 外の庭の石の上にチビがゆったりした姿で座っているのが見えた。頑張って立ったらもっとよく見えるではと 思ったけれど、端座位の方がチビの見栄えが良かった。立位運動の方はベッドから立ち上がるのはまあまあだったけど、 自分の力だけでは腰は伸ばせずにH先生の力を借りた。何にせよチビの誕生日にチビの姿を見られて良かった。

4月16日 友来たる
火曜日のケアは朝9時半から。定刻前に訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーKさんが一緒に部屋に 入ってきたのでびっくり、慌ててパソコンのアプリ軍を閉じてシャットダウンしたがケアの時間に少し食い込んだ。 いつも通りKさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを測り胸とお腹の聴診をし脚のマッサージ。それから二人で 背中拭きと陰洗。M看護師の背中拭きは独特で右腕を服から脱がせて拭く、その分時間は幾分かかるけど丁寧で力強く 拭いてもらえる。最後に陰洗をしてもらってスライドボードで車椅子移乗、車椅子は庭向きにしてもらったら今日はよく 晴れていたら庭の景色がよく見えた。モチノキは丸坊主に近かったが古い葉も幾らか残っていて枝には新芽が芽生えて いるように見えた。南天の実も一番よく育ち大きく多くの実が付いてた木のものは黒紫色になっていた。気分が良さそう だったので窓は開けたままにしてもらっていた。
午前11時前から訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動とベッドまでの4歩の歩行運動。まず車椅子に座ったままで 左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、ベッドに戻ってからのベッド上での右上半身の可動域運動に比べると痛みは 小さいように感じた。歩行運動は脚にも力を入れて歩けたし、まあまあか。呼吸リハは車椅子上でもベッド上でも やってもらったが、いくらか痰が上がってきたのでH先生に吸引してもらった。
次に午後2時半からは訪問歯科。今日は歯科衛生士のIさん一人、久しぶりにゆっくりした気持ちで処置に相対出来た。 歯科衛生士のIさん1人の処置に慣れ過ぎたせいか歯医者の先生の処置になにか違和感を覚えてしまう。歯間ブラシの 処置がどうも優し過ぎるような痛いような…。その割に歯間ブラシで処置した後に歯茎からの出血量が少ない、「歯茎が 腫れた感じがあるのだから歯茎から血を出して欲しい」と思うこともあった。今日の歯科衛生士Iさんの先の小さな丸い ブラシで左下奥歯の歯茎の内側を磨いたら、思っていた以上の血が出たようで血止めのスポンジブラシに付いていて ちょっとびっくり、その場所はあんまり気にしてなかったんだけど。
訪問歯科が終わって30分ほど経っても妻が動く気配がなかった、確か昨日の朝「火曜日の午後3時半に来客がある」と 聞いたような気がするんだけど。それから少し経って妻が丈夫で思い椅子を持ってきた、僕は「来客は4時だったか」と 思った瞬間 外で自動車の駐まる音がした。今日の来客は僕の高校2年の時のクラスメート、日曜日の夜の妻の高校3年の 時のクラス会で約束を取り付けたらしい。TKとは12年間同じ学校に通って高校2年の時の1年間だけ同じクラスになった。 高校1年以前は仲良く遊んだ記憶はない。MYとは高校2年の時に仲良くなって中学の同級生以外としては(含めても?)一番 たくさんの時間遊んだ男だ。会社を辞めてからもいろいろ世話になった。部屋に入ってきた時に二人とはパソコンを 使って10分ぐらい話はしたけど、僕の相手をして待つのはやはり疲れるのだろう…それからは二人の相手は妻が してくれた。僕はチャットが嫌いだ…相手を待たせるから、チャットの相手も今日遊びに来てくれた二人のように 待つのは嫌だと思うから。それでも話せなくても有人と言える相手が遊びに来てくれるのは嬉しいものだ。以前は友人は いっぱい遊びに来て欲しかったが、もう世の中から消えたような存在の今はあまり思わなくなった。

4月15日 緊急代打
月曜日の朝のケアは10時半から。定刻5分前に社協のヘルパーKさんが来て最初に「今日は(訪問看護ステーションTの 代わりに訪問看護ステーションOの)M看護師が来ます」と。入院中は下剤をラキソベロンにしていたものを退院してから カマグ(酸化マグネシウム)に替えたからか、便意も便が下りてきている感じもほとんどなかった今日の僕にはM看護師の 方が丁度いいのかも。そしてKさんが洗顔をして脚のマッサージをし終えたところにM看護師が着いたから30分遅れ くらい、まあ緊急召集だから仕方ないか。
それから二人で清拭と排便介助。M看護師に清拭してもらうのは本当に久しぶりだったけれどいつもと手順も違うし… こんな感じだったか、だけどKさんはよく付いていってた。次に排便。最初に摘便してもらってもガスもほとんど 出なかったし「便に触れない」とのこと。そして浣腸したら何とかひと塊出たので安心した、最初の摘便が良い刺激に なっているようだ。ただ下腹に便汁が残っているような気がしたので摘便してもらったらその後仰向けになった時に 便汁が出た。それでほぼスッキリ。時計を見たらまだ12時半前、ケア時間内に収めるなんて流石M看護師。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師とYさん。久しぶりにこの二人に立たせてもらったけど…、脚にも力が入って 無事立てた。スライドボードを使って車椅子に移り庭向きにしてもらったけど庭の景色は一変、モチノキは坊主になり ユキヤナギの花はなくなり枝が伸びて葉が増えた。今日は雨で見栄えは良くないが、明日の車椅子移乗の時に見るのが 楽しみだ。

4月14日 妻 お出かけ
妻が昼は班のお花見(食事会)・夜は高校のクラス会があるということで午後はお出かけ、代わりは重度障害者訪問介護の ヘルパーさんが務めてくれた。11時半〜17時はAさん・17時〜翌朝7時半はSさん、Sさんは苦手で性格も合わないから 14時間半の長丁場は総てを諦めてるとはいえかなりしんどかった。
Aさんとは色々なことを話したし色々なことを頼んだ。Aさんが来てすぐに髭剃りと洗顔、どちらにもAさんの真面目な 性格がよく出てて何度も確認する馬鹿丁寧さ…思わず「もっと適当でいい」と言おうとしたが呑み込んだ。それから昼の 経管栄養を繋いで落としてもらって…見舞ってもらいながら個人的なことで雑談、それからしばらくはパソコンに 熱中してた。そしてAさんが帰る間際(午後4時半過ぎ)になって陰洗を頼んだ。その後だったか100均で買い物を頼んでいた MさんからAさんにテレビ電話がかかってきてネット・フックなどの物を確認した。ほんとMさんとAさんとは気軽に話せて 甘えてばかり。
一方Sさんと話すのは必要最低限、今度の入院で新たな辛抱を覚えたからそれで十分。余計な事を話すと腹立つことも 多い? 妻は思っていたより早く夜9時頃には帰ってきて、いつも通り顔を見せることもなかった。まあ顔を出して クラス会の楽しかった話をされても、僕はどんな顔をしていいのか分かんないからこの方が良い気もするけど。

4月13日 久しぶりの自宅でのケア
久しぶりの自宅での土曜日のケアは朝10時15分から。最初に僕の部屋に入ってきた訪問看護ステーションTのN看護師の 顔を見た時には「今日の洗髪大丈夫かな、洗髪するの初めてじゃなかったっけ」と心配になったが、続けて部屋に 入ってきたK会のヘルパーTさんの顔を見て「Tさんなら上手くフォローしてくれるだろう」と少し安堵した。19日ぶりに TさんにT字カミソリによる髭剃り・石鹸洗顔してもらっている間にN看護師はバイタルを測り脚のマッサージ、N看護師は いつもは拳で足の裏をゴシゴシするのに今日はなかったことが気になった。
洗顔が終わったら二人で洗髪と清拭・陰洗、Tさんが大分フォローしてくれていたけどN看護師の洗髪も悪くはなかった。 清拭の前にN看護師が呼吸器回路の水抜きをしてくれたのだけど、加湿器チャンバーとウォータートラップ間の回路に水が 残っていてコトコト鳴っていたのにN看護師は気付かなかった。清拭もTさんがフォローしてくれて丁寧でまあまあかな。 陰洗は差し込み便器を使って洗ってもらうのだけど今日も差し込み便器は斜め、差し込み便器の上がお尻の真ん中・下の 方がきっちり右太ももの下にだけ入り込むほど斜めになっていることに何故N看護師は気付かない。不思議だ。
昼からはパソコン三昧。この雑記帳とメールとFacebookに共通で使える文章を作った、長くなり過ぎたけど言いたい事が いっぱいあった。それから見たいドラマ動画もいっぱい、忙しい。



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3月
3月25日〜4月12日 入院
僕は世話をしてくれる人が365日・24時間側にいないと生きてはいけない、見方によっては妻の時間を奪うお邪魔虫。妻は 今左手首と両股関節を痛めている。今回は妻が左手に力が入らない & 指がしびれるとかで明日(26日)左手首の手術・ ギブス固定することになりお邪魔虫(笑)の僕は今日(25日)から入院、退院する日は妻の回復具合を見て決まるようだ。
そして今日(12日)の午後何事もなく無事に帰ってきた。僕には知らされていなかったが…どうやら4月12日退院が既定の ことだったようだ、入院する時に妻がやけに「退院延長」について言及していたから可笑しいと思っていたし 2週目に なってからは看護師達からは「12日退院ですね」と言われるようになったし 極めつけは先週カニューレ交換した時に 主治医から「来週もカニューレ交換しますか?」と訊かれちゃうし…「知らぬは僕ばかりなり」だったようだ。まあ2週間より 入院が長いと僕が「ゴールデンウイークのレスパイト入院の先取りなんて言っときながら長いじゃん」と揚げ足取って駄々 こねるだろうから、治療には時間がかかるという妻の判断でこうしたんだろうし仕方ないと世話される側のお邪魔虫は 思っていた(笑)。
妻の左手・左手首の状態は指根間神経を長年圧迫していた影響がまだ取れていないようで、手の指の痺れや力が入りにくい 現象が続いているようで左手の色も悪いようでまだ時間がかかるみたいだ。ついでに妻の股関節の手術の日程も6月4日に 決まったとのことで、妻からは「その前の週に麻酔の検査があるからその前に入院して欲しい」と頼まれた。病院の 看護師からも「次の入院は3ヵ月間ぐらいと長くなりそうですね、一緒に川棚の花火大会を見ましょう」と言われ、妻の 言った「手術後3ヵ月間は重い物を持つのは禁止と言われた」の意味が解った。だけど3ヵ月間もの入院だとたとえ家に 帰れても立つのはもう難しいだろうな、病院のリハビリで週に2回は立ってから車椅子に移るようになっているけど家での 訪問リハビリとは厳しさが違うから。まあこの病気になって長く生き過ぎている方・下半身だけだけどまだまだ動いている 方・呼吸も安定している方だから、妻の股関節が安定するためには仕方がないことだな。そして今の病院のリハビリの 先生は僕が自分で部位の筋肉を使う方向でおのおのの部位を動かしてくれるから気に入っている、時々家庭の事情で突然 休むのはいただけないけど僕の担当から代わらないでくれたらいいな。
それに次回の入院は長くなりそうなので以前使っていたNECのノートパソコン(Windows11にアップデート済み)を病院に 持ち込むつもりで今脚の運動をして鍛えようと準備している。ただ入力はどうしてもピエゾじゃないと無理みたいだ。 出来れば左足で入力したいものだがどうすればいいのか分からない。ともかく今は左足の親指と人指し指を動かす練習を するしかない…。
病院で過ごすにあたっては2つの問題があった。一つは病院では睡眠の取り方がかなり変わり夜の過ごし方が変わること、 僕は就寝前に睡眠剤を服用しても3〜4時間しか眠れないのだ。まあ病院では経管栄養の度に朝昼夕1時間弱寝ては いるが…。家では0時前後に寝るので目が覚めるのはまだ未明の3〜4時、1時間ボーっとしていれば朝5時になりパソコンを 始められる。でも8病棟(神経難病病棟)では消灯時間は午後10時(僕は特別に10時半から就寝介助)、それで目が覚めるのは それこそ未明の2〜3時、朝6時の起床介助まで長い長〜い。人の目では分からないくらいの微細な(でも自分にとっては かなり激しい)運動をしたり 昔の思い出に浸ったり空想したり心の中で歌を歌ったり 1から500まで加算暗算したり 二度寝をしたり 色々やってはいるのだけれども…なかなか朝が来ないので精神的にかなり苦痛なのだ。
もう一つ 8病棟の問題は時によって場合によってだがナースコールしてもかなりの確率で来ない。前回の入院までは10分 15分待ったら来てくれたのだが…今回はナースコールしても誰かが来てくれる気がしなかった、システムが変わった みたい。この病棟は人工呼吸器装着患者が50人ぐらいいるようで(僕のいた病室は四人とも呼吸器装着) 呼吸器装着患者は 簡易モニターを常時付けているのだけど、重大事故を防ぐためにかSpO2管理に変わったみたい。それにしてもSpO2が 下がる患者が多くてスタッフの持っている端末はアラームが鳴りっぱなし、「こりゃあナースコールしても来れないな」と 思ってしまう。ただ僕もナースコールして気管に痰が溜まってきても誰も来なくて苦しむ場面も4回あったからその時は 文句を入れようと思った。でも大げさにクレームを入れるとスタッフ全員の反感を買うから、その日の受け持ち看護師に だけに文句を言った。病棟看護師長以上に言わないと根本的な改善にはならないのだが、結構気遣いの正確なのだ(笑)。 普段はスタッフみんながよく声をかけてくれるし 入浴も含めてケアは不安なくしっかりやってくれるし 寝る前には僕の ことを理解して手脚の運動にも付き合ってくれるし、ナースコール対応さえ良ければ申し分のない病棟なのだけど…。
今年はソメイヨシノは見られなかった。今年のソメイヨシノは遅めの開花になって3月末に開花宣言が出た時には退院まで もてるんじゃないかと期待したんだけど 2日後に満開宣言が出て3日4日と春雷を伴う激しい雨、スタッフから「もう 散った」と聞いた。今日帰る時もスタッフから「葉桜を楽しんで」と言われ…、見事なくらいに花びら1枚も残っていない 葉桜だった。とは言っても僕が今年一度も桜が見られなかった訳でもないんだ。病院に向かう時に隣の波佐見町の桜の 名所枝垂れ桜の近く ナフコから田園の方に入ったところの川沿いにある早咲きの桜の散り際がリフト車の窓から ちらっとですが見えたし、病院のある川棚町の役場の後方 お寺の後ろの山に程良い大きさの山桜が綺麗に咲いていた。 今日病院からの帰りの道中でもたくさんの蓮華草・伸びてきた麦の穂・シバザクラ・蔵宿神社(祠?)の八重桜などいろんな 色や花が楽しめた。もう春本番だ。うちの庭にもミヤマキリシマの盆栽やハイビスカスの赤や黄色の花・リンドウや 月下美人なんかが欲しいのだが…世話が出来ないから。
家に着いてリフト車から降り部屋に入っている時に訪問リハビリのH先生も着いてすぐにリハビリ開始。まずベッドに 戻るための4歩の歩行運動、思っていたより踏ん張れてまあ歩けた。第一段クリア。次に脚の可動域運動、H先生が 易しく動かしてくれたからか思っていたより固くはなっていなかった。病院のリハビリA先生も広く動かしてくれたし、 ベッド上でのパワー系?の脚の自己運動が効いているのか。ともかく久しぶりのH先生のリハビリは独特かつ可動域運動 中心で激しく?とっても気持ち良かった。

3月24日 下剤が効きすぎた?
下剤は最近は毎夜カマグ(酸化マグネシウム)を服用してた。ただ今回は一昨夜カマグは服用せずにラキソベロンを10滴 服用したはずだ。今朝5時半前に目が覚めて1時間ほど経った頃からお腹が冷えた感じがしてしばらくした時、突然便意が 強くなってやや固い便が含まれた液状便がどばっと出て右前まで流れていった。幸い便がリハビリパンツをはみ出す こともなくてズボンが汚れることもなくて、また幸い便が出たのが日曜の7時前の夜間の重度障害者訪問介護の ヘルパーさんがいる時間で しかも今日は同行のヘルパーさんがいて二人で排便処理と着替をしてもらえることが出来る 幸運な日だった。今朝液状便が出たのは明らかにラキソベロンとカマグを併用して下剤が効き過ぎたのが原因だろう。 でも一昨日からラキソベロンとカマグの併用はしていない、もう今回は液状便は出ないと思っているのだが自信はない。 ただ今日便が出たから次の排便は水曜日か木曜日まで伸ばせる。問題は入院中ラキソベロンをいつどれくらい使うか、 ラキソベロンを使わなくなって1ヵ月近く経つからラキソベロンの無効効果はもうなくなってると思うのだけど。

3月23日 排便追加
朝5時半前に目が覚めてすぐにパソコンを初め、Facebookを確認しコメントを返した後は午前10時過ぎまでドラマ動画を 楽しんでた。土曜日のケアは朝10時15分から。初めにK会のヘルパーAちゃんが顔を見せて珍しく訪問看護ステーション TのT看護師が少し遅れてきた。T看護師とAちゃんのコンビなら安心して全てを任せられた。今日のケアのメニューは昨日 お風呂に入ったから本来洗顔・清拭・陰洗の1時間コースだったのだけど、ケアマネージャーに頼んで洗顔・背中拭き・排便 介助の1時間半コースに変えてもらった。
最初Aちゃんが洗顔している間にT看護師はいつも通りバイタルを測り胸を聴診して脚をマッサージ。それから二人で 背中拭きと排便、背中拭きでは着替もしてもらった。背中拭きと着替をするのなら上半身を清拭するのとあまり時間は 変わらなかったのかもしれないけど、少しでもケアの時間を排便に回したかったから背中拭きだけにした。排便は浣腸液 1本を2回に分けて、最初にT看護師に摘便してもらった時は大きなガスが1発出た。1回目に液半分の浣腸をした時には 便は出かかったけど結局ガスが数発出ただけだった。だけど木曜日と同じように便が下りてきている感はあったので T看護師に摘便で出してもらった、どのくらい取れたか分かんないけど。そして残りの液を浣腸、すると腰を上下させたら 自分で便を出せた。その量は結構あったとのこと。自分で出せたら便の量は結構多いようだ、まあ自分で便を出すのが 難しいのだけど。ケアが終わったのは11時40分前、それから片付けをしたので終わったのは正午近く。時間内に 片付けまで終わらせようと努力はしたつもりなのに。
土曜日の午後からはいつもの様にパソコン三昧、ドラマ動画を楽しんだ。そして午後5時からは夜間の重度障害者訪問 介護、担当はAさん&Mさん(Tさんが翌朝7時半まで同行)。同行は何か面倒くさいけど仕方ない。それにしてもAさんは Tさんに対する説明が長いからケアに時間がかかる、それも面倒くさかった。まあそれもAさんの真面目な性格から 考えれば仕方のないことだと思う。Tさんも細かいことまでこつこつとメモを取るから真面目な性格なのだろう、好感は 持てた。実は夕方5時前にAさんとTさんが来た時に二つのことを提案された、@今日の夜間の吸引・排尿・手足の マッサージ等のTさんを参加させて欲しいA明日のOさんにTさんを同行させて欲しい。@はケアが長くなりそうで 面倒くさいので断った。Aは入院前日ぐらいはゆっくり眠りたいので断った。Tさんが早く独り立ちするには不利だけど… 自我を通させてもらった。

3月22日 Webカメラ不能
Webカメラで朝の庭の風景を撮ろうと思って昨夜の重度障害者訪問介護のヘルパーさんにカメラの位置合わせをして もらったのだが、朝カーテンを開けてもらってパソコンでWebカメラを起動させてみたらまだ朝5時だから当然真っ暗。 6時にカメラをアクティブにして見たら空が白みかけていて、朝日が横の板壁に当たり始めた時にパソコンのカメラ画面を 見たら窓ガラスに光が反射して虹が見えて…外の景色は真っ白になってほとんど分からなかった。何てことだ。
今日は朝から息苦しい感じがしてた。初めは吸引が長かったのが理由だと思っていたのだけど、痰が肺の奥かどこかに 引っかかっていたようだ。それが分かったのは朝10時過ぎからの入浴車の時だったかな。今日の入浴車のスタッフは 看護師のFさん(ケアマネージャー)とHさん・ヘルパーのMaさんとMoさん、今日のF看護師の挨拶が「お久しぶりです」と… F看護師の話をしたのも先週の初めだったな。
今日も浴槽にお湯が溜まるまでにH看護師が脚のマッサージをしてくれて、その後は看護師さん二人が万歳と左側臥位に なってタッピングしてもらってから吸引してもらった。それからみんなにスライドボードを使ってベッドから浴槽に 移してもらった。お湯に浸かるとかなり熱くて…でもすぐに熱さにも慣れた。そしてゆっくり温まりネットを上げて もらってみんなに身体を洗ってもらった。今日のネットは入浴車に付属のネット、水曜日のネットは幅が広い割には 長さが足りなくて胸が浸からなかったけど…今日のネットは長さは十分でも幅が狭くて肘がロープに当たって痛かった。 身体が洗った後はもう一度お湯に浸かってシャワーで胸にお湯をかけてもらって少し汗が出るまで十分に温まり お風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂だった。
午後2時からかかりつけ医T先生の往診があって、午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。まずはベッドの右端に 端座位。なんか端座位するの久しぶり、背中から何か当りものが取れて気持ち良い〜い。端座位してる時にユキヤナギの 花がちょびっと見えた、昨日が見納めと思っていたのだが。次は立位運動3回、今日は1回目からH先生は太ももの筋肉を 使わせた。だけど腰伸ばしはほぼH先生にやってもらったって感じ、僕も腰をピンと伸ばし続けようと努力したつもり だけどなかなか…。最後は脚の可動域運動、股関節の屈曲運動では後半股関節の内側がまあ痛かった。膝の裏伸ばしも 結構痛かったし踵伸しもかなり痛かったけど入院前はこれが最後、こんな痛みもまたいいか。

