福岡の友人のところへ遊びに行く

今日は10月30日、福岡県に住んでいるAさんのお宅へいよいよ遊びに行く日。同行してくれるのは訪問看護ステーションの 所長さんとMさん、いつもお世話になっています、今日もご面倒をおかけしますがよろしくお願いします。
Aさんとメール交換するようになったのは2年半ほど前の事、オペレートナビの準備を本格的に始めてメーリングリストに 登録し届いたメールの中でAさんがホームページを開設された事を知って覗いてみて、Aさんの前向きな生き方に感銘を 受けメールを送ったのが始まりだった。それに対し明るく丁寧な返事をいただき気軽にメールの交換をする様になった。 Aさんにはいつでも好きな時にメールしていいし肩肘を張らなくても済むし何でも気軽に話せる気がした。それに他の国から 来られたにもかかわらずホームページやメールの中の日本語の使い方が正しくて丁寧なのに驚いたものだった。出来れば 早めにAさんの元へ遊びに行きたかったのだが、大勢の人の力を借りないと動く事も出来ないこの身体なかなか 言い出せないでいた。その事を知ってか知らないでか嫁さんが後押ししてくれて訪問看護ステーションの所長さんと話して 福岡行きを決めてくれた。本当に嬉しかった。

午前9時過ぎ訪問看護師さん3人が家に到着、1時間ほどかかって出かける準備をしてくれた。出かける目標は9時40分に おいていたのだが、僕がいろいろ口を挟むものだから出発は結局10時前になってしまった。僕ら人工呼吸器を着けている 者が出かけようとすると身体の体勢・準備や人工呼吸器や車椅子の他にバッテリーや痰の吸引のための道具一式が必要に なるから、どうしても準備に1時間ぐらいかかってしまう。たかが友人の所にちょっと出かけるというだけなのにこれだけの 時間がかかるとは辛いし申し訳ないし情けない話である。
10時過ぎにお袋や訪問看護師さん(一人)に見送られて家を出て武雄北方ICから高速道路に乗る、九州自動車道に乗るのは 久し振り(1年振り)の事、車窓に流れる風景を楽しんだ。金立SA・須恵PAで少しばかり休憩し古賀ICで九州自動車道を出る、 ここまではすごく順調だった。ところが花見の交差点を折れ国道495号線(僕には旧3号線と呼んだ方が馴染みが 深いのだが)に入ると急に自動車がのろのろ運転になった。こんなところで渋滞に巻き込まれるとは予期していなかったので 正直僕はあせりを感じてしまった。でも今回僕のナビゲーションはどうして交通情報(FM)を受信出来なかったのだろう、 受信さえ出来ていれば対処の仕方もあったのに。それにAさんのお宅の近くまで行ってからも道に迷ってしまった。これで 予定より30分近く遅れる事になり訪問看護師さんと嫁さんの昼食が後回しになってしまった。本当に申し訳ない。
午後1時過ぎにAさんの家に到着、Aさんのお宅は海の近く松林の防風林を隔てたとても静かな素晴らしい場所にあった。 家の中庭から愛犬の「マロン」の「不審な自動車が近くに止まったよ。」と知らせる声が聞こえる。僕は「マロン、マロン!」と 大声で叫びたかったのだが声が出ないのだから・・・・・、どうしようもない。
Aさんのところへ訪問介護に入っているヘルパーさんに導かれて家の中に入ると、Aさんが旧知の友人を出迎えるかの様に やさしい笑顔を向けてくれた。その笑顔を見た時僕はAさんとは今日が初対面という事を忘れていたし、今日会いに来て また来る事が出来て本当に良かったなぁ!と思った。Aさんの部屋は一面が大きな窓になっていて明るい日差しが差し込んで 暖かい雰囲気を持つAさんらしい温もりのある部屋だった。後で嫁さんが聞いて分かったのだが大きな窓もバリアフリーの この家も近い将来自分の身体がどのように変わっていくか不自由になり動けなくなっていくかをよくよく考えて 作ったという事だった。このあたりにもAさんの芯の強さや病気を受け止めてそれに真正面から正々堂々と立ち向かっていく 勇気が感じられた。


