2008年8月19日 県立宇宙科学館へ行く |
朝9時過ぎ幼馴染のHが遊びに来ていたところに訪問看護ステーションの所長さんから「今日宇宙科学館に 行きませんか?。」と電話がかかってきた。ガンダムの原画展が開催されている宇宙科学館に夏休み中に行こうという話は 嫁さんと訪問看護ステーションの所長さんの間では前前から出ていたのだが、僕が「行かない」と言って断っていた。 外出すると僕も嫁さんも肉体的にもある種精神的にも2-3日は疲れが残るし休日の外出ともなると(今回は違うが) 訪問看護ステーションの方も看護師の遣り繰りとか代休の遣り繰りとかが大変そうだった、それにその他諸々の理由から 福岡のAさんの所に行ったのを最後にして家の自動車での外出は通院以外はもうしないと僕は心に決めていた。だから 今日の宇宙科学館への誘いでも僕は首を縦には振らなかった。 そこで嫁さんは作戦を変えた、遊びに来ていたHを「一緒に宇宙科学館に行きませんか?。」と誘ったのだ。 Hは『県の宇宙科学館』という言葉に興味をそそられた様で「行こうか!。」という返事、Hが行くと言っているのに 僕が「嫌だ」と言う訳にもいかず嫁さんの頭脳的な戦略が見事に頭に当たったという事だった。 11時過ぎ訪問看護師さんたちが来て外出の準備、僕の着替えを済ませ吸引セット(吸引器・カテーテル・セッシ・酒清綿・ 消毒液を入れたペットボトル・アンビューバッグなど)と文字盤をバスケットの中に入れ自動車に積み込んだ。それから 僕を自動車の助手席(僕の指定席)に移乗させ人工呼吸器を自動車の中に持ち込んで固定セットして最後に車椅子を 積み込んだ。しばらくして息子たち・Hが乗り込んで来て看護師さんたち・運転手の嫁さんも乗って出発進行、庭の大きな ひまわりが頭を垂れて見送ってくれていた。僕の心配事は昼食をどうするのかなという事、でも心配は無用だった。 看護師さんたちは前もって何かを少し口にしてくれていた様だし息子たちとHのためには嫁さんが「自動車の中で 食べるように。」とおにぎりを用意してくれていた。当の嫁さんはどうしたのか、少し心配だが・・・・・。 山内町に入ってしばらくしてHが「この辺りの道もかなり変わったね。」といった。確かにHは30年程前に我が町を離れて ずっと関東に住んでいたので、たまに我が町に戻って来た時もここ山内町辺りをうろうろする事もなかっただろうから この十数年でバイパスがつながり大きな道の駅が出来ている事も知らなかったのだろう。武雄市中心街の道も大きく 変わっているのだが中心街に入る前に右折したのでHが驚きの声を上げる事はなかった。宇宙科学館が見えてきた ところでふと思う、宇宙科学館の周りには旧郵政省の簡保の宿や厚生労働省の厚生年金保養所やプール?が あったはずなのだが、プール?はいつのまにか廃館になっており簡保の宿も厚生年金保養所も売りに出されているとか。 この厚生年金保養所には仕事で何度か来たし家族で泊まった最後の宿だ。今更ながら政府の無駄遣いと無策を 感じてしまった。 宇宙科学館に着いたが駐車場はそれ程込んではいないのに障害者用駐車場は空いていなかった、障害のある人が それ程この宇宙科学館に来ているのかとつい思ってしまった。でもこの宇宙科学館の1階奥のホール?では障害者 授産?(援助)施設の人たちもお店を開いているからその仲間の人たちかもしれない。障害者用の駐車場が 空いていなかったので歩道を自動車で障害者用のエレベーターのところまで行き(関係者の方ご免なさい)車椅子に 乗せてもらったのだが、人工呼吸器と外部バッテリーを車椅子に移して固定する僅かな時間でもむしむしする この暑さに冷房なしでは過ごせなくなっている僕のやわなこの身体は悲鳴を上げ始めた。すぐに障害者用の エレベーターに乗り宇宙科学館の入口まで連れて行ってもらった。息子たちは4-50mはあろうかという階段を元気に 駆け上がって来ていた。宇宙科学館の中に入ると程良涼しさ、昨年息子たちも一緒に連れて行ってもらった 玄海エネルギーパークは冷房が僕には利き過ぎて肌寒いほどだったが。この宇宙科学館は障害者や重度障害者の 付き添いの人は無料との事、さすが県の施設だなあ。 まずガンダムの原画展の巨大パネル?の前でみんなで記念撮影、そしてガンダムの展示会場に入った。 安彦良和井氏の描いた色々なアニメの原画が年代別にパネルにして展示してあった。それらの原画は流石にリアル感や 迫力がある。それに綺麗に描かれている。でもそのアニメのタイトルやキャラクターを全く知らないしほんのちょっと タイトルの一部を聞いたものがあるかなあと思うぐらいだったのでなかなか愛着が湧いてこかなかった。 会場を中程まで進み今度は中央スペースに飾ってあるケースに収められたフィギュアを見る事にした。