3月21日 ユキヤナギの花も見納め?
木曜日の朝のケアは9時45分から。定刻に遅れること15分して訪問看護ステーションOのM看護師が来て妻と話してた。 その後すぐに洗顔を始めたのだがM看護師の洗顔は上手くて早い、10分しないうちに終わった。洗顔の途中でK会の ヘルパーMaさんが着いて、洗顔が終わったら二人で背中拭きと陰洗。M看護師の背中拭きはいつも通り右腕を上着から 脱がせて力強く丁寧に首まで拭いてくれた。
次に排便、最初にM看護師に摘便してもらうとガスは結構出たけど便が出る気配もなかった…M看護師が少しは取り出して くれたかもしれないが僕には取れたかどうか分からなかった。そして1本目の浣腸、これでガスは出たけど便はまたもや 出なかった。それでも便が下腹に下りてきた感じがあったのでM看護師に摘便で掻き出してもらった、どのくらい出たかは また分からなかった。そして2回目の浣腸、これで幾らかは自分で出せたけど…途中で止まった残便をまたM看護師にもう 一度摘便で出してもらった。ほんと僕はもう自分で便を出す方法を忘れてしまったみたい、嫌だなあ。
午後3時過ぎからは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。今日も車椅子に移る前に二人に立たせて もらったけど結構上手く立てたと思う、やはりこの二人のコンビは立たせるのが上手い。車椅子移乗はスライドボードを 使って車椅子に移った。車椅子は庭向き、今日はユキヤナギの花の色 白と南天の実の色 赤が目立っていた。庭のこの 景色を見ることか出来るのは今年はこれが最後だろう。

3月20日 春分の日
今日は春分の日、祝日だけどケア(入浴車と訪問リハビリ)はいつも通り。今日はお彼岸なので「忙しいのに実家とうち 両方の墓参りに行かないといけない」と僕に愚痴をこぼした。僕はなんにも出来ない…。
朝10時過ぎからは入浴車。「今日は風が冷たい」と誰かが言った、パソコンに表示されてる外の温度は昼でも10℃… 「寒い」と言うはずだ。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとY子さん・ヘルパーのKさんとNiさん。「今日は簡易浴槽の ネットを持ってきた」とKさんが言った、ネットの使い心地は「幅はこのネットの方が広くて肘は痛くならないけれど、 長さが短くて胸までお湯に浸からない」。
いつもの様に浴槽にお湯が溜まるまでにY子さんが脚のマッサージをしてくれて、その後に看護師さん二人が万歳10回・ 左側臥位になってタッピングしてくれてから吸引。それからみんなにスライドボードでベッドから浴槽に移して もらった。浴槽の中に入った瞬間は結構熱く感じたけどしばらくしたら慣れて丁度いい具合になった。浴槽の中で ゆっくり温まってからネットを上げて全身をくまなく洗ってもらい、もう一度お湯に浸かって十分に温まりお風呂から あがった。浴槽の中ではネットを下げてもネットが短いからか胸までは浸かることはなく、ずっとシャワーで胸にお湯を かけてもらっていた。お風呂からあがってもしばらくは汗がひかなかった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、今日は脚の可動域運動と立位運動3回。脚の可動域運動を始めたところで妻が 「お寺と納骨?に行く」と声をかけた。まずは股関節の屈曲運動、右股関節はそうでもなかったけど左股関節は後半内側が 痛かった。膝の裏伸ばしは右側が痛かったかな。踵伸しは両足ともかなり痛かったけど何とか耐えきった。その後の 立位運動はベッドの右端から立ち上がる時に1回目→2回目→3回目になるに従ってだんだん太ももを使うようにH先生が 立ち上がらせてくれて、太ももの筋肉を大分使った。今日は立ち上がった時に腰を伸ばそうと努めたつもりだ。

3月19日 代打
火曜日のケアは朝9時半から、定刻5分前に社協のヘルパーYさんと訪問看護ステーションOのKh看護師が顔を見せた。 Kh看護師の顔を見た瞬間M看護師の言葉「19日は休みを取るから代わりにKh看護師が来る」を思い出した。それに今週は NiさんWeekと思っていたのだけれどYさんが来た理由に思い当たった、「Kh看護師とNiさんの不慣れなコンビじゃケアが なかなか進まないだろう」と懸念してベテランのYさんを寄越したのだろう。いつもの様にYさんが洗顔している間に Kh看護師はバイタルを測り脚のマッサージ。洗顔の後は二人で背中拭き・陰洗と車椅子移乗、背中拭きと車椅子移乗は Yさんがかなりフォローしてくれていたように感じたけど…妻の反応を見ると時間はかなり?オーバーしたようだ。
車椅子は火曜日は庭向き。ユキヤナギの花は窓の枠で見にくかったけど少しずつ目立ってきた。南天の赤い実は今日は 曇り空だったからか輝きはもうひとつ、それにしても長くもつものだ。11時前に訪問リハビリのH先生が来て車椅子に 座ったままでリハビリ開始。まずは左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、ベッド上での右上半身の可動域運動の時も 同じだったけど外転からの腕挙げがかなり痛かった。今日は全体的に痛みを強く感じた。ベッドに戻る時の4歩の歩行 運動はH先生の肋骨の具合が思っていたより良くなかったそうで中止、代わりにベッドサイドで一度立たせてもらってから ベッドに横にしてもらった。H先生には長年担当してもらっているのだからこんなこともあるさ。
午後2時半からは訪問歯科、今日も歯科医と歯科衛生士さんが来た。歯の掃除は先生がしてくれて 歯ブラシ→歯間ブラシ →諸々の先の小さな形状のブラシ、先生が左下奥歯の歯茎の腫れを確認したところ腫れはなく赤い所が小さく なってると。ということで処置は現状維持で僕の意見(左下奥歯のブリッジを残す方向)をひとまず尊重するとのこと。 僕もひとまず良かった。

3月18日 十分
月曜日の朝のケアは10時半から、担当は訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNiさん。今朝4時前に1度目に 目が覚めた時からなぜだか少しお腹が痛い感じがあったから今日は便が出そうな気がした。今日もいつも通りNiさんが 洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸とお腹を聴診した後お腹と脚のマッサージ、Niさんの髭剃りと洗顔は今日も もうひとつと感じた。それから二人で清拭、今日の清拭も手足の指の間・身体の隅々まで丁寧に拭いてもらって 気持ち 良かった。
そして最後は排便、時計を見ると11時半を過ぎていて「やばい、急がないと」と思った。T看護師の最初の摘便で久しぶりに ガスがいっぱい出て、1回目の液半分の浣腸で珍しく自分で便を幾らか出せた。それから摘便で残便を出してもらい 2回目の液半分の浣腸を、それで便は少しは自分で出せたものの便が途中で止まりそうになったので…T看護師にお腹を 押してもらって便が少しずつ出てきた。その後に残りの便を摘便で出してもらって…T看護師に「どのくらい出た?」と 聞くと「さっきのと合わせて(両手)2杯」との答え、十分だ。その後洗ってもらってから時計を見ると12時40分、また オーバーした。申し訳ない。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とYさん。今日も二人に立たせてもらったけど脚に力も入って上手く立てたと 思う。それからスライドボードを使って車椅子に移った。車椅子は庭向き、チビが座敷の外のコンクリートの上に 寝ているのが見えた。ひと回り小さくなってるように見えた、マルの死がこたえているのか。僕も「マルは死んだの?」と 聞かれた時は涙がこぼれそうになり、石の上のお供えの器を見た時には「マルは中の水を飲んでいたな」と思い出し涙が あふれ出しほおを伝わり落ちた。モチノキの葉は少し少なくなっていて枝が目立ち始めていた。ユキヤナギの花は 増えてはいたけれど一昨年の見事さとは比べようもない。南天の赤い実は太陽の光を受け輝いてはいたけれど…粒が少し 小さくなったみたい。庭を見ているとどうしてもマルを思い出してしまう、寂しい。

3月17日 また先に逝くのか
我が家の外猫マルが5日ほど前から腎不全で危篤状態、朝8時過ぎに部屋に来た妻に「マルは?」と聞くと「虫の息」「今日を 乗り切れるか」と。この数日点滴で命を繋ぎ止めていただけだから、動物病院が休みの今日を乗り切るのは難しいか。 マルもまた先に逝くか、運命と考えるしか仕方ないのだろう。元々野良猫のマルはうちに居ついて妻に可愛がられ、 安定したご飯と安定した居場所を与えられ幸せだったと思う。そう考えないとやるせない。マルは妻の懸命な看護の 甲斐もなく正午前に息を引き取った。内猫?チビはこの数日夜は帰ってこなかったという、チビなりに何かを感じて いたのだろう。チビにとってはこれが三度目の別れ、リン モモ(母猫) マル 母猫との仲はもうひとつだったがチビは リンともマルとも仲が良くてよくじゃれ合ってた。また一人、寂しいだろう 妻も。
猫の腎不全、リンも9年前の5月1日腎不全が起因で動物病院で亡くなった。妻が遺体を引き取ってきてくれたのだが…、 リンの身体は息していた時と同じくらいに温かかった。僕は忘れられない、9年前の4月29日の朝6時半頃にリンが発した 断末魔?の声を。もう体力が弱って大きな声は出せないはずなのに びっくりするくらい大きな声で叫んだのだ、まるで 「お母さん来て」と妻を呼んでいるかのように。僕は急いでコールを鳴らし妻を呼んでリンのいるゲージを妻が常時いる 居間の方へ持っていってもらったのだけれど…、今考えるとあの叫びは「もっと生きたい」と言っていたのかも。
ペットの終末期は家と動物病院 どちらで過ごすのがペットにとっても家族にとっても幸せなのか。動物病院の方が痛みを 抑えられる可能性があるし少しは長生きする可能性もある、正し家族と一緒にいられる時間が短くなる。家にいたら逆、 一緒にいられる時間は増えるけどペットにかかる負担は大きくなるし命の危険も大きくなる。 どちらを選択するのが正解か。

3月16日 お腹が張ってる
昨日からお腹がなんだか張っている感じがしていた。だからなのか今日の未明変な夢を見た、ゲップが出続けて全然 止まらない夢。目が覚めてもゲップがずっと出続けるようで怖かったけど、きちっと目が覚めて深く息をしたらゲップが 出てないのが理解出来て生き返ったように呼吸が楽になった。それでもお腹の張りはまだ大いに残っているようだった。 朝になってもお腹の張りが収まっていなかったので「ケアの時にガスを出してもらおう」と決めた。
土曜日のケアは朝10時15分から、担当は訪問看護ステーションTのK所長とK会のヘルパーFさん。今日のケアのメニューは 本来は洗顔・洗髪・清拭・陰洗だったんだけど…洗髪を抜いて浣腸を入れてもらいお腹のガス抜きをしてもらうことにした。 まずはFさんが洗顔している間にK所長はバイタルを測り胸とお腹の聴診をしてその後脚のマッサージ。それから二人で 清拭、出来るだけ時間を短くするためになんの注文も付けないつもりだった。だけど清拭する前に「浣腸は液を半分に する」と伝えたかっただけなのに…文字盤が苦手なK所長にそれだけ伝えるのにかなりの時間(5〜10分)がかかり、結局 Fさんが通訳してくれた。清拭はほぼスムーズに行き最後はお腹から少しでも多くガスを出すために液半分の浣腸、それで ガスも出たが便も少量出てきた。そこでついでにK所長に摘便で肛門付近にあった便を出してもらい残り半分を浣腸。 これにより自分で少し便を出すことが出来、K所長に下腹に残った残便をお腹を押しながらの摘便で出してもらった。 K所長曰く「さっきのと合わせて茶碗一杯は出た」と。今日はガスだけでも出ればいいと思っていたのに便も出て…、 今日のお腹には十分過ぎる。
昼からはケアもないのでいつも通りパソコン三昧。見逃しドラマ・懐かしのドラマ・アニメ、と言ってもほとんど テレビでは見たことないんだけど。

3月15日 通院日
今日は朝から良い天気、朝日が顔に当たって暖かく 気持ちの良い朝でした。
今日は通院日、午前11時半前に社協のヘルパー二人が来て外出準備。最初に玄関にスロープを設置して、それからYさんが 洗顔・Niさんは脚のマッサージ。そこに訪問リハビリのH先生が着いて、Niさんは脚に装具を付けてその後H先生と Niさんの二人で頸に装具を付けてからH先生が僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。そして妻が吸引して くれたのだが…痰が気管から右肺にかけてのどこかに引っかかってる感じがしていたので時間をかけて上手く取って くれた。部屋を出る時に時計を見ると12時15分といつもより遅い、気管からの痰取りとNiさんの不慣れなことによる 段取りの悪さに時間を食った。まあいつもの慣れてる二人が早過ぎるってのもあるんだけど…。いずれは要領の悪い Niさんも独りで同行になるのだろう、本当に大丈夫か。Niさんを見ていて不安が募る。
玄関から外に出ると空は青空で良い天気、絶好の外出日和。リフト車に乗り込む際にお隣の塀際の細長い花壇を見ると 花はなんにもない、ただ石垣の間に黄色いタンポポが1個見えただけだった。お隣の花壇になんにも花が咲いてないなんて 珍しい。家を出てすぐにご近所の椿の花が見えてそれからは路傍には花はなんにもなし。水の張ってある田んぼが二面 あって…「3月中旬なのにもう田植え?」と思った。しばらくすると線路沿いに菜の花が見えて、2つ隣の病院のある町に 入ると菜の花がいっぱい咲いてて鮮やかな黄色がいっぱい見えた。隣町に入ってしばらくすると黄色や白の水仙が 見えた、もう3月の中旬になるのにまだ水仙が咲いているのか。
病院に着くと玄関でリフト車を降りて救急処置室に向かうと2部屋とも使用中、廊下で車椅子からストレッチャーに 移してもらい初めての診察室に通された。まずバイタルを測り終えてそれから血糖値を確認するために血液検査。ここは 想定出来たけどここからが想定外、踵のレントゲンを撮りに行った。ずっと寝ているせいで左踵のすぐ左の皮膚?が しょっちゅう痛むと言ってたからだろうが皮膚科じゃなくて何故踵のレントゲン?、痛む左踵の左側の患部の皮膚を 厚くするしかないと思うのだが。診察室に戻ってしばらくすると主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)、それから 主治医と妻とが話をしている中で「入院中に整形外科に診てもらいましょう」という声が聞こえてきた。この時も何故 整形外科かと思ったけれど…。診察が終わってすぐにヘルパーさん二人に脚と頸に装具を付けてもらって廊下で ストレッチャーから車椅子に戻してもらい玄関でリフト車に乗り込んだ。出発した際に玄関前の池をチラ見したら亀が 5-6匹甲羅干ししていて混み合って1匹が落ちそうになっていた。
帰途の道中リフト車の車窓から今度は桜の様子を見ていた。病院内の桜の蕾が膨らんでいるようには見えなかった。 途中の波佐見川?のほとりの早咲きの桜は僕には咲いているようには見えなかったが…ヘルパーさんは「花が咲いている」と 言っていた。家に着いた時は庭の真ん中(駐車場)でリフト車を降りてしばらく庭を眺めていた。うちの庭にも花の小さな (普通の1/5くらい)白い水仙が沢山と普通の黄色い水仙が1輪咲いていたし、ヒヤシンス(1株?)と名も知らぬ花々が結構 咲いていた。ヒヤシンスって地面に咲くとほぼ平らになるんだ、ガラス瓶の中のヒヤシンスしか知らなかったから 珍しくて初めは何の花か分からなかった。見方が違うとこんなもんなんだ。部屋に入り時計を見ると午後3時10分、 H先生もすでに来ていて庭の駐車場で待ってくれていた。今日は出かけ前の気管吸引で痰がどこかに引っかかった感じで 時間がかかったしヘルパーさんが出発準備に不慣れなこともあって出発がいつもより合計15分ばかり遅れ、病院でも 検査があって家に着くのがいつもより40分遅れになっていた。
H先生が中学3年生とのサッカーの壮行試合で肋骨を痛めたとかで今日の車椅子からベッドへの移乗は4歩の歩行運動は なし。ベッドに戻ったらすぐに脚の可動域運動、股関節の屈曲運動は股関節の内側が痛みはしたけど十分耐えられた。 膝の裏伸ばしも今日はちょっと長めだったけど痛みは我慢出来た。踵伸しはどうだったかな、かなり強い痛みは あったけど時間は短めだったから我慢出来たのかな。

3月14日 何とか出た
木曜日の朝のケアは9時45分から。定刻ちょっと過ぎに訪問看護ステーションOのM看護師が部屋の障子を開けて入ってきて 顔を見せた。すぐにバイタルを測り胸とお腹の聴診をして脚をマッサージ。そしてしばらく話しをしてから洗顔に 取りかかった。洗顔の時に右こめかみの所の時々痒みの出る出来物を擦りすぎたのか一部から出血したらしいのだが…。 洗顔が終わってしばらくするとK会のヘルパーMaさんが着いて それから二人で背中拭き、いつもの様に右腕を脱がせて 首まで力強く丁寧に拭いてくれた。
最後は問題の排便,今日も便意は弱くあまり便が下腹に下りてきている感じも少なかった。M看護師にまず摘便して もらったのだがガスが少し出ただけだった。それに1回目の浣腸でもガスしか出なかったけど便が下りてきた感じは 出てきた。それを摘便で出してもらおうと思ったのだが、固い便しか指に触れなかったとかでそれしか取れなかった らしい。それで2回目の浣腸、珍しく自分で「量は分からなかったけど」2回出せた。それでも下腹にまだ残っている 感じだったのでM看護師に再度「お腹を押しながらの摘便」を依頼、その結果も含めてM看護師曰く「たっぷり出た」と… 僕にはそんな感触は全くなかったけど。ただこれでお腹もほぼスッキリ。今日もケアに2時間近くかかった、今日は 便は出たようだが…駄目だ。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。木曜日の車椅子移乗は看護師とヘルパーに 立たせてもらってから。二人に立たせてもらったけど今日もまあまあ調子良かった、腰を真っ直ぐ伸ばせたのは 一瞬だったけど。それからスライドボードを使って車椅子に移してもらったら車椅子は庭向き。最初に目に入ったのは ユキヤナギの花、月曜に見えたのは見間違いじゃなかった。今日は晴れていたので南天の赤い実は輝いて見えた。梅の 木から花はなくなっていた。モチノキは黄色い葉っぱが先週より多くなっていた。
1時間後まず顔を見せたのはNiさん、ベッドを整え右脚に装具を付けてM看護師の来るのを待った。それから二人で スライドボードを使って車椅子からベッドに移してもらったのだが…ひと言で言ってNiさんは力も弱いし要領も悪い。 つい重度障害者訪問介護のことを思いだした。

3月13日 入浴車
朝10時過ぎから入浴車。今朝目が覚めてからすぐに迷惑メールを着信拒否メールに登録して、それから入浴車が来るまで ドラマの動画を楽しんだ。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとHさん・ヘルパーのMさんとKさん、先週の 金曜日とスタッフはたった1人替わっただけだけど安心感が全然違った。今日も浴槽にお湯が溜まるまでにH看護師に脚の マッサージをしてもらって、それから二人で万歳と左側臥位になってタッピングしてもらった後に吸引してもらってから スライドボードでベッドから浴槽に移してもらった。そしてお湯に浸かると最初は熱く感じたが間もなく慣れた、お湯の 温度は43℃? ゆっくり温まってからネットを上げてもらいみんなに全身を洗ってもらって、それからもう一度お湯に 浸かって十分に温まってからお風呂からあがった。今日も少し汗をかいた。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。今日は下半身の可動域運動と立位運動3回。まずは脚の可動域運動、股関節の 屈曲運動では股関節の内側が結構痛かった。膝の裏伸ばしは今日はそれほど痛みが強くは感じなかった。踵伸しは今日は かなり痛かった。立位運動の1回目と2回目はH先生に完全に立たせてもらった感じだったが、3回目はH先生に大いに 太ももを使わさせられた。