Aさんのお宅の愛犬 『マロン』
【Aさん(筋ジストロフィー症のママ)のホームページ】へ


息子たちが育てている金魚
Aさんと僕と嫁さんとでいろんな事を話した。僕が人工呼吸器を着けた時の事、愛犬マロンの事(僕の方からは庭でマロンが 訪問看護師さんと楽しそうに走り回っている姿がよーく見えた、2年程前からマロンと一緒に暮らし始めた事でAさんの ご家族はとても癒されていると言う)、ヘルパーさんの事、僕の後ろの水槽の中にいる金魚の事(大きな金魚がいる らしいのだが僕には見えない、そこで嫁さんにデジカメで撮ってもらった。そこには10pほどの大きな金魚が写っていた。 1年間でこの大きさまで成長したそうだが僕の息子たちが世話をしているうちの金魚はこんなに元気に育つのかなあ、僕の 息子たちだけにちょっと心配?)等等・・・・・。
Aさんのところには朝訪問看護師さんが来てその後はヘルパーさんが交代交代で入ってくれると言う、もちろん痰の吸引も 行ってくれるそうだ。元々Aさんは痰の吸引を行ってくれる事を条件に介護支援の契約を結んだそうだが、痰の吸引を 行ってくれる介護事業所が近くにある事また若い男性もヘルパーの一員として加わっている事が羨ましい限りだ。
僕の周りを見回しても吸引を引き受けてくれそうな訪問介護事業所はない、それどころか佐賀・長崎の両県で吸引を する事の出来るヘルパーが所属している訪問介護事業所があるという噂すら聞いた事もない。福岡県はほんの隣の 県だというのに訪問介護の取り組みに県や地域によってどうしてこれほどの差があるのか。本来医療や介護などの 福祉制度には地域間の格差はあってはならないはずだ。けれども地域間には実際に大きな差が存在する。それはなぜ?、 僕は介護や障害者対策を地方自治体に移した事で地域間格差を広げてしまったのだと思う。政府は権限委譲・財政再建の 名の下に介護や障害者対策を地方自治体に押し付けている。政府は確かにそれなりの補助金や地方交付税を地方に 供給している。けれども地方自治体の福祉に対する考え方や財政力で福祉に対する取り組みは大きく変わってくる、それが 福祉に対する地域間格差を生み出している。かといって政府が統一の政策を取ったとしても今より良くなるとは 限らないが、ちょうど今の医療制度の様に。
それにしても同じ様に肺機能が弱くなって人工呼吸器を着けているというのにAさんが声を出せるのはどうしてなのだろう。 たぶん病気の違い・球麻痺の進行の違いからAさんはのどから気管と食道とに分かれる部分の筋肉の働きがずい分正常に 近いのだろう。僕の場合カニューレのカフエアーを十分に入れておかないと口の中の唾液が気管の中に流れ込んで きてしまうのだが、Aさんの場合は気管と食道の境の筋肉が上手く働いているから人工呼吸器の助けを借りて膨らました 肺の中の息を口の方に吐き出す事で声を発する事が出来る様になったのだろう。今でこそAさんはかなりはっきりとした 声を発しているがこうなるまでにはそれ相応の努力をした事だろう。もし僕の声がまた出る様になるのなら工夫や努力は惜 しまないのだが。
Aさんと話し始めてしばらくした時Aさんの娘さんが帰って来た。Aさんの娘さんの事はホームページを見て少しは 知ってはいたが、綺麗で思い描いていた通りのお母さん思いで努力家のすばらしいお嬢さんだった。それにヘルパーさんも ある程度長い期間介護に入っている様でAさんや娘さんともまるで家族の様に接していた。実際は見える部分とは大きな 違いもあるのだろうがある程度遠慮のない会話が飛び交わされている様に見えるしなんとも羨ましく思えた。僕の ところへもヘルパーさんが2回入っているがあくまでも訪問看護師さんを補助する役目、吸引の約定は交わさないから 本当の意味で単独で来る事はない。