まずは 『勇者ライディーン』。このアニメは多分再放送を見たのだと思うキャシャーンが『心臓人間』に匹敵するくらい絵が丁寧 かつ綺麗に描かれていたアニメだったので感激したのを覚えている。ライディーンのフィギュアは曲線美が綺麗に出ていて なかなか美しく見事なフィギュアだった。ただライディーンの一部赤のカラーが少し濃過ぎる様に僕には見えた。それに 主人公がオートバイから飛び出しライディーンにフェードインする瞬間のシーンのフィギュアがあったら見たかった。 次のフィギュアはガンダムの主要な登場人物、アムロ・レイ/フラワー・ボウ/シャア・アズナブル/ミライ(違うかな? シャア・アズナブルの妹)の4人、みんなリアルでよく出来ていた。出来れば僕もこのフィギュアを持って帰って パソコンの横に飾っておきたいくらいだった。 最後のフィギュアは今日のメインのガンダム、アニメの実物大の1/135(?)の大きさで作ってあるそうだ。更にこのガンダム 細部までそして持っているバスーカ砲など細部のパーツまでもリアルにしかもメカニチックに創られていて僕が言うのも 変だけど実に見事な出来だった。ただこのガンダムは僕にはアニメよりメタボに見えたが・・・・・、胸のコックピットに 人が一人入って操縦するのだからこのくらい胸板があっても当然かも。 フィギュアの後ろにようやくガンダムの原画があった。宇宙をバックにして青黒い色調で描かれた深みのあるガンダム・ アムロとホワイトベースの仲間たち・シャアとミライの(兄妹)ツーショット・アムロとガンダムのツーショット (ただこの原画に描かれたアムロは妙に大人び過ぎている様に僕には見えたが)などが展示されていた。やはりテレビやDVDで 見ていただけに色んなシーンが頭の中に浮かんで来て感慨深いものがあった。 この原画展の展示場の出入り口のすぐ脇に勇者ライディーンの原画が1枚展示してあったがこれがこの原画展で僕が 最も気に入った作品だった。それから上の息子が一番最後まで会場に残っていたが、息子は原画とかそういうものに 興味があるのかな?。 ガンダムの原画展を見た後はエレベーターで2階へ上がり科学(主に物理学のようだが)を体験するホールで遊ぶ事になった。 ここにはマジックミラー・入ったら斜めになっている様に感じる部屋・ジャイロで回る椅子・遠く離れた所から音を 伝播する互に装置・レーザーを活用して遊ぶ装置・昔でいう知恵の輪を難しく改良し形を変化させた様な機器や その他面白そうな器具が色々と設置されていた。このホールではたくさんの子供たちが色々な装置で楽しそうに 遊んでいた。僕も子供たちに混じって実際に触って体験してみたかったが僕に出来るのはマジックミラーだけ、 寂しい・・・・・!。でも子供たちや息子たちがちょこまかちょこまかと遊んでいる様子を見ていると 寂しさも少しずつ薄らいできた。 宇宙科学館に着いてからここまで2時間余り、最近はこんなに長く車椅子に座っていた事はなかったから脚や腰が 痛くなった。そこでこのホールの隅っこに連れて行ってもらって看護師さんたちに立たせてもらい脚や腰・背中を 伸ばしてもらった。これで脚や腰の痛みがかなりなくなった。ついでに吸引も済ませた事で宇宙科学館の探検も まだまだ続けられそうだ。 次に向かったブースは1階に戻って佐賀県の地層や岩石それに雑木林や小川から河口までの生き物を観察する エリア。 入ってすぐは地層と岩石を紹介するコーナー、でも最近はたとえ山を削って道を作っても削り取って出来た崖は すぐにコンクリートで固めてしまうから地層を見る機会なんて今はほとんどない。それならば佐賀県内の断層や 逆断層・活断層などがどこにあるか・どんな状態なのかを紹介する方が時期的にいいのではないかと 思ったりもした。この地層の横が岩石のコーナー、僕は地学が苦手だったから岩石といっても花崗岩や変成岩・ レキ岩や砂岩ぐらいしか覚えていないし、石にしても石英や長石や雲母という単語それに腰岳のからすん枕 (黒曜石)しか知らなかったから素通りしようとした。ところが横のケースの表題『誕生石』が目にとまり立ち止まって見た。 12個のケースには1月から12月までそれぞれの月の宝石(ちっちゃいが)とその原石が標本として飾られていた。 僕の誕生石はオパール?、その原石を見たが石英モドキが薄い緑色をしているだけで誰かに「それが宝石の原石だ。」と 教えてもらわなければおそらく捨ててしまうだろう。 次に進むと化石のコーナー、恐竜の歯や足の骨の一部や尻尾?・アンモナイトやオウム貝の化石が紹介されていたが 残念ながら県内で発見されたものではない様だった。化石といえば小学生の時広瀬山から黒牟田に抜ける 県道の峠の脇の山肌へ採りに行った。