3月12日 梅の花も終わった
火曜日のケアは朝9時半から、定刻に訪問看護ステーションOのM看護師と社協のヘルパーNiさん(Kさんが監督)が部屋に 入ってきた。最初にNiさんが洗顔・M看護師はバイタルを測った後に脚をマッサージ。Niさんの洗顔は全般的に渡って もうひとつかな、髭剃りは鼻の下が今日も剃りにくそうだったし洗顔は拭き上げをもう一度して欲しかった。次に M看護師とNiさんの二人背中拭きと陰洗。朝6時過ぎに夜間担当の重度障害者訪問介護のヘルパーMさんが帰った頃から 気管切開穴右からの痰の横漏れがひどくなって、シャツの右肩部分も濡れていたようなので背中拭きの時に上着も換えて もらった。陰洗はNiさんも段取りさえ覚えれば出来るかな。
車椅子移乗はスライドボードを使って車椅子に移る。車椅子は庭向き、ユキヤナギの花は見間違いだったようで なかった。老白梅の花びらもほぼ終わった、1ヵ月間僕を楽しませてくれた。今日も曇り空だったからか南天の赤い実は 輝いているようには見えなかった。こんな景色を眺めながら11時前から訪問リハビリのH先生が上半身の可動域運動と 4歩の歩行運動をしてくれた。可動域運動は車椅子上よりもベッド上の方が痛かった。4歩の歩行運動は脚に力は 入ったけれど…なんか変な感じだった、距離が近かったからか。でも歩行運動はまあまあ かな。
午後2時半からは訪問歯科、口の中のケアが終わった後の結論は左下奥歯のブリッジの真ん中(歯のない部分)と歯茎が 当たる所のブリッジを削るために大学病院か嬉野医療センターで処置を受けろと言う。断った僕を妻は「気が小さい」と 言ったが僕が恐いのは処置ではない、僕が本当に恐いのは「処置した時に歯ぎしりしても音が出せなくなる可能性が あること「と「娘に遺すつもりの金歯のブリッジを削られて軽くしたくはないこと」。これだけは譲りたくなかった。

3月11日 珍しく? 出た
今朝も5時前からパソコンを始め10時前に眠気が襲ってきたのでパソコンを終わらせ目を閉じていた。今日の朝のケアは 10時半から。珍しく訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーのKさんの二人ともが定刻より遅れて部屋に 入ってきた、Kさんの月曜日のケアはなんか久しぶりのような気がした。いつもの様にKさんが洗顔している間にT看護師は バイタルを測り胸の聴診をしてお腹を重点的にそれと脚をマッサージ。それから二人で清拭と排便介助。清拭のやり方と 丁寧さとかは土曜日のN看護師とはやっぱり違う…気遣いが。N看護師の時はケアが長引くのが嫌だったからあれこれ口を 出すことはしなかったけど…、文字盤も時間がかかるし。
ケアの最後は排便、先週よりは下腹に便が下りてきている感じはあったけど便を出せる自信は全くなかった。1回目の 浣腸で珍しく少し便が出たのは出たが途中で止まって出せなかった。それをT看護師に摘便で幾らか出してもらって 2回目の浣腸。これでまあまあ出たのだけれどまた途中で止まってしまって…再度T看護師に摘便してもらって下腹に 下りてきている分の便は出た。これでどうやら次の排便日(木曜日)まではもてると思って排便は終わりにした。時刻は 12時半を過ぎていた、10分ぐらいまた時刻を読み誤った。
午後3時からは車椅子移乗、担当は今度もT看護師とKさん。二人に立たせてもらうこともスライドボードで車椅子に 移ることも安心して任せられた。車椅子は庭向き、南天の赤い実はまだ丸々さを保っていた。老白梅の花びら少しはまだ 残っていた。ユキヤナギは二〜三個花が付いているように見えたが…ユキヤナギの花が咲くのはこの時期だったかな、 去年は梅の花が咲く前だったような。

3月10日 日曜日はパソコン三昧
日曜日は夜間の重度障害者訪問介護以外はケアは来ない。だから通常は妻がケアしてくれているのだけれど面倒になって きたから先週からケアはもう断ってる。手首と両股関節を痛めている妻の日曜日のケアはもういいや。どうしても 洗顔して欲しいのなら夜の重度障害者訪問介護のヘルパーさんに頼めば済む…ことだ。
今日の朝5時からパソコンを始め一日中動画を見てドラマ三昧。この1年で目がかなり悪くなったようでパソコン画面では 文字は太字以外はほとんど見えないのだ。だから文字の多いgacco講座を受講するのは難しくなった。他にも 出来ないことがあちこちに。それ故に動画鑑賞に逃げた…。

3月9日 疲れる
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻5分前に部屋の障子を開けて入ってきた訪問看護ステーションTのN看護師とK会の ヘルパーFさんの顔が見えた。その瞬間「何故今日もこのコンビなのか、他の組み合わせもあっただろうに」と思ったが…、 N看護師の駄目さ加減を今日もヘルパーのFさんが日頃になく珍しくフォローしてくれた。それにしてもN看護師の気付きの なさは何だろう、清拭の時の寒さ対策はどっちもつかずだし陰洗の時の差し込み便器も便器の後ろも右太ももの下に 斜め、ベッドを壁にひっつける時も手首から手か出てるのに気付かずにベッドを壁にくっつけて壁とベッドの間に手を 挟む。Nさんはこんな調子で40年以上?看護師をやってきたのか、驚きもあったけど呆れたというのが正直な感想だ。
土曜日は午後のケアはないからゆっくり動画を楽しんだ。そして午後5時から夜間の重度障害者訪問介護、担当はMさん。 これから半日以上、疲れそう。

3月8日 大惨事?
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。新しい入浴車になってから10分ぐらい遅く来る傾向にあったから油断して パソコンを続けていたら、定刻に来たので大慌てでパソコンを終わらせた。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんと Hさん・ヘルパーのMaさんとNiさん、ちょっと頼りなく?見えそうなメンバーだけどもう慣れただろうから大丈夫だろうと 油断してたかな。今日も浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・万歳・左側臥位になって タッピングしてもらってから吸引してもらって、スライドボードを使ってベッドから浴槽に移った。ネットを下げて もらいお湯に浸かると久しぶりにあっちっち、しばらくしたら熱さにも慣れた。お湯の中でゆっくり温まり、ネットを 上げてもらいみんなに全身を洗ってもらってもう一度お湯に浸かって足し湯と胸へのシャワーで十分に温まってから お風呂からあがった。
ここまではいつも通りで順調だった。着替を済ませバイタルチェックをしているところで大きな声がした「お湯が 止まらない」と、タンクの供給口が閉まっているかどうかを確認せずにシャワーのホースを外したからお湯が出てきた とのことだ。噴き出したお湯の量は多量だったようだ、フロアーマットの裏側までずぶ濡れだったらしいし敷居も 濡れていたらしい。フロアーマットをベッドを動かして剥ぐって干し、午後4時に入浴車のスタッフがフロアーマットを ベッドをまた動かして敷きに来てくれた。こうして入浴車始まって以来の珍事が幕を閉じた。
午後2時からかかりつけ医T先生の往診があって今日の行事はこれで終わり、今日は訪問リハビリのH先生は有給で 休みだからリハビリも休み。H先生は今日長男さんの卒業式に出席するとのこと、ほんとH先生は家庭想いの強い 理学療法士だ。まあこの家庭想いの強さは限日本社会の風潮になっていると思われるがH先生はその先駆け的存在だろう。 僕がまともに社会生活出来ていた時期まではそんな風潮を実行に移す人は珍しかったと思うけど。僕が生活していた 時代は「男は家庭を守る=仕事第一」の時代だったから。

3月7日 出たの?
木曜日の朝のケアは9時45分から。少し遅れて訪問看護ステーションOのM看護師が来て僕から「踵がかなり痛い」という話を してから洗顔開始。洗顔が始まってすぐにK会のヘルパーAちゃんが来た、それだけ踵の話を長くしていたということか。 洗顔が終わったら次は二人で背中拭き、今日もM看護師の背中拭きは片腕脱いで丁寧に力強く背中はもちろん首まで 拭いてくれて気持ち良かった。
最後はいつも苦悩している排便、今日は下腹に幾らか下りてきている感じはあったけど便意はほぼなかった。M看護師の 最初の摘便で幾らかガスは出たけれど「便には届かない」と言うことだった。それから1回目の浣腸をM看護師をして もらったのだが結果は同じで出たのはガスだけだった、ただ便は肛門近くまで下りてきた。それでM看護師が摘便して くれたのだが「固い便がある」とは聞こえたけどどのくらい取れたのかは自分では分からなかった。その後も僕には下腹に 残便感があったしM看護師からも「便が軟らかくて逃げて取れない」と言われたしで2回目の浣腸、それで軟便が幾らかは 出たがまた途中で便が止まった。その時に僕は「自分で便を出す自信が全くない」ことを自覚した。それからM看護師の 懸命なお腹押しと摘便で残便も出たのだけれど…どのくらい出たかはまたもや分からなかった。午後の車椅子移乗の時に M看護師に聞いたのだけど今日は「便はいっぱい出た」とのことだった。1週間以上便が上手く出てなかったら下剤の 使い方をもう一度考え直すべきか迷っていたけれど、もうしばらくはカマグ(酸化マグネシウム)だけでいこう。
午後2時から急遽訪問歯科。僕が気になっていたのは左下奥歯の一番奥の歯と歯茎の内外・6-7番間の歯茎、ところが 歯科医は5-6番間の歯茎の腫れを気にして治療していった。そして「腫れが収まったらブリッジの底(6番の歯相当)を 削って歯茎との間に隙間を作る」という。確かに5-6番間の歯茎の腫れ・6-7番間の歯茎の腫れの一部は治まるかも しれない。だけど僕が問題だと思っているのは一番奥の残ってる歯だ、歯茎の表面に出ている部分はほんのちょっとだし ブリッジの基礎にはなっていないのかもしれない。左下奥歯のブリッジは左下5番だけで支えているのではないかと僕は 思っている。以前の左下奥歯のブリッジは一番奥がぐらぐらしたり浮いたりしていたが、今度の金歯のブリッジが しっかりフィットしていればいいのだが…しょっちゅう左下奥歯の一番奥の歯茎が腫れるところをみるとどうもそうでは なさそうだ。何にせよ僕は今のブリッジを騙し騙し死ぬまで使うことを希望している、死んで火葬された時に娘に左下 奥歯のブリッジを残せたらいいなと思って。金歯あと二つあるから息子達にはそれらを…。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーのKさん(Naさんは見学)。Naさんは体幹も強いし力もあるから すぐに出来ると思う。木曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから。M看護師とKさんに立たせてもらった時に腰は きっちり伸ばせなかったけどまあ上手くは立てたと思う。スライドボードで車椅子に移って庭が見える向きに座らせて もらった。老白梅の花・花びらはまだ多くはあったけどかなり小さくなっていた。ユキヤナギの枝が幾分伸びているように 見えた。曇り空だったからか南天の実の赤が少しくすんでいるような気がした。こうやって1時間庭の景色と居眠り?を 楽しんだ。

3月6日 新しい入浴車
朝10時20分頃から入浴車、新しい入浴車になって2回目利用になるが今日は浴槽の上に張るネットを新しい入浴車に付属の 物に替えたそうだ。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとYさん・ヘルパーのKさんとNaさん。いつも通りお湯が 溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・万歳・左側臥位になってタッピンしてもらった後に吸引してもらって、 みんなにスライドボードを使ってベッドから浴槽へ移動してもらった。ネットを下げてお湯に浸かると丁度いい温度、 気持ち良かった。ゆっくり温まってからネットを上げてもらいみんなに全身を洗ってもらって、もう一度温度を上げて もらったお湯に浸かって足し湯と胸へのシャワーで十分に温まってからお風呂からあがった。ネットを上げてもらい 体勢を整えてもらった時に首の後ろが痛くなった、ネットのロープが首の後ろに当たって痛むようだ。これが新しい ネットか、困って「首が痛い」と訴え体制を変えてもらった。今日もお風呂に浸かっている時に少し汗をかいた、「たった 1℃の違いで今度の入浴車はこんなに熱さの感じ方が違うのか」と思った。今日も気持ちの良いお風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、下半身の可動域運動と立位運動。まず脚の可動域運動、今日は全般的に痛みが 早く強く来た。股関節の屈曲運動では股関節の内側がかなり強く来た。膝の裏伸ばしも数を数えながらかなり耐えたし 踵伸しも我慢した。ただ足の裏を指圧されると結構痛くて 特に踵を指圧されて我慢出来なくて声を上げた。立位運動は 今日は脚も使わされたし腰伸ばしも頑張ったつもりだし…最近の中では良い方かな。

3月5日 妻外出
今日妻は手首と両股関節の検査のため朝8時半には出かけていった。訪問が来るまでの1時間は重度障害者訪問介護の ヘルパーAさんが来てくれて、ケアの後も訪問看護ステーションOのM看護師が訪問リハビリが終わるまで そして妻が 戻って来るまでは僕のケアマネージャー 社協のF看護師がいてくれた。妻の手首と両股関節はかなり酷いらしく全て 手術が必要とのことだ。手首の手術は3月下旬・股関節は4月上旬に佐賀大学病院で検査をしてその結果を見て手術の日程を 決めるとのこと。妻が手術・入院している間は当然僕も入院、手首の手術の時は2週間弱・両股関節の手術の時は2ヵ月で 済むか? 1ヵ月以上入院していると身体もかなり弱ってしまうと思うがそれもまた運命、仕方ない。モモもそろそろ 迎えに来る準備を始めたか、長生きし過ぎだもんな。気になるのは妻の手術・入院している間はチビとマルに誰がごはんを あげるのか、猫用の自動餌やり機ってあるのかな。
火曜日のケアは朝9時半から。社協のヘルパーNaさんが5分前に来てM看護師が少し遅れてきた。今日はNaさんの元気そうな 笑顔を見て嬉しかった。そしてNaさんが洗顔している間にM看護師はバイタルを測り胸とお腹を聴診して脚のマッサージ。 それから二人で背中拭きと陰洗、背中拭きはM看護師がいつも通り力強く丁寧に拭いてくれたから気持ち良かった。陰洗は 丁寧に洗ってもらって痒みも小さくなった。陰洗も含めNaさんはM看護師によくついていってた。羽根布団を掛けての 側臥位はやはり邪魔で難しそう、羽根布団をいつ卒業出来るか。
最後は車椅子移乗、スライドボードを使って車椅子に移してもらった。車椅子は庭向き、窓も開けてもらった。白梅の 花が小さく少なくなっていた、そろそろ見納めか。南天の赤い実は曇り空の下でも輝いていたが少しずつしぼんで きているように見えた。モチノキに黄色い葉っぱが見えた、これからどうなるのか。午前11時前からは訪問リハビリ、 H先生の上半身の可動域運動とベッドに戻るための4歩の歩行運動。まず車椅子に座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の 可動域運動、今日は左手の挙上運動はかなり痛かったけど結構穏やかにリハビリを受けることが出来た。次に4歩の歩行 運動でベッドに戻った。ちょっと歩きにくいところもあったけどその分脚に力を入れ腰に意識を向けた、F看護師と M看護師も見ていたし…。ベッド上でも右上半身の可動域運動と呼吸リハ、右上半身の可動域運動は肩の外転からの右手の 挙上運動と手の指の運動が痛かった。呼吸リハでは胸を押してもらっている時に痰が剥がれた、ずっと痰がどこかに 引っかかってる感じがあったけどようやく取れた。リハビリが終わったらすぐにM看護師が昼の経管栄養をつないでくれて 帰っていった。その後は妻が戻ってくるまでF看護師が見守り、今日は色んな人にお世話になった。
午後2時半からは訪問歯科、左下奥歯の一番奥の外側の歯茎に触れたら痛む。歯科衛生士さんに左下奥歯の歯茎を掃除して もらったら外側からも内側からも血が出てなかなか止まらなかった。血液さらさらの薬を飲んでるからか。まあいい。 妻から「歯ぎしりで音が出せないのならもう取ったら」と言われたがそうはいかない、子供たちへの最後の贈り物に したいのだ。左下奥歯のブリッジは娘へ、右上奥歯のブリッジは上の息子・左上奥歯の被せ物は下の息子へ。金の価格は 当時より大分上がっているから何かの足しにはなるだろう。

3月4日 また駄目だ
月曜日は排便の日。ラキソベロンから完全にカマグ(酸化マグネシウム)に切り替えて初めての排便の日、朝から便意も ほぼなかったし便が下りてきている感じもほとんどなかった。排便がどんな結果になるか不安だった。
月曜日の朝のケアは10時半から、訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNaさんが部屋に入ってきた。だが 僕のお気に入り?のヘルパーNaさんがケアに来てくれているのにさほど嬉しさは感じなかった。自分の気分が明るくないと こんな風になるんだ、不思議なものだ。そしていつもの様にNaさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸と お腹の聴診をしてお腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭と排便介助。清拭は今日も力強く丁寧で、身体の隅々まで 手足の指先も指の間もきちんと拭いてくれた。最後は排便、今日もT看護師とNaさん二人に苦労して介助してもらったが… 自分では便がどのくらい出たのか分からなかった。やはりラキソベロンを併用した方が出やすいみたいだけど、 カマグのみを1ヵ月以上続けないとやる意味がない。カマグの服用量を朝・晩に増やすかな。下痢してでもいいから一度 消化器系をスッキリさせたいものだ。
午後3時からは車椅子移乗、担当のT看護師とNiさんが5分前に着いたから僕は慌ててパソコンを終わらせた。月曜日の 車椅子移乗は一度看護師さんとヘルパーさんに立たせてもらってからスライドボードを使って車椅子に移る。二人に 立たせてもらったけど脚に力が入ってまあまあ上手く立てた。だけどその後僕が端座位している時に一瞬にNiさんが 不安定になった。その際以前僕を車椅子からベッドに戻している時に脚を骨折したSさんのことを思い出した。Niさんも Sさんの二の舞になりそうな予感がしてならない。スライドボードでの移動はT看護師の指導で何とか上手くいった。 車椅子の向きは庭の方、白梅の花は今日も残ってた。南天の赤い実は小雨の中輝いていた。今日も良い景色を見た。

3月3日 ひな祭り
今日も朝5時からパソコン三昧。妻は掃除が終わった午前11時半頃からケアをしてくれようとしていたのだけれど、 パソコン入力の途中だったこともあったし面倒くさくなってケアを断った。脚を痛がってる妻に立ちっぱなしのケアは 酷だろうし、僕も1日ぐらいケアしなくても気にならないし。ただリハビリパンツのしわでお尻が痛むのだけは勘弁して 欲しいけど、まあ夜間担当の重度障害者訪問介護のヘルパーさんが来る5時まで我慢するしかなかったが。
今日はひな祭り、うちのお雛様はもう座敷に飾ってあるのだろうか。それにしてもうちのお雛様はいつからあるのか、 昔会社に勤めていた頃に住んでいた福岡県のマンションでは見たことないと思うけど。それに今日カレンダーを見るまで 「昨日が娘の誕生日だ」ということを思い出さなかった、昨日が3月2日だということはどこかで認識していたはずなのに… 情けない。

3月2日 Webカメラ
土曜日のケアは朝10時15分から、定刻5分前に訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMoさんが姿を見せた。 今日もこの二人がコンビなんてもったいない話だが…。二人が着いた時にまだパソコンを終わらせてなかった僕は慌てて ウインドを閉じシャットダウンした。
いつもの様にMoさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸を聴診してから脚のマッサージ。次に二人で洗髪、 T看護師に頭を洗ってもらうなんて久しぶりだったけど頭の痒い所に指も届いて…気持ち良かった。それから清拭、胸の 冷えにもちゃんと気を使ってくれたし手足の先・間まで力強くきちんと拭いてもらって…気持ち良かった。最後は陰洗、 陰部の周りは久しぶりに痒いとこだらけで…きちんと洗ってもらったから痒みもなくなって良かった。土曜日の陰洗は 差し込み便器を差し込んで洗うんだけど、3月末でK会を辞めるMoさんにはあと何回お尻を持ち上げてもらえるのかな。
午後はケアがないからドラマの見逃し配信を楽しんで、見る動画がなくなったら次はWebカメラで庭の景色を楽しんだ。 チビが何回かカメラの視界を出入りした。庭の老白梅の花はまだ残っていた、1ヵ月近く僕を楽しませてくれている。 カメラで見る南天の赤い実は今日も鮮やか、こちらは3ヵ月以上僕を楽しませてくれた。5時前に重度障害者訪問介護の ヘルパーAさんが来て…チビが休んでいる室内の方へカメラの向きを変えてくれた、本当は庭の時間変化の静止画を カメラで撮っていたから午後6時までは庭の景色を撮りたかったんだけど…Aさんの気の良い好意の表れだから仕方なく 受け取った。