午後3時前、後ろ髪を引かれる想いだがもう帰らなければならない時間、あっと言う間に2時間が過ぎてしまった。短い 時間だったけれど楽しいひと時だった。Aさんは最後にもう一度「これから最低でも10年間は友達で(生きて)いようね。」 「今度はお子さん達も一緒に連れて来てゆっくりしていってくださいね。」と告げた。僕は今日Aさんのところへ来て Aさんからまた元気と勇気をもらったような気がした。
Aさんの家を出ると今度は国道495号線の渋滞に巻き込まれないために出来るだけ早く国道3号線に出る道を選択し、 10分余りで古賀ICから九州自動車道に入る事が出来た。九州自動車道を順調に進んで行くと大宰府ICを過ぎた後ニトリの 看板が見えてきた。ここには昔BIG WAYがあった所でよく遊びに来たものだった。しばらく行くと松筑荘の後に 老人ホームが建っているのが見えてきた。この松筑荘には元気だった頃よく会議や忘年会で来て泊まったし、松筑荘の 裏手にある天拝公園や天拝山にもよく遊びに来たものだった。殊に天拝山は宝満山に登れなくなった1998年頃から何十回と 登ったものだった。今では天拝山山頂に続く道は表の参拝道や万葉の小道など七つの道全てを踏破?した。
基山SAを過ぎると右手に小郡カントリークラブが見えた。ここでも2回ほどゴルフをした。鳥栖JCTを通り過ぎると真正面の 遠くの方に九千部山が見えてきた。九千部山は2000年の5月に家族揃って最後に遊びに行けた山である。九千部山の 山頂にはたくさんの電波塔が立っているから遠くからでもすぐ分かる。九千部山の西方は石谷山・大曲峠?・坂本峠・ 蛤岳・脊振山と連なる。このあたりも歩き回った。元気だったら蛤岳から背振山へと息子と一緒にテントを担いで縦走する つもりだったのだが・・・・・。東背振ICを通り過ぎると左手に日の隈山が見えてくる、この麓のゴルフ場でも何度か ゴルフをした。ここ九州自動車道を走っているといろいろな事が思い出される。
金立SAでしばしの休憩、金立を休憩場所に選んだのは明日から始まる佐賀バルーンフェスタに参加する気球がもしかしたら 見れるかもしれないと思ったから。しかし残念ながら気球は飛んでいなかった。金立SAを出て武雄JCTを通り西九州道を 波佐見・有田出口を降りる。出来るだけ長く高速道路を使う事で家に着く時間を20分は短縮出来る。そして5時少し前家に 着いた。計画より30分遅れの到着だった。 すぐに訪問看護師さんたちにベッドに移乗させてもらい着替えや手足・腰のリハビリをしてもらう。普段は車椅子には 1時間程しか座る事がないものだから、7時間も座っていた今日は腰とお尻が痛かった(手や脚はサービスエリアなどに 止まる毎に訪問看護師さんたちが動かしてくれていたので痛くなる事はなかった)。でもリハビリのおかげで腰やお尻の 痛みもほとんど無くなった。訪問看護師さんたちそれに嫁さんには今日一日本当にお世話になりました、 ありがとうございました。
今日Aさんに会いに行って本当に良かった。Aさんには元気を分けてもらっただけではなく生き続ける事の意義を 教えてもらったし人と会って一緒に話せる事の楽しみや喜びも教えてもらった。人と時間が許せばAさんにまた会いに 行きたいものだ。僕も訪問看護師さんには恵まれていると思っているが、訪問看護師さんはみんなそれぞれ家庭を 持っているからあまり無理を言う訳にはいかない。何とかならないものかな。 他に応援してくれる人はいない・・・・・?。