そこには二枚貝や巻貝の化石がたくさんあった。今は道の拡幅工事が行なわれて 化石が埋まっていた岩は削られ山肌はコンクリートで固められてしまっている。削られた岩や貝の化石はいったい どこに捨てられてしまったのだろう。出来れば我が町の小学校の教材用に拡幅工事の工法を何とか工夫して化石を 埋まっていた岩のままいつでも見る事が出来る状態で残して欲しかったのだが。 更に進んでいくと真ん中に雑木林がある広いゾーンに出た。けれど車椅子に座っている僕には目線が合わなくて 雑木の上の方しか見えなかった。看護師さんが鳥の鳴き声当てクイズのボタンを押してくれたがちっとも分からなかったし 鳴いている鳥の姿が見えないからあまり面白いとは感じなかった。雑木林の土台の高さを半分にして欲しいなあ!。 雑木林の回りを小川から河口までに生息している魚たちの様子をうかがえる水槽が幾つかに分かれて囲んでいた。 小川の水槽ではめだかやタブナたちがスイスイと泳いでいたしドジョウやドンコも楽しそうに泳いでいた。僕の子供の頃は 家の周りの溝にもめだかやフナ・ドジョウやドンコがいたなと思うと懐かしかった。今は二十数年前の農地改良で 石垣だった溝という溝がコンクリートの側溝になってしまって泥も石ころもなくなり小魚でさえ棲めない溝に 変わってしまった、最近は流れている水も本当にきれいになっているのに。町には幅1m近い側溝の所々に 20cm程の深みを作って欲しい。そうすれば側溝に水の留まる場所が出来やがて小魚たちが戻ってくると思うのだが。 雑木林の逆の方にも二つの水槽があったのだがひとつは団体の餌やり体験で人垣が出来ていてどんな状況を模した 水槽なのかどんな魚たちが泳いでいるのかほとんど見えなかった。もうひとつは河口付近で泳いでいる魚たちの水槽、 ここでは淡水魚の鯉やフナ・海水魚の鯛(見間違い?)やハゼ(カサゴ?)がいた。この水槽の中に白くて細長い魚が 2匹横たわっていた。死んでいる様に見えたので看護師さんが水槽のガラスを指でつつくとエラが動いた、生きていた!。 この魚ワラスボと言うそうだ。そういえば開いて天日干しして焼いて食べたら美味しいと聞いた事があった。僕は 雑木林と川の様子を表した水槽があるこの空間にいるとゆったりと落ち着いた気分になれた。 僕はこの宇宙科学館ではここ雑木林と魚を見れる身近な川の様子を表現した水槽のあるゾーンが一番好きだ。 午後3時過ぎもうそろそろ帰る時間、宇宙科学館のエントランスで本日最後の記念撮影をし玄関を出ると、 蒸し暑い・・・・・。急いで自動車に戻って助手席に移乗させてもらうと足腰の痛みも薄らいだ、やはり助手席の方が ゆっくり出来る。家に戻る途中、山内町に入ってしばらくした所で嫁さんが「このまま真っ直ぐ行く?」とでも尋ねるかの 様に僕の方を 見たので「旧道の方」と目配せした。バイパスが完成する十数年前まではこの旧道も何度も通ったものだった。 道沿いの電気屋さんを見るとついつい仕事をしていた頃の事を思い出してしまった。 家に着くとすぐに訪問看護師さんたちに助手席からベッドへ移乗してもらいパジャマに着替えてから手足と腰を入念に 動かしほぐしてもらった。久々の外出それに5時間あまり座位の姿勢を保っていたから足腰と腕が痛かったがこれで 痛みはほぼなくなった。そして訪問看護師さんたちは「お疲れ様でした。」と言って帰って行った。訪問看護師さん それにHそして嫁さんに息子たち、今日1日僕に付き合ってくれて本当にありがとうね、ありがとうございました。 家の中がまたたく間に静かになって少し寂しくなったなと思っていたら座敷の方から酒を酌み交わしている気配がしてきた。 どうやらHが親父の晩酌に付き合ってくれているようだ。その中にお袋も混じって談笑している声も聞こえてきた。あんなに 楽しそうな親父の声を聞くのは久し振りの事だ。本来縄場僕が親父の酒の相手をしてあげなくてはないのにHが僕の 代わりを務めてくれている、ありがとうね! H。そしてご免ね親父、僕が大人って傍にいる晩は一緒に酒を 酌み交わす、親父の楽しみのひとつを僕が奪ってしまって。 しばらくしてHは「また来るね!。」といいながらご機嫌?で帰って行った。H、今日1日本当にありがとうね!。 また会いに来てくれよ、そしてまた親父の酒の相手をして欲しい。 夜になって嫁さんが「ガンダムの原画展どうだった?。」と聞いてきた。僕は「まあまあ」と曖昧な顔をしていた。 結局嫁さんや僕にこの後あまり疲れが出なければ今日の宇宙科学館行きは良い外出だったと言えるだろう。 更に今後数日嫁さんに疲れが残る事もなくいつも通りの笑顔を見る事が出来れば素晴らしい外出だったと言えるだろう。 |