3月1日 通院日
今日は通院日。午前11時25分頃社協のヘルパーYさんとNiさんが来て外出準備、まず玄関にスロープを設置した後Niさんが 洗顔している間にYさんは脚のマッサージと装具付け。洗顔の途中で訪問リハビリのH先生が着いて頸に装具を付けて くれた。Niさんの髭剃りは今日ももうひとつかな、他のヘルパーさんとT字カミソリの使い方が異なるから剃りにくそうに 思えた。脚と頸の装具付けが終わってからH先生に一度立たせてもらってから車椅子に移してもらい、車椅子の座面の下に 取り付けたボードの上に人工呼吸器を置いて最後に妻に吸引してもらって丁度正午に部屋を出た。玄関から外に出ると 空は青空、絶好の外出日和だった。
今日の外出の目的のひとつは病院までの道中の路傍付近に咲く花々の様子を見ること、だけど路傍付近で目に入ったのは 所々に咲く黄色い菜の花だけ、他の花の色はほとんど見えなかった。水仙はまだわずかに残っていて黄色と白い花が 1ヵ所ずつ、プランターの花は今が植え替えの時期なのかあまり目立たなかった。梅の花はほぼ終わっていて僅かな 残り香しか見ることは出来なかったけど…1本だけ薄いピンクの花がいっぱい付いてる木があった。あれは梅じゃあなくて 桃かもね。今は花が一番少ない時かもしれないな。
病院に着いて玄関でリフト車を降り 救急処置室に入って時計を見ると午後1時、部屋を出てからリフト車の乗り降りを 含めて1時間かかった訳だ。車椅子からストレッチャーに移り、バイタルを測ってから主治医を待った。今日は前回と違い M副師長がいたから楽だった。しばらく待つと主治医が来て診察とカニューレ交換、この日ようやく「今使っている カニューレのカフのエアーがカニューレが変更になってから抜けやすい」ことを主治医に伝えることが出来た。診察が終わったらすぐに帰る準備、ヘルパーさんが脚と頸に装具を付けてストレッチャーから車椅子に移してもらい玄関でリフト車に 乗り込んだ。出発した時に玄関前の池を横目でチラ見したら亀が1匹甲羅干ししていたような…。
今日は家の庭でリフト車から降ろしてもらい風は冷たかったけど庭をプチ散歩、フキノトウがいっぱい出てた。部屋に 入った時に時計を見ると午後2時半、今日は訪問リハビリのH先生が早めに来てくれて(2時50分)リハビリ開始。最初に 4歩の歩行運動で車椅子からベッドに戻った。歩行は太ももや膝に力も入ったし、まあまあかな。それから脚の可動域 運動、股関節の屈曲運動と足を挙げての膝の裏伸ばしは痛くはあったけれどいつもより楽に感じた。それに対し踵伸しは かなり効いた。



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2月
2月29日 駄目だ
今年は夏季オリンピックがある年 すなわち4年に1度のうるう年、昔はこのオリンピックのある年の1月3日中学の同窓会が あっていたものだが…たぶん1996年の同窓会が最後かな。今日は朝から29(ニク)日と言ってたな、今年は肉の日が12回も あるから。でも昔も29(ニク)の日と言っていたっけ、昔は肉を安く食べられる店はそんなになかったから たぶん。
木曜日の朝のケアは9時45分から。少し遅れて訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを測り(血圧計は今日も 忘れていた)胸の聴診をして洗顔開始。そして洗顔の終わり頃にK会のヘルパーMaさんも来て、背中拭き用のお湯を替えに 行った。それから二人で背中拭きと排便介助、M看護師の背中拭きはいつものことながら力強く丁寧。排便は今日は 絶不調、朝から便意もほとんどなかったし便が下りてきている感じもほとんどなかった。それに浣腸液を2本使っても ほぼ出なかった。どうしたものかな。ラキソベロンが身体にもう効果が出なくなっているようだから、しばらくカマグ (酸化マグネシウム)を毎日服用するように切り替えてみることにした。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん。今日も二人に立たせてもらったけどまあまあ上手く 立てたと思うが腰はきちんとは伸ばせなかった。その後スライドボードで車椅子に移してもらって庭の方を向けて もらった。見えるか見えないかの雨が降っていた。梅の花は思っていたよりたくさん残っていた。明日の通院の道中に 梅の花は見えるかな。

2月28日 新入浴車
金曜日の午前中の入浴で人工呼吸器を着けて以来在宅で21年間お世話になった入浴車に別れを告げ、今日から新しい 入浴車(24時間テレビ提供)になった。前の入浴車は一体型の浴槽だったけど今回の浴槽は二分割型、接続部からお湯が 漏れそうな気がしたのだが接続部は多層構造になっているようで漏れることなど当然なかった。ただその多層構造の 一部にお湯が入り込むようで水はけには気を使っているようだった。そして浴槽に対しお湯の供給量が前の浴槽より多い 割にタンクの容量が90リットルと前のタンクより少ないらしく スタッフが何度もタンクの確認に通っていた、最新鋭の 入浴車でタンクに満杯センサーは付いているらしいのだがうちの屋外の水道がセンサー装置に対応していなかった。 浴槽の大きさは前の入浴車の浴槽とほぼ同じということで入り心地はほとんど変わらなかった。途中で足し湯を してもらったのだが、お湯の供給量が多くなった分お湯の回転が良くなって久しぶりに汗をかいた。
朝10時20分頃から入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとHさん・ヘルパーのKさんとNiさん、今日から 新しい入浴車ということで排水ホースを間違えたり段取りに戸惑ったり排水後に浴槽にお湯が出たりと、不慣れな浴槽の 設置と片付けにみんな苦労しているように見えた。入浴自体はいつもとほとんど変わらず…、看護師さん二人に脚の マッサージ・万歳・タッピングをしてもらった後吸引してもらって みんなにスライドボードを使ってベッドから浴槽に 移してもらった。それからお湯に浸かり中でゆっくり温まり、ネットを上げてみんなに全身を洗ってもらった後もう一度 お湯に浸かり温度を上げた足し湯と胸へのシャワーで久しぶりに汗が出るまで十分に温まりお風呂からあがった。 あがってからもしばらくは汗がひかなかった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
今日は訪問リハビリのH先生がキ合で休みだったので午後はパソコン三昧。そして夕方5時に重度障害者訪問介護の ヘルパーAさんが来て夜間の介護開始。昨日Aさんは「午後9時にMさんと交代する」と言っていたのだけれど…、9時に なっても10時になってもMさんは現れなかった。結局朝までMさんは現れなくて…、Aさんが昨日言ったことは 何だったのだろう。Aさんは「来月看護師資格を持っている方を14日に同行します、いいですか」と訊いてきたが決定権の ない僕にそんなことを訊いても無駄だ、スケジュールは妻の手首 および股関節?の手術と入院期間次第なのだから。 入院のことを妻はAさんに話してないのか、まあいつ入院するのか入院期間はどのくらいなのか決まってないのだから 仕方ないか。そういえば妻が不気味なことを言ってたな、「自分が介護出来ない身体になったらどうする?」って。 それって運命に任せるしかないだろう。ほんと長生きし過ぎだな。

2月27日 今日の庭の風景
火曜日のケアは9時半から。社協のヘルパーNiさん(Kさんは監督)が定刻に来て洗顔準備。今日はNiさんが「洗顔の見学を したい」ということでKさんが洗顔を実施、Niさんは昨日の髭剃りの不都合を自覚した上でのことだろう。まあ僕には顔を 石鹸で洗った後の拭き取りももうひとつに思えたけど。少し遅れて訪問看護ステーションOのM看護師が着いてバイタルを 測り胸を聴診して蘆をマッサージしてくれた。洗顔が終わった後はM看護師とNiさんで清拭・陰洗と車椅子移乗、所々に Niさんの慣れてない感が感じられたけどM看護師のリーダーシップ(説明と口数が多過ぎる?)とKさんの指導でケアは少し 時間オーバーして無事?終わった。
火曜日の車椅子は庭向き、梅の花は今日もいっぱい咲いていたが蕾かガクかの区別がつかず先週の激しい雨でも 残っていた花か新しく咲いた花か分からなかった。ユキヤナギは葉っぱが増えてた感じがした、これからどうなるのか。 南天の赤い実は今日はあまり目立たなかった。モチノキには枯れかかった葉も出てきた、これから裸になるのかな。 そんなことらを考えながら車椅子に座って庭の景色を見てた。
午前11時頃からは訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動とベッドに戻るための4歩の歩行運動。まずは車椅子に 座ったままで左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動、今日は先週に比べ全体的に痛くはなかったけれど左手の指の運動は かなり痛かった。歩行運動は重心移動の際に腰を伸ばしきろうとしたが何歩目かに一瞬腰が引けそうなったけど… 耐えた。最後はベッド上での右上半身の可動域運動、こっちの方はまあ耐えられたかなって感じ。
夜間(夕方5時〜翌朝6時)の担当の重度障害者訪問介護のヘルパーOさんが新型コロナウイルスに罹ったということで 夜9時に代わりにAさんが来てくれた。僕がパソコンばかりしていたので話し掛けづらかったのか寝る前になってAさんが 話し出した。重度のヘルパーMさんの文字盤の使い方が僕には合わなくてイライラするし時間もかかるから、もうこれから Mさんとは最低限の話しかしないと決めたのでAさんとMさんの文字盤の使い方の話しをする必要はないと考えた。ついでに 新しい人員についても話しをしようとしたと思うのだけど…、今以上の期待を重度障害者訪問介護に求めても仕方ないと 観念しているのだから「もういい」と話しを遮った。今や吸引が出来て夜間の妻の負担がなくなれば誰でも同じだ、期待 しない・期待してもしょうがない。突発事故の時はもう諦めるしかないんだと言いきかせて…。

2月26日 月曜日のケア
月曜日の朝のケアは10時半から、睡眠不足からか眠気が襲ってきたので10時前にはパソコンを終わらせ目を閉じていた。 定刻前に訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNiさんが来てケア開始。Niさんが洗顔している間にT看護師は バイタルを測り胸とお腹の聴診をしてお腹と脚のマッサージ。Niさんの髭剃りは鼻の下の髭を剃るカミソリの使い方が 特にまだ荒いかな。それから二人で清拭と排便介助、清拭はどこもかしこも 手足の間・指先まで力強くかつ丁寧に 拭いてくれた。排便は今日ももうひとつ、2回の浣腸でなんとか二塊近くは出た。お腹を押しながらの摘便では自分で 出し切れなかった残便も出たしガスも出た。ただNiさんのお腹の押し方が今日はもうひとつ合わなかったかな。ほんと 自分で便を出せないのが情けなくてたまらない。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とKさん。車椅子に移る前に今日は二人に立たせてもらったけど、ベッドから 立ち上がるのはまあ上手く出来たのだが腰を伸ばし続けるのは難しかった。車椅子はほぼ庭向き、梅の花は先週の激しい 雨でもう散っていると思っていたのだけど…まだずい分残っていた。激しい雨や雷鳴に耐え続けた花なのか雨の痕に 新しく咲いた花なのか分からないけれど。車椅子からベッドに戻る時はT看護師とNiさんが担当しKさんが監督、 スライドボードでの移動かなりぎこちなかったけど移れた。Niさんがいくら不器用といっても近い将来には 慣れるだろう。

2月25日 ケアはもういらない
午前11時半前から妻がケア、「立っているのが辛い」と言っていたから「ケア(洗顔と歯磨き)はもういい」と思って いたのだけれど…妻が「どうしても」と言うからケアしてもらった。歯磨きでは左下奥歯の一番奥の外側の歯茎からは 今日も血が出たと言う、確かにスポンジブラシで左下奥を拭き上げた時にスポンジにたっぷり血が付いていた。血液 さらさらの薬を服用しているから血が止まらないと問題だけど、今のところスポンジブラシで難解か抑えていたら血も 止まるようだから…まあいいか。
最近は日中に妻を何回も呼ぶと脚が痛いのか顔つきが不機嫌そうで恐いので夜間の重度障害者訪問介護が待ち遠しいの だけれど、今日は午後5時前に玄関が開いて男の声がしたから二日連続かと落胆した。介護事業所T自体が人材不足だし 僕の担当メンバーは5人しかいないので選択も出来ないから…仕方ないな。まあ誰が来ても機体はしてないし…。

2月24日 またもや時間オーバー
土曜日のケアは朝10時15分から。担当の訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーTさんが顔を見せた、確かに 木曜日にTさんが来た時に「土曜日も来る」と言っていた。そしていつもの様にヘルパーのTさんが洗顔している間に T看護師はバイタルを測って胸の聴診をし脚のマッサージ。それから二人で清拭と陰洗、どちらも丁寧拭いて洗ってもらい 順調に進んでいったけど終わったのは11時半過ぎ、二人ともなんの無駄もなかったけどまたもや時間オーバーだった。 洗顔と清拭と陰洗をやって1時間で終わらせるのはやっぱり無理のようだ。
ケア開始直後に妻は出かけていった、午前11時半に重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが来るという。その通り時間前に Aさんが来て正午に昼の経管栄養を入れその後は吸引・排尿介助と見守り、それから午後5時にMさんと交代した。この Mさんも僕は苦手、翌朝7時半まで一緒だと思うとちょっと憂鬱。案の定気管吸引において痰を吸い始めるまでに他の 人よりやや時間がかかることに不満を感じ、寝る前の文字盤でイライラがつのりついに爆発…妻とMさんの前で日頃の 「モモにそろそろ迎えに来てほしい、苦しまないで死ねたらいつでもいい」という想いが口を出た。僕は長く生き過ぎた。 いろいろ考えるのも進言を受けるのも面倒くさくなった。

2月23日 天皇誕生日
今日は天皇誕生日とのこと、令和になって5回目の天皇誕生日なのに未だにピンとこない。天皇誕生日は4月29日と頭に 刷り込まれている昭和の人間だから、明仁上皇(平成天皇)や今上天皇(令和天皇)の誕生日に未だに馴染めないでいる。 今日は天皇誕生日という祝日なのに入浴車も訪問リハビリもいつも通り、有り難い。
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。今利用している入浴車は今日が最後、次回からは新しい入浴車になるという。 21年間 お世話になりました。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とHさん・ヘルパーのNiさんと Moさん、F看護師以外は今年度から僕の入浴車のスタッフに加わった新しいメンバーだけどもうみんな慣れたものだ。 今日も浴槽にお湯が溜まるまでにまずH看護師が脚のマッサージをしてくれて、それから二人の看護師さんが万歳・ 左側臥位になってタッピングして吸引してもらってからみんなにスライドボードを使って浴槽の中に移してもらった。 そして浴槽の中でゆっくりと温まってからネットを上げて全身を洗ってもらい、もう一度お湯に浸かって設定温度を 44℃にした足し湯とシャワーで十分に温まりお風呂からあがった。ベッドの上でしばらく汗がひかなかった。最後の この入浴車も気持ち良かった。
午後3時過ぎから訪問リハビリ、今日はFケアマネージャーと障害の方のマネージャーSさんがリハビリの見学に来た。 見物人がいるとやはり気合いが変わってくる。今日はマットレスが裏返しになっていたので一度車椅子に移りその間に マットレスを直してもらいベッドに戻るために4歩歩いた。歩きはまあまあかな。次はベッドの端に端座位、背中が 久しぶりに解放されて気持ち良かった。それから立位運動2回、今日はH先生の動きが僕に太腿の力を津からを使わせる 方向の動きだったけど立ち方はまあまあだったと思う。最後は脚の可動域運動、今日も股関節の屈曲運動で内側が 痛んだけれど水曜日ほどではなかった。膝の裏伸ばしと踵伸しは今日の方が痛かったかな。

2月22日 千客万来
木曜日の朝のケアは9時45分から。ところが訪問看護ステーションOのM看護師が10時過ぎに到着、それからも携帯電話 トラブル(M看護師の声が相手に聞こえない)で時間が過ぎその内にK会のヘルパーTさんも着いた。すぐにM看護師が洗顔を 始め次に二人で背中拭きに取りかかった。M看護師の背中拭きは今日も力強く丁寧で、いつも右腕を服から抜いてまで 拭いてくれるからこの時期は寒いけれどエアコンの温度を上げて背中も胸も拭いてくれる。エアコンの温度を上げたり 下げたりするよりもさっさと拭いた方が早いといつも思うのだけれど。
最後は悩みの排便、便は下腹に下りてきている感じはしたけどM看護師が摘便してくれて出たのはM看護師曰く「チョコの 欠片みたいな小さな固い便7-8個とガスが数発」。そして1回目の浣腸では少量の便汁とガスのみ。2回目の浣腸で1回目の 浣腸で下りてきた便の塊が自分では分からなかったけど「たっぷり」出たらしい。最後の固い便と残りの便汁を左側臥位に なってお腹を押しながらの摘便でたっぷり?出してもらって、仰向けになったらまた便汁が出て 残りを摘便で出して もらってようやくお腹もスッキリ。ほんと自分で便を出せないのが情けない。それに今日の朝のケアも2時間かかって 締まってヘルパーのTさんは45分オーバー、追加費用は設定したのか。申し訳ない。こんな浣腸や摘便を繰り返すなんて 家だから訪問看護だから出来ること、病院だったら便が出るまで放りっぱなし。こんな状態で入院したらどうなるか。 ラキソベロンの効き目が弱くなっているから一度切ってカマグ(酸化マグネシウム)だけに切り替えるかな。
午後3時からは車椅子移乗、担当は社協のヘルパーNiさん(Yさんは監督)とM看護師。今日もM看護師とNiさんに立たせて もらったけど結構上手く立てたと思う。スライドボードを使って車椅子に移ったが今日はテレビ向き、保健福祉事務所の 保健師さんが来るから。それにしてもNiさんは肩に力が入り過ぎ、Niさんのことを見ているとどうしても車椅子移乗中 骨折したヘルパーSさんのことを思い出す。
3時半に保健師さん二人(1人は課長)が訪問、どうやら僕が作って保健福祉事務所に送ったALS患者に対するアンケートが 出来ないということを伝えに来たようだ。まあ保健福祉事務所管内にALS患者が9人いるらしいのだがその内の5人が現在 病院にいるというのならアンケートが不要なのも仕方ない話だ、病院に5人もいるなんて想定外だ。それよりも保健所の 体質が四半世紀前とちっとも変わらないのに驚いた、相変わらず難病患者に対してなんの情報提供もしていないようだ。 「問われなければ知らんぷり、問われて初めて応える」というお役所体質は今の保健所とて変わらないようだ、難病患者は 何を問うていいかさえも解らないのに。
車椅子らかベッドに戻る時はH先生がベッド移乗の応援に来てくれて4歩の歩行運動で戻った、というのはM看護師が車検で 凝られなかったから。歩行はまあまあの調子で体重移動出来た。その後ヘルパーYさんとH先生の二人に背中を整えて もらって終了、ありがとうございました。

2月21日 入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。昨日ほどではないけれど今朝も時々雷鳴がなる激しい雨、連日防災放送で節水のお願いが朝 流れていたがもう聞かずにすむだろう。ヘルパーさんが「今朝は寒かった」と言っていたが、僕は朝目が覚めると呼吸が 早くなって加湿器で暖めきれなかった空気が肺に一気に流れ込んできて身体を冷やすから…朝目が覚めたら極寒で寒さを いつも感じているから朝の冷え感は分からないのだ。
今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとYさん・ヘルパーのKさんとNaさん、Y子さんのメイン役は久しぶりだし Yさんも僕の入浴車に慣れておしゃべりもかなり出るようになった。僕はY看護師のキャラクターを誤解していたようだ。 浴槽にお湯が溜まるまでにまずそのY看護師に脚のマッサージをしてもらい、二人の看護師さんに万歳・左側臥位になって タッピング・吸引してもらってからみんなにスライドボードを使って浴槽の中に入れてもらった。僕の身体が温まるまでの みんなの井戸端会議はこの時期らしい人事異動や社協内の話、僕には分からぬことばかりだがそれぞれの立場で人との 関係においての苦労や悩みがあるという。女性が多い職場はかえって難しいらしい(微笑)。それからネットを上げて みんなに全身を洗ってもらい、もう一度お湯に浸かって十分に温まってからお風呂からあがった。今日も楽しくて 気持ちの良いお風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、下半身の可動域運動と立位運動。股関節の屈曲運動は内側が今日はかなり 痛かったし、膝の裏伸ばしも痛かったが…踵伸しは今日はそこそこかな。立位運動の時にベッドにH先生に端座位に してもらう際に窓の外の梅の木が見えた。昨日今日の激しい雨にもかかわらず花はしっかり残っていた。立位運動 そのものは1回目と2回目はベッドから立ち上がるのも腰を伸ばすのもH先生に頼ってしまったけど、3回目はそこそこ 自分の力が出たと思う。

2月20日 梅の花も散り始めた
まだ体調は戻らない、風邪を引いたような感じがまだ残ってる。昨日羽根布団にして寝る前に風邪予防の漢方(麻黄湯)を 服用してもう1枚掛け物を増やしたのに…。
火曜日のケアは朝9時半から。5分前に社協のヘルパーNaさんが顔を見せた。Naさんの明るい笑顔を見るとこっちまで心が 明るく軽くなる。昨日Yさんから「Naさん宅のお子さんが病気」と聞いていたから「今週は顔を見せることはないのかな」と 思っていたのだけれど…。Naさんが洗顔しているところに訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを測り胸の 聴診をした後に脚のマッサージ。その後二人で背中拭きと陰洗、どちらも厚い羽根布団がかなり邪魔そうだった。今日の M看護師の背中拭きも力強く丁寧で気持ち良かった。陰洗も前も後ろも丁寧に洗ってもらった。
最後に車椅子移乗、スライドボードを使って車椅子に移してもらった。車椅子は庭向き、梅の花の蕾もまだあるように 見えたがもう散り始めてもいた。南天の赤い実は輝きは変わらなかったけど少し小さくなったように見えた、熟して 縮んだのかも。午前11時前からは訪問リハビリ、車椅子に座ったままでH先生に左上半身(肩・肘・腕・手)の可動域運動を してもらった。一番痛かったのは小指の可動域運動、思わず悲鳴?を上げた。リハビリの途中で窓の外からチビが「入れて」 と鳴いていたのでH先生に窓を開けてもらった。次はベッドに戻るための4歩の歩行運動、出来はまあまあだったと思う。 最後はベッド上での右上半身の可動域運動と呼吸リハ、肩の内転・外転からの腕挙げが痛かったが内転はいつもより腕が ほんの少し高かったみたい。今日の呼吸リハでは痰が肺から上手く剥げて気管に上がってきた、ナイス。
午後2時半からは訪問歯科、今日も歯科医と歯科衛生士が二人で来た。先生がまず歯周ポケットの深さをチェックし そのまま口の中の処置(歯間ブラシ・歯ブラシ・歯石取り)、でも歯科医には珍しく手先が粗めに思えて結構痛かった。 これじゃ歯石取り以外は歯科衛生士さんに任せた方がいいんじゃないかな。

2月19日 風邪引いた?
朝5時前に目が覚めてしばらくしたら肺も上半身も冷えてきて風邪引いたみたいになってきた。やっぱり羽根布団じゃ ないとまだ身体が冷えているようだ。妻もそう思っていたようで朝羽根布団に替えてくれたが…今日一日風邪引いた みたいだった。
月曜日の朝のケアは午前10時半から、社協のヘルパーYさんが5分前に来て訪問看護ステーションTのT看護師は珍しく ちょっと遅れて来た。いつも通りYさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸を聴診してから脚のマッサージ。 それから二人で清拭、少しばかり胸が寒かったけれどどこも力強く丁寧に拭いてくれて気持ち良かった。ここまでは 順調に来た。しかし便が出る気がしなかった、せめて下腹に下りてきていた便だけでも出てくれればと願ったが…。さて 排便の時間、最初にT看護師に摘便をしてもらったら幾らかのガスが出て幾らかのコロコロ便が取れたらしいが…。そして 浣腸してもらったら固い便と軟便が片手弱出たと言うが、出すことの出来なかった固い便が下腹に残ってる感じがした。 それを摘便で取ってもらって左側臥位にしてもらったら、詮が取れたように少ない量の軟便がだらだらと時間をおいて 出てきた。どこかのタイミングで2本目の浣腸を使ったら便がスッキリ出たかもしれないけど、浣腸液を2本使うのは週に 1度にしたかったし 浣腸したら時間的にもオーバーすると思ったから…下腹に便がまだあると感じたけど終わりにして 陰洗してもらった。それでも眼鏡をかけて時計を見たら0時半を過ぎていた、また時間オーバー。スッキリ排便するには どうしたらいいんだろう、分かんなくなっちゃった。
午後3時からは車椅子移乗、担当は午前中と同じT看護師とYさん。月曜日は二人に立たせてもらう、結構すんなり立てた。 車椅子にはスライドボードを使って移って車椅子の向きは庭の方、梅の花がまた増えた。南天の赤い実は今日も輝いて いた。ユキヤナギの葉っぱはどうなるかよく分からん。

2月17日 ヒヤリハット
土曜日のケアは午前10時15分から。最初に部屋に入ってきたのは訪問看護ステーションTのK所長、顔を見た時は「あちゃ」 と思ったけど「月曜日にK所長が来るよりいいか」と思い直した。パートナーはK会のヘルパーMoさん、看護師をも積極的に リードしてくれるし信頼の置けるヘルパーだ。ところがそのMoさんから衝撃のひと言を聞くことになるとは…、「3月末で 辞める」と言うのである。ショックでケアの間中「心ここにあらず」状態だった。顔や性格も含めてK会で一番好きな ヘルパーだったのに…。長生きすると辛いこともそれだけ多く経験するな、朝妻からは「股関節の手術をしなければ ならない」と聞かされてショックを受けたばかりだったのに。まあ妻のことは研修医の息子から「そういう事もあり得る」と 聞かされてはいたけれど。
Moさんが洗顔している間にK所長は他の日と同じ様にバイタルを測ってから胸の聴診をし脚のマッサージ。そして今日は 洗髪、K所長が髪を洗う役・Moさんがお湯を流す役と補助、K所長が所々忘れていたのでMoさんが横からアドバイス。洗う 強さはほぼほぼ良いんだけどただ最も痒い所に指が届かないのが玉に瑕。次は二人で清拭、胸に置いてもらう温タオルの 冷えるのが前ほど早くなくなった。拭き方はまあまあ、手と足の指の間まで拭いてくれて気持ち良かった。最後は陰洗、 差し込み便器をお尻の下に差し込んでもらう時に僕も腰を上げる努力をしMoさんもお尻を持ち上げてくれるのだが…最近 差し込み便器をお尻の下に差し込むのに2回ヘルパーさんに持ち上げてもらうことが多い。それだけ僕の腰を上げる力が 弱くなったことの裏返しだけど…。ケアが終わったのは正午前、またオーバーしてしまった。
夜間(夕方5時〜翌朝7時半)の重度障害者訪問介護の担当はAさん。妻が出かけている時に呼吸器回路のトラブルが起きた、 回路の水抜きをしてもらった時に回路のどこかが外れたらしい。まず文字盤で「バッグ(アンビュー)で押して」と伝え… バッグで押してもらいながら時々文字盤をして、呼吸が続かないから何回かに分けての文字盤になるので僕の考えている ことがなかなか伝わらなかった。僕はただ Aさんが回路の外れている場所を1ヵ所に固執してそこばかりを見ているから、 「他の所で回路が外れてないか調べてみたら」と言いたかっただけなのに。かなり経って?Aさんに僕の意図がようやく 伝わりAさんが調べてみたら外れている箇所がすぐ見つかった。これで「事なきを得た」訳だが…、改めて「重度障害者 訪問介護は使えないな」ということを思い知らされた。まあ回路外れは重度障害者訪問介護の仕事の範疇じゃないのかも しれないけど。

2月16日 通院日
今日は4週間ぶりの通院日。午前11時半前に社協のヘルパーKさんとNiさんが来て外出準備。最初に二人で玄関に スロープを設置してからKさんが洗顔している間にNiさんは脚のマッサージ。そして二人で脚に装具を付け始めたところに 訪問リハビリのH先生が来て二人の装具つけを見守り、その後Niさんに装具の付け方を教えていたみたいだ。それから H先生とNiさんの二人で頸に装具を付け、H先生が僕を一度立たせてから車椅子に座らせてくれた。そして妻に吸引を してもらってへらを出たのが午後0時5分、いつもより時間がかかっていた。玄関から外に出たら陽射しはあるが雲が多い 空、リフト車に乗り込んでも車椅子のリフト車の固定に時間がかかった。「今日の同行はヘルパーさん二人 Kさんが 監督役で付いているからいいが、同行がNiさん一人になった場合は大丈夫か?」と思ったのが正直なところ。リフト車が 出発し下の窓から路傍の景色を見ていたが…水仙はもう終わったみたいだしプランターの花々も少なくなっていた。
今日の外出の楽しみは病院までの道中で梅の花の咲く様子を見ること。近所の垂れ梅を含めたら今日見えた梅の花は 紅梅6本・垂れ梅(濃いピンク)2本・白梅3本、11本全て今が見頃だった・川棚町から波佐見町に入ってすぐのコンビニの横を 通り山の方を見ていると、山の上の方に道が見えてきてその道の脇に大きな白梅がある。毎年この時期にその梅の木の 大きさと花の付き具合に感心しているから一見の価値はあると思っているが、自動車を駐めてゆっくり見られる所じゃ ないから隠れた銘木みたいなものだ。それとチラ見だけど印象に残ったのがとある家の庭の垂れ梅(紅梅)、直径4m位は あって大きくて全体は見えなかったけど綺麗そうな垂れ梅だった。今日は梅の花が見れて満足した。
病院に着いて玄関でリフト車を降りて救急処置室に向かった。処置室に入ると見知らぬ看護師さんが…。それから 車椅子からストレッチャーに移乗する時もまた見知らぬ看護師が…、3月・4月は異動の時期だからその準備に入ったか。 時計見ると1時10分といつもの時刻、どこかで遅れを取り戻していた。バイタルを測り終えたら「今日は採血がある」と、 採血の準備をするまでは早かったのだけど指示待ちをしているのかなかなか針を刺さなかったので終わるまで結構時間を 要した。採血の結果が出たのかしばらくすると主治医が来て診察とカニューレ交換、そして妻と処方の打ち合わせをして 戻っていった。処方で追加になったのは踵のすぐ左の塗る塗り薬、蘆の指の血行促進にもいいらしい。それから帰る 用意をしリフト車に乗り込んだ、ここでも車椅子をリフト車に固定するのにやや時間がかかった。病院を出る時に 玄関前の池を見たら亀が2匹気持ち良さそうに甲羅干ししていた、亀は平和だ。家に着いて部屋に入り時計を見ると 2時50分、いつもより20分ぐらい遅いが車椅子に座ったまま訪問リハビリにはいい時間だった。それにしても家と病院、 不慣れなヘルパーと不慣れな外来看護師がいた割にはよくこれだけの遅れで収まったものだ。
午後3時10分頃のH先生が着いてリハビリ開始。最初にベッドに戻るための4歩の歩行運動、最初の1歩目が腰を 伸ばしきれない感じだったけど以降の重心移動は腰を伸ばしきるよう努めたつもりだ。次は脚の可動域運動。股関節の 屈曲運動では股関節の内側がかなり痛かったが…耐えた。膝の裏伸ばしも踵伸しも痛かったけど…我慢した。 リハビリ後の雑談でH先生と妻が「ギネスブックに載るまで生きろ」みたいなことを話していたが、無理だし迷惑だろう。

2月15日 うちの白梅もきれい
木曜日の朝のケアは9時45分から。緊急呼び出しに対応してたとかで訪問看護ステーションOのM看護師が10時過ぎに 着いて、バイタルを測りながらおしゃべりしているうちにK会のヘルパーAちゃんが来た。そして洗顔を後回しに することを決め二人で背中拭きに入った。今日は腕を抜かずに背中を拭くことを希望、それでもM看護師の拭き方は十分で きちんとしてて丁寧、気持ち良かった。
次に苦手意識のある排便、M看護師の最初の摘便で固い便がある程度取れたらしいが…指の届かない奥に固い便がまだ あるとのこと。それ出すために1回目の浣腸、それで固い便の大部分は出たと思うが途中で止まって…形のある便を出す 力はもう僕のお腹にはないようだ。そこでM看護師に摘便してもらい残便と便汁を出してもらったのだが、それでも M看護師はまだ「上の方に便がある」と言うし 一度は「もう終わりにしよう」と諦めた僕も上の方に便があることは認識して いたので2回目の浣腸をしてもらった。この2回目の浣腸で便汁に近い便がひと塊出てお腹もスッキリしたので終わりに した。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーNiさん(Kさんは指導係)。M看護師は10分遅れ Niさんと Kさんが足の装具を付け終わる頃に着いた。頸にも装具を付けてもらった後M看護師とNiさんに立たせてもらったけど 思っていたより安定していた。そして車椅子移乗はスライドボードを使って車椅子に移る。ただNiさんの スライドボードの使い方はもうひとつスムーズではなかった、まだスライドボードの使い方をまだ解っていないという 感じだった。車椅子の向きは庭とテレビが見える位置。うちの白梅も綺麗に咲き始めた。火曜日は車椅子に座っている 時に見た際は咲いている花は10輪ぐらいしかなくてそれも離れた所で開いていて うちの梅の花ってたいしたことないなと 思っていたのだけれど、花が多くなってくると見栄えが全然変わってくるんだな。紅梅なら花が少なくても目立って 見えると思うのだが、白梅は花が少ないと映えないから。一昨年までは花が1輪でも付くと喜んでいたのに、2年前の春 死んでる幹を剪定してもらってから期待するようになって…贅沢になった。

2月14日 バレンタインデー
バレンタインデー、僕には昔から縁のない言葉だ。妻が毎年うちに訪問してくれている方々にチョコレートを渡している そうだ。鈍感な僕にはその辺の配慮はなかなか思い付かなかったが、「自分ならそうしてもらったら嬉しい」という 元看護師ならではの発想なのだろう。今日来た入浴車のスタッフからも「チョコレートいただきました」と笑顔で 言われたし…。
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとY子さん・ヘルパーのKさんとMoさん、安定した メンバーだと思った。いつもの様に浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達が脚のマッサージ・万歳・タッピングして もらった後に吸引してもらって、みんなにスライドボードを使ってベッドから浴槽の中に移してもらった。今日も お風呂に入った瞬間は熱く感じたけどすぐに慣れて、熱くしてもらった足し湯と胸へのシャワーでゆっくり温まった。 そしてネットを上げて全身をしっかりと洗ってもらいもう一度お湯に浸かって足し湯とシャワーで汗が出るまで十分に 温まりお風呂からあがった。お風呂からあがってもすぐに汗は引かなかった。それだけ気温が上がってきたのだろう。 今日も気持ちの良いお風呂だった。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、今日は下半身の可動域運動と立位運動3回。最初の可動域運動の股関節の 屈曲運動では股関節の内側が痛かったけど次第に慣れてきたのか痛みが薄らいでいった。膝の裏伸ばしも踵伸しも 痛かったが先週ほどではなかった。次の立位運動は2回目・3回目は比較的楽に立てたと思う、 今日はまあまあだったかな。

2月13日 火曜日のケア
火曜日のケアは朝9時半から、今日も社協のヘルパーKさんが部屋に入ってきた時にはパソコンをまだ終わらせてなくて… 慌ててシャットダウン作業に入った。そしてKさんが洗顔しているところに訪問看護ステーションOのM看護師が来て バイタルを測り胸の聴診をして脚のマッサージ、M看護師の脚のマッサージは結構ゴリゴリで効くのだ。それから二人で 背中拭き。M看護師の背中拭きは右腕は上着から脱がせて左肩はそこまで下げなくてもいいだろうと思うほど下げて 抜くからちと寒い。だけど力強く丁寧に拭いてくれるから気持ち良くて…何も言えなかった。最後の陰洗を終えて 車椅子移乗、火曜日の車椅子は庭向き。うちの白梅にも20輪ぐらい花は咲いてはいるけど…もうひとつ綺麗くない、 何故だろう。ユキヤナギも葉っぱは枯れかけているように見えるけど…葉っぱが少なくなった気配はない。南天の赤い 実も今日は目立っていなかった。
午前11時前からは訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動。今日も窓を開けたまま・車椅子に座ったままでまずは 左肩の可動域運動。横から手を挙げる時ちょっと痛かったけど…ちゃんと我慢出来た。次はベッドに戻る時の4歩の歩行 運動、一歩目の体重移動に少しばかり不安を感じたけど後はまあまあだったと思う。ベッドに戻ってからは右上半身の 可動域運動、真上に真っ直ぐに手を挙げる時と手の指の運動が痛かった。今週から暖かくなるらしいからそろそろ関節の 動きも良くなってほしいものだが。
午後2時半からは訪問歯科、今日も歯科衛生士さんと歯科医が一緒。珍しいことに先生が初めから歯間ブラシと歯ブラシで 口の中を掃除、普通は歯科衛生士さんがやるのに。それから歯科衛生士さんの指摘した下の歯の後ろに付いた歯石削り、 歯科医は優しく扱ってくれる先生が多いのに今日は削る時に結構痛くて…出血したのはどこからだろう。

2月12日 振替祝日
今日は振替祝日で午前中のケアのみ、でも来てもらえるだけありがたいと思わないと。朝のケアは10時半から、5分前に 訪問看護ステーションTのK所長が部屋に入ってきた。が 顔を見た瞬間K所長は久しぶりだし摘便は期待出来ないと 悟った。定刻に顔を見せたのは社協のヘルパーYさん、復帰したのかと思うと嬉しくなった。
いつも通りYさんが洗顔している間にK所長はバイタルを測り胸を聴診し脚のマッサージ、「あれっ 今日はお腹の マッサージはなしか」と思ったけど口にはしなかった。それから二人で清拭と排便介助。清拭は手足の指の間まで しっかりと拭いてくれたし丁寧さはあったけど…胸がちと冷えた。排便は懸念していた通り、2回の浣腸で下腹に 下りてきていた軟便とガスはなんとか出た。だけどその後の摘便ではころころ便3個と残っていた便汁がちょっと出た だけだった、K所長は指が短そうだから奥まで届かないのだ。T看護師ならもう少し出せると思うのだが、今日は祝日で お子さん達の相手 仕方ない。今日の一番の収穫はYさんの元気な顔を見られたこと、それだけでも良かったのかな。

2月11日 建国記念日
今日は日は建国記念日、日曜日だから明日も振替祝日で休みになる訳で世間では三連休。介護を受ける身としては迷惑 千万の話だけど昔はその恩恵を受けて喜んでいたのだから文句は言えないか。
午前11時過ぎから妻が洗顔・歯磨きをしてくれた。陰洗の話はもう妻の口から出なくなった、「脚(の付け根)が痛いのに 陰洗してる」と言われてまで妻にケアを請うのは酷だし いろいろなことを言われるのも嫌だし…。まあ半日以上(夜間) 妻が僕の部屋に顔を出すこともないし、基本的に訪問の人がいる時は昼も夜も妻は僕の部屋には来ないから。以前は 「せめて夜だけでも時々顔を見せて欲しい」と頼んでいたけど、今はもうそんなことを思うこともなくなって… 期待するのをやめた。

2月10日 もったいない
土曜日のケアは朝10時15分から。担当は訪問看護ステーションTのT看護師とK会のヘルパーMoさん、この二人が一緒なんて やっはりもったいない話だ。T看護師はどんなヘルパーでも対応出来るし、Moさんなら消極的な看護師でも上手くリード してくれるのに。
いつもの様にMoさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸を聴診し脚のマッサージ。それから二人で清拭、 上半身の前を拭く時に胸が冷えないようにきちんと考えてくれていた。手足の指・手足の指の間もちゃんと拭いてくれた。 MoさんはT看護師の指示待ちではなく自分の考えで率先してケアを進めてくれるから他のヘルパーより時間は短くなるはず なのだが…ケアが終わったのは11時半近く、T看護師とMoさんのコンビでも洗顔・清拭・陰洗を1時間で終わらせるのは 無理だった。やはり土曜日のこのケア計画は成り立たないようだ。

2月9日 金曜日のケア
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車。羽根布団にしてから汗をかかない限り暑いのか寒いのかよく分からないのだが、 布団を取ると今日が寒かったことがよく分かった。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとYさん・ヘルパーのMaさんと Kさん、いつもの様に浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・万歳・タッピングをしてから吸引して もらった。G看護師が両手を挙げてもらうと結構思いっ切り上げてくれるからより気持ちがいい。そしてスライドボードを 使ってベッドから浴槽に移してもらいお湯に浸かった。それから足し湯と胸にシャワーでお湯をかけてもらってゆっくり 温まり、そしてネットを上げて全身をみんなで洗ってもらいもう一度お湯に浸かって温度を上げた足し湯とシャワーで 汗が出そうになるまで十分に温まりお風呂からあがった。今日はお風呂上がりでも身体が冷えることはほとんど なかった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、今日も診察とカニューレ交換だけだからすぐに終わった。そして午後3時 過ぎからはH先生の訪問リハビリ。最初に脚と頸に装具を付けてH先生に上半身を支えてもらってベッドの右端に端座位。 今日は少し息苦しくて途中でバッグで押してもらった。端座位自体は普通の調子だったと思う。次は立位運動、1回目は 腰を伸ばす時ちょっと抜けそうな感じだったけど…2回目・3回目は腰にまあ力が入った。最後は脚の可動域運動。 股関節の屈曲運動は久しぶりに股関節の内側がかなり痛かった。膝の裏伸ばしは今日はまあまあ、踵伸しもかなり 痛かった。

2月8日 散歩
木曜日の朝のケアは9時45分から、訪問看護ステーションOのM看護師が15分以上遅れてきて「洗顔は排便が終わってからに しよう」とのこと。そうしているうちにK会のヘルパーMaさんが合流、まずは背中拭き。M看護師の背中拭きは右腕を服から 抜いてから、多少寒くはあってもきちんと丁寧に拭いてもらえるのだ。そして次は排便、昨夜はラキソベロン15滴と カマグ(酸化マグネシウム)を服用してた。それでも1本目の浣腸ではガスしか出なくて、2本目の浣腸で便が出かかったが 形があって出なかった。それをM看護師が摘便で取りだしてくれたのだが「固い便だ」と。そして「摘便で詮が取れた」 らしくて便が次々に下りてきて、それをM看護師が必死のお腹押しと摘便で取り出してくれて…1時間半近くも かかったけれど「二週間分くらいの便が出た」らしい。これでお腹もペッコリ。久々に瓶がたっぷり出て安心したし久々に ゆっくりした気分になれた。最後に洗顔してもらって、ケアの終わりにM看護師から「今日梅の花を見に行きましょう」と 提案があって…「どのくらい咲いているんだろう、楽しみ」。
午後3時からの車椅子移乗、社協のヘルパーNiさん(主導)とKさんが先に来て脚のマッサージをしているところにM看護師が 着いた。脚と頸に装具を付けてからM看護師とNiさんが立たせてくれたのだが…思っていたよりまともに立たせてくれた。 そしてスライドボードを使って車椅子に移って寒さ対策をして僕とM看護師二人でご近所の散歩に出かけた。外に出たら 思っていたより風が冷たくてちょっとブルブル。まずは庭からお隣のMaさん宅の梅の木を拝見、赤い花が綺麗に 咲いていた。次にうちの後ろの方のKさん宅の垂れ梅、何輪か咲いてはいたがまだまだ咲き始め。その次は焼き物屋さんの 駐車場、白梅はかなり咲いていたけど紅梅は蕾が大きくなって先がピンクになっていた程度。それよりも山茶花の赤い 花が綺麗だった。山茶花の花は冬の初めから咲く、梅の花が咲くのは例年2月中旬、山茶花の花と梅の花が両方 見られることもあるんだ。
それから後ろの道を西の方に上がっていき田んぼまで行くと路傍に菜の花が咲いていた、鮮やかな黄色だった。更に 田んぼの半ばまで上がっていき振り替えるとMoさん宅の庭にはピンクの紅梅と白梅の花が幾らか、奥のMoさん宅には ピンクの紅梅がもう少し咲いているのが見えた。僕にとってはここまでが梅の花見の会、そしてここからが散歩。 M看護師は車椅子を押すのに体力的にかなり大変そうだったけど、隣の地区までちょっくらひと回り。途中に鎮守の森 ならぬ直径5mぐらいの鎮守の林?があって中にお地蔵さんが祀ってあった。子供の頃隣の地区の小山の上の畑に行く時に この趣のある鎮守の林の側を何度も通ったはずなのに…覚えていなかった。道中掛けていた毛布に隙間風が入ってきて 寒々したけど楽しかった。M看護師 ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

2月7日 ちょっと不安だったけど
朝10時過ぎからは入浴車、ヘルパーさんが部屋に入ってくる直前にカフが急に減り口に空気が上がってくるようになって 音までしていた。それで看護師さんが部屋に入ってきたらすぐに1ml追加してもらった。今使っているカニューレが改良に なって以降カフからエアがよく抜けるようになった、困ったものだ。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん (ケアマネージャー)とHさん・ヘルパーのNiさんとMoさん、いつもの様に看護師さん達に浴槽の中にお湯が溜まるまでに 脚のマッサージ・万歳・タッピング・吸引してもらってスライドボードを使ってみんなに浴槽の中に移してもらった。お湯に 浸かった瞬間は今日もやや熱く感じたけれど、すぐに慣れて足し湯と胸にシャワーでお湯をかけてもらった。そして 温まった後はネットを上げてみんなに全身を丁寧に洗ってもらい、温度を上げたお湯にもう一度汗がじわっと出るまで 浸かりお風呂からあがった。今日はF看護師以外は今年度デビューの三人が入浴車のスタッフだったから少し 心配していたけど…意外とスムーズにいった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、水曜日は下半身の可動域運動と立位運動3回。最初の股関節の屈曲運動は そうでもなかったけど、膝の裏伸ばしと踵伸しはかなり痛かった。よく伸びたようだ。立位運動は3回目に大腿四頭筋を よく使わせられた。ただ腰伸ばしも3回目が一番スムーズに出来た。何か関係あるのかな。立位保持は今日ももうひとつ、 お尻に力を入れるコツを忘れちまった。

2月6日 火曜日のケア
「待ち人来たらず」ではないけれど来ると思い込んでいたものが来ない時は落ち込みもするし、他の弱いものに対し訳の 分からない怒りの矛先が向くこともある。情けない。ただ終わりにする時は「さようなら」と言って欲しいものだ、僕は 「今までありがとう」と言うから。大学時代の失敗は何があっても二度としない。僕から終わらせることはしない、また 再び後悔したくはないから。向こうから「さようなら」なら「仕方ない」と苦笑いして終わりに出来るから、親しい友から 普通の友への格下げはお互いに?寂しいけど(向こうは初めから普通の友かもね)。
火曜日のケアは朝9時半から。今日は玄関からした挨拶の声から社協のヘルパーNaさんだと分かった。Naさんが洗顔を 始めたところに訪問看護ステーションOのM看護師が来てまず吸引、それからバイタルを測り胸とお腹を聴診しお腹と脚の マッサージ。次に背中拭きと陰洗、M看護師の力強く丁寧だけど変則な動きにNaさんは積極的によくついていってた。 ケアの最後は車椅子移乗、スライドボードで車椅子に移った。車椅子は庭向き、今日はチビが素通りする背中を二度・ マルが外の岩のお供えの茶碗の水を飲む姿を見られて良き日だった。南天の赤い実と梅の蕾は光の関係があるのか今日は 目立たなかった。ユキヤナギの黄緑の葉っぱ(何だか汚い)はどうなるのかな。
午前11時前からは訪問リハビリ、窓を開けたまま・車椅子に座ったままでH先生の上半身の可動域運動。今日は腕挙げと 指曲げがしんどかった。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は膝に力を入れて踏ん張ったつもりだったけど…どうだったの だろう、自分ではまあまあだったと思うが。
午後2時半からは訪問歯科、まず口内炎があることを妻に伝えてもらった。今日は歯科衛生士に新しい歯科医が同行、 新しい先生はおしゃべりが苦手なのかもしれない。左下一番奥の歯茎には違和感があったがその部位の顎骨を下から 圧迫すると小さいけれど痛みもあった。歯科衛生士さんは最初に歯間の掃除、それから先生が口の中を確認してから 歯科衛生士さんが歯ブラシでブラッシングしてスポンジブラシで拭き取りとマッサージ。食べてないのだから左下奥歯の ブリッジの一番の治療法は抜くことなんだけど、僕が左下奥歯の5番の歯は歯ぎしりすることで合図として使っているから 残してと懇願してるので事を難しくしてる。今はだましだまし歯茎を掃除することで現状維持を図っている、なんとか 死ぬまで保って欲しい。火葬しても歯の金属は残るらしいから子供たちに遺したい(左下は娘・右上は長男・左上は次男)。 金は当時に比べて何倍も値上がりしてるから、何かの足しになるかも。

2月5日 どうしたらいいんだろう
月曜日の朝のケアは10時半から。定刻前に先に来たのは社協のヘルパーNaさん、玄関を開けて聞こえてきた挨拶の声が 誰だか分からなかったので部屋に入ってきたNaさんの顔を見てちょっとびっくり。少し遅れて部屋に入ってきたのは 訪問看護ステーションTのT看護師、僕は僕はNaさんのことを排便時のお腹押しの天才と思っているから「このコンビなら 今日は便が出るんじゃないか」とちょっと安心した。そしてNaさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測りその後も お腹を入念にマッサージしてくれたんだけど…便は 浣腸液を2本使っても ちょっとしか出なかった。今日分かったことは 便が下りてこない感じがしたことと便を肛門の方へ押す力がないこと。どうしたらいいんだろう、昨日はラキソベロンも カマグ(酸化マグネシウム)も二種類の下剤を服用したのに。
午後3時からは車椅子移乗、担当はT看護師とKさん。今日も二人に立たせてもらったけど…割と調子良かった。それから スライドボードを使って車椅子に移った。車椅子はテレビと庭が両方とも見える向き、梅の蕾が少し膨らんで5-6個蕾の 中の白い色が見えた。今年は早い気がする。ユキヤナギの葉っぱはまだ気になる色のままだった、この後どうなるのか。 南天の赤い実は大きいのと小さいのの二つに分かれるのか、陽当たりのせいでもないようだしなんでだろう。
車椅子からベッドに戻る時のヘルパーはNiさん、僕は今日の形 車椅子に移る時はNiさん以外・ベッドに戻る時はNiさん がいいと思う。今日も力か入る時は「ハイッ」と口から声を出して気合いを入れていたし…。Niさんも大分慣れてきたけど、 まだまだ不安かな。

2月4日 立春
今日は朝起きた時から肺が胸が寒くて、妻にそう言ったらホットタオルを持ってきて胸の上に置いてくれた。今日は 立春、暦の上では春なのに…こんなに寒がっているのは僕だけか。肺が寒い感じは一日中消えることもなく…寝る前に 麻黄湯を服用していつもより少し早めに寝た、これで明日の体調が少しでも改善すればいいのだが。ついでに言うと 午前中パソコン操作用の右足のスイッチの操作が不調だった。午後になって出来るようになったから午前中は右足の 親指と人差し指が力を入れるコツを忘れていたようだ。パソコン画面の文字も見づらいし…僕の身体に何かが 起こっている?
今日は妻がケアしてくれた時間以外はパソコン三昧。午前中はテレビ番組をTverで見逃し配信の番組動画を視聴・午後は 昔のフォークソングや演歌をYouTubeで聞いてた、あまり物事を考えずに時の流れに身をまかせるのも時には 良いもんだ。妻には顔だけのケアにしてもらった、身体の負担が大きそうだから。身体の負担は精神にもだんだん影響が 来て愚痴諸々が出てくるようになって、それを受け止めるのもかなり辛いものだ。

2月3日 節分
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻5分前に訪問看護ステーションTのN看護師の顔が見えた時に質の高いケアは諦めて 「無難に終わってくれればいい」と思った。パートナーのK会のヘルパーFさんは普通レベル、あまり積極的に動く方では ないけどことN看護師の時は少しずつリードしてくれる。ヘルパーがMoさんやAちゃんやTさんならたとえN看護師でも ケアの間中眠っていても良いのだが…。そういう意味で木曜日の朝のケアの時の訪問看護ステーションOのM看護師の パートナーがMoさんだったのがもったいなかった。
清拭の時は手足をもっと丁寧にそしてもう一度拭いてほしかったけど…時間も押していたし胸に置いた肺を温めるための タオルもぬるくなるまて換えないし で次に進むことにした。前回より良くなったことが一つ、陰洗で差し込み便器を 差し込む時の僕の足の位置取り。今日はほとんど重なっていなかった(まあFさんは力が強いからあんまり関係ないか)。 吸引と文字盤の使い方は相変わらず。痰がカニューレの上 見える所まで上がってきているのに…吸わないで通り過ぎる、 僕が合図しないと吸い始めない。もしかしたら痰のある位置を自分では探すことが出来ないのかも。文字盤も下手だし、 N看護師の時は気が休まらない。
今日の夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーはMoさん、これも気が休まらない。節分は季節の変わる時、だけどいつまで 経っても変わらないこともある。節分は豆を蒔き恵方巻を食べて福を迎える習慣、僕はどうしたら安らぎが来るのか。

2月2日 心の問題
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、スタッフのみんなが部屋に入ってくる直前になんとかパソコンを終えた。今日の 入浴車のスタッフは看護師のGさんとY子さん・ヘルパーのNiさんとNaさん、今日はNaさんの明るい挨拶が聞こえても心は 明るくならなかった…心が病んできているのか。いつもの様に浴槽にお湯が溜まるまでに看護師さん達に脚のマッサージ・ 万歳・タッピング・吸引してもらった後スライドボードを使ってベッドから浴槽の中に移動しお湯に浸かった。お湯は 今日も最初は熱く感じたけど足し湯をしてようやく温度を保っている感じだった。そしてお湯の中で一度温まってから ネットを上げてみんなに身体を洗ってもらい、もう一度浴槽に浸かって温度を上げた足し湯と胸へのシャワーで少し汗が 出るまでゆっくりと温まりお風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂だった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診。いつもの様に診察とカニューレ交換をしてもらった後麻黄湯と浣腸液(60ml) 5本を処方してもらうよう頼んだ、排便の日に毎回2本ずつ浣腸液を使っているから足りなくなりそうなのだ。本当に 情けない。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ。最初は脚と頸に装具を付けてH先生に支えられてベッドの右端に端座位。今日も もうひとつ気合い不足は歪めなかったが…最近の中ではましな方。外の景色よりもテレビの方が気になって…、庭の方を 見たいかどうかは僕のある種のやる気のバロメーターみたいなもんだから。次の立位運動も腰伸ばしと立位保持はH先生に 頼りっぱなし、「これじゃ駄目だ」ってことはどこかで感じているんだけど頭と身体がついてゆかない。65歳ってもう 年寄りだから仕方ないんじゃないかとも思う。最後の脚の可動域運動でも痛みが早く来るのはやる気の問題じゃ ないかな、我慢強さかなくなって諦めが早くなった。

2月1日 苦悩
今日木曜は排便の日、だけど便意は弱いし便が下りてきている感じもほぼなかった。お腹の張りは今日もガスのようだ。 今日も苦労しそう・苦労させそう。何か解決策を見つけないとずっとこのまま月曜と木曜は排便で苦しみ悩みいっぱいに なりそうで…怖い。
木曜日の午前中のケアは9時45分から、訪問看護ステーションOのM看護師がちょっと遅れてきてすぐにバイタルを測り洗顔 開始。洗顔の終わり頃にK会のヘルパーMoさんが来て、木曜日のケアはM看護師が積極的に動いてくれるのでなにも なくても良かったのに。今日はM看護師とMoさんという贅沢なコンビ、もったいない気がした。それから二人で背中拭きと 排便介助。M看護師の背中拭きは今日も力強く丁寧で胸まで拭いてくれて、まるで上半身の清拭だった。最後は排便介助、 2回摘便と浣腸してもらっても便は出なかった。流石のM看護師でも無理、便が下りてきてないんだもの。便を下ろす 対策が必要となるけど…。
便を軟らかくする薬としてカマグ(酸化マグネシウム)があると聞いてはいるが「カマグは(効き過ぎて下痢になる可能性が あるから)服用しちゃあ駄目」と妻から止められた。ケアの後(昼の経管栄養の時)「今日便は出なかった」と妻に告げた。 妻は「排便の2日前・1日前のラキソベロンを増やしたら」と言うが1日前のラキソベロンは15滴(かかりつけ医T先生の言う 上限)、2日前のラキソベロンの量はレスパイト入院の時に5滴→10滴に増やしてみたけど変化はなかった。M看護師から いつ頃から上の方の便まで固いと言われるようになったか、それは夜便秘の薬を服用するようになってから。何らかの 関係はあると思うのだが「そうだ」と言い切る自信がないから貫けない、妻は元看護師だからこっちの方が立場は弱い。 他に便を軟らかくする方法として思い付いたのが食物繊維を摂ること、妻は「オリーブオイル」と言ったが経管栄養に 直接入れるのはなんか気持ち悪いので僕は「青汁」。どうしたもんか。
午後3時からは車椅子移乗。社協のヘルパーYさんが先に来てM看護師がちょっと遅れて到着。木曜日の車椅子移乗は一度 二人に立たせてもらってから車椅子に移る。立たせてもらったらベッドからは結構楽に立ち上がれたけど腰を伸ばすのに だいぶ苦労した。車椅子の向きは庭とテレビが見える位置、庭のユキヤナギの葉っぱがこれからどうなるか気になった。 梅の蕾は今日はよく見えなかった。南天の赤い実は光が当たると今日も輝いて見えた。車椅子に座っていると時間が 経つに従って左膝が痛くなってきて堪らなかった。車椅子からベッドに戻る時のヘルパーは社協のKさん、左膝が痛くて 早くベッドに戻してほしかったけど今日はゆっくり。…似感じただけかも。



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1月
1月31日 入浴車 気持ち良かった
朝10時過ぎからは入浴車、今日も寒いらしくみんなが部屋に入ってきて僕の顔を見た途端「(朝は)寒かった」「手が冷たくて 申し訳ない」と言っていた。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとYさん・ヘルパーのKさんとNaさん、Naさんの明るい 挨拶を聞くと嬉しくなるのはどうしてだろう(笑)。いつも通り看護師さんに脚のマッサージ・万歳・タッピング・吸引して もらった後スライドボードで浴槽の中へ、最初は少し熱く感じたお湯もすぐに丁度良くなり…Kさんの「温度上げます?」の 誘いに甘えお湯の温度を上げてもらって足し湯をしゆっくり温まった。
浴槽の中に浸かった僕を囲んでの井戸端会議では色々な話をしてくれたが、一番盛り上がったのが娘さんの所に遊びに 来た彼の話。今までの彼は来ていても挨拶もしなかったらしいのだけれど今度の彼はきちんと挨拶するという。「家に来たらちゃんと挨拶ぐらいすべきよねぇ」ということで母親の意見として盛り上がっていた。旧我が町西有田の風習として 「よその家に行ったらまず仏様に手を合わせる」ということになってるから…当然挨拶はしたよな なんてことを 考えていた、まあそれ以前に僕は女子・女性の家に遊びに行ったことがないから。
それからネットを上げてもらってみんなに全身を丁寧に洗ってもらい、もう一度お湯に入って足し湯と胸にシャワーで お湯をかけてもらって十分に温まり浴槽からあがった。今日も気持ち良くて楽しいお風呂だった。謝謝。
午後3時本からはH先生の訪問リハビリ。最初はK医師のWeb面断、今の訪問リハビリは介護保険の扱いなので三ヵ月に一度 医師との面談が必要なのだ。だがインターネットが発展した今はテレビ電話でH先生が僕の最近の体調状態とリハビリの 方向性を説明しK先生からお言葉をいただけば済む、面談のためにK先生の病院までわざわざ出向かなくてすむのだから 便利な世の中になったものだ。Web面談が終わったら次は脚の可動域運動、今日もそこそこ痛かったけれど時間が いつもより短かったから耐えられた。最後は立位運動3回、出来はそこそこかな。ベッドから立ち上がる際には太腿の力を よく使ったけど腰を伸ばすのと立位で背骨を伸ばすのはもうひとつかな。

1月30日 庭の様子
朝から読売新聞社の質問の回答メールを途中まで作りパソコンを終わらせたのが午前9時半、その時には社協のヘルパー Kさんはもう来ていて洗顔開始。そしてKさんが洗顔しているところに訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを 測り脚のマッサージ。それから二人で背中拭きと陰洗。M看護師の背中拭きは力強く丁寧で気持ち良かった。胃ろうの 株の痛みはM看護師に訴えたが陰部の痒みは言わなかった、もう諦めの境地?
ケアの最後はスライドボードを使って車椅子移乗。車椅子は庭の方に向けてもらいいつもより窓の近くに、今日は ユキヤナギとモチノキの様子をはっきり見たかったので窓を開けたままにしてもらった。ユキヤナギの葉っぱはこのまま 枯れ落ちるのだろうか。モチノキはいつも通り、もっと左の方にも枝が伸びてくれないかな。左右のバランスが悪くて 隠れる所がないから小鳥も来そうにない。梅の木にはたくさんの蕾が付いているように見えた。左の方の蕾が少ないのは まだ栄養状態が悪いからなのかな。うちの白梅は遅咲きだから、うちのが咲く前にご近所の紅梅・白梅・垂れ梅を今年も 見に行きたいものだが…。南天の実は今日も元気、日に照らされて赤く輝いていた。それと部屋の南側にある蝋梅の木を 久しぶりに見たら あんなにたくさん咲き誇っていた黄色い花がもうなくなっていた。今日はチビが二度目に入ってきた。 一度目はお隣の家の玄関で日向ぼっこしているとこ、二度目は庭を素通りしていった。チビは僕を以前からずっと 物としてしか見ていないのは分かっているのに、それでもチビを見ると嬉しい。
午前11時前からは訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動。車椅子に座ったまま・窓も開けたままで左上半身(肩・肘・ 腕・手)の可動域運動、今日も結構痛かった。車椅子に座ったまま呼吸リハに入る前に窓を閉めてもらった。ベッドに戻る 時の4歩の歩行運動では重心移動の際には腰を入れるよう努めた、意識してまあまあ出来たと思う。ベッド上での 右上半身の可動域運動、かなり痛かった。車椅子よりベッド上の方が強く痛みを感じるのはなぜだろう。

1月29日 今日はなんとか
月曜日はまた排便の日、憂鬱な一日が始まった。朝の便意は「先週より僅かにあるかな?」って微妙な感じ、苦労するのが 目に見えてた。朝のケアは10時半から。訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーKさん、「今日も申し訳ない」と 心の中で謝った。洗顔と清拭は何の問題もなく無事終わった、いつも通りに。頸の痛み止めのジクトルテープは昨日妻が 貼ってくれた脇腹の上が両側とも痒くなったから…今日は両太腿に1枚ずつ貼ってもらった。朝のケアの最後は排便介助、 今日も1回目の浣腸ではガスしか出なくて…2回目の浣腸とT看護師の摘便・Kさんの懸命なお腹押しで何とか何とか便が 出た。今日も散々苦労をかけた。時間も10分オーバーした。申し訳なかった。昼の経管栄養の時に妻に「カマグ(酸化 マグネシウム)残っているか」と聞いたら「下痢したいの?」と切り返された。一時的に下痢になって身体的にきつくても 心が軽くなった方が総合的には楽なんじゃないかな。
午後3時からは車椅子移乗、今回の担当はT看護師と社協のヘルパーYさん。月曜日の車椅子移乗は一度二人に立たせて もらってから車椅子に移る。立たせてもらったらまあ上手く立てた、この頃調子良い。車椅子は庭とテレビ両方が見える 向き、今日はチビがチラリともしなかったからどちらかというとテレビを見てた。庭の南天の赤い実は今日も 目立ってた。

1月28日 チビ
朝7時半までで重度障害者訪問介護のヘルパーが帰り夕方5時に重度のヘルパーが来るまで今日は誰も来ない日だから 」,平穏な日中になると想っていたのだけれど、そうはなかなか上手くはいかないものだ。
昨夜に引き続き今夜もチビがベッドに上がってきて僕の脚の間で休んだ、今日は二回も。まずは夜の経管栄養の前、 10分ぐらいふみふみしそして眠ったようだ。ただ30分ぐらいした頃妻の足音が聞こえたらベッドから下りて僕の 部屋からも出ていった。それからしばらくしたらまたベッドに上がってきて脚の間に眠っていた。妻の足音には負けたが チビが二回もベッドに上がってくるなんて、嬉しかった。嫌なことばかりじゃなかった。

1月27日 ねむい
眠い、このところ夜中に何度も目が覚めるから寝不足なのだろう。寝る前に睡眠薬を2錠服用しているのだけれどだいたい 未明の3時前に一度は目が覚める、前はもう少しは長く眠れていたのだが…困ったものだ。薬でせめて4時まで眠れれば こんなに疲れが残ることはないと思うのだけど…眠れないのだからどうしようもない。だからつい朝のケアの時に身体を 休めてしまう、申し訳ないと想うが。
土曜日のケアは10時15分から。最初に部屋に入ってきたK会のヘルパーMoさんの顔を見た時に「今日の看護師は誰でも 構わないなあ」と安心していたところに、訪問看護ステーションTのK所長の顔が見えた。今日のケアは洗顔と清拭と陰洗、 K所長は久しぶりで何か戸惑ってもMoさんが上手くフォローしてくれるだろう。Moさんが洗顔している間にK所長は バイタルを測り胸を聴診して脚のマッサージ、K所長もだけど拳で足の裏をゴリゴリされるのはとっても痛いんだけど。 それから二人で清拭と陰洗、清拭は二人とも丁寧には拭いてくれたんだけど…上半身の前の方を拭く時に胸に当てて もらうのだがタオルが冷たくなるまで交換しないのは勘弁してほしい。ケアの最後は陰洗、差し込み便器を差し込んで 陰洗する時にMoさんにお尻を持ち上げてもらったのだが…足が重なってて僕がお尻を上げることが出来なくてMoさんに 3回もお尻を持ち上げてもらった。それからケアが終わったのも11時半過ぎ、1時間計画なのに申し訳なかった。
午後3時から妻が出かけるということで重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが吸引・排尿と見守りに来てくれた。僕が Moさんに言った「お粗末」という言葉が気になっていたようだがその前に付けていた「何もかもが」は伝わっていなかった ようだ。5時からAさんを引き継いだのがそのMoさん、驚くべきことが起きた。チビが夜の経管栄養の前に珍しくベッドに 上がってきて脚の間に眠っていた。栄養を繋ぐ作業に入ってもチビは不動のまま、チビの側に人が来てチビが 逃げないのは重度ではMaさんとOさんぐらいのものだ。現にその後チビが生まれた時からチビを知ってるM看護師が来た 時には足音を聞いただけで飛び降りてしまった。そんなにチビはMoさんに対して安心感を抱いてるのか、僕は不信感の 塊なのに。きっとMoさんにも良いところがあるのだろうが。

1月26日 色々ある
今朝5時前目が覚めた時から胸から肩にかけて寒気がした、そういえば昨夜寝る前も寒くて漢方薬(麻黄湯)を服用した、 風邪引いたか。今朝4時頃も目が覚めて歯ぎしりで重度障害者訪問介護のヘルパーを呼んだが反応がなかった、 寝ていたのだろう。この時は幸い機関の奥のどこかに痰が絡まっている感じで息は十分出来たから事なきを得たが、もし 期間を塞ぐような粘着性の高い痰だったらどうなっていたか。おそらく人工呼吸器のアラームが鳴るまで目は 覚めなかったと想う、もしかしたらアラームが鳴っても寝ていたかもしれない。命を預かっているという自覚が ないのだろう。一方命を預けている僕は「モモがいつ迎えに来てもいい」と悟っているつもりだ、今日もヘルパーさんが 起きるまで30分ぐらいはあったが慌てることも心臓がドキドキすることもなかった。ただ 実際に気管に痰が詰まりかけて 呼吸が苦しくなった時にこの悟りの境地でいられるかは分かんないけど。
朝10時過ぎからは今週2回目の入浴車、部屋に入ってきた時にみんなが「(雪の積った)水曜日より今日の方が寒い、今朝 車の中は氷点下だった」と言ってた。今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とGさん・ヘルパーの KさんとNiさん、Niさんは今週4日目だ。いつも通り浴槽にお湯が溜まるまでにF看護師が脚のマッサージをしてくれて、 それから看護師さん二人で万歳10回・左側臥位になってタッピングした後吸引。そしてみんなでスライドボードを使って ベッドから浴槽の中に入れてくれた。浴槽に入っても今日もお湯はあまり熱くは感じなかった。それでお湯の温度を 上げて足し湯と胸にシャワーでお湯をかけてもらって(水曜より)温まり、ネットを上げて身体を洗ってもらってから もう一度お湯に浸かって温まりお風呂からあがった。お風呂に浸かっている時はみんなの間で色々な話が出ていたけど、 僕が口を挟む話題は出なかったのか…記憶に残ってない。でも 楽しいお風呂だった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の往診、診察とカニューレ交換をしてもらった。診察に関して何も話しはなかったから いつも通りなんだろう。午後3時半過ぎからはH先生の訪問リハビリ。最初は脚と頸に装具を付けてもらって端座位、 気合いがもうひとつ入ってなくて・景色よりテレビが気になって・上体が少し右に傾いているような気がして端座位に 集中出来てなかった。立位運動も同様に気合い不足?、ベッドから立ち上がるのに太もものかなりの力を使い果たし腰を 伸ばすのはほぼH先生任せ。最後は脚の可動域運動、今日も結構痛かった。なかなか入院前の調子には戻らない。特に 問題なのは股関節かな。

1月25日 憂鬱な日
木曜日は排便の日、便意は本当に弱かったけど便が下りてきている感じはあった。それでも気分は憂鬱だった。木曜日の 朝のケアは9時45分から、定刻5分過ぎに訪問看護ステーションOのM看護師が来て洗顔開始。最近のM看護師は髭剃りの時に 外科手術(出血)しないように気を付けていることが今日ひしひしと伝わってきた、気を付けるのは左顎骨の端っこから1cm ぐらいの幅だけでいいんだけど。そして洗顔が終わろうとする頃にK会のヘルパーAちゃんが来た。次に二人で背中拭き、 その前にM看護師は身体が冷えないようにエアコンの設定温度を2℃上げた。M看護師の背中拭きは今日も気持ち良かった、 いつもの様に丁寧で力強くきちんと背中や首まで拭いてくれるから。それにAちゃんの自主的なフォローも十分で 満足。
ケアの最後はいつも不安な排便、最初の摘便でコロコロ便数個とガスが幾らか出たらしいが1本目もの浣腸ではガスしか 出なかった(ガスはいっぱい出たけど…)。でも便が下りてきている感じはあったから摘便してもらってもう1本浣腸、 それで便がある程度は出たけど形がありすぎて途中で止まってしまった。その止まった固め?の残便をM看護師に摘便で 出してもらったら栓が抜けて便が下りてきたらしく、更にお腹を押しながらの摘便でとことん出してくれた。M看護師が 言うには「いっぱい出てお腹もペッコリ軟らかくなった」と、でも僕はもうひとつ。しかしケアの時間をオーバーして いたので終わりにした。それにしても困ったものだ、今のラキソベロンの使い方じゃ排便の時間に便が下りてきてないし 便が液状じゃないと僕は一人では出せない。どうしたもんか、下痢する危険性があるけどカマグを併用するか。
午後3時からの車椅子移乗の担当はM看護師と社協のヘルパーNiさん(Kさんは指導)、今日も主体はNiさんとのこと。 木曜日の車椅子移乗は看護師さんとヘルパーさんに一度立たせてもらってから車椅子に移る。今日のNiさんは頑張って 立たせてくれて…しっかり立てたし腰も伸ばせたし、その後は幾らか不具合もあったけど無事車椅子に移った。車椅子は 庭向き、南天の赤い実は日の光に照らされて今日も輝いて目立っていた。老いた梅の木には小さな蕾が見えてきた、 これからが楽しみ。ユキヤナギの枝からは最近芽生えた黄緑の葉がなくなった、これからどうなるのだろう。車椅子に 座っている時にチビが僕の見える範囲を三度出入りした。二度目は少し長め、座敷横のコンクリートの上で頭だけ 日向ぼっこしてた。まあチビにとって僕は生きている存在じゃないから、目が合うこともなかったけど。

1月24日 寒い一日
昨日から降り続く雪で朝は雪が少し積っていた、朝からWebカメラで外の様子を見ていた。昼になってお日様も顔を出して きたからほどなく雪は溶けたのだろう、個人的には残念だけど。今日は朝10時過ぎから入浴車・午後3時過ぎからは訪問 リハビリ、来れるかなと懸念してたけど 社協の入浴車はあったけど訪問リハビリは休み。東の方が雪は激しかった様で、 訪問リハビリのH先生は小城から来るので雪がひどくて動けなかったそうだ。出来れば今回がこの冬最後の冷え込みに なればいいけど、2月にもう1回は寒気が来るだろうな。
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとYさん・ヘルパーのMaさんとKさん、今朝は外が かなり冷え込んでいたようで部屋に入ってくるなりみんな「寒い」「手が冷たい」を連発してた。確かに浴槽に浸かっても お湯は熱くは感じなかったし、お湯の温度を上げて足し湯をしてもらった上で胸にシャワーでお湯をかけてもらっても 身体は芯からは温まらなかった。みんなに体を洗ってもらうためにネットを上げてもらったのだが、洗ってもらっている 間に体の下に敷いていたバスタオルが冷たくなった。それだけ今日は空気が冷えているということなんだろう。

1月23日 火曜日のケア
火曜日のケアは朝9時半から、今日はパソコンを何とか時間内に終え訪問を待った。定刻5分前に社協のヘルパーNiさん (Yさんは指導)が来て洗顔開始。今日の主体もNiさん、Naさんもそうだけど石鹸洗顔後の拭き取りをもう1回やって ほしいかな。洗顔途中に訪問看護ステーションOのM看護師が10分遅れで来てバイタルを測り胸を聴診。洗顔が終わったら M看護師とNiさんの二人で左側臥位になって背中拭き、羽根布団は厚みがあるからNiさんは左側臥位にちょっと苦戦して いたみたい。M看護師の背中拭きはいつも通り力強く首まで拭いてくれるから気持ち良かった。最後に陰洗してもらって 車椅子移乗、庭向き。朝は雪がちらついていたらしいが今は曇り空、こんな空模様でも南天の赤い実は目立っていた。 ユキヤナギの花は…、今年は無理みたいだ。
午前11時前からは訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動。車椅子に座ったまま左肩・肘・腕・手を動かしてもらって いる時は痛みが来るのも遅く今日は調子良いと思っていたのだが、ベッドに戻って右上半身を動かしてもらった時は肩に 直ぐに痛みが来て…この違いは何だろうなんてことを考えながら耐えた。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は後ろ足から 前足に体重移動する時に不安定さを感じたが(特に右足重心の時)、脚に力を入れて踏ん張った。腰が落ちることなく 歩けたから歩行はまあまあだったかな。

1月22日 今日は苦労の甲斐があった
月曜日はまた排便の日、今朝からの便意も弱いから今日もまた苦労しそうだ。朝のケアは10時半から、担当は訪問看護 ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNaさん。ヘルパーが明るく元気なNaさんだからまだいい方か。まずNaさんが 洗顔している間にT看護師がいつもの様にバイタルを測り胸とお腹を聴診しお腹と脚のマッサージ。それから二人で清拭と 排便介助。まずは清拭、上半身の前を清拭してもらう時に胸にホットタオルを当ててもらうんだけど…この頃の寒気で ホットタオルの冷えるのが早くて胸まで冷えてくる。しかし どんな風にしてもらったら胸が冷えないようになるのか、 解らない。二人の拭き方は丁寧で力加減も丁度良くて…隅々まで拭いてくれる、まあ満足。
最後はいつも不安な排便。最初にT看護師に摘便してもらった時にNaさんがお腹を押してくれたのだけど、掌の使い方が 上手い。1回目の浣腸と摘便でガスはいっぱい出たけど便は幾らか降りてきただけ、それで2回目の浣腸をしてもらって 程ほど出て摘便という二人の共同作業でようやく下腹に降りてきた残便も出た。今日も本当に苦労したけど…二人の おかげで今週の大行事の一つが終わった。やれやれ。
午後3時からの車椅子移乗の担当はT看護師と社協のヘルパーNiさん(Kさんは指導)、今日はNiさんが主体でやるとのこと。 Niさんは僕の印象では小さくて力も弱い、立たせてもらった時に以前のSさんのようにNiさんが怪我しそうで恐い。 実際にT看護師とNiさんに立たせてもらった時はちょっと不安定、これが不慣れなためならいいが力不足なら…。また 怪我させたら…、車椅子移乗の時に立つことそのものがなくなりそう。午前中来たヘルパーNaさんは若いし体幹も力も 強いからこんな心配は不要だけど。

1月21日 イベント参加
今日は西九州大学神崎キャンパスで行なわれた「ICT & eスポーツフェスタ」に行ってきた。
「朝10時15分に介護タクシーが来る」と聞いていたから外出準備をしてもらえるヘルパーさん達は9時45分集合と思って いたのだけれど…来たのは10時。それに通院の時の外出準備はいつも30分以内だったので今日もそのくらいで終わると 思っていたのだけれど、今日は上下の着替えもあったしいつもは車椅子移乗してくれる訪問リハビリのH先生もいないし 不慣れなところもあったし…45分かかった。その上リフト車に乗ってからも車椅子の固定に思った以上に時間がかかり 家を出るのが11時になった。それで途中で個人的に応援に来てくれた看護師を拾った後「(時間を取り戻すために)多久から 高速道路に載ろう」と文字盤で提案したのだが、「どこを通るかは運転手さんに任せるのが一番」ということで 切り捨てられた。結局西九州大学の神崎キャンパスに着いて教室に入ったのは午後0時50分過ぎ、小城市に入ってから 道が混んだから。だから「高速に乗ろう」と言ったのに…。
きぇう通った道の大部分は35-40年前僕が福岡から帰省する時によく通った道、けれど行く時はどこを通っているのか介護 タクシーの車窓からの風景ではほとんど分からなかった。多久市に入ってから山茶花が増えてきた、道端にたくさんの 花びらが落ちていた。西九州大学の神崎キャンパスの庭は山茶花の花びらでピンクの絨毯になっていた。こちらの方の 家には山茶花が多いようだ、隣りの吉野ヶ里町には山茶花の自生北限地帯(千石山)があるくらいだから。若い頃一度偶然 立ち寄った、夏だったから何にも思わなかった。帰り道は多久市に入るまでどこを通っているか分からなかった。 多久市に入っても風景が40年前とは一変してて地形でしか昔の面影を辿ることは出来なかった。ただ一つ高速道路の 高架の下をくぐった先で昔見たと同じ物を見つけた。それが道祖神への案内板、「昔もこれがあったなあ」と思うと少し 懐かしかった。トンネルを通った後で八幡ダムへ向かう道(交差点)を捜したけど分からなかった。若木の交差点は以前は T字路だったんだけど…いつの間にか十字路になって、そして松浦バイパス?に繋がる新しい道が出来ていた。道理で 西九州大学に向かう時に途中から知らない景色になったはずだ。T字路の先にはゴルフ場があったからまさかこんな風に 真っ直ぐに新しい道を作るとは思わなかった。
ICT & eスポーツフェスタでは植田先生の研究室の発表には間に合わなかったけど、旧知の植田先生の奥様やお嬢さんとも 話せたしアプリ開発者のYさんにも話せた。ALS協会県支部のYさんとも話したし会長の顔も見た、僕もだけど会長も僕と 話す気はなさそうだった。開発中のアプリも試させてもらった。植田先生の簡単かつ適格な説明だけである程度は動かす ことが出来たから解りやすく使いやすいアプリなりそうだと思う。モニターの絵も綺麗だし発展性のある面白いアプリに なりそうだ。

1月20日 連続は辛い
昨日の夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーはSさん、そして今夜の重度障害者訪問介護のヘルパーはMさん。これで 午前中のケアの担当看護師が訪問看護ステーションTのNさんだったら「技術力不足・文字盤で上手く意図が読み取れない・ 気が利かない」という先週のしんどい悪パターンの2日間の再現だったのだけれど…、幸い今日の担当はT看護師とK会の ヘルパーMoさんというベストコンビだったからその分はラッキーだった。それでもこの2夜連続合わない男とのパターンは やっぱりしんどくなりそう。
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻に二人が来たのだけれど僕がパソコンしてたものだから5分ぐらいケアが遅れて しまった。今日のケアは洗顔・洗髪と清拭・陰洗の1時間半コース。Moさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り 胸の聴診をして脚のマッサージ。それから洗髪。T看護師に頭を洗ってもらうのはいつ以来だろう、洗う場所も力加減も 丁度よくて気持ち良かった。次は清拭、T看護師もMoさんも丁寧で力強くて それに手足の隅々まで洗ってもらって清拭も 気持ち良かった。最後は陰洗、最近は陰部が痒かったんだけど今日は痒みがなくなった。丁寧かつきちんと洗って もらったのだろう。ただケアが終わったのは11時53分、僕がパソコンで遅くなった分遅くなったか。
午後はいつものごとくパソコン三昧、動画を楽しんだ。夕方5時からはまた重度のヘルパーMさん、疲れるのは目に 見えてる。憂鬱だな。SさんとMさんを2夜続けるのは止めてほしい、疲れとイライラが倍増する。Mさんのケア技術は メンバーの中で最低。でも若手社員だし会社にとっては貴重な存在のはず、技術・理念・思想も含めて社員教育は しているのか。それとも若手社員といえども「使い捨て」が土屋という重度障害者訪問介護会社の方針?

1月19日 通院日
今日は通院日。午前11時半にヘルパーさん3人とFケアマネージャーが来て外出準備(Fさんは日曜に応援に来てくれるので そのために準備の見学)。まずみんなで玄関にスロープを設置してからYさんが洗顔している間にKさんとNiさんが脚に 装具付け。二人が脚に装具を付けている時に訪問リハビリのH先生がもう来て、二人が頸に装具を付けるまで待って僕を 一度立たせてから車椅子に座らせた。それから掛け物を掛けてもらい妻に吸引してもらって外出準備完了、玄関から 外に出た。
外は少し雨模様、リフト車に乗り込んだ時に隣のうちの塀際の花壇に名前の分からない花が数輪と水仙の白い花が1輪 咲いているのが見えた。出発ししばらく行くと今度は黄色い水仙の花が見えた。冬の花って何だろうと考えた時に僕は 12月の山茶花・1月の水仙・蝋梅・ユキヤナギ・2月の梅ぐらいしか知らないが…、病院までの道中のリフト車の車窓からの 風景を見ていると水仙は今から・山茶花は花びらが散っているのもあってもうそろそろ終わりのようだ。意外だったのは プランターのパンジー、後でネットで調べると冬の花とのこと。意外に花があった。街路樹のモチノキには我が町のには 実が付いていなかったみたいだけど、隣り町のモチノキには赤い実がいっぱい付いていた。我が家のモチノキは2年間 実はない。
病院に着いて玄関でリフト車を降り救急処置室に向かった、マスクをしてないのが気になったのか待合室で待ってた人が 僕のことを見てた。救急処置室に入ると看護師さんが誰もいなかった、20年以上通っているけどこんなことは珍しい。 しばらくすると看護師さん達が集まってきて車椅子からストレッチャーに移してもらった、そしてバイタルを測りながら 時計を見ると午後1時10分前、まあいつもの時間だ。それからしばらく待つと主治医が来てすぐに診察と処置(カニューレ 交換)、これもすぐに終わって帰る準備、ストレッチャーから車椅子に移してもらいリフト車に乗り込んで車椅子を 固定しようとしたら意外と時間がかかって…。それでも家に着いて部屋に入り時計を見るとまだ2時半前だった。 トラブルがあった割には今日も異常に早かった。
この後は訪問リハビリ、ただH先生が来るのが3時を過ぎると聞いたから 首が痛いのもあったから ベッドに戻ることに した。H先生が着いたのは3時半過ぎ、今日は脚の可動域運動。今日のリハビリも結構痛かった、股関節の内側も膝の裏も 踵も。まあ数を数えながらで我慢出来たけどね。

1月18日 排便は難しい
木曜日の朝のケアは9時45分から。定刻に訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを測り洗顔開始。洗顔の途中で K会のヘルパーMaさんが早めに着いて、洗顔が終わってから二人で背中拭きと排便介助。羽根布団を使ってから寝ていても 暖かくて背中が少し痒くなってきた。それで背中に薬が万遍なく塗れるようにジクトルテープ(頸の痛み止め)は太ももに 貼ってくれるよう頼んだ。ついでに退院してから立ち上がる際に右膝の調子が良いので背骨と骨盤の接続部に湿布を 貼らないとどうなるか試してみることにした、意外に思うかもしれないが腰の湿布と右膝の力の入り具合には絶妙の 関係があるのだ。M看護師は力強く背中を首までゴシゴシ拭いてくれたので気持ち良かった。
朝のケアの最後は問題ある排便、朝からの便意もほとんどなかったし便が下りてきている感じもなかった。最初の1回目の 摘便でコロコロ便2個とガスが出たものの、1本目の浣腸ではガス(いっぱい)しか出なかった。しかし便が下りてきた 感じは少ししたので2回目の摘便をしてもらったら、片手弱の便が出たという。そして2本目の浣腸で固め?便が 出かかったものの止まってしまったので3回目の摘便、これで片手強の便が出たという。もう諦めようと思って仰向けに してもらってしばらくしたら便が出てきて、でも途中で出し切れなくなくなったからM看護師を呼んで4回目の摘便。 今日は久しぶりに自分でもある程度便を出すことが出来たしM看護師にお腹を押しながら摘便してもらって目いっぱい(計 二日分?)出たらしいし、まだ少し便汁が残っているような気もしたがお腹もスッキリペッコリ。M看護師 ありがとうございました。
午後3時からは車椅子移乗、担当はM看護師と社協のヘルパーYさん(Niさんは見学)。木曜日の車椅子移乗は看護師さんと ヘルパーさんに一度立たせてもらってからスライドボードを使って車椅子に移る。僕は実は「Niさんは背も低いし力も 強くはないから立たせるのは難しいんじゃないかな」と思っている…。今日立たせてもらった時も膝が震えることもなく 力も入って上手く立てた方だ。車椅子は庭もテレビも見える向き、今日は曇っていたのに南天の赤い実は輝いて目立って いた。ユキヤナギの花は…どうなんだろう、咲くのかな。モチノキに小鳥の巣箱を取り付けたいが…無理だな、そんな ことを考えながら庭を見てた。

1月17日 阪神淡路大震災の日
29年前の今日の早朝阪神淡路大震災は起きた。当時営業で近畿(兵庫・京都・奈良・滋賀)を担当してた僕はこの日有休を 取って3日前から北海道富良野市のスキー場にいた。朝6時半頃目が覚めた僕はすぐにテレビを点けた。映し出された 映像は横倒しになってちぎれた高架橋道路、「何だこれは」と思った。場所を聞くと神戸、「しまった、僕はなんで 北海道にいるんだ」と大後悔。急いで会社の寮に電話し後輩を呼び出して「全販売会社・営業所に電話して被害状況を確認し 課長に報告、後は課長に指示を仰げ」と指示、これが食事中も移動中も落ち着かない一日の始まりだった。この阪神淡路 大震災の時に被災地には公衆電話からかけるのが有効なのだと知った。当時僕はPHSと電話代会社払いの公衆電話用KDDI カードを持っていて福岡の会社と被災地にかけたのだが、会社にはかかっても被災地には通じずじまい。ところが 一万円を100円玉に両替し公衆電話から被災地の販売会社や営業所(10ヵ所)電話したら…通じた、以前公衆電話からなら 被災地に通じると聞いたことがあったから試してみたのだ(KDDIカードは使えなったけど)。兵庫県に住んでいた親戚 (宝塚)や友人(六甲アイランド)のことを思い出したのは夜福岡空港からの帰り道、慌てて電話を入れ無事を確認した。 朝あのテレビを見た瞬間頭の中が仕事一色になってしまった、ほんと薄情。
阪神淡路大震災から約1ヵ月後神戸の長田の町を歩く機会があって 3mぐらいの道から西は焼け野原(片付けてあったけど)・ 東は1階が潰れた家がそのまま残っていて、空襲の後の焼け野原ってこんなだろうなと思えて恐ろしくなったことを今でも 覚えている。今後の東海トラフ・南海トラフ・東南海トラフ 地震や自然災害とは上手く付き合っていくしか ないのかな。
朝10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフは看護師のGさんとHさん・ヘルパーのKさんとNaさん、Naさんは3日 連続の登場だ。浴槽にお湯が溜まるまでにH看護師が脚のマッサージをしてくれて、その後二人の看護師さんが万歳10階と 左側臥位になってタッピングしてから吸引して、みんながスライドボードでベッドから浴槽に移してくれた。今日の お湯はちょっと熱めかな、足し湯をして胸にシャワーでお湯をかけてもらったら久しぶりに額に少し汗が出てきた。 ネットを上げみんなに全身を洗ってもらって、もう一度お湯に浸かって胸にシャワーしてもらったらまた額に汗が出た。 久しぶりに汗が出るほど十分に温まってお風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂をいただいた。
午後3時過ぎからはH先生の訪問リハビリ、下半身の可動域運動と立位運動3回。最初は脚の可動域運動、今日もかなり 痛かったけどH先生によると「関節が少し固くなってる」らしい。道理で股関節の屈曲運動の時も股関節の内側が結構 痛かったし、膝の裏伸ばしや踵伸しの時もかなりの痛みがあって時間が長く感じられた。立位運動は立つのには膝や 大腿四頭筋をかなり使ったが、腰を伸ばす時に使う筋肉はあまり上手く使えなかった。ブランクがあると倍の時間が 要りそうだ。

1月16日 ヘルパーのNaさん
火曜日のケアは朝9時半から。定刻に社協のヘルパーNaさんが部屋に入ってきて明るい評定と声で挨拶。そして洗顔準備に 入った。Naさんが髭剃りをしているところに訪問看護ステーションOのM看護師が着いてバイタルを測り胸の聴診をし脚の マッサージ、それから二人で背中拭きと陰洗、M看護師の背中拭きは相変わらず丁寧で程良い力強さで拭いてくれた。 陰洗は「陰部が痒い」ことを訴え何回も丁寧に洗ってもらった。そして最後は車椅子移乗、スライドボードを使って 車椅子に映った。Naさんは背中拭きにしても陰洗にしても車椅子移乗にしてもM看護師によくついていってた。
Naさんの良い所は明るいのはもちろんだけど 看護師の指示待ちではなく自分から仕事を見つけて動いている所だ、 Naさんがじっと止まっている姿はほとんど見たことがない。朝のケアの間中こんなことを考えていた、「高校時代Naさん みたいな女子が目の前にいたら 好きになっていただろう」と。Naさんを見ると毎回高校時代の同級生Kさんのことを 思い出す。別に顔が似てるという訳でもなく、身体からかもし出る雰囲気でそう思うのだ。でも…僕は高校時代 Kさんとは一緒のクラスになったこともないし話したこともない、Kさんのことをどうして覚えているのか 高校時代 女子との交流がほとんどなかった僕としては自分でも不思議なくらいだ。
車椅子は庭向き、今日は晴れているのに南天の赤い実は目立たなかった。南天の赤い実の輝きは時刻による太陽の光の 当り方や色で見え方が変わるようだ。ユキヤナギの花は咲くのか?、葉の付いた枝は少し伸びてきたけど 分からない。
午前11時前にH先生が来て訪問リハビリの時間、呼吸がしんどかったのでまず背もたれを1段倒してもらった。今日は 上半身の可動域運動と車椅子からベッドに戻るまでの4歩の歩行運動。最初は車椅子に座ったままで左肩・肘・腕・手の 可動域運動、ベッドに戻ってからの右上半身もそうだったけど痛みが先週より少し小さくなったように感じた。H先生の 強烈?な可動域運動にも上半身の関節は馴染んできたか。今日の4歩の歩行運動はもうひとつ、前の方の足に重心移動 しょうとした時に腰が伸びなかった。先週もその傾向があったし…、年末年始のレスパイト入院で身体が腰を 伸ばすことを忘れてしまったのかもしれない。
午後2時半からは訪問歯科。実は朝から左下奥歯の一番奥の歯の外側奥の歯茎が腫れている感じがあった。だけど歯磨きで 血が出たのは左下奥歯の内側の歯茎、どういうこと。この後もこのまま腫れなくて落ち着いてくれれば いいのだけれど。

1月15日 チビの姿が見れた
月曜日は排便の日、今日も便が出ないんじゃないかと朝から不安だった。
月曜日の朝のケアは10時半から、定刻に訪問看護ステーションTのT看護師と社協のヘルパーNaさんが僕の部屋に 入ってきた。ヘルパーのNaさんはどちらかというと僕のお気に入りのヘルパーさんなのだけれど、今日は体調が もうひとつでたいして嬉しさはなかった。まずNaさんが洗顔している間にT看護師はバイタルを測り胸とお腹を聴診し お腹と脚をマッサージ、まあNaさんの髭剃りは安心感があった。洗顔が終わって二人で次は清拭、清拭では手足の先や 間まですごく丁寧に拭いてもらって気持ち良かった。
そして最後はいつも不安な排便、まず最初にT看護師に摘便してもらってガスと便は出たみたいだが…、どのくらい 出たかは分からなかった。それから浣腸してもらったのだが下腹は痛くなったけど便が固くて?ちょってしか出なかった。 それで二人で力を合わせて摘便してもらって…いっぱい出たみたいだったけど 量はまたもや分からなかった。それに もう少し便意があったからしばらく待ってもらってから陰洗してもらった。今日はこれで十分だろう。
午後3時からは車椅子移乗、まず社協のヘルパーYさんとNiさん(見学)が来て二人が脚をマッサージしているところに T看護師が来た。月曜日の車椅子移乗は一度立たせてもらってから車椅子に移る。今日T看護師とYさんに立たせてもらった 時も膝がほとんど震えることもなくてまあ調子が良かった。それからスライドボードで車椅子に移してもらって車椅子は 庭向き、今日も太陽の光が当たって南天の赤い実は輝いて見えた。それにすぐにチビが座敷横のコンクリートの上に来て そこで30分ぐらい日向ぼっこ?、どうせ陽に当たるのなら全身に浴びればいいのにと僕には思えたのだが…チビは顔だけ 光が当たる位置に座っていた。まあコンクリートに暖かさが十分残っていたのだろうが。今日の車椅子移乗はチビを 見られだけで嬉しかった。

1月14日 動画三昧
今日は妻がケアしてくれた時間と都道府県対抗女子駅伝をテレビで見た以外はTverで朝から寝るまで動画を楽しんだ。 1つは1月から始まった新番組、もう一つは近年放送された以前見たことのあるドラマ複数。「VIVANT 総集編第三部」も 「ラストマン−全盲の捜査官ー」もやっぱり面白かった、妻からは「殺人の場面のある番組ばかり見ている」と非難されて いるけど。「日本沈没」もそうなのだが「ラストマン」も最終回はレスパイト入院と重なったため見ていないような 気がした。
退院して9日、もう疲れ気味で体調もうひとつかな。

1月13日 どこも人材不足?
土曜日のケアは朝10時15分から。定刻に訪問看護ステーションTのN看護師の姿が見えた時には少しドキッとしたが…、 今日のメニュー(洗顔・清拭と陰洗)なら妥当だと思い直した。今日のパートナーはK会のヘルパーFさん、N看護師なら 積極的なヘルパーの方が無難なのだが…。Fさんが洗顔している間にいつもの様にN看護師はバイタルを測り脚の マッサージ。それからN看護師とFさんの二人で清拭と陰洗、N看護師も最初の頃に比べるとスムーズになったものだ。ただ 文字盤の読み取りはまだまだ、今日も度々Fさんに通訳してもらった。N看護師もK所長も文字盤は中々上手くならないし ケアももうひとつ安心して任せる気が起きない、こう言っちゃ申し訳ないけど重度障害者訪問介護と同じだな。 それにしても文字盤の読み取りってそんなに難しいものなのか、読み取ってもらうこっちの方だって個々の方々の 読み取り方(性格)に合わせて瞬きするのは難しいんだけどな。
昨日の夕方5時から今朝6時までの重度障害者訪問介護のヘルパーSさんの察しの悪さや勘違い・文字盤の読み取り方にも 疲れたし、午前中のケアもやや疲れ気味。それに今夜の重度障害者訪問介護のヘルパーはMさん、口の中でモゴモゴ 話すから聞き取りにくいし長い文章は「て・に・を・は」を理解出来ないみたいで意味が通じないことが度々ある。はっきり 言って重度障害者訪問介護は吸引が出来るからと言って介護技術レベルが高いという訳でもないし、いつまで経っても 文字盤を上手く使えるようにならないということは国語読解力・知能レベルが低いと僕には思えてならない。元々期待は してないし諦めてはいるけれど全体的にレベルが低すぎる。たまに例外はいるけれど…この程度の人達に半日以上も命を 預けざるを得ない状況は情けない限りだし正直疲れる。モモ…。

1月12日 リハビリもなかなか難しい
朝は5時半過ぎに起きてパソコンを開始して、お風呂の時間の前まで動画(テレビドラマ)を楽しんだ。10時10分過ぎからは 今週2回目の入浴車、今日の入浴車のスタッフは看護師のFさん(ケアマネージャー)とHさん・ヘルパーのKさんとMoさん、 F看護師と会うのは今年初めてだから「今年もよろしくお願いします」と挨拶を受けた。まだ会っていない看護師さんや ヘルパーさんもいるからこういった挨拶はまだしばらくは続きそうだ。今日も洗髪はMoさん、痒い部分(後頭部から下)に 手が行かないから「そこも洗って」と促した。浴槽の中のお湯は今日も熱くは感じなかった、今日は一昨日(水曜日)よりも 寒くはないと聞いたのたけど。一度浴槽の中で温まってネットを上げてもらってみんなに身体を洗ってもらったけど…、 背中を洗ってもらう前にはもうネットが冷えていた。全身を洗ってもらった後はもう一度浴槽に浸かって胸にも シャワーでお湯をかけてもらって温まりお風呂からあがった。今日も気持ちの良いお風呂だった。
午後2時からはかかりつけ医T先生の今年初めての往診、だったけど 何の問題もなく診察もカニューレ交換も終わった。 そして今日はちょっと遅れて午後4時前からようやくH先生の訪問リハビリ。最初は脚と頸に装具を着けて端座位、実は この直前から気管のどこかに痰が引っかかってる感じがあって調子は良くなかったのだ。端座位している時も気管が ムズムズして景色を見る余裕がなかった。次は立位運動3回。立つ時はH先生にかなり力を使わらせられた感じだったけど 腰はH先生に今日も伸ばしてもらった感じだ。最後は脚の可動域運動、今日も股関節の屈曲運動も膝の裏伸ばし・踵伸しも 結構痛かった。なかなか入院前の状態には戻らないなあ。

1月11日 今日は地獄と天国?
木曜日の朝のケアは9時45分から。定刻ちょっと過ぎに訪問看護ステーションOのM看護師が来てバイタルを測り洗顔開始。 そして洗顔が終わってお湯を交換しに行っていたところにK会のヘルパーAちゃんが着いて二人で背中拭きと排便介助。 ただ右腕から服を脱がせて背中を拭いたところでM看護師へ緊急の電話がかかってきて10分ほど中断、その間にAちゃんが 上着を着せてくれていた。それから排便介助、今日もM看護師に摘便と浣腸を繰り返してもらったけど便が固かったようで とっても苦労した。僕は肛門近くの便だけではなく上の方に降りてきている便も固めなのは夜服用している便秘の薬の せいだと思っているのだが、病棟で1週間服用を止めてみたけどさほどこうが見えなかったから…「もういち服用を 止めてみたい」と言える訳もなく…。それにどのくらい便が出たかも分からなかったし…。
午後3時からは車椅子移乗の時間。担当はM看護師と社協のヘルパーKさん、Naさんが見学で付いてきた。木曜日の車椅子 移乗は一度立たせてもらってから車椅子に移る。今日立たせてもらった時は膝が震えることもなく力が入ってすんなりと 言ってもいいほど上手く立てた、珍しい。スライドボードを使って車椅子に移してもらってからは庭向きにしてくれた。 太陽の光に照らされて南天の赤い実が今日は色鮮やかに見えた。太陽の光が当たるとこんなに見え方が違うんだ。 ユキヤナギの花は今年はやっぱり駄目かもしれない、葉っぱの部分は少しは違って見えたけど。

1月10日 久しぶりの入浴車
朝10時過ぎからは入浴車。病院(神経難病病棟)でもお風呂は丁寧にきちんと洗ってもらったけどやっぱり入浴車は 楽しみ。今日の入浴車のスタッフは看護師のY子さんとYさん・ヘルパーのKさんとMoさん、Moさんの洗髪は久しぶり だったけど力加減はまだ優し過ぎかな。お湯は43℃で浴槽に入れたらしいけど浴槽に入った時は熱くは感じなかった。 今朝はとっても寒かったらしいから浴槽がかなり冷えていたようだ。それから足し湯をしてシャワーで胸にお湯を かけてもらい温まって、ネットを上げてみんなに体を洗ってもらったのだけど…その間にも体が少し冷えた。そして もう一度お湯に浸かって温まりお風呂からあがった。今日は寒かったからかあんまり温まった感じはなかった。
午後3時半前からは訪問リハビリ、H先生の下半身の可動域運動と立位運動3回。今日は股関節の屈曲運動は股関節の内側が かなり痛かったし、脚を挙げての膝の裏伸ばしも踵伸しも結構痛みに耐えた。金曜日 退院した日の下半身の可動域運動は そんなに痛みは感じなかったのに、やはりH先生が手加減してくれていたのだろう。立位運動は庭の景色をもっとよく 見ようと思って立ったけどもうひとつかな、腰に上手く力が入らなかったみたいだった。

1月9日 久しぶりの訪問リハビリ
火曜日のケアは朝9時半から、ギリギリでパソコンをシャットダウンし訪問が来るのを待った。今日の担当看護師は四日 連続で訪問看護ステーションOのM看護師、パートナーは社協のヘルパーKさんでケアは絶好のコンビネーションだった。 羽根布団にしてからケアがずい分やりにくそうだ、特に側臥位になった時に(M看護師曰く)羽布団が抱き枕みたいに邪魔に なってケアが難しそうだ。10時15分前に重度障害者訪問介護のヘルパーAさんが車椅子移乗の見学に来た、21日に外出する 予定がありAさんはその手伝いに来てくれる予定だから。M看護師は熱心に教えていたけどその必要はないと僕は思った、 車椅子移乗はどうせM看護師が主体でするのだから。
車椅子の向きは火曜日は庭向き、曇り空だったせいか南天の実は今日は葉っぱに隠れてあまり目立たなかった。 ユキヤナギの花はまだ咲く気配はない、咲かないのかもしれない。
午前11時前からは訪問リハビリ、H先生の上半身の可動域運動。この3週間あまり思いっ切り動かしてもらってないから 座ったままでもベッド上でも肩・肘の可動域運動はかなり痛かった。ベッドに戻る時の4歩の歩行運動は久しぶりにしては 脚も踏ん張れたしまあまあだったかな。

1月8日 祝日 成人の日
今日はピンとこないけど成人の日でお休み。今日も月曜日担当の訪問看護ステーションTの看護師が来られないと いうことで3日連続で訪問看護ステーションOのM看護師が来てくれた。パートナーは社協のヘルパーNiさん、ちょっと 不安を感じたけどM看護師が上手くフォローしてくれるはずだと思った。まずNiさんが洗顔している間にM看護師は バイタルを測り胸を聴診して脚のマッサージ、M看護師が脚を力強く動かしてくれていたからNiさんは髭剃りも顔洗いも しにくそうだったけど…Niさんの洗顔はまだもうひとつかな。
それから二人で清拭と排便介助、この時期は清拭に使うお湯やタオルがすぐぬるくなる。今日は3回もお湯を替えて くれた、難しいなあ。排便については万全の準備、ラキソベロンは一昨日は5滴で昨日は15滴・朝の経管栄養の時にお腹も ホットタオルで暖めてもらった。それなのに、最初の摘便でガスはいっぱい出たのだが便は…。そして浣腸して固めの 便は出たけれど途中で止まってしまって、M看護師にお腹を押してもらった上で摘便で出してもらって…テニスボール 1個分ぐらいは出たらしい。その後左側臥位になってもう一度摘便してもらってもう少し軟便が出たという。これでお腹も ペッコリ and ほぼスッキリ、木曜まではもてる。

1月7日 まさかの初漏れ
昨夜の夜間の重度障害者訪問介護の担当はAさん、だから昨夜はゆっくりと眠れると思っていたのだけれど…朝方またもや 目が覚めた。時刻は5時過ぎ、そしてもう一度眠ろうとしたのだけど 結局眠れなくて…パソコンで動画を見始めた。 それから朝の経管栄養の時間、僕は経管栄養の時は何にも感じなかったのだけれど…経管栄養が胃ろうチューブの途中の 接続部から少しずつ漏れていたらしい。経管栄養が終わって妻が栄養が漏れているのを見つけそれからが大騒ぎ、 「マットレスを交換しなければいけない」ほどマットレスまで濡れていたらしい。そしてスマホで連絡を取りマットレスを 交換するための相手捜し、人捜しはかなり難航したようだけど家でお休み中の訪問看護ステーションOのM看護師が 来てくれることになった。
M看護師が着いてマットレスの交換開始。最初に着替え、ズボンが思っていた以上にびっしょりしていたし上着も若干 濡れていたらしい。次に車椅子に移してもらいその間にマットレスを交換。車椅子に座っている時に今まで使っていた マットレスを見たら50cm以上の楕円があった、ものすごい濡れ具合だった。こんなに濡れているのに気付かないなんて、 僕の見事な鈍感振りだ。車椅子に座っている時にM看護師が車椅子を庭の方に向けてくれた。もう蝋梅の黄色い花々が 咲いていた、匂いが強い花だと聞いているから近くに行けば甘い?匂いがするのかな。南天は今日も色鮮やかだった、葉も 実も鮮やかな赤。まだしばらくは楽しめそうだ。ユキヤナギはまだ変化はなかった、白っぽい花はいつ咲くのか。
昼からはパソコン三昧。でも見たい動画はなくなった、どうしよう?

1月6日 レスパイト入院後の初ケア
レスパイト入院後の初の土曜日のケア、今日は土曜日担当の訪問看護ステーションTの看護師が来られないということで 代わりに訪問看護ステーションOのM看護師が来てくれることになっていた。まず午前10時半にK会のヘルパーMoさんが来て 洗顔開始、久しぶりに本格的な洗顔で気持ち良かった。M看護師が少し遅れてきてすぐに脚のマッサージ、M看護師が バイタルを取るのを忘れていると思って進言した。それから二人で排便介助、M看護師が摘便をやってくれたけど…流石の M看護師でも今日の排便は難しかった。年初の排便からこんな感じじゃ今年の排便も苦労することが思いやられるな。 月曜日のケアも代打でM看護師が来るということだから 月曜日の排便は何とかしてくれるだろう。


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